4月1日、新年度
4月1日は新年度のスタート。
大学新卒で働き始めたのが4月1日だったので、今となっては日本の会社に勤めてはいないけれど、やっぱり4月1日になると働き始めて〇〇周年の節目にはなるし、キリのよいタイミングが好きな私には気持ちを新たにできる大事な日。
何十年も働いてきているのにまだまだ知らないことだらけで毎日勉強の日々だけど、新鮮な気持ちでスタートするぞ。
4月1日は新年度のスタート。
大学新卒で働き始めたのが4月1日だったので、今となっては日本の会社に勤めてはいないけれど、やっぱり4月1日になると働き始めて〇〇周年の節目にはなるし、キリのよいタイミングが好きな私には気持ちを新たにできる大事な日。
何十年も働いてきているのにまだまだ知らないことだらけで毎日勉強の日々だけど、新鮮な気持ちでスタートするぞ。
私のこと。時代遅れ、というか、世間知らずの方がより的確な表現かもしれない。
理由あって自動車の生産・販売台数について2月に調べた時に、販売台数のうち半分がハイブリッド車になっていることに驚いた(日本の自動車産業を台数から理解する – Journeyman : Blog)。というか、それを知らない自分にもっと驚いた。日本で車を買ったのはもうだいぶ前のことなので、その時はまだハイブリッドが今ほど普及していなかったのだろうと思う。そして、そのときの記憶のまま止まっていたんだと思う。
それがひと月前。
それで、最近のこと。
YouTubeの番組が日本の大手家電メーカー2社を比較するという企画をやっていた。その2社は、それぞれに栄枯盛衰的な経緯を経て、以前とは異なる体制で現在も大手メーカーとして企業活動しているのだけれど、絶対評価の視点ではないのだけれど、2社の相対評価としては私が思っていたのと全く逆だった。私は何か調べたうえで何がしかの理解をしていたのではなく、以前に見聞きしたことの記憶がアップデートされていないままの理解なので、すぐさま私の世間知らず感に気付くことになるのだが、そのことにも驚いた。
私のここ何年かの仕事は、世間の動きに敏感でいないと業務の質を確保できない類のものではなく、また、ビジネストークの相手が決して多くないためトークのネタという意味で世間の動静をアップデートさせておく必要性も高くないとはいえ、いかに一般的な情勢に関心がなかったのかに気付いた。日記的にこのブログを始めたのも、今年の行動計画の一つである「すべてのことに対して感想を持つ」ことのきっかけづくりだったこともあるのだが、その意味では関心の無さに気付いたことは目標に向けたよい流れでよかった。
少し前に葬式に係るネット記事があった。どんな内容だったかは覚えていないので、一般的な話だったのだろうと思うけれど、その記事をきっかけに、葬儀と墓に関する自分の考えはどうだろうと考えてみた。自分の葬儀を死後に自分で設計できないため、もしも自分の希望を一部でも反映してもらえるならば事前に伝えておくしかないと思い、何が自分の希望が整理しておこうと感じた。
まずは、大きく費用を掛けて見栄えをよくしてもらう必要はない。人を呼ぼうとすれば、それだけ変動費が総額として増えるし、普通は葬儀は突然のことなので、多くの人に日程調整してもらうほどのことは申し訳ないので希望しない。また、固定費的なコストについても特に見栄えをよくしてもらうのは無駄遣いのような気がして、これも希望しない。
都合をつけてまで葬儀にきてもらいたいとは思わないのは既述の通りだが、私がこの世から去ったことはできるだけ多くの人々にお知らせしたい。どうやったらそれができるか考えているところだけど、生前のお礼と死亡の通知を兼ねた短いメッセージを準備しておいて、送ってほしい人たちのメールアドレスをリスト化しておくのはどうかと思っている。家族には、葬儀の手配よりも面倒になるだろうけれど、葬儀に費用を掛けない分は迷惑料してお金を遣ってもらうことで勘弁してほしい。最新のメールアドレスを知らない人の多くは海外にいたときにお世話になっていた人なので、その会社の総務・人事関係の部署に案内を出したら、そこからある程度の範囲の人には連絡を展開してもらえるじゃないかと期待する。
