メールアドレスを決める時に思ったこと

メールアドレスを決める時に思ったこと

フリーメールでメールアドレスを新しく決める時に、ユーザー名をできる限り簡単にしようとすると、まず間違いなく、既に使用者がいると思う。例えば、mail@ドメインというアドレスは誰もが考えるもので、誰かが使っていると思う、調べるまでもないと思って調べたことないけれど。

そんなこともあって、独自ドメインなら簡単なユーザー名でも重複しないだろうということでドメインを取得して簡単なユーザー名のアドレスを作ってから、既に何年かが経つ。ところが想定外というか、約1年くらい前からスパム・メールが来るようになって、その後、増加している。毎日届くわけではなくて、受信数に波があって、届く時は毎日届くけれど、しばらく届かない時期もある。プログラムされているならある一定の法則で送られてきそうだけれど、受信する方から見えるのは一定ではない感じ。

ウェブサイトの登録などからアドレスが漏れたのが原因かと思ったのだが、調べてみたら、そうでもなさそうなことを知った。独自ドメインの登録情報は開示されることになっているので、その存在は誰でも知ることができるため、そのドメインに簡単な単語を適当に組み合わせることでスパムを送る対象になりえるらしい。よかれと思って簡単なユーザー名でアドレスを作ったのだが、それが仇となった模様。基本的に知らないアドレスから来たメールは開かないため、本文テキストにあるであろうリンクを誤ってクリックすることもないのだけれど、スパムが送られてくるだけでも気分が悪い。

そこで、ちょっと複雑な日本語を含むユーザー名を考えたときに、ことわざとか四字熟語はどうだろうと思い浮かんだ。座右の銘のような言葉だったり、示唆のある熟語や歴史にちなんだものなどの候補とともに、身近な話題として私の性格を表す言葉なんかはどうだろうとも思った。このくくりでいくと、私は、結構、淡々としていると自分では思っているので、その方面で「淡々」をネット辞書検索すると、淡々関連のことばには執着がないという意味が含まれる率が高かった。私は淡々とはしているものの執着は結構ある方だと思っているので、どの言葉の候補も「これだ」というものが見当たらない。

自分が思っているほど実際は執着していないのか、あるいは逆に実は淡々としていないのか、何が自分の姿か判らなくなった。ああ、大変だ。メールアドレスを作るだけだったのに、意識が別のところに移ってしまって、面倒なことになった。やっぱり淡々としていると思っていたのが間違いだったのか。

会社で電気の無駄遣いを気にしない人々—家では?

会社で電気の無駄遣いを気にしない人々—家では?

東南アジアに来たことのある人にとったはあるあるだと思うけれど、とにかく室内が寒い。会議室があまりに寒いため、会議室以外でジャケットを着用することがないのに東南アジア出張には必須アイテムといってよいと私個人は思っている(ほかで着用しないので荷物が増えるだけなので、個人的には迷惑な環境)。寒い国・地方の人が、家のなかでは暖房をガンガンにたいて、室内では Tシャツで過ごせるような温度にしているのと同じ発想だと思う。寒いことや暑いことへの抵抗だと思う。

現在私が暮らす国で、駐在員や転職して数年単位でここに暮らしている外国人の知り合いの個人宅にお邪魔したことはあるけれど、ここで生まれ育った人の家を訪問したことはないので判らないのだけど、自宅でもガンガンに冷房をかけているのか知りたい。今私が払う自宅の電気代は、大家の名義で契約しているものなので、仮に基本料金と外国人料金があったとしても、多分、私は基本料金を払っているのだと思う。そうであっても、ほかの物価に比べて電気代は安くないと思っているので、ここに生まれ育った人々にとっても安いものではないと思う。私が子どもの頃は、エアコンがある家庭はほぼなく、また私の家にも扇風機しかなかったので、いまだにエアコンに電気代を払ってまでも使用することに抵抗があるということも、私のものの見方に影響を及ぼしているとは思う。

