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カテゴリー: 趣味

県民の日

県民の日

県民の日は学校が休みになったり、子どものころにあった国鉄は固定金額で県内乗り放題になったりした。

幼稚園年長から高校生まで過ごした県を飛び出して大学へ進学したし、新卒就職は東京・大阪に両本社を構える会社に入社したため、育った土地の県民の日を堪能したのは中学までだった(高校は、授業は休みだったかもしれないけど部活があったはず)。

県民の日が制定された背景が気になってネット上で調べてみると、全ての都道府県に県民(都民・道民、府民)の日があるわけではなく、また、あっても公立学校が休みとは限らないというような情報があった(ほかのサイトでダブルチェックはしていないので、情報の正しさは定かでないが)。また、廃藩置県がトリガーになっている県(面倒なので、都道府県と言わずに県で統一)がいくつかあるのに、県民の日は県によってまちまちな模様。廃藩置県自体は全国一斉なのだと想像するけど(あとで調べる)、今の県名が使われ始めた日が異なったりして、トリガーが同じなのに制定された県民の日が違うのは面白いと思った。

海外でも州・省の日がある国もあって、その日は祝日になっているのだけれど、州・省をまたいで出勤している人は、ほかの家族が休みなのに自分だけ出勤日とかその逆が起きたりする。それを考えると、日本の県民の日は学校くらいしか休みでないのが日本人っぽい(企業も休みになっている県があるかもしれないけど調べられていない)。

JR の乗り放題パスのようなものがあれば試してみたいけれど、私が中学の時に買った切符は、学生証か何かを提示して、その県の居住者だとか通学者だとかを証明してたのだろうか?もし、特に証明が必要とされていないのであれば、いろいろな県の鉄道の乗り放題を試してみたいなあ。

FMラジオの楽曲リクエストってもうないのかな?

FMラジオの楽曲リクエストってもうないのかな?

YouTubeで音楽を聴いていたら、お薦めリストに Queen の Radio Ga Ga が出てきた。この曲は、私が高校生の時に、地元県のローカル FM 曲に送ったリクエストはがきで初めて読まれて曲も流れた記念のもの。で、ここの記事に書こうとしたところ、はがきリクエストなのにタイトルを「電リク」と間違って書いてしまったのだが、その時に、私の PC では一発では「電リク」を変換できなかった。と、いうことは、電リクはもはや一般名詞ではないのだと実感した。もしかしたら電リクが一般名詞であったころは無かったかもしれないけれど、一発変換くらいはできたのではないだろうか。

今は、YouTube や音楽サブスクもあるから、好きな時に好きな曲を聴くことができる環境はそろっているので、採用されるか判らず、また、採用されてもその時に聞けるかどうかわからない電リクやはがきリクエストをして音楽を聴く必要性があるとは思えない。一方、リクエストの存在価値があるとすれば、友達とか誰かほかに聞いているかもしれない人へのメッセージとしてはとても有用なものだと私は思う。

ちなみに、私が人生二度目にリクエストが採用されたときは、番組パーソナリティと私の電話での会話が FM 放送に流れた。どんな会話をしたかを覚えていないし、放送をエアチェック(なつかしい言葉)したカセットテープがどこかにあるはずだけど、もう40年くらい前の話だから探せないだろう(どうしても探したいとまでは思ってない)。その時は、Let it Be をかけてもらった。

あれは、はがきの内容で採用されたのか、リクエストした曲がたまたま放送局の選曲に合致したから採用されたのか、どっちだったのだろう

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

私はお酒が好き。最初から好き。最初からというのは、合法的に飲める年齢になってから、ずっと好きという主旨。

大学生の頃はお金を持っていなかったので、自分で飲む機会はほぼなかったように記憶している。サークルの飲み会は滅多になかったし、バイトを結構いれていたのもあって友達と一緒にいるのは授業が終了するまでで、夜まで一緒にいることもあまりなかった。

会社に入って働き始めた時の飲みのことは、よく覚えている。忙しい部署だったので毎晩遅くまで仕事して、22時位に先輩から誘われて終電まで飲むことが結構あった。当時の記憶では、今では入手困難になっている銘柄の日本酒を飲んでいたこともなんとなく覚えている。飲んでも飲んでも翌日は朝早くから働いていた。体力的に若かったからできたのだと思う(その影響でガタがもうじききたりしないといいのだけれど)。そんな日々が最初の異動までの間のこと。

