閲覧者
カテゴリー: 感情

便利さの裏で楽しみが一つ減っていた

便利さの裏で楽しみが一つ減っていた

今いる町にずっと住み続けていたわけではないのだけど、最初にここに住み始めてから10年くらいが経つ。住み始めて当初のころは、地元のスーパーで買える日本調味料はあまりなく、食材も少なかった。だから、大きな街へ片道3時間くらいかけて買い出しにいっていた。それでも、また別の国で最初に働き始めた 30年くらい前に比べれば地元で買えるものはある程度あった(その 30年前の生活では、都会にいっても賞味期限切れ食品くらいしか買えなかった)。

当時は、それが楽しくてしかたなかった。同時に、いろいろなものを買うことができるこんな街に住めたらいいなあと残念に思うばかりだった。

その後、新しいショッピングモールに大きなスーパーが入って、日本食材コーナーが充実してきた。棚の幅5メートルを超える品揃えにまでなった。地元で買えないものはまだまだたくさんあるけれど、それでも都会に行く頻度は減り、一回あたりに買い出しをする量も減った。片道3時間とは言え、道中に交通事故にあうリスクも減ったし、疲労も時間も節約できてよいことばかり。

そうなんだけれど、街に出かけるワクワク感が減ってしまった気分でもある。
便利になった分、何かを失った感じ。
生活しやすくなることは良い事。進化の証。それを止めて不便な暮らしを続けてまでもワクワク感を優先させるのは世の流れに反するのだけれど、それでも何か寂しい感じ。

だから別のワクワクすることが見つかるといいなあと思う。

FMラジオの楽曲リクエストってもうないのかな?

FMラジオの楽曲リクエストってもうないのかな?

YouTubeで音楽を聴いていたら、お薦めリストに Queen の Radio Ga Ga が出てきた。この曲は、私が高校生の時に、地元県のローカル FM 曲に送ったリクエストはがきで初めて読まれて曲も流れた記念のもの。で、ここの記事に書こうとしたところ、はがきリクエストなのにタイトルを「電リク」と間違って書いてしまったのだが、その時に、私の PC では一発では「電リク」を変換できなかった。と、いうことは、電リクはもはや一般名詞ではないのだと実感した。もしかしたら電リクが一般名詞であったころは無かったかもしれないけれど、一発変換くらいはできたのではないだろうか。

今は、YouTube や音楽サブスクもあるから、好きな時に好きな曲を聴くことができる環境はそろっているので、採用されるか判らず、また、採用されてもその時に聞けるかどうかわからない電リクやはがきリクエストをして音楽を聴く必要性があるとは思えない。一方、リクエストの存在価値があるとすれば、友達とか誰かほかに聞いているかもしれない人へのメッセージとしてはとても有用なものだと私は思う。

ちなみに、私が人生二度目にリクエストが採用されたときは、番組パーソナリティと私の電話での会話が FM 放送に流れた。どんな会話をしたかを覚えていないし、放送をエアチェック(なつかしい言葉)したカセットテープがどこかにあるはずだけど、もう40年くらい前の話だから探せないだろう(どうしても探したいとまでは思ってない)。その時は、Let it Be をかけてもらった。

あれは、はがきの内容で採用されたのか、リクエストした曲がたまたま放送局の選曲に合致したから採用されたのか、どっちだったのだろう

雨の日のバス・電車通勤

雨の日のバス・電車通勤

ネットニュースを見ていたら、日本では冬の寒い雨の予報という見出しが目に入った。

日本にいた時の雨の日の通勤を思い出した。外は寒いのに、電車内に入るともわっとして湿気と熱気で息苦しくなる。私はラッシュ時を避けて早めに電車に乗ることにしていたが、それでも濡れた雨傘がスーツに触れたりする距離感にたくさんの人がいることの方が多かった。

雨の日は嫌いではないということを少し前にここで書いた。雨の日の音と匂いが雨の日を思い出させる。雨の日のむっとした電車内や傘を持つ面倒くささもあって、雨の日の通勤は嫌いだったけれど、ネットニュースで雨予報を聞いたときに、その場面を思い出した。特に嫌な感情が生じることなく、そんな日もあったなあという思いで的な感じで記憶がよみがえった。良い記憶でもないので、決して無いものねだりであるはずではないけれど、悪い感情なく思い出した。

