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2026年 WBC の日本独占放映権は NETFLIX

2026年 WBC の日本独占放映権は NETFLIX

来年3月に開催予定の第6回 WBC に関し、日本での放映権を NETFLIX が獲得したと先月に報道された。それについて、いろいろな意見を取り上げるネット記事を見ることができる。

NETFLIX の視聴登録をするかどうか決めるために、私の立場でどうなのか考えてみる。


【 良い点 】

・ネット配信ならば、海外にいる私も視聴できる
 → 海外から NETFLIX 日本に加入・視聴可能であれば = 調べる必要あり
・イニング間の球場の様子も見られる?
 視聴料を取る = スポンサーがいない = CMがない、ですよね?利用したことないから知らないけど
・見逃し配信もある?
・視聴する方法がTV に限定されずにスマホでも見られる?


【 心配する点 】

・野球中継に長けた解説者や実況アナは NETFLIX に在籍しているの?メディア専属でない人が解説?
・映像の大本はどこの誰?(普段、野球中継のカメラワークに不満がある私)
・NETFLIX 登録増加に寄与するかもしれないから、地上波や既存媒体が WBC が取り上げなくなる?
 → 入手できる情報が減ってしまう?



【 悪い点・悪いかもしれない点 】

・会員にならないといけない ← クレジットカード等の個人情報の登録にネガティブな私
・有料であること
・ミニマム会員継続期間はあるのか?閉幕したら退会意向(時がくれば自分で調べるけれど)
・WBC終了後に直ぐ解約できるとしても、解約手続きの容易さがまだ判らない
・解約したら私の登録情報を消去してくれるか判らない



【 世の中的には良いであろう点 】

・YouTubeなどでの違法配信が多分なくなる(たとえ有難くても、違法なものへ加担してはいけない)
・料金が発生するという認識の醸成 ← 料金が企業の利益になり、社員に給与等で還元されるならば

EVの見た目

EVの見た目

自動車のモデルチェンジで EV をラインアップに加えたという自動車メーカーの記事のタイトルが目に入った。どんなデザインなのだろうか気になり、記事本文を読むべく全文表示をクリックした。

私にはどうしても EV の見た目が好きになれない。

私の好みではない車が続々発売されているということは、私の感覚が異端なのだろうことは容易に想像がつく。しかし、私にとっては多くの EV の見た目は、2001年宇宙の旅で出てくるような昔の時点での未来イメージというか、40 年くらい前に雑誌で見た未来カーのように見えて仕方ない。フロントもリア(ライト(ランプ?)の話をしているのでテールというべき?)も左右のライトがつながっているのが、どうしても昔の未来カーにしか見えない。天才バカボンにでてくる目ん玉つながりの警官を細めにした感じというか。EV にすると光っている部分が多くないといけないといった先入観があるのかどうかしらないが、私にとっては好みではない。

ちょっと前までの車のテール・ランプの場合、欧州車は縦が多くて米国販売車は横長かつ真ん中の部分が赤い反射鏡でつながっていて、昼間にみればランプと反射板で横に赤い帯があるようだった。日本車が米国に輸出されていた時代は、日本の車もアメリカ好みと私が勝手になずけている横長・反射板でつながりタイプが多かったが、(私の感覚で)ダサい見た目が嫌われたのか日本車も欧州車に近いデザインになっていた。

なぜ EV になると流れるようなライトが増えるのだろう。EV 駆動にすることで上昇する生産コストをほかで安くするために、安く作れるような設計にした結果だったり(プレスが安っぽい感じ)、デザインの費用を抑えて作っているのだろうか。安全対策を一例に、以前にはなかった重要必須項目が増えたとかがあるのは判るけれど、乗るのが楽しみな車が減ったように思う。EV化以前より存在する自動車メーカーには、どのモデルにも共通するそのメーカーの車に共通するシルエットのようなものがある。欧州モデルはEV モデルでもびっくりするほどの外観急変は少ないが、日本メーカーの EV にはそれまでの内燃機関モデルと比べて未来臭が結構する。また、EV 専業の新興メーカーの EV は完全に未来臭しかないのと同時に、なんとなく(人によって大きくイメージが異なるけれど)e のイメージという感じ。

