ドイツ:年間のビール販売量が最低を記録 2025年

ドイツ:年間のビール販売量が最低を記録 2025年

いくつかのメディアで記事を見た。2025年のビール販売数量が最低を記録したらしい。

20年くらい前の私の古い記憶では、販売量は知らないけれど、国民一人あたりの消費量をチェコと首位を争っていたのがドイツ。消費量には旅行者が飲んでいた量も含んでいただろうから、本当の国民一人あたりの量はわかないけれど、「ドイツと言えばビール」は私以外の人も認めることだと思う(「ドイツと言えばポルシェ」、「ドイツと言えばアウディ」、「ドイツと言えばメルセデス」、「ドイツと言えばフランケンワイン」、「ドイツと言えばモンブランのペン」、「ドイツと言えば、アディダス/プーマ(兄弟)」などなどいっぱいあると思うけれど)。

記事にあった販売数量と私が調べた人口(および勝手に想像した飲酒可能人口)から計算すると、一人当たり100リットルくらいになりそう。旅行者を入れるとさらに減る。前段のチェコとドイツが一人あたり消費量を争っていた時は、たしか 160リットル/人 くらいだったと思う(20年くらいまえの記憶)。

健康志向だったり、酒を飲まないムスリム系国民だったりの影響もあるのかもしれないけれど、結構、驚愕のデータ。ビール・メーカーも大変だろうと思う。ビール物価高もあるかもしれない。

もう、前のような世界は帰ってこないのだろうか。

在外選挙登録者の投票率

在外選挙登録者の投票率

先日に、大使館で衆院選の在外投票を行った。

ふと、在外選挙登録をしている人の投票率がどれくらいか気になっためネット検索をすると、2024年の衆院選のデータでは、95千人の在外選挙登録者数に対して約 18%ほどの投票率だったようだ(選挙区・比例ともに 18%台)。

これは、在外選挙登録している人に対する比率なので、実態としはどうなのだろうか。外務省が開示している「海外在留邦人数調査統計」2025年10月1日現在版によれば、2025年の総数が約 13百万人で、うち長期滞在者が 709千人、永住者が 588千人とのこと。永住者は日本国民ではないので選挙権はないと思うので、永住者 588 千人を分母にして、うち、日本国内の人口に占める有権者の割合(約80%)が海外にも適用されるとして、在外有権者数は 470千人と試算。そこから 2024年の投票者数から計算すると 在外日本人有権者の投票率が 3-4% の間と試算できる。精度は不明ながら、かなり低いことが想像できる。

私も何時間も車を運転して大使館へ行くが、もっと遠くに住んでいる人もいるだろうから、物理的に難しいケースもあろう。また、投票期間は参院選であれば週末が二度あるが、衆院選は一度の週末しかないため、何時間かで行ける私ですらチャンスは限られる。

セキュリティの問題もあるだろうが、ネット投票ができる時代になるとよいなあと思う。

ネット投票が可能になる暁には、投票を義務に課すのも検討してみるのもよいのではないかと思う。私の同僚の出身国ですでに義務化している国がある。検討くらいしてみてはどうだろうか。

最後に、在外投票でいつもなんだかなあと思うのは、投票用紙を自身の名前を記載した封筒に入れて投票するのがいつも気になる。開封する人がたまたま私の知り合いだったりするのが嫌だなあといつも投票所で感じている。


カレー早食い大会で優勝

カレー早食い大会で優勝

そういえば、大学生の時にカレー早食い大会で優勝したことを思い出した。

いままでにテレビや動画の早食い・大食い番組を見てもなんともなかったのだけれど、今回、ある番組をみていたら突然に思い出した。

在籍していた地方の国立大学の学祭のイベントでやっていたものなので、参加者は少人数で最大の強敵に見えたのはアメリカン・フットボール部のいかつい選手くらいだったし(正直、昔過ぎてどんな人がいたのか覚えていない)、勝ち抜くために食べる量にしてもそんなに驚くほどのものではなかったので、私だから優勝できたといえるようなものではない。優勝者がたまたま私になったという程度の話ではある。一回戦はただの早食いで、二回戦(準決勝)は辛いカレーで競って、それで、決勝戦(三回戦)が普通の味の特盛(定義は非常にひとによる)程度の量のカレー早食いだった。優勝賞品としてもらったカレーの材料 段ボール箱1箱詰め合わせは嬉しかった。何せ、大学生のころはお金がなかったので。

