赤点、その後、補習(早朝)

赤点、その後、補習(早朝)

少し前のドラマを観ていたら、回想シーンで高校生だった主人公が放課後に居残り補習を受けるシーンがあった。

ああ、思い出した(そのシーンを見ることもなく、高校の頃を思い出せば補習の記憶も蘇る)。私は、高校1年の時は数学は補習のレギュラー参加者だった。ただ、数学の補習は朝の始業前だったので、部活をしていた私にも影響なく参加できた。名称は補習なのだけれど、やっていることは授業ではなくてテストだった。そのテストで一定の点数を超えると補習卒業という流れで、これが、中間テストと期末テストのたびに対象者リスト入りと勝ち抜けが延々と繰り返される。国語と英語の補習授業は普通の教室で行われていたのだけれど、数学は勝ち抜けテスト形式だったこともあって大教室での解開催で、記憶では生徒の半分以上が補習対象だったイメージ。何せ私が通っていた数学の試験は難しくて、平均点は 10~15点くらいのレベルで0点がクラスに何人もいるのが普通。テスト結果は先生が点数を読み上げながら渡すのがお決まりで、「おまんじゅう」といいながら回答を渡されると0点。おまんじゅうの形が0(ゼロ)に似ているから。数学のテストは、生徒がもだえ苦しんでいるのを先生が見て楽しんでいるような感じだった。それでも、学年トップの人は80点くらいとったりするのだからすごい。

幸い、2年時の数学の先生が教えてくれたノートの取り方がとても私には合っていたようで、途中経過を大事にしながら論理的な考えができるようになり、2年以後は数学が得意科目に変わった。その結果、私が文系だったこともあって、受験の時には数学満点を狙ってほかの受験生と差別化を図る作戦に出ることになる(授業料的に国公立が必須だっため、文系でも数学が必要だった)。

勤めてからも朝は早めに出社しているのだけれど、高校の数学補習のおかげで朝から頭が回るようになったのかもしれないなあと思いながら、本当に無意味な感想を書いてしまった。

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

私はお酒が好き。最初から好き。最初からというのは、合法的に飲める年齢になってから、ずっと好きという主旨。

大学生の頃はお金を持っていなかったので、自分で飲む機会はほぼなかったように記憶している。サークルの飲み会は滅多になかったし、バイトを結構いれていたのもあって友達と一緒にいるのは授業が終了するまでで、夜まで一緒にいることもあまりなかった。

会社に入って働き始めた時の飲みのことは、よく覚えている。忙しい部署だったので毎晩遅くまで仕事して、22時位に先輩から誘われて終電まで飲むことが結構あった。当時の記憶では、今では入手困難になっている銘柄の日本酒を飲んでいたこともなんとなく覚えている。飲んでも飲んでも翌日は朝早くから働いていた。体力的に若かったからできたのだと思う(その影響でガタがもうじききたりしないといいのだけれど)。そんな日々が最初の異動までの間のこと。

最初の海外に行って帰国したあとに配属された先も忙しくて、また相手先との時差が結構ある部署で、やはりまた22時位から先輩に誘われることが少なからずあった。この先輩はいわゆるグルメと呼ばれるにふさわしい人という感じで、本人と奥様の双方のご両親が経済的に裕福な人だったようで、飲みに連れて行ってもらった店は普通の店であっても、注文する料理がちょっとグルメを感じさせてくれることがあった。

その後、海外と日本を何往復かする間、仕事の誰かと飲みに出かける機会は減った。仕事との兼ね合いやチームの一員としての働き方ではなくなったことなどの自分のおかれた環境の変化もあったが、一番の要因は、残業後に会社の人と飲みに出かける風習が世の中から消えつつあったことだったと思う。それと、自分の我が儘度合いも年齢とともに頑固爺のようになってきたのか、自分の食べたいもの・飲みたいものを楽しみたくなってきたこともあったかと思う。

今も飲むことが好き。でも、現在の体力やその時の体調などとの関係性もあるのだろうけど、お酒を飲むと眠気・疲れを感じることもでてきた。だから、飲むと時間を無為に過ごしているような気分になることが増えた。いや、実際の感情を言えば、飲んでも無為とまでは思っていなくて(飲むのが好きだから)、むしろ、飲まないと時間をたくさん使うことができると、よりポジティブに感じることができることに気付いた。いつもいつも忙しかったこともあって、時間という意味では今は結構充実している感じがしている。実際には、人生で残された時間はどんどん減っているのだけれど、なんとなくいい感じ。いろいろと新しいことにチャレンジできそう。