ちょっと面倒なのは、お墓の話。誰が一緒に入ってくれるか、自分が建てる必要があるかなどの視点もあるが、私の心配はメンテをどうするかということ。そういう意味では、都心の納骨堂がいいと思っている。メンテの心配が少ないし、都心の納骨堂であれば、何かのついでに寄ってみようという気持ちになってくれるかもしれない。本当は、いくつかの思い出の地に散骨してもらいのだが、知り合いに黙って死んでいって、葬儀にも呼ばず、眠っている場所を固定化させた墓もないと、あまりに身勝手なような気がしなくもないので、もしも、会いにきてくれる人がいるとすれば、納骨堂のような場所があるとよいと思っている。一部は散骨(そのための旅費は葬儀代を節約してもらって全く構わない)、残りを納骨堂を希望。
年齢がそれなりになってきたので、有効な形で意思を伝える意味で遺言の準備を考え始めている。相続できるような金銭や資産はそれほどないので、その意味では遺言に意味はあまりないのだけれど、葬儀にお金をかけるのはやめて、ということは私の希望として残しておきたい。そうでないと、こんな地味な葬儀では私がかわいそう、とか言ってくる人がいないとも限らないので、そこは私の意志だったことを証明するためにも正規の書類が少しは役に立つのではないかと思っている。
面接で待たされた挙句、受付から内線で電話したら担当者が帰宅していた、というネット記事をみた。
面接で待たされた経験は私もある。何十年も前の新卒就職活動の時。
当時の就活システムに則って、数人のOB訪問(といっても、私より上の6年間、私の在籍していた大学からその会社への入社実績がなかったので、大学OBではない若手社員との面接)を経て、人事担当と同課長の面接を終え、人事部長との面接という日のことだった。
一時間以上待った。あまり賢くない大学四年生だったので、受付にどうなっているか途中で確認してもらうこともせずに、ただただ、待っていた。記憶にはないが、多分、私とのお約束はどうなってますかと最終的には受付から聞いてもらったのだと思うけれど、部長に会って面接することができた。
その人事部長には重役面接(当時はそう呼んでいた)へ上げてもらい、最終的にその企業に入社したので、待たずに帰ったりしていたら今頃どんな人生だったのだろうかと思う。
まあ、結局は、実際ではない方の人生がどんなだったかに思いをめぐらせることには何も意味がないのでそれはどうでもいいことなのだが、自分がもっと臨機応変な奴だったらよかったなと思うことは数多くある。でも、よくわからないのは臨機応変にできる時もあって、できる時・できない時の違いがどこから来ているのか、ということ。場面なのか、相手なのか、自分の機嫌とかなのか。それが判ればうまく対応できる機会の可能性もあがるだろうに。判らないことがまだまだたくさんある。
最後まで使い切って終われるとなんだか嬉しい。やりきった感が出てくる。
日常生活で使用するもののこと。
調味料やボディーソープなどは最後まで使い切って当たり前な感覚だが、中身を消費しきるまえに買い替えてしまうものもある。
例えば目薬。日常的に使うので中身は減っていくのだけれど、目薬容器のキャップを占める部分のネジ山になんとなく汚れがついてくると、まだ使い切っていないけど衛生的に買い替えた方がよいように思えてくる(目薬をさす時にあやまってまつ毛に容器の先端が触れてしまった時も、買い替えたくなる)。
日常的な使用でないために使い切れない例では、ヘアトニック。普段はトニックは使わないのだけれど、たまに使いたくなる時があるので、在庫はしている。トニックには香りが強いものが多いので、本当にたまにしか使わない。しかし、トニックはある程度の大きさの容器で販売されているので殆ど中身が減らない。そのうちに、引っ越しすることになり(注:私は引っ越しが多い。もうじき、人生通算30回)、その引っ越し荷物を減らすために捨ててしまう。
今年の目標として掲げている「ていねいな生活」には、毎日、決まったことはきちんとする、ということも含まれていて、レベルの低いところでいえば、歯磨きに加えて毎日のデンタルフロスとマウスウォッシュ剤でのすすぎをやることといったような小学生の夏休み日記にありそうな項目もある。そのため、今までは使い切るまでには長い期間が掛かっていたフロスの消費が今は早い。使い切る前に買い替えるのには後ろめたさがあるのだが、使い切ることができると達成感がでるというか、無駄を生じさせずに地球に貢献できたというか、使い切ってキリがよくて新たな明日がくるようで楽しみなような、いろいろな感情が小さなことから湧いてくる。
