IT 知識や技を教えてくれるYouTube番組

IT 知識や技を教えてくれるYouTube番組

私は YouTube 番組を観る時間は比較的長い方だと思う。日本で生活していた時は、テレビを見ることはあまりなかったのもあって、日本語放送が含まれている衛星放送のチャンネルを買ってまで見ることを今もしていないが、YouTube は最初は音楽系のものから入って、最近はそのほかのジャンルの番組も観るようになってきている。

最近よく観るようになったジャンルの一つに、パソコンやアプリを解説する番組がある。日本の企業に勤務していたころは、会社の IT ヘルプデスク的な部署に判らないことを問い合わせていたが、現在勤務する企業ではそういった部署がないため、ネットで調べるしかなくなった。調べる対象がクリアな場合はネット検索をし、何か新しい技がないかなとぼんやりした目的の時は YouTube 動画を適当に流したりしている。

最近ふと感じたのが、誰が番組を作成しているんだろうということ。YouTube 動画にはイントネーションや読み方に違和感があるものが多いが、それは AI 音声がまだ追いついていなからだろうと想像していたのだが、最近観た動画でちょっと気になったのが、表現に違和感があったこと。AI 音声は、原稿を作成してそれを読ませるのであれば、発音に違いはあっても間違った発音から想像できる単語(あるいは字幕)は正しいことが多いのだが、表現自体がおかしいのがあった。それは、文章も音声も AI が作成しているのからなのかもしれないが、もしかしたら文章自体が自動翻訳を使用して海外の人が日本向けに作成しているのもあるかもしれない。そうなると、情報の信ぴょう性を少し疑いながら参考にしたほうがよいのではないかと思い始めた。ネット情報は絶えず疑いの目をもっていたが、正直、YouTube はもともと音楽番組を楽しむところから入ったこともあって、提供されているものの正しさの観点はあまり持っていなかった。もちろん、日本で作成された動画にも疑問視せざるをえない情報が含まれることもあるだろうし、どうみておかしいと気づくこともあるが、適当なことをいっているのではなく意図的に間違いをインプットされているとなると怖い。

音をたてて歩く人のことが苦手

音をたてて歩く人のことが苦手

オフィスで仕事をしていると、誰が歩いて来るかが靴音で判る人がいる。

今、私が勤務する事務所はカーペット床ではなくてタイル床の事務所(モップで拭き掃除のほうが掃除機より簡単なのかな、まあ、いいけど)。社員の足元を見ているわけではないのであくまでイメージではあるものの、スニーカー率が最高で、東南アジアで気温が高いということもあってかサンダル履きで仕事に来る人もそれなりの比率でいる。日本の男性の革靴のイメージの靴や女性のパンプスのような人はいない。

履物によって音は違うけれど、音を立てて歩く人が一定数いて、その中でどうしても気になる音をたてている人がいる。引きづり足でサンダルがクチャクチャ鳴っている人、普段は聞かないブーツみたいな靴の金具音がするので「あ、出張で〇〇が来てる」なとすぐわかる人、ごく少人数だけどどうしても気になる音をさせる人がいる。その人は、自分の音を判っているはずで、それでも音をさせる歩き方をしているということは、本人たちはそれを気に入っているのではないかと推測する。だから、余計に聞きなすことができない。

会社以外の場所で知らない誰かが、通りすがりのその時だけのわずかな時間、音をさせて通り過ぎる分には何ら気にならないのだけど、同じ人が同じ音をさせて会社を歩き回るのをきいていると、その音が好きでわざと音をさせているように思えて聞きたくなくなる(と、いう今日の感想)。

支払い不能状態と知っていて更に債務を負う

支払い不能状態と知っていて更に債務を負う

美容関連事業を行うミュゼプラチナムの債権者が破産申し立て手続きの準備を進めているという報道があった。

美容関係の前払い料金システムを導入していながら資金繰りに窮してしまう背景は、杜撰な経営なのか資金流用するために分かっていてやっている意図的なものか、適当な経営を見せつけられて会社自体が普通でなくなってしまったのかは分からないけれど、この手の報道をみると、日本の債権者はなかなか厳しいと感じることがある。