余計なお世話だが、こんなんではますます車が売れなくなるよと心配する、わたしくの主観では。

マーフィーの法則

マーフィーの法則

いろいろなあるあるの中でも、私には、マーフィーの法則が車関係で発動することが多い。毎日の通勤に往復1時間強を車中で過ごす私にとっては、一日のうちの4%相当を車とともに過ごしていることになる。あまり変化のない仕事、睡眠、食事の時間を除くと、一日のうちの4%は小さくない比率だ。だから、車に関する法則発動が多くても不思議ではないのかもしれない。

洗車をすると雨が降るのは、よくきく法則だ。また、自分自身としてもその経験は少なくない。ただし、毎日雨が降ってもおかしくない東南アジアにいると、これが法則とは言えないことも実は知っている。

東南アジアの環境を除いてもあるあるなのは、同時に複数台の車が交差点で出会うこと。もちろん、無条件というわけではなく、前後5分以上の間にすれ違う対向車さえないのに、自分の車が交差点に接近する際に(信号のない交差点で、自分が走行中の道路が優先であっても相手側がそうであっても)に、突然、ほかの方向からも同時に車が接近するようなケースのこと。結構な頻度でこれに出会う。

それぞれ別方向から交差点へアプローチする車が、別の車が近づいていることで、それぞれが我先にと交差点に入ろうとスピードを上げる結果、同時に交差点に接近する結果に至っているのかもしれない。ちょっと仮説をいくつか考えてみたい。意味ないけど。

スプレッドシートを自働化しすぎた不具合

スプレッドシートを自働化しすぎた不具合

周りの人のことが判らないので比較できないが、私の中では、私はスプレッドシートの鬼だと思っている。自働化されたものを作るために時間を割くことを厭わない。

ただ、自働化しすぎるのもどうしたものかと思う出来事が度々あった。ひとつは、エラーを除外して計算させるようにした結果、元データにエラーがあることはファイルが伝えてくれるのだけれど、どこにエラーがあるのか一瞬では発見できないことがあった。また、万が一の計算違いを把握できるように検算を多く組み込んだために、どこで何をさせているのか分かりづらくなってしまっていたりもする(私の整理が悪いだけだが)。それと、信頼しすぎてしまって、チェックする気持ちがなおざり(この場合はおざなり?どっち?)になってしまっていることに気付いている。万が一はある。

スプレッドシートの鬼は、おじさんの特徴の一つだという認識。なぜか判らないし、一般化して物事を言ってはならないけれど。自働化したファイルで思った感想を、ただただ独り言ちてしまいました。

電気ケトルのリコール情報

電気ケトルのリコール情報

電気ケトルのリコール情報を伝えるネット・ニュース記事が出ていた。
私は現在、日本居住ではないけれど、私が暮らす国も日本も「made in China」の共通点多数という共通点があるので、電圧やプラグ形状が異なるけれど、一応、形式の照合をしておこうと思った。

記事から簡単に対象製品を確認することができるかと思いきや、記事ページには型番の確認の仕方があっても型番の記載がなかったり、画像を何枚もめくらないと型番が出てこないページもあり、おもいのほか時間を要した。記事ページから情報にたどり着くことができたものはあるが、私が閲覧したページに限っていえば、ぱっとすぐに行き着けるものはなかった印象。

ニュースには文字数の限度とかあるのかもしれない。そこのところは知らないのだけれど、ニュースを伝えるだけで終わりにしないで、そのメーカーのページに行かなくても確認できるようにしてくれると便利だと思った。ただ、近頃はリンクをクリックするのにアレルギーがあるので、それはやはり自分でメーカーのページに行って確認してくださいというのがメディアのスタンスで、また、ウェブサイトの危険性に関する自分の感覚が正しいかをはかりながら自ら確認するのが身を守る最適解なのだろうか。

ありとあらやるものを信じられなくなってくるので、フィッシングはやめてほしいものだと思った。

CMを見ないと記事を読めない

CMを見ないと記事を読めない

YouTube 番組前に CM が流れることについては、そういうものだという理解ができている。それで成り立っているならば仕方ない。

最近、ネット・ニュースを見ていると、YouTube 同様に CM を見ないと読めない記事に度々でくわすようになった。YouTube ならば少し見た後に CM を Skip できる。CM が始まるのは私の意思でないとしても、自分の意思で CM から番組に戻ることができるからなのか、YouTube CM にあまり嫌悪感はない。それは、YouTube でしか見ることができない番組をみるために必要な儀式みないなものとの理解が私の中で進んだからかも。

