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Category: 感情

外免切替厳格化に困惑、との記事は誰目線?

外免切替厳格化に困惑、との記事は誰目線?

外国運転免許証の日本への切り替えの要件が 10 月から厳しくなったことを取り上げるネット記事があった。外国人が困惑しているということらしい。

外国人が困惑するのは無理もない。しかし、「厳格化してけしからん、外国人が困惑せぬようにしないといけないではないか」と該当の記事が主張しているような印象を受けた。タイトルのみが目に入ってきた時は特に。
記事は、安全に運転できるように制度変更の効果を期待するという締め方にはなっているものの、外国人が困惑していることを前面に出す必要があるだろうか。これを配信したメディアは、ハードルの低い日本の外免切替を利用してルールをきちんと知らない(あるいは知っていて無視している)運転者が悲惨な事故を起こしても、外免切替の問題点を指摘する資格はない。いろいろな視点を取り上げるのがメディアであるとこの会社が主張するならば、どんな犯罪でも批判的に述べてはいけないと読者に感じさせるような書き方だ。どっちの向きに対してでも、その時に出てきたこと何に対しても批判的に書けばよい時代ではない(今日死刑が執行されたら海外では死刑廃止だといって批判して、翌日には 10人をあやめた犯人に死刑判決が出なかったとしてなぜ死刑ではないのかまた批判するように、同根の事柄について、舌の根も乾かぬうちにどっちにもとにかく批判する姿勢)。

私は、現在の居住地で日本の免許からの切り替えで現地免許を取得しているので、逆方向で外免切替の恩恵を受けている。しかし、当地の人と同じように運転している。また、当地の免許は日本で可能なような旅行者の取得はできない。住所があってビザを取得し、一定期間この国に滞在する人でないと申請できないし、外免切替の制度が停止されたりもする(この場合は、現地の人も外国人も全員が同じ試験を同じ方法で受験して免許を取得というルール)。

外免切替制度に関しては、なぜ、日本のメディが外国人の気持ちを代弁する必要があるのだろうか。

頭が固くなっている

頭が固くなっている

夜遅くにある程度遠くまで出かけることになった。到着時間から逆算するとどうしても夜遅くの出発になってしまう。いつもならばコーヒーを淹れることになるのだけれど、今回は事情があってそれができないのだけれど、仕事終わりから引き続いて朝までの運転なので、コーヒーが欲しい。

私は外でコーヒーを買うことはまずないのだけれど、スタバの豆の中に自分好みのものがあり、また、私は保守的で一度いいなあと思ったものを変えるのは自分の中でチャレンジなので、豆を買いにスタバには週に一度は行く。だから、今日のように自分で淹れないとなると、スタバで買おうかとなったのだけれど、出発がほぼ夜中なので店が開いてるかが次の心配。

スタバアプリで店検索すると、行こうと考えていた店は 24 時間営業との記載があるのだけれど、変更があっても反映されていない過去経験があり、現在、私の町ではスタバの閉店もあったりするので、24 時間営業の情報は古いのではないかとの私の勝手な疑い。

結構な時間、早めに家を出ようかとか、営業時間終了後だったらそれはそれで仕方ないとか、いろいろなケースを想定した。突然、「あ、マクドナルドなら確実に 24時間じゃないか」と思いついた。完全にスタバに頭が凝り固まっていた自分に対してちょっと心配になった。これも老化現象なのか?思考の柔軟性が欠ける局面がすこし前にもあったような気がする。どんなトレーニングをしたらよいのだろうか。計画を立てずに、いきあたりばったりな行動をした方が柔軟性を維持できるのだろうか。

今日から新しい四半期

今日から新しい四半期

「朔日」に気持ちがあらたになる感情を以前に書いた。今日は10月1日なので、朔日であり四半期のスタートでもある。3月決算の日本企業だと、今日が下半期のスタートともいえるけれど、海外の企業は6月や12月のケースが多いと思うし、私が勤める企業も同様なので、今日は年に4回ある四半期の初日ではあっても、半期とかの区切りではない(事業年度の第1四半期初日は、四半期始まりよりも年度の区切りの感情の方が大きいので、実質、年に3度かの気分かも。いや、四半期決算は開示しないから、半期も中くらいの規模の区切りになるので、四半期始まりの感情は年に2回か?)。

