正しく名前を呼ばれない

正しく名前を呼ばれない

大学に入学したてのオリエンテーションで、英語で自己紹介する場面があった。私には特別に強い思想はないのだけれど、私は日本人なのでと説明したのちに姓・名の順序で名乗った。これより以前に英語で自己紹介をしたのは、県内の学校を期間限定で回って英語指導するネイティブ先生がいた高校生の時以来、人生二度目くらいだったと思う。姓→名にしたのは、固有の名前だから私がいつも名乗るのと同じように言ってみたという軽い気持ちで、しかもその場で頭に浮かんだままに言っただけだった。

何年か前に、ローマ字表記の場合は姓・名の順序で記載が望ましいという国語審議会の答申があったが、私は先をいっていたのかもしれない(ただのあまのじゃく)。ただ、パスポートや航空券となると、不具合を防ぐことが第一なので、名・姓で書くことになんら躊躇も抵抗もないし、姓・名で名乗ったのは、今でもそのオリエンテーションの時だけ。

なぜこんなことを思い出したかといえば、私が勤める会社には、エスニック的に様々な人がいる。そうはいっても、名前の構成でいえば名・姓の順序の国のほうが多数派かと思うけれど、東アジアの人もいれば、名前の構成要素が4つ以上の人もいる。そういった私の同僚と、「名・姓」地域の社外の取引先がメールでやりとりするときに、社外の相手はファースト・ネームで呼んでいると思い込んでいるのに、全然そうでないというのが時折発生する。東アジアの人の名前であれば、基本は姓・名で違いは構成要素が2つ(日本人)か3つ(中国・韓国にルーツを持つ人)ということくらいだから順番の勘違いでシンプルだけれど、東南アジアやアフリカ(それとたまに欧州の人)の人には、いくつもの塊から名前が構成されている人がが殆どなので、どれで呼ぶのか正解なのかクイズ状態になることがある。そんなメールのやりとりの CC に私が入っている時には、そりゃ、間違えるよな、と思ったりする。私の場合は、社内の人であっても、初めてやりとりする場合には、近くのネイティブの人にどれで呼んだらよいかをこっそり訊いてからメールを出したりするくらいだから。

名前に限らず、自分の国・民族が名・姓だからといって、全員がそうだと決めつけるはよくないのにと思う。どうしても仕方無い時の私の解決法は、メールで改行しないといけないくらいに長い場合を除いて、名前を全て書くようにしている。

オフレコ

オフレコ

官邸幹部のオフレコ発言が最近に報じられていた。

何年に一度の頻度でオフレコ発言が取りざたされる。そのたびにいろいろ議論があるが、私の中では政治家にはオフレコ発言はないと思っている。オフレコといってそれを本気にするマスコミは存在しない、というのが既に暗黙の了解になっているという認識だった。

だから、政治家が「これ、オフレコだからな」という場合は、流出するのが判ってあえてその情報を流すのが政治家でも常識になっているのかと勘違いしていた模様。

今回報道されている案件にどのような背景があるのか判らないけれど、センシティブな時の変な発言もよく判らないし、オフレコ発言を書くくらいなら発言者の名前も明かせばよいのにそうはしないのはなぜかもマスコミの世界にいない私には想像もつかない。オフレコ書くなら、その官邸高官とマスコミの信頼関係は壊れてしまっているはずなので具体名を隠す必要がないように私にも思える。

彼らには彼らの暗黙の了解があるのだろうけれど、オフレコは書くというのがそうなのであれば、発言者はもっときちんと認識すべきだと思う。そうでなければ、わざと言ったとしか思えない。だとしたら、今じゃなくてよかったのではという私の感想。あるいは、わざと足を引っ張るために、書かれる前提でオフレコ発言すれば、オフレコだからってそんなこと言ってもいいのかというように余計に否定的な意見を引き出しやすい。そうであれば、マスコミが名前を出さない理由はありそう。ともにアンチ現政権ということになるだろう。