企業買収や融資の機会に表面的に聞いたことがある程度ではあるものの、会社が支払い不能状況に陥いると分かった瞬間から、その会社の取締役にはその状況を回避する義務が生じ、また、その状態から更に債務が増加する取引を行うことは、のちのち、刑事・民事の双方で罰や制裁を課される会社法がある国もある。前触れなく(あるはずないか)、そんなに急に倒産手続きを取締役に開始されても困ると思う債権者もいるかもしれないが、会社としての債務を増やさない(追加の債権者を増やしたり既存の債権者の金額を増やさない)動機付けをさせるルールに良い点があることも確かだと思う。

ミュゼプラチナムの経営者に悪意やこうなることが予見された事実があるのか判らないけれど、前払い制なのに債権者が泣きを見る状況に陥ってしまうことと、それが許される(本件では、今日の時点では取締役が許されることになるかどうかはまだ判らないが)ルールになっているのは何だかなと感じている。

あと、本件とは直接に関係ないが、お金の貸し借りということになると、企業間でも個人間でも、貸借が発生するまでは貸し手側が条件提示において主導権を握って交渉が可能であるが、いったんそれが実行されてしまうと、借りた方が一方的に強くなってしまうというのは、古今東西、いつの世でも正しい認識なのではないかと個人的には思っている。詐欺的な場合は例外としても、返せないものは返せないので、どうしても債務者の状況に合わせて解決策を見出してゆかざるをえない。貸したものの弱み。

米国産日本車を逆輸入 – トランプ関税

米国産日本車を逆輸入 – トランプ関税

日米貿易での米国側の赤字の減額対策として、米国産日本車を逆輸入する案が浮上している模様。

メリットの数より多いデメリットを素人目にもすぐに思いつくところだが、いろいろな要素が絡み合った実態は一般人には判らないのでそれは横においておいて、こういった観測気球的なニュースを流す意図と出所はどこなのだろうかと、似たようなニュースを見るたびに思う。

ニュースで流して、自国の反応や相手国からの受け止められ方を吸い上げるというやり方はあるとは思う。また、手の内を見せていいような事柄はきっと重要事項ではなくて(自動車逆輸入についてはメリットが見えないので真面目に提案する案ではないのだろうけども。そうでないなら成功させる秘策を知りたい)、本当に交渉相手を唸らせるような相手に響く秘策は交渉の席まで漏れないようにするのだろうことも想像もできる。だけれど、流れてゆく情報に関しては、事前に流すか流さないとか、どこまで流すとか、また、何を使って流すとか、いったい誰が決めているのだろうか。と、いうか、その辺を細かに検討するプロセスを踏まえて決めているのだろうか(私が心配するよりも閣僚・官僚の方々は考えてやっていると思うけれど)。

私自身に言っているのだけれど、仕事でもなんでも、思考をめぐらせて戦術を策定しなければいけない。

人間関係が構築されて断り切れない状況

人間関係が構築されて断り切れない状況

ママ友を闇バイト(そろそろ、犯罪と詐欺とかに表現を変えるか?)に誘い商品を騙し取った罪にとあわれた被告の裁判があったと報道されていた。いろいろなメディアが報じる中で、犯罪ジャーナリストの人からコメントを取って報じるメディがあり、そのコメントして「人間関係が構築されて断り切れない状況で誘うケースもある」というものが引用されていた。

このニュースとは全く関連のない話ではあるが、この記事をみて思ったのは、私も断るのが苦手なことだ。本当は乗り気でないがいいよと言ってしまうことが多い。逆に、酒宴やゴルフのお誘いなどは、特に海外にいると決まりきった日本人の狭い世界のメンバーになりそうなことがあらかじめ想像がつき、また、その狭い世界からのお誘いを時々であっても断ることができないであろうことも予想できるので、私は最初から避けようとしてしまう。

これは、海外にきてからより強い傾向になっている。日本では仕事場、地元、家族関係などのしがらみの種類も多く、その中で必要と思えばお付き合いもしていたが、海外ではほぼしがらみがない分、あまり参加しないことを気にしなくなってきた。それで孤立する人もいればそうでない人もいるし、本当に人それぞれで何があっているが合っていないかは千差万別であるが、どうやら私にはこれがあっているような気がしている。

人との関係が少なくて、果たしてこれで生きているのかってことを疑問に思う瞬間もあるのだが、仕事を通じて世界や社会との関わりはあるので、まったく浮世離れしているわけではないということにしている。

