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カテゴリー: ガジェット

紙の手帳が人気となっているらしい

紙の手帳が人気となっているらしい

そういうニュースを最近にみた。

私も、20年と少しの間、紙の手帳を使っている。その間、同じ銘柄のものを使っている。最初の年にそこそこの投資をして手帳カバーを購入して以来、毎年リフィルを買い続けている。20年以上たつのにいまだに使い続けているとは、使い始めた当時は思いもよらなかっただろう。

手帳を使い始めたきっかけは、一本のボールペンだった。誰にもらったかは覚えていないが、誰かにペンをもらった。千円くらいの見た目のペンだったと記憶する。筆記具メーカーの高級ペンというわけではなかったのだけれど、書き味が私にはぴったりだった。それまでの私は、シャーペン付き三色ボールペンを使っていたのだが、価格的にはむしろ、三色ボールペンのほうが高かったくらいかもしれないけれど、とにかく、もらったペンの書き味が私にフィットした。

そうなると、いろいろなものを書きたくて書きたくて仕方なくなった。当時の私は慣れない技術営業を海外で始めたころで、客先との打ち合わせに出席しても理解できないが多すぎて、それらを会議後に調べるために見たもの・聞いたことを書き留めていた。そんなこともあって、A4 のキャンパスノート1冊を3か月くらいで使い切るくらい書いていた(大きい字で広い行幅でメモしていたのでノートの消費が早かったというのも大きな理由)。もちろん、これだけでは足りないというわけではなかったのだけれど、仕事のメモと違うものをもっと書きたくなった。それで考えた結果が、ちょっとよさそうな手帳を使おうとなり、ペンは変われど手帳はその時から今に至る。

ペンやら業務用ノートの話になってしまったので話を手帳に戻すと、今年は今までで最も多く手帳に書き込んだ年になった(まだ今年は終わっていないけれど)。「感想を持つこと」が今年の目標の一つなのだけど、感想を持ったらメモに残すようにして、その記録先を手帳にしていたら、予定以上にメモが積みあがった。もう一つの今年の目標である「使い切る」のほうも、メモを手帳に埋めることで達成した感覚(まだ今年は終わっていないけれど)。

最初に書いたように、私は毎年同じ銘柄のリフィルを買っているので、見た目のよい手帳とか機能性の高い手帳といった人気手帳とはちょっと毛色が違うのかもしれないけれど、手帳仲間が増えることは喜ばしいこと。ペンを起点に私が手帳好きになったように、多くの人が書き味やインクを楽しんでくれるのもまた嬉し。

外部モニターを売りにする軽自動車のCM

外部モニターを売りにする軽自動車のCM

私は、クレイマーにはなりたくない。
私は、文句言いではない。
私は、批判が正義だとは思っていない。



だけど、死角にいる歩行者を見えるようにしたり、狭い道ですれ違う対向車との車幅感覚を補う外部モニターを売りにする自動車のCMで、対向車とすれ違う時にモニターを凝視している運転手を映すのはちょっと誤解を与えそうな気がする。そこだけ見てちゃ、だめでしょう。

CMの作成会社がそういうシーンを入れることを提案するのはよい。
だけど、発注者である自動車会社が安全に反するシーンをCM(フィクション)だからといってゴー・サインを出してはいけないと私は思う。

私はクレイマー?尤もな意見を言っている?

老眼の定義を正しく知る

老眼の定義を正しく知る

日本資本の眼鏡店がやってきた。もしかしたら前からあったのかもしれないけれど、私がたまに買い出しにゆくモールには最近やってきた。

そこへ偵察にいってみた。

私の眼鏡は遠近両用。近くは見えて、遠くが見えない。だから、仕事中でいえば、パソコンを見る時は眼鏡を外し、会議資料がプロジェクタでスクリーンに投影されたものしかない場合は眼鏡を掛ける。スイカやパスモが登場する前は、普段乗らない路線の電車に乗る時は運賃表を見ないといけないので眼鏡が必要だったが、車内で本を読むのは眼鏡は不要。まあ、今は電子マネーが乗った路線の運賃を勝手に引き落としてくれるので、知らない土地でも眼鏡は不要になったので車中も車外も眼鏡は不要。

