信憑性
ある人が話している内容が、たまたま私が詳しい分野であって、その人の言っていることが間違いに気づいたしまったときに(世間ではそういわれているけれど実際は違うんですよ、という類の間違い)、その人が話すほかのことまで嘘に聞こえてしまうことがある。
あー、この人は適当なことを自信満々に話すことができる人なんだ、と。交渉ごとの席などでは、知らないことを自身たっぷり話す度胸やスキルが必要になるときもある。しかし、そんな機会ばかりではない。
私自身も、気を付けたい。
ある人が話している内容が、たまたま私が詳しい分野であって、その人の言っていることが間違いに気づいたしまったときに(世間ではそういわれているけれど実際は違うんですよ、という類の間違い)、その人が話すほかのことまで嘘に聞こえてしまうことがある。
あー、この人は適当なことを自信満々に話すことができる人なんだ、と。交渉ごとの席などでは、知らないことを自身たっぷり話す度胸やスキルが必要になるときもある。しかし、そんな機会ばかりではない。
私自身も、気を付けたい。
来年3月に開催予定の第6回 WBC に関し、日本での放映権を NETFLIX が獲得したと先月に報道された。それについて、いろいろな意見を取り上げるネット記事を見ることができる。
NETFLIX の視聴登録をするかどうか決めるために、私の立場でどうなのか考えてみる。
【 良い点 】
・ネット配信ならば、海外にいる私も視聴できる
→ 海外から NETFLIX 日本に加入・視聴可能であれば = 調べる必要あり
・イニング間の球場の様子も見られる?
視聴料を取る = スポンサーがいない = CMがない、ですよね?利用したことないから知らないけど
・見逃し配信もある?
・視聴する方法がTV に限定されずにスマホでも見られる?
【 心配する点 】
・野球中継に長けた解説者や実況アナは NETFLIX に在籍しているの?メディア専属でない人が解説?
・映像の大本はどこの誰?(普段、野球中継のカメラワークに不満がある私)
・NETFLIX 登録増加に寄与するかもしれないから、地上波や既存媒体が WBC が取り上げなくなる?
→ 入手できる情報が減ってしまう?
【 悪い点・悪いかもしれない点 】
・会員にならないといけない ← クレジットカード等の個人情報の登録にネガティブな私
・有料であること
・ミニマム会員継続期間はあるのか?閉幕したら退会意向(時がくれば自分で調べるけれど)
・WBC終了後に直ぐ解約できるとしても、解約手続きの容易さがまだ判らない
・解約したら私の登録情報を消去してくれるか判らない
【 世の中的には良いであろう点 】
・YouTubeなどでの違法配信が多分なくなる(たとえ有難くても、違法なものへ加担してはいけない)
・料金が発生するという認識の醸成 ← 料金が企業の利益になり、社員に給与等で還元されるならば
私は、口数が多くない時の方が累計では長いと思う。人と話すのは苦手ではあっても嫌いではない。だけど、意見とか物事の見方とかがほかの人々と違うケースが多いと認識していることもあって、会話が弾まないことが少ないない。加えて、一緒にいる人の発言と関連のある他のことが頭に浮かんでしまうことが高頻度で起こり、私の中ではさっきの話の関連トピックで話しているのだけど、相手からしてみたら話題が飛んでいってしまうように感じさせて、一つのトピックで会話を続かせることができない私の話し方も悪い点だと認識している。
そんな悪い点に加えて、個人の趣味として、言葉の繰り返しがあまり好きではない。自分の言ったことのみならず、誰かが言ったことを繰り返すのもあまり好きではない。このことは私的な会話ではあまり気にしないのだけど、業務上だと特に避けたくなる。だから、他人の意見を繰り返したりする人を会議とかで聞くのが好きでない。それはさっき、〇〇さんが言ったから判ってますよ、と心の中で独り言つ。それは、底上げの弁当箱、嵩上げで余計な時間を使っているだけではないか。自分でもそれを避けようとするので口数を嵩上げしない。
まあ、ここは個人の趣味の問題で、一般的には口数が多いほうが人に与える印象はよいだろう。柔和というか話やすい人というか。印象は悪いよりは良い方が望ましい場合が多いので私が考えを改めるのは一つの方法であるが、みんながみんな人の言ったことを繰り返したらしたら時間がもったいないし、会話が終わらなくなるので、少しの努力をしつつも私の個性としてご理解いただければ嬉しい限り。
