Browsed by
Category: 違い

日本語で準優勝、英語では二位

日本語で準優勝、英語では二位

以前に、ここで、「 Flirt – 文化が判って理解できる英単語」( 2025年2月15日 – Journeyman : Blog )というのを書いた。言葉は生活と結びついているので、ムスリムの国の現地語に「酔っ払い」という単語はないかもれないし、アフリカの内陸にある国の現地語には「海」を表す言葉はないかもしれない(湖と海が同じことだったりはするかもしれない)。

普段は意識することはないけれど、日本語では準優勝というけれど、英語では決勝戦に残った人という表現や二位を表す言葉はあるが、準優勝的なニュアンスを持つ言葉がないのは(あるかもしれない)どうしてだろうと疑問に感じたりする。準優勝と言われると、文字どおり優勝に準じるとか優勝できなかったけれどあと一歩のところまで頑張った(ので優勝者に近い敬意を表すべき存在)というような感じが含まれているように私は理解する(人によって違うだろうけれど)。一方、二位は優勝者以外のその順位に焦点を当てていて、優勝者でない誰か(二番手)という意味以上にはなさそうに私には感じる。優勝でなければあとは単なる順番、という感覚なのだろうか。きっと、ここも文化的な背景があっての表現になっているのだと思う。

私は言語学者でないので全て想像で言っているけれど、とはいえ、言葉は奥が深い。文化を理解しないと本当には理解できない。意思疎通するにはそこまで真面目に深く考える必要はないけれど、意思疎通できるレベルになれれば、その次の段階としては文化を理解して、相手に違和感をあたえない会話ができるようになりたい。


4月21日の記念日・出来事
・民放の日:1951年に日本初の民間放送の事業開始。1968年に「放送広告の日」制定、93年に改称。
・1934年に Daily Mail 誌がネス湖のネッシーの写真を掲載。
・1960年、ブラジルの首都がブラジリアに遷都。





『中国にも「働き方改革」の兆し』という記事

『中国にも「働き方改革」の兆し』という記事

数日前に、ロイター配信の記事に「アングル:中国にも「働き方改革」の兆し、長時間労働改める企業も」(英文記事:”In China, whispers of change as some companies tell staff to work less”)があった。

すでにこのステージを超えた国もあれば、まさにこのステージを迎えつつある国、まだまだモーレツ時代は少し先で今後に働き方改革を迎えるであろう国というように、時期にこそ違いはあれど、ほぼほぼすべての国がいつかはこの段階に到達し、生産性などに副作用を生じさせながらも生活の質をあげていってこの段階を乗り越え成熟するステップを踏んでいくのだと思う。

働き方改革で輸出の伸びの傾きの角度がゆるやかになる一方で、余裕のある生活を送るにつれて内需が増加し、多少の時差はあっても経済への影響をうまく最小限にして軟着陸できるとよい。良いか悪いか論はさておき、日本でもゆとりを獲得する中で、乱暴に一般化すると国際貿易での競争力は他国との相対的な見方では落ちているような感じのところ、中国のモーレツぶりが少し落ち着くかもしれない中で日本にも頑張って欲しいと思う。

一方、どの国にあっても、一律に働き方改革を強制することなく、働きたい人や各人それぞれが今こそ働いてスキルを得たいとか考える時期には、自由にモーレツになれる余地を残してくれるのも多様性の尊重と言えると思うのだけれどどうだろうか。働く権利もあると思う。


4月17日の記念日
・徳川家康忌:1616年(元和 2 年)
・アポロ 13 号が地球に帰還:1970 年
・なすび記念日:417=ヨイナス語呂合せ。この日が命日の徳川家康はなすが好物で献上されたのが4月



電球の色味 – リビングルーム

電球の色味 – リビングルーム

不動産エージェントに、部屋を探している日本人の知り合いを紹介した。

エージェント側にも事情があって、入居者を早く決めないといけない部屋とかあるのだとは想像するけれども、事前にこちら側の好みを伝えても、全く彼・彼女たちに響かず興味のない部屋を紹介されるのはどういうことか。もちろん好みの個人差や言葉の定義の個人差がある。例えば、眺めの良い部屋の定義がすれ違っていたりする(実際に起きていることは、おそらく、こちらの希望に応えようとする姿勢がそもそもないのだと想像するが)。

それはそうと、エージェントからリビング・ルームの電気(ライト)の色は白か黄色かどちらが日本人の好みか聞かれた。これは、日本人の間でも個人差があるので非常に答えづらい質問だ。「リビング、ライト、白、黄色、好み」などといったキーワードでネット検索しても一般化した答えにはヒットせず。

