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Category: 報道

時代遅れ、世間知らず

時代遅れ、世間知らず

私のこと。時代遅れ、というか、世間知らずの方がより的確な表現かもしれない。

理由あって自動車の生産・販売台数について2月に調べた時に、販売台数のうち半分がハイブリッド車になっていることに驚いた(日本の自動車産業を台数から理解する – Journeyman : Blog)。というか、それを知らない自分にもっと驚いた。日本で車を買ったのはもうだいぶ前のことなので、その時はまだハイブリッドが今ほど普及していなかったのだろうと思う。そして、そのときの記憶のまま止まっていたんだと思う。

それがひと月前。
それで、最近のこと。

YouTubeの番組が日本の大手家電メーカー2社を比較するという企画をやっていた。その2社は、それぞれに栄枯盛衰的な経緯を経て、以前とは異なる体制で現在も大手メーカーとして企業活動しているのだけれど、絶対評価の視点ではないのだけれど、2社の相対評価としては私が思っていたのと全く逆だった。私は何か調べたうえで何がしかの理解をしていたのではなく、以前に見聞きしたことの記憶がアップデートされていないままの理解なので、すぐさま私の世間知らず感に気付くことになるのだが、そのことにも驚いた。

私のここ何年かの仕事は、世間の動きに敏感でいないと業務の質を確保できない類のものではなく、また、ビジネストークの相手が決して多くないためトークのネタという意味で世間の動静をアップデートさせておく必要性も高くないとはいえ、いかに一般的な情勢に関心がなかったのかに気付いた。日記的にこのブログを始めたのも、今年の行動計画の一つである「すべてのことに対して感想を持つ」ことのきっかけづくりだったこともあるのだが、その意味では関心の無さに気付いたことは目標に向けたよい流れでよかった。

球春、野球中継のカメラワーク

球春、野球中継のカメラワーク

プロ野球キャンプ・インからひと月半がたち、オープン戦のスタメンも公式戦メンバーに近い形になりつつあるようなことをスポーツ・ニュース記事で見かけるようになった。また、センバツの記事もぼちぼち目にするようになった。

海外にいると、日本の野球中継を観る機会はほぼない。加入している衛星方法のチャンネルによるところが大きいと思うが、アメリカ大リーグの中継は衛星でやっていても日本プロ野球はやっておらず、また、You Tubeの個人チャンネルで流れている日本のプロ野球中継は違法だろうから視聴しない。

そんなこんなで、しばらく中継を観ていないので今は違っているかもしれないけれど、日本の野球中継で変えてもらいたいことがある。それはカメラワークに関連することで、いくつかある中で特に不思議に思ってきたのはホームランの時に打球のアップを映すことだ。あれは、視聴者が観たいと望んでいるというよりも、カメラマンが自分の腕を示すことに使われているようにずっと思ってきた。いつからあの画面が使われるようになったか判らないが、小さいころから見たような記憶があるので、もう何十年もあのやり方になっているのであろうから、あれを見て育った若いカメラマンもそのフォーマットを受け入れることになるのかと推測する。

私の希望が特殊なものだったらそうならないのは仕方ないが、私がみたいのはホームランの時の周りの景色だ。両チームを応援するスタンドや選手たちの雰囲気をみたり、打った瞬間からスタンドにボールが入るまでの間の打球の軌跡を、終始、画面の中で追うことができるくらいまで引いた固定カメラの映像だ。また、固定カメラついででいえば、塁上のクロスプレーやグラウンド地面すれすれで捕球したかどうかの場面を映すカメラも固定が望ましいというのが私の意見だ。打球や走者をカメラが追うことで、すれすれの画面のスロー映像がぼやけてしまい、せっかく映像をみても何が何だか判らない。あれは、カメラが捉える範囲を固定することで解決する部分があると思う。

ほかにも私の希望はいくつかあるが、私が望むような映像を見ることができないのは、そういう需要がないからだと思う。それは判っている。とはいえ、スポーツ娯楽 ≒ 野球だった時代と違って、観るにせよプレーするにせよ(子どもたち)、野球の地盤沈下が言われている中ではプレーをもっと丁寧に見せることも野球ファンを増やすのに役立つのではないかと感じているので、いつか私の個人的意見がどこかの誰かに響いてほしいので、テレビ局に投書でもしてみようかな。

新聞社と多様性

新聞社と多様性

海外赴任の累計が10年を超えていたので、日本の新聞を読まないこともそれなりの期間に及んだ。初赴任時は、ファックスで新聞が送られて来る高価なサービスを着任先の会社が購読していたが、その後は、海外印刷の新聞がクーリアで手に入る時代になったものの、赴任地の地理的事情(クーリアでも入手までに数日を要する)や日本人が私一人の事務所などといった理由から、購読する選択肢がないことが殆どだった。一方、今になっては電子版があり、個人レベルの申し込みでも金銭的負担へのハードルはさほど高くない。

さて、毎日、継続して何かにかかわる中では少しずつの変化にはなかなか気付かないが、しばらく時間をおいて暫らくぶりだと違いに気づきやすいことがある。この一例として、わが子の成長と違って久々に会う親戚の子の成長は、目に見えてはっきり気付くことがある。