PCタスクバーのバッテリ・アイコン色が変わった

PCタスクバーのバッテリ・アイコン色が変わった

何か変なことが起きているのかと思ってびっくりした。
バッテリーアイコンの色が変わったことについて。
ネット検索してみると、以下のもよう。

 充電中は緑色、
 バッテリー消費中は白黒、
 バッテリー節約モード中は黄色、
 残量が危険域に達すると赤色

これは自宅で使用する私用 PC での話。
会社貸与の PC や、Microsoft 製の私用タブレットは、そうなっていない。
いずれのデバイスも Windows アップデートを常に最新に保っているが、私用 PC のみが色変更している。デバイスやメーカーによって、Windows アップデートの内容とタイミングが異なるのだろうか。

一律でないので、変なものに感染したのかと疑った。
一瞬ながら不安になった。
せめて、色を変えるなら「アップデートによって色を変えました」というポップアップが出るように設定してくれていたら、そんな無駄な不安感を覚えることもなかろうに、と思った。

マイクロソフトの人が私の日記を読むことはないだろうから、ここで言ってもしょうがないけれど。

経済効果と言ったって

経済効果と言ったって

中国人観光客減少による経済損失をどうしてくれるんだ、という意見を言うコメンテータやそういった発言を引用して伝えるニュースがある。

経済効果という文節では、例えばヤクルト・スワローズが優勝して経済効果が〇〇億円と言ったって、真水で〇〇億円が余計に使われたわけではなくて、その分、今日の晩御飯は質素にとかいうのがあってのヤクルト関連支出である、というようなことを言っていた人がいた(ヤクルトは例として私が使用)。よく考えてみれば至極当然な感じはするが、なるほどね、と思った。お金持ちは別として、ヤクルトに余計にお金をつかうのではなく、その分がどこかでへこんでいるはずだ。

一方、経済損失はどうなんだろう。中国人は中国人の経営する宿などを利用する人が多いからそもそも日本の経済には影響していない、という説はここではいったん忘れるとして、外国人が使わなくなるものは他で埋め合わせはないであろう。だから、外国人に由来するものは経済損失で確定、ただし、中国人が少なくなった観光地や店舗に日本人が訪れてお金を落とすから多少は埋め合わせする、は成り立つのだろうか。しかし、その日本人の旅行代金や支出は、今日は安売りの魚にして節約した分から支出されいるだろうから、そうするとやはり経済損失は損失で確定なのかなあと思ったりする。

政治発言をどうのこうのとか、旅行者減少がどうとかいうつもりはなく、単純に、経済効果や経済損失という言葉について考えてみた。

キャンセル・ポリシー

キャンセル・ポリシー

中国政府による訪日自粛で旅館業をはじめとした旅行関連業界や飲食店などの予約にキャンセルが発生して、キャンセル料を免除するよう主張する人々がいるというニュースをよくみた。最近は、その手のニュースはちょっと落ち着いてきた印象がある。

キャンセル料をとりっぱぐれることを未然に防ぐための対策として、日本のホテルなどにもキャンセレーション・ポリシーがしっかりあるところが多いと思うので、事前にクレジットカードを保証用に必須にするだけでよいと思うけど、だめなのかなあ。

正直言って、私自身はカード情報をネット入力するのはいまだに抵抗あるのだけれど、それで迷惑をこうむっている店舗があるなら仕方ないと私は割り切る。海外ではクレジットカード情報がホテル予約には必須なところが普通なので、日本がそれを厳格運用しても問題はないと思う。相互主義だから問題ない筈。それで、できれば日本人にはカードなしで予約を取って欲しいけれど、レストランでの無断での予約キャンセルなどの問題を聞いてもうしばらくたつので、日本人だけOKというわけにもいかないだろう。

