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カテゴリー: 感情

人生の機微が判らない

人生の機微が判らない

最近、学生スポーツ部員が書類送検された事例を伝える報道がいくつか続いている。送検された本人が実際どうだったか知る由もないが、ネット・ニュースの下についているコメント欄を見ると、運動しかしてこなかったからとかスポーツさえできればよいという価値観でやってきたのでモラルがないといった書き込みが散見された。それはあくまで書き込む人の先入観や決めつけではあるけれど、自分のこととを振り返ってみて、一点集中の弊害はあるなあと再確認した(ちなみに、私は犯罪はしていない)。

たまたま私の高校生活はスポーツだったのだけれど、何もスポーツが悪いと言うつもりはない。ただ、平日は練習で朝早く家をでて夜遅く帰宅、土曜半ドン時代を高校生として過ごした私は土曜午後と日曜は試合と、ほぼテレビを観る時間も本を読む時間もなく毎日を送り、部活引退後はほぼ受験勉強のみに時間を使った。

大学時代には自分の裁量でつかえる時間がたくさんあったけれど、授業とバイト、クラブ活動、学食での友人との語らいに忙しかった。

就職すると、昔のモーレツ社員的な働き方なので、流行りのドラマを観ることはなく、また、本(文学)を読むこともなく、ひたらす仕事と仕事に関係する知識吸収に励んでいたなあ。

私は、自分自身が一般常識に欠けた部分があることを認識する時が結構ある。また、人と会話するときに駆使すべき建前も使えない。おべっかも言えない。それは、持って生まれた性格によるところと、そのように鍛えられずにきたからという面の両方があると思う。新卒入社してから殆どの時間を、営業部内ではあるものの本体のメンバーとはほぼ交わらない新規ミッションを追求する小さなチームで働いてきた。だから、調子のいいことを言うことを求められる機会もあまりなく、その必要性を教えてくれる人も周りにいなかった(教えて欲しかった😢)。これが現実世界。

フィクションの世界からいうと、映画やドラマを観ず、小説も読まずで来てしまった。最近になってドラマを観る機会が出てきたのだけれど、ああ、たしかに映画・ドラマ・小説から学べる人生の機微ってもしかしたらあるのかなあ、それが私にかけてたのかなあ、と思うことがある。情操教育というか。

スポーツ一直線が犯罪に直接結びつくわけではないし、もともとの話ともちょっと変わってしまったけれど、私のなかに足りないものがあるというのは自覚している。今からでも間に合うだろうか。

海外で仕事、イチロー選手 励み

海外で仕事、イチロー選手 励み

今、私が仕事をしている国に限れば、何年か前に比べて日本にいるのと同じような生活ができるようになった。YouTubeを見ることもできるし、電子書籍であれば日本の本も不自由なく購入することもできる(電子化されている書籍には限るが)。居住地ならではのこともできるし、日本のような癒し方法もある。違いが少ない世の中になった。

私が初めて海外で働くことになった時には既にインターネットや e-mail は存在していた。しかし、ネットで動画を見るという発想はなく、そもそも、動画がアップされていたかもわからない。だから、日本の動画をみようとすれば、海外放送の会員になってデコーダを購入(貸与)してテレビ受信機でみることになるのだけれど、1つのチャンネルでいくつかの日本のテレビ局の番組を放送するシステムなので番組の選択肢がなかった。どうしても見たい番組がある場合は、賞味期限切れ食品を販売する店に何時間かかけて車でゆき、その店で売っている日本のテレビを録画した VHSビデオを購入することになる。または、TV番組雑誌を購入して、めぼしい番組を日本に住む親族にお願いして録画して国際郵便で送ってもらっていた。

二度目の海外勤務の時代までにはインターネットがかなり進んでいて、ニュースを見ることができた。最初の海外の時は、日本の情報から寸断されていた認識があったので、見たいとも思わなかったけれど、見ることができると見たくなるのが人の心情。当時の私の支えは、イチロー選手の活躍を知ることで、その日の成績によって自分の一日もよくなりそうな気持になった。特にイチロー選手のファンではなかったのだけれど、海外で活躍する選手の動向に私の気分もかなり左右された。今は日本人メジャー・リーガーも増えたから環境が改善されていると想像するけれど、イチロー選手の時代は差別的なことも今より顕著だっただろうし、そんな中で成績を出すイチロー選手の活躍に勇気づけられた。

今は選択肢が増えた分、何かにすがる必要がなくなった。 何かがうまくいかなくても、ほかの何かでよいことがあればいいかと思えるのは、よいことだと思う。

太陽暦でも太陰暦でも正月前はジングルベルか?