だから、眼鏡の掛け外しが頻繁に発生した。こうすると、視力の低下が早まるというのが十数年前の定説っぽかったので、遠近両用ならば外す必要性が薄れ、結果として視力低下の進行を遅らせられると思った。それ以来、遠近両用メガネ派に転向した(「それ以来」と書くと、何度も作り替えた眼鏡が全て遠近両用だったように誘導する表現だけれど、実は、その時に作った眼鏡を今でも使っているので最初の一本限り)。

一時休暇で日本に行く機会はあるけれど、遠近両用を作ってもらうのに必要な期間には足りず、遠近両用派に転向後も、特定の用途に両用でないメガネを新調していた。

が、しかし。日本の眼鏡チェインができたので、ここで作れるか相談したところ、なんだかよさそう。日本の店でなくても遠近はあるけれど、以前に書いたように日本ですら眼鏡を上手に作れたことがないので、それを海外でしかも遠近両用をチャレンジする気になれなかったが、明るい未来が見えてきた。

大都会まで出ていかないといけないけれど、便利になったなあ、この国。

タイトルに書いた「老眼の定義」について書くのを忘れていた。近くが見えないのが老眼だと私は今日まで思っていた。ところが、目の検査を担当頂いた日本人の方によると(現在、期間限定で当地店舗で研修中の由で、もうすぐ日本の本来の勤務地に戻ってしまうそうなので、日本語が通じるうちにメガネを作りたい)、調整ができなくなることが老眼とのこと。近眼の私は、以前は一つのメガネで近くも見えていたが、今は、遠くを見るためのメガネでは近くは見えず、裸眼にしないといけない。近くが見えても、これは立派な老眼らしい。

私は近くが見える老眼。

Wifi はダメで携帯の回線を使う必要ありと

Wifi はダメで携帯の回線を使う必要ありと

日本の携帯回線を解約せずにしたままにいる。最小限の契約内容へ変更した上で持ってきている。回線を使用することはまずないので、回線使用料はできるだけおさえたい。会員登録やメールアドレスなどでも電話番号は必要。本当に必要な連絡が電話で届くことも年に何度かあることにはある。二段階認証の通知先の選択肢に電話回線(SMS)しか使えない企業もあり、日本の電話番号を放棄することはちょっと現実的ではないと思っている。

その携帯電話の契約内容は、携帯キャリアのウェブサイトで自分のメニュを見ればゆいのだけれど、セキュリティが高くなってきた最近のログイン認証の環境下では、ログインするのも一筋縄ではないことがある。携帯電話会社だからなのか、ログインするためには携帯でパスキー処理する必要があるのに、その携帯での認証のために携帯回線を使用する必要があるのだ。これは wifi ではできない設定になっている。日本で契約した番号を海外に持って行く人のことは何とも思っていないのは仕方ないが、wifi で認識できないのは技術的にむずかしい話なのだろうか。

契約を解除したくてもできない状況にしておいて、ひどい仕打ちである。あと何年かたって世界が今よりもっと小さくなれば、海外の携帯電話番号でも日本のサービスに登録できるような日が来ることを願うばかり。

CM 視聴義務付け記事は読まずに閉じる

CM 視聴義務付け記事は読まずに閉じる

写真ニュースにありがちな、CM を十何秒か見ないと読めない記事は読まずにとばす。興味ある記事が期待できる時は、百回に一度くらいは CM を見ることもあるが、ほぼほぼ毎回読まずに閉じる。CM を入れるのは企業側の自由だし、それを見ずに閉じる私にも選択の自由があるから、以前のように CM なくせとは言わない。場所を貸す方は減っている広告収入を補いたいのかもしれないし、広告を出して欲しい人もなんとかして効果的に(強制的に)視聴者の目に触れる方法を模索しているのだろう。

私が気になってしかたないのは、記事を読まずに飛ばしたというデータがメディが側と広告主に届いているのかどうか、ということ。見るか見ないかは別として、まずは、「見ないとこれ以上進めないよ」というポップアップが出てくるので、これを1ビューとして広告主に報告されていたらそれは嘘だと思う。広告を観ていないから。メディアとしては、こまかな統計は自分の首を絞めることになりかねないので統計を取っていたとしても内部資料で済ませたいだろうし、広告主は実際に広告をみた数を知りたいはず。