最初の海外に行って帰国したあとに配属された先も忙しくて、また相手先との時差が結構ある部署で、やはりまた22時位から先輩に誘われることが少なからずあった。この先輩はいわゆるグルメと呼ばれるにふさわしい人という感じで、本人と奥様の双方のご両親が経済的に裕福な人だったようで、飲みに連れて行ってもらった店は普通の店であっても、注文する料理がちょっとグルメを感じさせてくれることがあった。

その後、海外と日本を何往復かする間、仕事の誰かと飲みに出かける機会は減った。仕事との兼ね合いやチームの一員としての働き方ではなくなったことなどの自分のおかれた環境の変化もあったが、一番の要因は、残業後に会社の人と飲みに出かける風習が世の中から消えつつあったことだったと思う。それと、自分の我が儘度合いも年齢とともに頑固爺のようになってきたのか、自分の食べたいもの・飲みたいものを楽しみたくなってきたこともあったかと思う。

今も飲むことが好き。でも、現在の体力やその時の体調などとの関係性もあるのだろうけど、お酒を飲むと眠気・疲れを感じることもでてきた。だから、飲むと時間を無為に過ごしているような気分になることが増えた。いや、実際の感情を言えば、飲んでも無為とまでは思っていなくて(飲むのが好きだから)、むしろ、飲まないと時間をたくさん使うことができると、よりポジティブに感じることができることに気付いた。いつもいつも忙しかったこともあって、時間という意味では今は結構充実している感じがしている。実際には、人生で残された時間はどんどん減っているのだけれど、なんとなくいい感じ。いろいろと新しいことにチャレンジできそう。

2026年に達成したいこと

2026年に達成したいこと

元日なので、ありきたりではあるけれど、今年に達成したいことを記しておいて年末にはレビューできるようにしておく。

・旧い友人と会う=そろそろそんな年齢:対象の人々が住んでない国にいるので機会設定が必要がある
・使い切る:2025年からの継続案件 = 2025年にできたものあったけれど継続
・人の話は先ず最後まで聞く:私が想定する展開が話し手の着地点でないかもしれないと知る
・余計な発言を慎む
・先入観をできるだけ排除する
・買い置きできる体質に(あったらあっただけ使ったりしない)
・体調と体重を管理
・年齢を重ねても新しい思い出を作れると信じて生きる

実家に帰ろうブームだって

実家に帰ろうブームだって

ネット記事で見た。ブームという割には、私には初耳だった。記事を読んでみると、港区などのコストもステータスも高い場所での生活からおりて実家に戻る人が増えている、ということらしい。それで、実家暮らしをしている人は、そうでない人に比べてお金がたまってよい、という主旨のことも書いてある。私は投稿コメントでいろいろな意見を読むのが好きなのだけれど、そこには、やはり実家の方がお金がたまるという類のコメントが結構な数あった。

そこなの?と思った。港区のようなコスト高なところと比べるから貯金云々という話になるかもしれないけれど、失礼ながら、コメント投稿者がみんな港区に住んでいたとは思えず、であれば、そんなに貯金が気になるものなのかなあ、私とは違う考えなのだろうなあと感想を持った。

私は、大学に通うために実家を出た。下宿のおばちゃんがいる小さな学生寮っぽい場所に住み、就職時に実家に戻ることもなかった。むしろ、その選択肢は初めから頭にはなかった。そもそも、新卒入社した勤務先には実家からは通えないのだけれど、就職先はどんな職業に就きたいかが最優先で、その結果として就職する土地がいくつかに絞られたので、実家から通えるかどうかは私にとってはどうでもよいというか、仮に実家から通えたとしても、個室が並んだ学生寮ではない、ちゃんとした一人暮らしにも憧れたものだ。

物価が上がった今は、私の新卒の時のような「のほほん」とした一人暮らしが大変な時代になったのだろうと少し申し訳ない気持ちになった。スマホ代も高いし、若手に奢ってくれる上司・先輩は少なくなっているだろうし大変なのだろうとは想像つくが、一人暮らしの自由さ・気ままさは、何かとトレードオフで入手できるなら若いうちに味わっておいてはどうかと思う(人の好みは尊重する)。