太陽暦でも太陰暦でも正月前はジングルベルか?

用事があって久々にショッピング・モールを歩いていた。旧正月前の飾りつけが毎年恒例でスゴイ。

歩いていると馴染みのある音楽が聞こえてきた。あれ、なんだろうこの曲、と思いながらよく耳をすますと、ジングルベルをベースに編曲したものだった。

日本もそうだけれど太陽暦の場所では、クリスマスがくると次は正月という気分の高揚感があるのはたしかだけれど、太陰暦の正月前もクリスマスなのだろうか。まあ、購買意欲を上げる音楽ということでジングルベルなのだろうとは思うけれど。

共通テスト- 特定科目の平均点が低いから得点調整

共通テスト- 特定科目の平均点が低いから得点調整

2026 年の共通テストの得点調整を行わない旨を大学入試センターが発表したという報道を見た。詳しくは調べていないが平均点に差があったようで、それでも調整しないことに怒っている受験生がいるらしい。

私にも経験がある。私の第一志望校に課されたのは5教科5科目だった。その年の理科は、最低平均点の科目と最高平均点のものの乖離が大きかったため、下位2科目に対して得点調整が行われた。私が理科で受験した科目は、この下位2科目でなければ最も平均点が高かった(易しかった?)ものでもなく、手当も特殊事情もなかった科目だった。得点調整で利を得た人が私の第一志望校受験においてどれくらいの人数のライバルになったか判らないが、とても憤慨した記憶がある。当時の文部大臣の名前は今でも覚えているくらい。

結局、第一志望校には合格できたのでことなきを得たが、もしも不合格になっていたりしたら逆恨みしていたかもしれない。そうなっていたら、いま、どこでどんな人生を送っていたのだろうか。怖い怖い。ちゃんと問題作ってほしい。

水平線からの日の出

水平線からの日の出

また大雑把な括りをしてしまえば、日本人には区切り好きが多いと私は思っている。そうでなければ、元日を祝ったり新年に誓いを立てたりもしないだろう。そういうと、元日(太陽暦・太陰暦関わらず)を祝うのは何も日本だけではないだろうと反論を受けそうだけれど、4月1日、10月1日などに上司から組織への一斉メールが届くのは日本だけだと思う。

私は区切りがとても好き。区切りの印となるものも好きで、そのことから日の出も好き。

日本にいたときは、住んでいた場所の東側の住宅街からの日の出が見えた。初日の出に限らず、日の出の時間帯に家にいる場合には見た。特に、まだ暗いうちの紫色にかわりつつあるところからオレンジになって、その後に太陽が出てくるところまでの一連の変化を見るのが特に好きだった。

東南アジアにきてから、水平線が東側にある場所にいく機会が出来た。そうなってから、初日の出に限らず海からの日の出を何度かトライした。住宅街から登る太陽もいいのだけれど、やはり水平線や地平線(これはかなり難易度が高そう)は美しいだろう。しかし、水平線には雲があることが多いようで、水平線からの日の出を何年たっても見ることができなかった。

ところがだ。旅行先で初めて海から登る太陽を見ることができた。期せずして、という状況だったのでその分感動が少し減ってしまったのが残念というか人間ってわがままだなあと思った。それはさておき、初めての日の出はうれしかった。

リアル世界の登場人物が夢に出る

リアル世界の登場人物が夢に出る

私はあまり夢を見ない。

私は夢科学者ではないので、表現が間違っているかもしれない。夢は見ているけど、起床時に覚えていないから、たぶん、夢を見ていないと私は思い込んでいるのだろう。なぜなら、私は忘れっぽいから。しかし、忘れぽっくなった自覚はここ10年以内の話であって、夢を覚えていないのはもっと長期の話ゆえに、忘れっぽいのと夢を見ていないという自覚はリンクしていない可能性が高そうだ。

