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Category: 丁寧

フット・マッサージ

フット・マッサージ

フット・マッサージに行ってきた。アジアのマッサージは人によるバラツキが大きいのは判っている。今回は担当してくれた人が大外れだったのか、あるいは体調がさほど悪くなくて期待値ほどの効果があるように感じることができなかったのか、1時間約2千円相当の代金に見合った満足感を得ることができなかった。

前にも利用したことがあるマッサージ店にいった。前回に利用したのは半年以上前だったと思う。その時はボディ・マッサージをお願いしたのだが、こちらもアジア・マッサージあるあるな力任せな人に担当があたってしまい、背中を押してもらったときに細い肋骨が折れたような痛みを感じて、それが数週間続いた。そんなこともあって、しばらくマッサージにはきていなかった。

ここしばらくの間、なんとなく体調の悪い状況が続いていた。はっきりどこが痛いとか調子悪いというのではなく、どんよりした体調の悪いがあって、もしかしたらフット・マッサージで打開のきっかけになるのを期待して行ってみたが駄目だった。

ちょっと前に You Tube でやっているストレッチを毎日実行していたのだけれど、どんより体調が悪くなってから暫らくストレッチができずにいた。これからは、体調があまりよくない時も軽いストレッチを続けてみようかな。

営業マンと聞いて思い浮かぶ私のイメージ

営業マンと聞いて思い浮かぶ私のイメージ

営業マンと乱暴にひとまとめに表現しても、業種によって所謂営業マンのイメージは異なってくるだろう。家庭や個人を対象にした訪問販売の営業マンや対企業の営業マン、扱っている商品によってもイメージは様々で、違う会社に勤めていると友人間であっても営業マンを同じイメージでは語れない。

私には、営業マンと聞くと思う浮かぶ人が一人いる。その人とは、20 年以上前に仕事をしていた。一緒に仕事をさせて頂いた期間は1年少々の間だけで、業務上でその人とかぶる場面は、客先との面談で出張するときだった。

私にとってのその「営業マン」先輩は、面談時に客先からの質問に答える際には口頭で説明するのではなくて、試験結果や図面を必ず示し、客観性のあるデータに説明させるやり方だった。書面にしたデータを常時ファイルに入れて持ち歩き、質問があれば適切なデータをファイルから取り出して説明するスタイルだった。

当時、私は技術営業をしていた。その先輩と客先訪問をするようになったときは、まだ、その業務に就いてから時間があまりたっておらず、見習いのような感じでその先輩についていっていた。だから、製品データなどもまだ頭によく入っていなかった。業種的に客観データが重要視される業界だから資料が必要であるのをよいことに、カンニングペーパー的に資料に語らせる手口は自分の無知を隠すのにも都合がよいという不純な理由もあって私は資料の鬼になった。ただ、それは資料を重要視する二次的な理由であって、やはり業界での仕事の仕方や先輩のやり方が非常に参考になった。その先輩から独り立ちして欧州で技術営業をするようになってからは、基本的に客先へは車で訪問していたので、持って行けるファイルの物理的な量は増え、客先からは動くオフィスというあだ名をつけてもらっていたりもした。日本人が欧州 OEM や Tier 1 に入り込むにはそんなあだ名も多少役に立ったと思う。紙のデータを一瞬にして出して示すのは、タブレットやPCでデータを探してから小さな画面で見せるのとは違う迫力と説得力があったはずだ。

その業界や仕事のやり方が私にはあっていたのだと思う。その後、別の仕事をするようになると、口八丁の営業マン・スタイルが必要な時があったり、あまり品質やデータを重要視せずに価格の話ばかりになるお客さんの業界だったりして、私が先輩によって呼び起こされた特性が仕事に活かせず悶々と過ごす時代も短くなかった。

次回に休暇で日本へ一時帰国する際、この先輩に会いたいと思っている。その先輩に対して、私が仕事の師と思っていたことを伝えたことはないので、先輩を驚かすことになるかもしれないが、お礼を言いたいと思っている。お互いにそれなりの年齢になり、言えるうちにお礼を言いたい。

青い車に気をつけろ

青い車に気をつけろ

非常に乱暴に言うと、「青い車をみたら気をつけろ」は運転中の私の座右の銘の一つだ。

流れに乗れていない車や突然に私の走行車線の前に出てくる車が少なくない。率でいえば、私が路上で見かける青い車の中では、そのような動きをする車両がとても多い。その動きをするのは青だけではないが、青の車がその動きをする確率は高い。

色でいえば、青のこの現象以外には顕著なものは他に今のところ見当たらない。
一方、車種でいえば、ピックアップの人は運転が上手でない確率が高いような気がする。これも、下手な人が皆、ピックアップを運転しているわけではないが、ピックアップの人は下手な確率が高いというのが私の観察結果。実際は、下手というとちょっと実際は違うかもしれず、ただしくは運転という行動をするときに、運転にあまり注意を払うことができない人の確率が高いというか。例えば、片側2車線の車線をまたいで走行しているとか(これも、またいでいるのは皆ピックアップということではなくてほかの車種もあるが、ピックアップがまたいでいる確率が高いという主旨。車幅感覚ないのかな?)。

