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カテゴリー: 働き方

学校の皆勤賞、有給取りずらい意識を作り出す?

学校の皆勤賞、有給取りずらい意識を作り出す?

学校を休んでディズニーランドや家族で行楽に出かけることの是非みたいなことがネット・ニュースになる時代だから、もう学校の皆勤賞の価値を見出さない時代になっていることだろうと思う。しかし、私が小学生だった昭和の時代は、皆勤賞という言葉がそんなに低くない頻度で使われていた。では、私自身はどうだったかと言えば、体力に自信のある小学生だったわりに、学年を通じて皆勤賞で過ごせたのは一度だけだったんじゃないのかなあ。

何かのネット・ニュースを読んでいて、学生時代に皆勤賞という概念を持ってしまうことで、有給休暇を消化できない日本人サラリーマンを生む結果になっているようなことを書いている人がいた。その人以外にも同じようなことをネット上に書いている人が結構いて、たしかにそうかもしれないなあと感じた。

そういう意味で、学校休んでディズニーランドに行くことにポジティブな側面があるなと思った。休みは休みとして取得することに後ろめたさを感じさせない人が増えるのはよいこと。休みにお金を遣えば経済も循環するだろう。休んでリフレッシュもできるし、趣味に時間を使うこともできる。あとは休みを取るタイミングを考慮できればもっとよい話。どうしても突発的な出来事は避けられないので、確実に休める日が事前に分かるはずはないのだけれど、ちょっとそれだけはなんとかなったでしょ、という話を聞くこともある。判っている季節要因と同僚・周囲との調整のこと。あー、でも、こんなことを思ってしまうことすらいけない時代になってきたのだろう。

会社で業務が分業されすぎ問題

会社で業務が分業されすぎ問題

私が新卒入社した会社は、入社前年に設立 100周年を迎えたばかりの会社だった。それ以後は、入社数年で初めて海外に出た先は設立 10年目くらいの事業会社、次に買収したての海外製造会社、しばらく経って別の10年目くらいの会社、最終的には資本関係のない融資先で勤務した。

買収したての会社にて勤務していた当時は PMI(Post Merger Integration、企業買収後の統合プロセス)という言葉を私はまだ知らなかったが、企業のすべてに近いことを知っている少人数を原動力にしてグループ全体を起ち上げ整えていっていた。ちょっと前に流行った言葉でいえば、サイロがある状態では起ち上げ早々はうまくいくことは難しい。私は、勤務した会社それぞれで良い経験をさせてもらったけれど、この起ち上げ早々の会社は会社の成長を感じる機会が多かった。

日本にある本社で勤務している時も含めて、私は新しいことを命じられることが多かった。だから、結果的に、その事業のほぼ全てに近いことを知っている人、ほかの誰よりもそのことを知っている人になることが多かった。会社が小さい段階では、情報がひとりに集中している方が仕事がやりやすい。いや、一人に集中しては企業としては成立していないので思っていることを正しく言い表せてはいなくて、どういってよいか判らないけれど、自分の部署が何かを決める時にはやはり全体が判っていたほうが決めやすかった。

転職して私が今勤めている会社は、最初に私が関わった頃はまだ小さな会社で情報も分散されていなかった。その後、会社が大きくなるにつれてサイロっぽくなってきて、今ではいわゆる大企業病を患っている。組織が大きくなって仕事が細分化されたことや(仕方ない事)、自分のことだけでよいと思う人が多そうなことことなども背景にあると思う。ただ、最近、特に強く感じるのは、全体を判っている人がいなすぎるということ。分散しすぎている。誰かが軌道修正した方がよさそうだけど、しなくても一応企業としては活動できるのだろう。もったいない。

先を走るより追い抜かす方が易しい

先を走るより追い抜かす方が易しい

仕事での話。

先輩が築いてきた売買取引を更に大きくしたり広げたりするのを私はうまくできないようで、新しい仕事が私に割り当てられることが多かった。例えば、既存の売買取引に付加価値をつけようとして、事業投資を検討する時にメンバーに呼ばれたりするようなこと。

私は「気にしぃ」なので、前任者が存在する仕事をやる時は、たえず前任者のやり方や成果を気にしてしまう。しかし、新規の事業投資案件のようにゼロから始められる仕事に対して、私は邪念を捨てて非常に前向きに取り組むことができる。ほかの社員よりは、その分野の知識が多少先行していたこともあるので、自分のやり方で進めることができるのも前向きになれる要因。