私は、事務所ではほぼほぼ出社一番乗りなので、事務所内の照明をつけることが多い。その際に、自分の部屋へたどり着くまでの間に通り過ぎる幾つかの個室からエアコンの音が聞こえてくることが多い。ああ、昨日つけっぱなしで帰ったなとか、こいつ毎日つけっぱなしで帰っているなとか、ひどい時には事務所大部屋のエアコンさえつけぱなしのこともある(前日に最後に帰る人が普通は消すのだけれど、最後になる人によっては消して帰るという概念すらない人がいるように思う。知らなければ仕方ない)。こういったつけっぱなしは家庭でもそうなのか、というのが私の以前からの疑問である。多分、家では無駄な電気は使わないようにしているのだと思うけれど、どうだろう。東南アジアは灯りが派手であるのは街中や車の装飾を見ていればわかるので、電気代より派手さが大事なのかもしれないけれど、それってコストなのに...と思う。ケチケチしなくても何とか生きて行ける国なのだとしたらうらやましいけれど、そうはいっても無駄なのに。

ハーバード大学の留学生受け入れ停止

ハーバード大学の留学生受け入れ停止

トランプ大統領の措置の本質とは異なる副作用的な話ではあるが、この措置は大統領が守りたいと思っている米国の価値観への影響以上に、アメリカ以外の国のダメージの方が大きそうな気がする。

他国から米国へきて、そこで学び、卒業後も米国に留まって、米国に貢献するかもしれないタレントが入ってくる機会を奪うことになる可能性以上に、米国で学んでから母国に帰り、アメリカで学ばせてくれた過去に感謝しつつ、母国のさらなる発展や深化・進化に貢献する人たちの流れが止まる国のダメージは大きいと思う。それは、間接的には米国側にもデメリットとなるし、誰得という気がしてならない。

ちょっと世の中の発展スピードが早すぎてついていけないところもあるので、一旦、進化スピードを落とすにはよいのかもしれないと思ったりする。

車のタイヤの空気が抜ける

車のタイヤの空気が抜ける

今の状態になって半年以上が経っただろうか、後ろのタイヤの片側だけがすぐに空気が抜ける。

車の取説によると 230kPa が適切空気圧とのことで、勝手な判断をせずにこの値で調整する(ただし、いつも空気圧を確認するのは、家に近い場所の帰宅途中なのでタイヤに熱を帯びた状態での 230kPa なのでた厳密には正しくないかもしれない)。いつからか空気圧が抜けることに気がついたので、それ以来、空気圧を週に一度確認するようにしている。毎週の走行距離はおおよそ400km弱なのだが、前週に 230kPa で調整したものが、一週間で 190kPa くらいになってしまう。後タイヤの片側だけ。

多分、釘が刺さっているか何かなのだと思うけれど、探せない。車の定期点検の時に、ディーラー・ガレージにチェックをお願いしたのだが、問題ないとのこと(十中八九、見てもすらないと思う、ガレージの人に悪いけど)。でも、確実に抜ける。

しかし、走行距離に比例して抜けるわけではなさそうで、時間とともに抜ける感じ。なぜなら、先日に一日で 500km 走る機会があったが、帰宅時に目立った空気圧の減少はなかった。当日に走った距離のうち、5分の3 が高速道路で、5分の1 が山道、残りの 5分の1 が市街地といった感じの走り方で、高速運転もカーブの運転もそれなりにあった。それでも一日走った後で減っていなかった。日常の通勤はほとんどが 80-100km で若干の市街地走行で 400km くらいなのだが、これだと確実に一週間で 40kPaくらい低下する。これがよく判らない。

走行距離的にも今のタイヤを使っている期間的にも、そろそろ買い替え時期だと思っているので、どこでどのタイヤを買うかを決めるまでの間はだましだまし使おうとは思っている。それまでに、突然のバーストとかしないことを願っているが、ディーラー・ガレージにはちゃんと見てほしかった。しかし、時間が経つと抜けるのに走っても抜けないのはなぜなんだろうか。不思議。

TOEIC 不正受験にスマートグラスまで使うか?

TOEIC 不正受験にスマートグラスまで使うか?

