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オバマ(元)大統領の英語

オバマ(元)大統領の英語

オバマ氏が大統領に当選後か、もしかしたら就任してすぐの頃かもしれないが、オバマのスピーチを使った英語学習が流行っていたという記憶がある。今思えば、日本はマスコミも教材提供会社も、米・民主党推しだったのかもしれない(今も?)。

でも、当時から私にはオバマ氏の英語の何がよいのか理解が難しかった。今の時代は、持って生まれたものについて批評するのはよくないことは理解しているが(ルッキズムと言われる見た目など、当人の努力でどうしようもないことには触れてはいけない時代)、オバマ氏のスピーチは声がはっきりしていないように私には思えていて、教材としてはどうなんだろうと感じていた。当時と今では比較できないけれど、オバマ元大統領よりもトランプ現大統領の方が聞き取りやすい声やイントネーション、抑揚だと私は思っている。もちろん、人生でどんな英語を聞いてきていたかで、聞き取りやすいかどうかの判定基準は各人で異なるのは理解の上で(私は日本人なので、米・共和党の支持者ではない、念のため)。

私の物差しでみた場合、世論が意図して作られていた時代があるんだなあと思う。

運転マナーが合わない国だと出不精になる

運転マナーが合わない国だと出不精になる

私は現在、東南アジアの国に暮らして働いている。今いる国の交通事情は、私には合わないと感じている。車の運転の仕方やバイクの交通ルール順守の度合いや、少し前まで走っていた車から車外に出てきて運転者・同乗者のふるまいなど。

お国柄や個人個人の交通安全や運転への考え方の違いなどで仕方ないことだと判っているので、イライラすることはあってもその問題が解消する日が近いうちに来るとは思っていない(本当は、個人の考えはお国柄に大きく影響されると思っている。だって、親の運転をみて子どもは育ってきているから、変化が必要だとする相当強い意志がない限り、どうしても、その国特有のローカルルールとかがこども世代に引き継がれてゆく)。。だから、私は多くの人々が道路上に出てくる前にと企図して出勤は早く家を出るし、仕事以外では必要性が非常に高くない限りは外出しないか、朝いちばんにしか出かけないようにしている。外に出れば渋滞に巻き込まれるし、本来は回避できそうなものなのに回避されない事柄に巻き込まれる。だから、この国では私は非常に出不精になる。その結果、インドアでできることに時間を使う傾向が増えた。何が良いとか悪いとかではなく、理由があって何かがおこる、ということと感じている。

学習塾の倒産が過去最多だった 2025年

学習塾の倒産が過去最多だった 2025年

高校生当時の補習について、特に結論もなく、つらつらと前日に書いた。そうしたら、学習塾の倒産が2025年に過去最多になった、という記事が目に入ってきた。記事を読むと、この件数は負債金額で足切りしたものみたい。小規模倒産とか入れると統計が収拾つかなくなるだろうから、統計に足切りを設定するのは仕方ないでしょう。

記事を書いた人によれば、物価高と授業料の値上げ難に苦しんだとのこと。タイパ重視の大学生の講師が負担の大きな塾講師を敬遠する動きが目立って、人件費や求人費が高騰したという一面もあったらしい。大学生を雇う塾は町の小さな塾だと勝手に想像していのだけれど、どうやらそうでもないということか。

私がよく判らなくて、記事を見ても解決しなかったのは、塾は優秀者がさらに成績を伸ばすために通うものか、追い付くためにゆくためのものか、というところ。私が子どもの頃は地方ということもあって、塾はほぼなかった。その後、塾は補習的に行く場所という認識を多少持つようになった。今は、どうなのだろうか。

東大を目指す人が多い塾の存在は知っている。そういった塾は、さらなる高みを目指す場所であり、また、特定の学校の入試を突破するための傾向をつかむ・テクニックを積むための場所と理解している。でも、塾に通わずに東大に入るひともたくさんいると思うし、塾の目的はなんだろう。(まあ、十人十色なので、定義づけ自体が無意味なのだけれど)。私は塾通いをしたことがないので、月謝を通じた経済貢献には無縁で申し訳ない気持ち。

