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意見の相違、好みの相違

意見の相違、好みの相違

ワールド・ベースボール・クラシックを独占配信するネットフリックスの日本のコンテンツ部門トップの人のインタビュー記事を読んだ。そして、いつものようにコメ欄の書き込みをみにいった(私は、ニュース記事よりコメ欄のほうにより興味がある頻度が低くない)。

コメントの中に私の考えと反対の人のものがあった。
ああ、そういう見方の人がやっぱりいて、それが大多数だからこそ、私好みのものが実現されないんだ、と思った。

それは、ネットフリックスの映像についてコメントした人のものだった。その人は、カメラの打球の追い方とかホームランへのピント合わせの速さとか、日本のテレビ局のスタッフの方が上手いという考えだった。

私は、以前にもここで書いたのだけれど、ホームランボールをカメラが追うのはカメラマンが腕の見せ所と思っているだけで、私は打球のアップよりもグラウンド全体を観たいと思っている。そして、その意見は少数派ではないのでは、という希望的観測を持っている。私は、走者の動きや打たれた投手の反応・しぐさ、野手が打球を追う姿や逆に打った瞬間にホームランと判る打球で外野手が一歩も動けない姿などを、打球の動きと同じ画面に入り込んだところで観たいと思っている(最近は海外にいるので野球中継を見ることができないが、以前はごくまれにベンチ横くらいの位置からの目線の低いカメラ映像があったと思う)。また、ホームラン打球の話をすれば、打球がスタンドに着弾した瞬間をカメラマンが予測できないので、着弾すると打球を追っていた惰性でカメラが流れる。それと、これが一番の希望なのだけれど、クロスプレーで走者を追わないでほしい。走者を追うから、リクエスト(WBCだとチャレンジ?)プレーのリプレー映像がぼやけて見えない。ああいう時こそ、カメラは固定がよい。視聴者(私だけかも)と放送局で意見に相違があるように思える。

まあ、ネットフリックスの中継は、日本テレビが制作を受託しているという記事があったので、そんなに普段の中継時のカメラワークと変わりないのではないかと思うけれど、絵コンテのような感じでネットフリックスから日本テレビにどういう角度で映像を見せるかなどの指示があるのかもしれない。

不意に日本の中継がよいという人の意見に触れて、私が少数派なのだと再認識してしまった今日。



男子校・女子高

男子校・女子高

女子高出身の芸能人数名が出演する番組をみた。私は地方の公立男子校出身者なので、同じ市の女子高あるあるを通じて聞いたことがあるような特徴もあれば、あーそーなんだ、という初耳トピックスがたくさんあって結構面白かった。

場を盛り上げるためだろうけど、女子高に幻想を抱いている人という役割を演じる人がいるけれど、はたして、実際のところ、幻想を抱いている人はどれくらいいるのだろうか。まず、いないのでは。

男子校だったから何となく想像がついている気がする。

男子校は気楽だった。体育でプールだったあとの授業はプール着のまま受けられる、それから、あれ、男子校っぽいのはそれだけかも。学生服はズボンだけ履いていれば上は Tシャツでもよかったとかは男子校だけに当てはまることではないし。私が過ごした高校はとても自由というかラフというのか、校則はあったのだろうけども気にしたことがない感じ。現代の都会にいると、私立高校=自由な校風、というイメージだと思うけれど、私立があまりなかった田舎で育った私にとっては、公立高校こそが自由。

まあ、メリットがある分だけデメリットも結構多かったのだけれど、3年間限定だから過ごせたともいえるし、多感な15歳からの3年間にはつらかった期間だったとも言える。それが事実だから受け入れるし、あの時の私が現在の私を作っているのでもう否定のしようがない。そんな表現をするとネガティブっぽくなるけど、そんなことはなくポジティブな記憶。しかし、たぶん、私が通った高校にいったから良い思い出になったのではなく、どこの学校にいってもきっと同じことを思っているのではないだろうかとも思う。

