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Category: バイラテラル

街中での募金に躊躇する私

街中での募金に躊躇する私

私は冷たい人なのか?

街中での募金に躊躇してしまう。どうしてもうさん臭く思ってしまう。募金をしている団体を自分で調べて、正規な団体かどうか調べる方法もあるかもしれないが、そこまでせずに募金もしない私は冷たい人間なのか自問自答する時がある。仮にその団体を調べたとしても、出てきた結果が事実かどうかきっと悩むことだろう。

疑い深い自分が嫌になるときと、それはそれでよかったと思う時がある。適度が一番よいのは明らかだけど、こうなってしまった自分を受け入れる以外にはないので、それはそれで認めている。

だけど、募金を疑い深いことと認識させた人々は罪深い。

報道ぶりに思うこと – イラン・イスラエル

報道ぶりに思うこと – イラン・イスラエル

イランとイスラエルが停戦で合意したというニュース。一般人が知らないだけで、今回の停戦へ至る過程で新たな禍根をつくってしまったりしたのかもしれないが、今回のアメリカによる仲介があってもなくても、両国が永遠に停戦することは残念ながらなさそうに思えるため、仮に一時的な停戦であったりニュースの解説者がいうようにイランの核開発の進捗を数か月のみ遅らせた結果であったとしても、短期的に最悪な状況までに陥ってしまうことが回避できたことを私は喜ばしく感じながらこのニュースをみた。

しかし、報道ぶりを見る限り、コメンテーターも記者もアナウンサーもこぞってトランプ大統領がどうのこうのと批判しており、両国の攻撃の応酬が続くことを皆が望んでいたのかと誤解してしまうほどである。核開発の進捗を少し止めただけといったって、新たに生じたその少しの間に対話もできるだろう(当事者でない私は、本件が対話で解決する話かどうか判らないながらも多分解決しないであろうかもしれないが、対話の機会があるかないかは何かには違いを生じさせうると信じているし、変わらなくてもしばらくの停戦中に逃げることができるかもしれない)。

トランプ大統領批判ありきなのか、戦争になったほうが視聴率や購読率が上がって都合がよいと思っているのか知らないが、ミサイルを撃ち込まれる住民にとっては背景はなんでもよいので、とにかく止めてくれと思っているのではないだろうか。メディアのひとたちの思考回路がわからない。多分、異なる人たちなのであろう。

仕事の場において他者と共通の記憶・経験

仕事の場において他者と共通の記憶・経験

転職を考えた理由のひとつが、他社と共有できる経験がないことだった。異動や他者の転職などで共有できる人が減ってきたわけではなくて、転職を実行に移す前の15年近くはこの感覚をもちながら仕事をしていた。転職を考えるようになってからも、実行する・しないをあっちいったりこっち来たりしていたのだけれど、共有できる経験や共通の記憶、思い入れがある仕事を分かち合えないことが、最終的に転職を決断する背中を押したような気がする。

会社の規模(社員数)も様々なうえ、入社から一貫して同じ分野の仕事をすることが多い会社もあれば、定期的な転勤・異動が当たり前な会社もあるので、他社と共有できないのが当たり前な感覚を持っている人もいるかと思う。しかし、共有する対象は、必ずしも業務や案件のような具体的事項である必要はなく、例えば、仕事の仕方や携わっている業界の考え方などもっとざっくりした価値観のような場合、人数が多かったり人の出入りがあったとしても、割と他社と共有できる何かがあると私は思っている。実際、入社してから何年かは、そのような阿吽というかツーと言えばカーというか、共有できるものをもって仕事をしていた記憶がある。業界や仕事あるあるもその類。

共有感の有無によって仕事の成果が変わってはいけないし、仕事はドライにやる時代でもある。共有感を押しつけと感じる人もいるだろう。適応していかないといけないな。

トランプ大統領とイーロン・マスク

トランプ大統領とイーロン・マスク

批判して罵り合いになったと思ったら謝罪の投稿をしたという報道。

あれだけがっぷりよつな関係性だったのに、急に批判したり、謝罪したり、私の感覚からするとちょっと理解を超える。法案の中身を聞いてなかったとか、もしそうだったらどうして、それまで手を組むことができたのか、全体最適というより部分最適で是々非々だったのかもしれないが、でも、それまでの報道を見ているとそのようには見えなかった。