会社のコンプラやリスク管理などに関するルールもそうだが、破るやつがいるから厳しくなって、ちゃんと遵守している人までがんじがらめにされてしまう。一旦、キャンセルする人がでてくると、もうカードなし予約の世界には戻れないと思うけれど、いまよりも厳しくなることがなきよう、キャンセルする人はもうやめて欲しい。

ゆうれい坂・ミステリー坂・坂道錯視

ゆうれい坂・ミステリー坂・坂道錯視

たまに買い出しに出かける都会への3時間ドライブの途中に、下り坂に見えるのにアクセルを踏み続けないと減速してしまう区間がある。

雨の日の通勤の時には、坂の途中なのに水たまりになっているところがある。

後者は、舗装にくぼみができているのが原因かもしれないけれど、そこそこの勾配の坂に結構な広さの水たまりになっているので、単なるくぼみとして処理できそうにもない。

鍵っ子だった小学生のころ、空の缶カラが坂を上ってゆくところを一人でテレビで見た覚えがある。ゆうれい坂というのをその時に知った。

自転車通学していた高校当時も、下りのはずなのにペダルがとても重い箇所とかあった。

物理に反する出来事はないはずなので、目の錯覚ということで間違いないのだろうけれど、私の知っている場所ですら、人の目はあてにならないなあと思うくらいに結構な錯覚をさせている。

語源を理解しないと新しい英単語が入ってこない

語源を理解しないと新しい英単語が入ってこない

もし、日本人全員を対象者として調査した場合には、私の英語力は高いレベルにあるとは思う。だけど、できる人の中に入ると、あまりできる方ではないと思っていて、その理由はヒアリングが私には非常に難しい。仕事に関連する会話であれば、関連知識がヒアリング力を補うことができるので実力以上の聞き取りが可能なのだけれど、映画やテレビはちんぷんかんぷんだ。

そのヒアリング力のなさは、実は、単語力のなさだと思っている。聞き取れないのもあるけれど、そもそも単語を知らないという事実。だから、話すのは知っている単語だけでなんとかなっても、知らない単語を聞いても判らない。

大学受験で英語を勉強している時から私が感じていたのは、語源が判らないと単語を覚えるのが難しいこと。だから、単語が苦手。

最近、「デジタル・エコシステム」という言葉が含まれる文書を読んでいて、この言葉の定義を知らないと文書の先に進めなそうなので調べてみた。その後、そもそもエコってなんだっけ?というちょっと種類の違う別の疑問が頭に浮かんだ。どうやら、「家」という意味のギリシャ語 oikos が由来とのこと。ecology, economy も同じ由来の由。最終的にはこの答がヒットして、これが正解なのだろうと理解したのだけれど、この答に至る前にヒットしたウェブサイトにあったのが、「エコはエコロジーを語源としています」という説明。「語源」の定義を各個人がどう持っているのかによって知りたいこと・伝えたいことが違うのは判るのだけれど、

      「これじゃなーい」

普段は意見の違うニュースでも楽しめるのに…

普段は意見の違うニュースでも楽しめるのに…

ちょっと見ていてしんどいニュース番組があった。スタンスの異なるニュースでも、普段の私は突っ込みを入れながらもバラエティっぽく報道番組を見ることができる。違う意見があるのは当然だし、テレビ局も民間の営利企業ゆえに収益が大事であり、そうなると、視聴率を上げないといけないし、そのためには事実であるかは彼らにとっては重要ではなく、伝え方をセンセーショナルな方向にもっていきたくなるのも理解しているつもり。

そんな私でも、最後までみていられない報じぶりの番組があった。

最近の中国との関係について報じる番組の中で、沖縄に関する中国側の要人発言を取り上げ、そこから派生して、現在の沖縄県に中国の影響を受けたものが多く存在していることを説明していた。ここにもある、あそこにもある、と。このままいくと、中国側の主張に沿った話題のみを展開して沖縄は中国の一部ということを言い出しそうな感じで、その時だけは途中で見るのをやめた。中国が何かを言う権利は認めるけれど、なぜ、日本の報道会社が他国の主張ばかり垂れ流すか判らない。同様のことは、私が見るのをやめたテレビ局のものだけではないのだけれど、その日のそれは、もう本当に見ていられないというか、それ以上みたら本当に気分が悪くなりそうだった。

