音楽はよいなぁ

音楽はよいなぁ

好きな音楽は人それぞれだけど、音楽がよいかどうかという質問をすれば、とても高い割合で音楽はよいなぁという回答が出てくるだろうと思う。

あたらしい音楽、古い歌、何か特定の記憶とリンクした音楽、元気がない時に少し元気になれそうに思える音楽、聴いていて気持ちのよい音楽など、音楽はいいよな。

富める人もそうでない人も、老若男女、国を問わず、人々は音楽のある生活を送ることができる。こんなに公平なこともほかにはない。音楽はいいなあ。


* 上記投稿したあと、念のためという思いでネット検索したところ、音楽を禁じている宗教もある模様。偶像崇拝禁止は聞いたことがあったが、音楽を禁止する宗教があることを初めて知った。音楽も皆が楽しめるものではなかった模様。

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

車は嗜好品。好みは人により千差万別、カッコ好いの定義も人それぞれ。

ゆえに、私の感想に留まる話ではあるけれど、カッコ好い車、自分で乗りたい車が以前に比べて減ってきた。あくまで私の基準による分類。

歩行者保護をはじめとした安全基準によるボディ形状、燃費と空気力学を考えた車体の形、製造コストなど、以前よりもデザイン上の制約が増えているだろうとは想像がつくので、仕方ない部分は理解する。理解はするけど、買いたいと思う車は減った。若いころと比べると、車に出せるお金は多少増えたというのに、買いたいと思う車は減った。

私の場合、車を選ぶうえで大事な点は「見た目」。価格によっては検討すらできないモデルもあるので、もちろん、車体価格は最重要。しかし、燃費はよっぽど悪くない限りは気にしない。装備については種類によって、気にするものとそうでないものが混在しているけれど、装備はよいけど外見が好きでない車よりは、外見がよければ装備は我慢できるところはある。

え、このデザイン?という見た目の車を街中で見ること不思議な気がするが、車が嗜好品であるがゆえに消費者の好みの問題だとは思うけれど、一定の台数を売ろうとする自動車会社のそのモデルの責任者がよく決裁したな、と疑問に思わざるを得ない車もある。自動車の歴史が始まって以来、デザインも出尽くして少しでも似たような見た目にしたら真似しただの言われかねないのも想像できる。だけど、私のように見た目重視の人もまだいるだろうから、もうちょっとデザインに気を配ってみてはどうかと思う。車以外にお金を遣う人が車を買ってくれないという前に、買いたいと思うような車を出してくれないことには売れないよ、と思うこともある。



5月3日の記念日
・憲法記念日:1947 年のこの日に日本国憲法が施行されたことを記念

交通安全 – 本当にやめてほしいこと

交通安全 – 本当にやめてほしいこと

現在働いている国で生活するところ、高い頻度で見かけることで、本当にやめてほしいこと。

・横断歩道のところに駐停車
 特に学校の校門前の横断歩道で駐停車する人が多い。人を危険な目に合わせていると自覚ないのか

・運転席と助手席の間に小さい子供を立たせたまま車を運転している人

・ダッシュボードの上に置物をする人
 助手席エアバッグが展開したら凶器になる

・ライト関連
 - 異様にまぶしいヘッドライト:これ改造?
 - 照らす方向がおかしくて対向車にまぶしいヘッドライト:これも改造としたら目的は何?
 - 照らす方向は正しくても、走行車線と反対側の路肩に停車して、結果、こっち向いてるヘッドライト
 - さらに驚くのは、反対側の路肩を逆走してくる眩しいヘッドライト(眩しい以前に何だこりゃ)
 - ブレーキ時と同じくらい明るいテールランプ:ブレーキ踏んでるのか見分けつかない。設定?バグ?
 - トラックの長さ方向の真ん中くらいにあって、停車中に後ろを照らすライトがまぶしすぎる
 - 街灯に笠がないからなのか、街灯の足元を照らさず四方八方に眩しさをまき散らしている街灯
 - 道端の露店が寄ってほしさアピールなのか、灯りがまぶしすぎて歩行者見えず。客を轢きそう

・ブレーキを踏む理由が何も見当たらない場所でのブレーキ
 直線、対向車なし、そのほかの理由も見当たらないのにブレーキを踏む前走車
・されにいえば、カーブの度にブレーキランプ点灯(山間部ではなく、街中の緩いカーブでの話)
・もっといえば、片側二車線の右側車線からの追い越し時、対象の車の横に並ぶたびブレーキ点灯

・片側二車線の道路(合計4車線の道路で)の交差点で、右側の車線から左折 (または左から右折)
 それが危ないかもしれないと想像しないことがすごい(二車線の左車線は左折専用ではない時の話)

・片側一車線、交差点の前だけ左折車線が追加される道路で左折車線を使わずに左折
 直進者の邪魔をしたいだけ?

