受験生ホテルと嵐ラストツアー

受験生ホテルと嵐ラストツアー

状況是正の動きがあるのかどうかの追っかけ報道が見えない(私が見ていないだけかもしれないが)ので判らないけれど、嵐のラストツアーが受験シーズンと重なることで、受験生のホテル確保が難しくなっていること、取れたとしても宿泊費が高騰していることがちょっと前にニュースで報じられていた。

私が大学を受験した時は、国立2校と私立1校の合計3校を受けたのだけれど、本命の国立の時だけ宿泊が必要な場所にある大学を受験した。親から早々に私大は行かせられないと言われていたので、私立1校はあくまで受験会場慣れのための受験の位置づけだったので、本命校より前に試験がある学校かつ自宅から日帰りできる学校を受けた。本命ではない方の国立1校も日帰りできる学校。ただし、高校まで田舎で育ったので、日帰りといっても3時間くらい電車乗って試験会場へ行き、試験後もまた3時間くらい電車乗って帰ってくるような日程だった。

私が30数年前に通っていた高校の場合、受験生ホテルの予約を取りに旅行会社の人が学校まで来てくれた。あっちの旅行会社へ行ったりこっちいったり、また、電話をかけまくる必要もなく予約ができて、学校のアレンジに感謝した(当時はそれが当たり前のことだと思っていたけれど、今思えば感謝)。

本命校の時は、試験2日前に現地入りした。初日は自宅からの移動につかい、二日目はホテルから試験会場までのルートを確認しにゆくのとともに、憧れの学校を見に行った。その大学は、地方からくる受験生が多いこともあって、交通の便を考えてくれてか新幹線駅に近い別の大学も試験会場にしていて、私のような移動組はその別会場での受験だった。だから、本命校の校舎を見に行った。もう試験前日だからコンディションを整えることくらいしか受験対策はなかったのだけれど、本命校のキャンパスを見ることで受験への活力・情熱が湧いてくるという良い方の副作用があり、結果的に合格して本命校で大学生活を送ることができた。

二泊と新幹線代は親にとっては負担だったはず。しかし、二泊したからキャンパスを見る時間を取れ、それで気合を入れ直すことができた。もしも歌手のコンサートが重なって宿泊費が高騰していたら、試験会場から離れた場所でしか宿を取れないとか、一泊しかできないとかだったかもしれず、そうするとキャンパスを見ることなくもしかしたら不合格になっていた可能性さえある。

以前とは違って、入学する大学で人生の多くが決してしまう世の中ではなくなってきつつあるが、それでも、大学入試は今でも日本の受験生にとっての重要イベントであることには変わりない。

嵐が日程を決めたわけではないので、嵐や嵐のファンに苦情を言いたいわけではない。ただ、日程をきめる人には日程再調整を考えてもらうとか、会場確保のし直しが問題であれば、運営がホテルにある程度の費用麺の補償をして、一定数の学生用の部屋を確保するようホテル側に掛けあうなどをしてくれると受験生の人生によいことが起こるはず。

円安なので、円転して日本へ送金

円安なので、円転して日本へ送金

転職してしばらくは、給与は支給されている通貨でそのままおいていた。日本では私は非居住者なので株式の売買ができないので、こちらで少々の運用をしようと思っていたのが通貨をそのままおいていた理由。どんな商品があるか探していた2年くらい前から、徐々に円に対して為替が強くなってきたので少しずつ円転してきていた。今は歴史的なレートになってきているのだけれど、まさか、ここまで円安になるとは思っていなかったので、当地通貨建ての預金残高は今はあまりない。残念。でも、転職してここに転居した時の為替に比べると、それでもかなりの差益をエンジョイしている。へたに投資するよりも利益はよいと思っている。

日本への送金については、ここで口座をもっている銀行から普通に送金してきた。最近は、手数料が安いサービスの宣伝をよく耳にするのだけれど、まだ、使ったことがない。そんな状況だったのだけれど、いつもの銀行が期間限定で外国送金手数料無料キャンペーンをやっているとの通知メールが届いたので、さっそくやってみた。こちら側の手数料だけかと思いきや、日本側の手数料も送金銀行が負担してくれた。だから、送金額が満額、日本で入金されていた。さらに、送金から2-3時間で日本側の入金が完了していた。すごいぞ。