カンヌ映画祭がヌーディティ禁止の新規則

カンヌ映画祭がヌーディティ禁止の新規則

昨日のニュースで、カンヌ映画祭でのヌーディティや動線や着席に支障をきたす裾の長いボリューミーな衣装を禁止するというものがあった。レッドカーペットを含む映画祭のほかのエリアでも禁止とのこと。

カンヌに限らず、外国のイベントで露出度の高い衣装の女優やセレブなどの映像を目にすることは珍しくないが、どうしてあんな恰好をしているのだろうといつも思っていた。本人や服のデザイナーにはこだわりや美の基準があるのだと思うけれど、本人が見せたいのか話題づくりなのか、理解が難しい(むこう側の人からしたら、私なんぞに理解してほしいと思っていないだろうけど)。

女性の権利や役割とか、ルッキズムとか、スリムとオーバーサイズとか、いつもはいろいろと問題提起に事欠かない世の中なのに、このような衣装に対するネガティブなコメントや記事をあまり見た覚えがないのも理解しがたいものだった。

結局、世の中、ダブルスタンダードというか、大きい声しか聞こえてこないというか、自分がよければそれでよしというか、芸能の人は非芸能の人と感覚がやっぱり違うのかなという感想。

ちなみに映画祭は、5月13日開幕とのこと。しばらく映画を観てないな。

朝起きると、右手人差し指が痺れている

朝起きると、右手人差し指が痺れている

3日くらい前の起床時に、右手の人指し指が痺れていた。目を覚ます少し前から右手が体の下に入ってしまって、ちょうど痺れていた時に目覚めたのだろうとその時は思った。たまたま寝相が悪かったと。

ところが、昨日も今日も起床時に指がしびれていた。

とりあえず、事象をネット検索するとそのワードでヒットするので、例のあることだとは理解した。
自分がどのパターンなのか、しばらく状況の推移を見守ることとする。

コンクラーベ

コンクラーベ

新しいローマ教皇を決める選挙が 5 月 7 日に始まり、4回の投票の結果、8日に決着したとのことらしい。教皇になるにはいくつかの条件を満たさないといけないようで、また、選挙は密室で行われるとも伝えられている(子どもの頃に聞いた覚えのあるローマ法王って誰の事だっけと思いネット検索すると、1981 年のヨハネ・パウロ二世の来日時にローマ教皇に呼称を統一した由)。

教皇の影響力は、キリスト教世界に限定されているわけではなさそうなので、私は、世界で生きている人びと全員と同じように、完全無欠な部外者というわけでもないが、一方で、世界の多くの人と同様に、私はキリスト教徒ではないので、教皇の決め方に関する発言権は私にはない。

発言権はないのだが、資格や選び方に制限が多いやり方に対して、別件で同じようなことをしたら声高に文句を言う人たちが、不公正だ、開かれていない、前近代的だ、とかの意見を言わないのがよく理解できない。天皇制やジェンダー問題、ダイバーシティ、政教不分離に意見をいう人のコメントが聞こえてこない。自分が当事者ではないから意見を言わないのか、言っているのにメディアが取り上げていないだけなのか判らないが、ニュースを見聞きしても意見を言っているようなことは聞こえてこない。

この差はどこから来ているのか。

結局は、彼・彼女らのいつもの主張が理路整然とした改善要求・提案ではなく、自分が気に入らない単なる文句だからなのだろう。だから、いつもの文句と同じような問題点がある事柄であっても、意見を述べることはないのだろうと推測する。果たして、そういう人たちの意見に耳を傾けて議論する必要があるのだろうかと思ってしまうが、意見は尊重しないといけないとも私は思う。

ところで、今まで興味なかったのだが、カソリックの組織図(?)は下記のようだ。

・教皇/The Pope:全世界のカソリック教徒の精神的指導者
・枢機卿/Cardinal:司教の中から教皇が自由任命、教皇の最高顧問、任期無、教皇選挙権あり
・司教/Bishop:教皇の自由任命、独身制、教区を監督する聖務職、経験・年齢・経験年数問われる
    聖職者の地位は他の司教と同じで権限のみ大きい大司教もいる(Archbishop)
・司祭/Priest:独身制、助祭の中から市況が叙階、神父(⇔プロテスタントの牧師)
・助祭/Deacon:「助」とついているが固有の業務を規定する方向にある由。
    終身助祭で昇叙はできないが妻帯を許可される終身助祭という階級がある。
・信徒