・(日本でもあるけれど)ウィンカーを出さない、または遅い(ブレーキ踏んでからウィンカーとか)

そんな運転する父・母をみて育った子供たちが免許を取ったあと、同じような運転をするのだろう。徐々に変わってくるまで、あと何十年かかるのだろうか。



5 月 2 日の記念日
・夏も近づく八十八夜(うるう年は 5 月 1 日が八十八夜)
・緑茶の日:八十八夜にちなむ
・郵便貯金の日:1875 年に郵便貯金業務の開始。制定は 1950 年(郵政省)
・交通広告の日:こう(5)つう(2)の語呂。交通広告以外の交通関係の語呂合わせ記念日ない模様
・歯科医師記念日:歯科医師法の施行(1906年)を記念。制定は 1957 年。

宗教

宗教

自分が信じる宗教に対して厳格な人が多く住む国でも、強盗や殺人など人から何かを奪ったりする個人の犯罪はあるし、信心深いはずの国であっても、軍政をひいて国民を弾圧したりする国がある。

宗教は、本当に人を救っているのだろうか。

もちろん、信じることで救われた人が存在したであろうことは否定はしないけれど、人や国をまとめるのに宗教が好都合だったという過去もあって、むしろそちらの趣旨のほうが強かった期間のほうが長かったんじゃないかと思っていしまう時もある。

政治や宗教の話は争いになるから他人と話すなとよく言うので、私もあまり誰かとこの話をしたことはないが、少し疑問に思うことはある。



5 月 1 日の記念日・出来事
・メーデー/国際労働
・元号が平成から令和に(2019年)
・Gibson Guilar Corporation が 2018 年のこの日に Chapter 11 をファイリング
・1956 年のこの日、新日本窒素水俣工場附属病院が「原因不明の中枢神経疾患多発」と保健所に報告

リビングトラストについて調べてみた件

リビングトラストについて調べてみた件

今月初めに、「銀行口座が凍結されぬようWillを準備 – Journeyman : Blog」ということを書いた。

この記事ののち、実際に遺言の作成・管理などを請け負うサービス会社に相談に行ったのだが、事前情報が全く誤解だったことが分かって、相談に行って本当によかったと思っている。

細かいことは別として、① 遺言作成、② 遺言を作成して管理もお願いする、③ 生前信託といって財産を信託にあらかじめ移しておくことで裁判所が関与する手続きを回避する、以上 3 つの方法で見積もりを取ってみた。万が一がおきてから必要となる費用は、資産額対するパーセンテージで計算されるため、単純化できないが、仮にもしもの時の銀行口座残高が 10 百万円だったとした場合の費用は、おおよそ以下が目安のよう。

私が銀行口座を持っている国では、遺言書を残したとしても相続には裁判所が関与するシステムになっている。この手続きを回避するのが生前信託となるのだが、これを行った場合の銀行口座は、死亡や植物状態、認知症などのトリガーが発動されるまでは、信託しない場合と同様に何ら制限なく使用できると遺言書サービス会社から口頭で説明を受けているが、信託契約書を見るまでは実態は未詳。


日本と法律・制度も違う国で手続きをしなければならないことを考えれば、必ずしも高いとはいえないというのが私の感覚。最悪、いままでの働きを給与として対価で得た資産が理由も判らず口座を保有する国の政府に召し上げらてしまうリスクや、外国人が行わなければならない手続きの煩雑さを考えると、もうちょっと中身について検討するとしても、契約を進めるつもり。



4 月30日の記念日
・年始から 120 日目
・南部解放記念日(ベトナム):1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結
Day of Liberating the South for National Reunification
・図書館記念日:1950 年に図書館法が発布されたことにちなむ。制定は 1971 年。

おじさん社員は使用歴が長く、使用した機種も多いだけにパソコンに詳しい

おじさん社員は使用歴が長く、使用した機種も多いだけにパソコンに詳しい

おじさん・おばさんの IT リテラシーを揶揄するような話はよくある。例としては、定期的に報道が取り上げる国会議員に関係する話などがあるが、私の感覚としては、国会議員の人の働き方として仕方ない部分があるのかもしれないけれど、会社勤めの人でそれに該当する人は、一握りなのではないかと思っている。むしろ、ベテラン社員のほうが若手よりもパソコンには詳しいのではないかと思っている。パソコン・アプリの使いこなしという点では、やはり、若い人の方が長けている人の割合は多いだろうとは思うが、パソコン歴の長さからくる強みとして、パソコンに詳しいのはベテラン社員だと思う。

パソコン一人一台体制に移行する頃には、すでに仕事でパソコンを触ってきた年代が今のおじさんの多数派ではないかと思う。パソコン使用歴が長い分、いろいろなパソコンを使ってきた年代だ。私の場合は、以前に勤務していた会社の場合は、IBM の ThinkPad ばかりではあったが、いくつもの型番を扱った。ThinkPad の場合は、名前は同じでも型番がかわると以前の使い方が通用しないことが結構あった(これは、ThinkPad の型番違いによるものではなくて、Windows のバージョンの違いが使い方に大きく影響を与えたというのが正しい表現かもしれない)。

また、ここ 10 年くらいは IT セキュリティポリシーが厳しくなったものの、それまでは会社貸与パソコンであっても個人で設定を変更可能な範囲が結構広くて、何をしたら何を変えられるかとかの検証をすることができた。さらにいえば、IT 部署の担当者によるリモート接続での設定変更が一般化する前の時代は、レジストリを変更することも含めて、担当者に電話で指示をうけながら自分の手で設定を変更することなどもよくある出来事だった(特に、パソコンを持ち込めない海外駐在時代など。何十年か前までは、私が勤務していた会社では、本社で使っていたパソコンを海外に持ち出す申請が通ることがよくあり、現在のように駐在先でパソコンを用意してもらうようなことがなかったことから、サポートも本社に依頼する必要があった)。

