WECARS って WeChat から発想を得たのだろうか

WECARS って WeChat から発想を得たのだろうか

何かの番組を観ていた時に、WECARS の広告動画が流れてきた。それで思い出したのだけれど、WECARS に名前が決まった時に、WeChat 的だなと思ったことがふとよみがえった。伊藤忠商事がスポンサーのうちの1社なので、WeChat が名前選択の下地にあるんだろうなというような気がしたことも思い出された。

WeChat から名前が似ている、名前が紛らわしい、名前が模倣と思われる、とか苦情が来ていないのだろうか。それとも、事前に話がついていたのだろうか。私が心配することではないけれど。

社説の「~せよ」にうんざりする

社説の「~せよ」にうんざりする

以前は感じなかったけれど、「~せよ」と言っている社説にうんざりするようになった。
ひとつの意見として社説を書いている人の意見を尊重はするが、それがあたかも唯一の正義・正解のように「せよ」と主張することに、なんだかなあと感じるようになった。

先輩が脈々と続けてきた書き方がフォーマット化されてしまっているのではないかと想像する。変えるのは難しいのだろうと思う。しかし、「~せよ」調の社説にうんざりしている人は、私以外にも結構いるのではないかなあと思う。

私の個人の感想です。

証券会社から届くメールにあるリンク

証券会社から届くメールにあるリンク

以前にも書いたのだけれど、証券会社から届くメールにあるリンクが気になって仕方がない。

私は、証券会社2社で口座を持っている。海外在住が決まってから、全て持ち株は売却していて、海外に住み始めてから新たな取引をしていない。日本で納税していないので面倒なことになりたくないからなのだけど、それでもログインをしないといけない場面がある。今年の初めにオンラインで証券口座の乗っ取りがあったため、新たなセキュリティを証券会社が採用したりして、そのためにログインを求められたりする。

2社のうちの片方は、数か月前にメールからリンクが全て消えた。ただ、もう一社のほうは、ログインするデバイスが変わったときの本人確認の目的として、通常のログイン手順の前にひと手間が必要なのだけれど、ウェブ上でこのひと手間を操作をしたのちにメールが届き、そのメールにあるリンクをクリックすることでその先に進めることができるようになっている。

口座乗っ取り事案が報道で再三伝えられていた時に、犯人は、正当な口座の所有者に偽リンクを送り、そこに入力されるユーザー名やパスワードを見ながら、犯人が本当のサイトにログインする、という手口が説明されていた。だから、自分が手続きしてすぐに証券会社からメールが送られてきたとしても、それが偽メールで犯人が裏でほぼ同時に口座に手を掛けているのではないかとの疑いが晴れず、正直、必要な手続きであってももうやめてしまおうかと思う。

よい解決策は浮かばないが、メールリンクさせるのだけはどうかやめて欲しい。携帯アプリとPCブラウザーで連動するセキュリティとか、手間がかかるのは受け入れるので、メールのリンククリックは勘弁してほしいのが私の希望(携帯アプリは、スマホでない人が反対するだろうけれど)。対策をするように監督省庁から指導されていて、急ぎ何かをやる必要があったのかもしれないけれど、ある証券会社の対策にはやってる詐欺というか、魂が入っていないというか、対策している雰囲気を出すためだけのもののように感じている。そこんとこに指導は入らないのか?

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

ここしばらく穏やかな日々を過ごしている。その要因として思い当たるのは、休暇を取っていたことくらいしかなく、間違いなくそれが理由だと思う。

大学を卒業して働き始めてから数十年が経っているので、これまでに取得した休暇もそれなりにあるけれど、こんなに休暇明けに穏やかな気持ちになれているのは初めてだろう。休暇中にどうしてもやらなければならない業務をするのは通常運転で、今回もそれは同じ。だけれど、今回は休暇後の穏やかさがとてつもなく大きい。

休暇中の時間を有効に使えたのだろうと思う。何十年か振りの人に会ったり、優先度は高くなかったけれど時間があったら是非にやってみたかったことを今回は実現できたのもあったし、一部は計画通りにならなかったものの、結構、事前にいろいろ考えて、計画をたてる段階からワクワクしていたような気もする。