最近は、マネロンに関わっていないことを証明するための証憑を日本の受け取り銀行から求められ、送金の原資が給与である証明とか、給与以外の入金、特に現金での入金がないことを示すために、口座のステートメントの提出が求められたり、私が私の口座に私のお金を送金するだけなのに色々と面倒になってきている。さすがに外国送金停止とかはないであろう国にはいるのだけれど、送金額の上限とかいつか設定されないとも限らないので、できるだけここには溜めずに送金しようと思ってはいるけれど、あまりに送金頻度が高くなると受け取り銀行から疑われるかもしれないので、何が最適解かよく判らない。

“Woman” の発音は “魚万” と教えてくれた先生

“Woman” の発音は “魚万” と教えてくれた先生

Forbes が The World’s most powerful women を発表して、高市首相が 3位に入ったというネット・ニュース記事をみて、早速、Forbes のウェブサイトに行ってみた。首相就任が 10月だから、今年の women というよりはスナップショット的な現時点での women ということと咀嚼した。あくまで Forbes のランキングではあるが、発表より少し前のちょうどよいタイミングでの首相就任だったので、印象度が高い状態でのランキングというのは首相が持っている証拠なのかもしれない(ランキングづけの根拠等まではウェブサイトで確認していないが、客観的なランキングというわけではないのは想像するし、理解もする)。

Forbes のウェブサイトを見ていたら、突然に大学の時の英語の先生の言葉を思い出した。

「 Woman を 魚万(うおまん) と読むと正しい発音に近くなる」と。
「 魚屋の商号(または屋号。どっちでもいいけど)」で覚えるのだと。

頻度こそ高くないけれど、私は時折この言葉を思い出すことがあって、魚万と発音している。

先生に言われて覚えている「この言葉」というのはあまりないのだけれど、魚万は私にはインパクトがあって、これは覚えている。具体的な言葉を除くと、大きく影響を与えてくれた先生は、大学生時代に限らず数名思い出せる。

知らないことを自信満々に話す外国人

知らないことを自信満々に話す外国人

私が不思議に思い続けていることの一つに、どうして知らないことを外国人は自信満々に間違えて教えてくれるのか、ということ。

私の質問に対して自信満々に答えてくれたのに、それが頓珍漢だったことが結構ある。知らなくても知っているふりをしないといけない局面もあろうことは多少理解するが、そんな場面とは全く関係のない、例えば、ラジオから流れてくるこの曲のタイトル知っている?という質問、この場合は、知らないという回答をしても何らその人にはダメージがない場合なのに、なぜ、知らないと言わないのか。テキトーなことを、さも知っているように教えてくれる人の心情を想像することができない。

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

10年くらい前のバラエティ番組を見ていたら、視聴者の手紙からMCの会話が合コンの話題になって、そこで、合コンといってもその日の目的によってノリが違ってそのノリに合わせる、というようなことを言っていた。

私は新卒入社してから所謂モーレツ・サラリーマンというのに近い生活を送って合コンには遠いところにいたので、番組内の会話に登場した合コンのノリというフレーズには何も反応もなかったのだけれど、「ノリが合わなかった」というのが私の転職理由を短いフレーズで表現するならこれなかあと感じた。

ノリが合わずに退職したというと、入社して数年で辞めたように聞こえるかもしれないけれど、私の場合は 20 年以上勤めた会社をノリが合わずに辞めることになった。しかも、突然にノリが合わなくなったわけではなく、割とずっとノリの合わなさを感じていた。

例えば、忘年会や誰かの駐在や退職での壮行会などといった部署内での飲み会。飲むのに掛け声があったり、大騒ぎしたり、そのノリが体質に合わないのだけれど、そのノリに合わせないといけない雰囲気が必ずある。業種的に、なんかそんな雰囲気がある。社内でもそういう人が多数派であるという雰囲気がある。演じている人も実態としてはいたのかもしれないけれど、勢いがないとだめなような雰囲気がある。所謂、金太郎あめのような会社で、そこに馴染めない感覚を持ち続けていた。

転職をした理由は、言葉にするといろいろと説明できるのだけれど、一言でいうとノリが合わなかった、という表現ができるかも、とふと思った。

妻に出張の支度をしてもらう夫

妻に出張の支度をしてもらう夫

21世紀に入ってすぐくらいの頃のドラマを見てたら、急遽、翌日から出張に出るという夫が、妻に荷造りを頼んでいた。現実世界との違いをドラマを見ている時に良く感じるが、荷造りを頼む夫って、時代に限らず本当にいたの?何が必要だとか、お任せでいいいの?あるいは、出張セットを決めてる家庭?
それとも、脚本家とかテレビ局に勤める人にとっては、妻に荷造りを頼む人が多数派なの?