そんな経験の積み重ねでパソコンへの理解が得られたし、同じようなことを感じているおじさん・おばさんも少なくないのではないかと思う。パソコンの場合は壊してしまうと直せないだろうけれど、おもちゃとかであれば、分解したり元に戻したり、二度と戻らなくて後悔したりしながら学んだ人は多いと思う。これは、触れることが学びの近道であることをしめしていると思う。私の場合は、触れることのできないことを身に着けるのは、才能がないと難しい。その点、今はユーザーが自由に会社パソコンの設定を変えることはできないので、パソコン知識が今より深堀できる自信はない。別に深堀する必要はないのでいいのだが、最近はサイバー犯罪も怖いので、私用パソコンを変にいじって、世界の窓をあけてしまうことも躊躇するところ。

おじさんとかおばさん、若い人というような属性で一括りにしたら正しく表せないことは重々承知ではあるが、ベテラン社員が IT に弱いというのも乱暴な表現だと私は思う。



4月29日の記念日
・天皇誕生日 → みどりの日 → 昭和の日

BYD が日本市場で軽自動車に参入

BYD が日本市場で軽自動車に参入

メディア報道によると、BYD が日本専用 EV を 2026 年に投入するとのこと。BYD ジャパンのウェブサイトで確認すると、「2026 年後半に日本専用設計の乗用軽 EV の国内導入を決定」したとの開示とともに、乗用軽 EV と EV トラックの人材増強を加速することと、専用の応募サイトを 5 月中に開設すると書かれている。

アメリカ車が日本で走っていないと苦言を呈するトランプ大統領よりも、日本に特徴的な軽自動車を生産して販売しようとする BYD のほうが現実を直視して解決策を見出そうとする姿勢があるように見える。一国の大統領と一企業とでは発言は変わってくるし、本心を言える範囲も違ってくるし、また、その立場によって言うべきことを発信しないといけないことがあるのは当たり前のことだと思うので、トランプ大統領がどこまで本気で自国の車を日本で売ろうとしているのかも眉唾なような気がするが、本気で一定の台数を売ろうとすれば軽自動車市場を検討する BYD のスタンスに納得感はある。また、軽と EV の親和性も高そう。短距離の街乗りであれば電池の航続距離の大きさへの需要はあまり高くないかもしれないし、そうすることで日本で重要視される安全性に BYD として気を配れるようになれるかもしれない。「日本専用設計」というのは車体の大きさの観点はあるだろうが(EV になると 660cc という排気量は関係なくなるので車体サイズのみで「軽」に仕分けされるのだろうか?)、安全性も関係しているのではないかと想像する。

ハイブリッド車が新規販売の約半数を占める日本の四輪車市場において、EV 乗用車も EV 軽もどちらも年間数万台程度の規模からどこまで軽で台数を増やせるか判らないが、目の付け所に感心するところはある。中国国内での EV 販売が頭打ちとなってしまっての日本市場に目を向けている状況なのかもしれないが、2026 年に導入ということは、すでに試験や評価が進んでいる状態でないとおかしいので、かなり出来上がっているモデルなのだろう。部品選定ももう終わっていないといけないはずだけど、国内企業はもう受注していて黙っている状態なのだろうか。



4月28日の記念日・出来事
・サンフランシスコ講和記念日:平和条約 Treaty of Peace with Japan が発効、主権回復・国際復帰
・労働安全衛生世界デイ:カナダの法律が成立したことを発端に記念日の変遷あり、最終ILOが策定

日本のコンビニの海外展開

日本のコンビニの海外展開


2025 年 4 月 16 日の日経新聞に、「ローソン、6年で海外店舗2倍 アジア軸に1.4万店規模」という記事があり、2031 年 2 月期をめどに海外店舗数を倍増させるとのこと。現在は海外 5 か国に約 7,400 店舗あり、これを 14,000 店規模に増やすとのこと。この記事を読んだあとに各社のウェブサイトを見てみると、セブンイレブンが海外に 84,541 店(2023 年 12 月末、20 の国と地域)、ファミリーマートが 8,410 店(2025 年 3 月 31 日)とのこと。

私の暮らす街にも日本のコンビニが 2024 年に開店した。

海外での私の生活スタイルからすると、日本のコンビニはあればうれしいけれど、なくてはならないほどのものではない、というニュアンス。とはいっても、寝過ごして朝食を食べずに出社することになった日に、ささっと会社で食べるものを出社途中で買おうとすると、選択肢の最初に来るのが日本風コンビニだ。そのような理由で日本風コンビニを利用する機会が月に 2 回程度ある。その時には、日本風のパリパリ海苔のおにぎりがよい。そのほかの商品でいえば、ポカリスエットなどの日本の飲料を具合が悪くなった時に欲しくなることがある。

東南アジアには〇〇風なものや〇〇に似たものがたくさんある。見た目は同じようなものが低価格でてない入ったりするけれど、つかっているうちに〇〇風であって〇〇ではないことに気付かされることが多くの機会である。私の住む町の日系コンビニも同様で、日本風なのだけど日本のとは違う。名称は忘れたが、キャッシャーにはエキスプレス客が並ぶ場所があるのだが、だいたいはそこは使われていないか、そこに店員がいてもチキンやおでんのような時間を要する人が並んでいる。東南アジアにいれば時間がかかることは当たり前のスタンスではいるのだけれど、せっかくレーンとサイネージがあるのだからと毎回残念に感じてしまう。