ただ、知識や経験が先行していたのも昔の話。今はノウハウ的なものなど実地でなくても事前に学べる環境があるので、効率よく最新の情報に触れる機会があるため、あっという間に抜かされる。私には経験がある、ということが常に私に気持ちの中にあるのだけれど、それは第三者からの目には見えないし、実際のケースがあって初めて引き出しの中から色々と出せるもの。携帯電話が進化してきて今スマホを使っている日本人の私を、以前は携帯がなかった国の人がいきなり最新機種を使って私を一気に抜き去っていくのと同じような感じ。最新のものを労せず手に入れることができる効率の良さが一気抜きを可能にしている。

逆手にとって私が一気抜きできる分野もあるはず。実際のところ、一気抜きまでは考えていないけれど、周囲の人のレベルに並ぶ・追いつくくらいのことはしたいと思う事柄もある。果たして、一夜漬けがどれだけ私の中に浸透するか判らないけれど、現代では判らなければ都度調べるということでもいいのなかあと思ったりもする。調べたものを記録して、それを効率よく引き出すことができるデバイスもある。

と、前向きなことを書いてみたけど、やっぱり経験値は貴重なものだと思うのだけれど。
それが時代遅れなのかな。
結果でも見るし、プロセスでも見たいし。両立したほうがよいものができると思っている。

赤点、その後、補習(早朝)

赤点、その後、補習(早朝)

少し前のドラマを観ていたら、回想シーンで高校生だった主人公が放課後に居残り補習を受けるシーンがあった。

ああ、思い出した(そのシーンを見ることもなく、高校の頃を思い出せば補習の記憶も蘇る)。私は、高校1年の時は数学は補習のレギュラー参加者だった。ただ、数学の補習は朝の始業前だったので、部活をしていた私にも影響なく参加できた。名称は補習なのだけれど、やっていることは授業ではなくてテストだった。そのテストで一定の点数を超えると補習卒業という流れで、これが、中間テストと期末テストのたびに対象者リスト入りと勝ち抜けが延々と繰り返される。国語と英語の補習授業は普通の教室で行われていたのだけれど、数学は勝ち抜けテスト形式だったこともあって大教室での解開催で、記憶では生徒の半分以上が補習対象だったイメージ。何せ私が通っていた数学の試験は難しくて、平均点は 10~15点くらいのレベルで0点がクラスに何人もいるのが普通。テスト結果は先生が点数を読み上げながら渡すのがお決まりで、「おまんじゅう」といいながら回答を渡されると0点。おまんじゅうの形が0(ゼロ)に似ているから。数学のテストは、生徒がもだえ苦しんでいるのを先生が見て楽しんでいるような感じだった。それでも、学年トップの人は80点くらいとったりするのだからすごい。

幸い、2年時の数学の先生が教えてくれたノートの取り方がとても私には合っていたようで、途中経過を大事にしながら論理的な考えができるようになり、2年以後は数学が得意科目に変わった。その結果、私が文系だったこともあって、受験の時には数学満点を狙ってほかの受験生と差別化を図る作戦に出ることになる(授業料的に国公立が必須だっため、文系でも数学が必要だった)。

勤めてからも朝は早めに出社しているのだけれど、高校の数学補習のおかげで朝から頭が回るようになったのかもしれないなあと思いながら、本当に無意味な感想を書いてしまった。

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

私はお酒が好き。最初から好き。最初からというのは、合法的に飲める年齢になってから、ずっと好きという主旨。

大学生の頃はお金を持っていなかったので、自分で飲む機会はほぼなかったように記憶している。サークルの飲み会は滅多になかったし、バイトを結構いれていたのもあって友達と一緒にいるのは授業が終了するまでで、夜まで一緒にいることもあまりなかった。

会社に入って働き始めた時の飲みのことは、よく覚えている。忙しい部署だったので毎晩遅くまで仕事して、22時位に先輩から誘われて終電まで飲むことが結構あった。当時の記憶では、今では入手困難になっている銘柄の日本酒を飲んでいたこともなんとなく覚えている。飲んでも飲んでも翌日は朝早くから働いていた。体力的に若かったからできたのだと思う(その影響でガタがもうじききたりしないといいのだけれど)。そんな日々が最初の異動までの間のこと。

