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カテゴリー: 時事

最近のニュースについて

フォース・マジュール

フォース・マジュール

今日も、イラン関係といえばそうと言える出来事についての感想・疑問。

ホルムズ海峡での緊迫によって船舶の往来が滞ったり、カタールのガス・プラントが止まったことなどから、ベトナムのガス会社とインドネシアの石化プラントがフォース・マジュールを発したというニュースがあった。

ベトナムのニュースの中で、「一部客先に対してフォース・マジュールを宣言した」という記載があった。私の理解としては、フォース・マジュールを出したらすべての顧客を同様に扱わなければならないと思っていた。過去1年とか決まった期間の販売実績に比例した割合で調整するようにしなければ宣言できないものと理解していた。そうでなければ、価格の高い客を優先したり、重要顧客にはショートしないように傾斜配分したり恣意的に調整できてしまう。

フォース・マジュールの要件については、私もいつ自社に関係してくるか判らないので、きちんと確認しておこうと思う。多分、国によって要件が変わるような話ではないはず。

新聞社はニュースのプラットフォーマーか?

新聞社はニュースのプラットフォーマーか?

気になる出来事があってニュース記事をネットで検索していたところ、日本の新聞社の記事をYahoo! ニュース上で見つけたので読み進めた。そのニュースは通信社のニュースを配信したものだった。国際ニュースならばそういったことは多いと思う。特に、速報的なニュースの場合には、日本の報道会社にはそれに対応して取材するキャパや体制が整っていないと想像する。

冷静に考えると、他社の記事を流すのであれば、日本の新聞社もプラットフォーマーということなのかなあと。第三者の情報を流す場と化してしまった?そうであれば、速報ニュースは捨ててしまい、自社でのリソースで対応できるニュースに特化してしまえばリストラできてコストも下げられそう。コストが下がればユーザー(読者)にとってもメリットが生じる。どうだろうか。

輸出規制リストに関するニュースにリスト掲載がない

輸出規制リストに関するニュースにリスト掲載がない

中国商務部が輸出管理リストに日本の防衛関連企業・団体を掲載した、というニュースが流れてきた。私の雇用主は日本企業ではないものの、幅広い意味や間接的には取引先になりえるかもしれないので、その企業・団体が知りたくなった。

最終的には見つけることができたのだけれど、調べ始めて最初のうちは、ニュース・サイトを閲覧しても「〇〇社など20社」という記事ばかりでなかなか答えに辿り着かなかった。これが、例えば企業開示など発表資料の元データにあたることができるものであればそれが最も早くて確実、バイアスの掛かっていない情報なので、私がよくやるのはこの方法。ニュース・サイトの気になる記事は、大元のソースにあたる。ただ、今回のニュースに関して中国商務部の発表を自分で探しにいくには自動翻訳を使って調べないといけないので、ちょっと面倒くさいかなあと思ったりもした。

メディアの人にお願いしたいのは、リストが開示されたというニュースであればリストを載せてほしいということ。文字数の制限があるとは思うけれど、リストはこちら、のようにリンク(最近、リンクはいろいろ怖いけど)にするなり方法はあると思う。ニュース・サイトによって記事中に記載されている企業が異なっていたので、他社記事からのコピペではないとおもうのだが、そうであればリストを載せてくれるのが読者ファースト(一種の流行言葉か)だと思う。あと、もう一つ気になったのは、メディアの情報元は各社の中国支局とかなのだろうか。あるいは、例えば経産省が報道各社にこんなことがあったと情報を提供してメディアが書いているのかちょっと気になった。まあ、気になっただけで、どうでもいいのだけれど。主題は、あくまでリストを掲載してほしいということ。

他社より早く出すことが記者には大事らしい

他社より早く出すことが記者には大事らしい

先日にYouTube番組をみていたところ、以前は新聞社に所属していたというフリーライターがゲストで出演している番組が流れてきた。いわゆる大手の新聞社に属している記者あるあるのようなことをインタビュアーから聞かれて答えていた。

あるあるのひとつとして、記者は他社よりも少しでも早く配信したいという気持ちがあるというようなことを言っていた。非常に理解できる。紙のニュースだった時代ならいざしらず、ネット配信となると朝刊・夕刊の時間を待たずに随時配信できるから、一分一秒でも早くというのは非常によく分かる。