今のドラマもそうだけれど、昔のドラマは今のよりももっと謎が多い。

スマホのスクリーン・タイムの統計にびっくり

スマホのスクリーン・タイムの統計にびっくり

私の職種は原則、事務所から出る機会は殆どない。だから、使う IT 機器はパソコンがほぼ 100% で、電話通話以外で業務中にスマホを使用する機会はほぼない。喫煙者であれば、喫煙ルームにいる間にメールチェックにスマホを使うこともあるだろうが、私はそういうこともない。

業務外で LINE 交信したりはあるのだけれど、全体的なスマホ依存度(非依存度?)がどうなっているか知りたくなって、一日にどれくらいスマホを見ているかをスクリーン・タイムの統計で調べてみた。驚愕の結果。

最も長い時間利用しているアプリは、二段階認証用のアプリだった。驚き。

最近、認証を求められる機会が確かに増えた。外出する機会はないのは最初に書いた通りなのだけれど、自宅での業務のみならず、理由があって事務所内でも自分のデバイスで業務をすることがあるので、社内のほかのユーザーよりも高頻度で認証を求められる傾向があるとは思う。それでもなお、最近は認証を求められるケースが増えている。

他のアプリの使わなさ、と言い換えることもできるかもしれないけれど、いや、私は認証アプリの使われ過ぎだと思う。会社のサーバーが狙われやすいからなのか、認証を求めるトリガーになるようなパソコン操作を私がすることが多いからなのか判らないが、しょっちゅう、認証しているような気がする。でも、最近は認証の操作が少しだけ簡略化したような気がするので、もしかしたら、私が勤務する会社のシステムだけの理由だけではなく、システム会社側が厳しくしたけれど簡単にしたというセットでの設定かもしれないと思ったりした。

日曜の朝は起きられない

日曜の朝は起きられない

平日の朝は、目覚ましを使ってまだ暗いうちに起きる。多くの人に比べて早起きの部類に入ると想像するけど、子どもの頃から朝が弱いと感じたことはあまりない。

土曜日も、平日と同じかそれより少し遅い時間には自発的に目が覚める。

ところが、日曜日には目が覚めると外が明るくなっていることがよくある。結構な高頻度で。

小学生の頃は、日曜日に早く目が覚めることがよくあった。当時は、脳みその稼働が低い土曜(といっても、私の小学生の頃は土曜も半日授業なので完全に脳みそが休んでいたわけではない)には頭の疲労度が低く、それで日曜日に早く目が覚める、という説を私は信じていた。

最近になって日曜日に起きられなくなっている理由はだいたい想像がつく。仕事面では週末もあれやらなきゃ、これもある、という切迫感が減少してきている。これはよいこと。それと、長年の睡眠不足についに堪えられなくなったのではないかということ。これは、最初の切迫感の低減とセットで効力を発揮しているものと思う。

年齢があがるとともに睡眠時間が少なるなるのが本当であれば、私は老化が始まっていないということになるかもしれないので、少し嬉しい。

再開発で移転した先も再開発

再開発で移転した先も再開発

八重洲にあったレストランへ初めて行ったのは30年くらい前。八重洲再開発で土地がまっさらになり、新橋の仮店舗(?)へも何度か伺ったのだけれど、現在の入居先のビルに再開発計画があると知った。

初めて食事にいった当時にいらしたマダムは他界され、昔からの店員さんもそれなりのご年齢でなので、もしかしたら、二度も立ち退きとなるともう次はないのか心配している。次回の一時帰国休暇では、後悔しないように必ず食べにゆく。

紙の手帳が人気となっているらしい

紙の手帳が人気となっているらしい

そういうニュースを最近にみた。

私も、20年と少しの間、紙の手帳を使っている。その間、同じ銘柄のものを使っている。最初の年にそこそこの投資をして手帳カバーを購入して以来、毎年リフィルを買い続けている。20年以上たつのにいまだに使い続けているとは、使い始めた当時は思いもよらなかっただろう。