準備不足を痛感する。
以前は、準備しても無駄になることが多い人だった。無駄になっても足りないより良い、と心底感じていた。その後、年齢と経験を重ねると同時に重くてかさばるのに使うかどうか分からない荷物を持つのが辛くて暑くなってきたし、時代が進化・便利になったことで、さほど準備をしなくても凌げるケースがでてきたりして、準備過多より手抜きのほうが徐々に増えてきた。
準備不足は仕事のみならず、日常生活でも同様だと今日、感じた。ある場所へ手続きをしに店舗に行った際に、本来の用事が済んだあとに別件の手続きが可能かどうか質問した。その際に、〇〇を持ってきているか聞かれた。以前であれば、本来の目的には使用しなくても、もしかしてとか思って準備して持ってきていたであろうものを今日は持っていなかった。これを手抜きの結果と呼ぶのか、想像力が欠如してきたというか、単に考えが浅かっただけなのか判らないが、経緯はどれにせよ、結果的には準備不足ということになると思う。
こうしてだんだんと耄碌してゆくのだとしたら、なんとかここで食い止めたい。
自動車のモデルチェンジで EV をラインアップに加えたという自動車メーカーの記事のタイトルが目に入った。どんなデザインなのだろうか気になり、記事本文を読むべく全文表示をクリックした。
私にはどうしても EV の見た目が好きになれない。
私の好みではない車が続々発売されているということは、私の感覚が異端なのだろうことは容易に想像がつく。しかし、私にとっては多くの EV の見た目は、2001年宇宙の旅で出てくるような昔の時点での未来イメージというか、40 年くらい前に雑誌で見た未来カーのように見えて仕方ない。フロントもリア(ライト(ランプ?)の話をしているのでテールというべき?)も左右のライトがつながっているのが、どうしても昔の未来カーにしか見えない。天才バカボンにでてくる目ん玉つながりの警官を細めにした感じというか。EV にすると光っている部分が多くないといけないといった先入観があるのかどうかしらないが、私にとっては好みではない。
ちょっと前までの車のテール・ランプの場合、欧州車は縦が多くて米国販売車は横長かつ真ん中の部分が赤い反射鏡でつながっていて、昼間にみればランプと反射板で横に赤い帯があるようだった。日本車が米国に輸出されていた時代は、日本の車もアメリカ好みと私が勝手になずけている横長・反射板でつながりタイプが多かったが、(私の感覚で)ダサい見た目が嫌われたのか日本車も欧州車に近いデザインになっていた。
なぜ EV になると流れるようなライトが増えるのだろう。EV 駆動にすることで上昇する生産コストをほかで安くするために、安く作れるような設計にした結果だったり(プレスが安っぽい感じ)、デザインの費用を抑えて作っているのだろうか。安全対策を一例に、以前にはなかった重要必須項目が増えたとかがあるのは判るけれど、乗るのが楽しみな車が減ったように思う。EV化以前より存在する自動車メーカーには、どのモデルにも共通するそのメーカーの車に共通するシルエットのようなものがある。欧州モデルはEV モデルでもびっくりするほどの外観急変は少ないが、日本メーカーの EV にはそれまでの内燃機関モデルと比べて未来臭が結構する。また、EV 専業の新興メーカーの EV は完全に未来臭しかないのと同時に、なんとなく(人によって大きくイメージが異なるけれど)e のイメージという感じ。
余計なお世話だが、こんなんではますます車が売れなくなるよと心配する、わたしくの主観では。
テレビ番組を観ていると、街頭インタビューを目にする。ニュース番組だと頻度が高い印象。
高頻出のインタビュー・テーマの一つに物価高に関するものがある印象。しかし、見ていて違和感があるのは、パックご飯が高いと言っている人とかペットボトルの値上げのニュースとか、ほかに安くあげる選択肢があるのに、それをせずに物価が高くて何とかして欲しいと回答する街の声を聞いた時。そもそも高いものを買っているのに物価が高いと言っている人に対して、そりゃそうだろと思わずにいられない。
