牛丼並盛が498円税込

牛丼並盛が498円税込

突然に牛丼が食べたくなった。これまでに牛丼を食べた回数は、大人になってからの人生をならせば多分1年に2回くらい程度の低い頻度ではあるけれど、たまに食べたくなると続けて食べたくなる。今回は、おそらく3年ぶり位なので続けて食べたくなる例とは違うのだが、無性に牛丼が食べたくなった。朝早くに出かける用事があり、それも牛丼を食べたくなった理由の一つだったと思う。牛丼は、夜なら遅い時間、朝でも日が出る前の時間帯で食べるものというイメージが私にはある。

味はいつもの牛丼の味だった。変わるもの・変わらないもの・変わってほしくないものがあるが、牛丼は変わってほしくない味で、私には変わっていないように感じる。年齢によって、私の味覚は変わっているはずなのに、牛丼の味は変わっていないように感じるのは、味の記憶がどこかにあって、実際の味ではなく記憶の味を感じているからなのだろうか。

大きく変わっていてびっくりしたのは価格。店舗で並を食べたのだけれど、税込み498円だった。昔と比較するのはナンセンスとは言え、私が初めて外国旅行に出発する日に食べた特盛が当時は 500 円だった。餞別というわけではないが、先輩がおごってくれるということで、なんと、その先輩のご厚意で特盛を2杯ごちそうしてもらった。ありがとう、あの時の先輩(ちなみに無事帰国した後も、同じ先輩に牛丼をごちそうになった)。

30 年以上経てば物価は上がって当然な反面、デフレ、デフレと言い続けていたのに、いつの間にか並盛が 500 円になっていたとは。3 年くらい前にも牛丼は食べていたはずだか、私は牛丼を食べるときは特盛か大盛だったので並の価格を知らなかったところ、学生時代の特盛と現在の並が同じだったので比較しやすいところで違い大きくて驚いた。以前と現在で特盛同士の比較であればそんなもんかと思ったかもしれないが、特盛と並が同じことに驚いた(実際に特盛価格をネット検索したら当時との違いに驚いた。結局、何をどう比較しても驚いた)。

学生バイトの時給も上がっているはずだけれど、今も学生にとっては牛丼は安いものではないのだろうと思った。

雨季

雨季

来月くらいには雨季が始まると思うのだけれど、今年の雨季の雨量や降雨時間はどんなものだろう。

気候はなるようにしかならないから、心配しても意味ないし天気予報の精度的にも期待できないし、また準備することもできないのだけれど、洪水するようなレベルにはなって欲しくないとは思う。洗車しなくなくので、列に並ぶ手間はなくなるのだけれど、雨季でもしばらく雨が降らない日が続くこともあって、そうなると汚れた車にしばらく乗らないといけないし、洗車するタイミングの決断に困る。

屋外での活動があまり多くない私にとっては、自分個人の生活には大きく影響は及ぼさないのも事実。いいことなのか、良くないことなのか。

休暇明けの初出勤時の運転は慎重に

休暇明けの初出勤時の運転は慎重に

休暇明けで久々に出社する時は、いつもよりも慎重に運転する必要がある。道の真ん中に突然に大きな穴があくことは珍しくない。そんなことが一晩の大雨でおきたりするので、10日も出勤しないことがあれば、何がどこにあるかをきょろきょりしながら慎重に運転する必要がある。

赤道に近いところに住んでいるため、1年を通して日の出の時間は30分くらいの差しかない。だいたい朝はまだ暗いうちに家を出て、季節によってはまだ暗いうちに会社につくこともあれば、ほぼ明るくなっていることもある。だけど、出るのは暗いうちなので、余計に道路の穴が見えずらい。

そんなこんなで、久々の出勤には優しい運転で出かけようと思っていたのだが、思いのほか、自然体で優しい運転ができた。優しく運転を心がける、というよりも自然に優しい運転ができた。

今回の休暇では体調を崩したりもしたのだけれど、全般的にはよい休暇だった。きっと、それもあって優しく運転ができたのだと思う。休み前に蓄積したイライラがかなり解消されて模様。さあ、いつまでこの優しい運転が湧き出つづけるだろうか。