両社に意図や下心、打算とかいろいろあったろうが、それでも、あんなに豹変できるのはすごい。君子豹変するから、大統領だったり事業を起こしたりできるのだろうか。それに引き換え、一般人の私。

ハーバード大学の留学生受け入れ停止

ハーバード大学の留学生受け入れ停止

トランプ大統領の措置の本質とは異なる副作用的な話ではあるが、この措置は大統領が守りたいと思っている米国の価値観への影響以上に、アメリカ以外の国のダメージの方が大きそうな気がする。

他国から米国へきて、そこで学び、卒業後も米国に留まって、米国に貢献するかもしれないタレントが入ってくる機会を奪うことになる可能性以上に、米国で学んでから母国に帰り、アメリカで学ばせてくれた過去に感謝しつつ、母国のさらなる発展や深化・進化に貢献する人たちの流れが止まる国のダメージは大きいと思う。それは、間接的には米国側にもデメリットとなるし、誰得という気がしてならない。

ちょっと世の中の発展スピードが早すぎてついていけないところもあるので、一旦、進化スピードを落とすにはよいのかもしれないと思ったりする。

米国産日本車を逆輸入 – トランプ関税

米国産日本車を逆輸入 – トランプ関税

日米貿易での米国側の赤字の減額対策として、米国産日本車を逆輸入する案が浮上している模様。

メリットの数より多いデメリットを素人目にもすぐに思いつくところだが、いろいろな要素が絡み合った実態は一般人には判らないのでそれは横においておいて、こういった観測気球的なニュースを流す意図と出所はどこなのだろうかと、似たようなニュースを見るたびに思う。

ニュースで流して、自国の反応や相手国からの受け止められ方を吸い上げるというやり方はあるとは思う。また、手の内を見せていいような事柄はきっと重要事項ではなくて(自動車逆輸入についてはメリットが見えないので真面目に提案する案ではないのだろうけども。そうでないなら成功させる秘策を知りたい)、本当に交渉相手を唸らせるような相手に響く秘策は交渉の席まで漏れないようにするのだろうことも想像もできる。だけれど、流れてゆく情報に関しては、事前に流すか流さないとか、どこまで流すとか、また、何を使って流すとか、いったい誰が決めているのだろうか。と、いうか、その辺を細かに検討するプロセスを踏まえて決めているのだろうか(私が心配するよりも閣僚・官僚の方々は考えてやっていると思うけれど)。

私自身に言っているのだけれど、仕事でもなんでも、思考をめぐらせて戦術を策定しなければいけない。

知らないなら、知らないと言ってほしい

知らないなら、知らないと言ってほしい

各個人の性格によるところが大きいのだと思うけれど、私が他人に望むのは、知らないことは知らないと言って欲しいということ。

知らないことに関して饒舌に話すことができる人がたまにいる。この人、多分よく知らないんだろうな、と私に感じさせる人もそうでない人もいるが、正直、そんなことができる人をうらやましく思うというか、尊敬するというか。

先日、取引先の西欧人(ドイツ人)と話していたとき、その人が別の西欧の国(ポルトガル)の会社に勤務していたときの経験として、多くのポルトガル人は知らないことでも教えてくれるということを言っていた。例えば、道を尋ねると、知らないのに適当に道を教えてくれるらしい。すべてのポルトガル人を一般化して言えないけれど、「知らない」ということを言えない人たちなのではないかと、私はその話を聞いたときに思った。

私は、知らないなら知らないと言って欲しいタイプだ。私がそう言ってしまう人間だから、他人にもそうして欲しいと思っているのかもしれない(多分、逆。適当な回答されるくらいならば知らないと言ってくれた方がありがたいので、自分も知らないと言うようにしている、が正しいと思う)。

知らないと言ってはいけない、あるいは知らなくても何か話さないといけない場面ある。特に仕事上ではそういう場面はある。でも、どちらが罪深いかと言えば、知らないのに知らないことを隠すために何かを言う方だと思う。所属するチームや会社、他人をミスリードする可能性があるからだ。
嘘を言うわけでなくうまく立ち回ることができればその方がいいと私も思うが、発言が嘘になってしまうケースやうまくはぐらかすテクニックがないならば、私は知らないことは知らないと言う派だ(そんなこと言っているから私は会社員としてイマイチなんだと思う)。