一方で、ニュースの前の CM の場合は、CM を見るように言われた時点で閉じるボタンをクリックしてしまっている。それは、そのページでなければ見られない記事ではないので、同じ件のほかの媒体のニュースを探せばいいだけのこと。たまに、写真ニュースで同様のものがあり、この場合は他社記事では同じ写真を見ることができないのは想像がつくものの、そこまでしてみたい写真もない。ニュース前の CM は成功とは言えないのではないかなあと思っている。それとも、私が特殊で、大多数の人は CM を見ているのだろうか。これも、周りの人にアンケートをとってみたい質問の一つです。

在庫ぐせ

在庫ぐせ

デンタルフロスを使い切ったことを書いた。2025 年の目標である「使い切る」ことに関して、デンタルフロスというもので達成した。

「使い切る」ことを目標に挙げたのは、継続的になにかを実行することがその目的にあった。今回のデンタルフロスは、まさに歯の健康のために継続するのは大事。デンタルフロスを初めて買ってからもう十何年もたっているとおもうけれど、いつも続かなくて結局、歯科でクリーニングを定期的に施してもらっていた。今回は、ほぼ毎晩フロスで処理した。継続は力になっていてほしい。

「使い切る」ことの別の目的は、最初のものと似ているようだが「使うこと」がある。心配性な私は、家で使用するものなどの在庫を持っておかないと落ち着かない。しかし、在庫を買うと在庫を持つことで満足してしまうことがよくある。また、その満足が勿体ないという気持ちとも相まって(勿体ないというよりケチな根性かもしれない)、持っているのに使わないという無駄遣いにちかいことをしてしまうことが少なくない。

だから、「使い切る」ことを目標にした。生活が便利になるだろうと〇〇を買ったのに、もったいなくて使わなかったら生活が便利にならない。なんのために買ったんだ!これを止めたかった。理由があって買ったのだから、家にあるものはバンバン使い倒す。これだ。デンタルフロスを使い切って自信になった。なんかいい感じだ。

使い切った!

使い切った!

2025 年の目標の一つに、「使い切る」がある。シャンプーとか醤油など、毎日もしくは割と短めのインターバルで定期的に消費するものであれば使い切るのは難しい話ではない。しかし、例えば、デンタルフロスのように、使わなくても忽ちに不具合が出ないものに関しては、使い切るまでコンスタントに使う意思を継続して保持するのはなかなか難しい。歯間掃除の所要時間が歯磨き後の2-3分のことだとしても、ブラッシングだけで眠ってしまいたい夜もある。とはいえ、長期的にみれば歯間には気を遣ったほうがよいのは明らかだと思われるので、今年の使い切るものの対象物の一つにデンタルフロスも含まれていた(難しい目標ばかりではなく、達成可能な易しそうな目標も混ぜておかないと目標全滅なんてことが起こりえるし、そうなったら気分的にも落ち込んでしまうから、そうはさせない)。

今日、デンタルフロスを使い切った(そろそろかと思って、先週に在庫を買ったところだった)。何か嬉しい。日本にいたときは、歯医者での定期的な清掃から暫らくの間はフロスを使うモチベーションを維持できたけど、仕事で遅いとか何かの理由で一旦サボってしまうとその後の再開が難しかった。いざとなれば、歯医者に行って仕切り直しすればよい、という考えもあった。しかし、今は保険証がないから帰国時に歯科へ行くと10割負担になることを考えると休暇帰国のたびに通院とはいかないし、かといって場合によっては多少の出血を伴うかもしれない歯科での処理を海外で診てもらうのも心配だし、今年に入ってからは予防第一、ほぼ毎晩フロスで歯磨きの仕上げをしていた。

今は、使い切った達成感がある。こんな小さなことで興奮できてびっくりしているけれど。

年収を更新してください – カード会社から依頼

年収を更新してください – カード会社から依頼

クレジットカード会社からメールが届いた。カード利用枠の引き上げを検討しているので年収などの項目に回答するように、との内容だ。

メールに情報更新のリンクが貼ってある。フィッシング被害の報道や注意喚起をよく見るのに、どうして率先してクリックさせたがるのか理解が難しい。

ウェブサイトの会員ページにログインして、お知らせのようなページにこの依頼が記載されているのか確認してみたが、すぐに探せるところには通知が特にない。なので、本当にカード会社から依頼ができているのかどうか確認ができないので、リンクをクリックしないようにした。特に利用枠の引き上げがなくても困らないので今回の件はよいけれど、本当に必要な手続きだったと思うと、今のカード会社のやり方が心配だ。