最初の海外に行って帰国したあとに配属された先も忙しくて、また相手先との時差が結構ある部署で、やはりまた22時位から先輩に誘われることが少なからずあった。この先輩はいわゆるグルメと呼ばれるにふさわしい人という感じで、本人と奥様の双方のご両親が経済的に裕福な人だったようで、飲みに連れて行ってもらった店は普通の店であっても、注文する料理がちょっとグルメを感じさせてくれることがあった。

その後、海外と日本を何往復かする間、仕事の誰かと飲みに出かける機会は減った。仕事との兼ね合いやチームの一員としての働き方ではなくなったことなどの自分のおかれた環境の変化もあったが、一番の要因は、残業後に会社の人と飲みに出かける風習が世の中から消えつつあったことだったと思う。それと、自分の我が儘度合いも年齢とともに頑固爺のようになってきたのか、自分の食べたいもの・飲みたいものを楽しみたくなってきたこともあったかと思う。

今も飲むことが好き。でも、現在の体力やその時の体調などとの関係性もあるのだろうけど、お酒を飲むと眠気・疲れを感じることもでてきた。だから、飲むと時間を無為に過ごしているような気分になることが増えた。いや、実際の感情を言えば、飲んでも無為とまでは思っていなくて(飲むのが好きだから)、むしろ、飲まないと時間をたくさん使うことができると、よりポジティブに感じることができることに気付いた。いつもいつも忙しかったこともあって、時間という意味では今は結構充実している感じがしている。実際には、人生で残された時間はどんどん減っているのだけれど、なんとなくいい感じ。いろいろと新しいことにチャレンジできそう。

2025 年の成長分野

2025 年の成長分野

低レベルな話だけれど、今年の成長分野。

・洗顔時に顔のみを洗えるようになった
  → 以前は鼻に水が入るから外出先で顔がてっかてかでも洗えなかった

・食事の時にお盆を使うようになった
  = 丁寧な生活様式、一方でモノを落としたりしないような防御策

・飽きっぽいのに毎日継続できたことがあった
  → cf. デンタル・フロス 今年2ロール完了

・早寝
  = 多少は仕事に余裕が出たか?仕事への執着が減ってしまったか?

・料理のレパートリーが増えた
  = しかし、味付けは自分好みだから人には作ってあげられない


I wish you a merry 大晦日!

実家に帰ろうブームだって

実家に帰ろうブームだって

ネット記事で見た。ブームという割には、私には初耳だった。記事を読んでみると、港区などのコストもステータスも高い場所での生活からおりて実家に戻る人が増えている、ということらしい。それで、実家暮らしをしている人は、そうでない人に比べてお金がたまってよい、という主旨のことも書いてある。私は投稿コメントでいろいろな意見を読むのが好きなのだけれど、そこには、やはり実家の方がお金がたまるという類のコメントが結構な数あった。

そこなの?と思った。港区のようなコスト高なところと比べるから貯金云々という話になるかもしれないけれど、失礼ながら、コメント投稿者がみんな港区に住んでいたとは思えず、であれば、そんなに貯金が気になるものなのかなあ、私とは違う考えなのだろうなあと感想を持った。

私は、大学に通うために実家を出た。下宿のおばちゃんがいる小さな学生寮っぽい場所に住み、就職時に実家に戻ることもなかった。むしろ、その選択肢は初めから頭にはなかった。そもそも、新卒入社した勤務先には実家からは通えないのだけれど、就職先はどんな職業に就きたいかが最優先で、その結果として就職する土地がいくつかに絞られたので、実家から通えるかどうかは私にとってはどうでもよいというか、仮に実家から通えたとしても、個室が並んだ学生寮ではない、ちゃんとした一人暮らしにも憧れたものだ。

物価が上がった今は、私の新卒の時のような「のほほん」とした一人暮らしが大変な時代になったのだろうと少し申し訳ない気持ちになった。スマホ代も高いし、若手に奢ってくれる上司・先輩は少なくなっているだろうし大変なのだろうとは想像つくが、一人暮らしの自由さ・気ままさは、何かとトレードオフで入手できるなら若いうちに味わっておいてはどうかと思う(人の好みは尊重する)。