こんな休暇の過ごし方を以前からできていれば、生産性がもっと上がっていたのかと思うと少し悔しいものの、今、そう思うような働き方をしてきたからこそ今回のような休暇を取る余裕が生まれたのかもしれず、こればかりは結果論で何とも言えない。

ああ、今回の休暇は良かった。この充電具合、穏やかな状況はどれくらいの期間、保てるだろうか。放電しきらないように、休暇ほどのものでなくても適度にチャージできれる生活を送ろう。

政府関係者への贈答品

政府関係者への贈答品

外交ウィークだった。ASEAN 首脳会議をきっかけに ASEAN+3(日中韓)首脳会議が開かれ、トランプ大統領もタイ・カンボジア和平合意式典に参加するために ASEAN 会議の開催地であるマレーシア入り。その後、トランプ大統領は来日し、また、APEC が開催された韓国では、米中、日中、日韓首脳会談も行われた。

トランプ大統領に関わる報道では、日本と韓国で贈答品について報じられていた。

民間企業の場合は、アメリカの The Foreign Corrupt Practice Act of 1977 に日本の企業であっても監督されるし、民間企業自体も海外腐敗防止規定などを作成して海外公務員への贈答や、民間企業間の贈答品を含む接待に関わる規定を定め運用している。

それに対して、今回の外交ウィークの報道を見ていると、政府間の贈答品については規定がないのか、政府トップなどの一部にはルールが適用されたいのかとか気になった。自分がその立場や関係者になることはまずないので、このことを自分で調べてみようと思うほど気になるわけではないので調べないが気にはなった。

貰って喜ばしいものを貰っていなそうだったので、なおさらそう思った。贈賄規定があるからその王冠はもらえませんとトランプ大統領が言ったらどうなるだろうか。大統領個人がもらっているのかホワイトハウス寄贈になるのか、また別の方法で管理されるのか判らないが、規定上、貰ってよいのであれば価値のあるものよりは貰って嬉しいものの方が私はいいなあ。

2025 年版 Strongest Passport

2025 年版 Strongest Passport

仕事中にネットで調べものをしようとしてあけたブラウザーで、Strongest Passport ランキングに関する記事のタイトルが目に入った。中身を見てみると、ビザ無しで入国できる国が 193か国に上るシンガポールが1位、190か国の韓国が2位、日本は 189か国で3位との内容らしい。

ふーんと思って、帰宅後にほかの記事でクロスチェックしてみようと思ったら、2025年3月の日付で「2025年版ランキング」というのがあり1位がシンガポール、2位が同率で韓国と日本だった。会社で読んだのも帰宅後に見たのもともに「2025年版ランキング」なのだけど、後者のものは3月の日付がついた記事なので発表年が 2025年という意味の 2025年版で、会社で見た 10月の日付がついた記事は 2025年の実績からのランキングで 2025年版ということなのかなあとか思ってみた。

ほかに記事がないか調べてみると、記事に日付がない 2025年版ランキングがあったり(ランキング的には 3月ごろの記事っぽい)、日本は 173か国で同率 19 位なんていうのもあった(2025年のものと書いてある!)。さすがにこれは定義が違うのだろう。

生きている間に訪問できる国はそんな多くないだろうから、ランキングの上位のほうにいれば特段に不具合はないとは思う(ちなみに、今日現在、入国したことのある国は多分 28か国)。

日本のパスポートってこんなんだ、と思ったのはスイスの空港。スイスでは、日本のパスポートであることが分かるように冊子を閉じて表紙を見せると、イミグレ・オフィサーは中身も見ず、スタンプも押さずにパスポートを返される。だから、今から20年くらい前は、日本人でスイスのスタンプのあるパスポートを持っているのは珍しいと言われていた。なので、車自走の陸路でスイスに入ったときに押された入国スタンプはうれしかった。スタンプラリーで珍しいものをゲットできた時の感覚。そのスタンプをゲットした当時は、西欧諸国とシェンゲン協定加盟前の東欧の国との間を車で行き来することが多くてパスポートを増刷してもらったので、その時と比べると出入国スタンプが少なくてちょっと寂しく思っている。落ち着いた日々を過ごしていると思えば今の方がよいのかな。