エクセル:SUMIFS

エクセル:SUMIFS

備忘録。

SUMIFS を使用する際に、一致する条件検索範囲を複数使用して正しく計算させるには、一つのカッコでは計算ができないことを知った。計算を行うためには、その同一範囲の使用回数の分だけ括弧が必要。

例えば、同一範囲には10種類の単語が入っていて、そのうちの3つのキーワードのもののみを取り出して足し算するためには、3つのカッコが必要ということ。

   A  :条件を検索する範囲
   X,Y,Z :データを抽出する条件
   N  :合計する範囲

   ①計算できる場合     = SUMIF(A, X, N) + SUMIF(A, Y, N) + SUMIF(A, Z, N)
   ②計算できない      = SUMIFS(N, A, X, A, Y, X, Z)

②でききそうなものだが、エクセル的には一つでも該当しない条件を見つけた時点ですべてをゼロ(該当なし)にしてしまう模様。面倒だけれど、同じ条件検索範囲を使用する回数と同じだけのSUMIF括弧を入力する必要がある。

技術の進化を止めることができない

技術の進化を止めることができない

人間が最新技術を追い求めるからとか、技術者が常に先進を求めて開発するとか、そのような理由で技術の進化を止めることができないということは勿論ある。この場合は、「止める権利」は誰にもないという主旨が近いかもしれない。

私は別の意味でも止めることができないと思っている。それは、止めてしまうと大変なことになるかもしれない、という観点からだ。

技術の進化によって、以前は出来なかったことが出来るようになったり、今までも出来てはいた事柄であっても、それを実行する際の負担が減って楽になったり、より多くのことが短時間でできて効率があがったりする。便利な世の中に貢献してる。

ただ、技術の用途によっては、進化した技術を人が使うほどに使い手が気を配る必要が低下し、その結果、それを行う能力が落ちることがある。能力が落ちると、それをサポートするべく更に進化させた技術が求められることになるのだが、それが機能しない場合に問題が発生する場合もあると思う。機能しないことが何も発生しないことになる「電源オン」のような場合は問題は少ないが、ストッパー的にその機能が使われている場合は、好ましくないことが起きてしまうことになる。その時に、使用者の能力が落ちていると、人の手でそれに対応することができない場合があると思う。

私が心配する典型的な例が自動車に関わる技術で、具体的には運転補助や機器回避のもの。現時点ではいずれも補助であって最終的な判断や操作は運転者に責任があることにはなっているが、実際に運転しているドライバーにとっては、これらの機能に限らず運転をするということに対するハードルが下がっていて、その結果、運転技能が下がっているし、運転しながらスマホに目をやったり、集中力に掛ける運転者が増えていると推測する。

車に関する技術がもっと進化して、絶対に事故が起きないレベルまでいけば、ボディは撥水処理した紙で造れるかもしれないし、エアバッグ・システム等の安全装置が不要になればコスト低減も可能だと思う。車が軽くなれば道路ももっと簡単に安く早く作れるだろうし、事故がなければ保険に加入する必要もなく車の保有者にも優しい。しかし、事故の自動回避完全化にはまだまだ時間がかかるというか、正直、そんな時代がくるかどうかも判らない。

また、2025 年 8 月 13 日の日経新聞記事にも私が心配するようなケースが取り上げられたいた。「大腸内視鏡検査、AI利用で医師の技量低下 ポリープ発見20%減」という見出しのもので、ポーランドなどの国際チームが英誌で発表した研究で、「医師がAIに頼ることで、やる気や注意力、責任感が低下する懸念が浮上した」ということが記事に書かれていた。

新しい技術に頼り切るのはちょっと考えものだと思う。使うほうも使い方や技術への向き合い方を認識し続けることが必要だと思う。

AI に相談する

AI に相談する

日経新聞に、「ChatGPT の新モデルに「冷たくてつらい」の声 共感力低下に失望」という見出しの記事があり読んでみた。

ChatGPT に精神的なサポートを求め、依存してしまう人もいるらしい。また、AI と心理学に詳しい米国大学の教授のコメントが記事で紹介されていて、メンタルヘルスの悪化とセラピストの不足で、ChatGPT が安上がりなセラピストになっているらしい。