当事者が目の前にいるのに – TVのニュース番組

当事者が目の前にいるのに – TVのニュース番組

私が見ていた、とあるテレビのニュース番組での出来事。そこには、公明党代表が出演していた。タイミング的には、連立解消してすぐ位の時期だった。

ゲスト出演の代表以外には、アナウンサーと解説委員のような立場の人が出演していた。

代表に出てもらっているにも関わらず、テレビ局の二人が長々と話していた。しかも、公明党のことを話していた。当事者がそこにいるにも関わらず、二人は公明党のことをいろいろ推測を交えながら会話を進めている。当事者がそこにいるので聞けばいいのに、推測しながら会話している。

これっておかしくないのだろうか。

静岡は独自文化の匂いがする

静岡は独自文化の匂いがする

食料・食品の新商品を全国発売する前に、静岡県で試験的に販売することがあると以前に聞いたことがある。関東の味でも関西の味覚でもない中立的なイメージがあるし、温暖な気候だから嗜好にも偏りがなさそうなイメージはある。

新卒で入社した会社で最初に配属された部署では静岡県の客先も複数社あり、出張に何度か行ったことはあるのだけれど、それ以来、静岡を目的地として訪問したのはほとんどなかった。今回、いろいろ理由があって静岡駅付近に一泊することになった。

睡眠時間も含めても約 18 時間しか滞在していないけれど、静岡に独自文化の匂いを感じるには十分な時間だった。歩いている人のたたずまいや服装なども含めて、なんとなく独自色。ホテルでテレビをつけてみても、キー局の番組を流している時間帯とローカル番組時間帯があるのだけれど、テレビもなんか独自色(日本のテレビに詳しくないので、テレビに関しては、もしかしたら独自色という私の感想がそもそも間違いかもしれないが)。

もともと静岡には良い印象しかなかったのだけれど、行ってみて静岡は良いところだとあらためて思った。

自民党総裁選 ~ 連立 ~ 首班指名選挙

自民党総裁選 ~ 連立 ~ 首班指名選挙

10月初めからの一連の流れの中で、いくつかのファインプレーがあったと私個人は感じているのだけれど、その中のひとつが自民党総裁選をフルスペックで実施すると決めた人だと思う。

総裁選がスタートしたころの報道では、たしか、現首相を支持するメンバーが選挙管理委員会に名を連ねているという報道内容だったと記憶する。もしそうであるならば、国会議員のみにはかるというやり方があってもおかしくないところ、フルスペック選挙の実施を決めたのは、高市候補が勝利する方向性の最初のステップを大きく踏み出すことになったと思う。もしかしたら、自民党に危機感を感じる議員が少なからずいて、党員の声を聴くべきと思っていたひとが案外多かったのかもしれないと思った(2024年の総裁選同様に、フルスペックで実施しても議員側が恣意的に議員票を活用できるとおもっていたのかもしれないが…)。

これがなければ、今頃は期待感もない政治ニュースになっていたかもしれないし、自民党政治の終焉を迎えるきっかけになっていたかもしれない。

実際に高市氏が何を実行できるかはまだわからないものの、期待感はあると思っている有権者の一人です。

秋の乗り放題パス - JR、3日間7,850円

秋の乗り放題パス - JR、3日間7,850円

10月14日の「鉄道の日」に合わせて JR が乗り放題パスを販売していた。全国の JR 線の普通・快速列車の普通車自由席およびバス高速輸送システム並びにJR西日本宮島フェリーが乗り放題となる特別企画乗車券とのこと。利用期間は 2025年10月4日(土)から10月19日(日)ということで、ちょうど、この期間に日本にいることが分かった。たまたまネット検索していて、何気なくこのパスのことを知った、ちょうど。

大学生の頃には青春18きっぷのばら売りを利用させてもらったことがある。また、超ローカルではあるけれど、時期についての正確な記憶はないが、小学生か中学生のころに県民の日に県内の国鉄(当時)路線に限り乗り放題というチケットを使わせてもらったことがあった。それ以来の企画ものチケット利用。

十二分に有効にパスを使わせてもらいました。2泊3日(これもちょうどたまたまえ3日間の旅程を立てたあとにパスが連続する3日間有効であると知った)のうち、どうしても試してみたかったディスカウントされたグリーン席利用のこだまチケット東京→新大阪区間を除いて、関西方面への往復旅行の全てをこのチケットで旅行した。

いやー、ほんとうにこのパスは良かった。このパスがなければ、あんなにゆっくり電車旅行を楽しむことができなかったと思う。ちょうどよいタイミングにちょうどよいパスが発売されていることをたまたまネットで知って、とてもよかった。