ここ二日、見た夢を起床時に続けて覚えている。しかも、実際の知り合いや知っている場所が登場する夢で、さらにいえば、会話内容とかが嫌いな方向性であったり全くありえない内容ではないことに非常に驚いている。

何だこれは。吉なのか不吉なのか。はたまた、記憶の整理・植え付けなのか。

しばらく観察してみようと思う。

痛みはやる気をなくさせる

痛みはやる気をなくさせる

少し前に、体のどこかが絶えず調子悪いと書いた。希望的観測も多少は入るが、おそらく、年齢からくるものが直接的な原因ではなく、ちょっとした注意不足とか寝不足に起因する出来事とかだと思う。その証拠に、何かで傷めたりするけれど、時間がたてばそれは治るからだ。年齢からくるものだと、一度傷めたものはずっとくすぶり続けたり、一か所がコンスタントに痛むという表れ方をするだろうけども、私の場合は、絶え間ないのだけれど短期的にどこか痛い場所を変えながら続いている。だから、年齢からくるものではないと思っている。

とはいえ、痛みはやる気をなくさせるのに十分だ。寝ていていも痛いものもあれば、何か特定のことが痛みを感じさせるものもあるのだけれど、痛いと何もやる気がおきない。寒いとか暑いとか、空腹だとか眠気とか、それらに比べると痛みはやる気を奪うのに長けているし、解決すると思って取る策が必ずしも有効であるとは限らないが多い。

痛みに弱いという認識を私は持っている。いろいろと耐えられる方の人間だとは思っているけれど、まわりの人と比較して、痛みには弱いのではないかと疑っている。だから痛いのは勘弁してもらいたい。これから病気になることもあるかもしれないが、ぜひ、痛い病気は勘弁してほしい。もしも痛む病気になってしまったら、痛みを取ることを優先して欲しいと思っているが、いざ、そういう状況になるまでは確定依頼はできない。

在外選挙登録者の投票率

在外選挙登録者の投票率

先日に、大使館で衆院選の在外投票を行った。

ふと、在外選挙登録をしている人の投票率がどれくらいか気になっためネット検索をすると、2024年の衆院選のデータでは、95千人の在外選挙登録者数に対して約 18%ほどの投票率だったようだ(選挙区・比例ともに 18%台)。

これは、在外選挙登録している人に対する比率なので、実態としはどうなのだろうか。外務省が開示している「海外在留邦人数調査統計」2025年10月1日現在版によれば、2025年の総数が約 13百万人で、うち長期滞在者が 709千人、永住者が 588千人とのこと。永住者は日本国民ではないので選挙権はないと思うので、永住者 588 千人を分母にして、うち、日本国内の人口に占める有権者の割合(約80%)が海外にも適用されるとして、在外有権者数は 470千人と試算。そこから 2024年の投票者数から計算すると 在外日本人有権者の投票率が 3-4% の間と試算できる。精度は不明ながら、かなり低いことが想像できる。

私も何時間も車を運転して大使館へ行くが、もっと遠くに住んでいる人もいるだろうから、物理的に難しいケースもあろう。また、投票期間は参院選であれば週末が二度あるが、衆院選は一度の週末しかないため、何時間かで行ける私ですらチャンスは限られる。

セキュリティの問題もあるだろうが、ネット投票ができる時代になるとよいなあと思う。

ネット投票が可能になる暁には、投票を義務に課すのも検討してみるのもよいのではないかと思う。私の同僚の出身国ですでに義務化している国がある。検討くらいしてみてはどうだろうか。

最後に、在外投票でいつもなんだかなあと思うのは、投票用紙を自身の名前を記載した封筒に入れて投票するのがいつも気になる。開封する人がたまたま私の知り合いだったりするのが嫌だなあといつも投票所で感じている。


TV スクランブル - 懐かしのテレビ番組

TV スクランブル - 懐かしのテレビ番組

久米宏さんが亡くなられたニュースが少し前に流れていた。

ニュース・ステーションが報道番組を変えた、というような報じられ方が多かったように思う。あくまでも、海外にいて情報ソースが少ない私が触れることができた範囲では。

私にとっての久米さんは、ぴったしカンカンとザ・ベストテン、TVスクランブルだ。ニュース・ステーションが始まったころにはわたしは多分高校生にはなっていて、部活で学校を出るのが遅い上に長距離・長時間通学で帰宅も遅いためにニュース・ステーションに限らずテレビ番組を全くみていなかったし、その流れで大学生の時もテレビを観ない人だった。だから、私がまだ小さかった頃の久米さんが私の久米さん。