今は車通勤なので、雨の日の運転にいつもよりも余計に気を遣う必要はあるものの、濡れたりムッとしたりすることはないので、日本にいた時のような不快さはない。でも、たまにはあの感覚をもう一度、味わうのも悪くはないかなああと思ったりしてる。ただし、通勤ではない理由で乗車する時に限るかも…。まあ、通勤でも帰り途ならまだ我慢できる可能性は高いが。

マツコさんの TV 番組の BGM

マツコさんの TV 番組の BGM

マツコ・デラックスが出ている TV 番組で流れている BGM は、かなり高い確率で私が好きな曲が多い。好きな中でも、「洋楽で懐かしめで好き」という分類に該当する曲が多い傾向。私はそんなに TV 番組を見ていた部類の人間ではないのでサンプル数は少ないけれども、そう言える。

不思議なのは、テレビ局が違っていてもマツコさんが出ていると選曲の好みがあう。マツコさん自身で選曲しているはずないだろうから、なぜか不思議。似たような歓声のスタッフさんが制作しているのだろうか?

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

私はお酒が好き。最初から好き。最初からというのは、合法的に飲める年齢になってから、ずっと好きという主旨。

大学生の頃はお金を持っていなかったので、自分で飲む機会はほぼなかったように記憶している。サークルの飲み会は滅多になかったし、バイトを結構いれていたのもあって友達と一緒にいるのは授業が終了するまでで、夜まで一緒にいることもあまりなかった。

会社に入って働き始めた時の飲みのことは、よく覚えている。忙しい部署だったので毎晩遅くまで仕事して、22時位に先輩から誘われて終電まで飲むことが結構あった。当時の記憶では、今では入手困難になっている銘柄の日本酒を飲んでいたこともなんとなく覚えている。飲んでも飲んでも翌日は朝早くから働いていた。体力的に若かったからできたのだと思う(その影響でガタがもうじききたりしないといいのだけれど)。そんな日々が最初の異動までの間のこと。

最初の海外に行って帰国したあとに配属された先も忙しくて、また相手先との時差が結構ある部署で、やはりまた22時位から先輩に誘われることが少なからずあった。この先輩はいわゆるグルメと呼ばれるにふさわしい人という感じで、本人と奥様の双方のご両親が経済的に裕福な人だったようで、飲みに連れて行ってもらった店は普通の店であっても、注文する料理がちょっとグルメを感じさせてくれることがあった。

その後、海外と日本を何往復かする間、仕事の誰かと飲みに出かける機会は減った。仕事との兼ね合いやチームの一員としての働き方ではなくなったことなどの自分のおかれた環境の変化もあったが、一番の要因は、残業後に会社の人と飲みに出かける風習が世の中から消えつつあったことだったと思う。それと、自分の我が儘度合いも年齢とともに頑固爺のようになってきたのか、自分の食べたいもの・飲みたいものを楽しみたくなってきたこともあったかと思う。

今も飲むことが好き。でも、現在の体力やその時の体調などとの関係性もあるのだろうけど、お酒を飲むと眠気・疲れを感じることもでてきた。だから、飲むと時間を無為に過ごしているような気分になることが増えた。いや、実際の感情を言えば、飲んでも無為とまでは思っていなくて(飲むのが好きだから)、むしろ、飲まないと時間をたくさん使うことができると、よりポジティブに感じることができることに気付いた。いつもいつも忙しかったこともあって、時間という意味では今は結構充実している感じがしている。実際には、人生で残された時間はどんどん減っているのだけれど、なんとなくいい感じ。いろいろと新しいことにチャレンジできそう。

2026年に達成したいこと

2026年に達成したいこと

元日なので、ありきたりではあるけれど、今年に達成したいことを記しておいて年末にはレビューできるようにしておく。

・旧い友人と会う=そろそろそんな年齢:対象の人々が住んでない国にいるので機会設定が必要がある
・使い切る:2025年からの継続案件 = 2025年にできたものあったけれど継続
・人の話は先ず最後まで聞く:私が想定する展開が話し手の着地点でないかもしれないと知る
・余計な発言を慎む
・先入観をできるだけ排除する
・買い置きできる体質に(あったらあっただけ使ったりしない)
・体調と体重を管理
・年齢を重ねても新しい思い出を作れると信じて生きる