米を炊くにも米食頻度が低いので炊飯器を買う先行投資の方が割高になるのかもしれないが、そうであればパックご飯を買う機会なんてそれこそ稀なことなのではないだろうか。そんな稀なケースを引き合いに出して生活が困っているというのはどうなのか。人それぞれにお金をかけてもよいものと、そうでないものがあるだろうから、スマホ通信料に文句を言わずにパックご飯が高いと文句をいうのはその人の価値観によるからいいのだけれど、街角の代表意見のように報じるのはちょっとどうかなと思う。そもそも、街のコメントを使うメディが側が言ってほしいコメントのみを使っていたりするだろうから、私は街頭インタビューを真面目に見えてはいないけれど。
「朔日」に気持ちがあらたになる感情を以前に書いた。今日は10月1日なので、朔日であり四半期のスタートでもある。3月決算の日本企業だと、今日が下半期のスタートともいえるけれど、海外の企業は6月や12月のケースが多いと思うし、私が勤める企業も同様なので、今日は年に4回ある四半期の初日ではあっても、半期とかの区切りではない(事業年度の第1四半期初日は、四半期始まりよりも年度の区切りの感情の方が大きいので、実質、年に3度かの気分かも。いや、四半期決算は開示しないから、半期も中くらいの規模の区切りになるので、四半期始まりの感情は年に2回か?)。
まあ、とにかく、今日からあらためて業務する。
困るのは私であって、スタバが困る話ではない(実際、スタバも困るのかもしれないけれど、私はスタバではないのでスタバが困るとは書けない)。
私はスタバのヘビーユーザーと言ってもいいと思っている。店内でコーヒーを飲むことはないが、スタバでコーヒー豆を買っている。日本にいたときから好きだった味があり、私の性格が保守的な部分もあることから、現在暮らしている国でも豆は知っている味のものをスタバで買っている。なかなかチャレンジしたがらない性格だ。
私は東南アジアの地方都市で暮らしている。そこそこの規模はあるけれど地方都市。それでも、家から車で30分以内の場所にスタバが最盛期で5店舗あった。ところが、今は2店になってしまった模様。2年前に中東であらたな攻撃・侵攻がなされて以降、インドネシアやマレーシアといったムスリム国家での米系不買運動があるというのはニュースで見て知ってはいた。また、先日に私が記事に書いた一律賃上げのニュースももしかしたら業績と関係があるのかもしれない。何が背景かは外部の私には判らないが、事実としては私の住む町ではショッピングモール内のスタバが閉店し、独立店舗の2店となってしまった。
多分、ゼロにはならないとは思うけれど、もしそうなったらどうするかのコンティンジェンシー・プランを考えておいて損はないはず。ああ、どうしよう。
ちょっと古いニュースになってしまっているけれど、米スターバックスが従業員を対象に一律昇給を決めたとのこと。これは、貢献度に基づく昇給を置き換えたもんだとの報道内容。これは実際に起きたことのようだけど、その結果、人材が流出しているというのは、メディア側の観測のもよう。記事はいくつもあるのだけれど、流出していると本文中で断定している記事は見当たらなさそう。タイトルに文字数制限があるのかもしれないけれど、観測ならばそれと判るように書くべきだと思う。
タイトルに意見しようとしてるわけではなくて、考えていたのは昇給の件。もっとぼんやり言えば、報酬について。報酬や昇給のタイミング・額を決めるのは非常に難しい。主観・客観のゆき違いや、過去の種まきの正当な評価とは、誰が成果を利益とさせたか、絶対評価と相対評価の合流点、人事評価制度がカバーしきれない点からの課題、などなど。
私が思うのは、その仕事を遂行する能力を得るために掛けたコストがその仕事の報酬として評価されるのを一つの側面にしたらよいのではないかということ。そうすれば、利益という目に見えたり数値で測りやすいものに変換させることができる営業の人と、成果の定量化が難しい管理系の人の違いを評価として一定の形で考慮できそうな気がする。あ、でも、単純に置き換えしがたい・しやすいという違いで報酬に差が出るのもおかしいかな。最初に特殊業務についた人は、ラッキーということになってしまうかな。でも、業務に就いただけではだめで、成果・貢献がないとだめだから、そこは公平なのかなあ。
その仕事ができるようになるためのコストが報酬として支払われる、結構よさそうな気がするな。
大学に入るまで田舎で育った。びっくりするほどの田舎というほどの土地ではなく、よくある中途半端ないなか町。
・電車は一時間に一本
・だから、電車の時間に遅れないことに必死(とはいえ、基本の移動手段はどんなに遠くても自転車)
・バスは小学生の頃に廃止
・畑が多くて冬は出窓に砂がたまる(田舎だからではなくて私の育った家の建付け?)
