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カテゴリー: 人間関係

2026年に達成したいこと

2026年に達成したいこと

元日なので、ありきたりではあるけれど、今年に達成したいことを記しておいて年末にはレビューできるようにしておく。

・旧い友人と会う=そろそろそんな年齢:対象の人々が住んでない国にいるので機会設定が必要がある
・使い切る:2025年からの継続案件 = 2025年にできたものあったけれど継続
・人の話は先ず最後まで聞く:私が想定する展開が話し手の着地点でないかもしれないと知る
・余計な発言を慎む
・先入観をできるだけ排除する
・買い置きできる体質に(あったらあっただけ使ったりしない)
・体調と体重を管理
・年齢を重ねても新しい思い出を作れると信じて生きる

ポジション・トーク

ポジション・トーク

私は、動画で討論や解説ものをみるのが好き。
ところが、最近は、好きでなくなりそうな感覚を持ち始めている。

解説者やコメンテータ、YouTuberが言っていることが、皆、以前にもましてポジション・トークだとしか思えないようになってきて、真面目にきくのがばからしくなってきた。それ違うんじゃない?と思うことがあるが、彼らはポジション・トークをしているだけだから、それに反応するのもばからしく感じるようになった。これまでは、自分と違う意見を聞くことを楽しめたのだが、最近は時間の無駄だと思うようになってきた。人生の残り時間が少なくなってきているはずなので、時間の無駄遣いがなくなるように仕向けてもらっていると思って、ありがたく感じている。

今までも淡々として生きてきたような気がするが、さらにそれが進行していくことが少し怖い。

オフレコ

オフレコ

官邸幹部のオフレコ発言が最近に報じられていた。

何年に一度の頻度でオフレコ発言が取りざたされる。そのたびにいろいろ議論があるが、私の中では政治家にはオフレコ発言はないと思っている。オフレコといってそれを本気にするマスコミは存在しない、というのが既に暗黙の了解になっているという認識だった。

だから、政治家が「これ、オフレコだからな」という場合は、流出するのが判ってあえてその情報を流すのが政治家でも常識になっているのかと勘違いしていた模様。

今回報道されている案件にどのような背景があるのか判らないけれど、センシティブな時の変な発言もよく判らないし、オフレコ発言を書くくらいなら発言者の名前も明かせばよいのにそうはしないのはなぜかもマスコミの世界にいない私には想像もつかない。オフレコ書くなら、その官邸高官とマスコミの信頼関係は壊れてしまっているはずなので具体名を隠す必要がないように私にも思える。

彼らには彼らの暗黙の了解があるのだろうけれど、オフレコは書くというのがそうなのであれば、発言者はもっときちんと認識すべきだと思う。そうでなければ、わざと言ったとしか思えない。だとしたら、今じゃなくてよかったのではという私の感想。あるいは、わざと足を引っ張るために、書かれる前提でオフレコ発言すれば、オフレコだからってそんなこと言ってもいいのかというように余計に否定的な意見を引き出しやすい。そうであれば、マスコミが名前を出さない理由はありそう。ともにアンチ現政権ということになるだろう。

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

10年くらい前のバラエティ番組を見ていたら、視聴者の手紙からMCの会話が合コンの話題になって、そこで、合コンといってもその日の目的によってノリが違ってそのノリに合わせる、というようなことを言っていた。

私は新卒入社してから所謂モーレツ・サラリーマンというのに近い生活を送って合コンには遠いところにいたので、番組内の会話に登場した合コンのノリというフレーズには何も反応もなかったのだけれど、「ノリが合わなかった」というのが私の転職理由を短いフレーズで表現するならこれなかあと感じた。

ノリが合わずに退職したというと、入社して数年で辞めたように聞こえるかもしれないけれど、私の場合は 20 年以上勤めた会社をノリが合わずに辞めることになった。しかも、突然にノリが合わなくなったわけではなく、割とずっとノリの合わなさを感じていた。