店員さんはエキスプレス・レーンの意味を考えたことがあるのか、また、日本でいう本部のような人が店舗を訪れて指導しているのか、あるいは本部の人もある意味現地に合わせてゆるくていいと思っているのか、聞きたくて仕方ない。たまにしか利用しないので、まあどうでもよいといえばよいのだが、私は知りたくて仕方ない人間なので、インタビューしたくてうずうずしている。



4月27日の記念日・出来事
・婦人警官の日:戦後初めて採用された婦人警官が初勤務。1946 年、62 名の警官。
・哲学の日:ソクラテスが毒杯で刑死、紀元前 399 年。妻が悪妻と言われ、「悪妻の日」でもある。
・1810 年にベートーヴェンが「エリーゼのために」を作曲。

何度も遇う人

何度も遇う人

地元では手に入らないけれど、都会にあるのは確認済みで、あったほうが生活に色どりを与えてくれそうだなあとここ数週間考えていたものがあった。先月に都会にいったので、しばらくしたら買いに行こうかと思っていたが、ちょっと時間を取れそうだったので今日、行ってきた。

買い物していたときに、以前に同じ会社に勤めていた人に似た人をみかけた。特に親しくしていたわけではなかったのと、遠くから見かけただけだったので本人確認をしていないけれど、その人が転職して転居して以後、私が都会で買い物しているときにその人に似た人に何度か遭遇している。今回同様、これまで一度も本人確認したことないので、全部人違いかもしれないけれど、なぜかその人に似た人には遭遇することが多いのは、その人が一般的な姿形をしているのか、私からみたら外国人だから、外国人をみたらその人だと思え的なバイアスがかかっているのか不明。次回は本人確認してみるか。



4月26日の記念日・出来事
・よい風呂の日:語呂合わせ。現在の居住国では普通だが、私が住む場所もバスタブがない。欲しい。
・世界知的所有権の日:「世界知的所有権機関を設立する条約」が1970 年のこの日に発効。制定 2000 年
・チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)
・王貞治選手、初ホームラン(1959年)
・日本で商法公布(1890年)

公立高校の併願入試を検討との報道

公立高校の併願入試を検討との報道

メディア報道によると、文部科学省が公立高校の単願制の見直しに向けた検討を開始するとのこと。
併願によってよくなる面もあると思うけれど、私はどうかなあという考え。

高校側としては、入学してくれる学生の票読みが難しくなる。人気校でなければ、合格者を多めに出す学校が多くなると思う。定員以上が入学すれば先生と学生の比率が崩れ、先生ひとりあたりの学生数で不公平が生じうる。また、併願の機会を最大限に生かせるように、各校試験をA/B日程のように実施すると学校側の負担が増える。そうではなく、A日程の学校とB日程の学校に分ける方法だとすれば、それはそれで相当に気を遣う検討作業になるだろう(公立高校を統括しているのは都道府県の教育委員会?)。

公立であれば、入学金の額と納付期限は統一されるであろうから、最近、いくつかのメディアで取り上げられていた私立の入学金ムダ金納付問題(浪人確定を回避するために、第一志望の合否が判明する前にそれ以外の学校の入学金を納付しないといけないこと)は発生しないことは大前提としてほしい。

メディアによると、併願が可能になることで少し無理目の学校にチャレンジすることができるとか、チャレンジを回避した受験生よりも点数の低い受験生が合格する不公平を回避とかのメリットを挙げている。たしかにそれはそうなのだけど、自分の成績から少し背伸びした学校に入学したあとについていくのが大変になる場合もあるので(私は運のよい方なので、高校も大学もうまく合格してしまい、どちらも入学後に苦労した張本人)、何が正解か判らないし、だからこそ面白いなどという受験生でないからこそのお気楽意見。


4月25日の記念日
・世界マラリアデー:2000年にマラリア撲滅国際会議がナイジェリアで開催された。
・世界ペンギンの日:アデリーペンギンが南極大陸から海へ移動する頃らしい。でも、なぜ今日?
・ANZAC Day:第一次大戦時の豪・NZ義勇兵(AUS & NZ Army Corps = ANZAC)の勇気を称える
・ギロチンの日:ギヨタン博士が提案したギロチンがフランスで実用化された日。1792年
・取得物の日:1980年に東京・銀座で 1 億円の落とし物が見つかったことにちなむ

トランプ大統領の言うボーリング球テスト

トランプ大統領の言うボーリング球テスト

日本の非関税障壁の例としてトランプ大統領が挙げているボーリング球テストに関して、メディアは「そんな試験はない」というような論調で報じているのが多いが、中には「日本の自動車の安全基準が厳しい」という書きぶりの記事もあった。

何十年も前に基準がどうだった知らないが、21世紀に入ったくらいからは、歩行者保護を目的に、むしろ車体をへこみやすくして衝撃を吸収するようになっていると認識している。メディアも、「そんな試験はない」ではなくて、「むしろやわらかくしている」くらいのことは書いて欲しい。