日本の貿易依存度 – トランプ関税

日本の貿易依存度 – トランプ関税

またもや自分の認識が実態とかけ離れていると分かったことがあった。考えてみれば、そりゃそうだ、という類のことで別にびっくりする話ではないのだが、自分の考察の浅さと考えることを放棄しているのと同等の状況であることに驚いた。

米国が発表した相互関税に関するニュースは、日本国内の輸出産業への影響について考察したり、意見したりもしている。私が少し前に調べた限りでも(*)、2023年の日本国内の四輪車生産9百万台のうちの輸出が4百万台で、そのうちアメリカ向けの輸出台数が1.5百万台であることから、生産のうちの16%、輸出に占める割合では37%の市場ということになるので影響は小さくないし、部品での輸出やメキシコからアメリカへの完成車輸出を含めれば、さらにインパクトは大きくなる。

    (*) 日本の自動車産業を台数から理解する – Journeyman : Blog
       日本の2023年四輪車生産高は26兆円なので、単純に台数割りすれば3百万円/台と
       なり、これに25%の自動車への追加関税を考慮すると関税分で1兆円となる。
       2023年と同じ台数を、追加関税課税前と同値で輸出分から販売しようとするときの
       値下げ原資として1兆円を準備しないといけなくなる計算。

その一方で、GDPへの影響を試算しているYouTube番組などもあって、それによれば影響はあまり大きくないと説明されている。実態はどうなのか気になったので、まずは日本の輸出依存度を調べようとしたところ、貿易依存度データはあったが輸出依存となるとまだ見つけられていない。貿易依存度の計算方法は、GDPと輸出・輸入とで計算しているが、輸出依存度となると分母の設定(計算式の定義)の考え方が定まらないのだろうか。

上記はいったん横において、「貿易」依存度について分かったことは、日本は30%台半ばで世界的にみると非常に低い水準ということらしい。ただ、依存度が他国と比べて相対的に低いといっても金額ベースでは他国よりも大きいはずであるし、また、日本の場合は、依存度が低いということはすでに海外生産が進んでいるということでもあるので、日本の統計に出てくる影響よりも、日本企業の全世界活動に及ぼす影響はさらに大きくなるであろうことは容易に見当につく。

私は、常々、データは嘘をつくと思っている。正しくは、データを見せる人が見せたいようにデータの見せ方を工夫して、データの受け手を誘導することができる、というべきかと思う。X軸の起点をゼロにするかしないかでも変化量の見え方は変わるし、データを示す期間ひとつで見える印象も変わる。たとえ、データが唯一の事実であったとしても、データはいくらでも恣意的に作成可能だ。

ちょっと話がそれてしまったが、日本の貿易依存度はもっと高いものと勘違いしていた。それは、昔ならった貿易立国という印象が更新されていないことも原因だと思う。国内産業の空洞化という表現は使い古されているし、製造業の海外進出ゆえに私の海外生活も長くなったわけなので、依存度が低いこと自体は驚く話ではなくて、私の凝り固まった認識(理解はちゃんと更新されている)に驚いている、というのが冒頭の話。





自分のことを喋るのは気分が良くなる

自分のことを喋るのは気分が良くなる

観ていたYou Tubeの番組の中で、良い質問をする人がよい聞き手ではなくて、相手に多くの話をさせる人がよい聞き手という定義を持っている人がいた。その人曰く、人は自分のことを喋ると気分がよくなるから相手に多くを語らせるとよい、ということだった。

たしかにそうだな、と思った。よい聞き手の定義のうちの一つとなるのに十分だと私は思った。

私にとっては初耳だったが、このことが広く一般に知られていることか気になったのでネット検索してみると、キーワードのあいまいさでヒットした関係ないことや、ネガティブな感情を口に出すと苦痛が緩和されるようなことは書いてあった(後者のことは、カタルシス効果と呼ぶようだ。テレビ・ドラマ「ブラッシュアップライフ」で登場人物が言っていたが、ドラマを見たときは、正直に言ってカタルシスの意味が分からなったし調べもしなかった)。

自分のことを喋ることで考えに整理がついて、整理がつくとすっきりして、すっきりすると気分がよくなることはあると思う。それが、「自分のことを喋る」ことが「気分がよくなる」と直結させて言ってよいかどうかは実際のところ判らないが、気分がよくなる話であれば誰にも不満はないだろう。