ドイツのアウトバーンでは、オランダ・ナンバーと帽子をかぶった老紳士が運転しているのが後続から見えたら気をつけろ、ということを言うのを聞いた。どちらも後続車両との距離感や速度差を気にせずに車線変更をして追い越し車線に出てくる人、という趣旨だった。印象的にはその通りだったような記憶はあるものの、実際に危険運転をする確率が高かったかどうかは覚えていない。しかし、運転中に両者を発見したときは、いつも以上に慎重になっていた。これは主観としての事実。

日本では、赤い車は警察に目を付けられやすい、という説を唱える人がいたような気がする(黄色だったかな?)。実際に統計をとったら実際には相関はないかもしれないし、運転が下手という定義の設定の仕方によっても結果が左右されるので単純な話ではないが、ある人がどういう選択をするとか好みがあるとかをもっと極めていったら結構面白い研究になるかもしれない。レッテル貼りや先入観につかってはいけないけれど、研究としては面白いのではないか。

バケット・リスト : 死ぬまでにやりたいことリスト

バケット・リスト : 死ぬまでにやりたいことリスト

ネット記事を見ていたら死ぬまでにやりたいことリストについて述べているページがあった。そのリストのことをバケット・リストと呼ぶということを初めて知った(使ってみよう)。いつもの調子で、バケット・リストの語源を知りたくなった。死ぬまでにやりたいことリストをトピックにしているページは、個人のブログのようなものにしても、完全には個人っぽくないものにも共通して、「死ぬの意味の kick the bucket から来ている」という説明ばかりで、語源を説明するサイトにたどり着くことができない。しばらくして、やっと、bucket が首つり時の踏み台のことで(物騒!)、踏み台を自分で蹴っ飛ばすと死んでしまうことだという説明にたどりついた(初めて知った言葉を使ってみようと思ったが、そうすることに躊躇が生まれた)。また、牛や豚の家畜を食用とする際の血抜きをするために脚を上にして逆さにつるす見た目が、梁(bucket)を蹴っているように見えるのが由来、という説明もあった。

人それぞれに言葉の定義があるのは理解するが、私が語源だと思って知りたいのはこの手の説明であって、kick the bucket が死ぬという意味から bucket list という言葉が生まれた、というのは私の定義では理由とは言えず、人によって知りたいことが違うのだということを痛感させられることが多い。

そう、私は面倒くさい人なのだ。(言葉の定義にうるさい親だと子どもの成績がよい、という説を唱えるYouTuberがいるようだ。うんうん。が、しかし、言葉の定義がうるさいのは内なる私だけであって、それを対外的に質問したり誰かとの会話で言及することはしない人でもある)

当たり前に略語を使われても

当たり前に略語を使われても

日本にいる時からテレビはあまり観なかった。というか、テレビを観なかった期間はもっと遡って、子どもの頃からそうだった。テレビ受信機が一家に一台が普通の時代に育ったので、末っ子の私にはチャンネル権はなかったし、中学を卒業するまでは夜9時には寝ていたので、皆が寝静まってからテレビを観るようこともしなかった。といっても、全く見なかったわけではなくて、夕方に学校から帰宅してから皆が家に帰ってくるまでの短い時間だけは、テレビを観る日もあった。当時、夕方はドラマの再放送が多かったので、人生のテレビ総視聴時間の割には、古い日本テレビのドラマには結構、詳しいかもしれない(TBSでは時代劇の再放送が夕方のお決まりだった)。

そんな感じでもともとテレビを観る時間は多い方ではないが、現在は海外なので日本のテレビを観ることができない。となると、動画を見る場合は YouTube の割合が高いのだけれど、私の好きなジャンルは、スポーツ、ニュース、政治系のチャンネルなど。たまには自己啓発っぽいものを見ることもあるのだけれど、意識高い系のチャンネルになればなるほど知らない略語が登場する。その略語を知っている人のみが当該チャンネルを見に来る資格があるということなのかもしれないが、初めて見に来てくれた人をリピーターにしたいという気持ちがあれば、字幕で何の略かくらいは示して欲しい。あまり一般的でない言葉でも定義や説明なく登場することがとても不満で、その用語を知らない私がおかしいのか、番組の取り上げ方がおかしいのか、そのどちなのかの判断基準すら持ち合わせていないことに少し私は焦りを感じている。