信徒の人にとっては違いが大きいと思うが、乱暴にラベリングするとすれば、
  【カソリック】   ローマ教皇を中心に団結
  【プロテスタント】 聖書を拠り所、教会組織はわりと自由


よく判らないついでにイスラム教について調べてみると、これも信者の方には失礼な乱暴なラベリングかもしれないが、下記のように違いを述べることもできる模様。
  【スンニ派】 コーランやムハンマドの慣行をまとめたハディースが拠り所
        後継者にはコーランやハディースを解釈する権限はない
  【シーア派】 ムハンマドの特別な資質を受け継いだイマームが信仰の拠り所
        現在、隠れているイマームが再臨するまではイスラム法学者が役割を代行

外国暮らしの気分

外国暮らしの気分

東南アジアの国で仕事をしているけれど、ウィークデイは家と会社の往復だけで、ウィークエンドも家事と休息、少しの仕事など家で過ごす時間のほうが長いので、外国暮らしをしている感覚はほとんどない。出社しても日本語を使うことはないし、街でも日本人に会うことはないので、周りは完全に外国なのに外国暮らしを感じることがない。

周りの人と比較すれば、私は海外にいる期間は長い方なので、日本だとか海外だとかという区別をしなくなっているのかもしれないし、本当に自分の生活しかしていないからかもしれない。何かに心を動かされることがあまりない人間だからなのかもしれない。

まあ、その理由はどうでもよくて、本題は外国気分を味わったという話。

今日は、車の中でラジオを聞いた。いつもは自分のデバイスにある音楽とか、YouTube で自分の聞きたいものを選択して聞くのが殆どなのだけど、なにかラジオを聞きたくなる気分になって、実際にラジオを聞いた。日常と違って、自分で選択しない音楽とかニュース番組を聞いていると、突然に外国気分になった。少し前に、次アポまでの時間つぶしがてらに入った普段は行かないスーパーで偶然やら再会やら発見などが重なった日があったときに、いつも同じことをしていてはいけないと思ったのだけど、ラジオもまた、懐かしい曲が突然かかったり、決まりきった生活から一歩離れることができると感じた。

なぜだか、とにかく眠い

なぜだか、とにかく眠い

年齢を重ねると睡眠時間が短くなる話をよく聞くが、そんなことはない、私の場合はとにかく眠いし、ここ 1-2 か月は本当に眠ってしまっている。

日本で働いていたかなりの長い期間では、いつでも眠かった。しかし、それは慢性的な睡眠不足が原因だったと思う。長時間勤務や時差のある国との仕事、また会社から距離のある場所に居住していた長時間通勤のため、朝の出勤は早く、夜の帰宅も遅かった。一番ひどい記憶としては、1対1で打ち合わせしていた際に、自分が案件を口頭で説明しながら意識が飛んだことがある(ほんの一瞬ながら眠りに落ちた)。

自分の適切な睡眠時間を知らないため、睡眠時間が不足しているのか適当なのか判らない。昼間に眠くなることがあれば睡眠不足なのだろうが、その観点でいえば、最近は昼間に睡魔に襲われることはほぼなくなった(それでも、横になったら一瞬で眠りに入れる自信がある)。しかし、帰宅とともに眠くなる。最近は、帰宅後にひと休みと思っていったんソファに身を預けると、もう起き上がることができなくなることが度々起こる。気が付くと夜中の 2 時とかで、それからあらためてベッドで眠ることになる(二度寝して得した気分になる)。ソファで寝落ちしても体は休まっていないだろうということは想像がつくが、それでも結構な時間を睡眠に費やしている。それでも夜は眠い。

眠くなる病気とかってあるのだろうか。まだまだ色々な学びに時間を使いたいし、眠くなるのは困る。

ワークライフバランス:1日のうちの時間の使い方か1年単位の話か?

ワークライフバランス:1日のうちの時間の使い方か1年単位の話か?