例えば、忘年会や誰かの駐在や退職での壮行会などといった部署内での飲み会。飲むのに掛け声があったり、大騒ぎしたり、そのノリが体質に合わないのだけれど、そのノリに合わせないといけない雰囲気が必ずある。業種的に、なんかそんな雰囲気がある。社内でもそういう人が多数派であるという雰囲気がある。演じている人も実態としてはいたのかもしれないけれど、勢いがないとだめなような雰囲気がある。所謂、金太郎あめのような会社で、そこに馴染めない感覚を持ち続けていた。

転職をした理由は、言葉にするといろいろと説明できるのだけれど、一言でいうとノリが合わなかった、という表現ができるかも、とふと思った。

口数の多さと繰り返し発言の多さ

口数の多さと繰り返し発言の多さ

私は、口数が多くない時の方が累計では長いと思う。人と話すのは苦手ではあっても嫌いではない。だけど、意見とか物事の見方とかがほかの人々と違うケースが多いと認識していることもあって、会話が弾まないことが少ないない。加えて、一緒にいる人の発言と関連のある他のことが頭に浮かんでしまうことが高頻度で起こり、私の中ではさっきの話の関連トピックで話しているのだけど、相手からしてみたら話題が飛んでいってしまうように感じさせて、一つのトピックで会話を続かせることができない私の話し方も悪い点だと認識している。

そんな悪い点に加えて、個人の趣味として、言葉の繰り返しがあまり好きではない。自分の言ったことのみならず、誰かが言ったことを繰り返すのもあまり好きではない。このことは私的な会話ではあまり気にしないのだけど、業務上だと特に避けたくなる。だから、他人の意見を繰り返したりする人を会議とかで聞くのが好きでない。それはさっき、〇〇さんが言ったから判ってますよ、と心の中で独り言つ。それは、底上げの弁当箱、嵩上げで余計な時間を使っているだけではないか。自分でもそれを避けようとするので口数を嵩上げしない。

まあ、ここは個人の趣味の問題で、一般的には口数が多いほうが人に与える印象はよいだろう。柔和というか話やすい人というか。印象は悪いよりは良い方が望ましい場合が多いので私が考えを改めるのは一つの方法であるが、みんながみんな人の言ったことを繰り返したらしたら時間がもったいないし、会話が終わらなくなるので、少しの努力をしつつも私の個性としてご理解いただければ嬉しい限り。

終活情報登録制度

終活情報登録制度

自治体への登録制度があることをニュースで初めて知った。

できること・できないことはこれから深く掘り下げて調べないといけないが、高い費用を払って法律事務所の弁護士とかを起用するのは躊躇する一方で、自治体へ低コストで登録が可能であって、自分に何かが起きたに自分の意思を着実に伝え、自分の資産が家族に届くような制度があることは、私にとって非常にありがたい。また、私に限らず、この制度によって多くの人が簡易に早く相続できる世の中になればいいと思う。相続問題は、相続する人がその意思を伝える方法が少ないとか意思を伝える方法が面倒だということだと思う。

自治体に登録することで、相続に関わる徴税が完璧に実行されることになるかもしれないが、そもそも後ろめたいことは私にはないので、余計な時間を掛けずに相続手続きを完遂できることが可能になるならば納税は構わない。

しかし、私がここに住所を構える前までいた自治体は、まだこの制度が始まっていないらしい。まあ、そのうち、始まるだろう。

第一志望 : 大学受験②

第一志望 : 大学受験②

高校3年夏に部活が終わり、その後しばらくしてから勉強を始めたおかげか成績が改善して、志望校を二度見直した。受験本番の直近までE判定だった大学にめでたく合格して、あこがれの大学で学生生活を送れることになった。

自分でいうのは何だが、私は本番で実力以上の結果が出たり、試験に強い傾向が割とあると思っている。最後の模試までずっとE判定だった大学に合格・入学できたのは、そのおかげ以外のなにものでもないと感じた。