いままでやってきたことが現在の私を作っている。
これから私がやることが、将来の私を作ることになる。

外国人の髪型

外国人の髪型

家の壁にかけてある家族写真や写真館でとってもらったと思われる個人の写真でもいいし、映画でもなんでもよいが、外国の人にマネのできない髪型をよくみる。どうやって整えると、あのような髪型になるのだろう。昔の日本のおじさんがやると「七三分け」と言われそうな髪型でも、外国人だと分け目が斜めに入って地肌も見えなくて、分けてる感が少ない。

長年の疑問だった。

しかし、解決に近づいたと思われる瞬間がついに来た。

乗り物に乗っていた時のこと。乗客全員が同じ方を向いて座る形式の乗り物。飛行機ではないけれど、飛行機のような座り方の乗り物。私の前の席には外国人。背が高いのだろう、背もたれから頭が出ている。なんとなく前の人の後頭部を見ていると、つむじの場所が見慣れた場所にないことに気付いた。現状はサンプルー=1であるのだけれど、きっとつむじの場所と髪の流れ方、分け目の見た目には相関関係があるはずだ。

今後、外国人の後頭部を見る機会があれば着目してみたい。


外免切替 ー 厳格化後の合格率低下

外免切替 ー 厳格化後の合格率低下

合格率が低下したことを報じるニュース記事を目にした。事故を起こすのは外国人もいれば日本人もいる。飛び込みで受験する人もいるだろうけども、日本人の場合は、基本的に教習所に通ってから免許を取得するケースがほとんどであろうから、一応、ルールを学んだ実績はあるはず。よって、ルールを知っているにも関わらず、それから逸脱する運転をして事故を起こすのだろうと想像する。一方、外国人の場合は、無謀な運転・身勝手な運転に起因する事故と、ルール無知により起きてしまった事故のどちらが多いのだろうか。取得要件や試験レベルを厳しくすることが事故減少につながると思うので、引き続き、そうしてもらいたいというのが私の意見。

私はいくつかの国で仕事をするために居住したことがあるが、国際免許で運転していた国が1例、現地免許保有が2例、現地免許もどきを保有していたのが1例、駐在元の会社から運転を禁じられていた国が1例というところ。国際免許だったのは初めての任地で、基本は、居住国の免許を取るべきだと思っている。万一事故を起こした時の警察側の対応は、国際免許と地元免許では変わるかもしれないし、自動車保険の付保についても、国際免許の場合は不利に扱われるかもしれない。

現地免許2例は、ともに日本の免許との交換により取得した。日本の免許の翻訳を準備したりは必要ながら、基本的には無試験で交換。厳格化する前の日本の外免切替では、通常の免許試験の問題レベルより易しいとはいえ試験があったと聞くが、私の2例(2か国)では試験は求められなかったので、私のケースのほうが罪つくりかもしれない。とはいえ、日本のマナーを考えながらも現地のルールにのっとった運転をしているので事故は起こしたことがない(日本のマナーは、外国では迷惑であったり危険であったりするものがあるので、大丈夫そうなマナーしか使わない)。

ちなみに、コロナ当時にしばらく帰国できないうちに免許が失効したことがあった。免許の有効期限が到来したのはコロナ直後というわけではなかったものの、それでも駐在地からの出国も日本の帰国も両方向で手続きがまだまだ大変だった頃で、やっと帰国できたのは免許が失効してから6か月以上が経過してしまっていた。ただし、やむを得ない理由(私の場合は海外勤務とコロナの出入国制限)があれば、有効期間が過ぎてから6か月を超えて3年以内の場合且つ、やむを得ない理由がやんだ日(私の場合は帰国日)から1か月以内であれば、技能試験と学科試験の免許で免許を取得(更新ではない)できる措置が提供されていて、私はその恩恵にあずかったことがある。