まあ、とにかく、今日からあらためて業務する。

いつも以上にモノが手につかない

いつも以上にモノが手につかない

前にも書いたけれど、ここ数年のあいだ、持ったものを落としたり、何かを持とうとしたら別の何かをひっかけて落としてしまうとか、不注意とか握力不足(?)とかで手にモノがつかないことの頻度が10年前に比べて非常に高い。それとともに、仕掛けたように非常にきれいに手からこぼれるというか、最悪のケースになるというか、笑ってしまいそうなことが増えた。

自分でカットした野菜をジップロックに入れているのだけれど、それを落としてしまった。落としたけれど中身がこぼれなくてラッキーとか少しだけこぼれたとかならよいけれど、ジップロック容量の半分ほどが詰まったカット野菜が全て床に散らばった。ジップ側が下向きに落ちればそうなるのだけれど、床までの1mくらいの高さから落下する1秒以下の間の時間に全てがこぼれだすような落ち方をした。

これには笑った。握力が落ちているのか注意力が落ちているのか。今回は頭痛のタイミングでもあったので、脳の不具合だったらいやだなあと少し心配。注意することで解決すればほかの理由ということになるので、しばらく注意深くやってみようと思う。

空港保安員が手荷物検査中に盗み

空港保安員が手荷物検査中に盗み

X 線検査機に通す前のトレーから現金を盗んだというニュースがあった。

この報道を見て、私に起きたことを思い出した。具体的にはどの出張の時のことか覚えていないけれど、少なくても15年前かそれよりも以前のこと。アメリカの国内線で移動していた時に、鞄のポケットに入れていた小銭入れを失くした。その小銭入れはとても気に入っていたもので、失ったショックは非常に大きかった。本当に残念だった。

この時は、機内持ち込み荷物のサイズが超過だと搭乗時のタラップのところで職員に言われ、預けるようにと指示された。その時の出張中には何便かに登場したのだけれど、超過と言われたのはその時だけだった。だから事前には何ら準備していなかったため、言われた時には何がどこにあるかまであまり気に留めず、とりあえずパソコンと貴重品を取り出したのだと思うけれど、鞄の横のポケットに入っている小銭入れまでは気が回らなかった(と、思う)。残念なことに、その鞄にはポケットが二つあり、一つは鍵付き、もう一つは鍵なしで、失くした小銭入れは鍵無しのほうに入れていた。機長預けになることが判っていたら、小銭入れを鍵付きの方に入れるか自分で持つかのどちらかにしておいたにと思っても、後の祭りだった。

直近にこのことを思い出したのがもう何時だったか思い出せないくらいの出来事だったが、このニュースを見て思い出してしまった。あの小銭入れ、非常に残念。

怖い話

怖い話

私は、怖い話が嫌い。

なぜ怖がりになったのか、おそらくきっかけになったものがあったと思うけれど、それが何だったか覚えていない。もしかしたら、生まれながらにしての怖がりだったのだろうか。でも、怖がりは先天的なもの?それとも後天的なもの?どっちなのだろう。

自分が怖がりなことを知っているので、怖いテレビ番組は見ない。合宿のように集団で同じ場所に泊まる時の夜の余興など、どうしてもその場に参加しないといけない場合は嫌々ながら参加はするが、原則は、君子危うきに近寄らずでこれまでやってきた。

怖い話をする人にお願いがある。今見えたとか、そこにいる、という現在進行形な話はやめて欲しい。

西洋的価値観について考える

西洋的価値観について考える

時代が進むにつれ、解決をみる既存の問題の件数は増え、世の中は確実に良い方向に向かっていると思う。個別にみれば、新たな問題が発生しているのも間違いないし、新たな問題はかつてないほどの規模の大きな問題だったりして、もぐらたたきのようにあっちを叩くとこっちから頭を出すことはあるだろうけれど、全体としては良い方向に行っていると思うし、そうでなければ、微力ながら(?)私も改悪に手を貸していることになってしまうので、そうは信じたくない。

とはいえ、私の長くない人生の間におきていることだけをみても、日本は結構変わったという感想を持っている。理由はいくつもあると思うが、その一つは西洋的価値感の取り入れ方によるところがあると思う。もちろん、私は西洋的価値観を否定するつもりはない。ただ、なんでもかんでも西洋的価値感であったり、哲学をもたずに取り入れるのはちょっと違うと思っている。日本には日本の良さがあるんだと考えていた。