赤唐辛子でくしゃみが止まらない

赤唐辛子でくしゃみが止まらない

ニンジンだけのきんぴらを作ろうと、赤唐辛子を半分に切ってタネを出したのだけど、くしゃみが止まらなくなった。流しのゴミ・トラップ網のところに滞留しているタネを身体が感じるだけでくしゃみが何度も出る。たまらないのでタネを生ゴミのところに出して、網の所からは消えたあともまだ身体が反応してる。

以前に欧州で仕事をしていた頃に世話になったドイツ人が護身用の胡椒スプレーを持ち歩いていたけど、赤唐辛子でもいいような気になるくらいの刺激(目を見えなくはしないけど、くしゃみを止まらなくさせるのも逃げる時間を確保するのに資するのでは?)。

恐るべし赤唐辛子。

因みに、ゴボウも白ごまも地元スーパーでは手にはいらないので、ニンジンだけのきんぴら。次の都会への買い出しでは、ある程度の量を確保しておくつもり。

三碧木星の2026年運勢は悪くないみたい

三碧木星の2026年運勢は悪くないみたい

私は、自分にとって良い占いならば信じる。うさんくさいのは対象に入ってこないけれど、占いの種類が私の信じる度合いに影響を及ぼすことはない。どう占われているかによってのみ、私の態度は変わる。つまり、良い話には信じたい気持ちが生じるけれど、悪い占いは忘れてしまうようにする。

その意味では、三碧木星の2026年の運勢は悪くないみたいのなので、占いに書いてあることを頭の片隅において過ごしてみようと思っている。ネットにあって無料で手に入る占いで、しかも、世界に何十億と存在する人々をたった9区分に分けただけの占いなので当たっている確率がどうなのかは疑問ではあるが、良い占いを信じない理由にはならない。

占いが興味深かったのでもう少し三碧木星のことを調べてみたら、ソウルカラーはターコイズらしい。ソウルカラーという言葉も初めて知ったし、ターコイズが三碧木星の色というのも今まで知らなかった。ターコイズのものを買いたくなった。霊感商法ではないけれど、これはまずい。調べるのは、ここでやめよう。そうでないと、散財してしまいそう。だめだ、だめだ。

2026年に達成したいこと

2026年に達成したいこと

元日なので、ありきたりではあるけれど、今年に達成したいことを記しておいて年末にはレビューできるようにしておく。

・旧い友人と会う=そろそろそんな年齢:対象の人々が住んでない国にいるので機会設定が必要がある
・使い切る:2025年からの継続案件 = 2025年にできたものあったけれど継続
・人の話は先ず最後まで聞く:私が想定する展開が話し手の着地点でないかもしれないと知る
・余計な発言を慎む
・先入観をできるだけ排除する
・買い置きできる体質に(あったらあっただけ使ったりしない)
・体調と体重を管理
・年齢を重ねても新しい思い出を作れると信じて生きる

2025 年の成長分野

2025 年の成長分野

低レベルな話だけれど、今年の成長分野。

・洗顔時に顔のみを洗えるようになった
  → 以前は鼻に水が入るから外出先で顔がてっかてかでも洗えなかった

・食事の時にお盆を使うようになった
  = 丁寧な生活様式、一方でモノを落としたりしないような防御策

・飽きっぽいのに毎日継続できたことがあった
  → cf. デンタル・フロス 今年2ロール完了

・早寝
  = 多少は仕事に余裕が出たか?仕事への執着が減ってしまったか?

・料理のレパートリーが増えた
  = しかし、味付けは自分好みだから人には作ってあげられない


I wish you a merry 大晦日!