実際に入学すると、その認識が正しいことをすぐに理解した。

入学して最初の授業が始まる前のオリエンテーションのような場で、自己紹介をする機会があった。今でいえばマウント取りと呼ぶ人もいるかもしれないが、当時はそんな言葉がないので概念もなく、私は別に悪い感情もなくただただ同期の人たちに感心したのだが、その大学よりも難関校と呼ばれる大学に受かっていたのに私が入学した大学を選んできた人や帰国子女、高校時代に海外研修に選抜されていたような人とか、たくさんのスゴイ人がいて、これは大変なところに入学してしまったなあと深く思った。同時に、そんな人たちと同じ環境で学べることにとても興奮していた。

これはある種の原体験だった。高校生の当時、自分より勉強のできる人がクラスにいたり、自分より上手な人が部活チームにいたりは勿論あった。だけど、とてつもなく勉学に優秀な学生と交わる機会はなかったし、部活で全国大会に出たわけでもないので超絶な選手と試合で出会う機会がなかったので、スゴイ人に会うことがそれまでの人生にはなかった(人生といっても、田舎で子ども時代を過ごすたかが18 年弱の間の話だけど)。しかし、大学に入学してすぐに会った人たちに対して、すごい人たちだなあと素直に感じた。だからある種の原体験。

成績が伸びる前の段階で第一志望と思っていた大学に行っていたらどうだったのか、と思うことがあると別記事で書いた。それはそれで、今もどうだったのか興味はあるけれど、本番の時の第一志望に入学が許可されて本当によかったと思っている。

営業マンと聞いて思い浮かぶ私のイメージ

営業マンと聞いて思い浮かぶ私のイメージ

営業マンと乱暴にひとまとめに表現しても、業種によって所謂営業マンのイメージは異なってくるだろう。家庭や個人を対象にした訪問販売の営業マンや対企業の営業マン、扱っている商品によってもイメージは様々で、違う会社に勤めていると友人間であっても営業マンを同じイメージでは語れない。

私には、営業マンと聞くと思う浮かぶ人が一人いる。その人とは、20 年以上前に仕事をしていた。一緒に仕事をさせて頂いた期間は1年少々の間だけで、業務上でその人とかぶる場面は、客先との面談で出張するときだった。

私にとってのその「営業マン」先輩は、面談時に客先からの質問に答える際には口頭で説明するのではなくて、試験結果や図面を必ず示し、客観性のあるデータに説明させるやり方だった。書面にしたデータを常時ファイルに入れて持ち歩き、質問があれば適切なデータをファイルから取り出して説明するスタイルだった。

当時、私は技術営業をしていた。その先輩と客先訪問をするようになったときは、まだ、その業務に就いてから時間があまりたっておらず、見習いのような感じでその先輩についていっていた。だから、製品データなどもまだ頭によく入っていなかった。業種的に客観データが重要視される業界だから資料が必要であるのをよいことに、カンニングペーパー的に資料に語らせる手口は自分の無知を隠すのにも都合がよいという不純な理由もあって私は資料の鬼になった。ただ、それは資料を重要視する二次的な理由であって、やはり業界での仕事の仕方や先輩のやり方が非常に参考になった。その先輩から独り立ちして欧州で技術営業をするようになってからは、基本的に客先へは車で訪問していたので、持って行けるファイルの物理的な量は増え、客先からは動くオフィスというあだ名をつけてもらっていたりもした。日本人が欧州 OEM や Tier 1 に入り込むにはそんなあだ名も多少役に立ったと思う。紙のデータを一瞬にして出して示すのは、タブレットやPCでデータを探してから小さな画面で見せるのとは違う迫力と説得力があったはずだ。

その業界や仕事のやり方が私にはあっていたのだと思う。その後、別の仕事をするようになると、口八丁の営業マン・スタイルが必要な時があったり、あまり品質やデータを重要視せずに価格の話ばかりになるお客さんの業界だったりして、私が先輩によって呼び起こされた特性が仕事に活かせず悶々と過ごす時代も短くなかった。

次回に休暇で日本へ一時帰国する際、この先輩に会いたいと思っている。その先輩に対して、私が仕事の師と思っていたことを伝えたことはないので、先輩を驚かすことになるかもしれないが、お礼を言いたいと思っている。お互いにそれなりの年齢になり、言えるうちにお礼を言いたい。