最近、ちょっと考えを改めるかもしれないと思い始めている。日本的良さは、今もこれからも大事にすべきところだという考えは変わらないが、現在のように外国や外国人との交流がより深くなってくると、付け入るスキを与えてはいけないと強く感じ、それには残念ながら西洋的価値観で対抗せざるを得ないと思うようになってきた。それが結果的に日本の良さを守ることになってゆくのだと思うようになった。

先輩方が作ってきた日本的良さを壊されるのは堪えられない。それと同時に、壊されるのを見ながら何もアクションをせず、へらへらしているのも堪えられない。攻撃的になってはならないが、攻めないと守れないというスタンスでいる必要があると思う。それは、自分がいさせてもらっている外国にも当てはまり、その国のシステムを尊重していかなくちゃ、ということをあらためて思う。

CMを見ないと記事を読めない

CMを見ないと記事を読めない

YouTube 番組前に CM が流れることについては、そういうものだという理解ができている。それで成り立っているならば仕方ない。

最近、ネット・ニュースを見ていると、YouTube 同様に CM を見ないと読めない記事に度々でくわすようになった。YouTube ならば少し見た後に CM を Skip できる。CM が始まるのは私の意思でないとしても、自分の意思で CM から番組に戻ることができるからなのか、YouTube CM にあまり嫌悪感はない。それは、YouTube でしか見ることができない番組をみるために必要な儀式みないなものとの理解が私の中で進んだからかも。

一方で、ニュースの前の CM の場合は、CM を見るように言われた時点で閉じるボタンをクリックしてしまっている。それは、そのページでなければ見られない記事ではないので、同じ件のほかの媒体のニュースを探せばいいだけのこと。たまに、写真ニュースで同様のものがあり、この場合は他社記事では同じ写真を見ることができないのは想像がつくものの、そこまでしてみたい写真もない。ニュース前の CM は成功とは言えないのではないかなあと思っている。それとも、私が特殊で、大多数の人は CM を見ているのだろうか。これも、周りの人にアンケートをとってみたい質問の一つです。

最初にもらった背番号は好きになれなかったけれど...

最初にもらった背番号は好きになれなかったけれど...

結論から言えば、好きになれなかった最初の背番号は、任意で番号を選ぶ機会があれば今では自分で選ぶ番号になった。

生まれて最初の背番号は、たしか小学3年生の時だった。現在は、小学生のスポーツチームといえば学年別チームで運営している競技・チームが多いと思うけれど、私が小学生のころは全員で1チームだった。だから、現在のチームでは背番号1が各学年にいるけれど、私の頃は学年に関わらずに自チーム内に背番号ダブりはなかった。そうなると、小さい数字の背番号は上級生に優先的にあてがわれる。上級生が卒部(これは現代的表現)すると背番号変更もあったりするのだけど、私が入っていた田舎の古いスポーツチームでは、背番号は縫い付け交換式(またはマジックテープ交換式)のものではなくてユニフォーム一体タイプのものだったため、背番号を変えるとなるとユニフォーム上着を買い替えないといけなかった。そんなことを両親にお願いできる家庭環境でもないし、お年玉は毎年1万円もらえるかどうかの収支だったから、それをユニフォーム代に支出もできず、私は小3から小学生チームから卒業するまで同じ番号を使った。

小3でもらった番号はあまりなじみのない番号で、例えばプロ野球選手だったら誰だろうと思ったら、一軍で試合に出ている人だと一人しかいなかった。そんな番号。だから、それ時から 10 年前くらい前までは親しみも馴染みもなにもない番号で、どちらかといえばダサいなあと思っていた。
しかし、あるきっかけで、この 10 年間は好きな番号となっていて、今後もずっと好きな番号であり続けると今日時点では感じている。自分では自分のことをコンサバでいる時間の方が長い人間だと思っているけれど、たまに、こんな感じで好み(背番号の場合は好みではなく考え方の変化なのだが)が急変したりする。だから、年齢がいくつになっても新しいことを試すことで何かが変わったりすることは素敵なことだと思う。

在庫ぐせ

在庫ぐせ

デンタルフロスを使い切ったことを書いた。2025 年の目標である「使い切る」ことに関して、デンタルフロスというもので達成した。

「使い切る」ことを目標に挙げたのは、継続的になにかを実行することがその目的にあった。今回のデンタルフロスは、まさに歯の健康のために継続するのは大事。デンタルフロスを初めて買ってからもう十何年もたっているとおもうけれど、いつも続かなくて結局、歯科でクリーニングを定期的に施してもらっていた。今回は、ほぼ毎晩フロスで処理した。継続は力になっていてほしい。