・夏はほぼ毎日、夕方に雷雨
・学校帰りは畑をつっきって最短距離で家に向かったりできる
・トウモロコシ畑をつっきる時はいろいろなものが服にくっつく
・登下校の道には小学生が寄れる店がない(まあ、小遣いもないから寄れないが)
・マクドナルドが町にない(ほかのファストフード店もない。今でも)
・電車が単線
・警察署や交番がなく、派出所が町に一つだった
・建物が少ないので風の強い日にはダイレクトに風を浴びるので自転車が進まない
・時間帯にもよるが、だいたい電車は一両編成
・小学校まで片道歩いて40分(いくら小学生でも2kmを40分って、遊びながら通学してたのかな?)
小学生なんて(中学生のときも)自分の町しか知らないから、ほかにどんな世界があるかもしれず、別に不平・不満もなかった。今考えると田舎生活していたなとなるが、当時は別に何とも思っていなかった。
電気ケトルのリコール情報を伝えるネット・ニュース記事が出ていた。
私は現在、日本居住ではないけれど、私が暮らす国も日本も「made in China」の共通点多数という共通点があるので、電圧やプラグ形状が異なるけれど、一応、形式の照合をしておこうと思った。
記事から簡単に対象製品を確認することができるかと思いきや、記事ページには型番の確認の仕方があっても型番の記載がなかったり、画像を何枚もめくらないと型番が出てこないページもあり、おもいのほか時間を要した。記事ページから情報にたどり着くことができたものはあるが、私が閲覧したページに限っていえば、ぱっとすぐに行き着けるものはなかった印象。
ニュースには文字数の限度とかあるのかもしれない。そこのところは知らないのだけれど、ニュースを伝えるだけで終わりにしないで、そのメーカーのページに行かなくても確認できるようにしてくれると便利だと思った。ただ、近頃はリンクをクリックするのにアレルギーがあるので、それはやはり自分でメーカーのページに行って確認してくださいというのがメディアのスタンスで、また、ウェブサイトの危険性に関する自分の感覚が正しいかをはかりながら自ら確認するのが身を守る最適解なのだろうか。
ありとあらやるものを信じられなくなってくるので、フィッシングはやめてほしいものだと思った。
2025年9月18日に、日経平均株価が初めて 45 千円の大台を超えたとのこと。
私の iDeCo の状況がどうなっているか確認したところ、先月末と比較して時価評価がそれなりに増えている。私は、国内株式の比重を高くしている。海外株式への投資は、利益が為替で飛んでしまいかねないと思っているから。資産を円建てに変えるタイミングを不問にすれば、為替変動幅以上に外貨建ての金額が増えるのはほぼ間違いないとは思うけれど、ティーンエイジャーのときに平成が始まった私の年齢だと、iDeCo を終えるタイミングで市況が想定の逆にいっている場合、市況の回復を待たずに損益を確定させなければならなくなるかもしれない。若ければ回復するまで待てるけれど、私の場合は時間も不確定要素の一つだ。
だから、今、一旦、定期預金などにしておこうとか、ちょっと考えている。手数料の安い商品を優先的に選択しているとはいえ、コストはゼロではない。今後の10 年以内に再び 45 千円までいくかどうかと聞かれたら、現時点で知りえる情報(といっても、一般人の私が知りえる情報など意味はあまりないけれど)から言えば、その可能性はあまり高くなさそう。いったん時価評価の変動が少ない商品に変更し、株価が下がったところで買い直そうかな。
とりあえず、私が選択している商品がカバーしているものを再確認しようと思う。日経平均に直接インクする商品ではないので、私が保有するものが今がピークとも限らないので。
私が見たり聞いたりしてきた範囲の中だけから言えば、日本では出世した結果に社長へ昇進する一方で、海外では社長が別の会社の社長に就任することがあるように社長がひとつの専門職のようなイメージ。もちろん、日本にプロ社長が存在することはメディアを通じて知っているし、海外の社長ジョブ・ホッピングのニュースが日本まで伝わってくるのは極一部の事例で、多くの企業では日本同様に社内昇格が通常なのかもしれないことも想像する。しかし、乱暴にいうと私の中ではさっき書いたようなイメージ。