(これを書くときは記事が出てからしばらく経っていたので検索したところ、記事が削除されているような感じだった。なぜだろう)

PCタスクバーのバッテリ・アイコン色が変わった

PCタスクバーのバッテリ・アイコン色が変わった

何か変なことが起きているのかと思ってびっくりした。
バッテリーアイコンの色が変わったことについて。
ネット検索してみると、以下のもよう。

 充電中は緑色、
 バッテリー消費中は白黒、
 バッテリー節約モード中は黄色、
 残量が危険域に達すると赤色

これは自宅で使用する私用 PC での話。
会社貸与の PC や、Microsoft 製の私用タブレットは、そうなっていない。
いずれのデバイスも Windows アップデートを常に最新に保っているが、私用 PC のみが色変更している。デバイスやメーカーによって、Windows アップデートの内容とタイミングが異なるのだろうか。

一律でないので、変なものに感染したのかと疑った。
一瞬ながら不安になった。
せめて、色を変えるなら「アップデートによって色を変えました」というポップアップが出るように設定してくれていたら、そんな無駄な不安感を覚えることもなかろうに、と思った。

マイクロソフトの人が私の日記を読むことはないだろうから、ここで言ってもしょうがないけれど。

紙の手帳が人気となっているらしい

紙の手帳が人気となっているらしい

そういうニュースを最近にみた。

私も、20年と少しの間、紙の手帳を使っている。その間、同じ銘柄のものを使っている。最初の年にそこそこの投資をして手帳カバーを購入して以来、毎年リフィルを買い続けている。20年以上たつのにいまだに使い続けているとは、使い始めた当時は思いもよらなかっただろう。

手帳を使い始めたきっかけは、一本のボールペンだった。誰にもらったかは覚えていないが、誰かにペンをもらった。千円くらいの見た目のペンだったと記憶する。筆記具メーカーの高級ペンというわけではなかったのだけれど、書き味が私にはぴったりだった。それまでの私は、シャーペン付き三色ボールペンを使っていたのだが、価格的にはむしろ、三色ボールペンのほうが高かったくらいかもしれないけれど、とにかく、もらったペンの書き味が私にフィットした。

そうなると、いろいろなものを書きたくて書きたくて仕方なくなった。当時の私は慣れない技術営業を海外で始めたころで、客先との打ち合わせに出席しても理解できないが多すぎて、それらを会議後に調べるために見たもの・聞いたことを書き留めていた。そんなこともあって、A4 のキャンパスノート1冊を3か月くらいで使い切るくらい書いていた(大きい字で広い行幅でメモしていたのでノートの消費が早かったというのも大きな理由)。もちろん、これだけでは足りないというわけではなかったのだけれど、仕事のメモと違うものをもっと書きたくなった。それで考えた結果が、ちょっとよさそうな手帳を使おうとなり、ペンは変われど手帳はその時から今に至る。

ペンやら業務用ノートの話になってしまったので話を手帳に戻すと、今年は今までで最も多く手帳に書き込んだ年になった(まだ今年は終わっていないけれど)。「感想を持つこと」が今年の目標の一つなのだけど、感想を持ったらメモに残すようにして、その記録先を手帳にしていたら、予定以上にメモが積みあがった。もう一つの今年の目標である「使い切る」のほうも、メモを手帳に埋めることで達成した感覚(まだ今年は終わっていないけれど)。

最初に書いたように、私は毎年同じ銘柄のリフィルを買っているので、見た目のよい手帳とか機能性の高い手帳といった人気手帳とはちょっと毛色が違うのかもしれないけれど、手帳仲間が増えることは喜ばしいこと。ペンを起点に私が手帳好きになったように、多くの人が書き味やインクを楽しんでくれるのもまた嬉し。

必要は発明の母

必要は発明の母

先達は、簡潔に本質的なことをうまいことよく言ったものだ。

必要は発明の母、ということを最近になってあらためて思う。もちろん、発明などはしていないのだけれど、例えば、業務面で言えば、手抜きをするための自働化ファイルの作成は、何かどうにかしたいという需要があることによって、世の中では新しいことではないけれど、私の歴史の中ではある操作・機能を初めて活用するので発明のようなものと言える。