ただ、それは、読者に有用な情報を少しでも早く伝えないといけないという使命感よりも、他社を差し置いて早く伝えたいということに重きをおいているようで、そうなると半分理解して半分はなんだかな、という印象を受けた。また、記事の真偽は別でとにかく早く出せばよいようなことを匂わしていたので、さっき、私が記者の習性の半分理解を示したうちのまた半値七掛けくらいしか共感できなくなってしまった。

それって個人の承認欲求を紙面や公共の(?)ネットを使って満たしているだけでしょうと思った。本心ではそう思っていても、その気持ちを隠すくらいしてもよいのではないかとも思った。

私が以前に関与していた案件に関わるメディアの報道ぶりに疑問を感じたことが過去にあり、それからは記事を信じなくなってはいたのだけれど、今回のこの番組によって、より強くそれを思うようになった。

メディアも営利企業だから、記事へのアクセスが増えることが第一義だろうから読んでもらえそうなセンセーショナルさが正確性にまさるし、そのメディアに所属する記者の側も、記者個人の評価が一番であるという人が多いのではないだろうかと想像する。正しく書いたからといって読者が増えたり評価がよくなったりするわけではない仕組みなのだと思う。また、何が正しいかを知らない私たちは、結局、記事が正しいかどうかさえ判別つかない。できるのは、自分が精通している分野がどう書かれているか比較して、その評価を参考にすることくらいだろう。

ドイツ:年間のビール販売量が最低を記録 2025年

ドイツ:年間のビール販売量が最低を記録 2025年

いくつかのメディアで記事を見た。2025年のビール販売数量が最低を記録したらしい。

20年くらい前の私の古い記憶では、販売量は知らないけれど、国民一人あたりの消費量をチェコと首位を争っていたのがドイツ。消費量には旅行者が飲んでいた量も含んでいただろうから、本当の国民一人あたりの量はわかないけれど、「ドイツと言えばビール」は私以外の人も認めることだと思う(「ドイツと言えばポルシェ」、「ドイツと言えばアウディ」、「ドイツと言えばメルセデス」、「ドイツと言えばフランケンワイン」、「ドイツと言えばモンブランのペン」、「ドイツと言えば、アディダス/プーマ(兄弟)」などなどいっぱいあると思うけれど)。

記事にあった販売数量と私が調べた人口(および勝手に想像した飲酒可能人口)から計算すると、一人当たり100リットルくらいになりそう。旅行者を入れるとさらに減る。前段のチェコとドイツが一人あたり消費量を争っていた時は、たしか 160リットル/人 くらいだったと思う(20年くらいまえの記憶)。

健康志向だったり、酒を飲まないムスリム系国民だったりの影響もあるのかもしれないけれど、結構、驚愕のデータ。ビール・メーカーも大変だろうと思う。ビール物価高もあるかもしれない。

もう、前のような世界は帰ってこないのだろうか。

ブルースクリーン・フィッシング

ブルースクリーン・フィッシング

偽のブルースクリーンでクリック・フィックス(ClickFix)攻撃を仕掛けてくる、というニュースをみた。

このニュースをみたのは年明け後だったのだけれど、それより少し前の年末に、会社 PC が落ちたことがあった。原状のまま PC をシステム部署へもっていったところ、ブラックスクリーン云々と言っていた。その時まではブラックスクリーンは知らなかったので調べてみると、もうブルースクリーンはなくて、そういう名称もブラックスクリーンに上書きされているということを知った。

だから、ブルースクリーン・フィッシングの記事を読んだとき、本物のほうが一歩進んでいるんだな、私とフィッシングは一歩遅れてたな、と感じた。青い画面を黒い画面に変えるだけだろうからフィッシングの方はすぐに現実世界に追いつくのだろうけれど、うっかり時代遅れになれないなと思った。