社長を全うするためには、社長としての技能が必要なのもはもちろん、社内のことをよく把握していることが大事だと思う。その意味では、出世していったキャリアの最終仕上げが社長という日本システムが機能するのは判る。
海外の社長で私が知っている例はごくわずかながら、本当にこの人は社長だなと思う。その人にもキャリアが浅い時期があったはずだけど、そのころから社長っぽかったのではないかと勝手に想像している。社外のどこかに個人的に雇ったブレーンがいるのではないかと疑うくらい、いろいろなことに明るいという側面もある。ザ・社長。
日本で社長ホッピングしている人に、あまり良い印象がない人たちが多い。印象といっても、雑誌やテレビで見る印象でしかないし、日本では珍しいプロ社長にやっかみの感情もあるのだと思う。だから、当たっていないかもしれない。でも、日本のプロ社長は、しがらみのないことができるという特異点しか見えない感じ。しがらみがないからリストラもできるし、しがらみがないから後先考えずに含み益も吐き出せる。結果、リストラも益出しも両方ともに短期的な収益にしかならない。呼ばれてくる社長にはインセンティブも短期収益基準だろうから、しがらみのなさを思う存分発揮できる環境もそろえてくれている。だから、利益を出して社長が別の会社へ去っていったあとには、何も残っていないことが結構あるのではないか。
一方、海外では、短期収益目線で社員にプレッシャーを与えながらも、それを繰り返して、結果的に継続的な収益として結果を出させられている印象がある(もちろん、社員としてはつらいんだけど)。日本は「あがり」ポジション的な感じであるのと、海外のハンズオンの意識で社長が違うところもあるかも。たぶん、それももうじき変わってくるのだと思う。
秩序を維持して社会生活を送るにはためにはルールが必要。そして、それを守らないと、自分や周りの人を危険な状況においてしまったり、争いがおきたりする。だから関係者全員がルールを守る必要があるが、設定したルールの理由があいまいだと、ルールを守らない人が出てくることがある。
ドイツの道路は快適だ。アウトバーンでは、路面は走行しやすいところが多いし、一般道もラフな道はあまりない。だからスピードを出しがちにはなるが、制限のある区画に入る標識にしたがって減速すると、ああ、なるほどね、ということになる。工事をしている、路面が荒れている、前方で車線が減少している、町の入り口など、なぜ減速が求められたかの理由が明白だ。一方、欧州の別の国を走っていると、工事が終わっているのに減速や車線減少の標識が出しっぱなしになっているなどの理由で、これ意味ないじゃんということが少なくない。標識通りの状況ではないじゃないかと思っているのは私だけではないのか、減速指示を守っていない車が周りに多かったりする。そりゃそうだ、と思う部分もある。だから、本当に危険な場所であるにも関わらず、注意喚起の効果が薄れて危ない場合がある。
この例からは、ルールを守らせるには納得性が必要だということがよく分かる。このことは、いろいろなことに適用ができる。自分がルールを作る側になる時には忘れてはいけない。
時代が進むにつれ、解決をみる既存の問題の件数は増え、世の中は確実に良い方向に向かっていると思う。個別にみれば、新たな問題が発生しているのも間違いないし、新たな問題はかつてないほどの規模の大きな問題だったりして、もぐらたたきのようにあっちを叩くとこっちから頭を出すことはあるだろうけれど、全体としては良い方向に行っていると思うし、そうでなければ、微力ながら(?)私も改悪に手を貸していることになってしまうので、そうは信じたくない。
とはいえ、私の長くない人生の間におきていることだけをみても、日本は結構変わったという感想を持っている。理由はいくつもあると思うが、その一つは西洋的価値感の取り入れ方によるところがあると思う。もちろん、私は西洋的価値観を否定するつもりはない。ただ、なんでもかんでも西洋的価値感であったり、哲学をもたずに取り入れるのはちょっと違うと思っている。日本には日本の良さがあるんだと考えていた。
