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Day: 2025年5月28日

私の感覚では野球は習いごとではない

私の感覚では野球は習いごとではない

今年1~4月のスポーツ教室の倒産件数は、過去 20 年間で最高になったとのこと。半期でも四半期でもない4か月単位ということで、過去最高になりうる期間で選択してニュースにしたような感じもするけれど、それが正しい疑問だとすれば、単月の倒産件数として4月が高かったのだろうと推測する。そうすると、4~6月四半期は過去 20 年間の四半期として最も多いという報道が7月くらいには出るかもしれない。

それはそうとして、昭和の時代に田舎で育った私にはスポーツ教室という概念が難しい。水泳など設備が必要なスポーツであれば、プールがある場所に通って誰かに教えてもらうということは理解できるけれど、サッカー教室とか聞くと、それは教室なのか?と疑問に感じる。言葉の定義の問題ではあるのは想像つくけれど、サッカーと教室の親和性がないのが私の感覚だ(私と違う感覚の人がいて当然だと思っている)。

もっと私の感覚と異なるのは、「野球を習っている」とテレビのインタビューなどの動画で語っている子どもの発言だ。野球は(だけではないが)習うものではなくて、野球で遊びながら工夫してみたり何かを変えてみたり、ほかの人のやり方をまねしてみたりして上手くなったり何かのコツを掴むものであって、習うものではないと感じる。それは、「習う=受け身」という私固有の言葉の定義からくる違和感であると思うけれど、でも、でも…

昭和の田舎の子どもは休耕中の畑なんかでスポーツできたけれど、時の流れとともに空き地がなくなり、あっても球技禁止とかなり、学校の校庭ですら下校後は使えなくなり、「教室」と呼ばれる提供される場所でやるしかなくなってしまったわけなのだけど、この環境の改善に貢献するために私個人に何かできることはあるだろうか?