最初に挙げた3つの番組のなかで、私のダントツはTVスクランブル。番組最後の日本の海岸線の空撮や動物の赤ちゃんコーナー(のあとの横山やすしさんとの対比)、「兆しコーナー」、「この道はどこへ行く道」などのコーナーを興味深く見聞きしていたのをよく覚えている。あと、もしかしたら記憶違いかもしれないけれど、日曜夜8時の日本テレビのこの枠はノエビア化粧品のCM(後番組の元気が出るテレビだったかもしれない)のことがとても好きだった。私は、中学1年の三学期が始まる頃から洋楽を聞き始めていたのだけれど、ノエビアのCMで流れる女性パイロットの飛行映像をバックに流れる洋楽の選曲がとても好きだった。

なぜに横山やすしさんなのかが判らなかったが、横山さんだからよかったのではないかとも思っている。強烈な印象が記憶を強くしている。当時、この番組が終わると私の寝る時刻だった(ザ・ベストテンも観ていたのみあまり強い記憶がないのは、放送時間が遅くて毎週は観ていなかったからかもしれない)。

在庫リスクに対処して減損と株価下落

在庫リスクに対処して減損と株価下落

マスク輸入が滞ったコロナの頃から経済安全保障が一般的にも話題になり始め、ここ数か月は耳にしない日が無いくらいにまでなった印象。レアメタルやレアアースといった鉱物資源系では、在庫切れで生産活動が止まった企業が報じられた記憶もあたらしい。

私は、国際会計基準に対して思うことがある。ルールの統一だったり、その結果として異なる国の企業同士を比較しやすくして投資検討の参考にするとか、その時その時の財務状態をあぶりだすことを期待してのことだとは理解しているが、金融を事業として行う企業以外には迷惑この上ないとずっと思ってきた。

たとえば、最近にみた経済安保関連の記事では、特定国からの輸入に頼る原料はそれなりに在庫している、とある会社の社長がコメントしていた。この会社は、事業継続のリスク認識と対処を行い、その内容や運用は別として、長期取引が検討かぬなサプライヤーとして信頼してよい企業だと私は思った。しかし、在庫をそれなりに持つということは商品市況変動のなかで評価損を出す可能性もあるわけで、それを時価評価することで株価が下がったりすることもあるだろう。原料リスクに対処することが信用リスクや資金調達リスクになるかもしれない。在庫をもたない企業にも事業継続リスクによる株価低下がありえるから、それでも平等・公正にでの企業にも評価がなされるという人がいるかもしれないが、在庫をもっていないリスクまで決算書から読み取ろうとする一般投資家はあまりないのではないか。

在庫評価が回復可能だとか企業側も説明に手を尽くすだろうが、基本、監査側は意地がよいとは思えず、彼ら独自の価値観で否認してくることもあるだろう。

リスクに対処すると別の不具合が生じるというのは厳しい。このことだけではないのだけれど、何かの手当を国際会計基準はしてくれないだろうか。

休暇を境に好みや欲求が変わった?

休暇を境に好みや欲求が変わった?

仕事中と寝ている時以外は動画を流していることが多かった。もちろん、通勤時の車の中で画面を見ることはないが、それでもニュースなどの動画を流してラジオのように音声を聞いている。また、自宅にいる時は、起きている限り何か動画を流していることが多い。

ニュースや時事系トーク番組、音楽ビデオやドラマ、バラエティ、勉強系などいろいろなジャンルを見るし、時折、全く興味のない分野のものであってもリストに出てくる映像をクリックすることもある。そういう意味では、私は偏りの少ない方ではないかと自分では思っている(アルゴリズムによるリストっぽくない、それまでに見た映像と何の脈絡もないものがリストの中にあるものでも)。