あるあるの一つかもしれない。
例えば、電気製品の場合。本体はまだまだ使えて、充電池も問題ない。でも付属品が使えなくなってしまう。例えば、付属品が樹脂製で経年劣化で割れてしまう場合など。付属品のみ後から購入できる製品もあるが、そうでないものもある。営利団体である企業にとっては、自社製品を買ってもらうことが大事なのはわかるが、その企業のファンを増やしてこそ、長く愛用してもらえる製品と企業になるのにな、と思う。
久方ぶりに都会へ買い出しに行ってきた。買い出しに行く時の目的はだいたい食料品。
ひと通り食料を調達した後は、弁当や総菜、パンを買って買い出しを終え帰宅。帰ってから2-3日は、その弁当、パン類で過ごす。新しい店もできているとは思うけれど、その街へ行くときは、だいたい同じ店に行ってしまうので、同じような弁当や総菜、パンを買ってしまう。今回の買い出し旅も途中までは同じ流れで好きな総菜を入手した。
いつもの買い出しでは、日本酒やワインも調達して、その日だけはと自分を甘やかして総菜や弁当とともに自宅で一杯ひっかけるのが流れ。ただし、今はアルコール類を少し控えているので、今回は買い物リストに酒はもともと入れておらず、総菜を買うまではその流れの通りに買い物を進めていた。
ところが、だ。
総菜を買っていると、出来上がりの品物が陳列棚にならんだ。それは、食べたいものだった。いつもは買っているものなのだが、最初は陳列棚になかったので、あやうく買い忘れるところだった。それで、それを入手した瞬間、あ、日本酒があるといいと思ってしまった。
今回は酒を買わないという計画で買い物にきて、その後、酒が欲しくなり、そして、その誘惑を押し返した。そのやり取りを自分の心の中で何往復かして、そのたびに誘惑と強い意志の振幅が大きくなっていった。その間、酒売り場とそのほかの商品の売り場の間を何往復もした。
結局、今回は酒を買わなかった。今回の心の動きを誘惑と呼んでよいものかどうかわからないが、その言葉を使うとすると誘惑に打ち勝ったと言える。いくら途中で考えが変わりそうになったといっても、もともと買わない計画だったので、計画通りに実行しただけといえばそうなので、打ち勝ったといって誇るほどのものではないかもしれない。
しかし、一度決めたことからなびかなかったことは事実なので、私の身の回りのことで、何かが少し好転するような期待がある。何かを求めて何かを我慢するような交換条件の結果ではないのだが、自然と期待が湧いてきている。
飲み物の分野でいえば、私は完全にコーヒー党。普段は、水を除けばコーヒー以外の飲み物は、よっぽどのことがない限り選択肢に上がってこない。ところが、先日に突然、たまには紅茶を飲んでみようという気分になった。何かで見たとか読んで影響を受けたわけではなく、本当に何の前触れもなく紅茶が頭に浮かんだ。
コーヒー党ゆえに家に紅茶の在庫はいので、即日実行とはいかずに、まずはスーパーで紅茶を買う必要があった。美味しい紅茶の方が長続きすると思って名前を知っているところの紅茶の葉を買うことも考えたが、最後まで使い切れるかどうかの自信がないため、割と安めのものをまずは試してみることにした。
スーパーの紅茶売り場に立っていると、例の突然のひらめきでロシアン・ティが降って湧いてきた。こちらはゼロから出てきたわけではなくて、30年以上前に当時の知り合いと喫茶店に行ったときに、一緒にいた人が注文したのがロシアン・ティだった(ゼロからではないが30年以上前の記憶からだった)。そう思い始めると、ロシアン・ティにあう茶葉ってなんだろうとスマホで検索したのだが、ジャムは溶かすものではなくて、紅茶をのみながら舐めるものだという説明に目が入った。ロシアンティを初めて知ったあの日から30年以上、ジャムは溶かすものとばかり思っていたので、目から鱗が落ちた瞬間だった。そうすると、この飲み方に関するほかの情報も知りたくなって調べを進めると、ロシアのお茶文化といった一般名詞としてのロシアン・ティを除くと、アメリカ発祥のロシアン・ティはジャムとは無関係だとかいろいろ出てきて、今日も探求心から眠れなそうだ。
選択的夫婦別姓が施行されると、「姓」に対する英訳は、日本では「surname」だけになって「family name」は姓の訳語として使われなくなるのだろうか。Family なのに父母で異なる名字を使うことを選択した人には、もう family の name ではなくなる。父方 family の name や母方 family の name では、自分の親家族には違いないが、自分が結婚を決めた配偶者とその配偶者との間の子どもという意味での家族感とは違う。