ポジション・トーク

ポジション・トーク

私は、動画で討論や解説ものをみるのが好き。
ところが、最近は、好きでなくなりそうな感覚を持ち始めている。

解説者やコメンテータ、YouTuberが言っていることが、皆、以前にもましてポジション・トークだとしか思えないようになってきて、真面目にきくのがばからしくなってきた。それ違うんじゃない?と思うことがあるが、彼らはポジション・トークをしているだけだから、それに反応するのもばからしく感じるようになった。これまでは、自分と違う意見を聞くことを楽しめたのだが、最近は時間の無駄だと思うようになってきた。人生の残り時間が少なくなってきているはずなので、時間の無駄遣いがなくなるように仕向けてもらっていると思って、ありがたく感じている。

今までも淡々として生きてきたような気がするが、さらにそれが進行していくことが少し怖い。

普段は意見の違うニュースでも楽しめるのに…

普段は意見の違うニュースでも楽しめるのに…

ちょっと見ていてしんどいニュース番組があった。スタンスの異なるニュースでも、普段の私は突っ込みを入れながらもバラエティっぽく報道番組を見ることができる。違う意見があるのは当然だし、テレビ局も民間の営利企業ゆえに収益が大事であり、そうなると、視聴率を上げないといけないし、そのためには事実であるかは彼らにとっては重要ではなく、伝え方をセンセーショナルな方向にもっていきたくなるのも理解しているつもり。

そんな私でも、最後までみていられない報じぶりの番組があった。

最近の中国との関係について報じる番組の中で、沖縄に関する中国側の要人発言を取り上げ、そこから派生して、現在の沖縄県に中国の影響を受けたものが多く存在していることを説明していた。ここにもある、あそこにもある、と。このままいくと、中国側の主張に沿った話題のみを展開して沖縄は中国の一部ということを言い出しそうな感じで、その時だけは途中で見るのをやめた。中国が何かを言う権利は認めるけれど、なぜ、日本の報道会社が他国の主張ばかり垂れ流すか判らない。同様のことは、私が見るのをやめたテレビ局のものだけではないのだけれど、その日のそれは、もう本当に見ていられないというか、それ以上みたら本当に気分が悪くなりそうだった。

少し前には、米国で USAID(United States Agency for International Development、アメリカ合衆国国際開発庁)が報道機関に資金支援をして自分たちに有利な報道をさせていた、という報道もあったし、アメリカが国外の報道機関にも資金を与えて影響をおよぼしていたというニュースもあった。日本の報道会社が買収されていないとも限らない。

自虐史観という言葉・概念がこの報道の事象に関係しているのかどうか判らないけれど、どうも日本人は日本のことを尊重してはいけないということになってしまっているような気がしてならない。私の場合は、自国を愛するという概念はちょっと違う感じを持っているのだけれど、自国を尊重して自国ファーストのスタンスをとることは、国民にとって、ごくふつうのありふれた反応だと思っている。

予想することに意味ない時代になったのかも

予想することに意味ない時代になったのかも

プロ野球などスポーツの順位予想や各種選挙の当落予想、交渉ごとの進展の見込みなど、いろいろな予想が巷にあふれている。業績見通しなど組織内で予想・見通しを作成してその組織内でそれを使うことや、個人がその胸の内で予想するのは構わないのだけれど、予想を対外的に開示するのは、その目的や影響で要否が変わってくると思う。日本の上場企業は業績予想を堂々を開示するが(というか、投資家がそう望んでいるのだと理解しているのだが)、国によっては株価に予断を与えかねないとして業績予想を開示できない市場もあると私は認識している。

少し話がそれたけれど、最近のいくつかの選挙を見ていると、マスコミが当落予想を報じることに意味があるのか疑問に思うようになってきた。どう予想しようが、投開票が済めば結果は判るものだから、その日を待てばよいのではないかと。

世論調査結果に恣意的な要素を加えて投票の動向を操作しようとしているのであれば、マスコミ側は予想をやめるようなことはないかもしれない。ただ、最近は結構予想が外れているという感覚が私にはあって、マスコミは恥ずかしく思ったりしないのかなあと心配してしまう。また、世論調査のサンプルが適正かどうかの問題、質問された人が正直に回答しているかどうかの疑問などもあって、予想する意味がどれだけあるのか、とも思う。