不織布マスクからサプライチェイン強靭化

不織布マスクからサプライチェイン強靭化

サプライ・チェインの中国リスクがニュースで頻繁に取り上げられるようになってしばらくが経つ。同じ製品・原料の懸念が再燃しているものとかもある。結局、コスト優先でリスク管理はあまりしてきていなかったように見えたりする(実際は、有事の準備はできているけど、その素振りを見せずにいるだけの企業もあるとは思う)。

特定の業界とか企業とか、範囲が狭いところでの懸念だと、のど元過ぎれば熱さを忘れることもあるともうけれど、コロナの時に日本企業の中国拠点で製造されたマスクですら出荷を止められたことは、多くの日本人であれば覚えていてもおかしくない事件だったはず。当時は、経産省がサプライチェイン強靭化のための補助金を提供することもあったはずなのに。

デンタル・フロス使い切り、今年2ロール目

デンタル・フロス使い切り、今年2ロール目

今年二度目のデンタル・フロス使い切り。今年初めての使い切りは生涯最初の使い切りだったので、今回は人生二度目の使い切りでもある。

2025 年に達成したかったことのひとつに、何かを無駄にせずに使い切ることだった。使い切るには、毎日継続して使うことが必要なので、続けることができた証でもある。

小さなことだけれど、達成できてよかった。2025 年の十大ニュースのひとつのはずが、最初の達成から時間が結構経過して色褪せてきていたところ、二度目の使い切りを年の瀬に迎えることができて、新年スタート前に思い出すことができた。よかった。

実家に帰ろうブームだって

実家に帰ろうブームだって

ネット記事で見た。ブームという割には、私には初耳だった。記事を読んでみると、港区などのコストもステータスも高い場所での生活からおりて実家に戻る人が増えている、ということらしい。それで、実家暮らしをしている人は、そうでない人に比べてお金がたまってよい、という主旨のことも書いてある。私は投稿コメントでいろいろな意見を読むのが好きなのだけれど、そこには、やはり実家の方がお金がたまるという類のコメントが結構な数あった。

そこなの?と思った。港区のようなコスト高なところと比べるから貯金云々という話になるかもしれないけれど、失礼ながら、コメント投稿者がみんな港区に住んでいたとは思えず、であれば、そんなに貯金が気になるものなのかなあ、私とは違う考えなのだろうなあと感想を持った。

私は、大学に通うために実家を出た。下宿のおばちゃんがいる小さな学生寮っぽい場所に住み、就職時に実家に戻ることもなかった。むしろ、その選択肢は初めから頭にはなかった。そもそも、新卒入社した勤務先には実家からは通えないのだけれど、就職先はどんな職業に就きたいかが最優先で、その結果として就職する土地がいくつかに絞られたので、実家から通えるかどうかは私にとってはどうでもよいというか、仮に実家から通えたとしても、個室が並んだ学生寮ではない、ちゃんとした一人暮らしにも憧れたものだ。

物価が上がった今は、私の新卒の時のような「のほほん」とした一人暮らしが大変な時代になったのだろうと少し申し訳ない気持ちになった。スマホ代も高いし、若手に奢ってくれる上司・先輩は少なくなっているだろうし大変なのだろうとは想像つくが、一人暮らしの自由さ・気ままさは、何かとトレードオフで入手できるなら若いうちに味わっておいてはどうかと思う(人の好みは尊重する)。

(これを書くときは記事が出てからしばらく経っていたので検索したところ、記事が削除されているような感じだった。なぜだろう)

ポジション・トーク

ポジション・トーク

私は、動画で討論や解説ものをみるのが好き。
ところが、最近は、好きでなくなりそうな感覚を持ち始めている。

解説者やコメンテータ、YouTuberが言っていることが、皆、以前にもましてポジション・トークだとしか思えないようになってきて、真面目にきくのがばからしくなってきた。それ違うんじゃない?と思うことがあるが、彼らはポジション・トークをしているだけだから、それに反応するのもばからしく感じるようになった。これまでは、自分と違う意見を聞くことを楽しめたのだが、最近は時間の無駄だと思うようになってきた。人生の残り時間が少なくなってきているはずなので、時間の無駄遣いがなくなるように仕向けてもらっていると思って、ありがたく感じている。

今までも淡々として生きてきたような気がするが、さらにそれが進行していくことが少し怖い。

爪が硬い

爪が硬い

周期的に起こるのだけれど、現在、爪が硬くなっている。頭や皮膚を掻いたときに、爪が硬くて痛くなる時とそうでない時が繰り返される。

ネット検索してみるといくつか原因と考えられる理由があるようなのだが、そのうちの一つが加齢だそうだ。一瞬、ハっとしたが、加齢だったら方法はなくもないような気がする。体のほかの部位で加齢が理由だとちょっと難しそうだけれど、加齢を原因とする爪であれば、加齢は加齢でも何か方法がありそうな気がする。爪に縦に筋が入っているのは栄養が行き届いていないのが原因だと思うけれど、これは加齢する前には既に始まっていたこと。直接の影響ではなさそう。

ごまかしカタカナと疑ったら取り残されの証拠?