外国で担当業務の引継ぎ

外国で担当業務の引継ぎ

日本の企業に勤めていると、業務を引き継ぐときには引継書を作成する。少なくとも、私が以前に勤めた会社では引継書作成規定という社内規定もあって作成が当たり前であったし、一定規模以上の会社では、多くの場合で作成が求められていると思う。

外国の企業につとめていると、引継書が義務になっていない会社がある。それどころか、お願いしないとメモの受け渡しが無い場合すらある。私の場合は異動が少なくなかったため、いつか誰かに業務を渡す日がくることを想定して、引き継ぐ側として説明を聞きながらも、将来の引継書として使えそうな形のメモをつくり始めることも何度かあった。なので、引継書の作成が求めらえていなくても書類を作成してきたのだが、義務がなければ引継ぎを行う側の気が楽なのは間違いない。

決して前任者否定の文化があるわけではないと思うが、たまに心配になるのは、前任者の私に何も尋ねてこない人がたまにいること。当然、私のほうから説明したり、しばらくは新旧担当者が重複して業務を行いながらOJT的に引継ぎもしているのだけれど、限られた引継ぎ期間中に全ての事象が起きて、その対応を共有できるものではないし、何かしらどうしてよいか判らないことが起きていそうなのに過去例やアドバイスを求めてこない。私は、私が居てもいなくてもどうでもよい仕事をしていたのだろうか。決してそうは思えないのだが。

きちんと引継ぎしても、担当者が変わるたびに取引先との関りや業務の深堀さが薄まってゆく面は日本の会社にもあり、それは人が変わる以上は濃淡あって仕方ないことではあるが、引継ぎのない会社の場合は薄まりがもっと急速に進んでいくのだろうと危惧する。もしも私が引継ぎが発生した会社からみて取引先であれば、これをチャンスとしてとらえて、口約束なら破棄できるし、言ってないことも前任からはこう聞いてましたけどね、とか言えてしまうかもしれない。

まあ、それは実際にはしないし、口約束など初めからないも同然だから大した問題にはならないのかもしれないが、私が外国の会社で働いていて感じるのは、ジョブローテーションという概念があまりないことが多く、転職しない限り、一生、同じ仕事を継続する人が多いため、引継ぎという概念も引継書の必要性もピンとこないのではないかとのこと。会社側も出世しない限りは従業員を同じ仕事領域に置いておきがちで異動がほぼない印象。ある分野のプロフェッショナル育成といえば響きがよいが、あまり業務知識が蓄積していっている感じもしないし、業務への閉じ込めを感じる。それを心地よいと感じる従業員がいることも事実だとは思う(アグレッシブにならなくても生活を維持できる給与を得ることができる労働条件が確保されている国では特に)。ただ、上司はずっと変わらないし、上にいきたい人にとっては自分は上がれないしということで、少なくとも私の勤める会社では組織が硬直化していて、健全な環境ではないと感じている。まあ、それが普通の海外の会社なのであって、社外取締役は「社外取締役グループ」を作ってその中で椅子を互いにパスしあって自分の居場所を確保するので、つかう側になるか使われる側になるかのどちらになるかが若いうちに非常に重要となってくる社会なのだろうと想像する。


4月23日の記念日
・サン・ジョルディの日:キリスト教の聖名祝日だが現在は書物を贈り合う日として知られる
・ビールの日(ドイツ):1516 年に「ビール純粋令」を発布。原料を規定。世界最古の食品関連法律
・地ビールの日(日本):1999 年に制定
・しじみの日:語呂合わせ。有限会社日本シジミ研究所(島根県松江市)が 2007 年に制定

外国の会社での社内イベント

外国の会社での社内イベント

現在勤めている会社には、社内イベントがそれなりにある。完全に社内のものと、外部の組織をゲストに招くものと両方ある。例えば、消防や警察などいざという時のために日頃からの関係が重要な組織や、周囲のコミュニティというようなそれこそ毎日なにがしかの関係のある人々とともにイベントを行うこともある。そのイベントの様式でいえば、フォーマルなものもくだけたものもある。

フォーマルなイベントの時にいつも思うことは、年に1回あるかないかのイベントに着ていくことがでできる服をみんなよく持っているな、ということ。日本人の場合は、そんな服を持っていない人の割合のほうがまず間違いなく多数派だろうという恰好で出席する人が殆どで感心してしまう。

そんな人たちだから、パーティの席で記念品をもらったりする所作も慣れている人が殆ど。壇にあがり記念品を受け取り、プレゼンターと握手して、もらった記念品をよく見えるようにしてプレゼンターと笑顔で記念写真に納まり、次の人がきて…という一連の流れが何のよどみもなく進んでいく。とにかく、皆、慣れている。学校に通っているいる時からこういう経験があるのだろうか。こちらも感心する。

多くの日本人とは違ってすごいと思うことが多い反面で、パーティ前の気合の入れ方がすごくて、業務時間中にするその準備への熱量も高いのに困惑するというか、なんというべきか。会社のイベントなので準備の前に業務だろと言ったらパワハラと言われかねない。多くの人が集まって準備し、その会議室からは時折、楽しそうな笑い声がきこえたり。みんなで集まって準備しているので、後ろめたさが薄まるのだろうか。イベント前は目をつむるが、それと同じくらいの熱量を短時間集中型でもよいので仕事に向けられないものか。