今日は視界に光や黒い点々が見える

今日は視界に光や黒い点々が見える

朝に目覚めてから、視界に光る虫が飛んでいたり、出勤時の車の運転中にはウィンドウシールドに実際にある汚れなのかそう見えていただけなのか判らないけれど、黒っぽい点々が見えた。

脳内の視力に関係する神経や血流の調子が今日は悪いのか、それとも偏頭痛の前触れか判らないけれど、いつもと体調が同じではないのは間違いなさそう。偏頭痛の予兆として光とかが言われるのはネット情報で知っているのだけれど、偏頭痛の歴史が割と長い私には、この予兆をあまり感じたことがないので、神経や血流なのかなあ。今日は、自分の感覚に少し敏感になっておいて、変化があれば記録しておこうと思う。


【 追記 】
日中になると、左目の左上から斜めに伸びた前髪が見えるように影がちらちらしている。
髪は短いので視界に入るはずはないのだけれど、初めは本当に前髪に見えた。
そのあとは、やはり左目の左上から黒い稲妻のようなものが度々見えた。
結局、一日中、左目だけ何かが見えていた。

海外から来日の要人が無事に離日してよかった

海外から来日の要人が無事に離日してよかった

アメリカ・トランプ大統領が無事に離日して何より。

誰であろうが、海外から来日した要人が狙われたり、来日期間中にテロがおきたり、または要人を対象にしたデモが起きたりせずに来日日程を終えることができるのは、ほっとする。海外からの訪問者に限らず、誰にとってもそのようなことは起きて欲しくないが、せっかく海外から来てくれた要人ならなおさら。

ひとまず、ほっとした。

事実や引用なのに推測調、知らないことに断定調

事実や引用なのに推測調、知らないことに断定調

ニュースなどの動画をみていて最近よくあるなあと感じているのが、他人の考えや感情を想像して別の誰かがコメントする時に断定調なのに、公知の事実だったり誰かの発言を引用する時には逆に、「〇〇だったと思うんですけど」のような表現の仕方をする人が多いということ(例:「日本は太平洋に面していると思うんですけど」→ 間違いなく面しているのであなたが「思う」必要はない)。

事実や引用だから「思う」とかつけなくて良いし、人の感情や考えでほかの誰も知りもしないのに断定調で発言する人に対して、どうしても違和感を感じる。前者は、大本の発言者に迷惑はあまり掛からなそうだし、受け手の私も「変だな」くらいの感覚だから良いとして、後者は刷り込みを意図するとか虚偽を含んだものだと私は考えるので大いに問題ありという立場にいる。

日本語を厳格に使えと私は言いたいわけではない。だけど、私の受け取り方がおかしいのかなあ。おかしくないとして、では、私自身が普段の会話で同じようなことをしていないかを気を付けたい。

予想することに意味ない時代になったのかも

予想することに意味ない時代になったのかも

プロ野球などスポーツの順位予想や各種選挙の当落予想、交渉ごとの進展の見込みなど、いろいろな予想が巷にあふれている。業績見通しなど組織内で予想・見通しを作成してその組織内でそれを使うことや、個人がその胸の内で予想するのは構わないのだけれど、予想を対外的に開示するのは、その目的や影響で要否が変わってくると思う。日本の上場企業は業績予想を堂々を開示するが(というか、投資家がそう望んでいるのだと理解しているのだが)、国によっては株価に予断を与えかねないとして業績予想を開示できない市場もあると私は認識している。

少し話がそれたけれど、最近のいくつかの選挙を見ていると、マスコミが当落予想を報じることに意味があるのか疑問に思うようになってきた。どう予想しようが、投開票が済めば結果は判るものだから、その日を待てばよいのではないかと。