(これを書くときは記事が出てからしばらく経っていたので検索したところ、記事が削除されているような感じだった。なぜだろう)

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

10年くらい前のバラエティ番組を見ていたら、視聴者の手紙からMCの会話が合コンの話題になって、そこで、合コンといってもその日の目的によってノリが違ってそのノリに合わせる、というようなことを言っていた。

私は新卒入社してから所謂モーレツ・サラリーマンというのに近い生活を送って合コンには遠いところにいたので、番組内の会話に登場した合コンのノリというフレーズには何も反応もなかったのだけれど、「ノリが合わなかった」というのが私の転職理由を短いフレーズで表現するならこれなかあと感じた。

ノリが合わずに退職したというと、入社して数年で辞めたように聞こえるかもしれないけれど、私の場合は 20 年以上勤めた会社をノリが合わずに辞めることになった。しかも、突然にノリが合わなくなったわけではなく、割とずっとノリの合わなさを感じていた。

例えば、忘年会や誰かの駐在や退職での壮行会などといった部署内での飲み会。飲むのに掛け声があったり、大騒ぎしたり、そのノリが体質に合わないのだけれど、そのノリに合わせないといけない雰囲気が必ずある。業種的に、なんかそんな雰囲気がある。社内でもそういう人が多数派であるという雰囲気がある。演じている人も実態としてはいたのかもしれないけれど、勢いがないとだめなような雰囲気がある。所謂、金太郎あめのような会社で、そこに馴染めない感覚を持ち続けていた。

転職をした理由は、言葉にするといろいろと説明できるのだけれど、一言でいうとノリが合わなかった、という表現ができるかも、とふと思った。

社内会議で喋りながら寝落ちしてしまう

社内会議で喋りながら寝落ちしてしまう

ネット・ニュースの記事で思い出した。

高市首相の所信表明演説に対する野党の代表質問に関わるニュースがあった。前任4首相が論戦中に眠っている疑惑を伝えるニュースだった。

実際に眠っているのかどうか知らないが、このニュースで思い出したことがあった。

もう10年以上も前になるけれど、私が関わっていた案件でパートナーとの協議に加えて社内外からいろいろな指摘や質問、疑念があって、毎日対応に追われていた日々が4年くらい続いた。その4年の間のいつだったかは忘れたけれど、社内のリスク管理の担当者と一対一で対面して案件について協議をしていた時に、自分がしゃべりながら寝ていたことがあった。

会議参加者の発言者でない One of Them ではなく、一対一の打ち合わせで自分がしゃべりながら寝落ちしたのはさすがに焦ったというか、まずいなと思った。寝落ちしていることに気付きながらもしゃべりつつ、船をこぎつつ。ほんとうに焦ったし笑ったし、心配になった。

喋りながら眠ったのは、人生でその時、一度だけ、これまでのところ。正直なところ、朝早くから夜遅くまで働き続けていた時は、自分がしゃべらない時には会議中に眠ってしまうことは何度もあった。すみません。でも、喋りながら寝たのは、あの時だけ。

眠っても話すことが明確で、それを話すことができるのは、それはそれであっぱれか(仕事バカか)。

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

ここしばらく穏やかな日々を過ごしている。その要因として思い当たるのは、休暇を取っていたことくらいしかなく、間違いなくそれが理由だと思う。

大学を卒業して働き始めてから数十年が経っているので、これまでに取得した休暇もそれなりにあるけれど、こんなに休暇明けに穏やかな気持ちになれているのは初めてだろう。休暇中にどうしてもやらなければならない業務をするのは通常運転で、今回もそれは同じ。だけれど、今回は休暇後の穏やかさがとてつもなく大きい。

休暇中の時間を有効に使えたのだろうと思う。何十年か振りの人に会ったり、優先度は高くなかったけれど時間があったら是非にやってみたかったことを今回は実現できたのもあったし、一部は計画通りにならなかったものの、結構、事前にいろいろ考えて、計画をたてる段階からワクワクしていたような気もする。

こんな休暇の過ごし方を以前からできていれば、生産性がもっと上がっていたのかと思うと少し悔しいものの、今、そう思うような働き方をしてきたからこそ今回のような休暇を取る余裕が生まれたのかもしれず、こればかりは結果論で何とも言えない。