これは一つの例だけれど、私がいまいる国では、やる人とやらない人の差がますます開いていく一方のような気がするが、以前に私がいた国とちがって、今の国ではやる人・やらない人の待遇差があまり顕著ではなく、生活ができる水準は維持できているようだ。これは、生活がしやすくて悪いことではないと思うのだが、ほかの国に抜かれてしまうのはそう遠くでない危機感はあるが、やる人が稼いでくれて国や会社としてはうまく回っていくのだろうと想像する。そうすると、やっぱりよい国なのだろう。

初めの趣旨とだいぶかわってしまったが、私もここぞの時に着て行ける服の一着くらい持っていたほうがよさそうだとは思っている。


4月22日の記念日
・よい夫婦の日:語呂合わせ。ほかに、毎月22日、2月2日、11月22日、11月23日(=いいふさい)
・カーペンターズの日:1969年に米 A&M Records と最初の契約に署名
・地球の日(アース・デイ):環境保護への支援イベントが毎年行われる(最初は1970年)

日本語で準優勝、英語では二位

日本語で準優勝、英語では二位

以前に、ここで、「 Flirt – 文化が判って理解できる英単語」( 2025年2月15日 – Journeyman : Blog )というのを書いた。言葉は生活と結びついているので、ムスリムの国の現地語に「酔っ払い」という単語はないかもれないし、アフリカの内陸にある国の現地語には「海」を表す言葉はないかもしれない(湖と海が同じことだったりはするかもしれない)。

普段は意識することはないけれど、日本語では準優勝というけれど、英語では決勝戦に残った人という表現や二位を表す言葉はあるが、準優勝的なニュアンスを持つ言葉がないのは(あるかもしれない)どうしてだろうと疑問に感じたりする。準優勝と言われると、文字どおり優勝に準じるとか優勝できなかったけれどあと一歩のところまで頑張った(ので優勝者に近い敬意を表すべき存在)というような感じが含まれているように私は理解する(人によって違うだろうけれど)。一方、二位は優勝者以外のその順位に焦点を当てていて、優勝者でない誰か(二番手)という意味以上にはなさそうに私には感じる。優勝でなければあとは単なる順番、という感覚なのだろうか。きっと、ここも文化的な背景があっての表現になっているのだと思う。

私は言語学者でないので全て想像で言っているけれど、とはいえ、言葉は奥が深い。文化を理解しないと本当には理解できない。意思疎通するにはそこまで真面目に深く考える必要はないけれど、意思疎通できるレベルになれれば、その次の段階としては文化を理解して、相手に違和感をあたえない会話ができるようになりたい。


4月21日の記念日・出来事
・民放の日:1951年に日本初の民間放送の事業開始。1968年に「放送広告の日」制定、93年に改称。
・1934年に Daily Mail 誌がネス湖のネッシーの写真を掲載。
・1960年、ブラジルの首都がブラジリアに遷都。





文章を書くハードル

文章を書くハードル

いまさらだけれど、パソコンは便利だ。計算が違えばやり直しは簡単だしどこで間違えたかの見直しも見つけやすいし、文章にしても、一遍に消したりまとめて段落の順序を入れ替えたり、何にしても便利だ。また、必要に応じて、文章を残したファイルにパスワードをかけて内緒にすることもできる。

その便利さのおかげで、手書きの時と比べて文章を書こうとする時のハードルが相対的に下がった。何か文章を書いてみようという気になりやすい。

反面、とりあえず書いてから後で推敲すればよいという気持ちで書き始めることが増えた。よく考えずに取り掛かってしまうので、書きたいことを書き始められるまで時間がかかる時がある。ただし、これは業務のなかで文書を作成する時にはかなり便利で、とりあえず箇条書きも使いながら主旨をかいてから、それにあうように前文を書いたりすることができる。別にパソコンでしかできない書き方ではないが、パソコンの場合は消しゴムでこすりすぎて紙を破ってしまうこともないし、消しカスもでないのでやっぱりパソコンが便利。

ただ、やっぱり私は今でも書くのが好き、なぜならペンが好きだから。社会人になりたての頃は、メモをほとんどとらない不良若手社員だったのだけれど、何をきっかけか忘れたけれど 5年目くらいからはとにかく書くようになった。そうなってしばらくして経ってからのこと、海外で一緒に仕事をしていたドイツ人の人にボールペンをもらったのだが、その書き味がとにかくとても良くて、それまで以上に書くことが好きになった。仕事でノートをとることはもちろん、手書きのスケジュール帳を買ったのもそのころで、20年以上たった今でも、毎年、その時と同じ会社が出している手帳を買い続けている(書くことが好きなので手帳は変えてもよいのだろうけど、結局、毎年その手帳を買い続けている)。
(よくよく考えてみると、高校の時の数学の先生にノートの取り方を教えてもらって目から鱗だったとおもに、成績も上がった経験が記憶の奥深くの普段は無意識の領域に保存されているのかもしれない:あの先生がいなかったら別の人生かも – Journeyman : Blog)。