AI に相談する

AI に相談する

日経新聞に、「ChatGPT の新モデルに「冷たくてつらい」の声 共感力低下に失望」という見出しの記事があり読んでみた。

ChatGPT に精神的なサポートを求め、依存してしまう人もいるらしい。また、AI と心理学に詳しい米国大学の教授のコメントが記事で紹介されていて、メンタルヘルスの悪化とセラピストの不足で、ChatGPT が安上がりなセラピストになっているらしい。

言われてみれば、最近みた動画のいくつかのものでも AI に悩みを相談していると言っている出演者がいたのを思い出した。たしかに、実存する人物への SNS メッセージとは違い、AI ならば既読が付かずに待たされることなく返事をくれるし(普通のインターネット検索でもそれは言えるが)、多分、自分が聞きたい返事や悩みの吐露への回答の方向性を誘導することも可能なのだろう。そうすることで、24時間7日間慰めを得られそうだ。そのようなことが必要な局面はあると思う。しかし、いつでもそれだとどうなんだろうとも思う。私にはそのような存在の友人はいないのだが、時には厳しいことを言ってくれる友達が必要だということも、たぶん、そうなのだろうと思うから。また、ネットの弊害とかでも指摘されることが多いように、アルゴリズムによって、聞きたいこと・知りたいこと・見たいことばかりが表示されると、考えや思想が偏ってしまって自分の考え方がそのまま世間の主流派と思い込んでしまうこともあるだろう。

心配なのは、誰よりも寄り添ってくれる AI が急にそうでない対応をするように修正された時に、こんなはずではないと感じたり、強く寄り添ってもらっていただけに裏切られた気分になったりして、他人を巻き込む形で何かをやらかしてしまう人が出てこないかということ。仮想世界が現実世界の方に徐々にせせり出てきているけれど、あまりやりすぎるとちょっと怖い世の中になりそう。やっぱり最後は使う方である人間がしっかりしないといけないと思う。ますます人間の悩みは深くなるかも。

東南アジアからも物騒なニュースが

東南アジアからも物騒なニュースが

東南アジアでの物騒なニュースが報道されている。

少し前から、カンボジアとタイとの間の軍事衝突が報じられていた。28日には、マレーシアで開催された首脳会談で停戦が合意されたことが報じられたものの、今後、きちんと鎮静化してゆくのか非常に気になるし、再度の衝突はなんとしても回避して欲しい。

停戦合意した28日には、バンコクの市場で銃撃事件で5名が亡くなったことが報じられた。ネット・ニュースのコメント欄に書き込みをしているタイに詳しい人によれば、タイが銃社会であるようなコメントが結構多いので、私は知らなかったけれど、程度問題はあるかもしれないけれどそれが事実なのだろうと想像する。

東南アジアでの事象は、報道されていないだけで(あるいは、私が目にする報道では報じられていないだけかも)実際は多いのかもしれないが、それにしても、世界中のどこも犯罪や争いがあるような気がしてきた。理由は一つでもないし、単純なことでもないだろうけれど、なんとかならないのか。

街中での募金に躊躇する私

街中での募金に躊躇する私

私は冷たい人なのか?

街中での募金に躊躇してしまう。どうしてもうさん臭く思ってしまう。募金をしている団体を自分で調べて、正規な団体かどうか調べる方法もあるかもしれないが、そこまでせずに募金もしない私は冷たい人間なのか自問自答する時がある。仮にその団体を調べたとしても、出てきた結果が事実かどうかきっと悩むことだろう。

疑い深い自分が嫌になるときと、それはそれでよかったと思う時がある。適度が一番よいのは明らかだけど、こうなってしまった自分を受け入れる以外にはないので、それはそれで認めている。