ごまかしカタカナと疑ったら取り残されの証拠?

日本企業のウェビナーに参加することがある。日本語で受けられるし、日本でよしとされる考え方に触れることができる機会にもなる。経営や製造業の工場管理などの手法や概念、それからを表すビジネス用語には流行り廃りがあるので、何が正しいとか何が今風とかは入れ替えが激しくてついていけない部分もあるけれど、日本で流行っていることを知っておくのは悪いことではないと思っている。

ウェビナー案内のメール・リストに登録している。いくつかの会社に登録しているのだけれど、そのうちの一社のものは、いつも聞きなれない用語が登場して、いつもその定義が記載されていない。あたかも全員が知っていておかしくない言葉であるかのように定義がないので、毎回、ネット検索しないといけなくなる。

しばらく前からカタカナ用語の氾濫が指摘されている。その話が出た頃の私のスタンスは、「言っていることは判る、しかし、この言葉の中にはカタカナであらわされる用語のほうがしっくりするものもある」だった。

しかし、最近の私には初めてみる言葉が氾濫してきているように見えている。とうとう、私もあっち側の会社員になってしまったか、と思い始めている。時代のアップデートに追い付いていないのかも…

その一部は私の認識が正しいと思うけれど、全てがそうだと思えない時がある。新しい表現を使うことで、あたかも考え方や論理も新しいものであるかのように装って差別化を図っているように疑ってしまうことがある。そもそも、はじめから一般に流通している言葉でないとか。

最新情報に取り残されることがないように、自分がものごとを知らないという自覚を持ち続けることは必要だと思うので、このスタンスを堅持しつつも余計な不安に悩まされて変なものに手を出さないように気を付けようと思う。

12月23日

12月23日

昨日の昼過ぎまで、日本では 12 月23日が休みだと思っていた。
令和になってから、天皇誕生日が2月に変わっていたことを初めて知った(多分、実際には初めてではないと思うけれど)。駐在員の立場での海外暮らしであれば日本と交信があるだろうから、その中で知っていておかしくないだろうけれど、私は日本とのやりとりは全くないので今日になるまで気付かなかった。今日は、電子版新聞を読んでいたりする中で、普段の営業日っぽい日常が日本で営まれている感じがして、日本の祝日を検索してみて気づいた。

令和のほとんどを日本で過ごしていないんだ、と実感した瞬間だった。

されど、12月23日。

正しく名前を呼ばれない

正しく名前を呼ばれない

大学に入学したてのオリエンテーションで、英語で自己紹介する場面があった。私には特別に強い思想はないのだけれど、私は日本人なのでと説明したのちに姓・名の順序で名乗った。これより以前に英語で自己紹介をしたのは、県内の学校を期間限定で回って英語指導するネイティブ先生がいた高校生の時以来、人生二度目くらいだったと思う。姓→名にしたのは、固有の名前だから私がいつも名乗るのと同じように言ってみたという軽い気持ちで、しかもその場で頭に浮かんだままに言っただけだった。

何年か前に、ローマ字表記の場合は姓・名の順序で記載が望ましいという国語審議会の答申があったが、私は先をいっていたのかもしれない(ただのあまのじゃく)。ただ、パスポートや航空券となると、不具合を防ぐことが第一なので、名・姓で書くことになんら躊躇も抵抗もないし、姓・名で名乗ったのは、今でもそのオリエンテーションの時だけ。

なぜこんなことを思い出したかといえば、私が勤める会社には、エスニック的に様々な人がいる。そうはいっても、名前の構成でいえば名・姓の順序の国のほうが多数派かと思うけれど、東アジアの人もいれば、名前の構成要素が4つ以上の人もいる。そういった私の同僚と、「名・姓」地域の社外の取引先がメールでやりとりするときに、社外の相手はファースト・ネームで呼んでいると思い込んでいるのに、全然そうでないというのが時折発生する。東アジアの人の名前であれば、基本は姓・名で違いは構成要素が2つ(日本人)か3つ(中国・韓国にルーツを持つ人)ということくらいだから順番の勘違いでシンプルだけれど、東南アジアやアフリカ(それとたまに欧州の人)の人には、いくつもの塊から名前が構成されている人がが殆どなので、どれで呼ぶのか正解なのかクイズ状態になることがある。そんなメールのやりとりの CC に私が入っている時には、そりゃ、間違えるよな、と思ったりする。私の場合は、社内の人であっても、初めてやりとりする場合には、近くのネイティブの人にどれで呼んだらよいかをこっそり訊いてからメールを出したりするくらいだから。