話をもとに戻すと、ルールを知らない外国人の事故を減らすことが厳格化の目的の一つとは理解するが、これにより、外国が日本人に求める外免切替の条件がどうなるかについては気になるところ。代表的な例ではビザ・査証になると思うが、外国人の取扱いは双方向で同じ対処になると理解している。一方がビザを要求するのに、相手方がビザを要求しないということは多分ないと理解している(調べたわけではない)。そうなると、免許に関しても単純切替から試験を経ての交付へと変更するといった公平な扱いになったりするのか気になるところ。免許の場合は「自国民と外国人」という分け方で、日本人のみに適用するルールとかパスポートで分けるような非効率なことをするとは思えないので、すぐにどうこうという問題ではないかと推測する。

ただ、そういうことへの心の準備をしておく必要があるかもしれない。それはそれで大変だが、日本で外国人が関与する交通事故の抑止になるのであれば、それは受け入れるしかないと思っている。

コンビニで働くことはマルチタスク

コンビニで働くことはマルチタスク

私が暮らす東南アジアの国にもコンビニがある。日本のそれと比較しても仕方ないことは明らかだけれど、ここで暮らしていると、日本のコンビニで働く人々がいかにマルチタスクなことをしているかということを深く感じる。

日本のコンビニのような動きを知らない国の人に、手際の良さを求めても仕方ない。参考にすべきサンプルがないのだから。だから、マルチタスクを求めはしない。しかし、最近に当地のコンビニでも増えてきた店員がショーケースから取り出す総菜系の商品の注文・支払いと、客が棚から持ってきてレジをする商品の列を分けたほうがよいとは思う。「注文の人はこちら」のように列を分ける意思のある表示はあるのだけれど、実際は1台のレジしか稼働していない。複数の人が1台のレジに対応している。これもやはり、どう動くかのサンプルがないため、最適なやり方を知らないだけだと想像はするが、何が起きているかと言えば、共通のレジを使用するスタイルになってしまっているのが事実。だから、運・不運でレジに待つか・待たないかが決まることがある。「だから日本人は」「そんなの判ってるのだから、それが不満なやつはコンビニに行くな」とか言われそうだけど言わせてほしい。もっといいやり方があるのだから。昨日より今日、今日より素晴らしい(便利な・効率のよい)明日のために。

サンプルを知らない人に動いてもらうために、運営会社の人には、映像マニュアルを導入して動き方をビジュアルに訴えて啓蒙したり、また、決められたことを各店舗がしっかりやるように指導していただけると嬉しい。

さばくことしか考えていない

さばくことしか考えていない

東南アジアあるあるだと思う。もしかしたら、東南アジアに限らない海外一般あるあるかもしれないけれど、より東南アジアで顕著なような気がしていることがある。

何か受付をしてもらう場合に、相手の受付の人はさばくことしか考えていないんじゃないかと思うことがよくある。こちらはこちらで、あまり慣れていないケース、例えば病院の受付などといった経験値の少ないことをする場合、東南アジアの一般的パターンを知らないので、私の心配が余計なことなのか、あるいは受付よりも後工程で説明すべきことがらなのか判断つかないことはある。しかし、私が現地のしきたりを知らないにしても、これは普通のケースとはちょっと違うだろうということが分かる場合もある。補足説明したほうが丁寧なんじゃないかと。そんなときは、少し多めに背景説明をしようとするのだけれど、それを聞いてくれずにさばかれることがある。

たしかに余計なお世話だったな、と結果論から理解するときもあるのだけれど、だから言ったでしょ、のケースも結構多い。日本でそれないの?と言われればそんなことはないのだけれど、東南アジアではよくある(と、私は感じている)。

まあ、仕方ないけど。きっと給料の範囲内での業務をしようとするとそうなるのだろう。ある意味、当たり前のこと、というか、まったくもって当たり前か。

可能性は言及無用、惑わせるだけ

可能性は言及無用、惑わせるだけ

ぎりぎりまで予定が確定しないことはよくある。私の場合では、プライベートの予定よりも業務上の場合の方がその頻度は高い。相手側の都合でそうなるケースと、自社(自分)の理由でその選択をする場合とがある。