ポリコレ

ポリコレ

しばらく日本に休暇帰国せずにいたら、日本の道路上でポリコレ的な印象をうけた。
少ないないケースでそう感じたのだけど、その一つとして、追越し車線をずっと制限速度で走る車。

速度制限は守る対象ではあるのだけれど、走行車線の車と長い間平行して走っていて、かつ、追い越し車線の後ろに長い車列がある場合は、追い越すのに必要な最短時間の間だけスピードを上げ、その後、すみやかに走行車線に戻るのが正しい運転方法ではないのかとわたしは思うけれど。
ほかにも、正しいけれどそればベストではないのではないの?というケースが増えたような気がする。秩序のない道路も危ないが、ポリコレ過ぎるのもどうかと感じた。

センターゴロ・ダブルプレー:ドジャーズvsブリュワーズ

センターゴロ・ダブルプレー:ドジャーズvsブリュワーズ

ナ・リーグ優勝決定シリーズ第一戦のドジャーズの4回の攻撃で、1アウト満塁からセンター・オーバーを放つものの、センター・ゴロでダブルプレーとなり得点なく攻守交替となった。

日本のテレビ局の中継カメラは打球ばかり追うのがつねだけど、YouTubeで探したら引いたカメラの映像があった。審判がちゃんとノーキャッチのジェスチャーをしていた。守る側のブリュワーズは、どんなプレーかまじかで見ているのでノーキャッチ前提で中継プレーが進んでいた(もしかしたら、単にランナーがいたらかバックホームしてただけ?)。ドジャーズの走者やランナーコーチがノーキャッチのジェスチャーを観ていなかったのだろうか。満塁で外野にとんだので1・3塁審のどちらかが打球担当にはなるが、ほぼセンター頭上少し左中間寄りということで、ドジャーズ・ベンチはどちらの審判がジェスチャーするのか一瞬迷って目に入ってこなかったのかもしれない。

しかし、少年野球で最初に教わることのひとつに、アウトやセーフを自分で判断するな、ということがあったはず。あそこでプレーしていた人も、多分ほぼ全員が20年近く前から聞きなじんでいた言葉であると思う(人(年齢)により20年プラス・マイナス数年の誤差はあっても)。

凡事徹底の大切さがここでも実感できる。

連立とか首班指名とか

連立とか首班指名とか

10月4日の自民党総裁決定後からの報道を観ている部外者の私としては、結論が出ていそうなのに何をやっているんだろうという傍観者の気持ち。支持者の顔色をうかがうためか、あるいは支持者の要望を検討しているフリをするためのポーズなのか、やってる感を出すためなのか、可能性を協議してばかりしている印象。

国民民主党は、立憲民主党と可能性の協議を続ければ続けるほど、考えが交わらずに別れた2党なのに、やっぱり近しい考えなのではないかと誤解を有権者に与えそう。早めに結論出したほうがよさそうに見える。

公明党が今回の最大のファインプレーだと思う。連立を離脱すると決めたことが、日本が前向きに進んでいきそうな予感をさせた。自民党がよいとは思わないけれど、高市首相が誕生して日本が変われるとしたら、公明党代表の英断だと思う。

維新のことは良く知らないので何もいえないけれど、報道やその書き込みコメントなどを観ていると、自民と考えが近いらしいので悪くはなさそうだけれど、私が知っている数少ない情報のうちの一つの高校無償化には全く同意はできない。しかし、高市首相誕生をアシストするのであれば、公明党につぐファインプレー。

国民民主だけ割食った感じかなあ。素人だけど。

一番残念なのは報道かなあ。彼らに大事なことは、売上や閲覧数、視聴率だろうからあることないことを言ってみてもらうのが一番大事で、なにが大事だとかは関係のないことが今回のことでもよくわかる。

信憑性

信憑性

ある人が話している内容が、たまたま私が詳しい分野であって、その人の言っていることが間違いに気づいたしまったときに(世間ではそういわれているけれど実際は違うんですよ、という類の間違い)、その人が話すほかのことまで嘘に聞こえてしまうことがある。

あー、この人は適当なことを自信満々に話すことができる人なんだ、と。交渉ごとの席などでは、知らないことを自身たっぷり話す度胸やスキルが必要になるときもある。しかし、そんな機会ばかりではない。