私のような行動はどう広告主に報告されているか知りたい。

満足のゆく眼鏡を買うのは難しい

満足のゆく眼鏡を買うのは難しい

ZOFF がメガネスーパーを買収するという記事が少し前にあった。運営会社と眼鏡店のブランド名はことなるので、実際に買収に関わる企業名は異なるが、この買収の結果、眼鏡チェインの国内売上高順位が変動して、以下になるとのこと。

    1位   眼鏡市場
    2位   JINS
    3位   ZOFF(買収前は4位) + メガネスーパー(被買収前は5位)
    4位   パリミキ(もともとは3位)

JINS や ZOFF は眼鏡一本当たりの売上は、眼鏡市場に比べると小さそうな気がするので(調べていない)、相当な本数を売っていることになるのではないだろうか。
まあ、それにしても、20~25年前と比べるとメガネの市場はプレイヤーがだいぶ変わったという感想。

眼鏡チェインのことを言いたかったわけではなくて、自分の目にあうメガネを作るのは本当に難しいということを、メガネを新調するたびに思う。眼鏡店で視力をはかるときには、できるだけ慎重で正直に感じたままを申告するのだけれど、毎回、出来上がったそばから「何かが違う」感覚がする。乱視のせいもあるのだろうか。眼鏡店でレンズを合わせてもらっている時に、店の外の遠くを観るのを試したりできるだけのことはしているつもりなのではあるが、毎回、何かが違うのです。コンタクトをやめてから10年以上経つけれど、使用していた当時は、距離による見え方の違いはあっても、焦点を合わせた距離は違和感なく見えていたので、目と眼鏡レンズの距離が一定でないことが悪さしているのだろうか(眼鏡店でレンズ合わせに使う器具と、実際の眼鏡フレームの鼻位置が違っているとか?)。

そんな中で、かつて一度だけあうメガネを作ってくれた店があった。でも、その店はもうない。こうなると、いろいろな用途それぞれにだけ合うメガネを複数本持って置いて使い分け、それらが視力と合わなくなったら短期間で買い替えるのが必要になってくるのだろうか。

次回こそは(過去もその都度、そのつもりだったが)、目に合うメガネを作れるように更なる全力を尽くしたい。

秋の乗り放題パス - JR、3日間7,850円

秋の乗り放題パス - JR、3日間7,850円

10月14日の「鉄道の日」に合わせて JR が乗り放題パスを販売していた。全国の JR 線の普通・快速列車の普通車自由席およびバス高速輸送システム並びにJR西日本宮島フェリーが乗り放題となる特別企画乗車券とのこと。利用期間は 2025年10月4日(土)から10月19日(日)ということで、ちょうど、この期間に日本にいることが分かった。たまたまネット検索していて、何気なくこのパスのことを知った、ちょうど。

大学生の頃には青春18きっぷのばら売りを利用させてもらったことがある。また、超ローカルではあるけれど、時期についての正確な記憶はないが、小学生か中学生のころに県民の日に県内の国鉄(当時)路線に限り乗り放題というチケットを使わせてもらったことがあった。それ以来の企画ものチケット利用。

十二分に有効にパスを使わせてもらいました。2泊3日(これもちょうどたまたまえ3日間の旅程を立てたあとにパスが連続する3日間有効であると知った)のうち、どうしても試してみたかったディスカウントされたグリーン席利用のこだまチケット東京→新大阪区間を除いて、関西方面への往復旅行の全てをこのチケットで旅行した。

いやー、ほんとうにこのパスは良かった。このパスがなければ、あんなにゆっくり電車旅行を楽しむことができなかったと思う。ちょうどよいタイミングにちょうどよいパスが発売されていることをたまたまネットで知って、とてもよかった。

2026年 WBC の日本独占放映権は NETFLIX

2026年 WBC の日本独占放映権は NETFLIX

来年3月に開催予定の第6回 WBC に関し、日本での放映権を NETFLIX が獲得したと先月に報道された。それについて、いろいろな意見を取り上げるネット記事を見ることができる。

NETFLIX の視聴登録をするかどうか決めるために、私の立場でどうなのか考えてみる。


【 良い点 】

・ネット配信ならば、海外にいる私も視聴できる
 → 海外から NETFLIX 日本に加入・視聴可能であれば = 調べる必要あり
・イニング間の球場の様子も見られる?
 視聴料を取る = スポンサーがいない = CMがない、ですよね?利用したことないから知らないけど
・見逃し配信もある?
・視聴する方法がTV に限定されずにスマホでも見られる?