だけど、募金を疑い深いことと認識させた人々は罪深い。

仕事の場において他者と共通の記憶・経験

仕事の場において他者と共通の記憶・経験

転職を考えた理由のひとつが、他社と共有できる経験がないことだった。異動や他者の転職などで共有できる人が減ってきたわけではなくて、転職を実行に移す前の15年近くはこの感覚をもちながら仕事をしていた。転職を考えるようになってからも、実行する・しないをあっちいったりこっち来たりしていたのだけれど、共有できる経験や共通の記憶、思い入れがある仕事を分かち合えないことが、最終的に転職を決断する背中を押したような気がする。

会社の規模(社員数)も様々なうえ、入社から一貫して同じ分野の仕事をすることが多い会社もあれば、定期的な転勤・異動が当たり前な会社もあるので、他社と共有できないのが当たり前な感覚を持っている人もいるかと思う。しかし、共有する対象は、必ずしも業務や案件のような具体的事項である必要はなく、例えば、仕事の仕方や携わっている業界の考え方などもっとざっくりした価値観のような場合、人数が多かったり人の出入りがあったとしても、割と他社と共有できる何かがあると私は思っている。実際、入社してから何年かは、そのような阿吽というかツーと言えばカーというか、共有できるものをもって仕事をしていた記憶がある。業界や仕事あるあるもその類。

共有感の有無によって仕事の成果が変わってはいけないし、仕事はドライにやる時代でもある。共有感を押しつけと感じる人もいるだろう。適応していかないといけないな。

野菜が食べられるようになった

野菜が食べられるようになった

小さい頃は野菜を食べられなかった。自分が育った家の例しか判らないので、それが一般的かどうか判らないが、私が育った家では、おかずは大皿で出されていたので、好きなおかずだけ取って食べるということができたため、野菜嫌いで特に不都合はなかった。唐揚げの周りにブロッコリがあったとしても、唐揚げだけをとることができた。これが、もしもひとりひとりの皿に盛りつけされていて、そこに野菜を盛られていたら、どうなっていたことだろう(給食で困った記憶がないのだが、それがどうしてかの記憶がない。誰かに食べてもらっていたのかも)。

野菜嫌いのパターンとしては、たしか、何度かチャレンジしたけれど克服できなかった、というケースだったと記憶する。

そんな私が中学生の時に、母親以外にお弁当を作ってもらう初の機会があった。修学旅行の初日の昼の弁当を同級生が作ってくれた(自分が持ってきたであろう弁当をどうしたのか覚えていない。事前通知があった記憶もないので、自分の分を持っていたはず)。単純、簡単な話ではあるが、私はその日を境に野菜を食べるようになった。まあ、よくありがちな話ではあるし、この出来事がなかったとしてもいつかは自発的に野菜を食べるようになっていただろうとは思うけれど、中学生で食べられるようになったこの出来事には感謝の気持ちをもっている、ということをふと思い出した。今日のスーパーでの買い物かごには、自分でも信じられないくらいの野菜が入っていた。当時に比べたら成長したなー。

トランプ大統領とイーロン・マスク

トランプ大統領とイーロン・マスク

批判して罵り合いになったと思ったら謝罪の投稿をしたという報道。

あれだけがっぷりよつな関係性だったのに、急に批判したり、謝罪したり、私の感覚からするとちょっと理解を超える。法案の中身を聞いてなかったとか、もしそうだったらどうして、それまで手を組むことができたのか、全体最適というより部分最適で是々非々だったのかもしれないが、でも、それまでの報道を見ているとそのようには見えなかった。

両社に意図や下心、打算とかいろいろあったろうが、それでも、あんなに豹変できるのはすごい。君子豹変するから、大統領だったり事業を起こしたりできるのだろうか。それに引き換え、一般人の私。

営業終了の記事で、いろいろと思い出す

営業終了の記事で、いろいろと思い出す

2025 年 5 月 19 日付の日本経済新聞に、『東京タワー真下の「東京芝とうふ屋うかい」が閉店 26年3月末に』という記事があった。私は、仕事上の会食で一度だけ、こちらのお店で食事したことがある。もう 10 年以上前の話。