無意味にこんなことを書いていたら、ピザ・デリバリー店でアルバイトをしていた頃に、焼き立て熱々のラージ・ピザ・セット(コーンカップと飲み物付き)を30分以内に完食したら無料にしてくれるということで、私もやってみたところ成功したことを思い出した。同じ店のアルバイトの人たちも過去に挑戦していたらしいのだけれど、私が成功したときに店長はとても残念がっていたことから、ほかの人たちの多くは成功していなかったのかもしれないと思ったことを、何十年か振りに思い出した。

思い出す対象がもうちょっとマシなのないのかと感じつつも、何事にも感想を持つとか、それをノートに書き留めるとか、それをつかってブログで日記に残しておくとか、こういったことが脳への新しい刺激になって、そうでなければ一生思い出すことがなかったかもしれないことを思い出すことにつながっているとしたら、副作用としてはスゴイ。あ、「副作用」という言葉は望ましくない結果、という意味の方が大きくなってしまうように私はとらえてしまうので、「意外な効果」と言うべきか。

AI と医療診断

AI と医療診断

海外にいる間は、病院やクリニックへほぼいかない。海外の病院へ行きたくないというのは大きいけれど、日本でもあまり医者にかからないので、海外だからというわけではないが、海外にいる間は日本以上になんとかなるまで耐えるのを優先するかもしれない。

ところが、必要あって、病院へ行くことになった。
待っている間に、AI が探し出せる病気が今後増えていくのだろうな、とふと思った。その分、検査が増えるのだろうとも推測する。必要でない検査とかもして、それらすべてを勘案して AI が診断するのだろう。だとすれば、バリウム検査やX線検査のみならず、MRI や CT など現状では対象者しか受けない検査を受ける分、医療費もあがるだろうし人体への影響がない範囲内であっても検診被ばくが増えることもあるだろう。

いろいろな症例を AI が学ぶのにどれくらい時間が掛かるのだろうか。私が生きている間にAI診断が役立つ時代が訪れるかなあ?

特定の国の人々に人気の旅行先 – 行ってびっくり

特定の国の人々に人気の旅行先 – 行ってびっくり

海外旅行にいくと、団体旅行ではないのに特定の言語ばかりが聞こえてくる旅行先に出くわすことが少なくない。例えば、ドイツ語ばかり聞こえるスペインの島。何十年か遡ると、もしかしたらハワイやグアムは日本語ばかり聞こえるアメリカの島と外国人から認識されていたかもしれない。

そうなる前の時点では、地理的に近いとか航空便が多いとかの理由があったのかもしれないが、一旦、その観光地が特定の国からの旅行者にとって便利となったり知られたりすると、一気にその国の旅行者が増えることになったのだろうと思う。

少し前に旅行でいった場所ではよくロシア語を聞いた。その場所は、ロシアからくるには遠いし、今はロシアから出国ってできるの?って思った。ロシア国外にいるロシア人が多いのだろうとは想像するけれど、在外ロシア人が一箇所で密度が高くなるのも不思議。同時にたくさんの人がいるのはツアーであれば判る。だから、ロシアからのツアー客であればありえなくもないけれど、在外ロシア人がどこかの国からたまたまロシア人だらけのツアーが開催されるのもありえなそうだし、リゾートっぽいところへのツアーというのも聞いたことがない(聞いたことがないだけであるのかもしれないけれど)。

判らないけれど、まあいっか。

TV スクランブル - 懐かしのテレビ番組

TV スクランブル - 懐かしのテレビ番組

久米宏さんが亡くなられたニュースが少し前に流れていた。

ニュース・ステーションが報道番組を変えた、というような報じられ方が多かったように思う。あくまでも、海外にいて情報ソースが少ない私が触れることができた範囲では。

私にとっての久米さんは、ぴったしカンカンとザ・ベストテン、TVスクランブルだ。ニュース・ステーションが始まったころにはわたしは多分高校生にはなっていて、部活で学校を出るのが遅い上に長距離・長時間通学で帰宅も遅いためにニュース・ステーションに限らずテレビ番組を全くみていなかったし、その流れで大学生の時もテレビを観ない人だった。だから、私がまだ小さかった頃の久米さんが私の久米さん。