私の好みは断然、黄色。しかも、あまり明るすぎない黄色(むしろ、暗くてよい)。もしも今、夜に本を読んだり紙やノートに書き込む必要のある受験生なら話は異なるが、読むのも書くのもパソコンが相手になってくるので部屋が明るくなくてはいけない必要性がないと思っているし、もともと、私は薄暗いくらいがちょうどよい。

なんとエージェントに回答しようか。


4月16日の記念日
・チャップリン・デイ:チャールズ・チャップリン誕生日(1889年)
・Boys be ambitious Day:クラーク博士が北海道を去る時に発言(1877年(明治10年))

知らないなら、知らないと言ってほしい

知らないなら、知らないと言ってほしい

各個人の性格によるところが大きいのだと思うけれど、私が他人に望むのは、知らないことは知らないと言って欲しいということ。

知らないことに関して饒舌に話すことができる人がたまにいる。この人、多分よく知らないんだろうな、と私に感じさせる人もそうでない人もいるが、正直、そんなことができる人をうらやましく思うというか、尊敬するというか。

先日、取引先の西欧人(ドイツ人)と話していたとき、その人が別の西欧の国(ポルトガル)の会社に勤務していたときの経験として、多くのポルトガル人は知らないことでも教えてくれるということを言っていた。例えば、道を尋ねると、知らないのに適当に道を教えてくれるらしい。すべてのポルトガル人を一般化して言えないけれど、「知らない」ということを言えない人たちなのではないかと、私はその話を聞いたときに思った。

私は、知らないなら知らないと言って欲しいタイプだ。私がそう言ってしまう人間だから、他人にもそうして欲しいと思っているのかもしれない(多分、逆。適当な回答されるくらいならば知らないと言ってくれた方がありがたいので、自分も知らないと言うようにしている、が正しいと思う)。

知らないと言ってはいけない、あるいは知らなくても何か話さないといけない場面ある。特に仕事上ではそういう場面はある。でも、どちらが罪深いかと言えば、知らないのに知らないことを隠すために何かを言う方だと思う。所属するチームや会社、他人をミスリードする可能性があるからだ。
嘘を言うわけでなくうまく立ち回ることができればその方がいいと私も思うが、発言が嘘になってしまうケースやうまくはぐらかすテクニックがないならば、私は知らないことは知らないと言う派だ(そんなこと言っているから私は会社員としてイマイチなんだと思う)。

専門性がない領域だとクリエイティブになれるのか

専門性がない領域だとクリエイティブになれるのか

私には仕事の専門性がないと感じている。多くの会社員の人よりは、数多くの業界や分野で様々な立場・役職での経験をしてきたとは思っているが、逆にいえばどれも薄くて、もしも転職するとしたら、何も売りがないと感じている。専門性がある人が非常にうらやましく思っている。

こんな私だが、クリエイティビティがあるように感じる時がある。そして、その由来は数多くの経験ではないかと思っている。つまり、専門性がないからこそのクリエイティビティではないかとの推測だ。専門的な人の場合、知らず知らずにその分野にある何らかのフォーマットに収まったりすることもあるかと思うが、素人の場合はそういうこともない。

ただ、クリエイティビティはそれが発揮できた時だけ有効であり、毎日、クリエイティビティを出せるような業務はまずない。だから、ある意味で有効期限がある。それ以外の期間はだましだましなのだが、その一方で、ある時、組織として新規のことへ対応する必要が生じたときに、私の経験が使えることが突如として出てくることもある。野球でいうと代打要員といったところか。
野球と違うところは、代打の切り札は一つの球団でその地位を築く人がそのほとんどだと思うが(トレードやFAでは取ってもらえるほど、代打の切り札はコスパに合わない)、私の場合は私の経験が活きそうな場所を渡り歩きながらやっていくことの方が、もしかしたらうまくいくのかもしれないと思うこと。ただし、専門性がない分、アピールできる機会は多くないので、一打席で確実に仕留める必要があるとも思っている。これが簡単でないところ。

キーボードの配列:日本語版と英語版

キーボードの配列:日本語版と英語版

日本語・英語のキーボード配列は、それぞれに別の需要(目的)があるので異なる配列になるのは当たり前の話。英語キーボードに関して、ひとつだけ考え直して欲しい点を言わせてもらうならば、Enterキーを日本語配列並みの大きさにして欲しい。ほぼほぼ毎回、Enterキーの上にある [ | \ ] キーを打ち間違えてしまうので。ぜひ、検討頂きたいが、日本語で書いても英語配列キーボードのデザイナー/メーカーにはこの声は届かないだろう。