名前に限らず、自分の国・民族が名・姓だからといって、全員がそうだと決めつけるはよくないのにと思う。どうしても仕方無い時の私の解決法は、メールで改行しないといけないくらいに長い場合を除いて、名前を全て書くようにしている。

オフレコ

オフレコ

官邸幹部のオフレコ発言が最近に報じられていた。

何年に一度の頻度でオフレコ発言が取りざたされる。そのたびにいろいろ議論があるが、私の中では政治家にはオフレコ発言はないと思っている。オフレコといってそれを本気にするマスコミは存在しない、というのが既に暗黙の了解になっているという認識だった。

だから、政治家が「これ、オフレコだからな」という場合は、流出するのが判ってあえてその情報を流すのが政治家でも常識になっているのかと勘違いしていた模様。

今回報道されている案件にどのような背景があるのか判らないけれど、センシティブな時の変な発言もよく判らないし、オフレコ発言を書くくらいなら発言者の名前も明かせばよいのにそうはしないのはなぜかもマスコミの世界にいない私には想像もつかない。オフレコ書くなら、その官邸高官とマスコミの信頼関係は壊れてしまっているはずなので具体名を隠す必要がないように私にも思える。

彼らには彼らの暗黙の了解があるのだろうけれど、オフレコは書くというのがそうなのであれば、発言者はもっときちんと認識すべきだと思う。そうでなければ、わざと言ったとしか思えない。だとしたら、今じゃなくてよかったのではという私の感想。あるいは、わざと足を引っ張るために、書かれる前提でオフレコ発言すれば、オフレコだからってそんなこと言ってもいいのかというように余計に否定的な意見を引き出しやすい。そうであれば、マスコミが名前を出さない理由はありそう。ともにアンチ現政権ということになるだろう。

PCタスクバーのバッテリ・アイコン色が変わった

PCタスクバーのバッテリ・アイコン色が変わった

何か変なことが起きているのかと思ってびっくりした。
バッテリーアイコンの色が変わったことについて。
ネット検索してみると、以下のもよう。

 充電中は緑色、
 バッテリー消費中は白黒、
 バッテリー節約モード中は黄色、
 残量が危険域に達すると赤色

これは自宅で使用する私用 PC での話。
会社貸与の PC や、Microsoft 製の私用タブレットは、そうなっていない。
いずれのデバイスも Windows アップデートを常に最新に保っているが、私用 PC のみが色変更している。デバイスやメーカーによって、Windows アップデートの内容とタイミングが異なるのだろうか。

一律でないので、変なものに感染したのかと疑った。
一瞬ながら不安になった。
せめて、色を変えるなら「アップデートによって色を変えました」というポップアップが出るように設定してくれていたら、そんな無駄な不安感を覚えることもなかろうに、と思った。

マイクロソフトの人が私の日記を読むことはないだろうから、ここで言ってもしょうがないけれど。

経済効果と言ったって

経済効果と言ったって

中国人観光客減少による経済損失をどうしてくれるんだ、という意見を言うコメンテータやそういった発言を引用して伝えるニュースがある。

経済効果という文節では、例えばヤクルト・スワローズが優勝して経済効果が〇〇億円と言ったって、真水で〇〇億円が余計に使われたわけではなくて、その分、今日の晩御飯は質素にとかいうのがあってのヤクルト関連支出である、というようなことを言っていた人がいた(ヤクルトは例として私が使用)。よく考えてみれば至極当然な感じはするが、なるほどね、と思った。お金持ちは別として、ヤクルトに余計にお金をつかうのではなく、その分がどこかでへこんでいるはずだ。

一方、経済損失はどうなんだろう。中国人は中国人の経営する宿などを利用する人が多いからそもそも日本の経済には影響していない、という説はここではいったん忘れるとして、外国人が使わなくなるものは他で埋め合わせはないであろう。だから、外国人に由来するものは経済損失で確定、ただし、中国人が少なくなった観光地や店舗に日本人が訪れてお金を落とすから多少は埋め合わせする、は成り立つのだろうか。しかし、その日本人の旅行代金や支出は、今日は安売りの魚にして節約した分から支出されいるだろうから、そうするとやはり経済損失は損失で確定なのかなあと思ったりする。