私にとっては新聞もそういったところがあって、新聞を毎日読んでいた時には気付かなかったことが、しばらく新聞から遠ざかると変化に気付く、というか、新聞が変化していないことに気付くことがある。新聞社も営利企業である以上、特定のイデオロギーに基づいた意見を掲載することは当たり前のこととして理解できるし、自社の意見を正と主張するのも理解はできる。とはいえ、久々に新聞に目を等してみると、社説でよくみかける「〇〇せよ」という見出しをいまだに見かけるのには違和感を覚える。特に、自分たちの努力や主権が及ばないことに対しても「〇〇せよ」と主張する社説を先日見たときは、思わず吹き出しそうになった(トランプ政権に対して命令している記事はもう見慣れたが、私が吹き出しそうになったのは中国政府に対して、「〇〇すればうまくいく」と自信たっぷりもの申していた。少し話はずれるが、10年以上前に世間のサラリーマンの間でささやかれていた「OKY」=お前が来てやってみろ、Omaega Kite Yattemiroと思った)。

また、自社の意見を主張するのと、他社の意見を否定してよいかどかは別物だ。吹き出しそうになった出来事をこの例からいうと、普段は他者の意見を尊重せずに頭ごなしに批判している新聞社が、多様性からの離脱風潮に対して批判的な意見を展開していることだ。

それも含めて新聞社。読者が知恵が真偽を見分けるのは無理だけど、疑いの目をもち、いくつものソースを調べ、多角的に自分で分析・考えることはできるはずだ。

テレビのニュース番組が好き

テレビのニュース番組が好き

テレビやYouTubeなどの映像でのニュース番組が好きだ。新聞やネットニュースも読むが、出演者が話し言葉で意見を付け加えたり、新聞のような記者一人の切り口とは違って、進行役や専門家、ゲストやコメンテータなど複数の出演者間のインタラクティブなやり取りを観るのが楽しいので、ニュースといえばどちらかと言えば映像系が好きだ。

客観的な報道内容ではない出演者の意見・解説的なところでいえば、おそらく、テレビの人が言っていることの半分以上に同意できていないか納得できていない。それでも観るのが好きなのは、私の性格が、自分とは相容れない見解を聞くことが好きだからなのかもしれない。そんな考え方もあるのかと発見したり、これはこの人の本当の意見なんだろうかと心配してみたり、自分が詳しい分野の話題であれば、間違ったことを視聴者の前でよくそんなに流暢に喋れるもんだと感心したり、普段の生活であまり感想を持つことがない私が、こと映像系ニュース番組が相手となると、毎分毎秒、感想を持ててしまうくらいに好き(ちなみに、今までよりも多くのことに対して感想を持つことを、私は2025年の目標にしている)。

好きではあるが納得していない部分もある。そのうちの一つとしては、コメントや解説が目の前にあるニュースに対してのみ行われ、別の機会に別の切り口で同じ案件を報じる時には、それ以前のコメントと矛盾する発言をしても、何の疑問も感じずに報じているように見えることだ。もちろん、テレビの人たちに聞き取り調査したことはないので、矛盾を感じつつも台本に合わせて不本意ながら発言しているかもしれない。とはいえ、ウクライナ・ロシア戦争の件の場合、両国兵士の戦死者に関する痛ましい状況を説明し、攻撃を止めさせない限りこの状況は止まらないようなことを言ったそばから、本戦争に対するトランプ大統領の対応はけしからん、のようなことをコメントする。国際関係の裏で何がおきているか一般人の私には知る由もないが、戦争を止めたいと本気で望んでいるのは、ほかの誰よりトランプ大統領のように私には思える(日本での選挙権を持つ日本国民である私は、トランプ大統領を支持・不支持する権利はないので、報道を通じて見えている部分だけからの個人の感じ方)。戦争を止めさせたいということは、ごく一部の例外を除いては殆どの人たちの共通の望みなのではないかと思う。しかし、テレビの人たちはトランプ大統領のすべてを否定することを述べるか、または同意できそうなところには触れないようにしながら大統領批判を展開しているように見える。

これは一例であるが、全体に対して思考をめぐらすことなく、目の前のことに対してのみ反応している人を見ると、私の場合は見ているこちら側がつらくなる。テレビのニュース番組は、「ニュース・ショー」だと思ってみればいいのだけれど。

ファクトチェックする方法

ファクトチェックする方法

実際にはファクトチェックする方法ではなくて(釣りタイトルか!)、メディアや報道内容の信頼性を測る方法といった方が思っていることに近いかもしれない。

仕事や趣味など何でもよいが、ある程度の知識や知見を持っているカテゴリーを誰しも持っていると思う。そういった、自分が詳しい分野の報道ぶりによって、メディアの報道姿勢やその記事の信頼性を測ることができるのではないかと思っている。もちろん、とてもニッチな分野をメディアが深く知っているはずもないので、少ないサンプルで報道機関すべてをこの方法で測れるわけはない。

とはいえ、例えば、私が従事している仕事に関連する分野の報道をみる限り、きちんと理解しているメディアが殆どいない。嘘とは言わないけれど、本当に表面上のことしか報じていない。しかも、さも全てを知っているかのように報じている。
判らなければ黙っていればよいものの、時事関係だとメディアが報じないなけにはいかないことも理解する。だったら、もっと調べるなり専門家に聞いて報じればいいのに。彼ら/彼女らからすれば、読者も事実でないことを理解できずに有難がって読んでくれると腹をくるっているだろうから、調べて報じる必要性も感じていないんだろう。