こちら側の当事者が自分のみの場合は、予定が決まらないことに何ら感情はない。自分も予定を決められないことがあるから、相手が決められないのは理解できる。しかし、自分側、たとえば自社に訪問者を迎える場合で、自分が先方とのアポ取りをする時において予定がなかなか決まらない場合には、「こんな可能性と代替案でこんなのがあるかもしれないけれどまだ未定」という言い方をしてしまうことがある。よかれと思ってやってしまう。日本だとこれで不満ができることは割とないと私は思っている。しかし、これは、海外ではやらない方がよいリストに入っていると私は感じている。状況や業務上の役割や立場によって違うかもしれないが、外国の人は、確定したものだけ言ってくれればそれでよい、途中経過はどうでもよい、という人が多いような気がしている。あるいは、可能性なのにそれを確定情報のように扱って、段取りを決めていってしまう人もいる(予定が別の選択肢で確定することで、進めていた段取りのやり直しになって逆恨みされることもある)。

可能性は言及無用、これが私が外国で思うこと(相手の性格や考え方を知ったうえで相手に合わせる場合はあるけれど)。

17 日とかいて「じゅうなのか」と読むか

17 日とかいて「じゅうなのか」と読むか

ネットで視聴できるテレビ局のニュース番組があったので見ていた。いわゆるキー局の経済ニュース番組。

アナウンサーの人が、「じゅうなのか」というのを聞いて違和感があった。その使われ方が「〇月17日」だったのか「17日間」だったのか忘れてしまったけれど、違和感を感じたのは間違いない。

「じゅうなのか」という読みがあるのかないのか帰宅後にネットで調べてみた。方言や年齢の高い人が使うことがある、というような情報にはヒットしたけれど、なにか、適当さを感じた。使う・使わないと正しい・正しくないは違うけれど、「じゅうなのか」という人もいるという程度で、その確率も100万人に一人くらいのイメージをネット検索からは感じた。

パソコンで変換できるかどうかためしてみたけれど、「じゅうなのか」は「17日」に変換されなかったから正しくない可能性が高そうだ。あくまで可能性の話だけれど、もしも本当にこの読みがあるとしても、テレビ局のアナウンサーは一般的に通用している読みや言葉を使ったほうがよいのではないかと思った。

高度経済成長の体験

高度経済成長の体験

今の場所に暮らし始めて結構な月日が経った今では、設営関係の買い物をすることがなくなったため、その類の店に用事ができることがほぼなくなった。買い物と言えばスーパーに食材を買いに行くくらい。行きつけのスーパーは何店かあって用途によって場所を変えることはあっても、ほぼほぼルーティン化してしまっている。

そんな中、貯まったマイレージの有効期限が近いことが分かった。通常は、日本の航空会社のマイレージをためているのだけれど、いつの間にか無意識のうちに貯まっていた居住国のナショナル・フラッグの航空会社のものが期限切れすることが分かった。期限が切れる前に分かったのは、虫の知らせということだろうか。ありがとう。今まで、どれだけのマイレージが自動失効していたのだろうか。

今回、マイレージの使い道について初めて調べたところ、店のクーポンに変えることくらいしか私の場合にはつかえなさそうなことが分かった。都会に住んでいればレストラン・クーポンとかが魅力的だったけれど、都会から離れた町にもあるのは物品のチェイン店で、その航空会社のマイレージで使えそうなチェイン店レストランはない。

結果、物品店のクーポンに換え、その店があるモールに久々に行った。

しばらく行かないうちの進化がすばらしかった。驚いたし、よくやったという感想をもった。
日本の高度経済成長は、それこそ何もない状況からの成長だから今の東南アジアの状況とは比較にはならないと思うけれど、なんとなく、町の成長を間近に見ながら生活しているのが何となく喜ばしい感触がある。