言われてみれば、最近みた動画のいくつかのものでも AI に悩みを相談していると言っている出演者がいたのを思い出した。たしかに、実存する人物への SNS メッセージとは違い、AI ならば既読が付かずに待たされることなく返事をくれるし(普通のインターネット検索でもそれは言えるが)、多分、自分が聞きたい返事や悩みの吐露への回答の方向性を誘導することも可能なのだろう。そうすることで、24時間7日間慰めを得られそうだ。そのようなことが必要な局面はあると思う。しかし、いつでもそれだとどうなんだろうとも思う。私にはそのような存在の友人はいないのだが、時には厳しいことを言ってくれる友達が必要だということも、たぶん、そうなのだろうと思うから。また、ネットの弊害とかでも指摘されることが多いように、アルゴリズムによって、聞きたいこと・知りたいこと・見たいことばかりが表示されると、考えや思想が偏ってしまって自分の考え方がそのまま世間の主流派と思い込んでしまうこともあるだろう。

心配なのは、誰よりも寄り添ってくれる AI が急にそうでない対応をするように修正された時に、こんなはずではないと感じたり、強く寄り添ってもらっていただけに裏切られた気分になったりして、他人を巻き込む形で何かをやらかしてしまう人が出てこないかということ。仮想世界が現実世界の方に徐々にせせり出てきているけれど、あまりやりすぎるとちょっと怖い世の中になりそう。やっぱり最後は使う方である人間がしっかりしないといけないと思う。ますます人間の悩みは深くなるかも。

おまけ目当てで食品を投棄

おまけ目当てで食品を投棄

マクドナルドのハッピーセットのおまけの話題がしばしばニュースに登場する。あまけ目当てでセットを購入し、メインの食品のほうを食べずに投棄する人がいるとか、おまけが売買ネットに出品されている、本来であれば商品の対象となるべき子どもに行き渡らないほどの買い占めが行われているとか。

以前であれば、地理的に遠くても即座に簡単に売買ができるオンライン上で売買できる環境になかったとか、何かプレミアム的なものにとびつく余裕がなかった時代であったとか(私が育った家庭だけ?)、今は堅苦しい話題のニュースよりも街中の出来事をネット警察的に報じる方が視聴者の関心を引きそうだとか、その事象や報道の背景は種々あると思うけれど、商品の主体である食品が無駄にされることは、何も最近になって始まったことではない。程度の差こそあれ、プロ野球チップスについているカードで欲しい選手のものが出るまで買ってチップスを捨てる人や、好きな模型目当てで本体が捨てられるビッグワンガムなどについて、学校の先生から注意喚起されたりしたことがあったと記憶する。チップスもガムも保存がきくのに捨ててしまうのは、現代よりも質が悪かったのかもしれない。

私は、どうしても欲しかったおまけは特にこれまでの人生で記憶がないので、高いお金を出して売買サイトで個人から買おうとしたことはないし、おそらく、今後も買おうとすることは起きないと予測する。ゆえに、自分個人の都合だけで考えれば、人の弱みに付け込むような転売に対して悪い感情しかないのだけれど、極端な話をすれば、買う人がいるから売る人が出てくるのであって仕方ないという気がしなくもない。しかし、食品廃棄はそんな感じで割り切れる話にはならない。作り置きのファストフード自体に時間制による廃棄ルールがあったりして、便利さや出来立てのおいしさの裏にはもともと無駄は存在するので、転売屋のムダのみを取り上げるのはフェアではない部分もある。しかし、それでも無駄の性質は同じではない。買い占めについては、ちょっと意見が難しい。震災時の生活必需品の買い占めはもってのほかだが、かといって、なんでもかんでも買い占めけしからん、とは言い難いところもあると思う。むしろ、買い占める人を管理するよりも、買い占めに歯止めをかけるルールを売り手が採用した方がうまくいく確率が上がると思う。ただ、代金が何百円といった商品の場合に、誰が幾つかったか逐次トレースができるようにするには売り手側のコストが見合わないと思うので、誰かが何かうまい方法を考えてほしいのだけれど、誰もかれも儲けさえすればよいという発想になってしまっているように感じる現代では、難しいのかもしれない。利己的になりすぎないように教育から見直す必要がありそう。