最初に挙げた3つの番組のなかで、私のダントツはTVスクランブル。番組最後の日本の海岸線の空撮や動物の赤ちゃんコーナー(のあとの横山やすしさんとの対比)、「兆しコーナー」、「この道はどこへ行く道」などのコーナーを興味深く見聞きしていたのをよく覚えている。あと、もしかしたら記憶違いかもしれないけれど、日曜夜8時の日本テレビのこの枠はノエビア化粧品のCM(後番組の元気が出るテレビだったかもしれない)のことがとても好きだった。私は、中学1年の三学期が始まる頃から洋楽を聞き始めていたのだけれど、ノエビアのCMで流れる女性パイロットの飛行映像をバックに流れる洋楽の選曲がとても好きだった。

なぜに横山やすしさんなのかが判らなかったが、横山さんだからよかったのではないかとも思っている。強烈な印象が記憶を強くしている。当時、この番組が終わると私の寝る時刻だった(ザ・ベストテンも観ていたのみあまり強い記憶がないのは、放送時間が遅くて毎週は観ていなかったからかもしれない)。

教育について – 国政選挙の候補者に聞きたいこと

教育について – 国政選挙の候補者に聞きたいこと

衆院選の投開票まであと1週間と少し。ネットやテレビで党首討論会も放送されているし、ネット・ニュースで各党の主張などが出そろってきている。消費税については、対象や税率、期間の違いはあるが、ほぼすべての党が減税について述べている(やってくれるか判らないけど)。

しかし、こういった全体的な番組では教育についての発言を聞かない。私が視聴した番組以外では議論がなされているのかもしれないが、私がみた番組ではまだ聞いたことがない。でも、私は政治家には教育について語ってもらいたいと思っている。実際に教育に携わる先生がたが大切なのはそうなのだけれど、教育をどうしていくかを国レベルで話してもらいたいと思っている。

教育は非常にタッチーな話であるとは思う。少し前のとある国会議員の発言のように「国民感情をしっかりコントロールしていかないと」は何をかいわんやであるし、国が教育で洗脳することもダメ。私がやってほしいと思っているのは、考える癖をつけることや基準を置くことの重要性や(基準から離れるのは各人の思うままだが、どこからどれくらい離れているかを測ったり知ったりすること)価値観とはどういったことか、人ととの違いがあるのは当たり前であることとそれを尊重することなど。正しい・正しくないという判断は個人やケースによるので教えるのはコントロールすることになりかねないが、犯罪かそうでないかの価値判断は教えても差し支えないと私は考える。

教育って国づくりのとても重要な課題で、時間をかけて世代を超えてじっくりやる必要があると思うのだけれど、こう考える私は少数派なのだろうか。

在庫リスクに対処して減損と株価下落

在庫リスクに対処して減損と株価下落

マスク輸入が滞ったコロナの頃から経済安全保障が一般的にも話題になり始め、ここ数か月は耳にしない日が無いくらいにまでなった印象。レアメタルやレアアースといった鉱物資源系では、在庫切れで生産活動が止まった企業が報じられた記憶もあたらしい。

私は、国際会計基準に対して思うことがある。ルールの統一だったり、その結果として異なる国の企業同士を比較しやすくして投資検討の参考にするとか、その時その時の財務状態をあぶりだすことを期待してのことだとは理解しているが、金融を事業として行う企業以外には迷惑この上ないとずっと思ってきた。

たとえば、最近にみた経済安保関連の記事では、特定国からの輸入に頼る原料はそれなりに在庫している、とある会社の社長がコメントしていた。この会社は、事業継続のリスク認識と対処を行い、その内容や運用は別として、長期取引が検討かぬなサプライヤーとして信頼してよい企業だと私は思った。しかし、在庫をそれなりに持つということは商品市況変動のなかで評価損を出す可能性もあるわけで、それを時価評価することで株価が下がったりすることもあるだろう。原料リスクに対処することが信用リスクや資金調達リスクになるかもしれない。在庫をもたない企業にも事業継続リスクによる株価低下がありえるから、それでも平等・公正にでの企業にも評価がなされるという人がいるかもしれないが、在庫をもっていないリスクまで決算書から読み取ろうとする一般投資家はあまりないのではないか。