少し前には、米国で USAID(United States Agency for International Development、アメリカ合衆国国際開発庁)が報道機関に資金支援をして自分たちに有利な報道をさせていた、という報道もあったし、アメリカが国外の報道機関にも資金を与えて影響をおよぼしていたというニュースもあった。日本の報道会社が買収されていないとも限らない。

自虐史観という言葉・概念がこの報道の事象に関係しているのかどうか判らないけれど、どうも日本人は日本のことを尊重してはいけないということになってしまっているような気がしてならない。私の場合は、自国を愛するという概念はちょっと違う感じを持っているのだけれど、自国を尊重して自国ファーストのスタンスをとることは、国民にとって、ごくふつうのありふれた反応だと思っている。

報道 – 極端な例を注釈なく引用、意図的なのだろう

報道 – 極端な例を注釈なく引用、意図的なのだろう

私が身を置く業界の製品価格が報道に取り上げられることがたまにある。業界動向は昔から事実でない記事が多かったけれど、価格面については、市場価格情報プロバイダーが毎日・毎週の市況を伝える客観情報があるので嘘は付けず、割と実態にあった報道ぶりだった。ところが、今年になって米国が世界中の国に追加関税を発表して以後、一般紙は価格も意図的としか思えないミスリード記事を載せるようになった(トランプ大統領のせいで商品市況があがって由々しき事態だと印象付けるため?)。

価格が半年前の3倍になりました、とか。でも実際は、メイン市場では1割とか2割の上昇なのに、小さい市場で3倍になっているのをあたかも世界中で3倍になっているかのように報じていたりする。そんな報道ぶりにもやもや感を持ってなんだかなあと思っていたところ、最近になって初めて、「欧州市場価格」という説明つき記事を初めてみた。そう、たしかに欧州は急騰していたのだが、欧州需要はあまりない製品の業界なので、欧州価格を代表とみる業界の人は一切いない。経済に強いと言われる一般紙の商品担当者はそんなこと知っているはずだから、知っていてやっているパターンだろう。それまでは、3倍になっている欧州価格の折れ線グラフをなんの注釈もないままに、単に市況価格として報じていた。アジアや中国、アメリカでは価格が上昇していても二けたパーセントの上昇にとどまっているのに。

読者の興味を引くことができれば、内容はどうでもいいんだなあというのがはっきり伝わる良い例。
自分がよく知らない分野のことは、だまされないようにしないと。

受験生ホテルと嵐ラストツアー

受験生ホテルと嵐ラストツアー

状況是正の動きがあるのかどうかの追っかけ報道が見えない(私が見ていないだけかもしれないが)ので判らないけれど、嵐のラストツアーが受験シーズンと重なることで、受験生のホテル確保が難しくなっていること、取れたとしても宿泊費が高騰していることがちょっと前にニュースで報じられていた。

私が大学を受験した時は、国立2校と私立1校の合計3校を受けたのだけれど、本命の国立の時だけ宿泊が必要な場所にある大学を受験した。親から早々に私大は行かせられないと言われていたので、私立1校はあくまで受験会場慣れのための受験の位置づけだったので、本命校より前に試験がある学校かつ自宅から日帰りできる学校を受けた。本命ではない方の国立1校も日帰りできる学校。ただし、高校まで田舎で育ったので、日帰りといっても3時間くらい電車乗って試験会場へ行き、試験後もまた3時間くらい電車乗って帰ってくるような日程だった。

私が30数年前に通っていた高校の場合、受験生ホテルの予約を取りに旅行会社の人が学校まで来てくれた。あっちの旅行会社へ行ったりこっちいったり、また、電話をかけまくる必要もなく予約ができて、学校のアレンジに感謝した(当時はそれが当たり前のことだと思っていたけれど、今思えば感謝)。