【 心配する点 】

・野球中継に長けた解説者や実況アナは NETFLIX に在籍しているの?メディア専属でない人が解説?
・映像の大本はどこの誰?(普段、野球中継のカメラワークに不満がある私)
・NETFLIX 登録増加に寄与するかもしれないから、地上波や既存媒体が WBC が取り上げなくなる?
 → 入手できる情報が減ってしまう?



【 悪い点・悪いかもしれない点 】

・会員にならないといけない ← クレジットカード等の個人情報の登録にネガティブな私
・有料であること
・ミニマム会員継続期間はあるのか?閉幕したら退会意向(時がくれば自分で調べるけれど)
・WBC終了後に直ぐ解約できるとしても、解約手続きの容易さがまだ判らない
・解約したら私の登録情報を消去してくれるか判らない



【 世の中的には良いであろう点 】

・YouTubeなどでの違法配信が多分なくなる(たとえ有難くても、違法なものへ加担してはいけない)
・料金が発生するという認識の醸成 ← 料金が企業の利益になり、社員に給与等で還元されるならば

EVの見た目

EVの見た目

自動車のモデルチェンジで EV をラインアップに加えたという自動車メーカーの記事のタイトルが目に入った。どんなデザインなのだろうか気になり、記事本文を読むべく全文表示をクリックした。

私にはどうしても EV の見た目が好きになれない。

私の好みではない車が続々発売されているということは、私の感覚が異端なのだろうことは容易に想像がつく。しかし、私にとっては多くの EV の見た目は、2001年宇宙の旅で出てくるような昔の時点での未来イメージというか、40 年くらい前に雑誌で見た未来カーのように見えて仕方ない。フロントもリア(ライト(ランプ?)の話をしているのでテールというべき?)も左右のライトがつながっているのが、どうしても昔の未来カーにしか見えない。天才バカボンにでてくる目ん玉つながりの警官を細めにした感じというか。EV にすると光っている部分が多くないといけないといった先入観があるのかどうかしらないが、私にとっては好みではない。

ちょっと前までの車のテール・ランプの場合、欧州車は縦が多くて米国販売車は横長かつ真ん中の部分が赤い反射鏡でつながっていて、昼間にみればランプと反射板で横に赤い帯があるようだった。日本車が米国に輸出されていた時代は、日本の車もアメリカ好みと私が勝手になずけている横長・反射板でつながりタイプが多かったが、(私の感覚で)ダサい見た目が嫌われたのか日本車も欧州車に近いデザインになっていた。

なぜ EV になると流れるようなライトが増えるのだろう。EV 駆動にすることで上昇する生産コストをほかで安くするために、安く作れるような設計にした結果だったり(プレスが安っぽい感じ)、デザインの費用を抑えて作っているのだろうか。安全対策を一例に、以前にはなかった重要必須項目が増えたとかがあるのは判るけれど、乗るのが楽しみな車が減ったように思う。EV化以前より存在する自動車メーカーには、どのモデルにも共通するそのメーカーの車に共通するシルエットのようなものがある。欧州モデルはEV モデルでもびっくりするほどの外観急変は少ないが、日本メーカーの EV にはそれまでの内燃機関モデルと比べて未来臭が結構する。また、EV 専業の新興メーカーの EV は完全に未来臭しかないのと同時に、なんとなく(人によって大きくイメージが異なるけれど)e のイメージという感じ。

余計なお世話だが、こんなんではますます車が売れなくなるよと心配する、わたしくの主観では。

マーフィーの法則

マーフィーの法則

いろいろなあるあるの中でも、私には、マーフィーの法則が車関係で発動することが多い。毎日の通勤に往復1時間強を車中で過ごす私にとっては、一日のうちの4%相当を車とともに過ごしていることになる。あまり変化のない仕事、睡眠、食事の時間を除くと、一日のうちの4%は小さくない比率だ。だから、車に関する法則発動が多くても不思議ではないのかもしれない。

洗車をすると雨が降るのは、よくきく法則だ。また、自分自身としてもその経験は少なくない。ただし、毎日雨が降ってもおかしくない東南アジアにいると、これが法則とは言えないことも実は知っている。