「使い切る」ことの別の目的は、最初のものと似ているようだが「使うこと」がある。心配性な私は、家で使用するものなどの在庫を持っておかないと落ち着かない。しかし、在庫を買うと在庫を持つことで満足してしまうことがよくある。また、その満足が勿体ないという気持ちとも相まって(勿体ないというよりケチな根性かもしれない)、持っているのに使わないという無駄遣いにちかいことをしてしまうことが少なくない。

だから、「使い切る」ことを目標にした。生活が便利になるだろうと〇〇を買ったのに、もったいなくて使わなかったら生活が便利にならない。なんのために買ったんだ!これを止めたかった。理由があって買ったのだから、家にあるものはバンバン使い倒す。これだ。デンタルフロスを使い切って自信になった。なんかいい感じだ。

クリーンな政治家

クリーンな政治家

仕事ができれば政治家に清廉潔癖さは求めない。この意見は、ネット世論としては珍しいものではない印象。

私も、真っ黒クロスケはさすがにどうかと思うが、完全クリーンで仕事ができないよりは、多少の疑いはあっても仕事ができる人が議員でいてくれた方がよいという意見だった(クリーンな仕事人が一番よいけれど)。

しかし、最近になって、もしかしたら今までの意見を見直すことになるかもしれないと思い始めた。私は、陰謀論を興味を持って聞くけれど、それを信じてはいない(陰謀論と気付かずに信じている説がないとは自信を持って言えないけれど…)。しかし、もしも、脱税を見逃してもらう代わりに誰かの言いなりになっているケース、例えば変な国家予算の使い方であったり徴税を法制化したり、何か弱みを握られることで指示通りに動くような議員が本当にいるとすれば、仕事ができるできないは譲歩して、クリーンな政治家を求めたいと思うようになった。私腹を肥やす程度(本心では程度などという表現を使いたくない)ならば国民には迷惑をかけていないとも言えるが、国を思う政策を曲げるようなことは国民の代表としての信任は得られまい。

クリーンかどうかは実際は判らない。だから、総合的に判断せざるを得ないのが実情だけれど、次回の投票では、この目線を検討項目に入れて投票先の候補者を考えてみようと思っている。
次回の選挙の時にどのような世の中になって、どんな世論が形成されているか判らないが、そろそろ、本当に政治体制が変わる頃になっているかもしれない。自分の年齢的にも、そろそろ自分のことよりも次世代のことにより思いを巡らす時期が来ているかもしれない。

第一志望 : 大学受験②

第一志望 : 大学受験②

高校3年夏に部活が終わり、その後しばらくしてから勉強を始めたおかげか成績が改善して、志望校を二度見直した。受験本番の直近までE判定だった大学にめでたく合格して、あこがれの大学で学生生活を送れることになった。

自分でいうのは何だが、私は本番で実力以上の結果が出たり、試験に強い傾向が割とあると思っている。最後の模試までずっとE判定だった大学に合格・入学できたのは、そのおかげ以外のなにものでもないと感じた。

実際に入学すると、その認識が正しいことをすぐに理解した。

入学して最初の授業が始まる前のオリエンテーションのような場で、自己紹介をする機会があった。今でいえばマウント取りと呼ぶ人もいるかもしれないが、当時はそんな言葉がないので概念もなく、私は別に悪い感情もなくただただ同期の人たちに感心したのだが、その大学よりも難関校と呼ばれる大学に受かっていたのに私が入学した大学を選んできた人や帰国子女、高校時代に海外研修に選抜されていたような人とか、たくさんのスゴイ人がいて、これは大変なところに入学してしまったなあと深く思った。同時に、そんな人たちと同じ環境で学べることにとても興奮していた。

これはある種の原体験だった。高校生の当時、自分より勉強のできる人がクラスにいたり、自分より上手な人が部活チームにいたりは勿論あった。だけど、とてつもなく勉学に優秀な学生と交わる機会はなかったし、部活で全国大会に出たわけでもないので超絶な選手と試合で出会う機会がなかったので、スゴイ人に会うことがそれまでの人生にはなかった(人生といっても、田舎で子ども時代を過ごすたかが18 年弱の間の話だけど)。しかし、大学に入学してすぐに会った人たちに対して、すごい人たちだなあと素直に感じた。だからある種の原体験。