ニュースを見てまず笑った。その後、何かを実行しようとするときの熱意がすごいなと思った。必死さといえばよいのか、必ず成し遂げる意思の強さというか(ちょっと前の言葉で GTIT ?)。

熱意は見習うところがある。でも、その熱意を生じさせているものは何なのか。一度のチャンスを逃してはなるまいという社会からの切迫感なのか、カンニング手配師(?)に払った費用が安くなくて費用回収が超重要なのか、TOEIC の有無で極端に変わってしまう人生を過ごしている人たちなのか。

乗っている土俵は違うのだと思うけど、多分、彼らのほうがうまくいった時の上振れ度が激しく高いのだろうというのは想像がつく。どっちがよいのかは価値観による。

ベトナム「二人っ子政策」廃止へ

ベトナム「二人っ子政策」廃止へ

ニュースで知った、二人っ子政策をしていることを。しかも、導入されたのが 1998年とのこと。もう四半世期も継続していたことを知らなかった。

ベトナムの人口についての私のイメージは、年間 1百万人ずつ増加する若い国というイメージだったので、その増加数からいって、政策で制限しているなどとは想像もつかなかった。背景には、合計特殊出生率が 2024年に最低を記録したことなどのもよう。ベトナムがそのような状況なんだと思っていると、これはベトナムだけの問題ではなく、少子化が遠くない将来に問題になりそうな国が少なくない模様。

ちょっと話は逸れるが、すでに存在する製品よりも環境面に優れた新商品が出てきた場合、真っ先に投入される市場では、当然、初めての製品が浸透するには時間を要すが、ある程度、新製品が認知されている国・市場があれば、それに続く市場では急激な市場シェアの獲得が期待できる。それと少子化の問題は異なる性質ではあるものの、少子化とは縁遠そうな国が実は先進国市場よりも、タイミングは後だとしても、先に少子化を経験した国々よりももっと急激な少子化へ突き進むことはあり得る展開だと思う。

経済が成長し、生活のコストや教育への投資が高額になるほどに、夫婦ともに働く必要が生じるし、また、社会が高度化すれば社会との関りに男女の別も関係なくなる。結婚するカップルのもとでは出生率はもしかしたら大きくは減らないかもしれないが、結婚しない人もしくは結婚システムに入らないカップルの比率が増えると、それはイコール出生しない選択肢をとる人たちということになるかもしれない。そうすると、どうしても社会の成熟とともに少子化になるのは仕方ないことかもしれない。

私個人でできることはあまりなさそうだけど、今回のベトナムの政策変更に係るニュースに触れたことで、ニュースは偏りなく入手する必要があると再認識した。ニュースを知ってどうする、とは思わない。かりに、直接自分には関係なくても、いろいろなことを知れば知るほど考える機会や感想が増えて自分の引出しが増えると思うし、考えることはボケ防止にもよいかもしれない。

ゲノム編集について専門家発言・・・歯止めはどこ

ゲノム編集について専門家発言・・・歯止めはどこ

ゲノム編集をテーマに人があつまって話している動画を見た。専門家一人と何にでも発言する、その番組のお決まりのコメンテータが出演していた。立場が変われば意見が変わるだろうし、理解度が違えば人によって見方も違ってきて当然の話。しかし、専門家の発言で引っかかるものがあった。普段、私が動画を見る時は、違う意見をいう人であっても一人突っ込みしながら楽しく見解を聞くことができるのだけど、このときだけは違った。

医療分野などではよくある話であるが、倫理との関係についての話題になったときに、悪用される可能性もあるので十分に議論してから技術的な検証に進むべきみないな意見が出てきたときに、その専門家は、「とりあえず作らせろ。それから考えたらいい」と言った。

正直、気持ち悪い意見だと思った。あまりそんな感想を持つことがない私だが、気持ち悪いと思った。同時に、研究してはいけない人ではないかと感じた。「作ったんだから、とりあえず使わせろ」と次に言いそう。実際に要求するようなことはしないにしても、「とりあえず作らせろ」という発言をする人を信用することは私にはできない。私が多数派かどうか判らないけれど、そういう発言をする人がいる以上、私個人としては危険な研究だと思った。

サンク・コスト

サンク・コスト

住友商事のニッケル関連事業での減損について報じる記事が 5 月初め以後、いつくか目にする機会があった。

参画を決定してから 20 年ほどが経つ事業のようで、累計の損失は 4,000 億円規模に膨らんだということが記事で説明されている。部外者の私には、参画を決めた経緯や、事業に関連する取引や利益でいくら挽回できているのかもわからないし、今後の計画や見通しも判らないので無責任なことはいえないが、自分が関係していた案件に関して以前から思うところとしては、以前から多くの人が指摘するようにサンクコストが選択を誤らせることはあるということ。