前日に続き、ゴールデンウィーク期間中のニュースから感じたことを。

観光地の混雑や、観光地・帰省先への移動中も混雑が発生していたようだ。今年は、お金を使わない、家で過ごすGWだった人が例年より多いという報道もあったけれど、渋滞や混雑は連休中の風物詩。

せっかくの休日を疲れにいくようなものだし、鉄道のように年中価格が同じものばかりでもなく、連休中に出かけることでいつもよりも払うコストが上昇する品目もある。

ここ数年は、ある時間以後の残業を禁じたり、また、パソコンのログ管理で、前日の勤務終了から当日の勤務開始までに一定の時間間隔がない場合は、勤怠管理表に理由を入力しなければならないシステムを使用する企業もある。その意味では、一日の中でのワークライフバランスの意識は以前よりも確実に高まっている(労働時間の実態は別として)。

しかし、休日の混雑などを観ていると、私の意見では一日の中のバランスよりも、もっと連続する有給を取りやすい環境を整えて、一年のうちで働く時と休む時を分けるワークライフバランス、取得する休日を働く人の間で分散するシステムのほうが幸せなのではないかと思うことがある。

子どもも学校を連続して休ませるのかとか、夏季休暇とかでない有給を連続でとるのは私自身も休み明けが心配で気がひけるだろうとか、問題がないわけではないだろうが、こちらも選択できる制度があればよいと思う。人や荷物を運ぶことを仕事とするドライバーなどの職種に対しては、一日の実働時間を管理することが疲労を原因とする事故を最小化するために必要なシステムだと思うけれど、全員に当てはめる必要はないと考える。

中には、混雑の中で出かけることで休日気分を味わえる人もいるかもしれないけれど、空いている休日を実感すればそれは誤解だったことがわかるのではないだろうか。問題はあると思うけれど、選択肢を設けることは悪いことではないと思うけれど、どうだろうか。

交通違反・事故系の YouTube 番組の質が落ちた

交通違反・事故系の YouTube 番組の質が落ちた

日本の連休中は、車・道路関係の報道が増える。渋滞情報や事故などを取り上げるものだ。

今回のゴールデンウィークも同様にいくつかの報道があったが、飲酒運転後の事故についての報道が今年は重なった。事故の重大さで報道で目立ったのか、いつもなら報道しないような事故も、1件発生したので別件もといって重ねて報道したのが理由なのか平年との比較での事故の多寡は判らないけれど、飲酒運転の報道が目立った。

You Tube を観ていると、交通違反や事故の映像を紹介して注意喚起する番組がおすすめに出てくることがある。私は、その種の番組を参考事例として観たことが結構あるのだけれど、撮影者が事故を誘発しているのではないかと思うようなものや、撮影者の車によって後続車の煽り運転が生じ、その経緯は切り取られているのではと疑うような映像が最近は増えてきたように感じているところ。

例えば、本線車道を走行中の撮影者の車が合流地点で急に速度を上げて合流車の邪魔をして、結果、合流車が少しの間、側道を走る映像を示すことでルールを守ってないとか主張する映像や、最近に私が観たものでは、合流しようとした車の後部に撮影車が衝突したものさえあった(事故のリスクを取ってまで映像を投稿したいのか、と疑問に思ったし、あきらかに合流されそうになってから速度を上げていたので、むしろ、投稿映像が自分の原因ですと言っているようなもの)。

最初は啓蒙のつもりでアップしていた人たちが主流だったのに、そういった動画が閲覧されると分かると質の悪いものが増えてくるのは、何も You Tube 動画に限ったことではないけれど、こういう傾向が出だすと望ましくない方向になってツマラナクなる一方だと思うので止めてほしいし、そういう映像のネタのために私個人が巻き込まれるようなことにもなりたくないです。





最初は興味深く見ていた(興味深いという表現は正しくないけれど)
最近は、撮影者が事故を誘発していたり(優先を過度に主張したり)、合流で入らせないためにスピードを上げるなど撮影者自身が迷惑運転をしているなど

エクセル:フラッシュフィル

エクセル:フラッシュフィル

オートフィルを大見出しとすれば、フラッシュフィルはその中の種類の一つで、オートフィルに条件を付与する機能。年月日を例にすれば、オートフィルを実施したのち、その範囲の右下に出てくるオートフィル・オプションを展開して表示されるボックスの中の「週日単位」を選択すると、ウィークデイのみを選んでオートフィルしてくれる。

週日は国によって違うが、コントロールパネルで国・地域を変えることでその国の週日が表示されるようにできるのか、国・地域に加えて使用言語も併せて変更する必要があるかどうかの検証はまだしていない。

オートフィル・オプション展開前


オートフィル・オプション展開後

Skype サービス終了

Skype サービス終了

5月5日で Skype サービスが終了とのこと。なお、Skype for Business は引き続き使用可能の模様。

Skype を頻繁に使用するユーザーではなかったけれど、サービス開始したころは非常に画期的なイベントだったが、その仕組みをよく理解できなかったがあまり、自分が開催する会議で使用することはあまりなく、Skype で開催される何かに参加する、という形が多かったような気がする。