私の読解力を心配している

私の読解力を心配している

最近の話ではなく、もう、ここ数年のことになるのだけれど、自分で読解力が落ちたことを思う機会が多い。

最近の例を挙げると、夏の高校野球甲子園大会の記事で、二つの意味にとれそうな文で、どちらの意味なのか分からない表現があった。

出典①:デイリー 「夏の甲子園 小松大谷は2年連続初戦突破ならず」
出典②:スポニチ 「 【甲子園】 小松大谷は2年連続の初戦突破ならず」

最初にネット記事で①が目に入った。2年続けて初戦を突破できなかった(2年とも初戦で敗戦)のか、昨年は突破したが今年は突破できず、2年続けての突破ができなかったのか、タイトルだけではどちらの意味か判らなかった。内容を読めばわかったのだと思うけれど、そうするまえに②のタイトルが目に入ったので、去年はいけたけど今年は負けてしまったことと理解した。

もしも2年連続で初戦を突破できなかったのであれば、「2年連続初戦敗退」というような表記になるか、あるいはわざわざ2年連続ということを強調するタイトルにしないであろうことは、冷静に考えれば想像できそうなものではあるのだけれど、私がその時に思ったのは、私のように読むのは文法上ありえないのか、あるいは、私の誤解は起こりえることで書き手側に丁寧さが欠けていたのか、一体どっちなのかということだった。私のように理解するのがありえないのであれば、私が日本語を正しく使ってこなかったと反省して済ませることができるが、他方のケースであれば、なんでそんな書き方をするのだろうという単純な疑問である。タイトルは文字数も限られていて簡単ではないことは素人でも想像できるが、スポニチは読者に判るようにタイトルをつけているのだから、むしろこれは、本文を読ませるためにわざと変なタイトルをつけているのではないかとの疑いすら生じる(本当は、そんな疑いは持っていない。書こうとすることが判っている書き手が、読者も判っているだろうというバイアスを抱いてつけた不注意タイトルだと推測)。書き手の実力不足なのか、はたまた、別の理由なのか。周りに日本人がいないので、私と同じように意味に悩んだ人がいるかどうかのアンケートを取ることができないのが残念だ。

そうそう、って思った YouTube 動画

そうそう、って思った YouTube 動画

お薦めに出てきた時には毎回のように観てしまう YouTube 動画に、『 謎解き統計学|サトマイ 』がある。結構好きな番組だ。サトマイさんの思考に毎回同意するというわけではないけれど、そんな回であっても気付きは得られるしトークのペースも心地よい。

最近にお薦めでできたものに、『 【話し方】ちょっと何言ってるか分からな過ぎて傾聴どころじゃない 』というのがあった。2年前の動画のようだ。『 「ちょっと何言っているかわからない」話し方になってしまう謎を解説 』ということで、3つの例を挙げている。

最初に取り上げた例が、『 いきなり!固有名詞 』。最初の例で既にそうそうって思った。職場にそういうことが多い人がいる。その人とは、いつもなんとなく喋ることに安心感を持てないでいる。ちなみに、この動画で例に挙げられていた芋煮会については、私は聞いた方、つまりキョトンとした方の人間としての経験がある。

この動画の固有名詞の例で思い出したことがあった。それは、動画の例とはちょっと違うタイプの話なのだけど、固有名詞を知っている単語と誤認したまま話を聞いていた話。いつだったか、日本への旅行期間中に刀博物館に行たいという上司と話をしていた時に、「クリスチャンは刀が大好きなんだ」という話をされた。そんな漠然にキリスト教徒が刀好きだなんて、ざっくりし過ぎで乱暴なラベリングだなあと思っていたら、話の展開からその人の息子の名前がクリスチャンであることが分かった。なあんだ、そういうことか。私の感覚としては、相手が知らないかもしれないのに固有名詞を言及するケースは海外の人に多いように思う(海外なんて言い方も非常に乱暴なラベリングだが)。聞いているほうは、きっと固有名詞なんだろうなと判るので別にいいのだが、会話に置いてけぼりを喰わらせられている意識にはなる。

以前に、「社長は判りやすい話し方をする」(2025年3月18日)という記事で書いたことがあるのだが、私は判りやすい話し方をしないと判って貰いずらいことを認識しながら話さないとだめなくらいの話者レベルなので、判ってもらえるように話したい。このブログも、考えを整理して書き出す練習のために始めたもの。

数字は合計をしてください

数字は合計をしてください

私が入社したウン十年前と比較して、今では、事務所を主な仕事場としている人の殆どは、ほぼ例外なく数字に向き合う時間がとても長くなっていると思う。パソコンが会社で一人一台になって30年近くが経つ(私の場合)。パソコンの性能はよくなり、個人のテクニックや技も増えたので、数字に費やす時間の増分以上に、見ている数字の量はもっと増えていると思う。

私の業務は、どちらかといえば数字に向き合うのがメインと言ってよい。自分で数字を扱う場合もあれば、誰かがまとめた数字を読み解く場合もある。今、私が勤務する会社で結構な頻度で気になるのが、桁数の多い数字を扱っている時の小数点や、右揃えでない数字など。人それぞれなのは承知しているし、その数字の意味するものにもよるけれど、100を超える数字には小数点以下は不要じゃないかというのが私の感覚。また、エクセルの数字を中央揃えで資料を作る人が私の周りに結構いるが、全てのデータの桁数が一致していればまだよいものの、そうでなければ、数字の大小(桁数)を一目見てぱっとイメージするのがとても難しいので右揃えにして欲しい。