2025 年の成長分野

2025 年の成長分野

低レベルな話だけれど、今年の成長分野。

・洗顔時に顔のみを洗えるようになった
  → 以前は鼻に水が入るから外出先で顔がてっかてかでも洗えなかった

・食事の時にお盆を使うようになった
  = 丁寧な生活様式、一方でモノを落としたりしないような防御策

・飽きっぽいのに毎日継続できたことがあった
  → cf. デンタル・フロス 今年2ロール完了

・早寝
  = 多少は仕事に余裕が出たか?仕事への執着が減ってしまったか?

・料理のレパートリーが増えた
  = しかし、味付けは自分好みだから人には作ってあげられない


I wish you a merry 大晦日!

デンタル・フロス使い切り、今年2ロール目

デンタル・フロス使い切り、今年2ロール目

今年二度目のデンタル・フロス使い切り。今年初めての使い切りは生涯最初の使い切りだったので、今回は人生二度目の使い切りでもある。

2025 年に達成したかったことのひとつに、何かを無駄にせずに使い切ることだった。使い切るには、毎日継続して使うことが必要なので、続けることができた証でもある。

小さなことだけれど、達成できてよかった。2025 年の十大ニュースのひとつのはずが、最初の達成から時間が結構経過して色褪せてきていたところ、二度目の使い切りを年の瀬に迎えることができて、新年スタート前に思い出すことができた。よかった。

実家に帰ろうブームだって

実家に帰ろうブームだって

ネット記事で見た。ブームという割には、私には初耳だった。記事を読んでみると、港区などのコストもステータスも高い場所での生活からおりて実家に戻る人が増えている、ということらしい。それで、実家暮らしをしている人は、そうでない人に比べてお金がたまってよい、という主旨のことも書いてある。私は投稿コメントでいろいろな意見を読むのが好きなのだけれど、そこには、やはり実家の方がお金がたまるという類のコメントが結構な数あった。

そこなの?と思った。港区のようなコスト高なところと比べるから貯金云々という話になるかもしれないけれど、失礼ながら、コメント投稿者がみんな港区に住んでいたとは思えず、であれば、そんなに貯金が気になるものなのかなあ、私とは違う考えなのだろうなあと感想を持った。

私は、大学に通うために実家を出た。下宿のおばちゃんがいる小さな学生寮っぽい場所に住み、就職時に実家に戻ることもなかった。むしろ、その選択肢は初めから頭にはなかった。そもそも、新卒入社した勤務先には実家からは通えないのだけれど、就職先はどんな職業に就きたいかが最優先で、その結果として就職する土地がいくつかに絞られたので、実家から通えるかどうかは私にとってはどうでもよいというか、仮に実家から通えたとしても、個室が並んだ学生寮ではない、ちゃんとした一人暮らしにも憧れたものだ。

物価が上がった今は、私の新卒の時のような「のほほん」とした一人暮らしが大変な時代になったのだろうと少し申し訳ない気持ちになった。スマホ代も高いし、若手に奢ってくれる上司・先輩は少なくなっているだろうし大変なのだろうとは想像つくが、一人暮らしの自由さ・気ままさは、何かとトレードオフで入手できるなら若いうちに味わっておいてはどうかと思う(人の好みは尊重する)。

(これを書くときは記事が出てからしばらく経っていたので検索したところ、記事が削除されているような感じだった。なぜだろう)

再開発で移転した先も再開発

再開発で移転した先も再開発

八重洲にあったレストランへ初めて行ったのは30年くらい前。八重洲再開発で土地がまっさらになり、新橋の仮店舗(?)へも何度か伺ったのだけれど、現在の入居先のビルに再開発計画があると知った。

初めて食事にいった当時にいらしたマダムは他界され、昔からの店員さんもそれなりのご年齢でなので、もしかしたら、二度も立ち退きとなるともう次はないのか心配している。次回の一時帰国休暇では、後悔しないように必ず食べにゆく。

