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実家に帰ろうブームだって

実家に帰ろうブームだって

ネット記事で見た。ブームという割には、私には初耳だった。記事を読んでみると、港区などのコストもステータスも高い場所での生活からおりて実家に戻る人が増えている、ということらしい。それで、実家暮らしをしている人は、そうでない人に比べてお金がたまってよい、という主旨のことも書いてある。私は投稿コメントでいろいろな意見を読むのが好きなのだけれど、そこには、やはり実家の方がお金がたまるという類のコメントが結構な数あった。

そこなの?と思った。港区のようなコスト高なところと比べるから貯金云々という話になるかもしれないけれど、失礼ながら、コメント投稿者がみんな港区に住んでいたとは思えず、であれば、そんなに貯金が気になるものなのかなあ、私とは違う考えなのだろうなあと感想を持った。

私は、大学に通うために実家を出た。下宿のおばちゃんがいる小さな学生寮っぽい場所に住み、就職時に実家に戻ることもなかった。むしろ、その選択肢は初めから頭にはなかった。そもそも、新卒入社した勤務先には実家からは通えないのだけれど、就職先はどんな職業に就きたいかが最優先で、その結果として就職する土地がいくつかに絞られたので、実家から通えるかどうかは私にとってはどうでもよいというか、仮に実家から通えたとしても、個室が並んだ学生寮ではない、ちゃんとした一人暮らしにも憧れたものだ。

物価が上がった今は、私の新卒の時のような「のほほん」とした一人暮らしが大変な時代になったのだろうと少し申し訳ない気持ちになった。スマホ代も高いし、若手に奢ってくれる上司・先輩は少なくなっているだろうし大変なのだろうとは想像つくが、一人暮らしの自由さ・気ままさは、何かとトレードオフで入手できるなら若いうちに味わっておいてはどうかと思う(人の好みは尊重する)。

(これを書くときは記事が出てからしばらく経っていたので検索したところ、記事が削除されているような感じだった。なぜだろう)

あいまいな記憶

あいまいな記憶

作家の曽野綾子さんが2025年2月28日に逝去されたことが報じられた。曽野さんの作品でいえば、太郎物語を読んだことを覚えている。大学受験勉強のころ、学びたい学部が地元の大学にはなかったため、大学生活は一人暮らしになるだろうというのが想像できたのと、名古屋にある大学を志望して時期があったことからも、太郎物語を手に取って読んだのかもしれない。名古屋・栄の夜は早い、というのをなんとなく覚えている。

しかし、よくよく考えてみると、高校時代の部活現役の間は部活中心の生活を目一杯していたし、引退後は受験勉強に振り切った生活をしていたので、本を読んだのは高校時代だったっけ?と思い始めた。高校生の時は、本を全く読まなかった頃か、本を読むなら単語帳とか参考書だった期間のどちらかだったと記憶する。大学入学後は授業の予習が大変だったが、それでも時間はあったので、もしかしたら入学後の記憶か?そうすると、結局、名古屋の大学は受験すらしなかったので、名古屋で一人暮らしをすることを想像して読んでいたのと辻褄が合わなくなってしまう。

記憶が定かでないし、記憶を呼び戻したところで今日の生活に何か影響が出るわけでもないので、この辺で記憶回復作業を止めるけれど、結論としては、記憶は非常にあいまいで、かなりの確率で書き換えられている恐れもあるからこそ、勝手な思い出の中で生きてゆけるんだろうなということだった。