Skype サービスが開始されたころの国際電話はコストが高かった。当時よりも以前のことにはなるけれど、国際電話を掛けるときは超緊急時に限られ、課長に口頭で許可を得なければ電話してはいけないルールの課で働いていた。そんな時代の少しのちに出てきた Skype は、それまでの海外との「会話」の概念を変えてくれた。一方、最初にクレジットなのかデポジットか表現は忘れたけれどプリペイドの課金と無料部分があって(かなり記憶があいまい)、その違いがよく判らなかったので、間違って使って高額請求されたりしたらどうしようとか、新サービスに戸惑った記憶もある。

Skype 登場当時は、買収したての海外の会社に勤務し、潜在的な客先にまず名前と顔を知ってもらうためにサンプル届けるから会ってよ、というスタンスで仕事をしていたこともあって、Skype を使用するという発想はなかったので個人的にはお世話になっていなくても、のちに出てくるさまざまなビデオ電話サービスの浸透度を通じて、社会の中に居る存在の私もお世話になっている。

これからどんな画期的なサービスが登場するのか、将来はいつでも楽しみだ。

音楽はよいなぁ

音楽はよいなぁ

好きな音楽は人それぞれだけど、音楽がよいかどうかという質問をすれば、とても高い割合で音楽はよいなぁという回答が出てくるだろうと思う。

あたらしい音楽、古い歌、何か特定の記憶とリンクした音楽、元気がない時に少し元気になれそうに思える音楽、聴いていて気持ちのよい音楽など、音楽はいいよな。

富める人もそうでない人も、老若男女、国を問わず、人々は音楽のある生活を送ることができる。こんなに公平なこともほかにはない。音楽はいいなあ。


* 上記投稿したあと、念のためという思いでネット検索したところ、音楽を禁じている宗教もある模様。偶像崇拝禁止は聞いたことがあったが、音楽を禁止する宗教があることを初めて知った。音楽も皆が楽しめるものではなかった模様。

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

車は嗜好品。好みは人により千差万別、カッコ好いの定義も人それぞれ。

ゆえに、私の感想に留まる話ではあるけれど、カッコ好い車、自分で乗りたい車が以前に比べて減ってきた。あくまで私の基準による分類。

歩行者保護をはじめとした安全基準によるボディ形状、燃費と空気力学を考えた車体の形、製造コストなど、以前よりもデザイン上の制約が増えているだろうとは想像がつくので、仕方ない部分は理解する。理解はするけど、買いたいと思う車は減った。若いころと比べると、車に出せるお金は多少増えたというのに、買いたいと思う車は減った。

私の場合、車を選ぶうえで大事な点は「見た目」。価格によっては検討すらできないモデルもあるので、もちろん、車体価格は最重要。しかし、燃費はよっぽど悪くない限りは気にしない。装備については種類によって、気にするものとそうでないものが混在しているけれど、装備はよいけど外見が好きでない車よりは、外見がよければ装備は我慢できるところはある。

え、このデザイン?という見た目の車を街中で見ること不思議な気がするが、車が嗜好品であるがゆえに消費者の好みの問題だとは思うけれど、一定の台数を売ろうとする自動車会社のそのモデルの責任者がよく決裁したな、と疑問に思わざるを得ない車もある。自動車の歴史が始まって以来、デザインも出尽くして少しでも似たような見た目にしたら真似しただの言われかねないのも想像できる。だけど、私のように見た目重視の人もまだいるだろうから、もうちょっとデザインに気を配ってみてはどうかと思う。車以外にお金を遣う人が車を買ってくれないという前に、買いたいと思うような車を出してくれないことには売れないよ、と思うこともある。