在庫評価が回復可能だとか企業側も説明に手を尽くすだろうが、基本、監査側は意地がよいとは思えず、彼ら独自の価値観で否認してくることもあるだろう。

リスクに対処すると別の不具合が生じるというのは厳しい。このことだけではないのだけれど、何かの手当を国際会計基準はしてくれないだろうか。

ひどくはないけど、たえず何処かが痛んでる

ひどくはないけど、たえず何処かが痛んでる

あまり表明したくないのだけれど、いつもどこかが痛んでる。調子がよい時があまりない。

こんなことを書くと、年齢とかなんだとかという話の展開になりそうだけれど、全てが一過性の不具合なので、年齢による衰えではないというように前向きに言うこともできそうだ。腰が痛いとか、朝起きたときに指を伸ばせるようになるまでしばらく時間が掛かるとか、一見、衰えのような症状なのだけれど、それが長くは続かない。でも、いつも、どこかが代わる代わる痛い。

悲観的になる必要がないというのか、いざとなったらすべてが同時に痛くなるリスクがあるというべきなのか。

事務所が寒い

事務所が寒い

東南アジアがそうだと理解してはいるものの、我慢できないほどに寒い時がある。
日本にいる時は私は暑がりだった。就職して初めてクーラーに出会った私としては、冷房は非常にありがたいデバイスであり、電気代を気にしなくてよいくらいの大富豪であれば、24時間つけっぱなしにしておきたいくらいだった。

東南アジアにきてから、クーラーが苦痛に感じる場面が結構ある。なぜなのか。

今まで気付かなかったけれど、ローカルの同僚も様々な出身国からの同僚も、汗をかかない人が多いようだ。だから、体温調整が苦手で熱が体にこもるのでガンガン冷房をたいているのかなあというように思うようになった。

それが正解かどうかは判らないけれど、そう思うようになってから、彼・彼女たちの気持ちを判ってあげられそうになった。

休暇を境に好みや欲求が変わった?

休暇を境に好みや欲求が変わった?

仕事中と寝ている時以外は動画を流していることが多かった。もちろん、通勤時の車の中で画面を見ることはないが、それでもニュースなどの動画を流してラジオのように音声を聞いている。また、自宅にいる時は、起きている限り何か動画を流していることが多い。

ニュースや時事系トーク番組、音楽ビデオやドラマ、バラエティ、勉強系などいろいろなジャンルを見るし、時折、全く興味のない分野のものであってもリストに出てくる映像をクリックすることもある。そういう意味では、私は偏りの少ない方ではないかと自分では思っている(アルゴリズムによるリストっぽくない、それまでに見た映像と何の脈絡もないものがリストの中にあるものでも)。

日々、動画にあふれているそんな私なのだけれど、ここ数か月間は、サムネイルを見ていても面白そうに感じる動画があまりない。どうしてだろう。もともと、動画を真剣に見ているわけではなく、何かやる時にながら掛けというか BGM の代わりという感じではあったのだけれど、なぜだろう。思い浮かぶのは、昨年の後半に取得した休暇後に動画に対する欲求が減った感じ。これも、休暇でイライラが解消した効果なのだろうか。あるいは、逆に、好奇心とか興味が減ってしまったあまりよろしくない状況なのだろうか。

今だけのことかもしれないけれど、見たい欲求がなければその気持ちに従おうと思う。静かな自宅もまた良いかもしれない。ちょっと試してみたいけれど、物事に関心を失くしてしまったのでないと良いのだけど。

名刺には登記上の会社名を記載して欲しい

名刺には登記上の会社名を記載して欲しい

名刺から取引先のデータを読み取ってデータベースを作る機会があった。名刺には、会社名は登記の通りに記載して欲しいとあらためて思った。取引先の登録をするときなどにも、同じことを感じるのだけれど、今回は登録しようとする会社の数が多いので、史上最大の強度でそれを思った。

Inc. なのか Co.,Ltd. なのか、Corporation なのか。情報量の少ないデザイン性を重要視した名刺に耐性がなくなくこともあるのだけれど、私が名詞に最強に望むことは正式名を記載してほしいということ。会社名の変更で、創業時の商号からブランド名を社名に使う例が結構あるが、このような場合は特に会社形態を表すものをあえて記載しない名刺が多いように感じている。

是非、会社名は正しく記載してほしい。特に同じブランド名を商号に使うグループ会社がたくさん存在する場合は、自社の取引先がどれかすぐに判別できるように正式名の記載をお願いす。

学校の皆勤賞、有給取りずらい意識を作り出す?