手帳を使い始めたきっかけは、一本のボールペンだった。誰にもらったかは覚えていないが、誰かにペンをもらった。千円くらいの見た目のペンだったと記憶する。筆記具メーカーの高級ペンというわけではなかったのだけれど、書き味が私にはぴったりだった。それまでの私は、シャーペン付き三色ボールペンを使っていたのだが、価格的にはむしろ、三色ボールペンのほうが高かったくらいかもしれないけれど、とにかく、もらったペンの書き味が私にフィットした。

そうなると、いろいろなものを書きたくて書きたくて仕方なくなった。当時の私は慣れない技術営業を海外で始めたころで、客先との打ち合わせに出席しても理解できないが多すぎて、それらを会議後に調べるために見たもの・聞いたことを書き留めていた。そんなこともあって、A4 のキャンパスノート1冊を3か月くらいで使い切るくらい書いていた(大きい字で広い行幅でメモしていたのでノートの消費が早かったというのも大きな理由)。もちろん、これだけでは足りないというわけではなかったのだけれど、仕事のメモと違うものをもっと書きたくなった。それで考えた結果が、ちょっとよさそうな手帳を使おうとなり、ペンは変われど手帳はその時から今に至る。

ペンやら業務用ノートの話になってしまったので話を手帳に戻すと、今年は今までで最も多く手帳に書き込んだ年になった(まだ今年は終わっていないけれど)。「感想を持つこと」が今年の目標の一つなのだけど、感想を持ったらメモに残すようにして、その記録先を手帳にしていたら、予定以上にメモが積みあがった。もう一つの今年の目標である「使い切る」のほうも、メモを手帳に埋めることで達成した感覚(まだ今年は終わっていないけれど)。

最初に書いたように、私は毎年同じ銘柄のリフィルを買っているので、見た目のよい手帳とか機能性の高い手帳といった人気手帳とはちょっと毛色が違うのかもしれないけれど、手帳仲間が増えることは喜ばしいこと。ペンを起点に私が手帳好きになったように、多くの人が書き味やインクを楽しんでくれるのもまた嬉し。

ご褒美システムの導入 – 目標設定

ご褒美システムの導入 – 目標設定

新年を間近に控えた中途半端なところながら、もともと気になっていた体重の増加が最近になって目立つため、しばらくアルコールを控えてみようと思い、12 月1日より実行に移すことにした。海外にいるので忘年会、新年会といったことを気にする必要もなく、12 月からの停酒はタイミング的にはあまり大変なことではない。外的要因よりも、自分自身の気持ちの持ちようの方が成否を決める。

私が何かを始める場合、目標を達成するか開始早々に挫けるかのどちらかがほとんど。途中まで実行できたのに達成できなかった、というのはあまりない。なぜなら、勿体ないお化けがでるからだ。せっかく今日まで続けてきたのに今やめたら勿体ない、という気持ちが生じる。しかし、開始早々だとやっぱり止めた、となりやすい。禁煙も最初の三日、三か月というが(三日、三か月、三年は運転免許の安全に関することだっけ?)、私もスタートでうまくいけばなんとかなることが多かった。

よって、開始してしばらくたてば完走できる可能性が高まるので特にニンジンをぶら下げる必要はないのだけれど、今回は、ご褒美システムの導入を考えてみたい。今回の目標設定は、体重増加を止めたいのでアルコールを控える、ということなので、一定の体重減が見られたところで上限を決めてアルコールを楽しむご褒美を設定したいと思う。とりあえず、今より3kgs 減少したところで酒席を設定するということにしようかと思っている。その次は、もう2kgs(現在比で▼5kgs)で第二回酒席、全部で7kgsの減少で停酒を取り消す案を検討中。

「ほどほど」ができない私はオール・オア・ナッシングな傾向なのだが、今回は、ご褒美システムがきちんと機能するかどうかの試金石にしてみたい。これが機能すれば、「ほどほど」ができる大人になったと私の成長を実感できそうだ。

報道の自由度が低いはずが政府批判ばかり

報道の自由度が低いはずが政府批判ばかり

国際NGO「国境なき記者団」が発表する報道の自由度ランキングが度々メディアで取り上げられる。つい最近にも、私がメディアを通じて見聞きしたものだけで、複数の機会があった。

進行役の人が、自由度ランキングの高い国として北欧を例にあげ、そういった国では忖度せずに政府批判をするといったような説明をしていた。翻って日本は政府批判をしないのでランキングが低いとのこと。