5月3日の記念日
・憲法記念日:1947 年のこの日に日本国憲法が施行されたことを記念

交通安全 – 本当にやめてほしいこと

交通安全 – 本当にやめてほしいこと

現在働いている国で生活するところ、高い頻度で見かけることで、本当にやめてほしいこと。

・横断歩道のところに駐停車
 特に学校の校門前の横断歩道で駐停車する人が多い。人を危険な目に合わせていると自覚ないのか

・運転席と助手席の間に小さい子供を立たせたまま車を運転している人

・ダッシュボードの上に置物をする人
 助手席エアバッグが展開したら凶器になる

・ライト関連
 - 異様にまぶしいヘッドライト:これ改造?
 - 照らす方向がおかしくて対向車にまぶしいヘッドライト:これも改造としたら目的は何?
 - 照らす方向は正しくても、走行車線と反対側の路肩に停車して、結果、こっち向いてるヘッドライト
 - さらに驚くのは、反対側の路肩を逆走してくる眩しいヘッドライト(眩しい以前に何だこりゃ)
 - ブレーキ時と同じくらい明るいテールランプ:ブレーキ踏んでるのか見分けつかない。設定?バグ?
 - トラックの長さ方向の真ん中くらいにあって、停車中に後ろを照らすライトがまぶしすぎる
 - 街灯に笠がないからなのか、街灯の足元を照らさず四方八方に眩しさをまき散らしている街灯
 - 道端の露店が寄ってほしさアピールなのか、灯りがまぶしすぎて歩行者見えず。客を轢きそう

・ブレーキを踏む理由が何も見当たらない場所でのブレーキ
 直線、対向車なし、そのほかの理由も見当たらないのにブレーキを踏む前走車
・されにいえば、カーブの度にブレーキランプ点灯(山間部ではなく、街中の緩いカーブでの話)
・もっといえば、片側二車線の右側車線からの追い越し時、対象の車の横に並ぶたびブレーキ点灯

・片側二車線の道路(合計4車線の道路で)の交差点で、右側の車線から左折 (または左から右折)
 それが危ないかもしれないと想像しないことがすごい(二車線の左車線は左折専用ではない時の話)

・片側一車線、交差点の前だけ左折車線が追加される道路で左折車線を使わずに左折
 直進者の邪魔をしたいだけ?

・(日本でもあるけれど)ウィンカーを出さない、または遅い(ブレーキ踏んでからウィンカーとか)

そんな運転する父・母をみて育った子供たちが免許を取ったあと、同じような運転をするのだろう。徐々に変わってくるまで、あと何十年かかるのだろうか。



5 月 2 日の記念日
・夏も近づく八十八夜(うるう年は 5 月 1 日が八十八夜)
・緑茶の日:八十八夜にちなむ
・郵便貯金の日:1875 年に郵便貯金業務の開始。制定は 1950 年(郵政省)
・交通広告の日:こう(5)つう(2)の語呂。交通広告以外の交通関係の語呂合わせ記念日ない模様
・歯科医師記念日:歯科医師法の施行(1906年)を記念。制定は 1957 年。

宗教

宗教

自分が信じる宗教に対して厳格な人が多く住む国でも、強盗や殺人など人から何かを奪ったりする個人の犯罪はあるし、信心深いはずの国であっても、軍政をひいて国民を弾圧したりする国がある。

宗教は、本当に人を救っているのだろうか。

もちろん、信じることで救われた人が存在したであろうことは否定はしないけれど、人や国をまとめるのに宗教が好都合だったという過去もあって、むしろそちらの趣旨のほうが強かった期間のほうが長かったんじゃないかと思っていしまう時もある。

政治や宗教の話は争いになるから他人と話すなとよく言うので、私もあまり誰かとこの話をしたことはないが、少し疑問に思うことはある。



5 月 1 日の記念日・出来事
・メーデー/国際労働
・元号が平成から令和に(2019年)
・Gibson Guilar Corporation が 2018 年のこの日に Chapter 11 をファイリング
・1956 年のこの日、新日本窒素水俣工場附属病院が「原因不明の中枢神経疾患多発」と保健所に報告

リビングトラストについて調べてみた件

リビングトラストについて調べてみた件

今月初めに、「銀行口座が凍結されぬようWillを準備 – Journeyman : Blog」ということを書いた。

この記事ののち、実際に遺言の作成・管理などを請け負うサービス会社に相談に行ったのだが、事前情報が全く誤解だったことが分かって、相談に行って本当によかったと思っている。

細かいことは別として、① 遺言作成、② 遺言を作成して管理もお願いする、③ 生前信託といって財産を信託にあらかじめ移しておくことで裁判所が関与する手続きを回避する、以上 3 つの方法で見積もりを取ってみた。万が一がおきてから必要となる費用は、資産額対するパーセンテージで計算されるため、単純化できないが、仮にもしもの時の銀行口座残高が 10 百万円だったとした場合の費用は、おおよそ以下が目安のよう。