私は、この件でも大好物の投稿コメントが非常に参考になった。AI 学習が普及すると、経済格差と教育格差の相関が薄くなるかもという意見の人がいたり、真っ向から異なる意見の人もいたり。それは、私の未解決課題であるなぜ塾に行くのか、ということにも大きく関係すると思う。やる人はやる、やらない人はやらない。でも、人それぞれに合う・合わないがあるので、AI なら続く人がいてもおかしくない気はする。私は割と気合勝負だけれど、いろいろ試してみて合うのを見つけられたら、これまでの価値観をつくがえされて、よいことが起きるかもしれないと思ったのが、この記事からの takeaway。

三碧木星の2026年運勢は悪くないみたい

三碧木星の2026年運勢は悪くないみたい

私は、自分にとって良い占いならば信じる。うさんくさいのは対象に入ってこないけれど、占いの種類が私の信じる度合いに影響を及ぼすことはない。どう占われているかによってのみ、私の態度は変わる。つまり、良い話には信じたい気持ちが生じるけれど、悪い占いは忘れてしまうようにする。

その意味では、三碧木星の2026年の運勢は悪くないみたいのなので、占いに書いてあることを頭の片隅において過ごしてみようと思っている。ネットにあって無料で手に入る占いで、しかも、世界に何十億と存在する人々をたった9区分に分けただけの占いなので当たっている確率がどうなのかは疑問ではあるが、良い占いを信じない理由にはならない。

占いが興味深かったのでもう少し三碧木星のことを調べてみたら、ソウルカラーはターコイズらしい。ソウルカラーという言葉も初めて知ったし、ターコイズが三碧木星の色というのも今まで知らなかった。ターコイズのものを買いたくなった。霊感商法ではないけれど、これはまずい。調べるのは、ここでやめよう。そうでないと、散財してしまいそう。だめだ、だめだ。

2026年に達成したいこと

2026年に達成したいこと

元日なので、ありきたりではあるけれど、今年に達成したいことを記しておいて年末にはレビューできるようにしておく。

・旧い友人と会う=そろそろそんな年齢:対象の人々が住んでない国にいるので機会設定が必要がある
・使い切る:2025年からの継続案件 = 2025年にできたものあったけれど継続
・人の話は先ず最後まで聞く:私が想定する展開が話し手の着地点でないかもしれないと知る
・余計な発言を慎む
・先入観をできるだけ排除する
・買い置きできる体質に(あったらあっただけ使ったりしない)
・体調と体重を管理
・年齢を重ねても新しい思い出を作れると信じて生きる

実家に帰ろうブームだって

実家に帰ろうブームだって

ネット記事で見た。ブームという割には、私には初耳だった。記事を読んでみると、港区などのコストもステータスも高い場所での生活からおりて実家に戻る人が増えている、ということらしい。それで、実家暮らしをしている人は、そうでない人に比べてお金がたまってよい、という主旨のことも書いてある。私は投稿コメントでいろいろな意見を読むのが好きなのだけれど、そこには、やはり実家の方がお金がたまるという類のコメントが結構な数あった。

そこなの?と思った。港区のようなコスト高なところと比べるから貯金云々という話になるかもしれないけれど、失礼ながら、コメント投稿者がみんな港区に住んでいたとは思えず、であれば、そんなに貯金が気になるものなのかなあ、私とは違う考えなのだろうなあと感想を持った。

私は、大学に通うために実家を出た。下宿のおばちゃんがいる小さな学生寮っぽい場所に住み、就職時に実家に戻ることもなかった。むしろ、その選択肢は初めから頭にはなかった。そもそも、新卒入社した勤務先には実家からは通えないのだけれど、就職先はどんな職業に就きたいかが最優先で、その結果として就職する土地がいくつかに絞られたので、実家から通えるかどうかは私にとってはどうでもよいというか、仮に実家から通えたとしても、個室が並んだ学生寮ではない、ちゃんとした一人暮らしにも憧れたものだ。