学校の皆勤賞、有給取りずらい意識を作り出す?

学校を休んでディズニーランドや家族で行楽に出かけることの是非みたいなことがネット・ニュースになる時代だから、もう学校の皆勤賞の価値を見出さない時代になっていることだろうと思う。しかし、私が小学生だった昭和の時代は、皆勤賞という言葉がそんなに低くない頻度で使われていた。では、私自身はどうだったかと言えば、体力に自信のある小学生だったわりに、学年を通じて皆勤賞で過ごせたのは一度だけだったんじゃないのかなあ。

何かのネット・ニュースを読んでいて、学生時代に皆勤賞という概念を持ってしまうことで、有給休暇を消化できない日本人サラリーマンを生む結果になっているようなことを書いている人がいた。その人以外にも同じようなことをネット上に書いている人が結構いて、たしかにそうかもしれないなあと感じた。

そういう意味で、学校休んでディズニーランドに行くことにポジティブな側面があるなと思った。休みは休みとして取得することに後ろめたさを感じさせない人が増えるのはよいこと。休みにお金を遣えば経済も循環するだろう。休んでリフレッシュもできるし、趣味に時間を使うこともできる。あとは休みを取るタイミングを考慮できればもっとよい話。どうしても突発的な出来事は避けられないので、確実に休める日が事前に分かるはずはないのだけれど、ちょっとそれだけはなんとかなったでしょ、という話を聞くこともある。判っている季節要因と同僚・周囲との調整のこと。あー、でも、こんなことを思ってしまうことすらいけない時代になってきたのだろう。

会社で業務が分業されすぎ問題

会社で業務が分業されすぎ問題

私が新卒入社した会社は、入社前年に設立 100周年を迎えたばかりの会社だった。それ以後は、入社数年で初めて海外に出た先は設立 10年目くらいの事業会社、次に買収したての海外製造会社、しばらく経って別の10年目くらいの会社、最終的には資本関係のない融資先で勤務した。

買収したての会社にて勤務していた当時は PMI(Post Merger Integration、企業買収後の統合プロセス)という言葉を私はまだ知らなかったが、企業のすべてに近いことを知っている少人数を原動力にしてグループ全体を起ち上げ整えていっていた。ちょっと前に流行った言葉でいえば、サイロがある状態では起ち上げ早々はうまくいくことは難しい。私は、勤務した会社それぞれで良い経験をさせてもらったけれど、この起ち上げ早々の会社は会社の成長を感じる機会が多かった。

日本にある本社で勤務している時も含めて、私は新しいことを命じられることが多かった。だから、結果的に、その事業のほぼ全てに近いことを知っている人、ほかの誰よりもそのことを知っている人になることが多かった。会社が小さい段階では、情報がひとりに集中している方が仕事がやりやすい。いや、一人に集中しては企業としては成立していないので思っていることを正しく言い表せてはいなくて、どういってよいか判らないけれど、自分の部署が何かを決める時にはやはり全体が判っていたほうが決めやすかった。

転職して私が今勤めている会社は、最初に私が関わった頃はまだ小さな会社で情報も分散されていなかった。その後、会社が大きくなるにつれてサイロっぽくなってきて、今ではいわゆる大企業病を患っている。組織が大きくなって仕事が細分化されたことや(仕方ない事)、自分のことだけでよいと思う人が多そうなことことなども背景にあると思う。ただ、最近、特に強く感じるのは、全体を判っている人がいなすぎるということ。分散しすぎている。誰かが軌道修正した方がよさそうだけど、しなくても一応企業としては活動できるのだろう。もったいない。

オバマ(元)大統領の英語

オバマ(元)大統領の英語

オバマ氏が大統領に当選後か、もしかしたら就任してすぐの頃かもしれないが、オバマのスピーチを使った英語学習が流行っていたという記憶がある。今思えば、日本はマスコミも教材提供会社も、米・民主党推しだったのかもしれない(今も?)。