成績が伸びる前の段階で第一志望と思っていた大学に行っていたらどうだったのか、と思うことがあると別記事で書いた。それはそれで、今もどうだったのか興味はあるけれど、本番の時の第一志望に入学が許可されて本当によかったと思っている。

第一志望 : 大学受験

第一志望 : 大学受験

高校3年夏まで部活をしっかりやっていた。部活しか知らなかったので高校生っぽい遊びを知らないし、また興味もなかったし、何もすることがない時間が嬉しくてたまらなく、3年の夏休みはただただ無駄に時間を使っていた。本当のところは、夏休みの記憶がない。何も覚えていないということは、多分、今まであまり観ることがなかったテレビを毎日見ていた程度で終わってしまったと想像する。

大学入試を意識し始めたのは夏休みも終わったあとの秋口だったと思う(記憶がないので多分)。そこから実際に受験するまでに、志望校を二度変更した(これは事実)。それまで勉強していなかったこともあってか、勉強を始めると成績が伸びての志望校変更だった。最初の志望校はちょっと頑張ったら受かりそうな学校で、次の志望校も、成績が上がったあとの状況でさらにもうちょっと頑張ったら通りそうな学校だった。最後の志望校(実際に入学した大学)は最初の二校とは違い、かなり成績的には背伸びした成績ランクの大学で、本番直前の模試までずっとE判定(志望校変更)だった。もう憧れみたいな感じ。

最近ふと思うのは、最初の大学に入学していたらどんな人生になっていただろうかということ。この頃はパラレル・ワールド流行りで、そんな世界があったら覗いてみたい気はあるけれど、そんな体験をしても記憶は消されているから覚えていないだろうし、実際に体験できないから想像しても意味ないこと。そんなことが思いつくのは年齢のせいなのだろうか。

これまでの実際の人生はそれなりのものだし、無いものねだりをしたところで、努力もせずにねだっただけでは手に入れることができないことも知っている。だけど、どうなっていただろうという単純な興味がある。明日には、その興味自体を忘れているかもしれないレベルでの興味。現在の人生とは違う楽しみを持って過ごしていると思う。

ところで、今はパラレルワールドと呼んでいるものは、30-40 年くらい前には四次元と呼んでいた世界(現象?)と同じなのだろうか。小学校の図書館にあった四次元の本にはまっていた時期が少しだけあった。その本の中で紹介されていたインタビューで、自分の前を走っていた車が突然消えてしまった話では、四次元に行ってしまったというのが書いてあった(消えてしまった黒田さんの車、だったような)。私は怖い話が苦手なため、私の中での四次元ブームは割と早く終焉を迎えた(ほんの1-2週間だったかな)。


松田聖子メドレー

松田聖子メドレー

少し遠い場所へ車で往復する機会があった。

こういった場合、最近はトーク系の You Tube 番組を聞きながら運転することが増えた。以前はラジオや音楽の You Tube 番組を聞くことが多かったのだけど、最近のはやりはトーク系。興味ある分野のものも聞くし、私の性格がつっこみ好きだということもあって、興味のない分野のものもつっこみながら聞いたりもする。

今回の遠出では何聞こうと考えていた時、聞くだけでなくて歌でも歌いながら行こうかなという気分になって、じゃあ、誰の歌?となったときに松田聖子が天から降ってきた。

びっくりした。

私は、小学生の時にはテレビの歌番組を見ていた。歌番組にはアイドル歌手だったり演歌歌手だったりが出演していて、いわゆる歌謡曲が流れている番組。中学生になってからは洋楽を聞くようになったため、それからは歌謡曲番組を観ていない。
ところが、車を運転しながら聞いていた松田聖子メドレーの曲を殆ど歌える自分に驚いた。松田聖子がデビューしてから暫らくの間が私の歌謡曲時代と重なってはいたが、私は松田聖子ファンというわけでもなかったし、歌番組ばかり見ていたわけでもない。テレビが一家に一台時代に私は子ども時代を過ごしたので、父親オーダーの時代劇にチャンネルを合わせていた時間も結構長かった。しかし、松田聖子メドレーは、1,2曲を除いて歌えた。非常にびっくりした。