物価が上がった今は、私の新卒の時のような「のほほん」とした一人暮らしが大変な時代になったのだろうと少し申し訳ない気持ちになった。スマホ代も高いし、若手に奢ってくれる上司・先輩は少なくなっているだろうし大変なのだろうとは想像つくが、一人暮らしの自由さ・気ままさは、何かとトレードオフで入手できるなら若いうちに味わっておいてはどうかと思う(人の好みは尊重する)。

(これを書くときは記事が出てからしばらく経っていたので検索したところ、記事が削除されているような感じだった。なぜだろう)

正しく名前を呼ばれない

正しく名前を呼ばれない

大学に入学したてのオリエンテーションで、英語で自己紹介する場面があった。私には特別に強い思想はないのだけれど、私は日本人なのでと説明したのちに姓・名の順序で名乗った。これより以前に英語で自己紹介をしたのは、県内の学校を期間限定で回って英語指導するネイティブ先生がいた高校生の時以来、人生二度目くらいだったと思う。姓→名にしたのは、固有の名前だから私がいつも名乗るのと同じように言ってみたという軽い気持ちで、しかもその場で頭に浮かんだままに言っただけだった。

何年か前に、ローマ字表記の場合は姓・名の順序で記載が望ましいという国語審議会の答申があったが、私は先をいっていたのかもしれない(ただのあまのじゃく)。ただ、パスポートや航空券となると、不具合を防ぐことが第一なので、名・姓で書くことになんら躊躇も抵抗もないし、姓・名で名乗ったのは、今でもそのオリエンテーションの時だけ。

なぜこんなことを思い出したかといえば、私が勤める会社には、エスニック的に様々な人がいる。そうはいっても、名前の構成でいえば名・姓の順序の国のほうが多数派かと思うけれど、東アジアの人もいれば、名前の構成要素が4つ以上の人もいる。そういった私の同僚と、「名・姓」地域の社外の取引先がメールでやりとりするときに、社外の相手はファースト・ネームで呼んでいると思い込んでいるのに、全然そうでないというのが時折発生する。東アジアの人の名前であれば、基本は姓・名で違いは構成要素が2つ(日本人)か3つ(中国・韓国にルーツを持つ人)ということくらいだから順番の勘違いでシンプルだけれど、東南アジアやアフリカ(それとたまに欧州の人)の人には、いくつもの塊から名前が構成されている人がが殆どなので、どれで呼ぶのか正解なのかクイズ状態になることがある。そんなメールのやりとりの CC に私が入っている時には、そりゃ、間違えるよな、と思ったりする。私の場合は、社内の人であっても、初めてやりとりする場合には、近くのネイティブの人にどれで呼んだらよいかをこっそり訊いてからメールを出したりするくらいだから。

名前に限らず、自分の国・民族が名・姓だからといって、全員がそうだと決めつけるはよくないのにと思う。どうしても仕方無い時の私の解決法は、メールで改行しないといけないくらいに長い場合を除いて、名前を全て書くようにしている。

PCタスクバーのバッテリ・アイコン色が変わった

PCタスクバーのバッテリ・アイコン色が変わった

何か変なことが起きているのかと思ってびっくりした。
バッテリーアイコンの色が変わったことについて。
ネット検索してみると、以下のもよう。

 充電中は緑色、
 バッテリー消費中は白黒、
 バッテリー節約モード中は黄色、
 残量が危険域に達すると赤色

これは自宅で使用する私用 PC での話。
会社貸与の PC や、Microsoft 製の私用タブレットは、そうなっていない。
いずれのデバイスも Windows アップデートを常に最新に保っているが、私用 PC のみが色変更している。デバイスやメーカーによって、Windows アップデートの内容とタイミングが異なるのだろうか。

一律でないので、変なものに感染したのかと疑った。
一瞬ながら不安になった。
せめて、色を変えるなら「アップデートによって色を変えました」というポップアップが出るように設定してくれていたら、そんな無駄な不安感を覚えることもなかろうに、と思った。