その日は、私は招待側パーティの一員で、そのメンバーのトップである部門の長の選択となったことから高級店での会食となった。招待された側は、サプライヤでありパートナーでもある海外の取引先で、肉の国からの人だったけれど、とうふ料理はもちろん、東京タワー下にあるダイナミックな景観と、それとは真反対な敷地に入ってからテーブルにつくまでの風情も堪能したようだった。

関係する人々の顔ぶれは変わったものの、その時に招待した会社とは現在も関わりがあり、この記事をきっかけに取引の歴史や人々とのやりとりが色々と湧き出てきた。時が流れる。


人間関係が構築されて断り切れない状況

人間関係が構築されて断り切れない状況

ママ友を闇バイト(そろそろ、犯罪と詐欺とかに表現を変えるか?)に誘い商品を騙し取った罪にとあわれた被告の裁判があったと報道されていた。いろいろなメディアが報じる中で、犯罪ジャーナリストの人からコメントを取って報じるメディがあり、そのコメントして「人間関係が構築されて断り切れない状況で誘うケースもある」というものが引用されていた。

このニュースとは全く関連のない話ではあるが、この記事をみて思ったのは、私も断るのが苦手なことだ。本当は乗り気でないがいいよと言ってしまうことが多い。逆に、酒宴やゴルフのお誘いなどは、特に海外にいると決まりきった日本人の狭い世界のメンバーになりそうなことがあらかじめ想像がつき、また、その狭い世界からのお誘いを時々であっても断ることができないであろうことも予想できるので、私は最初から避けようとしてしまう。

これは、海外にきてからより強い傾向になっている。日本では仕事場、地元、家族関係などのしがらみの種類も多く、その中で必要と思えばお付き合いもしていたが、海外ではほぼしがらみがない分、あまり参加しないことを気にしなくなってきた。それで孤立する人もいればそうでない人もいるし、本当に人それぞれで何があっているが合っていないかは千差万別であるが、どうやら私にはこれがあっているような気がしている。

人との関係が少なくて、果たしてこれで生きているのかってことを疑問に思う瞬間もあるのだが、仕事を通じて世界や社会との関わりはあるので、まったく浮世離れしているわけではないということにしている。

宗教

宗教

自分が信じる宗教に対して厳格な人が多く住む国でも、強盗や殺人など人から何かを奪ったりする個人の犯罪はあるし、信心深いはずの国であっても、軍政をひいて国民を弾圧したりする国がある。

宗教は、本当に人を救っているのだろうか。

もちろん、信じることで救われた人が存在したであろうことは否定はしないけれど、人や国をまとめるのに宗教が好都合だったという過去もあって、むしろそちらの趣旨のほうが強かった期間のほうが長かったんじゃないかと思っていしまう時もある。

政治や宗教の話は争いになるから他人と話すなとよく言うので、私もあまり誰かとこの話をしたことはないが、少し疑問に思うことはある。



5 月 1 日の記念日・出来事
・メーデー/国際労働
・元号が平成から令和に(2019年)
・Gibson Guilar Corporation が 2018 年のこの日に Chapter 11 をファイリング
・1956 年のこの日、新日本窒素水俣工場附属病院が「原因不明の中枢神経疾患多発」と保健所に報告

リビングトラストについて調べてみた件

リビングトラストについて調べてみた件

今月初めに、「銀行口座が凍結されぬようWillを準備 – Journeyman : Blog」ということを書いた。

この記事ののち、実際に遺言の作成・管理などを請け負うサービス会社に相談に行ったのだが、事前情報が全く誤解だったことが分かって、相談に行って本当によかったと思っている。

細かいことは別として、① 遺言作成、② 遺言を作成して管理もお願いする、③ 生前信託といって財産を信託にあらかじめ移しておくことで裁判所が関与する手続きを回避する、以上 3 つの方法で見積もりを取ってみた。万が一がおきてから必要となる費用は、資産額対するパーセンテージで計算されるため、単純化できないが、仮にもしもの時の銀行口座残高が 10 百万円だったとした場合の費用は、おおよそ以下が目安のよう。