雨の日

雨の日

雨の日は嫌いではない。「好き」と積極的に言えるまでではないのだけれど、嫌いではない。好きな側面はあまり見当たらないのだけれど、雨の日ならではな部分もあって、完全には嫌いになれないというのが適当な表現かもしれない。

私は、昭和の時代に小学生として過ごした。ステレオタイプな発想として、当時の多くの小学生と同じように、放課後は野球をして遊んだ。雨が降ると野球やそのほかの外の遊びができないので、家に一人でいることになる。当時に流行っていたゲームウォッチをはじめとした電子ゲームが我が家にはなかったので、雨の日はテレビを観るくらいしかやることがなかった(私の小学生時代は特に宿題とかなかったか極々少量だったような気がするので、宿題があっても学校の休み時間に終わっていたような記憶がある)。

だから、雨の日は家にいる日、というのが私の意識に今でも刷り込まれたままになっている。

とはいえ、家にいる日という認識と雨の日が嫌いでないこととは、特に関係がない。まあ、外出する選択肢がない分、ネガティブに作用しかねないことでもあるし。

雨の日ならではなことの一つに、匂いがある。ここ数年は、より化学的な説明がなされるようになってきたが、以前はアスファルトの匂いとして説明されていた、あの匂い。パブロフの犬ではないが、あの匂いは家にいる日のサインでもある。また、家にいる時に雨が降り始める時は、雨粒が屋根に当たる音が聞こえるような大雨ではない限り、いったん、静寂がおとずれてそのあとに雨が降り始めたことが分かる感じ。あれも、いとをかし。




追伸:外で競技を行う運動部に在籍していた高校生当時は、雨の日は校舎内を走り回ったり柔道場でサーキットトレーニングをしたりするので体力的にきつかった。通常の練習よりも時間は短く、日が暮れる前に学校を出ることができたのでその点はよかったのだけれど、雨合羽をきて自転車で40分くらいかけて帰るのがつらかった。

テレビ・ドラマの世界

テレビ・ドラマの世界

今に始まったことではないけれど、テレビ・ドラマを見ていて思うのは、これって実際の世の中を反映していることなのかどうか、ということ。

自分が知っていることであれば比較はできる。例えば、自分がかつて勤めていた日本の会社では、スーツの上着は出社とともに脱ぐのだけど(入社してから転職するまでの約30年間変わらず)、ドラマでは事務所で仕事中も上着を着たままの人が多い。これって違うんではと思いつつ、自分が勤める会社しか知らないから、自分が知っていることが多数派なのか少数派なのか判らない。

自分の感覚と違うことが一つあると、他も違うんじゃないかと思い始めてしまう。

最初に、今に始まったことではないけれどと書いたが、少し前にそれを再認識したのは、学校の保護者カーストのような人が登場する場面のこと。そういった人間関係から遠いところにいるのでよく判らないけれど、本当にそういった人(カーストの上のほうにいて権力を振りまく人)っているのだろうか、自分の周りで観たことも聞いたこともないので、テレビ・ドラマの世界だけで存在している人なのではないだろうかと思ったりする(あるいはいても、ごくごく希少な人々)。

自分が知っている世界とテレビ・ドラマ内の世界があまりに違い過ぎる時、私はドラマを直視できないほどに恥ずかしい気持ちになる。これは現実世界を反映しているもの?それとも、おとぎ話の世界?

社説の「~せよ」にうんざりする

社説の「~せよ」にうんざりする

以前は感じなかったけれど、「~せよ」と言っている社説にうんざりするようになった。
ひとつの意見として社説を書いている人の意見を尊重はするが、それがあたかも唯一の正義・正解のように「せよ」と主張することに、なんだかなあと感じるようになった。

先輩が脈々と続けてきた書き方がフォーマット化されてしまっているのではないかと想像する。変えるのは難しいのだろうと思う。しかし、「~せよ」調の社説にうんざりしている人は、私以外にも結構いるのではないかなあと思う。