マイクロソフトの人が私の日記を読むことはないだろうから、ここで言ってもしょうがないけれど。

語源を理解しないと新しい英単語が入ってこない

語源を理解しないと新しい英単語が入ってこない

もし、日本人全員を対象者として調査した場合には、私の英語力は高いレベルにあるとは思う。だけど、できる人の中に入ると、あまりできる方ではないと思っていて、その理由はヒアリングが私には非常に難しい。仕事に関連する会話であれば、関連知識がヒアリング力を補うことができるので実力以上の聞き取りが可能なのだけれど、映画やテレビはちんぷんかんぷんだ。

そのヒアリング力のなさは、実は、単語力のなさだと思っている。聞き取れないのもあるけれど、そもそも単語を知らないという事実。だから、話すのは知っている単語だけでなんとかなっても、知らない単語を聞いても判らない。

大学受験で英語を勉強している時から私が感じていたのは、語源が判らないと単語を覚えるのが難しいこと。だから、単語が苦手。

最近、「デジタル・エコシステム」という言葉が含まれる文書を読んでいて、この言葉の定義を知らないと文書の先に進めなそうなので調べてみた。その後、そもそもエコってなんだっけ?というちょっと種類の違う別の疑問が頭に浮かんだ。どうやら、「家」という意味のギリシャ語 oikos が由来とのこと。ecology, economy も同じ由来の由。最終的にはこの答がヒットして、これが正解なのだろうと理解したのだけれど、この答に至る前にヒットしたウェブサイトにあったのが、「エコはエコロジーを語源としています」という説明。「語源」の定義を各個人がどう持っているのかによって知りたいこと・伝えたいことが違うのは判るのだけれど、

      「これじゃなーい」

報道 – 極端な例を注釈なく引用、意図的なのだろう

報道 – 極端な例を注釈なく引用、意図的なのだろう

私が身を置く業界の製品価格が報道に取り上げられることがたまにある。業界動向は昔から事実でない記事が多かったけれど、価格面については、市場価格情報プロバイダーが毎日・毎週の市況を伝える客観情報があるので嘘は付けず、割と実態にあった報道ぶりだった。ところが、今年になって米国が世界中の国に追加関税を発表して以後、一般紙は価格も意図的としか思えないミスリード記事を載せるようになった(トランプ大統領のせいで商品市況があがって由々しき事態だと印象付けるため?)。

価格が半年前の3倍になりました、とか。でも実際は、メイン市場では1割とか2割の上昇なのに、小さい市場で3倍になっているのをあたかも世界中で3倍になっているかのように報じていたりする。そんな報道ぶりにもやもや感を持ってなんだかなあと思っていたところ、最近になって初めて、「欧州市場価格」という説明つき記事を初めてみた。そう、たしかに欧州は急騰していたのだが、欧州需要はあまりない製品の業界なので、欧州価格を代表とみる業界の人は一切いない。経済に強いと言われる一般紙の商品担当者はそんなこと知っているはずだから、知っていてやっているパターンだろう。それまでは、3倍になっている欧州価格の折れ線グラフをなんの注釈もないままに、単に市況価格として報じていた。アジアや中国、アメリカでは価格が上昇していても二けたパーセントの上昇にとどまっているのに。

読者の興味を引くことができれば、内容はどうでもいいんだなあというのがはっきり伝わる良い例。
自分がよく知らない分野のことは、だまされないようにしないと。

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

職場のノリ、またはテンション、同調圧力

10年くらい前のバラエティ番組を見ていたら、視聴者の手紙からMCの会話が合コンの話題になって、そこで、合コンといってもその日の目的によってノリが違ってそのノリに合わせる、というようなことを言っていた。

私は新卒入社してから所謂モーレツ・サラリーマンというのに近い生活を送って合コンには遠いところにいたので、番組内の会話に登場した合コンのノリというフレーズには何も反応もなかったのだけれど、「ノリが合わなかった」というのが私の転職理由を短いフレーズで表現するならこれなかあと感じた。

ノリが合わずに退職したというと、入社して数年で辞めたように聞こえるかもしれないけれど、私の場合は 20 年以上勤めた会社をノリが合わずに辞めることになった。しかも、突然にノリが合わなくなったわけではなく、割とずっとノリの合わなさを感じていた。