私は、半世紀以上を生きてきた年齢なのだけれど、新しいことを試すのはチャレンジングで楽しくもあれば、初めてで理解が追い付かなかったり飲み込むのに時間が掛かったりはするが、何歳になっても刺激的なものである。人生、最後の瞬間まで学び続けていくことになるのだと思うし、それが楽しいとか苦しいとか感じなくなるのは少し怖いことかもしれない。

小学生の頃は、決まったお小遣いがなかったこともあって、何かやろうと思った時には創意工夫や何かを手作りしたり、代用品を活かしたりしていたことを思い出した。その後、働きだすと忙しいこともあって、自分で何かつくる機会もなかったけれど、最近にその気持ちを思い出したことは大きなヒットだと感じている。この気持ちを忘れずにいれば、楽しみをひとつ余計に保持しておくことが出来そう。

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

ここしばらく穏やかな日々を過ごしている。その要因として思い当たるのは、休暇を取っていたことくらいしかなく、間違いなくそれが理由だと思う。

大学を卒業して働き始めてから数十年が経っているので、これまでに取得した休暇もそれなりにあるけれど、こんなに休暇明けに穏やかな気持ちになれているのは初めてだろう。休暇中にどうしてもやらなければならない業務をするのは通常運転で、今回もそれは同じ。だけれど、今回は休暇後の穏やかさがとてつもなく大きい。

休暇中の時間を有効に使えたのだろうと思う。何十年か振りの人に会ったり、優先度は高くなかったけれど時間があったら是非にやってみたかったことを今回は実現できたのもあったし、一部は計画通りにならなかったものの、結構、事前にいろいろ考えて、計画をたてる段階からワクワクしていたような気もする。

こんな休暇の過ごし方を以前からできていれば、生産性がもっと上がっていたのかと思うと少し悔しいものの、今、そう思うような働き方をしてきたからこそ今回のような休暇を取る余裕が生まれたのかもしれず、こればかりは結果論で何とも言えない。

ああ、今回の休暇は良かった。この充電具合、穏やかな状況はどれくらいの期間、保てるだろうか。放電しきらないように、休暇ほどのものでなくても適度にチャージできれる生活を送ろう。

秋の乗り放題パス - JR、3日間7,850円

秋の乗り放題パス - JR、3日間7,850円

10月14日の「鉄道の日」に合わせて JR が乗り放題パスを販売していた。全国の JR 線の普通・快速列車の普通車自由席およびバス高速輸送システム並びにJR西日本宮島フェリーが乗り放題となる特別企画乗車券とのこと。利用期間は 2025年10月4日(土)から10月19日(日)ということで、ちょうど、この期間に日本にいることが分かった。たまたまネット検索していて、何気なくこのパスのことを知った、ちょうど。

大学生の頃には青春18きっぷのばら売りを利用させてもらったことがある。また、超ローカルではあるけれど、時期についての正確な記憶はないが、小学生か中学生のころに県民の日に県内の国鉄(当時)路線に限り乗り放題というチケットを使わせてもらったことがあった。それ以来の企画ものチケット利用。

十二分に有効にパスを使わせてもらいました。2泊3日(これもちょうどたまたまえ3日間の旅程を立てたあとにパスが連続する3日間有効であると知った)のうち、どうしても試してみたかったディスカウントされたグリーン席利用のこだまチケット東京→新大阪区間を除いて、関西方面への往復旅行の全てをこのチケットで旅行した。

いやー、ほんとうにこのパスは良かった。このパスがなければ、あんなにゆっくり電車旅行を楽しむことができなかったと思う。ちょうどよいタイミングにちょうどよいパスが発売されていることをたまたまネットで知って、とてもよかった。