政治発言をどうのこうのとか、旅行者減少がどうとかいうつもりはなく、単純に、経済効果や経済損失という言葉について考えてみた。

キャンセル・ポリシー

キャンセル・ポリシー

中国政府による訪日自粛で旅館業をはじめとした旅行関連業界や飲食店などの予約にキャンセルが発生して、キャンセル料を免除するよう主張する人々がいるというニュースをよくみた。最近は、その手のニュースはちょっと落ち着いてきた印象がある。

キャンセル料をとりっぱぐれることを未然に防ぐための対策として、日本のホテルなどにもキャンセレーション・ポリシーがしっかりあるところが多いと思うので、事前にクレジットカードを保証用に必須にするだけでよいと思うけど、だめなのかなあ。

正直言って、私自身はカード情報をネット入力するのはいまだに抵抗あるのだけれど、それで迷惑をこうむっている店舗があるなら仕方ないと私は割り切る。海外ではクレジットカード情報がホテル予約には必須なところが普通なので、日本がそれを厳格運用しても問題はないと思う。相互主義だから問題ない筈。それで、できれば日本人にはカードなしで予約を取って欲しいけれど、レストランでの無断での予約キャンセルなどの問題を聞いてもうしばらくたつので、日本人だけOKというわけにもいかないだろう。

会社のコンプラやリスク管理などに関するルールもそうだが、破るやつがいるから厳しくなって、ちゃんと遵守している人までがんじがらめにされてしまう。一旦、キャンセルする人がでてくると、もうカードなし予約の世界には戻れないと思うけれど、いまよりも厳しくなることがなきよう、キャンセルする人はもうやめて欲しい。

ゆうれい坂・ミステリー坂・坂道錯視

ゆうれい坂・ミステリー坂・坂道錯視

たまに買い出しに出かける都会への3時間ドライブの途中に、下り坂に見えるのにアクセルを踏み続けないと減速してしまう区間がある。

雨の日の通勤の時には、坂の途中なのに水たまりになっているところがある。

後者は、舗装にくぼみができているのが原因かもしれないけれど、そこそこの勾配の坂に結構な広さの水たまりになっているので、単なるくぼみとして処理できそうにもない。

鍵っ子だった小学生のころ、空の缶カラが坂を上ってゆくところを一人でテレビで見た覚えがある。ゆうれい坂というのをその時に知った。

自転車通学していた高校当時も、下りのはずなのにペダルがとても重い箇所とかあった。

物理に反する出来事はないはずなので、目の錯覚ということで間違いないのだろうけれど、私の知っている場所ですら、人の目はあてにならないなあと思うくらいに結構な錯覚をさせている。

語源を理解しないと新しい英単語が入ってこない

語源を理解しないと新しい英単語が入ってこない

もし、日本人全員を対象者として調査した場合には、私の英語力は高いレベルにあるとは思う。だけど、できる人の中に入ると、あまりできる方ではないと思っていて、その理由はヒアリングが私には非常に難しい。仕事に関連する会話であれば、関連知識がヒアリング力を補うことができるので実力以上の聞き取りが可能なのだけれど、映画やテレビはちんぷんかんぷんだ。

そのヒアリング力のなさは、実は、単語力のなさだと思っている。聞き取れないのもあるけれど、そもそも単語を知らないという事実。だから、話すのは知っている単語だけでなんとかなっても、知らない単語を聞いても判らない。

大学受験で英語を勉強している時から私が感じていたのは、語源が判らないと単語を覚えるのが難しいこと。だから、単語が苦手。

最近、「デジタル・エコシステム」という言葉が含まれる文書を読んでいて、この言葉の定義を知らないと文書の先に進めなそうなので調べてみた。その後、そもそもエコってなんだっけ?というちょっと種類の違う別の疑問が頭に浮かんだ。どうやら、「家」という意味のギリシャ語 oikos が由来とのこと。ecology, economy も同じ由来の由。最終的にはこの答がヒットして、これが正解なのだろうと理解したのだけれど、この答に至る前にヒットしたウェブサイトにあったのが、「エコはエコロジーを語源としています」という説明。「語源」の定義を各個人がどう持っているのかによって知りたいこと・伝えたいことが違うのは判るのだけれど、

      「これじゃなーい」