本命校の時は、試験2日前に現地入りした。初日は自宅からの移動につかい、二日目はホテルから試験会場までのルートを確認しにゆくのとともに、憧れの学校を見に行った。その大学は、地方からくる受験生が多いこともあって、交通の便を考えてくれてか新幹線駅に近い別の大学も試験会場にしていて、私のような移動組はその別会場での受験だった。だから、本命校の校舎を見に行った。もう試験前日だからコンディションを整えることくらいしか受験対策はなかったのだけれど、本命校のキャンパスを見ることで受験への活力・情熱が湧いてくるという良い方の副作用があり、結果的に合格して本命校で大学生活を送ることができた。

二泊と新幹線代は親にとっては負担だったはず。しかし、二泊したからキャンパスを見る時間を取れ、それで気合を入れ直すことができた。もしも歌手のコンサートが重なって宿泊費が高騰していたら、試験会場から離れた場所でしか宿を取れないとか、一泊しかできないとかだったかもしれず、そうするとキャンパスを見ることなくもしかしたら不合格になっていた可能性さえある。

以前とは違って、入学する大学で人生の多くが決してしまう世の中ではなくなってきつつあるが、それでも、大学入試は今でも日本の受験生にとっての重要イベントであることには変わりない。

嵐が日程を決めたわけではないので、嵐や嵐のファンに苦情を言いたいわけではない。ただ、日程をきめる人には日程再調整を考えてもらうとか、会場確保のし直しが問題であれば、運営がホテルにある程度の費用麺の補償をして、一定数の学生用の部屋を確保するようホテル側に掛けあうなどをしてくれると受験生の人生によいことが起こるはず。

円安なので、円転して日本へ送金

円安なので、円転して日本へ送金

転職してしばらくは、給与は支給されている通貨でそのままおいていた。日本では私は非居住者なので株式の売買ができないので、こちらで少々の運用をしようと思っていたのが通貨をそのままおいていた理由。どんな商品があるか探していた2年くらい前から、徐々に円に対して為替が強くなってきたので少しずつ円転してきていた。今は歴史的なレートになってきているのだけれど、まさか、ここまで円安になるとは思っていなかったので、当地通貨建ての預金残高は今はあまりない。残念。でも、転職してここに転居した時の為替に比べると、それでもかなりの差益をエンジョイしている。へたに投資するよりも利益はよいと思っている。

日本への送金については、ここで口座をもっている銀行から普通に送金してきた。最近は、手数料が安いサービスの宣伝をよく耳にするのだけれど、まだ、使ったことがない。そんな状況だったのだけれど、いつもの銀行が期間限定で外国送金手数料無料キャンペーンをやっているとの通知メールが届いたので、さっそくやってみた。こちら側の手数料だけかと思いきや、日本側の手数料も送金銀行が負担してくれた。だから、送金額が満額、日本で入金されていた。さらに、送金から2-3時間で日本側の入金が完了していた。すごいぞ。

最近は、マネロンに関わっていないことを証明するための証憑を日本の受け取り銀行から求められ、送金の原資が給与である証明とか、給与以外の入金、特に現金での入金がないことを示すために、口座のステートメントの提出が求められたり、私が私の口座に私のお金を送金するだけなのに色々と面倒になってきている。さすがに外国送金停止とかはないであろう国にはいるのだけれど、送金額の上限とかいつか設定されないとも限らないので、できるだけここには溜めずに送金しようと思ってはいるけれど、あまりに送金頻度が高くなると受け取り銀行から疑われるかもしれないので、何が最適解かよく判らない。

