文章を書くハードル

文章を書くハードル

いまさらだけれど、パソコンは便利だ。計算が違えばやり直しは簡単だしどこで間違えたかの見直しも見つけやすいし、文章にしても、一遍に消したりまとめて段落の順序を入れ替えたり、何にしても便利だ。また、必要に応じて、文章を残したファイルにパスワードをかけて内緒にすることもできる。

その便利さのおかげで、手書きの時と比べて文章を書こうとする時のハードルが相対的に下がった。何か文章を書いてみようという気になりやすい。

反面、とりあえず書いてから後で推敲すればよいという気持ちで書き始めることが増えた。よく考えずに取り掛かってしまうので、書きたいことを書き始められるまで時間がかかる時がある。ただし、これは業務のなかで文書を作成する時にはかなり便利で、とりあえず箇条書きも使いながら主旨をかいてから、それにあうように前文を書いたりすることができる。別にパソコンでしかできない書き方ではないが、パソコンの場合は消しゴムでこすりすぎて紙を破ってしまうこともないし、消しカスもでないのでやっぱりパソコンが便利。

ただ、やっぱり私は今でも書くのが好き、なぜならペンが好きだから。社会人になりたての頃は、メモをほとんどとらない不良若手社員だったのだけれど、何をきっかけか忘れたけれど 5年目くらいからはとにかく書くようになった。そうなってしばらくして経ってからのこと、海外で一緒に仕事をしていたドイツ人の人にボールペンをもらったのだが、その書き味がとにかくとても良くて、それまで以上に書くことが好きになった。仕事でノートをとることはもちろん、手書きのスケジュール帳を買ったのもそのころで、20年以上たった今でも、毎年、その時と同じ会社が出している手帳を買い続けている(書くことが好きなので手帳は変えてもよいのだろうけど、結局、毎年その手帳を買い続けている)。
(よくよく考えてみると、高校の時の数学の先生にノートの取り方を教えてもらって目から鱗だったとおもに、成績も上がった経験が記憶の奥深くの普段は無意識の領域に保存されているのかもしれない:あの先生がいなかったら別の人生かも – Journeyman : Blog)。

私の感覚に同意してもらえる人も、理解できない人もいると思うけれど、気に入ったペンで書くという行為はどうしてあんなに気分のよいものだろうか。パソコンで何かを書くハードルは下がったのだけれど、依然として、ペンで何か書きたいという欲求がある。徐々にペン自体の塗りが変化してきて味わい深い見た目のペンもあるし、ペン先と紙のこすれあう音も気分が上がるし、自分なりに今日はうまい字が書けたと思える日は気分が良い。

書くことがデフォルトだるデメリットとしては、書かないと思えづらい脳になってしまうことだろう。例えば、コロナで在宅勤務だったころは、自宅にプリンタがないので印刷した資料に手書きでメモや補足、あとで調べる疑問点などを書き入れることができなかったり記憶が進まないことがあった。無用な印刷をせずに省資源に貢献する世の流れに従おうための訓練として書かずに頑張ってきたが、デジタル教科書から紙の教科書にもとりつつあるいくつかの国の例かれもわかるように、書くことと学習には関連があると思う。

そんなことを考えていたら、最近、郵便の手書きの手紙を出してないな、と。人との連絡には電子メールが便利なのは間違いないけれど、たまには手紙を書いてみようと思った。


4月20日の記念日
・穀雨:田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨が降るころ。二十四節気の第六。2025年は今日。
・郵政記念日:飛脚制度に代わり郵便制度の実施を記念。もとは逓信記念日として1934年に制定。
・青年海外協力隊の日:1965年に発足。
・珈琲牛乳の日:1923年のこの日に初めて販売された。東海道線国府津駅で。守山乳業㈱。

・イースター

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