衆議院選挙の結果

衆議院選挙の結果

今回の選挙結果を受けて、政権交代が可能なしっかりした野党誕生のきっかけになってほしいと考えている。時間はかかるかもしれない。しかし、今までの野党ではなくて、日本のことを考え、日本にとってよいと思われる政策を考えて実行する能力をもつ党が野党として期待されていることを今回の結果が表しているのではないだろうか。

考え方が党内である程度ばらけていそうな自民党が割れ、政権運営の経験値ある議員で構成される野党を作ったりするのがよいのではないかと思ったりする。

失われた XX年の原因を政治だという人もいるけれど、私は日本人の性質によるものの方がもっと大きいと思っている。それは、日本人の個人個人はもちろん、個人があつまる日本企業の考え方や姿勢などの影響が大きいと思っている(過剰な内部留保や労働条件、イノベーション、大手企業のサラリーマン経営者が守りたいもの、文句を言うが選挙にいかないとか)。私は政治と金の問題には甘い方だとの自覚があってあまり献金を規制する必要はないとの考えにあるのだけれど、しかし、献金をする企業に寄り添い、その意見を聞きすぎることで国や国民のためになっていないことが多いように思う。失われたXX年をつくったのは、多かれ少なかれ日本人全員がそれに関わってきたと思っている。

今回の選挙結果で、何かがよい方向へ変わってゆくことを期待している。時間はかかるだろうけれど、ああ、あの時に潮目が変わったのかもと思える日がくるのが楽しみ。

お金の使い方 – 日本企業 vs 外国企業

お金の使い方 – 日本企業 vs 外国企業

日本企業と外国企業という分け方は乱暴すぎる。でも、ちょっと単純化してみたいので、乱暴さは許容してほしいところ。

最近、会社の会議室に超大型ディスプレイが導入された。非常に画像が鮮やかで解像度も大きいし、会議室を暗くしなくても画面がよく見える。

もともと会議室には天井据え付けタイプのプロジェクタがあった。今もある。無線も優先も使える。部屋は暗くしないといけないけれど、複数拠点をつなぐTeams会議であれば自分のパソコンを持ち込んでその画面を見ているので、会議室のプロジェクタをずっと見ているわけではないので、特に不具合はない(暗くするのはノートをとる時に少しだけ不具合だけれど、スクリーンに近い照明を消して、自分の手元は暗くする必要はない)。

日本の会社と乱暴な言い方をすれば、日本企業は使えるものがあるうちは、もっときれいなディスプレイがあっても買い替えすることはないだろう。それは、企業のみならず、個人ベースも似たようなものだと思う。もったいない精神に似たようなところだと思う。

再度、乱暴な言い方をすると、外国の会社はお金の使い方がダイナミックというのが私の認識。

どっちが良いとか悪いとかではないが、日本のような感覚だと経済の低成長は仕方ないことなのではないかと思う。失われた30年は、政治家や官僚だけに非があっただけではなくて、日本人の精神として避けられなかったことなんじゃなかと思う。製品寿命を長くし、そうすると新しいテクノロジーを試す機会を逃すことにもなり、買い替えもできないから企業も商売で潤わず、サラリーマン社長は内部留保に必死になる。そんなことではないかと私は思う。良い悪いではなく、単純な「違い」。

30年はあまりにも長かったけれど、いつか、外国が大変なのに日本が潤うような時が来ないとも限らない。全世界でハッピーなのが一番よいのは間違いないが、特殊な日本だけが世界と同調せずに潤う時代が来るかもしれない。日本人の良さも悪さも抱えながら、状況が上向くようにもがきたい。

痛みはやる気をなくさせる

痛みはやる気をなくさせる

少し前に、体のどこかが絶えず調子悪いと書いた。希望的観測も多少は入るが、おそらく、年齢からくるものが直接的な原因ではなく、ちょっとした注意不足とか寝不足に起因する出来事とかだと思う。その証拠に、何かで傷めたりするけれど、時間がたてばそれは治るからだ。年齢からくるものだと、一度傷めたものはずっとくすぶり続けたり、一か所がコンスタントに痛むという表れ方をするだろうけども、私の場合は、絶え間ないのだけれど短期的にどこか痛い場所を変えながら続いている。だから、年齢からくるものではないと思っている。