“Woman” の発音は “魚万” と教えてくれた先生

“Woman” の発音は “魚万” と教えてくれた先生

Forbes が The World’s most powerful women を発表して、高市首相が 3位に入ったというネット・ニュース記事をみて、早速、Forbes のウェブサイトに行ってみた。首相就任が 10月だから、今年の women というよりはスナップショット的な現時点での women ということと咀嚼した。あくまで Forbes のランキングではあるが、発表より少し前のちょうどよいタイミングでの首相就任だったので、印象度が高い状態でのランキングというのは首相が持っている証拠なのかもしれない(ランキングづけの根拠等まではウェブサイトで確認していないが、客観的なランキングというわけではないのは想像するし、理解もする)。

Forbes のウェブサイトを見ていたら、突然に大学の時の英語の先生の言葉を思い出した。

「 Woman を 魚万(うおまん) と読むと正しい発音に近くなる」と。
「 魚屋の商号(または屋号。どっちでもいいけど)」で覚えるのだと。

頻度こそ高くないけれど、私は時折この言葉を思い出すことがあって、魚万と発音している。

先生に言われて覚えている「この言葉」というのはあまりないのだけれど、魚万は私にはインパクトがあって、これは覚えている。具体的な言葉を除くと、大きく影響を与えてくれた先生は、大学生時代に限らず数名思い出せる。

知らないことを自信満々に話す外国人

知らないことを自信満々に話す外国人

私が不思議に思い続けていることの一つに、どうして知らないことを外国人は自信満々に間違えて教えてくれるのか、ということ。

私の質問に対して自信満々に答えてくれたのに、それが頓珍漢だったことが結構ある。知らなくても知っているふりをしないといけない局面もあろうことは多少理解するが、そんな場面とは全く関係のない、例えば、ラジオから流れてくるこの曲のタイトル知っている?という質問、この場合は、知らないという回答をしても何らその人にはダメージがない場合なのに、なぜ、知らないと言わないのか。テキトーなことを、さも知っているように教えてくれる人の心情を想像することができない。

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

10年くらい前のバラエティ番組を見ていたら、視聴者の手紙からMCの会話が合コンの話題になって、そこで、合コンといってもその日の目的によってノリが違ってそのノリに合わせる、というようなことを言っていた。

私は新卒入社してから所謂モーレツ・サラリーマンというのに近い生活を送って合コンには遠いところにいたので、番組内の会話に登場した合コンのノリというフレーズには何も反応もなかったのだけれど、「ノリが合わなかった」というのが私の転職理由を短いフレーズで表現するならこれなかあと感じた。

ノリが合わずに退職したというと、入社して数年で辞めたように聞こえるかもしれないけれど、私の場合は 20 年以上勤めた会社をノリが合わずに辞めることになった。しかも、突然にノリが合わなくなったわけではなく、割とずっとノリの合わなさを感じていた。

例えば、忘年会や誰かの駐在や退職での壮行会などといった部署内での飲み会。飲むのに掛け声があったり、大騒ぎしたり、そのノリが体質に合わないのだけれど、そのノリに合わせないといけない雰囲気が必ずある。業種的に、なんかそんな雰囲気がある。社内でもそういう人が多数派であるという雰囲気がある。演じている人も実態としてはいたのかもしれないけれど、勢いがないとだめなような雰囲気がある。所謂、金太郎あめのような会社で、そこに馴染めない感覚を持ち続けていた。

転職をした理由は、言葉にするといろいろと説明できるのだけれど、一言でいうとノリが合わなかった、という表現ができるかも、とふと思った。

妻に出張の支度をしてもらう夫

妻に出張の支度をしてもらう夫

21世紀に入ってすぐくらいの頃のドラマを見てたら、急遽、翌日から出張に出るという夫が、妻に荷造りを頼んでいた。現実世界との違いをドラマを見ている時に良く感じるが、荷造りを頼む夫って、時代に限らず本当にいたの?何が必要だとか、お任せでいいいの?あるいは、出張セットを決めてる家庭?
それとも、脚本家とかテレビ局に勤める人にとっては、妻に荷造りを頼む人が多数派なの?