東南アジアの環境を除いてもあるあるなのは、同時に複数台の車が交差点で出会うこと。もちろん、無条件というわけではなく、前後5分以上の間にすれ違う対向車さえないのに、自分の車が交差点に接近する際に(信号のない交差点で、自分が走行中の道路が優先であっても相手側がそうであっても)に、突然、ほかの方向からも同時に車が接近するようなケースのこと。結構な頻度でこれに出会う。

それぞれ別方向から交差点へアプローチする車が、別の車が近づいていることで、それぞれが我先にと交差点に入ろうとスピードを上げる結果、同時に交差点に接近する結果に至っているのかもしれない。ちょっと仮説をいくつか考えてみたい。意味ないけど。

スプレッドシートを自働化しすぎた不具合

スプレッドシートを自働化しすぎた不具合

周りの人のことが判らないので比較できないが、私の中では、私はスプレッドシートの鬼だと思っている。自働化されたものを作るために時間を割くことを厭わない。

ただ、自働化しすぎるのもどうしたものかと思う出来事が度々あった。ひとつは、エラーを除外して計算させるようにした結果、元データにエラーがあることはファイルが伝えてくれるのだけれど、どこにエラーがあるのか一瞬では発見できないことがあった。また、万が一の計算違いを把握できるように検算を多く組み込んだために、どこで何をさせているのか分かりづらくなってしまっていたりもする(私の整理が悪いだけだが)。それと、信頼しすぎてしまって、チェックする気持ちがなおざり(この場合はおざなり?どっち?)になってしまっていることに気付いている。万が一はある。

スプレッドシートの鬼は、おじさんの特徴の一つだという認識。なぜか判らないし、一般化して物事を言ってはならないけれど。自働化したファイルで思った感想を、ただただ独り言ちてしまいました。

電気ケトルのリコール情報

電気ケトルのリコール情報

電気ケトルのリコール情報を伝えるネット・ニュース記事が出ていた。
私は現在、日本居住ではないけれど、私が暮らす国も日本も「made in China」の共通点多数という共通点があるので、電圧やプラグ形状が異なるけれど、一応、形式の照合をしておこうと思った。

記事から簡単に対象製品を確認することができるかと思いきや、記事ページには型番の確認の仕方があっても型番の記載がなかったり、画像を何枚もめくらないと型番が出てこないページもあり、おもいのほか時間を要した。記事ページから情報にたどり着くことができたものはあるが、私が閲覧したページに限っていえば、ぱっとすぐに行き着けるものはなかった印象。

ニュースには文字数の限度とかあるのかもしれない。そこのところは知らないのだけれど、ニュースを伝えるだけで終わりにしないで、そのメーカーのページに行かなくても確認できるようにしてくれると便利だと思った。ただ、近頃はリンクをクリックするのにアレルギーがあるので、それはやはり自分でメーカーのページに行って確認してくださいというのがメディアのスタンスで、また、ウェブサイトの危険性に関する自分の感覚が正しいかをはかりながら自ら確認するのが身を守る最適解なのだろうか。

ありとあらやるものを信じられなくなってくるので、フィッシングはやめてほしいものだと思った。

CMを見ないと記事を読めない

CMを見ないと記事を読めない

YouTube 番組前に CM が流れることについては、そういうものだという理解ができている。それで成り立っているならば仕方ない。

最近、ネット・ニュースを見ていると、YouTube 同様に CM を見ないと読めない記事に度々でくわすようになった。YouTube ならば少し見た後に CM を Skip できる。CM が始まるのは私の意思でないとしても、自分の意思で CM から番組に戻ることができるからなのか、YouTube CM にあまり嫌悪感はない。それは、YouTube でしか見ることができない番組をみるために必要な儀式みないなものとの理解が私の中で進んだからかも。

一方で、ニュースの前の CM の場合は、CM を見るように言われた時点で閉じるボタンをクリックしてしまっている。それは、そのページでなければ見られない記事ではないので、同じ件のほかの媒体のニュースを探せばいいだけのこと。たまに、写真ニュースで同様のものがあり、この場合は他社記事では同じ写真を見ることができないのは想像がつくものの、そこまでしてみたい写真もない。ニュース前の CM は成功とは言えないのではないかなあと思っている。それとも、私が特殊で、大多数の人は CM を見ているのだろうか。これも、周りの人にアンケートをとってみたい質問の一つです。