私が銀行口座を持っている国では、遺言書を残したとしても相続には裁判所が関与するシステムになっている。この手続きを回避するのが生前信託となるのだが、これを行った場合の銀行口座は、死亡や植物状態、認知症などのトリガーが発動されるまでは、信託しない場合と同様に何ら制限なく使用できると遺言書サービス会社から口頭で説明を受けているが、信託契約書を見るまでは実態は未詳。


日本と法律・制度も違う国で手続きをしなければならないことを考えれば、必ずしも高いとはいえないというのが私の感覚。最悪、いままでの働きを給与として対価で得た資産が理由も判らず口座を保有する国の政府に召し上げらてしまうリスクや、外国人が行わなければならない手続きの煩雑さを考えると、もうちょっと中身について検討するとしても、契約を進めるつもり。



4 月30日の記念日
・年始から 120 日目
・南部解放記念日(ベトナム):1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結
Day of Liberating the South for National Reunification
・図書館記念日:1950 年に図書館法が発布されたことにちなむ。制定は 1971 年。

おじさん社員は使用歴が長く、使用した機種も多いだけにパソコンに詳しい

おじさん社員は使用歴が長く、使用した機種も多いだけにパソコンに詳しい

おじさん・おばさんの IT リテラシーを揶揄するような話はよくある。例としては、定期的に報道が取り上げる国会議員に関係する話などがあるが、私の感覚としては、国会議員の人の働き方として仕方ない部分があるのかもしれないけれど、会社勤めの人でそれに該当する人は、一握りなのではないかと思っている。むしろ、ベテラン社員のほうが若手よりもパソコンには詳しいのではないかと思っている。パソコン・アプリの使いこなしという点では、やはり、若い人の方が長けている人の割合は多いだろうとは思うが、パソコン歴の長さからくる強みとして、パソコンに詳しいのはベテラン社員だと思う。

パソコン一人一台体制に移行する頃には、すでに仕事でパソコンを触ってきた年代が今のおじさんの多数派ではないかと思う。パソコン使用歴が長い分、いろいろなパソコンを使ってきた年代だ。私の場合は、以前に勤務していた会社の場合は、IBM の ThinkPad ばかりではあったが、いくつもの型番を扱った。ThinkPad の場合は、名前は同じでも型番がかわると以前の使い方が通用しないことが結構あった(これは、ThinkPad の型番違いによるものではなくて、Windows のバージョンの違いが使い方に大きく影響を与えたというのが正しい表現かもしれない)。

また、ここ 10 年くらいは IT セキュリティポリシーが厳しくなったものの、それまでは会社貸与パソコンであっても個人で設定を変更可能な範囲が結構広くて、何をしたら何を変えられるかとかの検証をすることができた。さらにいえば、IT 部署の担当者によるリモート接続での設定変更が一般化する前の時代は、レジストリを変更することも含めて、担当者に電話で指示をうけながら自分の手で設定を変更することなどもよくある出来事だった(特に、パソコンを持ち込めない海外駐在時代など。何十年か前までは、私が勤務していた会社では、本社で使っていたパソコンを海外に持ち出す申請が通ることがよくあり、現在のように駐在先でパソコンを用意してもらうようなことがなかったことから、サポートも本社に依頼する必要があった)。

そんな経験の積み重ねでパソコンへの理解が得られたし、同じようなことを感じているおじさん・おばさんも少なくないのではないかと思う。パソコンの場合は壊してしまうと直せないだろうけれど、おもちゃとかであれば、分解したり元に戻したり、二度と戻らなくて後悔したりしながら学んだ人は多いと思う。これは、触れることが学びの近道であることをしめしていると思う。私の場合は、触れることのできないことを身に着けるのは、才能がないと難しい。その点、今はユーザーが自由に会社パソコンの設定を変えることはできないので、パソコン知識が今より深堀できる自信はない。別に深堀する必要はないのでいいのだが、最近はサイバー犯罪も怖いので、私用パソコンを変にいじって、世界の窓をあけてしまうことも躊躇するところ。

おじさんとかおばさん、若い人というような属性で一括りにしたら正しく表せないことは重々承知ではあるが、ベテラン社員が IT に弱いというのも乱暴な表現だと私は思う。



4月29日の記念日
・天皇誕生日 → みどりの日 → 昭和の日