今のドラマもそうだけれど、昔のドラマは今のよりももっと謎が多い。

スマホのスクリーン・タイムの統計にびっくり

スマホのスクリーン・タイムの統計にびっくり

私の職種は原則、事務所から出る機会は殆どない。だから、使う IT 機器はパソコンがほぼ 100% で、電話通話以外で業務中にスマホを使用する機会はほぼない。喫煙者であれば、喫煙ルームにいる間にメールチェックにスマホを使うこともあるだろうが、私はそういうこともない。

業務外で LINE 交信したりはあるのだけれど、全体的なスマホ依存度(非依存度?)がどうなっているか知りたくなって、一日にどれくらいスマホを見ているかをスクリーン・タイムの統計で調べてみた。驚愕の結果。

最も長い時間利用しているアプリは、二段階認証用のアプリだった。驚き。

最近、認証を求められる機会が確かに増えた。外出する機会はないのは最初に書いた通りなのだけれど、自宅での業務のみならず、理由があって事務所内でも自分のデバイスで業務をすることがあるので、社内のほかのユーザーよりも高頻度で認証を求められる傾向があるとは思う。それでもなお、最近は認証を求められるケースが増えている。

他のアプリの使わなさ、と言い換えることもできるかもしれないけれど、いや、私は認証アプリの使われ過ぎだと思う。会社のサーバーが狙われやすいからなのか、認証を求めるトリガーになるようなパソコン操作を私がすることが多いからなのか判らないが、しょっちゅう、認証しているような気がする。でも、最近は認証の操作が少しだけ簡略化したような気がするので、もしかしたら、私が勤務する会社のシステムだけの理由だけではなく、システム会社側が厳しくしたけれど簡単にしたというセットでの設定かもしれないと思ったりした。

日曜の朝は起きられない

日曜の朝は起きられない

平日の朝は、目覚ましを使ってまだ暗いうちに起きる。多くの人に比べて早起きの部類に入ると想像するけど、子どもの頃から朝が弱いと感じたことはあまりない。

土曜日も、平日と同じかそれより少し遅い時間には自発的に目が覚める。

ところが、日曜日には目が覚めると外が明るくなっていることがよくある。結構な高頻度で。

小学生の頃は、日曜日に早く目が覚めることがよくあった。当時は、脳みその稼働が低い土曜(といっても、私の小学生の頃は土曜も半日授業なので完全に脳みそが休んでいたわけではない)には頭の疲労度が低く、それで日曜日に早く目が覚める、という説を私は信じていた。

最近になって日曜日に起きられなくなっている理由はだいたい想像がつく。仕事面では週末もあれやらなきゃ、これもある、という切迫感が減少してきている。これはよいこと。それと、長年の睡眠不足についに堪えられなくなったのではないかということ。これは、最初の切迫感の低減とセットで効力を発揮しているものと思う。

年齢があがるとともに睡眠時間が少なるなるのが本当であれば、私は老化が始まっていないということになるかもしれないので、少し嬉しい。

再開発で移転した先も再開発

再開発で移転した先も再開発

八重洲にあったレストランへ初めて行ったのは30年くらい前。八重洲再開発で土地がまっさらになり、新橋の仮店舗(?)へも何度か伺ったのだけれど、現在の入居先のビルに再開発計画があると知った。

初めて食事にいった当時にいらしたマダムは他界され、昔からの店員さんもそれなりのご年齢でなので、もしかしたら、二度も立ち退きとなるともう次はないのか心配している。次回の一時帰国休暇では、後悔しないように必ず食べにゆく。

紙の手帳が人気となっているらしい

紙の手帳が人気となっているらしい

そういうニュースを最近にみた。

私も、20年と少しの間、紙の手帳を使っている。その間、同じ銘柄のものを使っている。最初の年にそこそこの投資をして手帳カバーを購入して以来、毎年リフィルを買い続けている。20年以上たつのにいまだに使い続けているとは、使い始めた当時は思いもよらなかっただろう。