私の感覚に同意してもらえる人も、理解できない人もいると思うけれど、気に入ったペンで書くという行為はどうしてあんなに気分のよいものだろうか。パソコンで何かを書くハードルは下がったのだけれど、依然として、ペンで何か書きたいという欲求がある。徐々にペン自体の塗りが変化してきて味わい深い見た目のペンもあるし、ペン先と紙のこすれあう音も気分が上がるし、自分なりに今日はうまい字が書けたと思える日は気分が良い。

書くことがデフォルトだるデメリットとしては、書かないと思えづらい脳になってしまうことだろう。例えば、コロナで在宅勤務だったころは、自宅にプリンタがないので印刷した資料に手書きでメモや補足、あとで調べる疑問点などを書き入れることができなかったり記憶が進まないことがあった。無用な印刷をせずに省資源に貢献する世の流れに従おうための訓練として書かずに頑張ってきたが、デジタル教科書から紙の教科書にもとりつつあるいくつかの国の例かれもわかるように、書くことと学習には関連があると思う。

そんなことを考えていたら、最近、郵便の手書きの手紙を出してないな、と。人との連絡には電子メールが便利なのは間違いないけれど、たまには手紙を書いてみようと思った。


4月20日の記念日
・穀雨:田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨が降るころ。二十四節気の第六。2025年は今日。
・郵政記念日:飛脚制度に代わり郵便制度の実施を記念。もとは逓信記念日として1934年に制定。
・青年海外協力隊の日:1965年に発足。
・珈琲牛乳の日:1923年のこの日に初めて販売された。東海道線国府津駅で。守山乳業㈱。

・イースター

コロナ当時はフォークダンスもなかったのだろう

コロナ当時はフォークダンスもなかったのだろう

そういえば、コロナ当時はソーシャル・ディスタンスを維持するように強く言われていたので、小中学校の運動会でのフォークダンスはなかったんだろう。そもそも、イベント自体が縮小・短縮されていたから、フォークダンスの有無というより、フォークダンスがプログラムがある運動会自体がなかったりしてたのだろう。私が思春期を過ごした何十年も前の田舎では、授業中に先生から強制される男女の交わりはあっても、それ以外のところでは、学校での休み時間や放課後も含めて男女交流もその発想もなく、運動会でのフォークダンスはそれこそ、一大イベントだった(ただし、一大イベントといいつつも、一大イベントは数多く存在した)。

人は生きていくなかで、有意義なこともあれば、直接的には意味なさそうなこともあるし、今、価値があることや、今は価値が見いだせないけど後で価値が出てくるかもしれないことなど、様々な出来事に出会い翻弄されながら経験値をあげて時を過ごしてゆく。コロナ自粛は誰にも共通の出来事ではあったものの、その自粛期間を過ごした年代、たとえば、それが学生生活と重なってしまった人々は、ほかの年代の人が学生時代に経験したであろうことの経験や思い出(良いことも悪いことも)が、おそらく少なかった分、これからの人生でいろいろなことが起きて欲しい。

なんで、突然、フォークダンスのことが頭に思い浮かんだのかが、もう思い出せない。


4月19日の記念日
・地図の日:伊能忠敬が蝦夷地の測量を行うために江戸を出発、寛政12年。
・飼育の日:語呂合わせ、419=しいく。日本動物園水族館協会が2009年に制定。

東京のホテルで価格カルテルにつながる情報交換

東京のホテルで価格カルテルにつながる情報交換

都内のホテル運営会社が内部情報を共有していたことがわかり、価格カルテルにつながるおそれがるとして、公正取引委員会が警告を出す方針を固めたという報道があった。

その報道によると、2024 年の秋には情報共有グループから抜けたとする会社のコメントが紹介されていて、また、共有していた 15 社すべてがすでに共有をやめているとのことだが、共有が行われていた当時は、客室稼働率や平均単価、将来の価格設定方針などの内部情報が毎月の会合で共有されていたとのこと。

どこかの会社が情報をリークしたのかどうか一般読者が背景を知る由もないが、公取が動いてこのような事案が表沙汰になるのは歓迎すべきことである一方で、普段から疑問に感じていることがある。例えば、「ナフサ価格が上昇したことで、石油化学製品について○○円の値上げを化学会社各社が一斉に打ち出した」というようなことが定期的に報道される。自社ウェブサイトやメディアをつかって情報が流れているので裏で実施するのとは違うものの、各社横並びの値上げを打ち出すという行為自体は、価格カルテルを可能にさせる密談のようなものと何が違うのかと、常々、感じていた。

最終的に合意する価格は顧客毎に異なっているとはいえ、それはホテルの客室価格にも同じことが言え、公開か非公開かの違いでしかないのではないか。新聞が報道しているのだから合法なのかもしれないが、メディが正しいことをしているとは思っていないし、何十年にもわたって報道されているフォーマットなので、報道する側は何も疑問に思わずに先輩方の形式美を脈々と受け継いでいるだけなのかもしれない。

まあ、単なる一読者の感想なのでその事象自体はどうでもよいのだけれど、独禁法を恐れるあまりに業界の普通の会合さえ開きづらい世の中になったということを、もう十何年以上も前から耳にすることがあった。業界の会合を公開で開催するのも違うとは思うけれど、業界の発展のために必要な協議はあると思う。そうでなければ、極端な話、自動車工業会のような存在も違法と言われかねないし、業界としてロビー活動もある。必要なものは必要である。疑われた時のために、会議をビデオ録画しておくとかができることなのだろうか。意図した記録漏れは、文書としての議事録でも映像記録でも同じだけれど、ビデオのほうがまだましかもしれないが、どちらにも機密情報の漏洩リスクはある。