世論調査結果に恣意的な要素を加えて投票の動向を操作しようとしているのであれば、マスコミ側は予想をやめるようなことはないかもしれない。ただ、最近は結構予想が外れているという感覚が私にはあって、マスコミは恥ずかしく思ったりしないのかなあと心配してしまう。また、世論調査のサンプルが適正かどうかの問題、質問された人が正直に回答しているかどうかの疑問などもあって、予想する意味がどれだけあるのか、とも思う。

学者や論説委員など、見通しを述べることを仕事の一部としていた人たちがいて、それを有難がって聞いていた人たちもいた。だけれど、複雑にいろいろな要素が絡んだ世の中になって、予想することがとても難しい世の中への変わってきたような気がして、もう予想はやめにしてはどうかと思う。

野球で使う言葉:ケア

野球で使う言葉:ケア

野球中継を観ていると、「ケア」という言葉を聞くようになった。

日本にいないので野球中継を観る機会が圧倒的に減ったので、いつからの傾向かはよくわからないけれど、少ないサンプルながら、去年まではあまりなかったことのように感じている。

回の先頭バッターをケアするとか、ランナーをケアする、走者である自分より右の打球をケアする、などなど「ケア」はごくごく一般的な言葉として私は高校以降を過ごしてきたが、テレビやラジオなど電波を通してこの言葉を聞くことはあまりなかった。私よりも上の年代ではケアをあまり使っていなくて、それゆえにちょっと前までの解説者が自分で使わない言葉だったのが、解説者の世代が私たち世代に変わったことで自然に出てくる言葉になったのだろうか、などと考えてみる。

ケアという言葉であれば、野球経験のない人でも何となく何を言っているかはわかりそうなので、用語的には特に問題はなさそうだけど。

日経新聞のコラムにびっくり(IFRS関連)

日経新聞のコラムにびっくり(IFRS関連)

先日、日経新聞を読んでいたら、オピニオン・コラムみたいなコーナーで会計規則の IFRS について書いていた人がいた。内容的には、今更そんなこと言っているの?というものだった。少なくても、大手企業は任意適用を何年も前からしていると思っていたのだけれど、日経新聞のコラムを書いた人の書きぶりだと、そうでもない印象を受けた。任意適用していたのは、株主の目や株価を意識しなくてはならな大手企業のみだったのかもしれないけれど、のれんの件に関する記述など、何をいまさらと思った。最近、メディアにいる人との温度差を多くのことで感じる機会が増えているが、IFRS についても、メディアに勤めている人の認識なんてそんなものなのかなあとちょっとびっくりした。

それにしても東南アジアは寒い

それにしても東南アジアは寒い

有給休暇明けにしばらくぶりに出社すると、慣れていないせいか事務所が寒い。とにかく寒い。
私は大人になってからは暑がりな人間だとずっと自覚してきたのに、東南アジアの事務所内は本当に寒い。宗教的に女性は厚着をしている率が高いのでちょうどよい温度なのかもしれんがい、男性は殆どが半そでなのに、どうして皆は普通にしていられるのだろうか。体質が違うのだろう。それとも慣れるものなのだろうか?室内でじっとして業務を行うと、とにかく寒い。これだけは慣れない。

飛行機内のデフォルト温度設定は変わったのか

飛行機内のデフォルト温度設定は変わったのか

機内は寒い、というのが私の認識だった。飛行機に乗る時にはネックウォーマーは必需品で、搭乗地と目的地が両方夏でもパーカーは手元においていた。

ここ数年は、機内が寒いの感覚がなくなった。前回はたまたまだろう、と思って飛行機に乗る時は今でも毎回ネックウォーマーとパーカーを機内持ち込み荷物に入れているが、少なくともネックウォーマーは鞄に入れっぱなしで降機することが続いている。パーカーは毎回来ているが、ひと寝して目覚めると、うっすら汗を感じることもあるくらい。