日々、動画にあふれているそんな私なのだけれど、ここ数か月間は、サムネイルを見ていても面白そうに感じる動画があまりない。どうしてだろう。もともと、動画を真剣に見ているわけではなく、何かやる時にながら掛けというか BGM の代わりという感じではあったのだけれど、なぜだろう。思い浮かぶのは、昨年の後半に取得した休暇後に動画に対する欲求が減った感じ。これも、休暇でイライラが解消した効果なのだろうか。あるいは、逆に、好奇心とか興味が減ってしまったあまりよろしくない状況なのだろうか。

今だけのことかもしれないけれど、見たい欲求がなければその気持ちに従おうと思う。静かな自宅もまた良いかもしれない。ちょっと試してみたいけれど、物事に関心を失くしてしまったのでないと良いのだけど。

便利さの裏で楽しみが一つ減っていた

便利さの裏で楽しみが一つ減っていた

今いる町にずっと住み続けていたわけではないのだけど、最初にここに住み始めてから10年くらいが経つ。住み始めて当初のころは、地元のスーパーで買える日本調味料はあまりなく、食材も少なかった。だから、大きな街へ片道3時間くらいかけて買い出しにいっていた。それでも、また別の国で最初に働き始めた 30年くらい前に比べれば地元で買えるものはある程度あった(その 30年前の生活では、都会にいっても賞味期限切れ食品くらいしか買えなかった)。

当時は、それが楽しくてしかたなかった。同時に、いろいろなものを買うことができるこんな街に住めたらいいなあと残念に思うばかりだった。

その後、新しいショッピングモールに大きなスーパーが入って、日本食材コーナーが充実してきた。棚の幅5メートルを超える品揃えにまでなった。地元で買えないものはまだまだたくさんあるけれど、それでも都会に行く頻度は減り、一回あたりに買い出しをする量も減った。片道3時間とは言え、道中に交通事故にあうリスクも減ったし、疲労も時間も節約できてよいことばかり。

そうなんだけれど、街に出かけるワクワク感が減ってしまった気分でもある。
便利になった分、何かを失った感じ。
生活しやすくなることは良い事。進化の証。それを止めて不便な暮らしを続けてまでもワクワク感を優先させるのは世の流れに反するのだけれど、それでも何か寂しい感じ。

だから別のワクワクすることが見つかるといいなあと思う。

FMラジオの楽曲リクエストってもうないのかな?

FMラジオの楽曲リクエストってもうないのかな?

YouTubeで音楽を聴いていたら、お薦めリストに Queen の Radio Ga Ga が出てきた。この曲は、私が高校生の時に、地元県のローカル FM 曲に送ったリクエストはがきで初めて読まれて曲も流れた記念のもの。で、ここの記事に書こうとしたところ、はがきリクエストなのにタイトルを「電リク」と間違って書いてしまったのだが、その時に、私の PC では一発では「電リク」を変換できなかった。と、いうことは、電リクはもはや一般名詞ではないのだと実感した。もしかしたら電リクが一般名詞であったころは無かったかもしれないけれど、一発変換くらいはできたのではないだろうか。

今は、YouTube や音楽サブスクもあるから、好きな時に好きな曲を聴くことができる環境はそろっているので、採用されるか判らず、また、採用されてもその時に聞けるかどうかわからない電リクやはがきリクエストをして音楽を聴く必要性があるとは思えない。一方、リクエストの存在価値があるとすれば、友達とか誰かほかに聞いているかもしれない人へのメッセージとしてはとても有用なものだと私は思う。

ちなみに、私が人生二度目にリクエストが採用されたときは、番組パーソナリティと私の電話での会話が FM 放送に流れた。どんな会話をしたかを覚えていないし、放送をエアチェック(なつかしい言葉)したカセットテープがどこかにあるはずだけど、もう40年くらい前の話だから探せないだろう(どうしても探したいとまでは思ってない)。その時は、Let it Be をかけてもらった。

あれは、はがきの内容で採用されたのか、リクエストした曲がたまたま放送局の選曲に合致したから採用されたのか、どっちだったのだろう

雨の日のバス・電車通勤

雨の日のバス・電車通勤

ネットニュースを見ていたら、日本では冬の寒い雨の予報という見出しが目に入った。

日本にいた時の雨の日の通勤を思い出した。外は寒いのに、電車内に入るともわっとして湿気と熱気で息苦しくなる。私はラッシュ時を避けて早めに電車に乗ることにしていたが、それでも濡れた雨傘がスーツに触れたりする距離感にたくさんの人がいることの方が多かった。