それは、実行済みの案件にも言えるが、実行前にもいえる。デューディリで潜在的な問題を発見したときに、それを買収金額やそのほかの契約上の条件でヘッジすることができればそうすればよいが、ついつい、いままで人手とコスト、時間をかけてここまでやってきて、契約上でもヘッジする交渉が不調に終わってしまっても、それを理由に買収交渉から撤退するというのは、理論上は難しくはなくても非常に苦痛を伴う決定だと思う。

また、サンク・コストを扱う問題は、仕事上のみならず私的な生活でもよく起こる話で、結構、公私ともに人生で頻繁に発生する決断案件だと思っている。サンク・コストという言葉は使わなくても、意外と身近な行動ではないかと。私はサンク・コストで損得を考えてしまいがちなので、住商の減損の記事をきっかけに(住商の件はサンク・コストとは関係ないと思うけれど、きっかけとして)、自分自身にリマインドしている。


※ ちなみに、上記を書く際に、サンク・コストってよく考えずに使っているけれど、100% 正しく理解しているか心配になったのでネット検索してみた(理解の一部に誤解が含まれていることが私の場合に多いので)。すると、サンク・コストとコンコルド効果という用語にヒットして、ほぼ同義だと説明しているサイトがある一方で、異なると解説するサイトもあった。どう違うのか何度も説明を読んだのだが、どうしても解説文で違いが判らなかった。これもよくある話なのだが、ほんとうに読解力が落ちたというか理解しようとして文章を読むことに困難を伴く機会が増えた。

前の車の、その前を走る車が見えない

前の車の、その前を走る車が見えない

車を運転していて感じるのは、以前は、何台か前の車の動きまで見えていたのに、最近は、自分の目の前の車しか見えないな、ということ。

私はできるだけブレーキを使わない運転を心がけているので、前の車だけではなくて、それより前の車の動きも見るようにしているのだけど、前の方を見通すことができない車が増えた。ある程度新しい車だと、ほぼほぼ全車、前を見通すことができない印象。一つにはリアガラスにフィルムが貼ってあって透過性がないこと、二つ目にはデザインなのかガラス重量を減らして燃費改善なのか判らないけれどリアウィンドウが小さくなってきていること(加えてリアウィンドウに角度がついていて前を覗くことができる面積が余計に狭い)。

その分、車間距離をとれということだろうけども、急ブレーキかける人やウィンカーを使わない人とかいるので、車間距離だけでは怖くてやはりもっと前を見たい。フィルムを張ることで車内スペースにプライベート感が出て乗り心地が改善したり、UVカットの効果があったり、また、エアコンの出力を抑えて燃費改善効果が期待できたりもするのだろうけれど、もう少し色を薄くしてもいいんじゃないかと思う。危ないのはよくない(車間距離をもっととればよいのだろうけど)。

野球グラブ色に関するルール=メッツ・千賀投手

野球グラブ色に関するルール=メッツ・千賀投手

ニューヨーク・メッツの千賀投手が、グラブ色に関して審判から注意を受け、試合中に交換することになったとの報道を見た。昔に比べて許可されている色が増えたが、ボールと紛らわしいなど打者の目を欺くような色や柄が使えないことには一定の納得感がある。

実際のルールは知らないが、高校球児の用具に関するルールには、納得性の低いものが今でも多分、数多く残っているのだろうと思う。数年前に白スパイクが認められたことは、結構、大きなニュースとして受け取った。昔から、白のアップシューズは、明らかに黒いスパイクよりも足が軽そうに見えていた。また、ストッキングの見える範囲が広い、高校生的なユニフォームの着こなしにも白スパイクは親和性がよく恰好いい(白ストッキングのチームはその限りでないかも)。ちなみに、黒いスパイクの靴墨に対して、白スパイクはレザーローションで汚れとってからグラブと共通の透明な革クリームなのだろうか、それとも白い靴墨があるのだろうか?。