在庫ぐせ

在庫ぐせ

デンタルフロスを使い切ったことを書いた。2025 年の目標である「使い切る」ことに関して、デンタルフロスというもので達成した。

「使い切る」ことを目標に挙げたのは、継続的になにかを実行することがその目的にあった。今回のデンタルフロスは、まさに歯の健康のために継続するのは大事。デンタルフロスを初めて買ってからもう十何年もたっているとおもうけれど、いつも続かなくて結局、歯科でクリーニングを定期的に施してもらっていた。今回は、ほぼ毎晩フロスで処理した。継続は力になっていてほしい。

「使い切る」ことの別の目的は、最初のものと似ているようだが「使うこと」がある。心配性な私は、家で使用するものなどの在庫を持っておかないと落ち着かない。しかし、在庫を買うと在庫を持つことで満足してしまうことがよくある。また、その満足が勿体ないという気持ちとも相まって(勿体ないというよりケチな根性かもしれない)、持っているのに使わないという無駄遣いにちかいことをしてしまうことが少なくない。

だから、「使い切る」ことを目標にした。生活が便利になるだろうと〇〇を買ったのに、もったいなくて使わなかったら生活が便利にならない。なんのために買ったんだ!これを止めたかった。理由があって買ったのだから、家にあるものはバンバン使い倒す。これだ。デンタルフロスを使い切って自信になった。なんかいい感じだ。

使い切った!

使い切った!

2025 年の目標の一つに、「使い切る」がある。シャンプーとか醤油など、毎日もしくは割と短めのインターバルで定期的に消費するものであれば使い切るのは難しい話ではない。しかし、例えば、デンタルフロスのように、使わなくても忽ちに不具合が出ないものに関しては、使い切るまでコンスタントに使う意思を継続して保持するのはなかなか難しい。歯間掃除の所要時間が歯磨き後の2-3分のことだとしても、ブラッシングだけで眠ってしまいたい夜もある。とはいえ、長期的にみれば歯間には気を遣ったほうがよいのは明らかだと思われるので、今年の使い切るものの対象物の一つにデンタルフロスも含まれていた(難しい目標ばかりではなく、達成可能な易しそうな目標も混ぜておかないと目標全滅なんてことが起こりえるし、そうなったら気分的にも落ち込んでしまうから、そうはさせない)。

今日、デンタルフロスを使い切った(そろそろかと思って、先週に在庫を買ったところだった)。何か嬉しい。日本にいたときは、歯医者での定期的な清掃から暫らくの間はフロスを使うモチベーションを維持できたけど、仕事で遅いとか何かの理由で一旦サボってしまうとその後の再開が難しかった。いざとなれば、歯医者に行って仕切り直しすればよい、という考えもあった。しかし、今は保険証がないから帰国時に歯科へ行くと10割負担になることを考えると休暇帰国のたびに通院とはいかないし、かといって場合によっては多少の出血を伴うかもしれない歯科での処理を海外で診てもらうのも心配だし、今年に入ってからは予防第一、ほぼ毎晩フロスで歯磨きの仕上げをしていた。

今は、使い切った達成感がある。こんな小さなことで興奮できてびっくりしているけれど。

年収を更新してください – カード会社から依頼

年収を更新してください – カード会社から依頼

クレジットカード会社からメールが届いた。カード利用枠の引き上げを検討しているので年収などの項目に回答するように、との内容だ。

メールに情報更新のリンクが貼ってある。フィッシング被害の報道や注意喚起をよく見るのに、どうして率先してクリックさせたがるのか理解が難しい。

ウェブサイトの会員ページにログインして、お知らせのようなページにこの依頼が記載されているのか確認してみたが、すぐに探せるところには通知が特にない。なので、本当にカード会社から依頼ができているのかどうか確認ができないので、リンクをクリックしないようにした。特に利用枠の引き上げがなくても困らないので今回の件はよいけれど、本当に必要な手続きだったと思うと、今のカード会社のやり方が心配だ。

エクセル:SUMIFS

エクセル:SUMIFS

備忘録。

SUMIFS を使用する際に、一致する条件検索範囲を複数使用して正しく計算させるには、一つのカッコでは計算ができないことを知った。計算を行うためには、その同一範囲の使用回数の分だけ括弧が必要。