その進行役の人は、何かあれば政府批判ばかりしている人と私には映っている。そう言わないとテレビ局から仕事がもらえないのか、自分のことは棚に上げる人なのか、はたまた、自分がいつも言っていることを忘れてしまうのか真意は判らないのだけれど、とても不思議。

数字は嘘をつく

数字は嘘をつく

「数字は嘘をつかない」という表現を聞く機会は多い。その表現は間違いとは言えないが、私の意見では、数字がいつでも正しく表示されているとは言えないと思っている。注意して数字を見ることを怠ると、意図をもって数字を作成した人にミスリードされる。多分、この意見に同意できる経験がある人は多いと思う。

時事問題を解説するテレビ番組が多い最近、ある番組で、一つの話題について複数のグラフを用いて解説しているシーンがあった。この番組で使っていたグラフの殆どは縦軸はゼロから始まるグラフだったのに、これを言ったら盛り上がりそうな話題のところだけ、ゼロとその次の座標の間に波線を入れて増加率がある時点で急変したように見せて、「最近激増しています」という解説をやっていた。最初は、ほかのグラフ同様にゼロからの座標にしたところ、その番組(またはテレビ局)の作成者の思想を流布するための急増しているような印象付けができないグラフに仕上がってしまって、縦軸を変えて印象操作をしようとしたんだろうと疑っている。変化率がわからないグラフなのに、解説は変化していますとやっていた(この日のこの番組では、別の話題では波線グラフを一切使っていなかった!)。

ちゃんとした人にしか数字を扱わせてはいけない。
波線グラフをエクセルで作ろうとすると、座量の境界値単位の取り方をうまく設定しないと難しいので私はあまり波線を使わないが、グラフ化に採用する期間を調整して、社内で私の主張にあうようなチャートを作ったりはする。私がやっているのだから、ほかの人もやっている。だから、数字を言われるがままに信用してはいけないのを私も知っている。

外部モニターを売りにする軽自動車のCM

外部モニターを売りにする軽自動車のCM

私は、クレイマーにはなりたくない。
私は、文句言いではない。
私は、批判が正義だとは思っていない。



だけど、死角にいる歩行者を見えるようにしたり、狭い道ですれ違う対向車との車幅感覚を補う外部モニターを売りにする自動車のCMで、対向車とすれ違う時にモニターを凝視している運転手を映すのはちょっと誤解を与えそうな気がする。そこだけ見てちゃ、だめでしょう。

CMの作成会社がそういうシーンを入れることを提案するのはよい。
だけど、発注者である自動車会社が安全に反するシーンをCM(フィクション)だからといってゴー・サインを出してはいけないと私は思う。

私はクレイマー?尤もな意見を言っている?

老眼の定義を正しく知る

老眼の定義を正しく知る

日本資本の眼鏡店がやってきた。もしかしたら前からあったのかもしれないけれど、私がたまに買い出しにゆくモールには最近やってきた。

そこへ偵察にいってみた。

私の眼鏡は遠近両用。近くは見えて、遠くが見えない。だから、仕事中でいえば、パソコンを見る時は眼鏡を外し、会議資料がプロジェクタでスクリーンに投影されたものしかない場合は眼鏡を掛ける。スイカやパスモが登場する前は、普段乗らない路線の電車に乗る時は運賃表を見ないといけないので眼鏡が必要だったが、車内で本を読むのは眼鏡は不要。まあ、今は電子マネーが乗った路線の運賃を勝手に引き落としてくれるので、知らない土地でも眼鏡は不要になったので車中も車外も眼鏡は不要。

だから、眼鏡の掛け外しが頻繁に発生した。こうすると、視力の低下が早まるというのが十数年前の定説っぽかったので、遠近両用ならば外す必要性が薄れ、結果として視力低下の進行を遅らせられると思った。それ以来、遠近両用メガネ派に転向した(「それ以来」と書くと、何度も作り替えた眼鏡が全て遠近両用だったように誘導する表現だけれど、実は、その時に作った眼鏡を今でも使っているので最初の一本限り)。

一時休暇で日本に行く機会はあるけれど、遠近両用を作ってもらうのに必要な期間には足りず、遠近両用派に転向後も、特定の用途に両用でないメガネを新調していた。

が、しかし。日本の眼鏡チェインができたので、ここで作れるか相談したところ、なんだかよさそう。日本の店でなくても遠近はあるけれど、以前に書いたように日本ですら眼鏡を上手に作れたことがないので、それを海外でしかも遠近両用をチャレンジする気になれなかったが、明るい未来が見えてきた。