コロナで収益が厳しくなった航空会社が機内設定温度を変えたのだろうか?(いや、外から空気を取り入れているとすれば、むしろ、冷たい空気を今はコストかけて温めて機内に対流させている?)あるいは、私は最近は日本の航空会社の便にしか搭乗しなくなったため、欧米人の体温に合わせたギンギンひんやり飛行機に遭遇していないだけだろうか。

手荷物のリストラをしたいと思っているので、デフォルト温度が変わったかどうかは結構小さくない問題だ。機内で寒いのは耐えられない。だから、使わなくても仕方なしと割り切って寒さ対策を持ち込んでいるけれど、デフォルトを変えたというのであればそう言って欲しいのだが、航空会社に問い合わせたら回答もらえるのだろうか?お客様の主観によって感じ方が違うので回答できません、なんて言われてしまうのかな。

牛丼並盛が498円税込

牛丼並盛が498円税込

突然に牛丼が食べたくなった。これまでに牛丼を食べた回数は、大人になってからの人生をならせば多分1年に2回くらい程度の低い頻度ではあるけれど、たまに食べたくなると続けて食べたくなる。今回は、おそらく3年ぶり位なので続けて食べたくなる例とは違うのだが、無性に牛丼が食べたくなった。朝早くに出かける用事があり、それも牛丼を食べたくなった理由の一つだったと思う。牛丼は、夜なら遅い時間、朝でも日が出る前の時間帯で食べるものというイメージが私にはある。

味はいつもの牛丼の味だった。変わるもの・変わらないもの・変わってほしくないものがあるが、牛丼は変わってほしくない味で、私には変わっていないように感じる。年齢によって、私の味覚は変わっているはずなのに、牛丼の味は変わっていないように感じるのは、味の記憶がどこかにあって、実際の味ではなく記憶の味を感じているからなのだろうか。

大きく変わっていてびっくりしたのは価格。店舗で並を食べたのだけれど、税込み498円だった。昔と比較するのはナンセンスとは言え、私が初めて外国旅行に出発する日に食べた特盛が当時は 500 円だった。餞別というわけではないが、先輩がおごってくれるということで、なんと、その先輩のご厚意で特盛を2杯ごちそうしてもらった。ありがとう、あの時の先輩(ちなみに無事帰国した後も、同じ先輩に牛丼をごちそうになった)。

30 年以上経てば物価は上がって当然な反面、デフレ、デフレと言い続けていたのに、いつの間にか並盛が 500 円になっていたとは。3 年くらい前にも牛丼は食べていたはずだか、私は牛丼を食べるときは特盛か大盛だったので並の価格を知らなかったところ、学生時代の特盛と現在の並が同じだったので比較しやすいところで違い大きくて驚いた。以前と現在で特盛同士の比較であればそんなもんかと思ったかもしれないが、特盛と並が同じことに驚いた(実際に特盛価格をネット検索したら当時との違いに驚いた。結局、何をどう比較しても驚いた)。

学生バイトの時給も上がっているはずだけれど、今も学生にとっては牛丼は安いものではないのだろうと思った。

雨季

雨季

来月くらいには雨季が始まると思うのだけれど、今年の雨季の雨量や降雨時間はどんなものだろう。

気候はなるようにしかならないから、心配しても意味ないし天気予報の精度的にも期待できないし、また準備することもできないのだけれど、洪水するようなレベルにはなって欲しくないとは思う。洗車しなくなくので、列に並ぶ手間はなくなるのだけれど、雨季でもしばらく雨が降らない日が続くこともあって、そうなると汚れた車にしばらく乗らないといけないし、洗車するタイミングの決断に困る。

屋外での活動があまり多くない私にとっては、自分個人の生活には大きく影響は及ぼさないのも事実。いいことなのか、良くないことなのか。

休暇明けの初出勤時の運転は慎重に

休暇明けの初出勤時の運転は慎重に

休暇明けで久々に出社する時は、いつもよりも慎重に運転する必要がある。道の真ん中に突然に大きな穴があくことは珍しくない。そんなことが一晩の大雨でおきたりするので、10日も出勤しないことがあれば、何がどこにあるかをきょろきょりしながら慎重に運転する必要がある。