でも、当時から私にはオバマ氏の英語の何がよいのか理解が難しかった。今の時代は、持って生まれたものについて批評するのはよくないことは理解しているが(ルッキズムと言われる見た目など、当人の努力でどうしようもないことには触れてはいけない時代)、オバマ氏のスピーチは声がはっきりしていないように私には思えていて、教材としてはどうなんだろうと感じていた。当時と今では比較できないけれど、オバマ元大統領よりもトランプ現大統領の方が聞き取りやすい声やイントネーション、抑揚だと私は思っている。もちろん、人生でどんな英語を聞いてきていたかで、聞き取りやすいかどうかの判定基準は各人で異なるのは理解の上で(私は日本人なので、米・共和党の支持者ではない、念のため)。

私の物差しでみた場合、世論が意図して作られていた時代があるんだなあと思う。

県民の日

県民の日

県民の日は学校が休みになったり、子どものころにあった国鉄は固定金額で県内乗り放題になったりした。

幼稚園年長から高校生まで過ごした県を飛び出して大学へ進学したし、新卒就職は東京・大阪に両本社を構える会社に入社したため、育った土地の県民の日を堪能したのは中学までだった(高校は、授業は休みだったかもしれないけど部活があったはず)。

県民の日が制定された背景が気になってネット上で調べてみると、全ての都道府県に県民(都民・道民、府民)の日があるわけではなく、また、あっても公立学校が休みとは限らないというような情報があった(ほかのサイトでダブルチェックはしていないので、情報の正しさは定かでないが)。また、廃藩置県がトリガーになっている県(面倒なので、都道府県と言わずに県で統一)がいくつかあるのに、県民の日は県によってまちまちな模様。廃藩置県自体は全国一斉なのだと想像するけど(あとで調べる)、今の県名が使われ始めた日が異なったりして、トリガーが同じなのに制定された県民の日が違うのは面白いと思った。

海外でも州・省の日がある国もあって、その日は祝日になっているのだけれど、州・省をまたいで出勤している人は、ほかの家族が休みなのに自分だけ出勤日とかその逆が起きたりする。それを考えると、日本の県民の日は学校くらいしか休みでないのが日本人っぽい(企業も休みになっている県があるかもしれないけど調べられていない)。

JR の乗り放題パスのようなものがあれば試してみたいけれど、私が中学の時に買った切符は、学生証か何かを提示して、その県の居住者だとか通学者だとかを証明してたのだろうか?もし、特に証明が必要とされていないのであれば、いろいろな県の鉄道の乗り放題を試してみたいなあ。

誤クリックを誘導するウェブサイト

誤クリックを誘導するウェブサイト

PC だとあまり感じないのだけれど、携帯のブラウザでウェブサイトを見ているときにクリック(スマホだとタッチ?)しようとすると、ページが上下方向に動いて開けようとしたリンクでないところが開いてしまうことが高頻度でサーチエンジンがある。

ページを読み込むのに時間が掛かっていて、タッチしようとした瞬間に読み込みが終わったように見える(または見せている、あるいはそう装っている)。あるいは、ページを開いてからタッチするまでの平均データとかをとって、ページが開いてから一定時間たったら上下に動かすような地雷設定にしているようにさえ感じる。広告をクリックさせる月間の回数とかを確約してウェブサイトに地雷を設定、それで広告料をとっているサーチエンジンなのでは…

あまりに頻繁に発生するので、そんな陰謀論を想像してしまうほど。
なんとかして欲しい。

便利さの裏で楽しみが一つ減っていた

便利さの裏で楽しみが一つ減っていた

今いる町にずっと住み続けていたわけではないのだけど、最初にここに住み始めてから10年くらいが経つ。住み始めて当初のころは、地元のスーパーで買える日本調味料はあまりなく、食材も少なかった。だから、大きな街へ片道3時間くらいかけて買い出しにいっていた。それでも、また別の国で最初に働き始めた 30年くらい前に比べれば地元で買えるものはある程度あった(その 30年前の生活では、都会にいっても賞味期限切れ食品くらいしか買えなかった)。