学者や論説委員など、見通しを述べることを仕事の一部としていた人たちがいて、それを有難がって聞いていた人たちもいた。だけれど、複雑にいろいろな要素が絡んだ世の中になって、予想することがとても難しい世の中への変わってきたような気がして、もう予想はやめにしてはどうかと思う。

連立とか首班指名とか

連立とか首班指名とか

10月4日の自民党総裁決定後からの報道を観ている部外者の私としては、結論が出ていそうなのに何をやっているんだろうという傍観者の気持ち。支持者の顔色をうかがうためか、あるいは支持者の要望を検討しているフリをするためのポーズなのか、やってる感を出すためなのか、可能性を協議してばかりしている印象。

国民民主党は、立憲民主党と可能性の協議を続ければ続けるほど、考えが交わらずに別れた2党なのに、やっぱり近しい考えなのではないかと誤解を有権者に与えそう。早めに結論出したほうがよさそうに見える。

公明党が今回の最大のファインプレーだと思う。連立を離脱すると決めたことが、日本が前向きに進んでいきそうな予感をさせた。自民党がよいとは思わないけれど、高市首相が誕生して日本が変われるとしたら、公明党代表の英断だと思う。

維新のことは良く知らないので何もいえないけれど、報道やその書き込みコメントなどを観ていると、自民と考えが近いらしいので悪くはなさそうだけれど、私が知っている数少ない情報のうちの一つの高校無償化には全く同意はできない。しかし、高市首相誕生をアシストするのであれば、公明党につぐファインプレー。

国民民主だけ割食った感じかなあ。素人だけど。

一番残念なのは報道かなあ。彼らに大事なことは、売上や閲覧数、視聴率だろうからあることないことを言ってみてもらうのが一番大事で、なにが大事だとかは関係のないことが今回のことでもよくわかる。

外免切替厳格化に困惑、との記事は誰目線?

外免切替厳格化に困惑、との記事は誰目線?

外国運転免許証の日本への切り替えの要件が 10 月から厳しくなったことを取り上げるネット記事があった。外国人が困惑しているということらしい。

外国人が困惑するのは無理もない。しかし、「厳格化してけしからん、外国人が困惑せぬようにしないといけないではないか」と該当の記事が主張しているような印象を受けた。タイトルのみが目に入ってきた時は特に。
記事は、安全に運転できるように制度変更の効果を期待するという締め方にはなっているものの、外国人が困惑していることを前面に出す必要があるだろうか。これを配信したメディアは、ハードルの低い日本の外免切替を利用してルールをきちんと知らない(あるいは知っていて無視している)運転者が悲惨な事故を起こしても、外免切替の問題点を指摘する資格はない。いろいろな視点を取り上げるのがメディアであるとこの会社が主張するならば、どんな犯罪でも批判的に述べてはいけないと読者に感じさせるような書き方だ。どっちの向きに対してでも、その時に出てきたこと何に対しても批判的に書けばよい時代ではない(今日死刑が執行されたら海外では死刑廃止だといって批判して、翌日には 10人をあやめた犯人に死刑判決が出なかったとしてなぜ死刑ではないのかまた批判するように、同根の事柄について、舌の根も乾かぬうちにどっちにもとにかく批判する姿勢)。

私は、現在の居住地で日本の免許からの切り替えで現地免許を取得しているので、逆方向で外免切替の恩恵を受けている。しかし、当地の人と同じように運転している。また、当地の免許は日本で可能なような旅行者の取得はできない。住所があってビザを取得し、一定期間この国に滞在する人でないと申請できないし、外免切替の制度が停止されたりもする(この場合は、現地の人も外国人も全員が同じ試験を同じ方法で受験して免許を取得というルール)。

外免切替制度に関しては、なぜ、日本のメディが外国人の気持ちを代弁する必要があるのだろうか。

終戦の日

終戦の日

日本では、今日は終戦の日。実際の終戦をいつと認識するかは何に重きをおくかで異なってくるが、日本で最も認識されている終戦といえば8月15日だと思う。当時の人々がいたから今があるのだとあらためて認識する日。