ところで、夫婦同姓を法律で強制するのは日本だけのようだが、family name という単語は世界各地で公文書に使われているのか surname が正式な英単語なのか(あるいは、それぞれの国の現地語に surname と family nameの両方の単語が存在するのか)など判らないけど調べてみたいことだらけで、今日も時間が足りない。
昨夜、取引先と食事をした。会食ではなく、先方の会社の社内イベントに同席させていただいた。その会社は、私が勤務する会社の近くに工場があるものの、本社アドミは車で数時間の場所にあり、私を招待してくれた人もそのアドミ事務所勤務。そのお方が工場に来るときは、だいたい食事に誘ってくれて、時には先方社員の食事会に私一人、部外者で参加することもある。昨夜はそのパターンでもう少し大規模の会社イベントに同席させていただいた。
会場は、私が住む町ではあるものの、普段はあまり行かないエリアにあるホテルだった。早く着きすぎたら、丁度、用事もあるんのでスーパーへ行って時間調整しようと思い、いつも以上に余裕をもって会社を出発。
結局、だいぶと早くついたので、いざ買い物へ。
いつもは行かないスーパーなので、何がどこにあるか判らず何度も同じ場所をぐるぐる・うろうろしていると、私に声をかける人が。名前を呼ばれたので会社の人だろうとは思ったのだが、よく聞くと私の勤務先にインターンとして7-8年前に働いていたとのこと。私は名前と顔を覚えるのが苦手であることに加えて、私の勤務する製造業の会社の従業員は数百人レベルとあって、よくあるように昨晩も申し訳なく感じつつも、お互いに近況を少々報告しあって会話を楽しんだとともに、声をかけてくれたことが非常に嬉しかった。同時に、外国人は目立つから、悪いことはしちゃいけないなと再確認した(普段から悪いことはしていない)。
再会と買い物を終えてスーパーを出ると、横にドラッグストアがあった。私がこの町にきて暫くたった頃にふと入ったスーパーで見つけた、とても泡々なボディーソープが気に入ったのだが、そのスーパーは数か月前に閉店してしまい、その後はどこを探してもそのボディーソープを扱っている店に出会うことができなかったが、なんと、たまたま入ったドラッグストアにその商品がおいてあった。ああ、来てよかったとつくづく思った。
弁護士の人は、日々の生活の中で下さなければならない決定や選択に脳みそを浪費しないよう、生活をパターン化させている人が多いと聞いたことがある。私は弁護士でもなければ脳みその浪費を回避しようとしているわけでもないが、パターン化した生活という意味では似ている。時にこれでは味気ないと思いつつも、仕事で疲弊しているのも事実で、こうなってしまう。しかし、昨晩のようなことがあると、たまには普段と違うことをするのもいいことがあるなと思うのだが、それがまたジレンマを生み、いつも通りにすべきか違うことをすべきかで心をすり減らしてしまうのだ。解決しない。
そう思う先生が三人いる。
中学2年の時の英語の先生。
高校2年時の数学の先生。
それと、大学時代の商業英語の先生。
この三人にそのタイミングで教わることがなければ、きっと違う進路に進んでいたであろうし、そうとなれば、私が過ごしてきたこれまでの日々とは全く異なる経緯で今日を迎えていたことだろうと思う。
中学1年の時に英語がちんぷんかんぷんだった私を洋楽で救ってくれた2年の時の先生、中学数学から高校数学に変わって全くついていけなくなった私に、ノートの効果的な取り方や数式等を書くことで理解が進むことに気付かせてくれた数学の先生、商社マンから大学講師に転職した先生から聞いた貿易実務になんだか興味を覚えた大学時代。
卒業シーズンなこの時期、きっと叶わないと思うが、会ってお礼が言いたい。
既に終了していた国内生産に続き、海外でも部品がなくなり次第に生産を終了するとニュース記事が報じている。