とはいえ、痛みはやる気をなくさせるのに十分だ。寝ていていも痛いものもあれば、何か特定のことが痛みを感じさせるものもあるのだけれど、痛いと何もやる気がおきない。寒いとか暑いとか、空腹だとか眠気とか、それらに比べると痛みはやる気を奪うのに長けているし、解決すると思って取る策が必ずしも有効であるとは限らないが多い。

痛みに弱いという認識を私は持っている。いろいろと耐えられる方の人間だとは思っているけれど、まわりの人と比較して、痛みには弱いのではないかと疑っている。だから痛いのは勘弁してもらいたい。これから病気になることもあるかもしれないが、ぜひ、痛い病気は勘弁してほしい。もしも痛む病気になってしまったら、痛みを取ることを優先して欲しいと思っているが、いざ、そういう状況になるまでは確定依頼はできない。

在庫リスクに対処して減損と株価下落

在庫リスクに対処して減損と株価下落

マスク輸入が滞ったコロナの頃から経済安全保障が一般的にも話題になり始め、ここ数か月は耳にしない日が無いくらいにまでなった印象。レアメタルやレアアースといった鉱物資源系では、在庫切れで生産活動が止まった企業が報じられた記憶もあたらしい。

私は、国際会計基準に対して思うことがある。ルールの統一だったり、その結果として異なる国の企業同士を比較しやすくして投資検討の参考にするとか、その時その時の財務状態をあぶりだすことを期待してのことだとは理解しているが、金融を事業として行う企業以外には迷惑この上ないとずっと思ってきた。

たとえば、最近にみた経済安保関連の記事では、特定国からの輸入に頼る原料はそれなりに在庫している、とある会社の社長がコメントしていた。この会社は、事業継続のリスク認識と対処を行い、その内容や運用は別として、長期取引が検討かぬなサプライヤーとして信頼してよい企業だと私は思った。しかし、在庫をそれなりに持つということは商品市況変動のなかで評価損を出す可能性もあるわけで、それを時価評価することで株価が下がったりすることもあるだろう。原料リスクに対処することが信用リスクや資金調達リスクになるかもしれない。在庫をもたない企業にも事業継続リスクによる株価低下がありえるから、それでも平等・公正にでの企業にも評価がなされるという人がいるかもしれないが、在庫をもっていないリスクまで決算書から読み取ろうとする一般投資家はあまりないのではないか。

在庫評価が回復可能だとか企業側も説明に手を尽くすだろうが、基本、監査側は意地がよいとは思えず、彼ら独自の価値観で否認してくることもあるだろう。

リスクに対処すると別の不具合が生じるというのは厳しい。このことだけではないのだけれど、何かの手当を国際会計基準はしてくれないだろうか。

事務所が寒い

事務所が寒い

東南アジアがそうだと理解してはいるものの、我慢できないほどに寒い時がある。
日本にいる時は私は暑がりだった。就職して初めてクーラーに出会った私としては、冷房は非常にありがたいデバイスであり、電気代を気にしなくてよいくらいの大富豪であれば、24時間つけっぱなしにしておきたいくらいだった。

東南アジアにきてから、クーラーが苦痛に感じる場面が結構ある。なぜなのか。

今まで気付かなかったけれど、ローカルの同僚も様々な出身国からの同僚も、汗をかかない人が多いようだ。だから、体温調整が苦手で熱が体にこもるのでガンガン冷房をたいているのかなあというように思うようになった。

それが正解かどうかは判らないけれど、そう思うようになってから、彼・彼女たちの気持ちを判ってあげられそうになった。

名刺には登記上の会社名を記載して欲しい

名刺には登記上の会社名を記載して欲しい

名刺から取引先のデータを読み取ってデータベースを作る機会があった。名刺には、会社名は登記の通りに記載して欲しいとあらためて思った。取引先の登録をするときなどにも、同じことを感じるのだけれど、今回は登録しようとする会社の数が多いので、史上最大の強度でそれを思った。