参院選が終わって

参院選が終わって

投開票が終わって約1週間が経つところ、選挙を振り返る報道のネタがつきて来る頃と思いきや、首相が退陣する・しないでもう暫らくは選挙ネタで賑わいそうな様子に見える。

私がネットで観る動画にその傾向があるだけなのかもしれないが、多くの番組や記事は政局についてコメンテータが述べているものが多いように感じる。多分、それに興味を持っている人が多いと、番組制作側が考えているのだと推測する。そのような番組を観ていると、取材した結果をコメンテータが述べているというよりも、コメンテータが言いたいことや、コメンテータが推測していることを述べているだけのように見えるものが多く、今後の政治を展望するものはあまりないように感じる(私もアルゴリズムの餌食なのか…)。

あと、選挙後のこの時期に選挙前の番組を見ると、やっぱり誰の予測も当たらないいんだなと再認識させてくれる。予測が当たらないのは当たり前という感じを持っている。まず、有権者が世論調査に本当のことを言うことはないだろうし、いくら統計学を駆使したとしてもサンプル数が少なかったり偏っていたり、予測するための材料が十分でないだろうと思う。また、各メディアは何か意図があって報道しているように私には感じるため、報じられていることをそのまま受け取ることができない。意図あって、予測とかを述べているように思うことが多い。

私は私でうがった見方をしているのは自覚している。けれど、公平にみても、メディアの報道をうのみにしてはいけないというのも間違った意見ではないとも思う。私自身も、報道に対するいい塩梅のスタンスを見つけられるようになりたいと思っている。それには、様々な角度からの情報を得ることが一つの方法だと思っている(自分の信じたいことだけを信じられたら楽になれるとは思うのだが、私はちゃんと知りたい。でも、ちゃんと知ったところでどうなるとも思っている)。

三連休のなかびが参院選の投票日

三連休のなかびが参院選の投票日

海外にいる私は、大使館へ行き在外公館投票をする予定。在外投票の期間は、選挙の公示日の翌日から日本国内における投票日の6日前までと規定されているようで、日本では日曜日が投票日になることから、衆院選の場合は在外投票期間中に週末が一度含まれ、参院選の場合は二度の週末が投票のチャンスになる。大使館の所在地へ出張がうまい具合に入ることはまずないし、週末にチャンスがあることから休暇をとって平日に投票へいくことも考えたことはない。

日本の報道をみていると、三連休なかびに投票ということを度々、言及している。中には、「参議院選挙は公職選挙法で国会が閉会してから24日以後、30日以内に行われること」になっていることを伝え、会期延長がなければこの週末になることは国会会期が決まった時には推定できたことも伝えるメディアもあるが、基本的には投票率を上げさせないために恣意的に決めたような報道ぶり。

まあ、それはよいとして、もしも連休中に出かけることを予定しているならば、不在者投票や期日前投票という制度もあるのだから、なかびであることが投票率があがらない理由にはならない筈だと思う。それと、メディアが頻繁に伝えているように、景気が悪いのであれば、わざわざお金を遣うような宿泊旅行にはいかないだろうから、影響ゼロとは言わないが顕著な投票率の違いにはならないと思う。もし、投票率が低いようなことがあれば、いつやっても低いのではないだろうか(ちなみに、私は自民党の肩を持とうと思って、このような感想に至っているわけではない。メディアのレッテル貼りというか脊髄反応を見ていられないだけ)。

私は粛々と選挙権を行使してきます。ついでに買い出しもしてきます。

最近の風潮に同調するつもりはないが…

最近の風潮に同調するつもりはないが…

テレビに影響されることもあるから、ということで番組作りに聖人君子的なものを望む人が一定数いることは、ネットニュースなどを見ていると認識している。それに対する私のスタンスは、ある程度の理解を示すものの、それが正しいとは思っていない。受け手側にも責任はある。

とはいえ、そんな世間の風潮に同意するときもある。タレントが海外ロケにゆく動画を見た。その中で、東南アジアの屋台をバックにしていた場面があって、見知らぬ現地の人から何か飲み物を差し入れされる場面があって、それをタレントが飲んでいた。そういう仕込みであれば問題ないけれど、他人からもらった飲み物を飲んでしまうシーンに危険な感覚をもった。つい最近も、中学生が知らない人にジュースを渡され飲んだら体調が悪くなった、という東京の事例がニュースになっていたばかり。愛想のよい東南アジアの人からもらったものを飲んだ場面が動画にあったからって、実生活で同じことを実行してよいわけではないし、そんな発想にならないように親や大人が教えてあげるべきだとは思うものの、こういったシーンはテレビで見せないほうが良いと感じた。