赤道に近いところに住んでいるため、1年を通して日の出の時間は30分くらいの差しかない。だいたい朝はまだ暗いうちに家を出て、季節によってはまだ暗いうちに会社につくこともあれば、ほぼ明るくなっていることもある。だけど、出るのは暗いうちなので、余計に道路の穴が見えずらい。

そんなこんなで、久々の出勤には優しい運転で出かけようと思っていたのだが、思いのほか、自然体で優しい運転ができた。優しく運転を心がける、というよりも自然に優しい運転ができた。

今回の休暇では体調を崩したりもしたのだけれど、全般的にはよい休暇だった。きっと、それもあって優しく運転ができたのだと思う。休み前に蓄積したイライラがかなり解消されて模様。さあ、いつまでこの優しい運転が湧き出つづけるだろうか。

当事者が目の前にいるのに – TVのニュース番組

当事者が目の前にいるのに – TVのニュース番組

私が見ていた、とあるテレビのニュース番組での出来事。そこには、公明党代表が出演していた。タイミング的には、連立解消してすぐ位の時期だった。

ゲスト出演の代表以外には、アナウンサーと解説委員のような立場の人が出演していた。

代表に出てもらっているにも関わらず、テレビ局の二人が長々と話していた。しかも、公明党のことを話していた。当事者がそこにいるにも関わらず、二人は公明党のことをいろいろ推測を交えながら会話を進めている。当事者がそこにいるので聞けばいいのに、推測しながら会話している。

これっておかしくないのだろうか。

静岡は独自文化の匂いがする

静岡は独自文化の匂いがする

食料・食品の新商品を全国発売する前に、静岡県で試験的に販売することがあると以前に聞いたことがある。関東の味でも関西の味覚でもない中立的なイメージがあるし、温暖な気候だから嗜好にも偏りがなさそうなイメージはある。

新卒で入社した会社で最初に配属された部署では静岡県の客先も複数社あり、出張に何度か行ったことはあるのだけれど、それ以来、静岡を目的地として訪問したのはほとんどなかった。今回、いろいろ理由があって静岡駅付近に一泊することになった。

睡眠時間も含めても約 18 時間しか滞在していないけれど、静岡に独自文化の匂いを感じるには十分な時間だった。歩いている人のたたずまいや服装なども含めて、なんとなく独自色。ホテルでテレビをつけてみても、キー局の番組を流している時間帯とローカル番組時間帯があるのだけれど、テレビもなんか独自色(日本のテレビに詳しくないので、テレビに関しては、もしかしたら独自色という私の感想がそもそも間違いかもしれないが)。

もともと静岡には良い印象しかなかったのだけれど、行ってみて静岡は良いところだとあらためて思った。

自民党総裁選 ~ 連立 ~ 首班指名選挙

自民党総裁選 ~ 連立 ~ 首班指名選挙

10月初めからの一連の流れの中で、いくつかのファインプレーがあったと私個人は感じているのだけれど、その中のひとつが自民党総裁選をフルスペックで実施すると決めた人だと思う。

総裁選がスタートしたころの報道では、たしか、現首相を支持するメンバーが選挙管理委員会に名を連ねているという報道内容だったと記憶する。もしそうであるならば、国会議員のみにはかるというやり方があってもおかしくないところ、フルスペック選挙の実施を決めたのは、高市候補が勝利する方向性の最初のステップを大きく踏み出すことになったと思う。もしかしたら、自民党に危機感を感じる議員が少なからずいて、党員の声を聴くべきと思っていたひとが案外多かったのかもしれないと思った(2024年の総裁選同様に、フルスペックで実施しても議員側が恣意的に議員票を活用できるとおもっていたのかもしれないが…)。

これがなければ、今頃は期待感もない政治ニュースになっていたかもしれないし、自民党政治の終焉を迎えるきっかけになっていたかもしれない。

実際に高市氏が何を実行できるかはまだわからないものの、期待感はあると思っている有権者の一人です。