例えば、同一範囲には10種類の単語が入っていて、そのうちの3つのキーワードのもののみを取り出して足し算するためには、3つのカッコが必要ということ。

   A  :条件を検索する範囲
   X,Y,Z :データを抽出する条件
   N  :合計する範囲

   ①計算できる場合     = SUMIF(A, X, N) + SUMIF(A, Y, N) + SUMIF(A, Z, N)
   ②計算できない      = SUMIFS(N, A, X, A, Y, X, Z)

②でききそうなものだが、エクセル的には一つでも該当しない条件を見つけた時点ですべてをゼロ(該当なし)にしてしまう模様。面倒だけれど、同じ条件検索範囲を使用する回数と同じだけのSUMIF括弧を入力する必要がある。

技術の進化を止めることができない

技術の進化を止めることができない

人間が最新技術を追い求めるからとか、技術者が常に先進を求めて開発するとか、そのような理由で技術の進化を止めることができないということは勿論ある。この場合は、「止める権利」は誰にもないという主旨が近いかもしれない。

私は別の意味でも止めることができないと思っている。それは、止めてしまうと大変なことになるかもしれない、という観点からだ。

技術の進化によって、以前は出来なかったことが出来るようになったり、今までも出来てはいた事柄であっても、それを実行する際の負担が減って楽になったり、より多くのことが短時間でできて効率があがったりする。便利な世の中に貢献してる。

ただ、技術の用途によっては、進化した技術を人が使うほどに使い手が気を配る必要が低下し、その結果、それを行う能力が落ちることがある。能力が落ちると、それをサポートするべく更に進化させた技術が求められることになるのだが、それが機能しない場合に問題が発生する場合もあると思う。機能しないことが何も発生しないことになる「電源オン」のような場合は問題は少ないが、ストッパー的にその機能が使われている場合は、好ましくないことが起きてしまうことになる。その時に、使用者の能力が落ちていると、人の手でそれに対応することができない場合があると思う。

私が心配する典型的な例が自動車に関わる技術で、具体的には運転補助や機器回避のもの。現時点ではいずれも補助であって最終的な判断や操作は運転者に責任があることにはなっているが、実際に運転しているドライバーにとっては、これらの機能に限らず運転をするということに対するハードルが下がっていて、その結果、運転技能が下がっているし、運転しながらスマホに目をやったり、集中力に掛ける運転者が増えていると推測する。

車に関する技術がもっと進化して、絶対に事故が起きないレベルまでいけば、ボディは撥水処理した紙で造れるかもしれないし、エアバッグ・システム等の安全装置が不要になればコスト低減も可能だと思う。車が軽くなれば道路ももっと簡単に安く早く作れるだろうし、事故がなければ保険に加入する必要もなく車の保有者にも優しい。しかし、事故の自動回避完全化にはまだまだ時間がかかるというか、正直、そんな時代がくるかどうかも判らない。

また、2025 年 8 月 13 日の日経新聞記事にも私が心配するようなケースが取り上げられたいた。「大腸内視鏡検査、AI利用で医師の技量低下 ポリープ発見20%減」という見出しのもので、ポーランドなどの国際チームが英誌で発表した研究で、「医師がAIに頼ることで、やる気や注意力、責任感が低下する懸念が浮上した」ということが記事に書かれていた。

新しい技術に頼り切るのはちょっと考えものだと思う。使うほうも使い方や技術への向き合い方を認識し続けることが必要だと思う。

AI に相談する

AI に相談する

日経新聞に、「ChatGPT の新モデルに「冷たくてつらい」の声 共感力低下に失望」という見出しの記事があり読んでみた。

ChatGPT に精神的なサポートを求め、依存してしまう人もいるらしい。また、AI と心理学に詳しい米国大学の教授のコメントが記事で紹介されていて、メンタルヘルスの悪化とセラピストの不足で、ChatGPT が安上がりなセラピストになっているらしい。