今回の件では、カード発行枚数がそれなりにあるため、プレミアムにはならないとコメントしたマクドナルドには、今後は何か考えてほしい。こうなることは判っていたはずだから。そうまでして集客しなければならないような企業ではないだろうにと思う。

何してもうまくいかない難しい世の中になったものだと感じる。このようなことが起こるのは、選択肢が増えたり余裕があったり、より良い世の中になってきている証拠なのだと思うけれど、不具合もまた多くなっている(でも、報道を見ていると景気は悪いはずなのでは?)。

国外転出者向けマイナンバーカード

国外転出者向けマイナンバーカード

入手しました。私が直近で住民票を抜いた時には、国外転出者向けカードの制度はまだなかったため、カードというハードウェアはそのまま持ってきたけれど、「転出のため無効」な状態のカードを持っている状態だった。2024年に制度が変わって在外でも継続保有(または新規取得)ができるようになったということで、今回、申請して取得しました。

もともとは、年金相談をしようとしたときに、国外からは書面相談ができることを知ったのだけれど、有効なマイナンバーカードを保持していることが条件ということも併せて知った。それを知ったときは、住民票を抜いてマイナカードを持っていない国外転出者が、なぜ、マイナカードを条件にする書面相談なんだと憤ったことを覚えているが、よくよく調べると2024年に制度変更があったことを知ることになった。

居住国の事情によるとは思うが、私の場合は申請から約2か月で受領できた。
大使館へ郵送で申請して約1か月後に申請が受理された旨のメールが届いた(実際は、メールには申請の状況が判るリンクが貼ってあって、そのサイトで自分の申請のステータスが判る。メールのリンクは本当はクリックしたくないが仕方ない)。申請受理から3日くらいで申請内容の確認がなされたようで、また、その1週間後くらいにカードが発送されたとウェブサイトには書いてあった。大使館から受領に来てくださいとメールで連絡があったのは、日本から発送された約2週間後。大使館へ取りに行くには1日仕事になることから、有給を取って実際に受領するまで数日を要し、結局、申請から約2か月でマイナカードを手にすることができた。

これで、年金について質問ができそうだ。一時帰国の時に最寄りの年金事務所で相談しようとしたのだけれど、いつも予約がいっぱいで、短い一時帰国休暇中には願いがかなったことがなかったので、書面相談が可能になったのは嬉しい。

書面相談の手続きについては、後日にあらためてレポートしたいと思います。

青い車に気をつけろ

青い車に気をつけろ

非常に乱暴に言うと、「青い車をみたら気をつけろ」は運転中の私の座右の銘の一つだ。

流れに乗れていない車や突然に私の走行車線の前に出てくる車が少なくない。率でいえば、私が路上で見かける青い車の中では、そのような動きをする車両がとても多い。その動きをするのは青だけではないが、青の車がその動きをする確率は高い。

色でいえば、青のこの現象以外には顕著なものは他に今のところ見当たらない。
一方、車種でいえば、ピックアップの人は運転が上手でない確率が高いような気がする。これも、下手な人が皆、ピックアップを運転しているわけではないが、ピックアップの人は下手な確率が高いというのが私の観察結果。実際は、下手というとちょっと実際は違うかもしれず、ただしくは運転という行動をするときに、運転にあまり注意を払うことができない人の確率が高いというか。例えば、片側2車線の車線をまたいで走行しているとか(これも、またいでいるのは皆ピックアップということではなくてほかの車種もあるが、ピックアップがまたいでいる確率が高いという主旨。車幅感覚ないのかな?)。

ドイツのアウトバーンでは、オランダ・ナンバーと帽子をかぶった老紳士が運転しているのが後続から見えたら気をつけろ、ということを言うのを聞いた。どちらも後続車両との距離感や速度差を気にせずに車線変更をして追い越し車線に出てくる人、という趣旨だった。印象的にはその通りだったような記憶はあるものの、実際に危険運転をする確率が高かったかどうかは覚えていない。しかし、運転中に両者を発見したときは、いつも以上に慎重になっていた。これは主観としての事実。

日本では、赤い車は警察に目を付けられやすい、という説を唱える人がいたような気がする(黄色だったかな?)。実際に統計をとったら実際には相関はないかもしれないし、運転が下手という定義の設定の仕方によっても結果が左右されるので単純な話ではないが、ある人がどういう選択をするとか好みがあるとかをもっと極めていったら結構面白い研究になるかもしれない。レッテル貼りや先入観につかってはいけないけれど、研究としては面白いのではないか。