CMを見ないと記事を読めない

CMを見ないと記事を読めない

YouTube 番組前に CM が流れることについては、そういうものだという理解ができている。それで成り立っているならば仕方ない。

最近、ネット・ニュースを見ていると、YouTube 同様に CM を見ないと読めない記事に度々でくわすようになった。YouTube ならば少し見た後に CM を Skip できる。CM が始まるのは私の意思でないとしても、自分の意思で CM から番組に戻ることができるからなのか、YouTube CM にあまり嫌悪感はない。それは、YouTube でしか見ることができない番組をみるために必要な儀式みないなものとの理解が私の中で進んだからかも。

一方で、ニュースの前の CM の場合は、CM を見るように言われた時点で閉じるボタンをクリックしてしまっている。それは、そのページでなければ見られない記事ではないので、同じ件のほかの媒体のニュースを探せばいいだけのこと。たまに、写真ニュースで同様のものがあり、この場合は他社記事では同じ写真を見ることができないのは想像がつくものの、そこまでしてみたい写真もない。ニュース前の CM は成功とは言えないのではないかなあと思っている。それとも、私が特殊で、大多数の人は CM を見ているのだろうか。これも、周りの人にアンケートをとってみたい質問の一つです。

在庫ぐせ

在庫ぐせ

デンタルフロスを使い切ったことを書いた。2025 年の目標である「使い切る」ことに関して、デンタルフロスというもので達成した。

「使い切る」ことを目標に挙げたのは、継続的になにかを実行することがその目的にあった。今回のデンタルフロスは、まさに歯の健康のために継続するのは大事。デンタルフロスを初めて買ってからもう十何年もたっているとおもうけれど、いつも続かなくて結局、歯科でクリーニングを定期的に施してもらっていた。今回は、ほぼ毎晩フロスで処理した。継続は力になっていてほしい。

「使い切る」ことの別の目的は、最初のものと似ているようだが「使うこと」がある。心配性な私は、家で使用するものなどの在庫を持っておかないと落ち着かない。しかし、在庫を買うと在庫を持つことで満足してしまうことがよくある。また、その満足が勿体ないという気持ちとも相まって(勿体ないというよりケチな根性かもしれない)、持っているのに使わないという無駄遣いにちかいことをしてしまうことが少なくない。

だから、「使い切る」ことを目標にした。生活が便利になるだろうと〇〇を買ったのに、もったいなくて使わなかったら生活が便利にならない。なんのために買ったんだ!これを止めたかった。理由があって買ったのだから、家にあるものはバンバン使い倒す。これだ。デンタルフロスを使い切って自信になった。なんかいい感じだ。

松田聖子メドレー

松田聖子メドレー

少し遠い場所へ車で往復する機会があった。

こういった場合、最近はトーク系の You Tube 番組を聞きながら運転することが増えた。以前はラジオや音楽の You Tube 番組を聞くことが多かったのだけど、最近のはやりはトーク系。興味ある分野のものも聞くし、私の性格がつっこみ好きだということもあって、興味のない分野のものもつっこみながら聞いたりもする。

今回の遠出では何聞こうと考えていた時、聞くだけでなくて歌でも歌いながら行こうかなという気分になって、じゃあ、誰の歌?となったときに松田聖子が天から降ってきた。

びっくりした。

私は、小学生の時にはテレビの歌番組を見ていた。歌番組にはアイドル歌手だったり演歌歌手だったりが出演していて、いわゆる歌謡曲が流れている番組。中学生になってからは洋楽を聞くようになったため、それからは歌謡曲番組を観ていない。
ところが、車を運転しながら聞いていた松田聖子メドレーの曲を殆ど歌える自分に驚いた。松田聖子がデビューしてから暫らくの間が私の歌謡曲時代と重なってはいたが、私は松田聖子ファンというわけでもなかったし、歌番組ばかり見ていたわけでもない。テレビが一家に一台時代に私は子ども時代を過ごしたので、父親オーダーの時代劇にチャンネルを合わせていた時間も結構長かった。しかし、松田聖子メドレーは、1,2曲を除いて歌えた。非常にびっくりした。