マツダ6に対しては、外観が欧州車に近い最初の日本の四輪車というイメージがある。日本からの輸出と海外での現地生産の両方ともに、北米が日本の自動車産業にとっての大きな市場であり続けていたことからか、その大きな市場で販売しやすいように、日本メーカーの四輪車の外観は、欧州車よりもアメリカ車のほうに寄せていた印象で、今なおも多くのモデルに対して同様の感想を持っている。SUVに関する欧米差は、小さなトラックといった感じの北米SUVに対して、欧州車は大きな乗用車といったような、さほど大きくない差のように私には見えるが、これがセダンやステーションワゴンとなると、ものの見え方の基準が欧米では違うんだろうなというくらいの大きな差異があるように私には見える。
そんな北米テイストの外観が多い日本車の中で、私が欧州にいたころにデビューしたマツダ6は、欧州でみた日本車の中で最もカッコ良く、欧州の風景と周りを走る欧州車の中にとても溶け込んでいると感じていた。事実、日本車の中では欧州で販売台数的にも成功した部類のモデルだったような記憶もある(定かではない)。
日本では、セダンとステーションワゴンの売れ行きがかつてほどではないという記事を見ることが多くなった。少数の希望者のために売れない車を開発する余裕も義理立ても自動車メーカーにはないだろうし(最近、16eに代わったiPhone SEにも同様のことが言えると思う)、フル・ラインナップを持つより自社の特徴を生かした車に経営資源を投入するのが営利企業としての姿勢であろう。私がいつか日本に帰る時、車の選択肢がどうなっているのだろうか。まだ自分で乗ったことはないのだが、一度はクーペを保有してみたいと思ってきた。歩行者保護とか安全性や燃費など、車の外観にも影響を与えうる設計・性能上の要求事項が増えてきている中で、それらを考慮するがためにカッコよい外観の車が絶滅してしまう前に最後の車を買って長く乗りたいと思っている。
作家の曽野綾子さんが2025年2月28日に逝去されたことが報じられた。曽野さんの作品でいえば、太郎物語を読んだことを覚えている。大学受験勉強のころ、学びたい学部が地元の大学にはなかったため、大学生活は一人暮らしになるだろうというのが想像できたのと、名古屋にある大学を志望して時期があったことからも、太郎物語を手に取って読んだのかもしれない。名古屋・栄の夜は早い、というのをなんとなく覚えている。
しかし、よくよく考えてみると、高校時代の部活現役の間は部活中心の生活を目一杯していたし、引退後は受験勉強に振り切った生活をしていたので、本を読んだのは高校時代だったっけ?と思い始めた。高校生の時は、本を全く読まなかった頃か、本を読むなら単語帳とか参考書だった期間のどちらかだったと記憶する。大学入学後は授業の予習が大変だったが、それでも時間はあったので、もしかしたら入学後の記憶か?そうすると、結局、名古屋の大学は受験すらしなかったので、名古屋で一人暮らしをすることを想像して読んでいたのと辻褄が合わなくなってしまう。
記憶が定かでないし、記憶を呼び戻したところで今日の生活に何か影響が出るわけでもないので、この辺で記憶回復作業を止めるけれど、結論としては、記憶は非常にあいまいで、かなりの確率で書き換えられている恐れもあるからこそ、勝手な思い出の中で生きてゆけるんだろうなということだった。
自民党、公明党、日本維新の会の3党が教育支援金の見直しについて合意する文書に署名したことをメディが報じている。
ニュース番組を見れば専門家と呼ばれる人が色々と解説してくれているし、新聞では記者が内容を報じ、ネットニュースのコメント欄には一般の人々が各自の意見を披露しているので、いろいろな人が様々な考えを持っていることを理解する上で参考になった。
私が高校受験生だったのは何十年も前で、また、高校卒業とともに地元を離れたので今の動向はしらないが、私はいわゆる地方で育ち、地元の私立高校は市に一校づつといった感じだった。都会のように、教育方針や校風を理由に私立を選ぶというよりも、第一志望の公立高校に落ちたとか、特定の部活に入ることが目的で私学に進むケースが多かったように思う。公立に落ちて期せずして私立に通う場合には、支援金は有難いはずだと思う。一方で、私立を第一志望に選ぶ受験生が多くない地方の場合においては、成績優秀者には特待生制度を用意して学生を集めようとする私立も多いと思うので、支援金が効いてくる高校生の割合は、地方では都会よりも低いように想像する。支援金は、私学の中でも多くの選択肢が存在する都会において、より価値が出てきそう。