スマホの大きさ

スマホの大きさ

少し前のことだけど、Apple iPhone SE が 16e に世代交代して、その件に関する記事や、記事に関連する読者の書き込みコメントを多数目にした。

私は小さい携帯を好む人々のうちの一人だ。

読者書き込みをみていると、大きさではなく SE の価格が安いからという理由を隠して SE を推しているといって SE ファンにかみついている意見も散見された。

私は本当に小さい携帯を好む。

最近、2台目持ちとしてアンドロイドを買ったのだけれど、買ってすぐに小さいスマホがよいことを心底実感した。私は左手でスマホを持つので、ブラウザを前のページに戻す時には、スマホの右下になる戻るボタンを左手親指でタッチすることになる(機種によってボタンの位置が異なるのかもしれないが)。その時、スマホ本体の幅が広いと親指をおもいきり伸ばさないといけないのだが、どうしても母指球(親指の付け根にあるふくらみ)がメニューボタンにタッチしてしまい、戻るどころか開いてるウィンドウ一覧が表示されてしまい、結局、右手を使わざるをえなくなる。左手で操作することになれてしまっているため、上記の間違いをさけるために右手一本で操作してみようとするとぎこちなくてできない(慣れるまでやってみるほどの気の長い人間ではない)。

ホームボタンがいいとか価格メリットだとか色々と言われているが、私にとって小さいモデルというのは本当に有用な機能なのだけれど、iPhone、アンドロイドに限らず小さいモデルの選択肢がないということは、私のような需要は本当にマイノリティなのだろう。16e で一つ評価できるとすれば、それはやっぱり USB C-type が使えるようになったことだろう。これは、全く疑う余地がない。

製品の寿命 – 本体と付属品で寿命を揃えて欲しい

製品の寿命 – 本体と付属品で寿命を揃えて欲しい

あるあるの一つかもしれない。

例えば、電気製品の場合。本体はまだまだ使えて、充電池も問題ない。でも付属品が使えなくなってしまう。例えば、付属品が樹脂製で経年劣化で割れてしまう場合など。付属品のみ後から購入できる製品もあるが、そうでないものもある。営利団体である企業にとっては、自社製品を買ってもらうことが大事なのはわかるが、その企業のファンを増やしてこそ、長く愛用してもらえる製品と企業になるのにな、と思う。

全個体電池を試験的に車両に搭載

全個体電池を試験的に車両に搭載

掲載から1か月くらいがすでに経つが、日経新聞に「BYD、全固体電池を27年にEV搭載 大量生産は30年以降」という記事があった(2025年2月18日)。記事には、「BYD子会社の幹部は15日、2027年ごろから次世代電池「全固体電池」を試験的に車両に搭載すると明らかにした」とあったのだが、試験的に搭載するという記述に目がいった。もしかしたら、発言した幹部の中国語の翻訳が実は「試験的」では正しくなかったとか、あるいは、中国語に相当する「試験的」の定義が上市一歩手前であとは認証のハンコを押すだけとかかもしれない。しかし、仮に翻訳や解釈によるものであったとしても、「試験的」に搭載するという表現が私にはショッキングだった。

ひとつには、手続きが全て終わる前に搭載することへのショック(=心配)。もう一つは、試験的にでも搭載できる早いアクションへのショック(=感嘆)。

にわか調査員としてネット検索すると、中国自動車業界は、GB規格(Guo jia Biao zhun、The Chinese national standards、中国国家標準規格)というものに基づいていて、日本はECE法規(Economic Commision for Europe、欧州経済委員会)という規格に基づいているとある。異なる規格・法規・基準に基づけば、異なることができるのは理解できるし、試験的にでも搭載することでより多くの実地データが入手できて、安全性能に活用できるかもしれない。もしかしたら、大昔の犠牲者のおかげで、今、フグを食べられている事実に似ているのかもしれない。このことに関しても、私にはどちらがよいのか判らない。また、今日も眠れない。

頻繁に手を動かしながら話す

頻繁に手を動かしながら話す

YouTubeを観ていたら、そこで話をしてくれる人が、始終、手を動かしながらしゃべっていた。大きさを説明したり、形を表すために手を使っているわけではなく、発言と手の動きが連動していない形で手を使っていた。

大学生の頃(何十年も前)、外国人と日本人の違いについて書いた本を多く読んでいた時がある。その時の記憶では、話すときに手を頻繁に動かす人は、海外では(その時はアメリカでの例だった記憶)知性的に見てもらえないという解説があった。YouTubeでこのことを思い出して、ネット検索してみたところ、手ぶり身振りを交えたほうがよいという説明が検索ページの上位の方に多かった(エネルギッシュとか、よいイメージを与えるという意見)。

昔の情報が嘘だったのか、時代が変わったのかわからないけれど、日本語で検索する限りは上位は手を動かした方がよいということだった。
でも、私は、人前で立ってプレゼンテーションをしたりするような時などのいくつからのケースを除いては、今後も手を無為に動かさないよう自分は話したいと思っている(他人が手を動かそうが構わない)。