私の個人の感想です。

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

ここしばらく穏やかな日々を過ごしている。その要因として思い当たるのは、休暇を取っていたことくらいしかなく、間違いなくそれが理由だと思う。

大学を卒業して働き始めてから数十年が経っているので、これまでに取得した休暇もそれなりにあるけれど、こんなに休暇明けに穏やかな気持ちになれているのは初めてだろう。休暇中にどうしてもやらなければならない業務をするのは通常運転で、今回もそれは同じ。だけれど、今回は休暇後の穏やかさがとてつもなく大きい。

休暇中の時間を有効に使えたのだろうと思う。何十年か振りの人に会ったり、優先度は高くなかったけれど時間があったら是非にやってみたかったことを今回は実現できたのもあったし、一部は計画通りにならなかったものの、結構、事前にいろいろ考えて、計画をたてる段階からワクワクしていたような気もする。

こんな休暇の過ごし方を以前からできていれば、生産性がもっと上がっていたのかと思うと少し悔しいものの、今、そう思うような働き方をしてきたからこそ今回のような休暇を取る余裕が生まれたのかもしれず、こればかりは結果論で何とも言えない。

ああ、今回の休暇は良かった。この充電具合、穏やかな状況はどれくらいの期間、保てるだろうか。放電しきらないように、休暇ほどのものでなくても適度にチャージできれる生活を送ろう。

政府関係者への贈答品

政府関係者への贈答品

外交ウィークだった。ASEAN 首脳会議をきっかけに ASEAN+3(日中韓)首脳会議が開かれ、トランプ大統領もタイ・カンボジア和平合意式典に参加するために ASEAN 会議の開催地であるマレーシア入り。その後、トランプ大統領は来日し、また、APEC が開催された韓国では、米中、日中、日韓首脳会談も行われた。

トランプ大統領に関わる報道では、日本と韓国で贈答品について報じられていた。

民間企業の場合は、アメリカの The Foreign Corrupt Practice Act of 1977 に日本の企業であっても監督されるし、民間企業自体も海外腐敗防止規定などを作成して海外公務員への贈答や、民間企業間の贈答品を含む接待に関わる規定を定め運用している。

それに対して、今回の外交ウィークの報道を見ていると、政府間の贈答品については規定がないのか、政府トップなどの一部にはルールが適用されたいのかとか気になった。自分がその立場や関係者になることはまずないので、このことを自分で調べてみようと思うほど気になるわけではないので調べないが気にはなった。

貰って喜ばしいものを貰っていなそうだったので、なおさらそう思った。贈賄規定があるからその王冠はもらえませんとトランプ大統領が言ったらどうなるだろうか。大統領個人がもらっているのかホワイトハウス寄贈になるのか、また別の方法で管理されるのか判らないが、規定上、貰ってよいのであれば価値のあるものよりは貰って嬉しいものの方が私はいいなあ。

海外から来日の要人が無事に離日してよかった

海外から来日の要人が無事に離日してよかった

アメリカ・トランプ大統領が無事に離日して何より。

誰であろうが、海外から来日した要人が狙われたり、来日期間中にテロがおきたり、または要人を対象にしたデモが起きたりせずに来日日程を終えることができるのは、ほっとする。海外からの訪問者に限らず、誰にとってもそのようなことは起きて欲しくないが、せっかく海外から来てくれた要人ならなおさら。

ひとまず、ほっとした。

雨季

雨季

来月くらいには雨季が始まると思うのだけれど、今年の雨季の雨量や降雨時間はどんなものだろう。

気候はなるようにしかならないから、心配しても意味ないし天気予報の精度的にも期待できないし、また準備することもできないのだけれど、洪水するようなレベルにはなって欲しくないとは思う。洗車しなくなくので、列に並ぶ手間はなくなるのだけれど、雨季でもしばらく雨が降らない日が続くこともあって、そうなると汚れた車にしばらく乗らないといけないし、洗車するタイミングの決断に困る。

屋外での活動があまり多くない私にとっては、自分個人の生活には大きく影響は及ぼさないのも事実。いいことなのか、良くないことなのか。

休暇明けの初出勤時の運転は慎重に

休暇明けの初出勤時の運転は慎重に

休暇明けで久々に出社する時は、いつもよりも慎重に運転する必要がある。道の真ん中に突然に大きな穴があくことは珍しくない。そんなことが一晩の大雨でおきたりするので、10日も出勤しないことがあれば、何がどこにあるかをきょろきょりしながら慎重に運転する必要がある。