最近、ちょっと考えを改めるかもしれないと思い始めている。日本的良さは、今もこれからも大事にすべきところだという考えは変わらないが、現在のように外国や外国人との交流がより深くなってくると、付け入るスキを与えてはいけないと強く感じ、それには残念ながら西洋的価値観で対抗せざるを得ないと思うようになってきた。それが結果的に日本の良さを守ることになってゆくのだと思うようになった。
先輩方が作ってきた日本的良さを壊されるのは堪えられない。それと同時に、壊されるのを見ながら何もアクションをせず、へらへらしているのも堪えられない。攻撃的になってはならないが、攻めないと守れないというスタンスでいる必要があると思う。それは、自分がいさせてもらっている外国にも当てはまり、その国のシステムを尊重していかなくちゃ、ということをあらためて思う。
自治体への登録制度があることをニュースで初めて知った。
できること・できないことはこれから深く掘り下げて調べないといけないが、高い費用を払って法律事務所の弁護士とかを起用するのは躊躇する一方で、自治体へ低コストで登録が可能であって、自分に何かが起きたに自分の意思を着実に伝え、自分の資産が家族に届くような制度があることは、私にとって非常にありがたい。また、私に限らず、この制度によって多くの人が簡易に早く相続できる世の中になればいいと思う。相続問題は、相続する人がその意思を伝える方法が少ないとか意思を伝える方法が面倒だということだと思う。
自治体に登録することで、相続に関わる徴税が完璧に実行されることになるかもしれないが、そもそも後ろめたいことは私にはないので、余計な時間を掛けずに相続手続きを完遂できることが可能になるならば納税は構わない。
しかし、私がここに住所を構える前までいた自治体は、まだこの制度が始まっていないらしい。まあ、そのうち、始まるだろう。
YouTube 番組前に CM が流れることについては、そういうものだという理解ができている。それで成り立っているならば仕方ない。
最近、ネット・ニュースを見ていると、YouTube 同様に CM を見ないと読めない記事に度々でくわすようになった。YouTube ならば少し見た後に CM を Skip できる。CM が始まるのは私の意思でないとしても、自分の意思で CM から番組に戻ることができるからなのか、YouTube CM にあまり嫌悪感はない。それは、YouTube でしか見ることができない番組をみるために必要な儀式みないなものとの理解が私の中で進んだからかも。
一方で、ニュースの前の CM の場合は、CM を見るように言われた時点で閉じるボタンをクリックしてしまっている。それは、そのページでなければ見られない記事ではないので、同じ件のほかの媒体のニュースを探せばいいだけのこと。たまに、写真ニュースで同様のものがあり、この場合は他社記事では同じ写真を見ることができないのは想像がつくものの、そこまでしてみたい写真もない。ニュース前の CM は成功とは言えないのではないかなあと思っている。それとも、私が特殊で、大多数の人は CM を見ているのだろうか。これも、周りの人にアンケートをとってみたい質問の一つです。
結論から言えば、好きになれなかった最初の背番号は、任意で番号を選ぶ機会があれば今では自分で選ぶ番号になった。
生まれて最初の背番号は、たしか小学3年生の時だった。現在は、小学生のスポーツチームといえば学年別チームで運営している競技・チームが多いと思うけれど、私が小学生のころは全員で1チームだった。だから、現在のチームでは背番号1が各学年にいるけれど、私の頃は学年に関わらずに自チーム内に背番号ダブりはなかった。そうなると、小さい数字の背番号は上級生に優先的にあてがわれる。上級生が卒部(これは現代的表現)すると背番号変更もあったりするのだけど、私が入っていた田舎の古いスポーツチームでは、背番号は縫い付け交換式(またはマジックテープ交換式)のものではなくてユニフォーム一体タイプのものだったため、背番号を変えるとなるとユニフォーム上着を買い替えないといけなかった。そんなことを両親にお願いできる家庭環境でもないし、お年玉は毎年1万円もらえるかどうかの収支だったから、それをユニフォーム代に支出もできず、私は小3から小学生チームから卒業するまで同じ番号を使った。