企業内のコンプライアンス対策にも同じことがいえると思うが、悪いことをするやつがいるからルールが厳しくなり、余計な手順でワークロードが増え、違法行為をしていない人にも迷惑が掛かる。ガバナンスが甘くなると市場からの信頼を失ったりするので、業務規程面ではもう過去の管理水準へ引き返すことはできないので、ルールがより厳しくなることがないよう、とにかく悪いことはしないでほしい。



4月18日の記念日
・よい歯の日:語呂合わせ。418 =よいは。11月8日は、いい歯の日。
・世界アマチュア無線の日:1925 年に国際アマチュア無線連合が結成総会。制定は1973年。
・ジンバブエ独立記念日:1980年、イギリスから。
・発明の日:1885年に「特許法」の元となる「専売特許条例」が交付された。制定は1954年。
・電子楽器メーカーのローランドが 1972 年に設立。

・Good Friday

『中国にも「働き方改革」の兆し』という記事

『中国にも「働き方改革」の兆し』という記事

数日前に、ロイター配信の記事に「アングル:中国にも「働き方改革」の兆し、長時間労働改める企業も」(英文記事:”In China, whispers of change as some companies tell staff to work less”)があった。

すでにこのステージを超えた国もあれば、まさにこのステージを迎えつつある国、まだまだモーレツ時代は少し先で今後に働き方改革を迎えるであろう国というように、時期にこそ違いはあれど、ほぼほぼすべての国がいつかはこの段階に到達し、生産性などに副作用を生じさせながらも生活の質をあげていってこの段階を乗り越え成熟するステップを踏んでいくのだと思う。

働き方改革で輸出の伸びの傾きの角度がゆるやかになる一方で、余裕のある生活を送るにつれて内需が増加し、多少の時差はあっても経済への影響をうまく最小限にして軟着陸できるとよい。良いか悪いか論はさておき、日本でもゆとりを獲得する中で、乱暴に一般化すると国際貿易での競争力は他国との相対的な見方では落ちているような感じのところ、中国のモーレツぶりが少し落ち着くかもしれない中で日本にも頑張って欲しいと思う。

一方、どの国にあっても、一律に働き方改革を強制することなく、働きたい人や各人それぞれが今こそ働いてスキルを得たいとか考える時期には、自由にモーレツになれる余地を残してくれるのも多様性の尊重と言えると思うのだけれどどうだろうか。働く権利もあると思う。


4月17日の記念日
・徳川家康忌:1616年(元和 2 年)
・アポロ 13 号が地球に帰還:1970 年
・なすび記念日:417=ヨイナス語呂合せ。この日が命日の徳川家康はなすが好物で献上されたのが4月



電球の色味 – リビングルーム

電球の色味 – リビングルーム

不動産エージェントに、部屋を探している日本人の知り合いを紹介した。

エージェント側にも事情があって、入居者を早く決めないといけない部屋とかあるのだとは想像するけれども、事前にこちら側の好みを伝えても、全く彼・彼女たちに響かず興味のない部屋を紹介されるのはどういうことか。もちろん好みの個人差や言葉の定義の個人差がある。例えば、眺めの良い部屋の定義がすれ違っていたりする(実際に起きていることは、おそらく、こちらの希望に応えようとする姿勢がそもそもないのだと想像するが)。

それはそうと、エージェントからリビング・ルームの電気(ライト)の色は白か黄色かどちらが日本人の好みか聞かれた。これは、日本人の間でも個人差があるので非常に答えづらい質問だ。「リビング、ライト、白、黄色、好み」などといったキーワードでネット検索しても一般化した答えにはヒットせず。

私の好みは断然、黄色。しかも、あまり明るすぎない黄色(むしろ、暗くてよい)。もしも今、夜に本を読んだり紙やノートに書き込む必要のある受験生なら話は異なるが、読むのも書くのもパソコンが相手になってくるので部屋が明るくなくてはいけない必要性がないと思っているし、もともと、私は薄暗いくらいがちょうどよい。

なんとエージェントに回答しようか。


4月16日の記念日
・チャップリン・デイ:チャールズ・チャップリン誕生日(1889年)
・Boys be ambitious Day:クラーク博士が北海道を去る時に発言(1877年(明治10年))

やった、覚えてた

やった、覚えてた

パソコンで作業中に意図せずにスクリーン・ロックしてしましまった。

先日、PCキーボードでのショートカットを発見したので早速使ってみようと思ったのだが(スクリーン・ロック設定 – Journeyman : Blog)、あれ、なんだっけと。せっかく、最近見つけたのに。

少し冷静になって、ロックしてしまった時の直前のアクションが、コピーをしようと [ Cntl+C ] を意図したのを思い出し、そうだ、[ Fn+C ] だと記憶が戻ってきた。機械的に Fn+Cで覚えようとしてもうまくいかないかもしれないけど、Cntl+Cに似たものと思えば、今後は反射的に対応できるかもしれないと感じた。語呂で年号を覚えるというわけではないけど、何かに関連付けて覚えた方が、やっぱり覚えやすい。