ああ、今回の休暇は良かった。この充電具合、穏やかな状況はどれくらいの期間、保てるだろうか。放電しきらないように、休暇ほどのものでなくても適度にチャージできれる生活を送ろう。

日本へ外国送金

日本へ外国送金

日本にある自分の口座へ仕向け送金をした。

居住地の方の銀行からメールがあって、現在、外国送金の手数料無料キャンペーン中とのこと。送金は定期的に行っているので、キャンペーン中だから送金したわけではないけれど、なんだか嬉しい。

手数料が安い送金方法があるとか聞いてはいるけれど、私はいつも商業銀行間の送金にしている。送金サービス提供企業のことを調べると、例えば日本では資金移動業者として財務局に登録されていると紹介しているので(その会社の自称)、法的にクリアしているのだろう。しかし、万が一でも送金が届かないとかあると、悔やむに悔やみきれない。その可能性は排除したい。

銀行からの案内メールによると、スマホアプリで送金する方法のみが記載されていた。これまで、パソコンを使ったオンライン送金しかしたことなかったが、もしやスマホ・アプリのみが無料の対象の可能性も否定できないので、初めてスマホアプリで操作してみた。パソコンでのオンライン画面では登録済みの Payee 詳細がスマホアプリでは共有されていなくて、ゼロから入力する必要があったとか面倒なことはあったけれど、必要事項を全て入力して実行ボタンを押した。あれ、エラーだ。

為替取引時間外だと送金できないことが過去にあった。それ以後、昼間の時間帯に実行ボタンを押すようになったのだけれど、一度、昼の時間帯でもできないことがあった記憶がある。昼休みだったのか日本の祝日だったのか。

ただ、今回は違った。

二回目の送金を試みて不発におわったあと、知らない番号からの着信があった。もしかしたら銀行かなと思い、いつもは無視する着信に対応してみた。やはり銀行だった。マネロン対策か何かで送金指示をモニタリングしていて、ランダムにピックアップした事案に関して送金依頼人に電話でいくつか質問したうえで送金を実行している、という銀行からの説明だった。

日本の被仕向け側でも入金にいろいろ書類の提出を求められているし、最近、マネロンであちこち大変。別に怪しいものは何もないので、要求されたものを提出するだけなのだけど、国境を越えて働くことが身近になっているのに送金のハードルが高くなるのは困る。不法なことをする人が増えると困る。

フット・マッサージ

フット・マッサージ

フット・マッサージに行ってきた。アジアのマッサージは人によるバラツキが大きいのは判っている。今回は担当してくれた人が大外れだったのか、あるいは体調がさほど悪くなくて期待値ほどの効果があるように感じることができなかったのか、1時間約2千円相当の代金に見合った満足感を得ることができなかった。

前にも利用したことがあるマッサージ店にいった。前回に利用したのは半年以上前だったと思う。その時はボディ・マッサージをお願いしたのだが、こちらもアジア・マッサージあるあるな力任せな人に担当があたってしまい、背中を押してもらったときに細い肋骨が折れたような痛みを感じて、それが数週間続いた。そんなこともあって、しばらくマッサージにはきていなかった。

ここしばらくの間、なんとなく体調の悪い状況が続いていた。はっきりどこが痛いとか調子悪いというのではなく、どんよりした体調の悪いがあって、もしかしたらフット・マッサージで打開のきっかけになるのを期待して行ってみたが駄目だった。

ちょっと前に You Tube でやっているストレッチを毎日実行していたのだけれど、どんより体調が悪くなってから暫らくストレッチができずにいた。これからは、体調があまりよくない時も軽いストレッチを続けてみようかな。

年間 1,617 時間(2024年)

年間 1,617 時間(2024年)

新聞記事によると、OECD 統計では日本の年間労働時間は 1,617時間とのこと。
私が目にしたこの数字は、韓国で「週 4.5 時間勤務導入論がある」というメディア記事のなかで引用されていたデータなのだけど、同じ 2024 年の世界平均は 1,736 時間とも記載されていた。世界平均よりも 119 時間少ない。