さすがは時代を彩った松田聖子さん(そんな歌手は彼女だけではないけれど、間違いなく代表する歌手の一人)。

ナイキが調子悪いというメディア記事

ナイキが調子悪いというメディア記事

ナイキが苦戦しているという記事を読んだ。私は、高校生活のほとんどを昭和で過ごした年代といえばおおよその年齢の察しがつくと思うが、加えて、田舎で育ったこともあって、私がナイキを初めて知ったのは確か中学生の時だったと思う。アディダスがデサントで売られていたころだった。ナイキに話を戻すと、最初に買ったのがTシャツと靴下のどっちだったのか覚えていないが、買った商品のタグに「勝利の女神ニケが名前の由来」という説明が書いてあったことは今でも覚えている。

高校生になって、野球部の友達がナイキのスパイクが格好いいんだよな、と言っていたのを覚えている。当時は、ナイキの野球用品はまだ私の住む田舎では売っていなかったらしい(都会では売っていたのか、都会でも手に入らなかったかは不明)。

どのメーカーの製品を使うかは個人の好みによるし、その好みが商品性能からくるのか見た目の理由なのか、それともまた別の理由があるからなのかも人それぞれ。私ならば、自分がプレーするのに使っていたブランドには思い入れが生じて、引退後も使い続ける動機付けになったりする。そうなると、ナイキの道具をプレーに使ったことのない私にとってのナイキは、ファッション・アイテムという位置づけであってスポーツ用品ではないので、どうしても買いたい商品というものがない限り、ナイキが選択肢に上がってくることはない感じ。私がスニーカーに興味があったりバスケット経験者だったりすると違うイメージを持っていたのかもしれないが、もしかしたら、その考え自体も勘違いからくるものかもしれない。バスケットの人もナイキには思い入れがある人もいれば、ない人もいるだろう。

私は投資家ではないので、ナイキが不調なことにたいして特に影響を受けたりしないし、特定の競技というよりもジェネラルなブランドだからそういう時もあるよね、という感想以上のものはない。

有線デバイス信仰

有線デバイス信仰

パソコンをネット環境に接続するために wifi を使うことを除けば、マウスの Bluetooth 接続以外は私には有線接続信仰がある。職場でネット会議につかうヘッドセット、私用で音楽を聴く時に使うノイズキャンセリング・イヤホン、車中でスマホから音楽等を聴く場合の車体とデバイスの接続、それとスマホの充電が、とりあえず思いつく。

ワイヤレスには時差があるとか、有線での電力供給がないので充電切れの心配がある、掛かってきた音声通信にとっさに対応できないことがあるかもしれないといった私の勝手なイメージ先行な部分だったり、食わず嫌いな背景が有線接続信仰につながっていた。

ところが、最近になって考えが変わった。これまでは、動画や音楽、ニュース配信を自宅で見聞きしているときに、例えばトイレに行くにもデバイスを持っていっていたのだが、無線ヘッドフォンがあればデバイスを持っていく必要がないと気付いた。このトイレの例をとると、スマホを手放せない依存症のような面が心配になることはそうなのだけれど、いちいちニュース番組を一時停止するのも面倒だし、トイレとニュース番組は両立できる行動なので時短にもつながるのでできれば聞いていたい(ニュース番組の動画を見ているときは、実際は聞いているだけで画面は観ていないことが多いので)。それと、もっと効果的だと気付いたのは、家で掃除している時など、掃除機を使っている間にヘッドフォンを使うこともためしたが、ポケットにデバイスを入れながら掃除をするとデバイスが意図しない作動をするし、画面を消すと音楽や動画も消えてしまうのだが、Bluetooth 接続にしてデバイスをテーブル等に置いておけば、掃除中もニュースを聞いていることができる。そういった利便性を感じることができる場面が一週間に何時間あるんだ、という疑問がないことはないが、中断する必要がないことには価値があると私は思う。最近の私は、中断するとそのまま忘れてしまうことがあるから。

と、いうことで、自宅用に Bluetooth ヘッドフォンを買ってみようと思う。音を出すことができる自宅でヘッドフォンを使う、というのが意味不明ではあるが、骨伝導タイプのいかにもヘッドフォン、イヤフォンをしていますといった見た目でない Bluetooth イヤフォンであれば、もしかしたら会社で仕事しながら音楽を聴いたりすることもできそうという不純な動機もある。職場の Teams や Zoom 用には掛かってきた通話に直ぐにトラブルなく対応できるようには、有線ヘッドセットを継続使用するつもりだけれど、これまでの先入観を変えるキャンペーンを絶賛実行中の私は、無線デバイスもまた、このキャンペーンの対象にしようと思う。