大都会まで出ていかないといけないけれど、便利になったなあ、この国。

タイトルに書いた「老眼の定義」について書くのを忘れていた。近くが見えないのが老眼だと私は今日まで思っていた。ところが、目の検査を担当頂いた日本人の方によると(現在、期間限定で当地店舗で研修中の由で、もうすぐ日本の本来の勤務地に戻ってしまうそうなので、日本語が通じるうちにメガネを作りたい)、調整ができなくなることが老眼とのこと。近眼の私は、以前は一つのメガネで近くも見えていたが、今は、遠くを見るためのメガネでは近くは見えず、裸眼にしないといけない。近くが見えても、これは立派な老眼らしい。

私は近くが見える老眼。

プーマに買収報道

プーマに買収報道

中国のスポーツ用品大手がプーマ買収に動いているという報道があった。

アシックスも検討しているようにも書いてあったが、別のメディアは、アシックスは検討の事実はないと対外発表を引用して報じている。一度、火消しをしているだけなのか、本当に検討の事実がないのかは外部の私には知る由もない。あるいは、アシックスに買って欲しいと思っている人が、市場やアシックスがどんな反応をするのか、勝手に観測気球を打ち上げているだけかもしれない。

いち消費者の勝手な立場からすると、プーマは今のプーマのままでいてほしいと思っている。あるいは、元さやというかアディダスに買われて兄弟仲良くというのもよいかも。私は、小学生と高校生の時に Tシャツと靴下を買ったことくらいしかプーマ歴はない。靴は、兄のおさがりのサッカーシューズを履いていたことがあるが、自分で買ったり親に買ってもらったことはない。プーマの経済性にこれっぽっちも関与したことのない私には、プーマの方向性の希望を言える権利はないのだけれど、プーマは今のプーマでいてほしい。中国企業に買収されたのちもプーマというブランドはずっと生き残るはずだと思うけれど、それでも、今のプーマのままでいてほしい。次に何か買う機会があり、プーマの製品群にそれが含まれていれば、その時はプーマ製品を優先的に検討してみようかな。

閉店前の在庫一掃キャンペーンじゃないよね?

閉店前の在庫一掃キャンペーンじゃないよね?

お気に入りの種類のコーヒー豆が極まれにしか手に入らなくなったのは何度か書いた。もう1年以上、この状態が続いている。

また、私が暮らす町では、そのコーヒー・チェインのモール内店舗が全て閉店して、今は、独立した建物で営業をする店舗のみとなってしまったこともここで書いた。

先日に、久しぶりにお目当ての豆があったので購入した。その際に、店の人が、冷たい飲み物用のストローが付いたカップをくれた。なんの景品か尋ねると、日本円で 3,000 円弱の買い物をした人へのおまけということだった。何か月か前に、別の町のその系列店を利用した時にも、樹脂製のバッグをおまけでもらった。その時は、買い出しに行った都会の店舗で、お気に入り豆が複数パックの在庫があり、ありったけを買ったために結構な買い物金額になった。加えて、買った豆の嵩もそれなりになったので、使った金額と持ち帰りのエコバック的に使ってという主旨にて店のご厚意でもらったのかと勝手に推測し、背景を質問しなかった。

理由はさておき、おまけをもらうことが続いたりしていて、閉店前の在庫一掃キャンペーン、もってけ泥棒的に配っているのだとしたらちょっと心配だなあと考えたりもする。以前であれば、そのコーヒー・チェインのアプリでキャンペーン告知があったのだけれど、3,000 円でカップ・プレゼントは見当たらないから、店の判断で在庫減らしのために実施しているんじゃないかとの疑いがある。しばらく様子をみてみようと思うけれど、私に分かるような変わった様子が見えるとすれば、その時はもう手遅れというものだ。やはり、代替品探しは急務。

Wifi はダメで携帯の回線を使う必要ありと

Wifi はダメで携帯の回線を使う必要ありと

日本の携帯回線を解約せずにしたままにいる。最小限の契約内容へ変更した上で持ってきている。回線を使用することはまずないので、回線使用料はできるだけおさえたい。会員登録やメールアドレスなどでも電話番号は必要。本当に必要な連絡が電話で届くことも年に何度かあることにはある。二段階認証の通知先の選択肢に電話回線(SMS)しか使えない企業もあり、日本の電話番号を放棄することはちょっと現実的ではないと思っている。