バケット・リスト : 死ぬまでにやりたいことリスト

バケット・リスト : 死ぬまでにやりたいことリスト

ネット記事を見ていたら死ぬまでにやりたいことリストについて述べているページがあった。そのリストのことをバケット・リストと呼ぶということを初めて知った(使ってみよう)。いつもの調子で、バケット・リストの語源を知りたくなった。死ぬまでにやりたいことリストをトピックにしているページは、個人のブログのようなものにしても、完全には個人っぽくないものにも共通して、「死ぬの意味の kick the bucket から来ている」という説明ばかりで、語源を説明するサイトにたどり着くことができない。しばらくして、やっと、bucket が首つり時の踏み台のことで(物騒!)、踏み台を自分で蹴っ飛ばすと死んでしまうことだという説明にたどりついた(初めて知った言葉を使ってみようと思ったが、そうすることに躊躇が生まれた)。また、牛や豚の家畜を食用とする際の血抜きをするために脚を上にして逆さにつるす見た目が、梁(bucket)を蹴っているように見えるのが由来、という説明もあった。

人それぞれに言葉の定義があるのは理解するが、私が語源だと思って知りたいのはこの手の説明であって、kick the bucket が死ぬという意味から bucket list という言葉が生まれた、というのは私の定義では理由とは言えず、人によって知りたいことが違うのだということを痛感させられることが多い。

そう、私は面倒くさい人なのだ。(言葉の定義にうるさい親だと子どもの成績がよい、という説を唱えるYouTuberがいるようだ。うんうん。が、しかし、言葉の定義がうるさいのは内なる私だけであって、それを対外的に質問したり誰かとの会話で言及することはしない人でもある)

そうそう、って思った YouTube 動画

そうそう、って思った YouTube 動画

お薦めに出てきた時には毎回のように観てしまう YouTube 動画に、『 謎解き統計学|サトマイ 』がある。結構好きな番組だ。サトマイさんの思考に毎回同意するというわけではないけれど、そんな回であっても気付きは得られるしトークのペースも心地よい。

最近にお薦めでできたものに、『 【話し方】ちょっと何言ってるか分からな過ぎて傾聴どころじゃない 』というのがあった。2年前の動画のようだ。『 「ちょっと何言っているかわからない」話し方になってしまう謎を解説 』ということで、3つの例を挙げている。

最初に取り上げた例が、『 いきなり!固有名詞 』。最初の例で既にそうそうって思った。職場にそういうことが多い人がいる。その人とは、いつもなんとなく喋ることに安心感を持てないでいる。ちなみに、この動画で例に挙げられていた芋煮会については、私は聞いた方、つまりキョトンとした方の人間としての経験がある。

この動画の固有名詞の例で思い出したことがあった。それは、動画の例とはちょっと違うタイプの話なのだけど、固有名詞を知っている単語と誤認したまま話を聞いていた話。いつだったか、日本への旅行期間中に刀博物館に行たいという上司と話をしていた時に、「クリスチャンは刀が大好きなんだ」という話をされた。そんな漠然にキリスト教徒が刀好きだなんて、ざっくりし過ぎで乱暴なラベリングだなあと思っていたら、話の展開からその人の息子の名前がクリスチャンであることが分かった。なあんだ、そういうことか。私の感覚としては、相手が知らないかもしれないのに固有名詞を言及するケースは海外の人に多いように思う(海外なんて言い方も非常に乱暴なラベリングだが)。聞いているほうは、きっと固有名詞なんだろうなと判るので別にいいのだが、会話に置いてけぼりを喰わらせられている意識にはなる。

以前に、「社長は判りやすい話し方をする」(2025年3月18日)という記事で書いたことがあるのだが、私は判りやすい話し方をしないと判って貰いずらいことを認識しながら話さないとだめなくらいの話者レベルなので、判ってもらえるように話したい。このブログも、考えを整理して書き出す練習のために始めたもの。