タイヤ交換 – Michelin はミチェリン

タイヤ交換 – Michelin はミチェリン

先週までのタイヤは 2023年初めから履いているもので、55千kmくらい走ったところ。前輪タイヤにスリップサインが見えそうになってきているのに加えて、多分、道路上の金属製の落とし物を拾ってしまったのだと思うけれど、後輪の片側だけ空気が抜けるようになったこともあって、タイヤ交換をした。

タイヤに特化したガラージは、スーパーに買い物にいく10分ほどの間だけでも10件近く目に入るくらい沢山あって自分で全部みて決めるのは難しそうなため、同じ会社の地元の人にお薦め店があるか聞いてみることにしてみた。

その人の知り合いがやっているという店を紹介されて、とりあえず見積りをとってくれることになった。私の車のタイヤ・サイズは少し特殊で、Michelin と Dunlop の 2ブランドしか見積りは出てこなかった(タイヤは命を守ってくれるものなので、激安メーカーは候補から外すことをあらかじめ伝えていた)。その見積は、店の人から同僚に届いた Whatsapp を私に転送してもらったのだけれど、判らないこともあったので直接その人のところにいって話を聞くことにした。

話をしていると、ミチェリンという単語を何度か聞いた。Whatsapp で文字として Michelin を先に見ていたので、ミチェリンが Michelin で指すことはすぐに理解した。私が今いる東南アジアの国の言葉のルールを適用させるとミチェリンになるものだと、深くは考えずに一旦受け取った。だけど、少し気になったのでネットで Michelin の発音を調べてみようと思った。

まずは、フランス語。やはり原語の確認から。私はあまり耳のセンスがよくない自覚があるので細かなニュアンスを表現できないけれど、ほぼほぼ「ミシュラン」。ああ、よかった。ミシュランが正解だと思い過ごしていたらどうしようと少し恐れる自分がいたので。次は、ロマンス語よしみでスペイン語。ミチェリンだ。「リン」にアクセントのあるミチェリン。ではイタリア語はどうだ。ミシュランだ。仏・西・伊は同じ源流だと思っていたが発音ルールは異なるようだ。ピレネーの壁は高い。次は、英語。米語はミシュラン、英語はミチェリン。ドーバーの向こうがミチェリンで、それより広い大西洋の向こう側がミシュランだ。

発音にルールはあるのか。奥が深い。

水のはね方

水のはね方

肉類を切った包丁やまな板の洗い方が原因になって、家庭内で食中毒になる例を紹介する記事がネットに定期的に上げられる。変なことになりたくないので、使用した調理器具の扱いは私も適度に気を付けているつもり。

私が最近に感じることの対象物は、スーパーでパック入り販売されている肉類のトレー。トレーから肉を取り出したあと、ゴミ箱に入れる前に水洗いするのだけど、シンク内にトレーを置いて蛇口の水を上から流してトレーに一旦水を溜める。その時、水流をどう調整しても100%の確率で水が跳ね返ってくる。シンク内への跳ね返りであればシンクを掃除すればよい話しだけど、着ているものにも跳ね返る。夜や休日はよいのだけれど、出かける前で微妙な跳ね返り量だと着替えるべきかどうか悩む。

悩みはよいとして、シンク底と同じ高さからの落下水なのに、シンクからの跳ね返りは数センチな一方で、トレーはシンクの深さを超えて高く水を跳ね返す。シンクは平面、肉トレーは凸凹している違いはあるが、はたしてこれだけが跳ね返す高さを変えるまで影響を及ぼしているのか不思議。水流の最初の段階では角度をつけて洗い流せばよいのだけれど、毎回、今日こそはと思って実験するけど毎回跳ねる。不思議だ。

前の車の、その前を走る車が見えない

前の車の、その前を走る車が見えない

車を運転していて感じるのは、以前は、何台か前の車の動きまで見えていたのに、最近は、自分の目の前の車しか見えないな、ということ。

私はできるだけブレーキを使わない運転を心がけているので、前の車だけではなくて、それより前の車の動きも見るようにしているのだけど、前の方を見通すことができない車が増えた。ある程度新しい車だと、ほぼほぼ全車、前を見通すことができない印象。一つにはリアガラスにフィルムが貼ってあって透過性がないこと、二つ目にはデザインなのかガラス重量を減らして燃費改善なのか判らないけれどリアウィンドウが小さくなってきていること(加えてリアウィンドウに角度がついていて前を覗くことができる面積が余計に狭い)。