職種によって働き方は違うために平均では詳細は語れないものの、この統計データをポジティブにとってよいのかネガティブ面を心配する必要があるのかわからない。事務職の場合、強制退社のようなものもあったりするので、サービス残業が入っているかもしれないし、単純に労働時間が短くなって競争力も落ちているのか、そんな心配をすること自体が時代遅れと考えないといけないのか、どう解釈してよいか判らない。そんなデータなので、便利といえば便利。自分の主義主張に都合よく解釈してこのデータをコメンテータ・解説者・いわゆる専門家が利用することができるだろう。何が正解かは、どの立場や物差しで物事を観るかで変わってくる。絶対的な正解はない。

定義が判らないので OECD のサイトで確認してみたら、「年間の実労働時間の合計を、年間平均就業人数で割ったもの」らしい。実労働時間には、フルタイム、パートタイム、パートイヤー(季節労働者?)が対象になっていて、有給・無給の残業、副業時間が含まれている由。無給の残業ってどのように統計を取るか判らないけれど、こういっている時点で統計の正当性が少し怪しまれるかもしれない。

この定義からいくと、週休2日のオフィス仕事の国よりも、週1日休みの店とかレストランとかの職が多い国だと労働時間が長くなりそうな気がする。そう思って、労働時間と一人当たりGDP金額を比べてみたら、長時間労働の国の方が一人当たりGDP額が小さく、短い国は高かった。だから、どういう職業についている人が多いか、ということが労働時間統計に影響されそうなことを理解した。(たぶん)

セブンイレブンが積極出店

セブンイレブンが積極出店

セブン&アイ・ホールディングスが 2030 年までの経営戦略を発表したニュースがネットにあった。国内コンビニで 1,000 店純増などの出店計画や収益目標などを公表したもよう。

コンビニは便利だけれど高い。小さい容器のものは割高だけど便利だったりすることもある。だけど、基本は高い。

日本は景気が良くないはずなのに、コンビニで買う人ってそんなにいるのかなあという感想。まだ店が少ないエリアに出店してゆけばそれなりの出店数にはなるだろうけれど、店が増えれば配送も大変。地域によっては24時間営業する必要性も疑問。雇用先が増えるのは悪い話しではないだろう。銀行の代わりとか宅配便とか、子どもや女性が駆け込める避難所として使えたり、マイナカードあれば公的書類も取れるし、単なる店としてのコンビニから脱却して、生活インフラ・社会インフラとしての存在になっていくのかなあ。

あと5年後の 2030 年にどういう世の中になっているのだろうか。

週末に具合が悪くなって残念

週末に具合が悪くなって残念

週末に体調が悪くなることが多い。これは、今に始まったわけではなくて、就職してしばらくたった頃から、こんな感じだったりする。金曜の昼か午後から具合が悪くなり、日曜夜には翌日に出社できるか心配するのだけれど、なぜか月曜朝には治っているケースが多い。

仕事を休む必要なくていいといえばそうなのだが、週末を有効に使えずに残念に思うことが結構な頻度で発生する。平日は、仕事に追われて具合の悪さに気づかないのか、本当に週末に体調が悪くなるのか判らないが、とにかく、残念。一時、週末になると雨になる時があって、月曜から金曜までの経済活動で排出された大気中のチリが週末に雨となり、月曜日は大気がきれいになってまた晴れる、というようなことを誰かが言っていたような記憶もあるが、私も週末とウィークデイで何か代謝が異なるのだろうか。

もしも週末に体調が悪くなるのであれば、退職後の生活はどうなるのだろうか。まあ、実際は、体調悪い時は曜日に限らず休息をとることができることになるので、多分、現在の週末のような体調の悪いは頻発しないとは思うけれど、人生のうちの動ける間の週末を具合悪く過ごす今の状況を打破できる方法はないだろうか。普段の生活を見直すのが一番なのだろうけども。

自己流の方が得たものは定着しやすい

自己流の方が得たものは定着しやすい

少し前の日経新聞の記事に、「「自己流落ちる」就活不安あおる情報商材、焦る学生狙う」というのがあった。就活に限らず、うまく行っていない時には何かに頼ってみたり、うまくいってそうな人が紹介する方法やモノに飛びついてみたりしがちではある。

