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Category: 感情

ゴルフは紳士のスポーツ

ゴルフは紳士のスポーツ

堅苦しいことを主張するつもりはない。その場がどのような機会なのか、またはどういったメンバーでの機会なのかで紳士のレベルを緩急させてもよいかと個人的には考えている。決して、仲間うちのゴルフが適当でいいわけではないが、正式なコンペほどガチガチにせずに、後ろからくるパーティや進行状況、周りの状況でよい塩梅に対応してよいと思っている。

ただ、それもプレー・マナーが許す範囲内ならばブレさせることもあり、というのが私のスタンス。しかし、ルールを無視してまでも自分を利するようなプレーはマナーに反するし、それをするのを目にすると、一緒に回っている私は興ざめするし、私にも同様にズルしてよいと言われても、その日のスコア自体を否定することになるので、嬉しくも楽しくもないし、誰のボールか確認するのに、私に断りなく私のボールを拾い上げてその辺りに適当に投げ捨てるのもやめてほしい。私はあまりゴルフをしないので、これまでに私が一緒にプレーした数少ない人たちをサンプルにすれば、日本人には個人的ルールを適用させる人はあまりいないし、いわるゆ西洋の人も同様なのだが、アジアの人にはフレキシブルな人が多かった。もちろん、国民性を単純化して正しく表現はできないけれど、ゴルフを楽しむにはやはりルールやマナーを守れる人と回るということも大事な側面の一つだと思う。

ロシアン・ティー

ロシアン・ティー

飲み物の分野でいえば、私は完全にコーヒー党。普段は、水を除けばコーヒー以外の飲み物は、よっぽどのことがない限り選択肢に上がってこない。ところが、先日に突然、たまには紅茶を飲んでみようという気分になった。何かで見たとか読んで影響を受けたわけではなく、本当に何の前触れもなく紅茶が頭に浮かんだ。

コーヒー党ゆえに家に紅茶の在庫はいので、即日実行とはいかずに、まずはスーパーで紅茶を買う必要があった。美味しい紅茶の方が長続きすると思って名前を知っているところの紅茶の葉を買うことも考えたが、最後まで使い切れるかどうかの自信がないため、割と安めのものをまずは試してみることにした。

スーパーの紅茶売り場に立っていると、例の突然のひらめきでロシアン・ティが降って湧いてきた。こちらはゼロから出てきたわけではなくて、30年以上前に当時の知り合いと喫茶店に行ったときに、一緒にいた人が注文したのがロシアン・ティだった(ゼロからではないが30年以上前の記憶からだった)。そう思い始めると、ロシアン・ティにあう茶葉ってなんだろうとスマホで検索したのだが、ジャムは溶かすものではなくて、紅茶をのみながら舐めるものだという説明に目が入った。ロシアンティを初めて知ったあの日から30年以上、ジャムは溶かすものとばかり思っていたので、目から鱗が落ちた瞬間だった。そうすると、この飲み方に関するほかの情報も知りたくなって調べを進めると、ロシアのお茶文化といった一般名詞としてのロシアン・ティを除くと、アメリカ発祥のロシアン・ティはジャムとは無関係だとかいろいろ出てきて、今日も探求心から眠れなそうだ。

自分のことを喋るのは気分が良くなる

自分のことを喋るのは気分が良くなる

観ていたYou Tubeの番組の中で、良い質問をする人がよい聞き手ではなくて、相手に多くの話をさせる人がよい聞き手という定義を持っている人がいた。その人曰く、人は自分のことを喋ると気分がよくなるから相手に多くを語らせるとよい、ということだった。

たしかにそうだな、と思った。よい聞き手の定義のうちの一つとなるのに十分だと私は思った。

私にとっては初耳だったが、このことが広く一般に知られていることか気になったのでネット検索してみると、キーワードのあいまいさでヒットした関係ないことや、ネガティブな感情を口に出すと苦痛が緩和されるようなことは書いてあった(後者のことは、カタルシス効果と呼ぶようだ。テレビ・ドラマ「ブラッシュアップライフ」で登場人物が言っていたが、ドラマを見たときは、正直に言ってカタルシスの意味が分からなったし調べもしなかった)。

自分のことを喋ることで考えに整理がついて、整理がつくとすっきりして、すっきりすると気分がよくなることはあると思う。それが、「自分のことを喋る」ことが「気分がよくなる」と直結させて言ってよいかどうかは実際のところ判らないが、気分がよくなる話であれば誰にも不満はないだろう。

普段と違うことをやってみたら…

普段と違うことをやってみたら…

昨夜、取引先と食事をした。会食ではなく、先方の会社の社内イベントに同席させていただいた。その会社は、私が勤務する会社の近くに工場があるものの、本社アドミは車で数時間の場所にあり、私を招待してくれた人もそのアドミ事務所勤務。そのお方が工場に来るときは、だいたい食事に誘ってくれて、時には先方社員の食事会に私一人、部外者で参加することもある。昨夜はそのパターンでもう少し大規模の会社イベントに同席させていただいた。

会場は、私が住む町ではあるものの、普段はあまり行かないエリアにあるホテルだった。早く着きすぎたら、丁度、用事もあるんのでスーパーへ行って時間調整しようと思い、いつも以上に余裕をもって会社を出発。
結局、だいぶと早くついたので、いざ買い物へ。
いつもは行かないスーパーなので、何がどこにあるか判らず何度も同じ場所をぐるぐる・うろうろしていると、私に声をかける人が。名前を呼ばれたので会社の人だろうとは思ったのだが、よく聞くと私の勤務先にインターンとして7-8年前に働いていたとのこと。私は名前と顔を覚えるのが苦手であることに加えて、私の勤務する製造業の会社の従業員は数百人レベルとあって、よくあるように昨晩も申し訳なく感じつつも、お互いに近況を少々報告しあって会話を楽しんだとともに、声をかけてくれたことが非常に嬉しかった。同時に、外国人は目立つから、悪いことはしちゃいけないなと再確認した(普段から悪いことはしていない)。

再会と買い物を終えてスーパーを出ると、横にドラッグストアがあった。私がこの町にきて暫くたった頃にふと入ったスーパーで見つけた、とても泡々なボディーソープが気に入ったのだが、そのスーパーは数か月前に閉店してしまい、その後はどこを探してもそのボディーソープを扱っている店に出会うことができなかったが、なんと、たまたま入ったドラッグストアにその商品がおいてあった。ああ、来てよかったとつくづく思った。

弁護士の人は、日々の生活の中で下さなければならない決定や選択に脳みそを浪費しないよう、生活をパターン化させている人が多いと聞いたことがある。私は弁護士でもなければ脳みその浪費を回避しようとしているわけでもないが、パターン化した生活という意味では似ている。時にこれでは味気ないと思いつつも、仕事で疲弊しているのも事実で、こうなってしまう。しかし、昨晩のようなことがあると、たまには普段と違うことをするのもいいことがあるなと思うのだが、それがまたジレンマを生み、いつも通りにすべきか違うことをすべきかで心をすり減らしてしまうのだ。解決しない。