米国産日本車を逆輸入 – トランプ関税

米国産日本車を逆輸入 – トランプ関税

日米貿易での米国側の赤字の減額対策として、米国産日本車を逆輸入する案が浮上している模様。

メリットの数より多いデメリットを素人目にもすぐに思いつくところだが、いろいろな要素が絡み合った実態は一般人には判らないのでそれは横においておいて、こういった観測気球的なニュースを流す意図と出所はどこなのだろうかと、似たようなニュースを見るたびに思う。

ニュースで流して、自国の反応や相手国からの受け止められ方を吸い上げるというやり方はあるとは思う。また、手の内を見せていいような事柄はきっと重要事項ではなくて(自動車逆輸入についてはメリットが見えないので真面目に提案する案ではないのだろうけども。そうでないなら成功させる秘策を知りたい)、本当に交渉相手を唸らせるような相手に響く秘策は交渉の席まで漏れないようにするのだろうことも想像もできる。だけれど、流れてゆく情報に関しては、事前に流すか流さないとか、どこまで流すとか、また、何を使って流すとか、いったい誰が決めているのだろうか。と、いうか、その辺を細かに検討するプロセスを踏まえて決めているのだろうか(私が心配するよりも閣僚・官僚の方々は考えてやっていると思うけれど)。

私自身に言っているのだけれど、仕事でもなんでも、思考をめぐらせて戦術を策定しなければいけない。

ワークライフバランス:1日のうちの時間の使い方か1年単位の話か?

ワークライフバランス:1日のうちの時間の使い方か1年単位の話か?

前日に続き、ゴールデンウィーク期間中のニュースから感じたことを。

観光地の混雑や、観光地・帰省先への移動中も混雑が発生していたようだ。今年は、お金を使わない、家で過ごすGWだった人が例年より多いという報道もあったけれど、渋滞や混雑は連休中の風物詩。

せっかくの休日を疲れにいくようなものだし、鉄道のように年中価格が同じものばかりでもなく、連休中に出かけることでいつもよりも払うコストが上昇する品目もある。

ここ数年は、ある時間以後の残業を禁じたり、また、パソコンのログ管理で、前日の勤務終了から当日の勤務開始までに一定の時間間隔がない場合は、勤怠管理表に理由を入力しなければならないシステムを使用する企業もある。その意味では、一日の中でのワークライフバランスの意識は以前よりも確実に高まっている(労働時間の実態は別として)。

しかし、休日の混雑などを観ていると、私の意見では一日の中のバランスよりも、もっと連続する有給を取りやすい環境を整えて、一年のうちで働く時と休む時を分けるワークライフバランス、取得する休日を働く人の間で分散するシステムのほうが幸せなのではないかと思うことがある。

子どもも学校を連続して休ませるのかとか、夏季休暇とかでない有給を連続でとるのは私自身も休み明けが心配で気がひけるだろうとか、問題がないわけではないだろうが、こちらも選択できる制度があればよいと思う。人や荷物を運ぶことを仕事とするドライバーなどの職種に対しては、一日の実働時間を管理することが疲労を原因とする事故を最小化するために必要なシステムだと思うけれど、全員に当てはめる必要はないと考える。

中には、混雑の中で出かけることで休日気分を味わえる人もいるかもしれないけれど、空いている休日を実感すればそれは誤解だったことがわかるのではないだろうか。問題はあると思うけれど、選択肢を設けることは悪いことではないと思うけれど、どうだろうか。

交通違反・事故系の YouTube 番組の質が落ちた

交通違反・事故系の YouTube 番組の質が落ちた

日本の連休中は、車・道路関係の報道が増える。渋滞情報や事故などを取り上げるものだ。

今回のゴールデンウィークも同様にいくつかの報道があったが、飲酒運転後の事故についての報道が今年は重なった。事故の重大さで報道で目立ったのか、いつもなら報道しないような事故も、1件発生したので別件もといって重ねて報道したのが理由なのか平年との比較での事故の多寡は判らないけれど、飲酒運転の報道が目立った。