赤道に近いところに住んでいるため、1年を通して日の出の時間は30分くらいの差しかない。だいたい朝はまだ暗いうちに家を出て、季節によってはまだ暗いうちに会社につくこともあれば、ほぼ明るくなっていることもある。だけど、出るのは暗いうちなので、余計に道路の穴が見えずらい。

そんなこんなで、久々の出勤には優しい運転で出かけようと思っていたのだが、思いのほか、自然体で優しい運転ができた。優しく運転を心がける、というよりも自然に優しい運転ができた。

今回の休暇では体調を崩したりもしたのだけれど、全般的にはよい休暇だった。きっと、それもあって優しく運転ができたのだと思う。休み前に蓄積したイライラがかなり解消されて模様。さあ、いつまでこの優しい運転が湧き出つづけるだろうか。

自民党総裁選 ~ 連立 ~ 首班指名選挙

自民党総裁選 ~ 連立 ~ 首班指名選挙

10月初めからの一連の流れの中で、いくつかのファインプレーがあったと私個人は感じているのだけれど、その中のひとつが自民党総裁選をフルスペックで実施すると決めた人だと思う。

総裁選がスタートしたころの報道では、たしか、現首相を支持するメンバーが選挙管理委員会に名を連ねているという報道内容だったと記憶する。もしそうであるならば、国会議員のみにはかるというやり方があってもおかしくないところ、フルスペック選挙の実施を決めたのは、高市候補が勝利する方向性の最初のステップを大きく踏み出すことになったと思う。もしかしたら、自民党に危機感を感じる議員が少なからずいて、党員の声を聴くべきと思っていたひとが案外多かったのかもしれないと思った(2024年の総裁選同様に、フルスペックで実施しても議員側が恣意的に議員票を活用できるとおもっていたのかもしれないが…)。

これがなければ、今頃は期待感もない政治ニュースになっていたかもしれないし、自民党政治の終焉を迎えるきっかけになっていたかもしれない。

実際に高市氏が何を実行できるかはまだわからないものの、期待感はあると思っている有権者の一人です。

外免切替厳格化に困惑、との記事は誰目線?

外免切替厳格化に困惑、との記事は誰目線?

外国運転免許証の日本への切り替えの要件が 10 月から厳しくなったことを取り上げるネット記事があった。外国人が困惑しているということらしい。

外国人が困惑するのは無理もない。しかし、「厳格化してけしからん、外国人が困惑せぬようにしないといけないではないか」と該当の記事が主張しているような印象を受けた。タイトルのみが目に入ってきた時は特に。
記事は、安全に運転できるように制度変更の効果を期待するという締め方にはなっているものの、外国人が困惑していることを前面に出す必要があるだろうか。これを配信したメディアは、ハードルの低い日本の外免切替を利用してルールをきちんと知らない(あるいは知っていて無視している)運転者が悲惨な事故を起こしても、外免切替の問題点を指摘する資格はない。いろいろな視点を取り上げるのがメディアであるとこの会社が主張するならば、どんな犯罪でも批判的に述べてはいけないと読者に感じさせるような書き方だ。どっちの向きに対してでも、その時に出てきたこと何に対しても批判的に書けばよい時代ではない(今日死刑が執行されたら海外では死刑廃止だといって批判して、翌日には 10人をあやめた犯人に死刑判決が出なかったとしてなぜ死刑ではないのかまた批判するように、同根の事柄について、舌の根も乾かぬうちにどっちにもとにかく批判する姿勢)。

私は、現在の居住地で日本の免許からの切り替えで現地免許を取得しているので、逆方向で外免切替の恩恵を受けている。しかし、当地の人と同じように運転している。また、当地の免許は日本で可能なような旅行者の取得はできない。住所があってビザを取得し、一定期間この国に滞在する人でないと申請できないし、外免切替の制度が停止されたりもする(この場合は、現地の人も外国人も全員が同じ試験を同じ方法で受験して免許を取得というルール)。

外免切替制度に関しては、なぜ、日本のメディが外国人の気持ちを代弁する必要があるのだろうか。