昔の高校生ルールとしては、名前はインクでないとだめで、親指刺繍は公式戦では使えないというのがあった。何かの動画か記事かで、手を入れるグラブ内側の手のひらと接する部分に刺繍を入れているグラブを観た記憶があるので、今は、高校生も刺繍自体は見えないところで使えるのかもしれないけれど、何十年か前の高校球児に刺繍は憧れであった。刺繍はプレーに関係ないとか、華美なものは高校生の教育上よくないとかの理由なのだろうけど(自力で調べる手間を省いてしまった)、刺繍あるグラブならば、愛着がより深くわき、手入れして大事に使おうって気持ちになるだろうに、とは思う。まあ、親の金銭的負担は増えるのはつらいが…

国際電話の掛け方をどう説明するか

国際電話の掛け方をどう説明するか

先頭のゼロを含めて電話番号だと思っていたが、そうではなかった。今日まで知らなかった。

業務で必要なSMSが届かない。対外的な取引にあたって、契約書の署名をオンラインですることになった。「契約書の内容を確認しました・受諾します」のボックスにネット上でチェックを入れると、それをトリガーとして SMS で認証コードが送られてきて、そのコードを入力することで契約書の締結が完了する、というプロセスを初めて経験した。

ところが、いくら待っても SMS が送られてこない。相手は欧州の会社で、私から質問して、回答があって、それでも解決しないから再度メールという感じになって、時差もあるため一日 1.5 往復くらいしかできなくて、なかなか解決しなかった。待ちきれなくて電話で問い合わせてしても、IT チームに確認するとかいって、結局、解決しない。

先方との会話の中で、電話番号の登録が正しいかどうかという話になったときに、国コードと電話番号を入力するボックスが別々にあったため、もしかしたら電話に0(ゼロ)をつけたまま登録したら、システムが勝手に0をとる仕組みになっていて、0を含めた登録を求められているかもしれない可能性も疑い、あえて0を入れて登録してみたりもした。

こうした入力方法の違いを試したけどうまくいかないとか、私のいる国の電話会社側の都合で SMS が届かない可能性を疑って、日本の番号である私の私用携帯で国番号 81 で登録してもだめだ、などと相手に説明した。その際に、0をとってみたとか入れたとかいうときに、「国際電話番号だから最初の0をとった登録してあります」という表現をしたのだが、相手からは「電話番号を正しく入力したか?」と聞かれた。なにかうまく意思疎通できていないような感覚がしてきた。私の説明と相手の感覚がすれ違っているような気がしたので、電話番号の定義を調べてみたところ、最初の0は国内通話を示す番号であって、電話番号ではないという事実を知った。もしも誰かが私へ電話するときは、0123-456-789 とダイアルするものの、厳密に言えば、私の電話番号は 123-456-789 ということらしい。固定電話だとすると、東京の市外局番は 3 であると。03 ではないと。はじめて知った。

「国際電話には0をとる」よりも、「国際電話には国番号のあとに電話番号を」という表現の方が過不足のない効率の良い表現であることを知った。何十年も生きてきても、初めて知ることは尽きない。


※ SMS が届かない理由はまだ不明なのだが、どうやら、発信側の欧州の国(スペイン)の SMS は 4 桁のショートコードを使って送信するようだが、私のいる国の携帯電話会社は、5 桁もしくは 6 桁のショートコードからのみ SMS を受信できるようで、4 桁コードから送られてきてもダメっぽい模様。

ただ、欧州側の送信先企業名と「SMS が届かない」をキーワードにネット検索してみたら、SMS が届かないとの苦情の書き込みがスレッドになっているサイトを見つけた。桁数の問題でもない、よく判らない原因でありそうな感じだった。向こうの問題じゃないかと。先方のヘルプデスクに電話しても解決する意欲を感じさせないオペレータさんが殆どだったのは、彼・彼女たちも、解決が不可能な同じ質問にうんざりしていたんだろうなと思った(二人だけ、熱心に話を聞いてくれるオペレータがいたのは助かった、解決はしてないけど)。

ビギナーズ・ラックは実は必然か?

ビギナーズ・ラックは実は必然か?