私は、地方で育ったあとに、そこからは距離も生活文化も結構離れた地方都市で大学時代を過ごし、就職で東京に出てきた。お上りさん的に双六の目を進んできたが、私個人はそれがよかったと思っている(ほかの人生を経験していないので、自分の経験がよかったとしか思えない、ということもある)。だけど、この教育支援金のニュースを聞いて考えたのは、都会と地方の教育機会格差を広めたり、それが廻り回って都会への人口集中が収まらない原因になったり、そこから少子化になったりするのかもしれないなとと思ったりした。
自分には高校生の子どもはおらず、また、将来に高校生になる年齢の子どももいないため受益者になる予定はない(今日時点)。さらに言えば、ここ数年は日本で納税していないため、教育支援金の原資を提供する側にもなれていない。だけど、教育は国づくりの基本だと思っているので、どうしても気になる。
今日は、ついたち、3月1日。
毎月ついたちは、丁寧に過ごしたい。ついたちを丁寧に過ごせると、その月はよい月にできるような気がするというか、むしろ、その月をよくしたいので、一日は特に丁寧に過ごす。毎月、元旦を迎えているのと同じ。
もともと験を担ぐところはあった。多分、学生スポーツをそれなりに真剣にやっていたことが影響していると思う。スポーツと「験」は、「高校・大学受験と験」と同様に相性がよいと思う。それと、切りがよいという意味でも、ついたちを丁寧に過ごしたいと思っている。別に、気分転換しないとやってられないようなひどい日々をいつも過ごしているわけではないけれど、切りがよいとか何かのきっかけを大事にしている。同時に、切りがよいタイミングが近づいるときは、その日がくるまでは暴飲暴食・自堕落な生活をしたりする。
だいぶ話はそれたが、もうちょっと残っているついたちを無難に過ごしたい。
季節の変わり目がメンタルに与える影響を語る動画を見た。年中温暖な場所にいると、そうでない場所にいるよりも鬱になる例が少ないという説だ。
それを聞いて、確かにそんな気がすると思った一方で、年中温暖な場所は、日の出・日の入りの時刻が年間を通してあまり変化がないために季節感がなく、メリハリがなくてだらっとしがちだというのが私の実感。四季がある日本で生まれて育ったからこそそう感じるのであって、もともとそこで生きてきた人には微妙な変化に気づいていたり、それなりに季節変化を感じ取っているのかもしれないので、あくまで私の感じ方(ちなみに、ヘイズや洗濯物が乾く時間の違いなどから、細かな季節の変わり目を感じる)。
年中暖かいほうが着るものにお金が掛からず箪笥もスッカスカで掃除もしやすいのだが、枕草子の「冬はつとめて」って私もよいと感じる。年中寒いのは勘弁してほしいが、一年間のうち特定の期間であれば、厳しい寒さに触れると生きてる証を感じるし、春を待つのが楽しみで、また、春が来ることがうれしい。そういえば、欧州のシューパーゲルとか季節もの、特に、その年の第一発目を食べると幸福感を満たしてくれる。
2023暦年に日本人に発行されたパスポート冊数に関する先日のニュースを見たのをきっかけに、航空会社のマイレージについてあれやこれやと考えていた時に、そういえば、私は車で移動する機会が多かったっけ、と思い出した。
ざっくり計算してみると、自走で車に乗っていたのを時間に換算すると、延べ1年以上だったことが判明した。
これまでの自走距離・・・・・・約50万km
平均時速・・・・・・・だいたい50km/h
推定自走時間・・・・・・・ほぼ10,000時間
日数換算・・・・・・・・・・・416日(1年1か月強)
自走した国の中には、制限速度が他国に比べて速い国や、基本は下道しか使わない国や渋滞に巻き込まれがちな国など環境はいろいろ有りだったけれど、不思議なことにどの国も均すとおおよそ50km/hくらいが平均時速に収まっていたので、計算にはこれを採用。車を初めて買ったのは、就職から割と早いタイミングで赴任した最初の任地だったので、分母の年数はほぼほぼ働き始めてからの年数になる。累計1年の絶対的な長さもそうだが、運転経験年数(=就業年数)との相対比較においても、1年は非常に長いこと自走していたことになる。
大学生時代は金銭的な余裕がなく、またキャンパスは原付で通える距離だし、車以外におもしろいことがたくさんあったので車への興味はほとんど無かったけれど、車に乗るようになってしばらく経過すると車の運転に興味を持つようになった。他車にかける迷惑を最小限にする運転、つまり、ださくない運転の仕方を研究したり、車中が快適になるようにガジェットを買ってみたりと、運転を楽しんできた。