手帳を使い始めたきっかけは、一本のボールペンだった。誰にもらったかは覚えていないが、誰かにペンをもらった。千円くらいの見た目のペンだったと記憶する。筆記具メーカーの高級ペンというわけではなかったのだけれど、書き味が私にはぴったりだった。それまでの私は、シャーペン付き三色ボールペンを使っていたのだが、価格的にはむしろ、三色ボールペンのほうが高かったくらいかもしれないけれど、とにかく、もらったペンの書き味が私にフィットした。

そうなると、いろいろなものを書きたくて書きたくて仕方なくなった。当時の私は慣れない技術営業を海外で始めたころで、客先との打ち合わせに出席しても理解できないが多すぎて、それらを会議後に調べるために見たもの・聞いたことを書き留めていた。そんなこともあって、A4 のキャンパスノート1冊を3か月くらいで使い切るくらい書いていた(大きい字で広い行幅でメモしていたのでノートの消費が早かったというのも大きな理由)。もちろん、これだけでは足りないというわけではなかったのだけれど、仕事のメモと違うものをもっと書きたくなった。それで考えた結果が、ちょっとよさそうな手帳を使おうとなり、ペンは変われど手帳はその時から今に至る。

ペンやら業務用ノートの話になってしまったので話を手帳に戻すと、今年は今までで最も多く手帳に書き込んだ年になった(まだ今年は終わっていないけれど)。「感想を持つこと」が今年の目標の一つなのだけど、感想を持ったらメモに残すようにして、その記録先を手帳にしていたら、予定以上にメモが積みあがった。もう一つの今年の目標である「使い切る」のほうも、メモを手帳に埋めることで達成した感覚(まだ今年は終わっていないけれど)。

最初に書いたように、私は毎年同じ銘柄のリフィルを買っているので、見た目のよい手帳とか機能性の高い手帳といった人気手帳とはちょっと毛色が違うのかもしれないけれど、手帳仲間が増えることは喜ばしいこと。ペンを起点に私が手帳好きになったように、多くの人が書き味やインクを楽しんでくれるのもまた嬉し。

ご褒美システムの導入 – 目標設定

ご褒美システムの導入 – 目標設定

新年を間近に控えた中途半端なところながら、もともと気になっていた体重の増加が最近になって目立つため、しばらくアルコールを控えてみようと思い、12 月1日より実行に移すことにした。海外にいるので忘年会、新年会といったことを気にする必要もなく、12 月からの停酒はタイミング的にはあまり大変なことではない。外的要因よりも、自分自身の気持ちの持ちようの方が成否を決める。

私が何かを始める場合、目標を達成するか開始早々に挫けるかのどちらかがほとんど。途中まで実行できたのに達成できなかった、というのはあまりない。なぜなら、勿体ないお化けがでるからだ。せっかく今日まで続けてきたのに今やめたら勿体ない、という気持ちが生じる。しかし、開始早々だとやっぱり止めた、となりやすい。禁煙も最初の三日、三か月というが(三日、三か月、三年は運転免許の安全に関することだっけ?)、私もスタートでうまくいけばなんとかなることが多かった。

よって、開始してしばらくたてば完走できる可能性が高まるので特にニンジンをぶら下げる必要はないのだけれど、今回は、ご褒美システムの導入を考えてみたい。今回の目標設定は、体重増加を止めたいのでアルコールを控える、ということなので、一定の体重減が見られたところで上限を決めてアルコールを楽しむご褒美を設定したいと思う。とりあえず、今より3kgs 減少したところで酒席を設定するということにしようかと思っている。その次は、もう2kgs(現在比で▼5kgs)で第二回酒席、全部で7kgsの減少で停酒を取り消す案を検討中。

「ほどほど」ができない私はオール・オア・ナッシングな傾向なのだが、今回は、ご褒美システムがきちんと機能するかどうかの試金石にしてみたい。これが機能すれば、「ほどほど」ができる大人になったと私の成長を実感できそうだ。