私が銀行口座を持っている国では、遺言書を残したとしても相続には裁判所が関与するシステムになっている。この手続きを回避するのが生前信託となるのだが、これを行った場合の銀行口座は、死亡や植物状態、認知症などのトリガーが発動されるまでは、信託しない場合と同様に何ら制限なく使用できると遺言書サービス会社から口頭で説明を受けているが、信託契約書を見るまでは実態は未詳。


日本と法律・制度も違う国で手続きをしなければならないことを考えれば、必ずしも高いとはいえないというのが私の感覚。最悪、いままでの働きを給与として対価で得た資産が理由も判らず口座を保有する国の政府に召し上げらてしまうリスクや、外国人が行わなければならない手続きの煩雑さを考えると、もうちょっと中身について検討するとしても、契約を進めるつもり。



4 月30日の記念日
・年始から 120 日目
・南部解放記念日(ベトナム):1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結
Day of Liberating the South for National Reunification
・図書館記念日:1950 年に図書館法が発布されたことにちなむ。制定は 1971 年。

何度も遇う人

何度も遇う人

地元では手に入らないけれど、都会にあるのは確認済みで、あったほうが生活に色どりを与えてくれそうだなあとここ数週間考えていたものがあった。先月に都会にいったので、しばらくしたら買いに行こうかと思っていたが、ちょっと時間を取れそうだったので今日、行ってきた。

買い物していたときに、以前に同じ会社に勤めていた人に似た人をみかけた。特に親しくしていたわけではなかったのと、遠くから見かけただけだったので本人確認をしていないけれど、その人が転職して転居して以後、私が都会で買い物しているときにその人に似た人に何度か遭遇している。今回同様、これまで一度も本人確認したことないので、全部人違いかもしれないけれど、なぜかその人に似た人には遭遇することが多いのは、その人が一般的な姿形をしているのか、私からみたら外国人だから、外国人をみたらその人だと思え的なバイアスがかかっているのか不明。次回は本人確認してみるか。



4月26日の記念日・出来事
・よい風呂の日:語呂合わせ。現在の居住国では普通だが、私が住む場所もバスタブがない。欲しい。
・世界知的所有権の日:「世界知的所有権機関を設立する条約」が1970 年のこの日に発効。制定 2000 年
・チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)
・王貞治選手、初ホームラン(1959年)
・日本で商法公布(1890年)

コロナ当時はフォークダンスもなかったのだろう

コロナ当時はフォークダンスもなかったのだろう

そういえば、コロナ当時はソーシャル・ディスタンスを維持するように強く言われていたので、小中学校の運動会でのフォークダンスはなかったんだろう。そもそも、イベント自体が縮小・短縮されていたから、フォークダンスの有無というより、フォークダンスがプログラムがある運動会自体がなかったりしてたのだろう。私が思春期を過ごした何十年も前の田舎では、授業中に先生から強制される男女の交わりはあっても、それ以外のところでは、学校での休み時間や放課後も含めて男女交流もその発想もなく、運動会でのフォークダンスはそれこそ、一大イベントだった(ただし、一大イベントといいつつも、一大イベントは数多く存在した)。

人は生きていくなかで、有意義なこともあれば、直接的には意味なさそうなこともあるし、今、価値があることや、今は価値が見いだせないけど後で価値が出てくるかもしれないことなど、様々な出来事に出会い翻弄されながら経験値をあげて時を過ごしてゆく。コロナ自粛は誰にも共通の出来事ではあったものの、その自粛期間を過ごした年代、たとえば、それが学生生活と重なってしまった人々は、ほかの年代の人が学生時代に経験したであろうことの経験や思い出(良いことも悪いことも)が、おそらく少なかった分、これからの人生でいろいろなことが起きて欲しい。

なんで、突然、フォークダンスのことが頭に思い浮かんだのかが、もう思い出せない。


4月19日の記念日
・地図の日:伊能忠敬が蝦夷地の測量を行うために江戸を出発、寛政12年。
・飼育の日:語呂合わせ、419=しいく。日本動物園水族館協会が2009年に制定。