さすがは時代を彩った松田聖子さん(そんな歌手は彼女だけではないけれど、間違いなく代表する歌手の一人)。

戦争をテーマにしたドラマや映画が苦手

戦争をテーマにしたドラマや映画が苦手

戦争に対する私のポジションは、やるべきではないものという考え。何ら特殊な思想ではなく、主流派というがごくごく一般的な考えだと思っている。

やらないためにどうするか、という点においては、やはり多くの皆さんがいっているように、風化させないことが重要なことの一つで、悲惨さ・残虐さを忘れないために、体験談を伝承していくことが必要と思っている。ただ、戦後の時間が経過するとともに、体験を語れる人々も高齢化していて、体験談を聞いた人がそれを伝えてゆく作業が必要になってくるのだが、そこに少し不安を持っている。

私は、戦争に関するテレビ番組をあまり観ない。戦争をテーマにしたフィクションであれば特に問題はないのだけれど、私が避けているのはドキュメンタリー風に作られている番組のこと。私に実体験がないので検証のしようがないのだけれど、なんとなく脚色されていたり、作成者の意図が紛れ込んでいたりしても判別つかないし、なによりドラマ的に描きすぎているような気がして、そういった番組を素直に観ることができない。

番組が本当に脚色しているかどうかは判らないけれど、実体験を伝承できる人が少なるなるほどに、事実と異なるものが作られる可能性が高まると推測するので、これからもっとこの手の番組を避けることになると思う。ドキュメンタリー風動画にあったように〇〇だから戦争反対、ではなくて、単純に戦争反対を私は今後もスタンスとして持つだろうと思う。毎年8月に入ると、終戦の日に向かって戦争関連の番組が増える。もしも何らかの意図が入っているものに影響を受けてしまう人がいるとすれば、それは非常に残念なこと。



AI に相談する

AI に相談する

日経新聞に、「ChatGPT の新モデルに「冷たくてつらい」の声 共感力低下に失望」という見出しの記事があり読んでみた。

ChatGPT に精神的なサポートを求め、依存してしまう人もいるらしい。また、AI と心理学に詳しい米国大学の教授のコメントが記事で紹介されていて、メンタルヘルスの悪化とセラピストの不足で、ChatGPT が安上がりなセラピストになっているらしい。

言われてみれば、最近みた動画のいくつかのものでも AI に悩みを相談していると言っている出演者がいたのを思い出した。たしかに、実存する人物への SNS メッセージとは違い、AI ならば既読が付かずに待たされることなく返事をくれるし(普通のインターネット検索でもそれは言えるが)、多分、自分が聞きたい返事や悩みの吐露への回答の方向性を誘導することも可能なのだろう。そうすることで、24時間7日間慰めを得られそうだ。そのようなことが必要な局面はあると思う。しかし、いつでもそれだとどうなんだろうとも思う。私にはそのような存在の友人はいないのだが、時には厳しいことを言ってくれる友達が必要だということも、たぶん、そうなのだろうと思うから。また、ネットの弊害とかでも指摘されることが多いように、アルゴリズムによって、聞きたいこと・知りたいこと・見たいことばかりが表示されると、考えや思想が偏ってしまって自分の考え方がそのまま世間の主流派と思い込んでしまうこともあるだろう。

心配なのは、誰よりも寄り添ってくれる AI が急にそうでない対応をするように修正された時に、こんなはずではないと感じたり、強く寄り添ってもらっていただけに裏切られた気分になったりして、他人を巻き込む形で何かをやらかしてしまう人が出てこないかということ。仮想世界が現実世界の方に徐々にせせり出てきているけれど、あまりやりすぎるとちょっと怖い世の中になりそう。やっぱり最後は使う方である人間がしっかりしないといけないと思う。ますます人間の悩みは深くなるかも。

常夏なので、いま8月であることを忘れてしまう

常夏なので、いま8月であることを忘れてしまう

8月になると、第二次世界大戦や日航機事故を取り上げるニュースを目にする機会が増える。

日本にいたときは、ニュースになっていようがなかろうが、夏が来ると戦争について考える機会がそれ以外の時期よりも増える。季節が出来事を思い出させるという感じ。まさに、「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空」という歌そのものだ。

一方、現在居住している東南アジアは常夏ということもあって、意識しないと今、何月なのかが判らない状況になったりする。何月かの意識が薄くなる、もしくは持てなくなると、日本であれば想起されることがある記憶が出てこないことがある。