私自身も、気を付けたい。

2026年 WBC の日本独占放映権は NETFLIX

2026年 WBC の日本独占放映権は NETFLIX

来年3月に開催予定の第6回 WBC に関し、日本での放映権を NETFLIX が獲得したと先月に報道された。それについて、いろいろな意見を取り上げるネット記事を見ることができる。

NETFLIX の視聴登録をするかどうか決めるために、私の立場でどうなのか考えてみる。


【 良い点 】

・ネット配信ならば、海外にいる私も視聴できる
 → 海外から NETFLIX 日本に加入・視聴可能であれば = 調べる必要あり
・イニング間の球場の様子も見られる?
 視聴料を取る = スポンサーがいない = CMがない、ですよね?利用したことないから知らないけど
・見逃し配信もある?
・視聴する方法がTV に限定されずにスマホでも見られる?


【 心配する点 】

・野球中継に長けた解説者や実況アナは NETFLIX に在籍しているの?メディア専属でない人が解説?
・映像の大本はどこの誰?(普段、野球中継のカメラワークに不満がある私)
・NETFLIX 登録増加に寄与するかもしれないから、地上波や既存媒体が WBC が取り上げなくなる?
 → 入手できる情報が減ってしまう?



【 悪い点・悪いかもしれない点 】

・会員にならないといけない ← クレジットカード等の個人情報の登録にネガティブな私
・有料であること
・ミニマム会員継続期間はあるのか?閉幕したら退会意向(時がくれば自分で調べるけれど)
・WBC終了後に直ぐ解約できるとしても、解約手続きの容易さがまだ判らない
・解約したら私の登録情報を消去してくれるか判らない



【 世の中的には良いであろう点 】

・YouTubeなどでの違法配信が多分なくなる(たとえ有難くても、違法なものへ加担してはいけない)
・料金が発生するという認識の醸成 ← 料金が企業の利益になり、社員に給与等で還元されるならば

口数の多さと繰り返し発言の多さ

口数の多さと繰り返し発言の多さ

私は、口数が多くない時の方が累計では長いと思う。人と話すのは苦手ではあっても嫌いではない。だけど、意見とか物事の見方とかがほかの人々と違うケースが多いと認識していることもあって、会話が弾まないことが少ないない。加えて、一緒にいる人の発言と関連のある他のことが頭に浮かんでしまうことが高頻度で起こり、私の中ではさっきの話の関連トピックで話しているのだけど、相手からしてみたら話題が飛んでいってしまうように感じさせて、一つのトピックで会話を続かせることができない私の話し方も悪い点だと認識している。

そんな悪い点に加えて、個人の趣味として、言葉の繰り返しがあまり好きではない。自分の言ったことのみならず、誰かが言ったことを繰り返すのもあまり好きではない。このことは私的な会話ではあまり気にしないのだけど、業務上だと特に避けたくなる。だから、他人の意見を繰り返したりする人を会議とかで聞くのが好きでない。それはさっき、〇〇さんが言ったから判ってますよ、と心の中で独り言つ。それは、底上げの弁当箱、嵩上げで余計な時間を使っているだけではないか。自分でもそれを避けようとするので口数を嵩上げしない。

まあ、ここは個人の趣味の問題で、一般的には口数が多いほうが人に与える印象はよいだろう。柔和というか話やすい人というか。印象は悪いよりは良い方が望ましい場合が多いので私が考えを改めるのは一つの方法であるが、みんながみんな人の言ったことを繰り返したらしたら時間がもったいないし、会話が終わらなくなるので、少しの努力をしつつも私の個性としてご理解いただければ嬉しい限り。

歯磨き剤の吐き気成分

歯磨き剤の吐き気成分

朝に歯を磨く時、吐き気のようなことが生じることがあるけれど、「おぇっ」とすることで、寝ている間に下がっていた胃が上がってすっきりする感覚が私にはある。これは最近の話ではなくて、おぇっとポジションの戻りは、割と長い間繰り返してきたと思う。

おぇっとするのは吐き気が実際にするわけではないのだけれど、今朝に気づいたのは、日本の歯磨き剤のほうが私が現在東南アジアで使っているものよりも吐き気(のようなものを)導きやすいような気がすること。おぇっとしやすい成分が入っているのではないかと想像している。水との相性なのかもしれないし、ほかの何かかもしれないけれど、今日の発見。

「支持率下げてやる」と記者が言ったとか

「支持率下げてやる」と記者が言ったとか

高市自民党新総裁の会見待ちの記者の発言がライブ中継に乗ってしまったという記事をみた。
支持率発言についてはもう一つ、「支持率下げるような写真しか出さねえぞ」というのもあったとか。