さっきはもともと車に興味がなかったと書いたが、そういえば、スーパーカー消しゴムに小学生の時にはまっていたので、全く興味なかったわけではないはずだ。でも、それよりも、小学生の時に自転車の運転の仕方を研究していたことをふと思い出し、結局、人間の根本は変わらないんだなど認識した。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
外で仲間と食事していた時の会話内容。そこに居た数人は、今所有しているパスポートの数で言えば4か国、本人のルーツでいえば5か国の人々が集まって食事をしていた。誰かが、「プレーするスポーツと観るスポーツ、みんな何が好き?」という話になって、別の一人が「じゃあ、テーブルの席を順繰りにまわって各自言って」という話になった。
私にとってスポーツ(運動。体を動かすこと)は、プレーするものとしての位置づけの比重が大きくて、観るスポーツとなると、観ることに対する熱量が多くない代わりに何を観てもそれなりに楽しめるとは思っている。
食事時の質問の順番が私に回ってきた。正直に言えば、最近スポーツを観ていない。決してスポーツが嫌いなわけではない。なぜ観ていないのか。
帰宅してから考えていたら、そもそも私はテレビを観ないし、競技場でスポーツを観るほど熱心なファンでもない。
テレビは一家に一台が普通の時代に育ったので、中学生くらいまでは父親が観るテレビ番組一択だったので、私にとってのテレビ番組は娯楽ではなかった。高校生になると部活が忙しく、そもそもテレビを観た記憶がほぼない。大学入学とともに始めた一人暮らしには自分用のテレビはあったが、高校生までにテレビを観ない生活が普通になってしまっていたし、大学生はそれなりに忙しいのでこの年代でもテレビをあまり観ていなかった。就職して最初の2年くらいは始発・終電での勤務が多かったし、そういえば、テレビを買ったのは入社3年目だったと記憶する。その後は海外勤務が重なって全くテレビを観ない生活が復活。
テレビを観ない経緯は私個人の特殊な環境とかで同僚にはどうでもいいことではあるけども、日本人にそれなりの確率で生じうる共通点としては、高校時代のノンプロのような部活生活でテレビを観ない生活になった、という人は特殊な人々ではない程度の一定数は存在しているのではないかと思う。この辺の部活どっぷり生活は、海外の人に説明しても背景を理解してもらいずらい事象ではないかと思った。
外務省の発表を伝えるニュースがあった。
2024年に発行されたパスポート・・・・・・・・・・・・・382万冊
2024年末時点で有効なパスポート発行残高・・・・・・・2,164万冊
保有率・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17.5% or 6人に一人
※ 逆算すると対象者は126百万人(=人口)
2023年中の発行数に比べると・・・・・・・・・・・・・・+ 30万冊
ただし、コロナ前の2019年と比べると・・・・・・・・・・△ 68万冊
統計取り始めてからの年間の最大発行数・・・・・・・・・・638万冊(1996年)
→ 1996年 = アトランタ五輪、アジア通貨危機の少し前
6人に一人は意外に少ない印象。私の人生初海外は成人になってからだったけれど、今は家族旅行に行くためにパスポートを持っている子どももたくさんいるだろうし、2割未満だとは思わなかった。運転免許証を持っていない場合、パスポートが写真付きIDだった人もいるかもしれないけれど、今はマイナ・カードのほうが写真付きIDとしては低コストと言えなくもないのか。
手帳に書いた今年実行することを、備忘のためにここにも。
目にする機会が多いほどに、初志をわすれることがないように思うので。
・丁寧な暮らし
例)食事にはお盆(トレー)を必ず使う
・持っているものは使う = 在庫をため込まず、持っているものを活用する
・無理な人とは付き合わない
・楽しみなルーティンをつくる = 仕事を早く終える動機付けにもできるし
・体重と体形の管理
・ペン字
・たまには都会にいって刺激を受ける(そうしないとだらだらしてしまう)
・運がよいことを忘れない
・一日一新