以上は趣味の問題かもしれないので他人には強要はしないが、合計していない数字を出してくるのはやめて欲しい。例えば4月の売上が 15,5月は 10,6月は 20 というのがあったとしたら、誰もが4-6月で 45 と計算するのではないかと思うが、合計を書かない人がいる。このケースで、例えば計算機で合計するのに10秒かかるだけの項数があるとしたら、合計を書かないことによって、その資料を6人に展開するなら合計60秒の時間を奪うことになる。誰も合計しないだろうと発信者が思っているのか、足し算は必要な人が勝手にやってくれと思っているのか知らないが(きっと全員が必要)、もっと丁寧に数字を扱って欲しい。

私が新卒で入社した会社の配属先部署では、一番若い社員が部の月例会議の資料の定量情報をまとめることになっていて、「数字は合計しろ」と上司や先輩に教えてもらったことを覚えているし、提出する相手に足し算をするための無駄な時間を使って欲しくないと思っていた。今、こんなことを言うと、おおらかな国の会社だったりすると、細かいことを気にしてマイクロ・マネジメントだとか言われたりする。

それでもやっぱり、作成者が足し算しておけば、(さっきの例でいれば)6人が同じ足し算をする必要はなくなるので、そちらの方が断然よいと思うのだが。まあ、このような計算の例で引き合いに出すには少々大げさではあるが、合計しない人は、私が大学時代に商業英語を学んだときに習った you attitude が少し欠けていそうな気がする。相手を慮りすぎる悲しき日本人かもしれないが。

初めて知った顔の洗い方

初めて知った顔の洗い方

「どうしたら正解なんだろう」と感じることはたくさんあるのだけど、その一つが顔を洗うと鼻がでることだった。風呂で顔を洗うときは手鼻でかんで流せばよいので問題はないのだが、朝、顔を洗うと必ず鼻をかむ必要があることだった。だから、外出先では、ティッシュを持っている時かペーパータオルがトイレに備え付けてある時くらいしか顔を洗うことができなかった。

ついさいきん、ひょんなことから鼻に水が入らない顔の洗い方が分かった。いつもは、手にすくった水を、顎からおでこに向かってかけていた。顔の下側から上側に向かって水をかけるイメージ。鼻の穴は顎(下)のほうを向いているので、鼻に水道水がはいるのは必然だった(あまりに言うまでもないことなので、すごい発見のように書いていることが、今はとても恥ずかしい)。そうではなくて、まず、おでこに水をつけて、そこから頬から顎に向かって手をもってくれば鼻の穴に水が入ることがない。なんでこんなことが判らなかったのだろう。

貼り付けリンクのないメールが金融機関から届いた

貼り付けリンクのないメールが金融機関から届いた

金融機関から注意喚起メールが届いた。メールで送られてきたリンクからオンラインサービスにログインしないように、との内容だった。これを私は待っていた。これだけフィッシングなどの被害が発生したり報道されたりしているのに、リンクをクリックさせるメールを送ってくる企業のことが理解できなかった(関連する過去記事:オンライン・アンケートへのリンクにためらう – Journeyman : Blog)。

その手のメールが来た場合、どうしてもそのページで処理しないといけない時には(例えば、登録情報の定期的な棚卸のような確認作業とか)、お気に入り登録の URL からログインしたのちに、その目的のページにいって作業することにしている。ただ、いつもこれでできるとは限らず、ページの奥深くにあってたどり着くのが難しかったり、メールに貼ってあるリンクのアドレスからではサブ・ページの名前や場所を推測すらできない構造になっていたりすることも少なくない。何か手続きのような処理をしてほしい場合は、「メールで依頼している〇〇の手続きはこちらから」のように、一目見ればそこが入口と判るよう、サイト運営者には、せめてその時だけでもサイト・トップに目立つように書いてもらいたいと、常々、考えていた。リンクのあるメールを見るたびに、騙されたらそれはあなた自身のせいよ、という送り手企業側のスタンスなのだろうと理解している。そうでなければ、これほど悪名高くなっているのに、リンクを貼ったメールなんて送れないだろう。

初めて見に行くサイトの場合は、運営が書いている URL を信じる・信じないや、サーチエンジンの信頼性をどうかとらえるかとか、私たちの方も疑うことのセンスを問われることはあるが、すでに登録してもらっている顧客にそんなリスクを取らせる運営は、もっとお客さんのことを考えてほしい。

水のはね方

水のはね方

肉類を切った包丁やまな板の洗い方が原因になって、家庭内で食中毒になる例を紹介する記事がネットに定期的に上げられる。変なことになりたくないので、使用した調理器具の扱いは私も適度に気を付けているつもり。

