普段と違うことをやってみたら…

普段と違うことをやってみたら…

昨夜、取引先と食事をした。会食ではなく、先方の会社の社内イベントに同席させていただいた。その会社は、私が勤務する会社の近くに工場があるものの、本社アドミは車で数時間の場所にあり、私を招待してくれた人もそのアドミ事務所勤務。そのお方が工場に来るときは、だいたい食事に誘ってくれて、時には先方社員の食事会に私一人、部外者で参加することもある。昨夜はそのパターンでもう少し大規模の会社イベントに同席させていただいた。

会場は、私が住む町ではあるものの、普段はあまり行かないエリアにあるホテルだった。早く着きすぎたら、丁度、用事もあるんのでスーパーへ行って時間調整しようと思い、いつも以上に余裕をもって会社を出発。
結局、だいぶと早くついたので、いざ買い物へ。
いつもは行かないスーパーなので、何がどこにあるか判らず何度も同じ場所をぐるぐる・うろうろしていると、私に声をかける人が。名前を呼ばれたので会社の人だろうとは思ったのだが、よく聞くと私の勤務先にインターンとして7-8年前に働いていたとのこと。私は名前と顔を覚えるのが苦手であることに加えて、私の勤務する製造業の会社の従業員は数百人レベルとあって、よくあるように昨晩も申し訳なく感じつつも、お互いに近況を少々報告しあって会話を楽しんだとともに、声をかけてくれたことが非常に嬉しかった。同時に、外国人は目立つから、悪いことはしちゃいけないなと再確認した(普段から悪いことはしていない)。

再会と買い物を終えてスーパーを出ると、横にドラッグストアがあった。私がこの町にきて暫くたった頃にふと入ったスーパーで見つけた、とても泡々なボディーソープが気に入ったのだが、そのスーパーは数か月前に閉店してしまい、その後はどこを探してもそのボディーソープを扱っている店に出会うことができなかったが、なんと、たまたま入ったドラッグストアにその商品がおいてあった。ああ、来てよかったとつくづく思った。

弁護士の人は、日々の生活の中で下さなければならない決定や選択に脳みそを浪費しないよう、生活をパターン化させている人が多いと聞いたことがある。私は弁護士でもなければ脳みその浪費を回避しようとしているわけでもないが、パターン化した生活という意味では似ている。時にこれでは味気ないと思いつつも、仕事で疲弊しているのも事実で、こうなってしまう。しかし、昨晩のようなことがあると、たまには普段と違うことをするのもいいことがあるなと思うのだが、それがまたジレンマを生み、いつも通りにすべきか違うことをすべきかで心をすり減らしてしまうのだ。解決しない。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です