いままで、なぜこんな写真を使うんだろう、もっといい写真あるはずだろ、と思った記事写真は数多くある。政治家はまだしも、イメージが重要でいつもはきちんとした姿を視聴者に見せている芸能人のぼけた写真や変な角度からの写真、さえない表情をした写真などは悪意のあるものだと想像していた。しかし、今日は、ああ、なんだ、意図持ってやっていたのかということがはっきりしたので、あんな写真を選んで載せたのは納得、という感じになった。メディア社員が代替わりしたら、今と違う会社・業界になっていくのかな。メディアへの就職希望者の倍率って、最近どうなのかなと思ったので調べてみる。

外免切替厳格化に困惑、との記事は誰目線?

外免切替厳格化に困惑、との記事は誰目線?

外国運転免許証の日本への切り替えの要件が 10 月から厳しくなったことを取り上げるネット記事があった。外国人が困惑しているということらしい。

外国人が困惑するのは無理もない。しかし、「厳格化してけしからん、外国人が困惑せぬようにしないといけないではないか」と該当の記事が主張しているような印象を受けた。タイトルのみが目に入ってきた時は特に。
記事は、安全に運転できるように制度変更の効果を期待するという締め方にはなっているものの、外国人が困惑していることを前面に出す必要があるだろうか。これを配信したメディアは、ハードルの低い日本の外免切替を利用してルールをきちんと知らない(あるいは知っていて無視している)運転者が悲惨な事故を起こしても、外免切替の問題点を指摘する資格はない。いろいろな視点を取り上げるのがメディアであるとこの会社が主張するならば、どんな犯罪でも批判的に述べてはいけないと読者に感じさせるような書き方だ。どっちの向きに対してでも、その時に出てきたこと何に対しても批判的に書けばよい時代ではない(今日死刑が執行されたら海外では死刑廃止だといって批判して、翌日には 10人をあやめた犯人に死刑判決が出なかったとしてなぜ死刑ではないのかまた批判するように、同根の事柄について、舌の根も乾かぬうちにどっちにもとにかく批判する姿勢)。

私は、現在の居住地で日本の免許からの切り替えで現地免許を取得しているので、逆方向で外免切替の恩恵を受けている。しかし、当地の人と同じように運転している。また、当地の免許は日本で可能なような旅行者の取得はできない。住所があってビザを取得し、一定期間この国に滞在する人でないと申請できないし、外免切替の制度が停止されたりもする(この場合は、現地の人も外国人も全員が同じ試験を同じ方法で受験して免許を取得というルール)。

外免切替制度に関しては、なぜ、日本のメディが外国人の気持ちを代弁する必要があるのだろうか。

準備不足

準備不足

準備不足を痛感する。

以前は、準備しても無駄になることが多い人だった。無駄になっても足りないより良い、と心底感じていた。その後、年齢と経験を重ねると同時に重くてかさばるのに使うかどうか分からない荷物を持つのが辛くて暑くなってきたし、時代が進化・便利になったことで、さほど準備をしなくても凌げるケースがでてきたりして、準備過多より手抜きのほうが徐々に増えてきた。

準備不足は仕事のみならず、日常生活でも同様だと今日、感じた。ある場所へ手続きをしに店舗に行った際に、本来の用事が済んだあとに別件の手続きが可能かどうか質問した。その際に、〇〇を持ってきているか聞かれた。以前であれば、本来の目的には使用しなくても、もしかしてとか思って準備して持ってきていたであろうものを今日は持っていなかった。これを手抜きの結果と呼ぶのか、想像力が欠如してきたというか、単に考えが浅かっただけなのか判らないが、経緯はどれにせよ、結果的には準備不足ということになると思う。

こうしてだんだんと耄碌してゆくのだとしたら、なんとかここで食い止めたい。

EVの見た目

EVの見た目

自動車のモデルチェンジで EV をラインアップに加えたという自動車メーカーの記事のタイトルが目に入った。どんなデザインなのだろうか気になり、記事本文を読むべく全文表示をクリックした。