私が最近に感じることの対象物は、スーパーでパック入り販売されている肉類のトレー。トレーから肉を取り出したあと、ゴミ箱に入れる前に水洗いするのだけど、シンク内にトレーを置いて蛇口の水を上から流してトレーに一旦水を溜める。その時、水流をどう調整しても100%の確率で水が跳ね返ってくる。シンク内への跳ね返りであればシンクを掃除すればよい話しだけど、着ているものにも跳ね返る。夜や休日はよいのだけれど、出かける前で微妙な跳ね返り量だと着替えるべきかどうか悩む。

悩みはよいとして、シンク底と同じ高さからの落下水なのに、シンクからの跳ね返りは数センチな一方で、トレーはシンクの深さを超えて高く水を跳ね返す。シンクは平面、肉トレーは凸凹している違いはあるが、はたしてこれだけが跳ね返す高さを変えるまで影響を及ぼしているのか不思議。水流の最初の段階では角度をつけて洗い流せばよいのだけれど、毎回、今日こそはと思って実験するけど毎回跳ねる。不思議だ。

「暑さのピークは20日」は表現のサボり

「暑さのピークは20日」は表現のサボり

暑さのピークは 20日、と数日前のネットニュースにあった。

6月半ばを過ぎたところだけれど、既に日本は暑いというのはネットニュースから知っていた。記事の言わんとすることは、「ここしばらくの間の足元の」ピークが 20日ということなのは判るけれど、暑さのピークと聞いたら、これから 7月・8月だというのにもうピークだったら今年は冷夏か、と誤解してしまう(しないけど)。動画と違って決まった文字数でニュースを配信する都合上、誤解が生じない範囲で言葉を省略するのかもしれないけれど、せめて「この一週間のピーク」とか「再来週に天気が崩れるまで」とか付け足すのが丁寧ではないかと思ってしまった。記事を書いた人の頭の中では、一定期間の間のピークという文章になっているのが、実際にネット上に載る時に省略されてしまったのだろうと思う。ただ、掲載する前に確認したら違和感を持ちそうなものではないかと思ってしまった。あるいは、私はつまんないことに突っ込むマイクロマネジメントな人なのだろうか。別に新聞社に文句をいうわけではなく、思ったことをひとりつぶやくくらいいいだろうか。なにせ、今年の目標の一つは、いろいろなことに感想を持つ、ということだから。

(そういえば、記事の途中で「冷夏」と書いたが、冷夏と報道で見聞きすることもない暑い夏が常態化してしまって冷夏は死語になってしまったのかもしれない)

ネット検索結果にもバッヂを

ネット検索結果にもバッヂを

辞書を使わなくなった。厳密にいえば、製本された辞書を使う頻度が下がってからは十年以上経つと思うけれど、ここ数年は、PC にいれている辞書アプリも使わなくなった。どうしているかといえば、多くの人もそうだと想像するけれどネット検索をしている。

辞書アプリの不使用は、勤務先の IT セキュリティも一因。転職前は、セキュリティが厳しくなる前の時代から使っていた辞書アプリがあった。それを使い始めてから PC は何度かの代替わりを経たが、IT の部署がユーザーのデータやファイルをすべて移植してくれていたおかげでずっと使えていた(標準外アプリも新 PC に移してくださいという依頼を行う必要があったが、それが否認されることはなかった)。今の会社への転職は少し前のことなので、すでに世の中の多くの会社は IT セキュリティにセンシティブになってからなので、転職時に貸与された会社 PC はセキュリティ設定がガチガチで、標準外アプリをユーザーで入れるのは不可能だし申請が認められることも難しく、以前につかっていた辞書アプリは私用 PC でしか使える環境にない(私用タブレットを毎日持って出勤しているが、業務中に取り出してまで調べようとは思わない)。

ネットを辞書替わりに利用するメリットは結果を得るのが早いこと。今やっている作業に必要な言葉を調べているわけなので、ネット検索は作業が中断する時間を短縮できる。手は PC キーボードにおいたままだし、視線をディスプレイから外す必要もない。一方で、ネット検索のデメリットは、新しい語彙が頭に残りずらいなどの副作用が生じやすいのが私の場合だが、これは私だけではないだとうろと思うので、また別の機会に考えてみるとして、最近にイライラが増してきたのは、ネット検索にヒットする上位結果が必ずしも正解とはいえないケースが増えてきたように感じることだ(ヒットする結果が増えたことで、正解でないものを拾ってしまうケースが増えたということだろうか、それとも私の感覚が間違っているのだろうか)。

和訳をネットに尋ねた場合、生まれてから日本語を母国語としてきたので、結果に違和感があっても主旨は何となく理解できることから、自分なりの言葉に置き換えることなどができるので問題は多くない。英訳の場合はちょっと違う。検索結果が間違っているような気がする場合が結構あって、結局、その英単語を調べなければならなくなることが多い。特定分野の用語の場合は仕方ないこととあきらめているが、一般名詞や語句の場合でも調べ直す機会が多くて困っている(自分の語彙の少なさが問題なのと、細かいことを気にしすぎなことが理由であることが判っているが、言葉を定義通りに使わないと間違って相手に言葉が伝わる可能性があると信じている面倒くさいのが私なのです)。いっそのこと、「これは各単語の意味を連結しただけの直訳です」とか、「これはネット上でみつけた用語集から引用したものなので架空のものではありません」とかを検索結果に並べて宣言してほしいと思っている。それくらい、人工知能でできるだろう。