賭け事にはまっていた人が、はまっていた当時の話をする動画を見た。その中で、ビギナーズ・ラックで勝ったことが忘れられなかったことが、ハマってしまったことの一つの背景のようなことを言っていた人がいた。

私の場合は、競馬や競艇、競輪に行ったことはないが、パチンコは片手の指で足りる回数ながら経験者。私にもビギナーズ・ラックがあった。それもあって、その後に1,2回はやってみた記憶はあるが、ラックが忘れられないということがなく、今日現在では、それ以来、パチンコ店に足を踏み入れていない。

よくビギナーズ・ラックというが、そんなラックがあるとも思えない。もしかして、ビギナーっぽい人を店内カメラで見つけたら、バックヤードで調整して玉を出しているんじゃないかとふと思った。店としては一旦出費となるものの、ビギナーズ・ラックが忘れられなくて通ってくれる優良顧客になるかもしれず、長期的にみれば店の勝ちとなるから、なんてことを思ったりするけど、そんな面倒なことはしなくてもハマってくれる人は勝手にそうなるだろう。

疑い深い性格はよくないね。

たいしたものじゃない

たいしたものじゃない

行き詰まりを感じることがある。それでも、毎日、仕事をしに会社へ行くし、ご飯も食べる。だから、深刻な行き詰まりではないと思っている。

行き詰まりを感じるもとは仕事からきている。プライベート・ライフがあるような生き方をしているわけではないので、例えば、友人関係に悩むことで行き詰まりを感じることはない。結局、仕事が日常生活にも感情にも大きく影響を与えている。

具体的には、思うような成果をあげられていないことや、業務とスキルが合っていないと感じていることなどにスッキリしない感情があって、それが行き詰まりという感情になっているかと思う。そう思う背景には、成果を上げていた自分が過去にいたと思うことや、自分のスキルがその当時の業務にうまい具合に活用できた経験が都合の良い記憶(良い思い出)として残っているというのが潜在意識にあって、それとの比較で行き詰まっていると感じているのだと思う。

しかし、冷静に考えてみると、良い時がそんなに長い時間あったわけではないし、大学卒業までも順風満帆な子ども生活・学生生活を送っていたわけではない。そこは、自分の人生を否定するほどの悪いストーリがあったわけではないのだが、単純に、今、行き詰まりを感じるほどの良い生活を以前に送っていたかといえば、それほどでもない、という程度のこと。

つまりは、大したものではないということ。それに気づいたら、もう少し楽にやっていけそうな気がしてきた。だけど、全力は尽くすつもり。

センサーが水を流してくれるトイレ

センサーが水を流してくれるトイレ

トイレは人生で非常に重要な施設だと心底思う。心地よく使えるか、使えないか、漏らしてもよいから使いたくないとまで思う施設か。

困っていることの一つに、自動水洗がある。これが便利だと思ったことが人生で思ったことがない。誰が触れたか判らないボタンを押して流すのには抵抗あるが、ちぎったトイレット・ペーパーを使ってボタンを押すこともできるので回避策がある。

しかし、まだ座っている時や、姿勢を少し変えただけで反応して流されるのは好きでない。そういう場所に限って水流が強く、背中やお尻にしぶきが飛んでくるようで怖い。

たまに都会に買い出しに行く時に、決まって利用するトイレがある。そこは、清掃のレベルが安定しているので、特にきれいというわけではないが、使いたくないほどひどいときもないので、家からの長距離ドライブから目的地に到着したら、必ず使用している場所。ここも例外なく、自動水洗なのだけど、この前に気づいたのは、センサー部分にシールで目隠ししてボタンを押さない限り水が流れないように細工してあった。そうか、これかと思ったが、そのために、いつ使うか判らないシールを持ち歩くわけにもいくまい。しかし、目隠ししてあるということは、私と同様に自動が迷惑だと思っている人の人数がそこそこいて、意見としてそのトイレの管理者が取り入れたということは、エポック・メイキングなことだ。

今はそうでもないが、以前に仕事をしていた国では車で移動することが多く、トイレも死活問題だったことがある。例えば、扉をあけた瞬間に便意が吹っ飛んだトイレに出くわしたことも一度あるが、トイレについて心配することを長期間続けていると、長距離でトイレを使いたくないと思う決意が強すぎるためか、目的地や知っているトイレにつくまでの間は、なぜか便意を感じなくなる条件反射のような体質になったりする。水分を控えていたわけではないのにだ。

人体は神秘だ。

エクセル:ある日突然、日付が「標準」認識される

エクセル:ある日突然、日付が「標準」認識される

あまりエクセルを使用しないタブレットPCにて、久々にエクセルを使用した際、新しいエクセル・ブックに日付のつもりで入力したデータが日付の書式で表示されないという事象に遭遇した。