ナイキが調子悪いというメディア記事

ナイキが調子悪いというメディア記事

ナイキが苦戦しているという記事を読んだ。私は、高校生活のほとんどを昭和で過ごした年代といえばおおよその年齢の察しがつくと思うが、加えて、田舎で育ったこともあって、私がナイキを初めて知ったのは確か中学生の時だったと思う。アディダスがデサントで売られていたころだった。ナイキに話を戻すと、最初に買ったのがTシャツと靴下のどっちだったのか覚えていないが、買った商品のタグに「勝利の女神ニケが名前の由来」という説明が書いてあったことは今でも覚えている。

高校生になって、野球部の友達がナイキのスパイクが格好いいんだよな、と言っていたのを覚えている。当時は、ナイキの野球用品はまだ私の住む田舎では売っていなかったらしい(都会では売っていたのか、都会でも手に入らなかったかは不明)。

どのメーカーの製品を使うかは個人の好みによるし、その好みが商品性能からくるのか見た目の理由なのか、それともまた別の理由があるからなのかも人それぞれ。私ならば、自分がプレーするのに使っていたブランドには思い入れが生じて、引退後も使い続ける動機付けになったりする。そうなると、ナイキの道具をプレーに使ったことのない私にとってのナイキは、ファッション・アイテムという位置づけであってスポーツ用品ではないので、どうしても買いたい商品というものがない限り、ナイキが選択肢に上がってくることはない感じ。私がスニーカーに興味があったりバスケット経験者だったりすると違うイメージを持っていたのかもしれないが、もしかしたら、その考え自体も勘違いからくるものかもしれない。バスケットの人もナイキには思い入れがある人もいれば、ない人もいるだろう。

私は投資家ではないので、ナイキが不調なことにたいして特に影響を受けたりしないし、特定の競技というよりもジェネラルなブランドだからそういう時もあるよね、という感想以上のものはない。

タイヤ交換の副次的効果

タイヤ交換の副次的効果

車のタイヤ交換して約2週間。これまで快適。

まず、空気の抜けを気にしなくてよくなったので、気分的に楽。交換前は、週に一回は空気圧のチェックをしていた。実際のところでは、1本だけは抜けているのが確実だったので、空気チェックというよりも充填を週イチでやっていたという方が正しい表現となる。毎週給油するので、空気充填のためだけにガス・ステーションに行っていたわけではないものの、充填機がちゃんと機能するのは当地にいくつかあるガソリン・スタンド・ブランドのうちの1つの系列だけなので、給油のタイミングによってはその系列のスタンドを毎回利用できるわけでもなく、その結果、空気充填だけにスタンドに立ち寄ることもあった。よって、週に二回スタンドにいくこともよくあり、本来は費やさなくてよい時間をそのために使っているという認識があった。

次に、タイヤの慣らし運転ということで、運転が優しくなったのがタイヤ交換の2つ目の副次的効果。加えて、せっかく無傷のタイヤを履いているのに無理をさせたくないというのも優しい運転になっている。ある程度、タイヤ表面が擦れてきても、今の気持ちを忘れずに優しい運転を維持したいと思っている。

タイヤは命を守る大事な機能性部品。安全に運転できるように今日も点検・優しい運転に気を配る。

ちなみに、タイヤは4本で15千円くらいだった。アラインメントの労賃で1千円弱、交換したバルブ代が3千円くらいで、合計 20千円弱といった感じ(ダンロップのタイヤ)。

日本のスマホ・ケースは黄ばみやすい?

日本のスマホ・ケースは黄ばみやすい?

現在に使用中のスマホケースは、半年くらい前から使い始めたもので、日本で買ってきたもの。その前は、現在の居住地で購入したもので、それは、今のスマホを買った時から使っていたので2年間ほど使っていた。

日本で買ったのをもってきたのは、最初のケースがだめになったら交換しようとおもい、それだったら日本のものでと思ったから。海外で買うスマホケースはストラップの紐部分を通す穴がなかったりするので、日本のほうが機能性が高い場合がある。半年前にケースを交換したのも同じ理由からで、当地で購入した最初のケースはまだ使用可能だったのだけど、日本で買ったケースについている機能を使いたくなって半年前に交換した。

その時点で元のケースは2年使っても黄ばみがなかったのだけど、日本から持ってきたものは半年で既に黄ばみが発生している。なぜなのだろう。当地で買えるものは、体や環境に悪い原料や成分によって黄ばみを防止できるけれど、日本では使用が認められていないから黄ばんでしまうとかなのだろうか。パブリックな情報ソースでどこまで調べられるか判らないけれど、ちょっと調査してみよう。