調べ直し自体は製本された辞書を利用していた当時もあったし、調べた目的の意味以外の意味や調べた単語の近くにある別の単語に興味が湧いて、辞書を開いた目的とは関係のないことに時間を費やしてしまうことはよくあった(そのおかげで知識を広げることができたこともあった)。だが、ネット検索は、重要性の低い調べごとをするときに手抜きするためのものだと私は思ってきたので、それを使った結果、余計な時間や手間がかかるのは心情的に許せない部分がある。

そうか、許す心を持てはよいのか(この記事のテーマと違う結論だ)。

自分の好みのコーヒーの味

自分の好みのコーヒーの味

ここ数年の間に好んで飲んできたコーヒーがあるのだけど、もう1年くらい、住んでいる町の店では豆の入荷が滞っている。それでも、2~3か月に一度の頻度で買い出しにゆく都会の店舗では見つけることができていた時もあったのだけど、直近の二度の買い出しでは都会でも買うことができなかった。

コーヒーは嗜好品なので、好みに合うかどうかは非常に重要。飲めればよいという話にはならない。今後も入荷が滞ることを前提に、どうしたらよいか考えてみたところ、簡単な話だけれど似た味の豆を探して買えばよいだろうということに落ち着いた。

そうなると、私の好みを言語化する必要がある。今まで買っていた豆のパッケージには産地とか焙煎の深さとかの記載はあるので、それが他の豆を買う客観的な尺度になるのだろうとは思うけれど、客観的に表すことができない好みを知りたくなって、いままでに代替で買った豆とその味の印象、好き嫌いからいろいろと探るきっかけになって、とても有意義な調査(?)となった。言語化する努力はためになるし、他人に伝えるためにも言語化できた方がよい。

なぜだか、とにかく眠い

なぜだか、とにかく眠い

年齢を重ねると睡眠時間が短くなる話をよく聞くが、そんなことはない、私の場合はとにかく眠いし、ここ 1-2 か月は本当に眠ってしまっている。

日本で働いていたかなりの長い期間では、いつでも眠かった。しかし、それは慢性的な睡眠不足が原因だったと思う。長時間勤務や時差のある国との仕事、また会社から距離のある場所に居住していた長時間通勤のため、朝の出勤は早く、夜の帰宅も遅かった。一番ひどい記憶としては、1対1で打ち合わせしていた際に、自分が案件を口頭で説明しながら意識が飛んだことがある(ほんの一瞬ながら眠りに落ちた)。

自分の適切な睡眠時間を知らないため、睡眠時間が不足しているのか適当なのか判らない。昼間に眠くなることがあれば睡眠不足なのだろうが、その観点でいえば、最近は昼間に睡魔に襲われることはほぼなくなった(それでも、横になったら一瞬で眠りに入れる自信がある)。しかし、帰宅とともに眠くなる。最近は、帰宅後にひと休みと思っていったんソファに身を預けると、もう起き上がることができなくなることが度々起こる。気が付くと夜中の 2 時とかで、それからあらためてベッドで眠ることになる(二度寝して得した気分になる)。ソファで寝落ちしても体は休まっていないだろうということは想像がつくが、それでも結構な時間を睡眠に費やしている。それでも夜は眠い。

眠くなる病気とかってあるのだろうか。まだまだ色々な学びに時間を使いたいし、眠くなるのは困る。

リビングトラストについて調べてみた件

リビングトラストについて調べてみた件

今月初めに、「銀行口座が凍結されぬようWillを準備 – Journeyman : Blog」ということを書いた。

この記事ののち、実際に遺言の作成・管理などを請け負うサービス会社に相談に行ったのだが、事前情報が全く誤解だったことが分かって、相談に行って本当によかったと思っている。

細かいことは別として、① 遺言作成、② 遺言を作成して管理もお願いする、③ 生前信託といって財産を信託にあらかじめ移しておくことで裁判所が関与する手続きを回避する、以上 3 つの方法で見積もりを取ってみた。万が一がおきてから必要となる費用は、資産額対するパーセンテージで計算されるため、単純化できないが、仮にもしもの時の銀行口座残高が 10 百万円だったとした場合の費用は、おおよそ以下が目安のよう。

私が銀行口座を持っている国では、遺言書を残したとしても相続には裁判所が関与するシステムになっている。この手続きを回避するのが生前信託となるのだが、これを行った場合の銀行口座は、死亡や植物状態、認知症などのトリガーが発動されるまでは、信託しない場合と同様に何ら制限なく使用できると遺言書サービス会社から口頭で説明を受けているが、信託契約書を見るまでは実態は未詳。