何か入力間違いでもしかたと思い、入力し直したり、その入力内容を再確認したり、別のセルに別の日付を試しに入力したりしたが、どれも標準で認識された。前段通り、エクセル頻度の低いデバイスだったので、一生懸命に直近、何か変更したかどうかを思い出そうとしていた。

10分くらい経ったであろうか、国・地域設定を変えたのを思い出した。その目的は、Outlookの受信や送信日時の表示方法が変わるかなと思って試したことだった。Outlookでは目的は果たせず、その時にもとの国・地域設定に戻しておけばよかったものの、それをせずに放置してしまい今回の事態が生じたものと思われる。なぜなら、そのほかの設定変更を思い出せないから(思い出せない頭になっているのかもしれない)。

ただ、国・地域を日本に変えただけだ。日本設定にするとエクセルで日付が標準にしか認識されたない、なんていうことは聞いたことがない。しかし、ほかの理由が見当たらないし、設定を元に戻したら日付がエクセルに自動認識されるように戻った。

ネットで検索しても、私の症状に合う見出しがヒットしない。「セルの書式設定で日付に変えるといいですよ」といった類の回答ばかり出てきて、私のようにある日突然、設定変更によって自動認識されなくなった、という事象の回答はネット質問箱のもっと奥深くにあるのだろうか。「日付に自動で変えないようにする」をキーワードにして調べてその逆をしようと思って検索したが、こちらもやはり書式設定とか「日付の前に ‘ を入れるといいですよ」といった類の回答で、私の問題解決への助けにはならなかった。

次の週末にでも、もう少しだけ時間をかけて検索してみようと思う。

大使館からのメールが不審メール認定される

大使館からのメールが不審メール認定される

居住届を含めて、在外公館関係に私的情報を登録する際は、メールアドレスは会社のものを登録するようにしている。私信用にメール・アドレスを持っているが、確認する頻度はそれほど多くない。一方、大使館からのメールは、日本人学校の教科書配布といった直接関係のないメールに交じって、見落とししないほうがよいものもあるし、安全にかかわる周知情報で緊急性のあるものも10年に一度くらいはないとも限らないので、目に触れる機会がより多い会社アドレスを登録している。

そんな大使館からのメールが、最近の会社のセキュリティ・レベルのアップデートが理由なのか、ジャンク認定されるようになった。単純にジャンク・メール・ボックスに配信仕分けされるだけならばいいのだが、話は単純ではない。現在、会社のメール・アプリで起きているのは、メールをクアランタインに回したので、受信トレイへの配信を希望するならばここをクリックするように、というポップ・アップが現れる。その先も、受信トレイへ配信される場合と、なぜこのメールが必要なのかをIT部署へ届け出されて、その理由が受け入れられればクアランタインから解放する、という二通りのステップに導かれる。

良からぬことをするメールを水際で食い止めてくれる機能はありがたいのだけれど、受け容れてよいメールとそうでないもの、成りすましの可能性のあるものの判定を高度に下せるような知能を IT が身に着ける時代にはどれくらい時間が必要なのだろうか。防止する側と突破しようとする側のイタチごっこでそんな時は来ないんだろうなと思いつつ。

私の感覚では野球は習いごとではない

私の感覚では野球は習いごとではない

今年1~4月のスポーツ教室の倒産件数は、過去 20 年間で最高になったとのこと。半期でも四半期でもない4か月単位ということで、過去最高になりうる期間で選択してニュースにしたような感じもするけれど、それが正しい疑問だとすれば、単月の倒産件数として4月が高かったのだろうと推測する。そうすると、4~6月四半期は過去 20 年間の四半期として最も多いという報道が7月くらいには出るかもしれない。

それはそうとして、昭和の時代に田舎で育った私にはスポーツ教室という概念が難しい。水泳など設備が必要なスポーツであれば、プールがある場所に通って誰かに教えてもらうということは理解できるけれど、サッカー教室とか聞くと、それは教室なのか?と疑問に感じる。言葉の定義の問題ではあるのは想像つくけれど、サッカーと教室の親和性がないのが私の感覚だ(私と違う感覚の人がいて当然だと思っている)。