例えば、忘年会や誰かの駐在や退職での壮行会などといった部署内での飲み会。飲むのに掛け声があったり、大騒ぎしたり、そのノリが体質に合わないのだけれど、そのノリに合わせないといけない雰囲気が必ずある。業種的に、なんかそんな雰囲気がある。社内でもそういう人が多数派であるという雰囲気がある。演じている人も実態としてはいたのかもしれないけれど、勢いがないとだめなような雰囲気がある。所謂、金太郎あめのような会社で、そこに馴染めない感覚を持ち続けていた。

転職をした理由は、言葉にするといろいろと説明できるのだけれど、一言でいうとノリが合わなかった、という表現ができるかも、とふと思った。

数字は嘘をつく

数字は嘘をつく

「数字は嘘をつかない」という表現を聞く機会は多い。その表現は間違いとは言えないが、私の意見では、数字がいつでも正しく表示されているとは言えないと思っている。注意して数字を見ることを怠ると、意図をもって数字を作成した人にミスリードされる。多分、この意見に同意できる経験がある人は多いと思う。

時事問題を解説するテレビ番組が多い最近、ある番組で、一つの話題について複数のグラフを用いて解説しているシーンがあった。この番組で使っていたグラフの殆どは縦軸はゼロから始まるグラフだったのに、これを言ったら盛り上がりそうな話題のところだけ、ゼロとその次の座標の間に波線を入れて増加率がある時点で急変したように見せて、「最近激増しています」という解説をやっていた。最初は、ほかのグラフ同様にゼロからの座標にしたところ、その番組(またはテレビ局)の作成者の思想を流布するための急増しているような印象付けができないグラフに仕上がってしまって、縦軸を変えて印象操作をしようとしたんだろうと疑っている。変化率がわからないグラフなのに、解説は変化していますとやっていた(この日のこの番組では、別の話題では波線グラフを一切使っていなかった!)。

ちゃんとした人にしか数字を扱わせてはいけない。
波線グラフをエクセルで作ろうとすると、座量の境界値単位の取り方をうまく設定しないと難しいので私はあまり波線を使わないが、グラフ化に採用する期間を調整して、社内で私の主張にあうようなチャートを作ったりはする。私がやっているのだから、ほかの人もやっている。だから、数字を言われるがままに信用してはいけないのを私も知っている。

老眼の定義を正しく知る

老眼の定義を正しく知る

日本資本の眼鏡店がやってきた。もしかしたら前からあったのかもしれないけれど、私がたまに買い出しにゆくモールには最近やってきた。

そこへ偵察にいってみた。

私の眼鏡は遠近両用。近くは見えて、遠くが見えない。だから、仕事中でいえば、パソコンを見る時は眼鏡を外し、会議資料がプロジェクタでスクリーンに投影されたものしかない場合は眼鏡を掛ける。スイカやパスモが登場する前は、普段乗らない路線の電車に乗る時は運賃表を見ないといけないので眼鏡が必要だったが、車内で本を読むのは眼鏡は不要。まあ、今は電子マネーが乗った路線の運賃を勝手に引き落としてくれるので、知らない土地でも眼鏡は不要になったので車中も車外も眼鏡は不要。

だから、眼鏡の掛け外しが頻繁に発生した。こうすると、視力の低下が早まるというのが十数年前の定説っぽかったので、遠近両用ならば外す必要性が薄れ、結果として視力低下の進行を遅らせられると思った。それ以来、遠近両用メガネ派に転向した(「それ以来」と書くと、何度も作り替えた眼鏡が全て遠近両用だったように誘導する表現だけれど、実は、その時に作った眼鏡を今でも使っているので最初の一本限り)。

一時休暇で日本に行く機会はあるけれど、遠近両用を作ってもらうのに必要な期間には足りず、遠近両用派に転向後も、特定の用途に両用でないメガネを新調していた。

が、しかし。日本の眼鏡チェインができたので、ここで作れるか相談したところ、なんだかよさそう。日本の店でなくても遠近はあるけれど、以前に書いたように日本ですら眼鏡を上手に作れたことがないので、それを海外でしかも遠近両用をチャレンジする気になれなかったが、明るい未来が見えてきた。