当時は、それが楽しくてしかたなかった。同時に、いろいろなものを買うことができるこんな街に住めたらいいなあと残念に思うばかりだった。

その後、新しいショッピングモールに大きなスーパーが入って、日本食材コーナーが充実してきた。棚の幅5メートルを超える品揃えにまでなった。地元で買えないものはまだまだたくさんあるけれど、それでも都会に行く頻度は減り、一回あたりに買い出しをする量も減った。片道3時間とは言え、道中に交通事故にあうリスクも減ったし、疲労も時間も節約できてよいことばかり。

そうなんだけれど、街に出かけるワクワク感が減ってしまった気分でもある。
便利になった分、何かを失った感じ。
生活しやすくなることは良い事。進化の証。それを止めて不便な暮らしを続けてまでもワクワク感を優先させるのは世の流れに反するのだけれど、それでも何か寂しい感じ。

だから別のワクワクすることが見つかるといいなあと思う。

先を走るより追い抜かす方が易しい

先を走るより追い抜かす方が易しい

仕事での話。

先輩が築いてきた売買取引を更に大きくしたり広げたりするのを私はうまくできないようで、新しい仕事が私に割り当てられることが多かった。例えば、既存の売買取引に付加価値をつけようとして、事業投資を検討する時にメンバーに呼ばれたりするようなこと。

私は「気にしぃ」なので、前任者が存在する仕事をやる時は、たえず前任者のやり方や成果を気にしてしまう。しかし、新規の事業投資案件のようにゼロから始められる仕事に対して、私は邪念を捨てて非常に前向きに取り組むことができる。ほかの社員よりは、その分野の知識が多少先行していたこともあるので、自分のやり方で進めることができるのも前向きになれる要因。

ただ、知識や経験が先行していたのも昔の話。今はノウハウ的なものなど実地でなくても事前に学べる環境があるので、効率よく最新の情報に触れる機会があるため、あっという間に抜かされる。私には経験がある、ということが常に私に気持ちの中にあるのだけれど、それは第三者からの目には見えないし、実際のケースがあって初めて引き出しの中から色々と出せるもの。携帯電話が進化してきて今スマホを使っている日本人の私を、以前は携帯がなかった国の人がいきなり最新機種を使って私を一気に抜き去っていくのと同じような感じ。最新のものを労せず手に入れることができる効率の良さが一気抜きを可能にしている。

逆手にとって私が一気抜きできる分野もあるはず。実際のところ、一気抜きまでは考えていないけれど、周囲の人のレベルに並ぶ・追いつくくらいのことはしたいと思う事柄もある。果たして、一夜漬けがどれだけ私の中に浸透するか判らないけれど、現代では判らなければ都度調べるということでもいいのなかあと思ったりもする。調べたものを記録して、それを効率よく引き出すことができるデバイスもある。

と、前向きなことを書いてみたけど、やっぱり経験値は貴重なものだと思うのだけれど。
それが時代遅れなのかな。
結果でも見るし、プロセスでも見たいし。両立したほうがよいものができると思っている。

SWIFT は個人の小口送金を即時着金

SWIFT は個人の小口送金を即時着金

年末年始ごろのニュースで、国際銀行間通信協会(SWIFT)は個人の小口送金の着金を迅速化させる仕組みを作るらしい。数年前から国境をまたぐ送金サービスを低コストで行う企業の話をいろいろと聞く。そういったサービスとの競争がそういう動きを促したのであろう。私は、今までそういったサービスは一度も利用はしたことがないのだけど、決して銀行間の送金に満足していたわけではない。何となく、銀行間の送金が安全そうだと思っていただけだ。

2025 年後半から、私が利用する銀行が手数料無料キャンペーンを開始した。これは、スマホアプリを使用することが条件で、PC を使った手続きは対象外だったが、一度、送金先をアプリで登録さえすれば、アプリでの手続きは全く問題なかった。2025年の10-12月期で何度か送金したのだが、12月に送金した際は、当地の銀行で仕向け送金を申し込んでから 10分位で日本の銀行で着金ができていて、すごいなあと思った。今思えば、冒頭の SWIFT で迅速化、という動きへの準備だったのかもしれない。個人の送金なので着金までの時間が長いか短いかは、正直、私にはあまり重要ではないのだけれど、送金した資金がどこにあるか判らない状態が短時間で終わるという意味では安心感を与えてくれる価値がある。

サービスの向上にはやはり競争は必要なんだなあと再認識した。