日本と法律・制度も違う国で手続きをしなければならないことを考えれば、必ずしも高いとはいえないというのが私の感覚。最悪、いままでの働きを給与として対価で得た資産が理由も判らず口座を保有する国の政府に召し上げらてしまうリスクや、外国人が行わなければならない手続きの煩雑さを考えると、もうちょっと中身について検討するとしても、契約を進めるつもり。



4 月30日の記念日
・年始から 120 日目
・南部解放記念日(ベトナム):1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結
Day of Liberating the South for National Reunification
・図書館記念日:1950 年に図書館法が発布されたことにちなむ。制定は 1971 年。

日本のコンビニの海外展開

日本のコンビニの海外展開


2025 年 4 月 16 日の日経新聞に、「ローソン、6年で海外店舗2倍 アジア軸に1.4万店規模」という記事があり、2031 年 2 月期をめどに海外店舗数を倍増させるとのこと。現在は海外 5 か国に約 7,400 店舗あり、これを 14,000 店規模に増やすとのこと。この記事を読んだあとに各社のウェブサイトを見てみると、セブンイレブンが海外に 84,541 店(2023 年 12 月末、20 の国と地域)、ファミリーマートが 8,410 店(2025 年 3 月 31 日)とのこと。

私の暮らす街にも日本のコンビニが 2024 年に開店した。

海外での私の生活スタイルからすると、日本のコンビニはあればうれしいけれど、なくてはならないほどのものではない、というニュアンス。とはいっても、寝過ごして朝食を食べずに出社することになった日に、ささっと会社で食べるものを出社途中で買おうとすると、選択肢の最初に来るのが日本風コンビニだ。そのような理由で日本風コンビニを利用する機会が月に 2 回程度ある。その時には、日本風のパリパリ海苔のおにぎりがよい。そのほかの商品でいえば、ポカリスエットなどの日本の飲料を具合が悪くなった時に欲しくなることがある。

東南アジアには〇〇風なものや〇〇に似たものがたくさんある。見た目は同じようなものが低価格でてない入ったりするけれど、つかっているうちに〇〇風であって〇〇ではないことに気付かされることが多くの機会である。私の住む町の日系コンビニも同様で、日本風なのだけど日本のとは違う。名称は忘れたが、キャッシャーにはエキスプレス客が並ぶ場所があるのだが、だいたいはそこは使われていないか、そこに店員がいてもチキンやおでんのような時間を要する人が並んでいる。東南アジアにいれば時間がかかることは当たり前のスタンスではいるのだけれど、せっかくレーンとサイネージがあるのだからと毎回残念に感じてしまう。

店員さんはエキスプレス・レーンの意味を考えたことがあるのか、また、日本でいう本部のような人が店舗を訪れて指導しているのか、あるいは本部の人もある意味現地に合わせてゆるくていいと思っているのか、聞きたくて仕方ない。たまにしか利用しないので、まあどうでもよいといえばよいのだが、私は知りたくて仕方ない人間なので、インタビューしたくてうずうずしている。



4月27日の記念日・出来事
・婦人警官の日:戦後初めて採用された婦人警官が初勤務。1946 年、62 名の警官。
・哲学の日:ソクラテスが毒杯で刑死、紀元前 399 年。妻が悪妻と言われ、「悪妻の日」でもある。
・1810 年にベートーヴェンが「エリーゼのために」を作曲。

文章を書くハードル

文章を書くハードル

いまさらだけれど、パソコンは便利だ。計算が違えばやり直しは簡単だしどこで間違えたかの見直しも見つけやすいし、文章にしても、一遍に消したりまとめて段落の順序を入れ替えたり、何にしても便利だ。また、必要に応じて、文章を残したファイルにパスワードをかけて内緒にすることもできる。

その便利さのおかげで、手書きの時と比べて文章を書こうとする時のハードルが相対的に下がった。何か文章を書いてみようという気になりやすい。

反面、とりあえず書いてから後で推敲すればよいという気持ちで書き始めることが増えた。よく考えずに取り掛かってしまうので、書きたいことを書き始められるまで時間がかかる時がある。ただし、これは業務のなかで文書を作成する時にはかなり便利で、とりあえず箇条書きも使いながら主旨をかいてから、それにあうように前文を書いたりすることができる。別にパソコンでしかできない書き方ではないが、パソコンの場合は消しゴムでこすりすぎて紙を破ってしまうこともないし、消しカスもでないのでやっぱりパソコンが便利。