雨の日は嫌いではないということを少し前にここで書いた。雨の日の音と匂いが雨の日を思い出させる。雨の日のむっとした電車内や傘を持つ面倒くささもあって、雨の日の通勤は嫌いだったけれど、ネットニュースで雨予報を聞いたときに、その場面を思い出した。特に嫌な感情が生じることなく、そんな日もあったなあという思いで的な感じで記憶がよみがえった。良い記憶でもないので、決して無いものねだりであるはずではないけれど、悪い感情なく思い出した。

今は車通勤なので、雨の日の運転にいつもよりも余計に気を遣う必要はあるものの、濡れたりムッとしたりすることはないので、日本にいた時のような不快さはない。でも、たまにはあの感覚をもう一度、味わうのも悪くはないかなああと思ったりしてる。ただし、通勤ではない理由で乗車する時に限るかも…。まあ、通勤でも帰り途ならまだ我慢できる可能性は高いが。

マツコさんの TV 番組の BGM

マツコさんの TV 番組の BGM

マツコ・デラックスが出ている TV 番組で流れている BGM は、かなり高い確率で私が好きな曲が多い。好きな中でも、「洋楽で懐かしめで好き」という分類に該当する曲が多い傾向。私はそんなに TV 番組を見ていた部類の人間ではないのでサンプル数は少ないけれども、そう言える。

不思議なのは、テレビ局が違っていてもマツコさんが出ていると選曲の好みがあう。マツコさん自身で選曲しているはずないだろうから、なぜか不思議。似たような歓声のスタッフさんが制作しているのだろうか?

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

お酒は好きだけど、飲まないと時間が増える

私はお酒が好き。最初から好き。最初からというのは、合法的に飲める年齢になってから、ずっと好きという主旨。

大学生の頃はお金を持っていなかったので、自分で飲む機会はほぼなかったように記憶している。サークルの飲み会は滅多になかったし、バイトを結構いれていたのもあって友達と一緒にいるのは授業が終了するまでで、夜まで一緒にいることもあまりなかった。

会社に入って働き始めた時の飲みのことは、よく覚えている。忙しい部署だったので毎晩遅くまで仕事して、22時位に先輩から誘われて終電まで飲むことが結構あった。当時の記憶では、今では入手困難になっている銘柄の日本酒を飲んでいたこともなんとなく覚えている。飲んでも飲んでも翌日は朝早くから働いていた。体力的に若かったからできたのだと思う(その影響でガタがもうじききたりしないといいのだけれど)。そんな日々が最初の異動までの間のこと。

最初の海外に行って帰国したあとに配属された先も忙しくて、また相手先との時差が結構ある部署で、やはりまた22時位から先輩に誘われることが少なからずあった。この先輩はいわゆるグルメと呼ばれるにふさわしい人という感じで、本人と奥様の双方のご両親が経済的に裕福な人だったようで、飲みに連れて行ってもらった店は普通の店であっても、注文する料理がちょっとグルメを感じさせてくれることがあった。

その後、海外と日本を何往復かする間、仕事の誰かと飲みに出かける機会は減った。仕事との兼ね合いやチームの一員としての働き方ではなくなったことなどの自分のおかれた環境の変化もあったが、一番の要因は、残業後に会社の人と飲みに出かける風習が世の中から消えつつあったことだったと思う。それと、自分の我が儘度合いも年齢とともに頑固爺のようになってきたのか、自分の食べたいもの・飲みたいものを楽しみたくなってきたこともあったかと思う。

今も飲むことが好き。でも、現在の体力やその時の体調などとの関係性もあるのだろうけど、お酒を飲むと眠気・疲れを感じることもでてきた。だから、飲むと時間を無為に過ごしているような気分になることが増えた。いや、実際の感情を言えば、飲んでも無為とまでは思っていなくて(飲むのが好きだから)、むしろ、飲まないと時間をたくさん使うことができると、よりポジティブに感じることができることに気付いた。いつもいつも忙しかったこともあって、時間という意味では今は結構充実している感じがしている。実際には、人生で残された時間はどんどん減っているのだけれど、なんとなくいい感じ。いろいろと新しいことにチャレンジできそう。