もっと私の感覚と異なるのは、「野球を習っている」とテレビのインタビューなどの動画で語っている子どもの発言だ。野球は(だけではないが)習うものではなくて、野球で遊びながら工夫してみたり何かを変えてみたり、ほかの人のやり方をまねしてみたりして上手くなったり何かのコツを掴むものであって、習うものではないと感じる。それは、「習う=受け身」という私固有の言葉の定義からくる違和感であると思うけれど、でも、でも…

昭和の田舎の子どもは休耕中の畑なんかでスポーツできたけれど、時の流れとともに空き地がなくなり、あっても球技禁止とかなり、学校の校庭ですら下校後は使えなくなり、「教室」と呼ばれる提供される場所でやるしかなくなってしまったわけなのだけど、この環境の改善に貢献するために私個人に何かできることはあるだろうか?

英語キーボードでアンダースコアが出ない

英語キーボードでアンダースコアが出ない

もしも同じことで悩んでいる人がいて、これが助けになれば幸い。

英語キーボードがついていて、もとともの英語の言語設定に日本語を追加して使用しているデバイスがある。このデバイスでアンダースコア(アンダーバー)を入力したくても、なぜか「0」のとなりのキーを使っても打てなくて困っていた。しかたないのでアンダースコアを入力する時のみ、スクリーンキーボードを立ちあげて使っていた。

そこそこな頻度でこうしているうちに、やっぱり根本的に直さないといけないと思うようになった。直すというよりは、現在の私の設定を正しく理解して、あるべき設定に戻してあげないといけない、が正しい表現となる。

仕組みは判らないけれど、いろいろ適当に PC 内をいじっていたところ、「設定」→「時刻と言語」→「入力」→「キーボードの詳細設定」にある「規定の入力方式の上書き」を変えたらアンダースコアの入力ができた。何か理由があって日本語設定に私自身がしたのだと思うけれど、英語に設定しなおしたら解決した。そりゃそうだ、とも思ったけれど、「言語リストを使用します」でもだめだった。

これで一つ悩み解消。

農林中金が 1.8 兆円の赤字 – 外債運用失敗から

農林中金が 1.8 兆円の赤字 – 外債運用失敗から

ショッキングなニュース。

巨額赤字は外債運用の失敗からという報道をみたが、2010 年代にはたしか米国のディストレスト・ファンドにも投資したり人を派遣したりしていたと記憶する。農林中金は、「スペシャルシチュエーション投資」という呼び方であいまいにしていたような気がするが、意訳すると「不良債権投資」を行うファンドと人・カネで交流していた記憶。

誰かの赤字が誰かの黒字、とは限らないけれど、1.8 兆円のお札が燃えてなくなったわけではないので、誰かの手元には農林中金が失った 1.8 兆円分のお札が存在しているはず、という理解でいいのだろうか。

リスクをとっているように見せて実はちゃっかりヘッジしているのがファンド、というのが昔の私の理解であったが、リーマンだったり色々なことがあると、本当に一攫千金を狙うハイリスク・ハイリターンな投資先も混ざっているのかと疑ってしまう。そんなファンドにやられてしまう日本企業はなんだかなと思っています。分野は違うけど、私も頑張ろうっと(あ、いま日系企業勤務じゃなかった)。

自分の好みのコーヒーの味

自分の好みのコーヒーの味

ここ数年の間に好んで飲んできたコーヒーがあるのだけど、もう1年くらい、住んでいる町の店では豆の入荷が滞っている。それでも、2~3か月に一度の頻度で買い出しにゆく都会の店舗では見つけることができていた時もあったのだけど、直近の二度の買い出しでは都会でも買うことができなかった。

コーヒーは嗜好品なので、好みに合うかどうかは非常に重要。飲めればよいという話にはならない。今後も入荷が滞ることを前提に、どうしたらよいか考えてみたところ、簡単な話だけれど似た味の豆を探して買えばよいだろうということに落ち着いた。

そうなると、私の好みを言語化する必要がある。今まで買っていた豆のパッケージには産地とか焙煎の深さとかの記載はあるので、それが他の豆を買う客観的な尺度になるのだろうとは思うけれど、客観的に表すことができない好みを知りたくなって、いままでに代替で買った豆とその味の印象、好き嫌いからいろいろと探るきっかけになって、とても有意義な調査(?)となった。言語化する努力はためになるし、他人に伝えるためにも言語化できた方がよい。