その携帯電話の契約内容は、携帯キャリアのウェブサイトで自分のメニュを見ればゆいのだけれど、セキュリティが高くなってきた最近のログイン認証の環境下では、ログインするのも一筋縄ではないことがある。携帯電話会社だからなのか、ログインするためには携帯でパスキー処理する必要があるのに、その携帯での認証のために携帯回線を使用する必要があるのだ。これは wifi ではできない設定になっている。日本で契約した番号を海外に持って行く人のことは何とも思っていないのは仕方ないが、wifi で認識できないのは技術的にむずかしい話なのだろうか。

契約を解除したくてもできない状況にしておいて、ひどい仕打ちである。あと何年かたって世界が今よりもっと小さくなれば、海外の携帯電話番号でも日本のサービスに登録できるような日が来ることを願うばかり。

考えを変えたのか、そういうフリをしてたのか

考えを変えたのか、そういうフリをしてたのか

国会議員または議員になろうとする人は、選挙のためなら自分の思想を押し殺したらキャラ設定したりするのだろうか。

今年 2025 年の参院選で久々に立候補するも落選した人が直近の代表例。その人は、とある党の公認内定を受けたが土壇場で取り消しにあい、無所属で出馬して落選した人。もともとは、別の党所属の衆議院議員だったが、ここしばらくは出馬もしていなかった人。

以前は、与党にいちゃもんをつけることを目的に議員になったとしか思えない言動をしていた人だったのに、最近は、与党・野党に関係なく、それが道理にあう考え方だよね、という発言をしている記事を多く目にする。記事を通してしかその人の発言を聞いていないから、もしかしたら私が目にしていないだけで、今でも理解不能な主張をしているかもしれない。加えて、私が同調できる意見を言っているというだけで、その意見が正しいかどうかも判りはしない。ただ、その人が衆議院議員だった当時は、その人の発言の全てが納得がいかなかったので、発言の方向性が変わったのは間違いないはずだと思う。

これってその人が考えを変えたというよりも、当時から与党に近い考えを持っていたにも関わらず、公認待ちの列が長すぎて与党では出馬できそうにないから、意思をまげて野党から出馬し、その結果、自分の考えと違うことを主張せざるを得なかったということなのかなあと意地悪に想像したりする。私が思うには、国会議員のような職業の人は、何か成し遂げたいものがあり、それを必ず実行するんだという強い意志があり、その意志は長い年月をかけて築き上げてきた人となりに重なるものでもあるので、そんなに簡単に思想は変わらないと思っている。当時のイチャモン発言がキャラ設定だったと疑っているのは、こうした理由からだ。

だとしたら、残念だ。自分の意志をまげてまでそうするのが国会議員の仕事なのか。やりがいや成し遂げたいことを押し殺してまでも国会議員であることは美味しい仕事なのだろうか。もしかしたら、現役野党議員にもそういう人がいるとしたら、なんとも残念。



CM 視聴義務付け記事は読まずに閉じる

CM 視聴義務付け記事は読まずに閉じる

写真ニュースにありがちな、CM を十何秒か見ないと読めない記事は読まずにとばす。興味ある記事が期待できる時は、百回に一度くらいは CM を見ることもあるが、ほぼほぼ毎回読まずに閉じる。CM を入れるのは企業側の自由だし、それを見ずに閉じる私にも選択の自由があるから、以前のように CM なくせとは言わない。場所を貸す方は減っている広告収入を補いたいのかもしれないし、広告を出して欲しい人もなんとかして効果的に(強制的に)視聴者の目に触れる方法を模索しているのだろう。

私が気になってしかたないのは、記事を読まずに飛ばしたというデータがメディが側と広告主に届いているのかどうか、ということ。見るか見ないかは別として、まずは、「見ないとこれ以上進めないよ」というポップアップが出てくるので、これを1ビューとして広告主に報告されていたらそれは嘘だと思う。広告を観ていないから。メディアとしては、こまかな統計は自分の首を絞めることになりかねないので統計を取っていたとしても内部資料で済ませたいだろうし、広告主は実際に広告をみた数を知りたいはず。

私のような行動はどう広告主に報告されているか知りたい。