私にはどうしても EV の見た目が好きになれない。

私の好みではない車が続々発売されているということは、私の感覚が異端なのだろうことは容易に想像がつく。しかし、私にとっては多くの EV の見た目は、2001年宇宙の旅で出てくるような昔の時点での未来イメージというか、40 年くらい前に雑誌で見た未来カーのように見えて仕方ない。フロントもリア(ライト(ランプ?)の話をしているのでテールというべき?)も左右のライトがつながっているのが、どうしても昔の未来カーにしか見えない。天才バカボンにでてくる目ん玉つながりの警官を細めにした感じというか。EV にすると光っている部分が多くないといけないといった先入観があるのかどうかしらないが、私にとっては好みではない。

ちょっと前までの車のテール・ランプの場合、欧州車は縦が多くて米国販売車は横長かつ真ん中の部分が赤い反射鏡でつながっていて、昼間にみればランプと反射板で横に赤い帯があるようだった。日本車が米国に輸出されていた時代は、日本の車もアメリカ好みと私が勝手になずけている横長・反射板でつながりタイプが多かったが、(私の感覚で)ダサい見た目が嫌われたのか日本車も欧州車に近いデザインになっていた。

なぜ EV になると流れるようなライトが増えるのだろう。EV 駆動にすることで上昇する生産コストをほかで安くするために、安く作れるような設計にした結果だったり(プレスが安っぽい感じ)、デザインの費用を抑えて作っているのだろうか。安全対策を一例に、以前にはなかった重要必須項目が増えたとかがあるのは判るけれど、乗るのが楽しみな車が減ったように思う。EV化以前より存在する自動車メーカーには、どのモデルにも共通するそのメーカーの車に共通するシルエットのようなものがある。欧州モデルはEV モデルでもびっくりするほどの外観急変は少ないが、日本メーカーの EV にはそれまでの内燃機関モデルと比べて未来臭が結構する。また、EV 専業の新興メーカーの EV は完全に未来臭しかないのと同時に、なんとなく(人によって大きくイメージが異なるけれど)e のイメージという感じ。

余計なお世話だが、こんなんではますます車が売れなくなるよと心配する、わたしくの主観では。

喋っていないと死んでしまうのか

喋っていないと死んでしまうのか

口数の多い人とそうでない人がいる。人それぞれ。しかし、静かな環境の方がよい場所では、静かにしていてほしいと思う。

それを特に感じたのが病院での出来事。その人は、人間ドックのために通訳とともに病院にきていた。検査なので別に具合が悪くて来院していたわけではないし、通訳という話相手がいる状況だから話したいのだろうけど、周りの人(みなさん単独で来ているので話し相手がいないので静かにしているのが当たり前といえば当たり前)が皆静かにしていて、その場の空気感も静かな環境であるにも関わらず、その人はいつまでも通訳としゃべっている。病院の人が注意しないので、病院としての許容範囲内なのかもしれないので私も特に指摘をせずに、遠く離れた場所にいた(はじめは、看護師さんの指示でうるさい人の隣の座席に座るように言われたのだが、耐えられなくて離れた場所に移った)。多分、病院は静かにしているという価値観とは異なる環境で育ったのであれば、うるさいのは仕方ないのだと思う。だけど、名前を呼ばれてもその場の人に聞こえないようなうるささで会話するのはやめてほしい。

経済観念 – 物価高とは言うけれど

経済観念 – 物価高とは言うけれど

テレビ番組を観ていると、街頭インタビューを目にする。ニュース番組だと頻度が高い印象。

高頻出のインタビュー・テーマの一つに物価高に関するものがある印象。しかし、見ていて違和感があるのは、パックご飯が高いと言っている人とかペットボトルの値上げのニュースとか、ほかに安くあげる選択肢があるのに、それをせずに物価が高くて何とかして欲しいと回答する街の声を聞いた時。そもそも高いものを買っているのに物価が高いと言っている人に対して、そりゃそうだろと思わずにいられない。

米を炊くにも米食頻度が低いので炊飯器を買う先行投資の方が割高になるのかもしれないが、そうであればパックご飯を買う機会なんてそれこそ稀なことなのではないだろうか。そんな稀なケースを引き合いに出して生活が困っているというのはどうなのか。人それぞれにお金をかけてもよいものと、そうでないものがあるだろうから、スマホ通信料に文句を言わずにパックご飯が高いと文句をいうのはその人の価値観によるからいいのだけれど、街角の代表意見のように報じるのはちょっとどうかなと思う。そもそも、街のコメントを使うメディが側が言ってほしいコメントのみを使っていたりするだろうから、私は街頭インタビューを真面目に見えてはいないけれど。