知らないなら、知らないと言ってほしい

知らないなら、知らないと言ってほしい

各個人の性格によるところが大きいのだと思うけれど、私が他人に望むのは、知らないことは知らないと言って欲しいということ。

知らないことに関して饒舌に話すことができる人がたまにいる。この人、多分よく知らないんだろうな、と私に感じさせる人もそうでない人もいるが、正直、そんなことができる人をうらやましく思うというか、尊敬するというか。

先日、取引先の西欧人(ドイツ人)と話していたとき、その人が別の西欧の国(ポルトガル)の会社に勤務していたときの経験として、多くのポルトガル人は知らないことでも教えてくれるということを言っていた。例えば、道を尋ねると、知らないのに適当に道を教えてくれるらしい。すべてのポルトガル人を一般化して言えないけれど、「知らない」ということを言えない人たちなのではないかと、私はその話を聞いたときに思った。

私は、知らないなら知らないと言って欲しいタイプだ。私がそう言ってしまう人間だから、他人にもそうして欲しいと思っているのかもしれない(多分、逆。適当な回答されるくらいならば知らないと言ってくれた方がありがたいので、自分も知らないと言うようにしている、が正しいと思う)。

知らないと言ってはいけない、あるいは知らなくても何か話さないといけない場面ある。特に仕事上ではそういう場面はある。でも、どちらが罪深いかと言えば、知らないのに知らないことを隠すために何かを言う方だと思う。所属するチームや会社、他人をミスリードする可能性があるからだ。
嘘を言うわけでなくうまく立ち回ることができればその方がいいと私も思うが、発言が嘘になってしまうケースやうまくはぐらかすテクニックがないならば、私は知らないことは知らないと言う派だ(そんなこと言っているから私は会社員としてイマイチなんだと思う)。

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