You Tube を観ていると、交通違反や事故の映像を紹介して注意喚起する番組がおすすめに出てくることがある。私は、その種の番組を参考事例として観たことが結構あるのだけれど、撮影者が事故を誘発しているのではないかと思うようなものや、撮影者の車によって後続車の煽り運転が生じ、その経緯は切り取られているのではと疑うような映像が最近は増えてきたように感じているところ。

例えば、本線車道を走行中の撮影者の車が合流地点で急に速度を上げて合流車の邪魔をして、結果、合流車が少しの間、側道を走る映像を示すことでルールを守ってないとか主張する映像や、最近に私が観たものでは、合流しようとした車の後部に撮影車が衝突したものさえあった(事故のリスクを取ってまで映像を投稿したいのか、と疑問に思ったし、あきらかに合流されそうになってから速度を上げていたので、むしろ、投稿映像が自分の原因ですと言っているようなもの)。

最初は啓蒙のつもりでアップしていた人たちが主流だったのに、そういった動画が閲覧されると分かると質の悪いものが増えてくるのは、何も You Tube 動画に限ったことではないけれど、こういう傾向が出だすと望ましくない方向になってツマラナクなる一方だと思うので止めてほしいし、そういう映像のネタのために私個人が巻き込まれるようなことにもなりたくないです。





最初は興味深く見ていた(興味深いという表現は正しくないけれど)
最近は、撮影者が事故を誘発していたり(優先を過度に主張したり)、合流で入らせないためにスピードを上げるなど撮影者自身が迷惑運転をしているなど

時代遅れ、世間知らず

時代遅れ、世間知らず

私のこと。時代遅れ、というか、世間知らずの方がより的確な表現かもしれない。

理由あって自動車の生産・販売台数について2月に調べた時に、販売台数のうち半分がハイブリッド車になっていることに驚いた(日本の自動車産業を台数から理解する – Journeyman : Blog)。というか、それを知らない自分にもっと驚いた。日本で車を買ったのはもうだいぶ前のことなので、その時はまだハイブリッドが今ほど普及していなかったのだろうと思う。そして、そのときの記憶のまま止まっていたんだと思う。

それがひと月前。
それで、最近のこと。

YouTubeの番組が日本の大手家電メーカー2社を比較するという企画をやっていた。その2社は、それぞれに栄枯盛衰的な経緯を経て、以前とは異なる体制で現在も大手メーカーとして企業活動しているのだけれど、絶対評価の視点ではないのだけれど、2社の相対評価としては私が思っていたのと全く逆だった。私は何か調べたうえで何がしかの理解をしていたのではなく、以前に見聞きしたことの記憶がアップデートされていないままの理解なので、すぐさま私の世間知らず感に気付くことになるのだが、そのことにも驚いた。

私のここ何年かの仕事は、世間の動きに敏感でいないと業務の質を確保できない類のものではなく、また、ビジネストークの相手が決して多くないためトークのネタという意味で世間の動静をアップデートさせておく必要性も高くないとはいえ、いかに一般的な情勢に関心がなかったのかに気付いた。日記的にこのブログを始めたのも、今年の行動計画の一つである「すべてのことに対して感想を持つ」ことのきっかけづくりだったこともあるのだが、その意味では関心の無さに気付いたことは目標に向けたよい流れでよかった。

ファミリー・ネーム

ファミリー・ネーム

選択的夫婦別姓が施行されると、「姓」に対する英訳は、日本では「surname」だけになって「family name」は姓の訳語として使われなくなるのだろうか。Family なのに父母で異なる名字を使うことを選択した人には、もう family の name ではなくなる。父方 family の name や母方 family の name では、自分の親家族には違いないが、自分が結婚を決めた配偶者とその配偶者との間の子どもという意味での家族感とは違う。

ところで、夫婦同姓を法律で強制するのは日本だけのようだが、family name という単語は世界各地で公文書に使われているのか surname が正式な英単語なのか(あるいは、それぞれの国の現地語に surname と family nameの両方の単語が存在するのか)など判らないけど調べてみたいことだらけで、今日も時間が足りない。