そこにつけ込んで詐欺的な方法で金儲けするのは許せない。のだが、この記事で私の目がいったのは自己流という言葉だった。これまで、私は自己流で物事と向き合うことが多かったような気がする。それは、前任者のいない仕事をする機会が多かったので、どうしても自己流でやらざるを得ない場合が多かったからだと思う。しかし、実のところ、そのような状況になる前から、もともと私は自己流が好きだったのだとも思う。なぜなら、スポーツをやる時も自己流が多いから。スポーツは、参考にしてもよい実例がたくさんの種類あるから、自己流でやらずに一番よさそうなものを選択して見習えばよいはずだから。それなのに、自己流でやり方やそのやり方にたどり着く方法を探ろうとする。

自己流は時間がかかる。トライ・アンド・エラーを延々と続けながら最適解を探す作業になることが高い頻度で起こりえるから。だけれど、自己流で身につけたことや得たことは、定着加減が非常に高いことも多い。しばらくそれに関わることから離れていると、一見、自己流で得たことも忘れてしまったように感じるが、何かのワードなどをきっかけに記憶の引出しがガガーっと開く。最後にそれを言ってから20年たっていても、きっかけがあれが淀みなくスラスラ言うことができたりする。

いろいろあるが、私には自己流にこだわりがある。

業界イメージとダイバーシティ

業界イメージとダイバーシティ

この何十年の間で、世の中はだいぶ変わってきたはずだけど、変わっていないものもある。就職先人気企業とか高校の東大合格者数などのランキングの類の記事だ。読み手のほうの意識が変わっているのに出版社だけが変わっていないのか、売れることが至上主義である企業側が定期的に出しているということはいまだに需要があるのるのか、どちらが正しいのか判らないけど、いまだに存在しているのは事実。

そんな中、業界イメージというのも昔のままで留まっている感じ。多少変わってきた気はするが、銀行員にはある一定のイメージがある。また、商社に勤める人のイメージもあまり変わってない印象。何十年か前の就職活動といえば、人事の担当者に到達する前には OB 面談で評価してもらい、次の OB の紹介を受けることを何度かクリアしていかなければならなかった。そうなると、いかにもその業界の社員っぽくふるまう先輩に合わせていかないといけないため、自らステレオタイプの人格を演じる必要があった。今は、多種多様なタイプや背景、専攻などの学生を選抜してはずなのに、その会社にいる人は、いまだに昔からいるタイプの人のようにふるまっているように見えることが多そうに私のようなわがままな人には見える。自分のイメージに縛られていて、それはそれで、つらそうに思える。いくつかの業界の人とダイバーシティはとても親和性が悪いような気がする。4

仕事の場において他者と共通の記憶・経験

仕事の場において他者と共通の記憶・経験

転職を考えた理由のひとつが、他社と共有できる経験がないことだった。異動や他者の転職などで共有できる人が減ってきたわけではなくて、転職を実行に移す前の15年近くはこの感覚をもちながら仕事をしていた。転職を考えるようになってからも、実行する・しないをあっちいったりこっち来たりしていたのだけれど、共有できる経験や共通の記憶、思い入れがある仕事を分かち合えないことが、最終的に転職を決断する背中を押したような気がする。

会社の規模(社員数)も様々なうえ、入社から一貫して同じ分野の仕事をすることが多い会社もあれば、定期的な転勤・異動が当たり前な会社もあるので、他社と共有できないのが当たり前な感覚を持っている人もいるかと思う。しかし、共有する対象は、必ずしも業務や案件のような具体的事項である必要はなく、例えば、仕事の仕方や携わっている業界の考え方などもっとざっくりした価値観のような場合、人数が多かったり人の出入りがあったとしても、割と他社と共有できる何かがあると私は思っている。実際、入社してから何年かは、そのような阿吽というかツーと言えばカーというか、共有できるものをもって仕事をしていた記憶がある。業界や仕事あるあるもその類。

共有感の有無によって仕事の成果が変わってはいけないし、仕事はドライにやる時代でもある。共有感を押しつけと感じる人もいるだろう。適応していかないといけないな。

就職氷河期世代への支援

就職氷河期世代への支援

氷河期世代への支援をテーマに出演者が話し合う番組を動画でみた。どんな結論だったか忘れてしまったけれど、議論のなかで新卒で失敗してもやりなおせる社会に変えてゆくことが大事という意見を言っていた人がいた。

氷河期時代に新卒で非正規からはじめた人には今でも厳しい社会であると想像するけれど、新卒で正規雇用された人については、転職に対する労使双方の見方が変わってきたことで、以前よりはセカンド・チャンスの機会は創出されていると思う。