言われてみれば、最近みた動画のいくつかのものでも AI に悩みを相談していると言っている出演者がいたのを思い出した。たしかに、実存する人物への SNS メッセージとは違い、AI ならば既読が付かずに待たされることなく返事をくれるし(普通のインターネット検索でもそれは言えるが)、多分、自分が聞きたい返事や悩みの吐露への回答の方向性を誘導することも可能なのだろう。そうすることで、24時間7日間慰めを得られそうだ。そのようなことが必要な局面はあると思う。しかし、いつでもそれだとどうなんだろうとも思う。私にはそのような存在の友人はいないのだが、時には厳しいことを言ってくれる友達が必要だということも、たぶん、そうなのだろうと思うから。また、ネットの弊害とかでも指摘されることが多いように、アルゴリズムによって、聞きたいこと・知りたいこと・見たいことばかりが表示されると、考えや思想が偏ってしまって自分の考え方がそのまま世間の主流派と思い込んでしまうこともあるだろう。

心配なのは、誰よりも寄り添ってくれる AI が急にそうでない対応をするように修正された時に、こんなはずではないと感じたり、強く寄り添ってもらっていただけに裏切られた気分になったりして、他人を巻き込む形で何かをやらかしてしまう人が出てこないかということ。仮想世界が現実世界の方に徐々にせせり出てきているけれど、あまりやりすぎるとちょっと怖い世の中になりそう。やっぱり最後は使う方である人間がしっかりしないといけないと思う。ますます人間の悩みは深くなるかも。

おまけ目当てで食品を投棄

おまけ目当てで食品を投棄

マクドナルドのハッピーセットのおまけの話題がしばしばニュースに登場する。あまけ目当てでセットを購入し、メインの食品のほうを食べずに投棄する人がいるとか、おまけが売買ネットに出品されている、本来であれば商品の対象となるべき子どもに行き渡らないほどの買い占めが行われているとか。

以前であれば、地理的に遠くても即座に簡単に売買ができるオンライン上で売買できる環境になかったとか、何かプレミアム的なものにとびつく余裕がなかった時代であったとか(私が育った家庭だけ?)、今は堅苦しい話題のニュースよりも街中の出来事をネット警察的に報じる方が視聴者の関心を引きそうだとか、その事象や報道の背景は種々あると思うけれど、商品の主体である食品が無駄にされることは、何も最近になって始まったことではない。程度の差こそあれ、プロ野球チップスについているカードで欲しい選手のものが出るまで買ってチップスを捨てる人や、好きな模型目当てで本体が捨てられるビッグワンガムなどについて、学校の先生から注意喚起されたりしたことがあったと記憶する。チップスもガムも保存がきくのに捨ててしまうのは、現代よりも質が悪かったのかもしれない。

私は、どうしても欲しかったおまけは特にこれまでの人生で記憶がないので、高いお金を出して売買サイトで個人から買おうとしたことはないし、おそらく、今後も買おうとすることは起きないと予測する。ゆえに、自分個人の都合だけで考えれば、人の弱みに付け込むような転売に対して悪い感情しかないのだけれど、極端な話をすれば、買う人がいるから売る人が出てくるのであって仕方ないという気がしなくもない。しかし、食品廃棄はそんな感じで割り切れる話にはならない。作り置きのファストフード自体に時間制による廃棄ルールがあったりして、便利さや出来立てのおいしさの裏にはもともと無駄は存在するので、転売屋のムダのみを取り上げるのはフェアではない部分もある。しかし、それでも無駄の性質は同じではない。買い占めについては、ちょっと意見が難しい。震災時の生活必需品の買い占めはもってのほかだが、かといって、なんでもかんでも買い占めけしからん、とは言い難いところもあると思う。むしろ、買い占める人を管理するよりも、買い占めに歯止めをかけるルールを売り手が採用した方がうまくいく確率が上がると思う。ただ、代金が何百円といった商品の場合に、誰が幾つかったか逐次トレースができるようにするには売り手側のコストが見合わないと思うので、誰かが何かうまい方法を考えてほしいのだけれど、誰もかれも儲けさえすればよいという発想になってしまっているように感じる現代では、難しいのかもしれない。利己的になりすぎないように教育から見直す必要がありそう。

今回の件では、カード発行枚数がそれなりにあるため、プレミアムにはならないとコメントしたマクドナルドには、今後は何か考えてほしい。こうなることは判っていたはずだから。そうまでして集客しなければならないような企業ではないだろうにと思う。

何してもうまくいかない難しい世の中になったものだと感じる。このようなことが起こるのは、選択肢が増えたり余裕があったり、より良い世の中になってきている証拠なのだと思うけれど、不具合もまた多くなっている(でも、報道を見ていると景気は悪いはずなのでは?)。