必要のない記憶であれば、わざわざ引出の奥から取り出す必要はないといえばそうなのかもしれないが、ふとしたことで思い出す、直接に日々の生活に関連のない事側は意味のない事ではないような気もしている。そこから記憶が展開していって何かの記憶がよみがえることもあるだろうし、脳トレーニングになるかもしれないし、そこで思い出すということがもしかしたら虫の知らせ的に何か意味をもたらす可能性もあるかもしれない(私はオカルト系ではないけれど)。

生まれてからずっと常夏の土地で暮らしている人は、どうやって季節的イベントを記憶しているのだろう。

バケット・リスト : 死ぬまでにやりたいことリスト

バケット・リスト : 死ぬまでにやりたいことリスト

ネット記事を見ていたら死ぬまでにやりたいことリストについて述べているページがあった。そのリストのことをバケット・リストと呼ぶということを初めて知った(使ってみよう)。いつもの調子で、バケット・リストの語源を知りたくなった。死ぬまでにやりたいことリストをトピックにしているページは、個人のブログのようなものにしても、完全には個人っぽくないものにも共通して、「死ぬの意味の kick the bucket から来ている」という説明ばかりで、語源を説明するサイトにたどり着くことができない。しばらくして、やっと、bucket が首つり時の踏み台のことで(物騒!)、踏み台を自分で蹴っ飛ばすと死んでしまうことだという説明にたどりついた(初めて知った言葉を使ってみようと思ったが、そうすることに躊躇が生まれた)。また、牛や豚の家畜を食用とする際の血抜きをするために脚を上にして逆さにつるす見た目が、梁(bucket)を蹴っているように見えるのが由来、という説明もあった。

人それぞれに言葉の定義があるのは理解するが、私が語源だと思って知りたいのはこの手の説明であって、kick the bucket が死ぬという意味から bucket list という言葉が生まれた、というのは私の定義では理由とは言えず、人によって知りたいことが違うのだということを痛感させられることが多い。

そう、私は面倒くさい人なのだ。(言葉の定義にうるさい親だと子どもの成績がよい、という説を唱えるYouTuberがいるようだ。うんうん。が、しかし、言葉の定義がうるさいのは内なる私だけであって、それを対外的に質問したり誰かとの会話で言及することはしない人でもある)

過ぎたるは猶及ばざるが如し?

過ぎたるは猶及ばざるが如し?

参院選前の政党の CM で、ボーナスが支給されたのに家族旅行を取りやめたり、昇格後の昇給をあてに部下と約束したおごり呑みをキャンセルする上司など、社会保険料を下げる改革をすると訴えるものがあった。
主旨は判るのだけど、配偶者や部下をあそこまで怒らせる演出って現実離れしていて、なんであんな感じで作ったのかなと思ったという個人の感想。

東西南北の感覚。山がある方が南。

東西南北の感覚。山がある方が南。

テレビ番組のトーク内容を取り上げたネット記事、所謂こたつ記事で最近に見たもので、東西南北がわからない人の話が引用されていた。

初めて訪問する土地の場合、山があるほうを北と思うのは太平洋側出身の人で、山がある方を南だと思う人は日本海側の出身の人なのだろうか。もしもそうだとすると、ドイツは、東西南北の感覚の観点においては日本海側の出身者に優しい国かもしれない。平均気温的にも、数℃ レベルとそんなに大きな差異はないものの、北部(例:ハンブルグ)は南部(例:ミュンヘン)より温度が高いと認識(ネットで探したら実際に高い)。

育った土地で培われた感覚は、なかなか忘れない。方角の感覚以外にも、自分の中では当たり前だと思い込んでしまっていることでも、それが育った土地や家族、通った学校や入社した会社など狭い世界の中でしか通用しない事柄は、結構多いのだろうと思う。誰でも何かに属しているため、その背景を除外するのはなかなか難しいと想像する。私は、割とその変は文化的に流暢だと思っているのだけれど、それは、引っ越し経験の多さが多少は影響しているのではないかと思う。一か所に留まることができていないことを、私自身は私の残念な一面だと思っている(同時に、それが良い事であったとも思っている)。長い付き合いの友達とか、昔からの馴染みの店とか場所もないのが残念な一面と思っている理由。だけれど、文化的に流暢であることが身についたのが実際に引っ越し歴からくるものであるとすれば、それはそれでよかったと思っている。