小3でもらった番号はあまりなじみのない番号で、例えばプロ野球選手だったら誰だろうと思ったら、一軍で試合に出ている人だと一人しかいなかった。そんな番号。だから、それ時から 10 年前くらい前までは親しみも馴染みもなにもない番号で、どちらかといえばダサいなあと思っていた。
しかし、あるきっかけで、この 10 年間は好きな番号となっていて、今後もずっと好きな番号であり続けると今日時点では感じている。自分では自分のことをコンサバでいる時間の方が長い人間だと思っているけれど、たまに、こんな感じで好み(背番号の場合は好みではなく考え方の変化なのだが)が急変したりする。だから、年齢がいくつになっても新しいことを試すことで何かが変わったりすることは素敵なことだと思う。
デンタルフロスを使い切ったことを書いた。2025 年の目標である「使い切る」ことに関して、デンタルフロスというもので達成した。
「使い切る」ことを目標に挙げたのは、継続的になにかを実行することがその目的にあった。今回のデンタルフロスは、まさに歯の健康のために継続するのは大事。デンタルフロスを初めて買ってからもう十何年もたっているとおもうけれど、いつも続かなくて結局、歯科でクリーニングを定期的に施してもらっていた。今回は、ほぼ毎晩フロスで処理した。継続は力になっていてほしい。
「使い切る」ことの別の目的は、最初のものと似ているようだが「使うこと」がある。心配性な私は、家で使用するものなどの在庫を持っておかないと落ち着かない。しかし、在庫を買うと在庫を持つことで満足してしまうことがよくある。また、その満足が勿体ないという気持ちとも相まって(勿体ないというよりケチな根性かもしれない)、持っているのに使わないという無駄遣いにちかいことをしてしまうことが少なくない。
だから、「使い切る」ことを目標にした。生活が便利になるだろうと〇〇を買ったのに、もったいなくて使わなかったら生活が便利にならない。なんのために買ったんだ!これを止めたかった。理由があって買ったのだから、家にあるものはバンバン使い倒す。これだ。デンタルフロスを使い切って自信になった。なんかいい感じだ。
2025 年の目標の一つに、「使い切る」がある。シャンプーとか醤油など、毎日もしくは割と短めのインターバルで定期的に消費するものであれば使い切るのは難しい話ではない。しかし、例えば、デンタルフロスのように、使わなくても忽ちに不具合が出ないものに関しては、使い切るまでコンスタントに使う意思を継続して保持するのはなかなか難しい。歯間掃除の所要時間が歯磨き後の2-3分のことだとしても、ブラッシングだけで眠ってしまいたい夜もある。とはいえ、長期的にみれば歯間には気を遣ったほうがよいのは明らかだと思われるので、今年の使い切るものの対象物の一つにデンタルフロスも含まれていた(難しい目標ばかりではなく、達成可能な易しそうな目標も混ぜておかないと目標全滅なんてことが起こりえるし、そうなったら気分的にも落ち込んでしまうから、そうはさせない)。
今日、デンタルフロスを使い切った(そろそろかと思って、先週に在庫を買ったところだった)。何か嬉しい。日本にいたときは、歯医者での定期的な清掃から暫らくの間はフロスを使うモチベーションを維持できたけど、仕事で遅いとか何かの理由で一旦サボってしまうとその後の再開が難しかった。いざとなれば、歯医者に行って仕切り直しすればよい、という考えもあった。しかし、今は保険証がないから帰国時に歯科へ行くと10割負担になることを考えると休暇帰国のたびに通院とはいかないし、かといって場合によっては多少の出血を伴うかもしれない歯科での処理を海外で診てもらうのも心配だし、今年に入ってからは予防第一、ほぼ毎晩フロスで歯磨きの仕上げをしていた。
今は、使い切った達成感がある。こんな小さなことで興奮できてびっくりしているけれど。