大都会まで出ていかないといけないけれど、便利になったなあ、この国。

タイトルに書いた「老眼の定義」について書くのを忘れていた。近くが見えないのが老眼だと私は今日まで思っていた。ところが、目の検査を担当頂いた日本人の方によると(現在、期間限定で当地店舗で研修中の由で、もうすぐ日本の本来の勤務地に戻ってしまうそうなので、日本語が通じるうちにメガネを作りたい)、調整ができなくなることが老眼とのこと。近眼の私は、以前は一つのメガネで近くも見えていたが、今は、遠くを見るためのメガネでは近くは見えず、裸眼にしないといけない。近くが見えても、これは立派な老眼らしい。

私は近くが見える老眼。

カップか水筒かで変わるコーヒーの味

カップか水筒かで変わるコーヒーの味

最近に度々起きてることなのだけど、コーヒーをおいしく感じないことがある。好きな味の豆が手に入らなくて、確かに1か月くらい前までは別の種類だったのだけど、最近はいつもの豆に戻っている。それでも何かが違う。

コーヒー豆の価格高騰で品質が変わったのか。あるいは、私の好みが変わったか。はたまた、味覚障害にでもなったか。

いろいろ考えていたところ、週末に自宅で飲んだコーヒーはいつも通りの味だったことを思い出した。自宅と会社で違うところは、カップで飲むか水筒で飲むかだ。そこで疑ったのは、ストローでアルコールを飲むと酔いやすいのは空気と一緒に飲むから、というのを思い出した。コーヒーも水筒の狭い飲み口から少ない空気とともに飲むとを味が変わるのではないか。

ネットに答えがないかと思って探してみたところ、水筒は作り置きなのでカップで飲む時より温度が低いことと、周りの雰囲気で味が変わるというのにヒットしたけれど、私にはちょっとしっくりこなかった。そんなちょっと落ち着いた感覚になったのもあってか、この疑問のことは少しの間、忘れていた。

何の拍子か、また、気になる瞬間が来た。今度は別のキーワードでネット検索してみたところ、あるわあるわ、同じようなことを言っているページがたくさんヒットした。ああ、みんな同じような経験をして、同じような感想を持ったんだと認識した。

結局、まだ理由は判っていないのだけれど、試しに会社にカップを持って行き、水筒からカップに注いで飲んだところ、いつもの味なのに気が付いた。水筒に入れている間に味が変わったのではなくて、水筒から飲むと違う味に感じるところまでは実証できた(理論は不明)。またおいしくコーヒーが飲めるのが楽しい。


※ 逆流性食道炎の改善のためにカフェインを控える実験をしようと考えたのは、改善を企図しているのは本当にそうなのだけれど、最近、コーヒーをおいしく感じない場面が増えたのも実はその背景のひとつ。カップでおいしく飲めることに気付いてしまったので、さあ、どうしよう。

自分の物差しが少数派なことに気付くとき

自分の物差しが少数派なことに気付くとき

私があまり得意でないタレントがテレビ CM に出ていた。なんとなく苦手に思う理由は、その人の表情やものの言い方を自然に受け取れないため。テレビに出る人は、それがドラマであろうがインタビューであろうがなんであろうが、皆、素の自分ではなく、芝居をしているわけではあるけれど、私の印象ではその人はあまりにわざとらしくて、素直に受け取れないと見るたびに感じている。

その人が CM に出ていて、その CM でもわざとらしいセリフ感が満載だったので正直、意外だった。

私にとっては、その人があまりに露骨に感じているので、私と同じような感想を持つ人は少なくないのではないかと勝手に想像していた。しかし、私と同様の印象を持っている人が多数派であれば、CM に起用さえることはなかっただろうから、私の見方は少数派なのだろう。少数派だから間違っているとも、また逆に、少数派の意見だって尊重されるべきだとかいうつもりはなく、単に、この件については私が少数派ということが全てであって、それ以上でもそれ以下でもない。