その分、車間距離をとれということだろうけども、急ブレーキかける人やウィンカーを使わない人とかいるので、車間距離だけでは怖くてやはりもっと前を見たい。フィルムを張ることで車内スペースにプライベート感が出て乗り心地が改善したり、UVカットの効果があったり、また、エアコンの出力を抑えて燃費改善効果が期待できたりもするのだろうけれど、もう少し色を薄くしてもいいんじゃないかと思う。危ないのはよくない(車間距離をもっととればよいのだろうけど)。

音をたてて歩く人のことが苦手

音をたてて歩く人のことが苦手

オフィスで仕事をしていると、誰が歩いて来るかが靴音で判る人がいる。

今、私が勤務する事務所はカーペット床ではなくてタイル床の事務所(モップで拭き掃除のほうが掃除機より簡単なのかな、まあ、いいけど)。社員の足元を見ているわけではないのであくまでイメージではあるものの、スニーカー率が最高で、東南アジアで気温が高いということもあってかサンダル履きで仕事に来る人もそれなりの比率でいる。日本の男性の革靴のイメージの靴や女性のパンプスのような人はいない。

履物によって音は違うけれど、音を立てて歩く人が一定数いて、その中でどうしても気になる音をたてている人がいる。引きづり足でサンダルがクチャクチャ鳴っている人、普段は聞かないブーツみたいな靴の金具音がするので「あ、出張で〇〇が来てる」なとすぐわかる人、ごく少人数だけどどうしても気になる音をさせる人がいる。その人は、自分の音を判っているはずで、それでも音をさせる歩き方をしているということは、本人たちはそれを気に入っているのではないかと推測する。だから、余計に聞きなすことができない。

会社以外の場所で知らない誰かが、通りすがりのその時だけのわずかな時間、音をさせて通り過ぎる分には何ら気にならないのだけど、同じ人が同じ音をさせて会社を歩き回るのをきいていると、その音が好きでわざと音をさせているように思えて聞きたくなくなる(と、いう今日の感想)。

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

車は嗜好品。好みは人により千差万別、カッコ好いの定義も人それぞれ。

ゆえに、私の感想に留まる話ではあるけれど、カッコ好い車、自分で乗りたい車が以前に比べて減ってきた。あくまで私の基準による分類。

歩行者保護をはじめとした安全基準によるボディ形状、燃費と空気力学を考えた車体の形、製造コストなど、以前よりもデザイン上の制約が増えているだろうとは想像がつくので、仕方ない部分は理解する。理解はするけど、買いたいと思う車は減った。若いころと比べると、車に出せるお金は多少増えたというのに、買いたいと思う車は減った。

私の場合、車を選ぶうえで大事な点は「見た目」。価格によっては検討すらできないモデルもあるので、もちろん、車体価格は最重要。しかし、燃費はよっぽど悪くない限りは気にしない。装備については種類によって、気にするものとそうでないものが混在しているけれど、装備はよいけど外見が好きでない車よりは、外見がよければ装備は我慢できるところはある。

え、このデザイン?という見た目の車を街中で見ること不思議な気がするが、車が嗜好品であるがゆえに消費者の好みの問題だとは思うけれど、一定の台数を売ろうとする自動車会社のそのモデルの責任者がよく決裁したな、と疑問に思わざるを得ない車もある。自動車の歴史が始まって以来、デザインも出尽くして少しでも似たような見た目にしたら真似しただの言われかねないのも想像できる。だけど、私のように見た目重視の人もまだいるだろうから、もうちょっとデザインに気を配ってみてはどうかと思う。車以外にお金を遣う人が車を買ってくれないという前に、買いたいと思うような車を出してくれないことには売れないよ、と思うこともある。



5月3日の記念日
・憲法記念日:1947 年のこの日に日本国憲法が施行されたことを記念