2026年に達成したいこと

2026年に達成したいこと

元日なので、ありきたりではあるけれど、今年に達成したいことを記しておいて年末にはレビューできるようにしておく。

・旧い友人と会う=そろそろそんな年齢:対象の人々が住んでない国にいるので機会設定が必要がある
・使い切る:2025年からの継続案件 = 2025年にできたものあったけれど継続
・人の話は先ず最後まで聞く:私が想定する展開が話し手の着地点でないかもしれないと知る
・余計な発言を慎む
・先入観をできるだけ排除する
・買い置きできる体質に(あったらあっただけ使ったりしない)
・体調と体重を管理
・年齢を重ねても新しい思い出を作れると信じて生きる

2025 年の成長分野

2025 年の成長分野

低レベルな話だけれど、今年の成長分野。

・洗顔時に顔のみを洗えるようになった
  → 以前は鼻に水が入るから外出先で顔がてっかてかでも洗えなかった

・食事の時にお盆を使うようになった
  = 丁寧な生活様式、一方でモノを落としたりしないような防御策

・飽きっぽいのに毎日継続できたことがあった
  → cf. デンタル・フロス 今年2ロール完了

・早寝
  = 多少は仕事に余裕が出たか?仕事への執着が減ってしまったか?

・料理のレパートリーが増えた
  = しかし、味付けは自分好みだから人には作ってあげられない


I wish you a merry 大晦日!

デンタル・フロス使い切り、今年2ロール目

デンタル・フロス使い切り、今年2ロール目

今年二度目のデンタル・フロス使い切り。今年初めての使い切りは生涯最初の使い切りだったので、今回は人生二度目の使い切りでもある。

2025 年に達成したかったことのひとつに、何かを無駄にせずに使い切ることだった。使い切るには、毎日継続して使うことが必要なので、続けることができた証でもある。

小さなことだけれど、達成できてよかった。2025 年の十大ニュースのひとつのはずが、最初の達成から時間が結構経過して色褪せてきていたところ、二度目の使い切りを年の瀬に迎えることができて、新年スタート前に思い出すことができた。よかった。

実家に帰ろうブームだって

実家に帰ろうブームだって

ネット記事で見た。ブームという割には、私には初耳だった。記事を読んでみると、港区などのコストもステータスも高い場所での生活からおりて実家に戻る人が増えている、ということらしい。それで、実家暮らしをしている人は、そうでない人に比べてお金がたまってよい、という主旨のことも書いてある。私は投稿コメントでいろいろな意見を読むのが好きなのだけれど、そこには、やはり実家の方がお金がたまるという類のコメントが結構な数あった。

そこなの?と思った。港区のようなコスト高なところと比べるから貯金云々という話になるかもしれないけれど、失礼ながら、コメント投稿者がみんな港区に住んでいたとは思えず、であれば、そんなに貯金が気になるものなのかなあ、私とは違う考えなのだろうなあと感想を持った。

私は、大学に通うために実家を出た。下宿のおばちゃんがいる小さな学生寮っぽい場所に住み、就職時に実家に戻ることもなかった。むしろ、その選択肢は初めから頭にはなかった。そもそも、新卒入社した勤務先には実家からは通えないのだけれど、就職先はどんな職業に就きたいかが最優先で、その結果として就職する土地がいくつかに絞られたので、実家から通えるかどうかは私にとってはどうでもよいというか、仮に実家から通えたとしても、個室が並んだ学生寮ではない、ちゃんとした一人暮らしにも憧れたものだ。

物価が上がった今は、私の新卒の時のような「のほほん」とした一人暮らしが大変な時代になったのだろうと少し申し訳ない気持ちになった。スマホ代も高いし、若手に奢ってくれる上司・先輩は少なくなっているだろうし大変なのだろうとは想像つくが、一人暮らしの自由さ・気ままさは、何かとトレードオフで入手できるなら若いうちに味わっておいてはどうかと思う(人の好みは尊重する)。

(これを書くときは記事が出てからしばらく経っていたので検索したところ、記事が削除されているような感じだった。なぜだろう)