だけど、その人に対する私の物差しが少数派だったのは、少し意外に感じた。ああ、そうやって世間とズレていくのかなあと思った。何事にも、各人にはし好があるので世間とのズレはあるのが当たり前なのだけれど、時折、何がどれくらいズレているかを確認する作業は有意義だとは思っている。

テレビ・ドラマの世界

テレビ・ドラマの世界

今に始まったことではないけれど、テレビ・ドラマを見ていて思うのは、これって実際の世の中を反映していることなのかどうか、ということ。

自分が知っていることであれば比較はできる。例えば、自分がかつて勤めていた日本の会社では、スーツの上着は出社とともに脱ぐのだけど(入社してから転職するまでの約30年間変わらず)、ドラマでは事務所で仕事中も上着を着たままの人が多い。これって違うんではと思いつつ、自分が勤める会社しか知らないから、自分が知っていることが多数派なのか少数派なのか判らない。

自分の感覚と違うことが一つあると、他も違うんじゃないかと思い始めてしまう。

最初に、今に始まったことではないけれどと書いたが、少し前にそれを再認識したのは、学校の保護者カーストのような人が登場する場面のこと。そういった人間関係から遠いところにいるのでよく判らないけれど、本当にそういった人(カーストの上のほうにいて権力を振りまく人)っているのだろうか、自分の周りで観たことも聞いたこともないので、テレビ・ドラマの世界だけで存在している人なのではないだろうかと思ったりする(あるいはいても、ごくごく希少な人々)。

自分が知っている世界とテレビ・ドラマ内の世界があまりに違い過ぎる時、私はドラマを直視できないほどに恥ずかしい気持ちになる。これは現実世界を反映しているもの?それとも、おとぎ話の世界?

政府関係者への贈答品

政府関係者への贈答品

外交ウィークだった。ASEAN 首脳会議をきっかけに ASEAN+3(日中韓)首脳会議が開かれ、トランプ大統領もタイ・カンボジア和平合意式典に参加するために ASEAN 会議の開催地であるマレーシア入り。その後、トランプ大統領は来日し、また、APEC が開催された韓国では、米中、日中、日韓首脳会談も行われた。

トランプ大統領に関わる報道では、日本と韓国で贈答品について報じられていた。

民間企業の場合は、アメリカの The Foreign Corrupt Practice Act of 1977 に日本の企業であっても監督されるし、民間企業自体も海外腐敗防止規定などを作成して海外公務員への贈答や、民間企業間の贈答品を含む接待に関わる規定を定め運用している。

それに対して、今回の外交ウィークの報道を見ていると、政府間の贈答品については規定がないのか、政府トップなどの一部にはルールが適用されたいのかとか気になった。自分がその立場や関係者になることはまずないので、このことを自分で調べてみようと思うほど気になるわけではないので調べないが気にはなった。

貰って喜ばしいものを貰っていなそうだったので、なおさらそう思った。贈賄規定があるからその王冠はもらえませんとトランプ大統領が言ったらどうなるだろうか。大統領個人がもらっているのかホワイトハウス寄贈になるのか、また別の方法で管理されるのか判らないが、規定上、貰ってよいのであれば価値のあるものよりは貰って嬉しいものの方が私はいいなあ。

今日は視界に光や黒い点々が見える

今日は視界に光や黒い点々が見える

朝に目覚めてから、視界に光る虫が飛んでいたり、出勤時の車の運転中にはウィンドウシールドに実際にある汚れなのかそう見えていただけなのか判らないけれど、黒っぽい点々が見えた。

脳内の視力に関係する神経や血流の調子が今日は悪いのか、それとも偏頭痛の前触れか判らないけれど、いつもと体調が同じではないのは間違いなさそう。偏頭痛の予兆として光とかが言われるのはネット情報で知っているのだけれど、偏頭痛の歴史が割と長い私には、この予兆をあまり感じたことがないので、神経や血流なのかなあ。今日は、自分の感覚に少し敏感になっておいて、変化があれば記録しておこうと思う。