以前よりましだからいいじゃないか、というつもりは毛頭ないが、新卒への教育に掛けた決して小さくないコストで自社仕様に育て上げた社員がいるので、なぜセカンド・キャリアで採用するかといえば、多分、専門知識を持っている人があらたに自社に戦力として入ってきてくれることを期待してのことだと思う。

日本の新卒採用で私がよいと思っていることは、大学で学んだことと違う分野で採用・配属が行われること。デメリットもあるけれど、よい点のほうが上回っていると私は思う。大学の専攻と関係ないからこそ、配属後に OJT で徹底的に鍛える必要があるし、一人前になるまでに結構なコストがかかっていると思う。この状況を変え、セカンド・キャリアの流動性をあげようとすると、セカンド・キャリアで入ってくる時は勿論のこと、社員教育にコストをかけないとすれば、新卒の時点でも専門性を身につけた人を採用しようとするだろうし、専攻分野によって就職先が限定されてきて、新卒の門戸や選択肢が狭まる結果になるような気がして、そっちの方が副作用が大きいように思う。これが極々一部の大企業にのみ当てはまることで無視してよい話ならばよいが、私には専攻と関係ない会社に勤める機会があることは結構、重要なことだと思っている。また、何か単一分野の仕事はしてきたが、その分野でのスペシャルな技能がない人の場合、何年経験をつんだとしても職種が高度化することもないだろうから、昇給する機会も少なそう。スキルが上昇しなければ、身に着けたスキルでキャリア・アップ転職の機会もなく、もし転職をするならば、同じ仕事でちょっとだけ待遇がよさそうな会社を見つけた時にしか起こらなそう。

氷河期とかセカンド・チャンスとか関係なく、全ての国民が最低限の生活を送れことができる制度や仕組みのある国にしてくれるのが一番ということになるのだろうか。年代や性別、住む地域などで不公平のない社会、かといって結果を出せた人とそうでない人とが同じ処遇を受けるのではなく、頑張った人はその報酬を得ることを誰にも邪魔されない社会。それと、今ある色々な問題の多くに共通すると思うのだけど、教育が非常に重要だと思っている。

サンク・コスト

サンク・コスト

住友商事のニッケル関連事業での減損について報じる記事が 5 月初め以後、いつくか目にする機会があった。

参画を決定してから 20 年ほどが経つ事業のようで、累計の損失は 4,000 億円規模に膨らんだということが記事で説明されている。部外者の私には、参画を決めた経緯や、事業に関連する取引や利益でいくら挽回できているのかもわからないし、今後の計画や見通しも判らないので無責任なことはいえないが、自分が関係していた案件に関して以前から思うところとしては、以前から多くの人が指摘するようにサンクコストが選択を誤らせることはあるということ。

それは、実行済みの案件にも言えるが、実行前にもいえる。デューディリで潜在的な問題を発見したときに、それを買収金額やそのほかの契約上の条件でヘッジすることができればそうすればよいが、ついつい、いままで人手とコスト、時間をかけてここまでやってきて、契約上でもヘッジする交渉が不調に終わってしまっても、それを理由に買収交渉から撤退するというのは、理論上は難しくはなくても非常に苦痛を伴う決定だと思う。

また、サンク・コストを扱う問題は、仕事上のみならず私的な生活でもよく起こる話で、結構、公私ともに人生で頻繁に発生する決断案件だと思っている。サンク・コストという言葉は使わなくても、意外と身近な行動ではないかと。私はサンク・コストで損得を考えてしまいがちなので、住商の減損の記事をきっかけに(住商の件はサンク・コストとは関係ないと思うけれど、きっかけとして)、自分自身にリマインドしている。


※ ちなみに、上記を書く際に、サンク・コストってよく考えずに使っているけれど、100% 正しく理解しているか心配になったのでネット検索してみた(理解の一部に誤解が含まれていることが私の場合に多いので)。すると、サンク・コストとコンコルド効果という用語にヒットして、ほぼ同義だと説明しているサイトがある一方で、異なると解説するサイトもあった。どう違うのか何度も説明を読んだのだが、どうしても解説文で違いが判らなかった。これもよくある話なのだが、ほんとうに読解力が落ちたというか理解しようとして文章を読むことに困難を伴く機会が増えた。