ただ、やっぱり私は今でも書くのが好き、なぜならペンが好きだから。社会人になりたての頃は、メモをほとんどとらない不良若手社員だったのだけれど、何をきっかけか忘れたけれど 5年目くらいからはとにかく書くようになった。そうなってしばらくして経ってからのこと、海外で一緒に仕事をしていたドイツ人の人にボールペンをもらったのだが、その書き味がとにかくとても良くて、それまで以上に書くことが好きになった。仕事でノートをとることはもちろん、手書きのスケジュール帳を買ったのもそのころで、20年以上たった今でも、毎年、その時と同じ会社が出している手帳を買い続けている(書くことが好きなので手帳は変えてもよいのだろうけど、結局、毎年その手帳を買い続けている)。
(よくよく考えてみると、高校の時の数学の先生にノートの取り方を教えてもらって目から鱗だったとおもに、成績も上がった経験が記憶の奥深くの普段は無意識の領域に保存されているのかもしれない:あの先生がいなかったら別の人生かも – Journeyman : Blog)。

私の感覚に同意してもらえる人も、理解できない人もいると思うけれど、気に入ったペンで書くという行為はどうしてあんなに気分のよいものだろうか。パソコンで何かを書くハードルは下がったのだけれど、依然として、ペンで何か書きたいという欲求がある。徐々にペン自体の塗りが変化してきて味わい深い見た目のペンもあるし、ペン先と紙のこすれあう音も気分が上がるし、自分なりに今日はうまい字が書けたと思える日は気分が良い。

書くことがデフォルトだるデメリットとしては、書かないと思えづらい脳になってしまうことだろう。例えば、コロナで在宅勤務だったころは、自宅にプリンタがないので印刷した資料に手書きでメモや補足、あとで調べる疑問点などを書き入れることができなかったり記憶が進まないことがあった。無用な印刷をせずに省資源に貢献する世の流れに従おうための訓練として書かずに頑張ってきたが、デジタル教科書から紙の教科書にもとりつつあるいくつかの国の例かれもわかるように、書くことと学習には関連があると思う。

そんなことを考えていたら、最近、郵便の手書きの手紙を出してないな、と。人との連絡には電子メールが便利なのは間違いないけれど、たまには手紙を書いてみようと思った。


4月20日の記念日
・穀雨:田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨が降るころ。二十四節気の第六。2025年は今日。
・郵政記念日:飛脚制度に代わり郵便制度の実施を記念。もとは逓信記念日として1934年に制定。
・青年海外協力隊の日:1965年に発足。
・珈琲牛乳の日:1923年のこの日に初めて販売された。東海道線国府津駅で。守山乳業㈱。

・イースター

最後まで使い切る

最後まで使い切る

最後まで使い切って終われるとなんだか嬉しい。やりきった感が出てくる。
日常生活で使用するもののこと。

調味料やボディーソープなどは最後まで使い切って当たり前な感覚だが、中身を消費しきるまえに買い替えてしまうものもある。

例えば目薬。日常的に使うので中身は減っていくのだけれど、目薬容器のキャップを占める部分のネジ山になんとなく汚れがついてくると、まだ使い切っていないけど衛生的に買い替えた方がよいように思えてくる(目薬をさす時にあやまってまつ毛に容器の先端が触れてしまった時も、買い替えたくなる)。

日常的な使用でないために使い切れない例では、ヘアトニック。普段はトニックは使わないのだけれど、たまに使いたくなる時があるので、在庫はしている。トニックには香りが強いものが多いので、本当にたまにしか使わない。しかし、トニックはある程度の大きさの容器で販売されているので殆ど中身が減らない。そのうちに、引っ越しすることになり(注:私は引っ越しが多い。もうじき、人生通算30回)、その引っ越し荷物を減らすために捨ててしまう。

今年の目標として掲げている「ていねいな生活」には、毎日、決まったことはきちんとする、ということも含まれていて、レベルの低いところでいえば、歯磨きに加えて毎日のデンタルフロスとマウスウォッシュ剤でのすすぎをやることといったような小学生の夏休み日記にありそうな項目もある。そのため、今までは使い切るまでには長い期間が掛かっていたフロスの消費が今は早い。使い切る前に買い替えるのには後ろめたさがあるのだが、使い切ることができると達成感がでるというか、無駄を生じさせずに地球に貢献できたというか、使い切ってキリがよくて新たな明日がくるようで楽しみなような、いろいろな感情が小さなことから湧いてくる。

ついたち、朔日、一日

ついたち、朔日、一日

今日は、ついたち、3月1日。

毎月ついたちは、丁寧に過ごしたい。ついたちを丁寧に過ごせると、その月はよい月にできるような気がするというか、むしろ、その月をよくしたいので、一日は特に丁寧に過ごす。毎月、元旦を迎えているのと同じ。

もともと験を担ぐところはあった。多分、学生スポーツをそれなりに真剣にやっていたことが影響していると思う。スポーツと「験」は、「高校・大学受験と験」と同様に相性がよいと思う。それと、切りがよいという意味でも、ついたちを丁寧に過ごしたいと思っている。別に、気分転換しないとやってられないようなひどい日々をいつも過ごしているわけではないけれど、切りがよいとか何かのきっかけを大事にしている。同時に、切りがよいタイミングが近づいるときは、その日がくるまでは暴飲暴食・自堕落な生活をしたりする。

だいぶ話はそれたが、もうちょっと残っているついたちを無難に過ごしたい。