【 追記 】
日中になると、左目の左上から斜めに伸びた前髪が見えるように影がちらちらしている。
髪は短いので視界に入るはずはないのだけれど、初めは本当に前髪に見えた。
そのあとは、やはり左目の左上から黒い稲妻のようなものが度々見えた。
結局、一日中、左目だけ何かが見えていた。

飛行機内のデフォルト温度設定は変わったのか

飛行機内のデフォルト温度設定は変わったのか

機内は寒い、というのが私の認識だった。飛行機に乗る時にはネックウォーマーは必需品で、搭乗地と目的地が両方夏でもパーカーは手元においていた。

ここ数年は、機内が寒いの感覚がなくなった。前回はたまたまだろう、と思って飛行機に乗る時は今でも毎回ネックウォーマーとパーカーを機内持ち込み荷物に入れているが、少なくともネックウォーマーは鞄に入れっぱなしで降機することが続いている。パーカーは毎回来ているが、ひと寝して目覚めると、うっすら汗を感じることもあるくらい。

コロナで収益が厳しくなった航空会社が機内設定温度を変えたのだろうか?(いや、外から空気を取り入れているとすれば、むしろ、冷たい空気を今はコストかけて温めて機内に対流させている?)あるいは、私は最近は日本の航空会社の便にしか搭乗しなくなったため、欧米人の体温に合わせたギンギンひんやり飛行機に遭遇していないだけだろうか。

手荷物のリストラをしたいと思っているので、デフォルト温度が変わったかどうかは結構小さくない問題だ。機内で寒いのは耐えられない。だから、使わなくても仕方なしと割り切って寒さ対策を持ち込んでいるけれど、デフォルトを変えたというのであればそう言って欲しいのだが、航空会社に問い合わせたら回答もらえるのだろうか?お客様の主観によって感じ方が違うので回答できません、なんて言われてしまうのかな。

牛丼並盛が498円税込

牛丼並盛が498円税込

突然に牛丼が食べたくなった。これまでに牛丼を食べた回数は、大人になってからの人生をならせば多分1年に2回くらい程度の低い頻度ではあるけれど、たまに食べたくなると続けて食べたくなる。今回は、おそらく3年ぶり位なので続けて食べたくなる例とは違うのだが、無性に牛丼が食べたくなった。朝早くに出かける用事があり、それも牛丼を食べたくなった理由の一つだったと思う。牛丼は、夜なら遅い時間、朝でも日が出る前の時間帯で食べるものというイメージが私にはある。

味はいつもの牛丼の味だった。変わるもの・変わらないもの・変わってほしくないものがあるが、牛丼は変わってほしくない味で、私には変わっていないように感じる。年齢によって、私の味覚は変わっているはずなのに、牛丼の味は変わっていないように感じるのは、味の記憶がどこかにあって、実際の味ではなく記憶の味を感じているからなのだろうか。

大きく変わっていてびっくりしたのは価格。店舗で並を食べたのだけれど、税込み498円だった。昔と比較するのはナンセンスとは言え、私が初めて外国旅行に出発する日に食べた特盛が当時は 500 円だった。餞別というわけではないが、先輩がおごってくれるということで、なんと、その先輩のご厚意で特盛を2杯ごちそうしてもらった。ありがとう、あの時の先輩(ちなみに無事帰国した後も、同じ先輩に牛丼をごちそうになった)。

30 年以上経てば物価は上がって当然な反面、デフレ、デフレと言い続けていたのに、いつの間にか並盛が 500 円になっていたとは。3 年くらい前にも牛丼は食べていたはずだか、私は牛丼を食べるときは特盛か大盛だったので並の価格を知らなかったところ、学生時代の特盛と現在の並が同じだったので比較しやすいところで違い大きくて驚いた。以前と現在で特盛同士の比較であればそんなもんかと思ったかもしれないが、特盛と並が同じことに驚いた(実際に特盛価格をネット検索したら当時との違いに驚いた。結局、何をどう比較しても驚いた)。

学生バイトの時給も上がっているはずだけれど、今も学生にとっては牛丼は安いものではないのだろうと思った。