Inc. なのか Co.,Ltd. なのか、Corporation なのか。情報量の少ないデザイン性を重要視した名刺に耐性がなくなくこともあるのだけれど、私が名詞に最強に望むことは正式名を記載してほしいということ。会社名の変更で、創業時の商号からブランド名を社名に使う例が結構あるが、このような場合は特に会社形態を表すものをあえて記載しない名刺が多いように感じている。

是非、会社名は正しく記載してほしい。特に同じブランド名を商号に使うグループ会社がたくさん存在する場合は、自社の取引先がどれかすぐに判別できるように正式名の記載をお願いす。

オバマ(元)大統領の英語

オバマ(元)大統領の英語

オバマ氏が大統領に当選後か、もしかしたら就任してすぐの頃かもしれないが、オバマのスピーチを使った英語学習が流行っていたという記憶がある。今思えば、日本はマスコミも教材提供会社も、米・民主党推しだったのかもしれない(今も?)。

でも、当時から私にはオバマ氏の英語の何がよいのか理解が難しかった。今の時代は、持って生まれたものについて批評するのはよくないことは理解しているが(ルッキズムと言われる見た目など、当人の努力でどうしようもないことには触れてはいけない時代)、オバマ氏のスピーチは声がはっきりしていないように私には思えていて、教材としてはどうなんだろうと感じていた。当時と今では比較できないけれど、オバマ元大統領よりもトランプ現大統領の方が聞き取りやすい声やイントネーション、抑揚だと私は思っている。もちろん、人生でどんな英語を聞いてきていたかで、聞き取りやすいかどうかの判定基準は各人で異なるのは理解の上で(私は日本人なので、米・共和党の支持者ではない、念のため)。

私の物差しでみた場合、世論が意図して作られていた時代があるんだなあと思う。

運転マナーが合わない国だと出不精になる

運転マナーが合わない国だと出不精になる

私は現在、東南アジアの国に暮らして働いている。今いる国の交通事情は、私には合わないと感じている。車の運転の仕方やバイクの交通ルール順守の度合いや、少し前まで走っていた車から車外に出てきて運転者・同乗者のふるまいなど。

お国柄や個人個人の交通安全や運転への考え方の違いなどで仕方ないことだと判っているので、イライラすることはあってもその問題が解消する日が近いうちに来るとは思っていない(本当は、個人の考えはお国柄に大きく影響されると思っている。だって、親の運転をみて子どもは育ってきているから、変化が必要だとする相当強い意志がない限り、どうしても、その国特有のローカルルールとかがこども世代に引き継がれてゆく)。。だから、私は多くの人々が道路上に出てくる前にと企図して出勤は早く家を出るし、仕事以外では必要性が非常に高くない限りは外出しないか、朝いちばんにしか出かけないようにしている。外に出れば渋滞に巻き込まれるし、本来は回避できそうなものなのに回避されない事柄に巻き込まれる。だから、この国では私は非常に出不精になる。その結果、インドアでできることに時間を使う傾向が増えた。何が良いとか悪いとかではなく、理由があって何かがおこる、ということと感じている。

学習塾の倒産が過去最多だった 2025年

学習塾の倒産が過去最多だった 2025年

高校生当時の補習について、特に結論もなく、つらつらと前日に書いた。そうしたら、学習塾の倒産が2025年に過去最多になった、という記事が目に入ってきた。記事を読むと、この件数は負債金額で足切りしたものみたい。小規模倒産とか入れると統計が収拾つかなくなるだろうから、統計に足切りを設定するのは仕方ないでしょう。

記事を書いた人によれば、物価高と授業料の値上げ難に苦しんだとのこと。タイパ重視の大学生の講師が負担の大きな塾講師を敬遠する動きが目立って、人件費や求人費が高騰したという一面もあったらしい。大学生を雇う塾は町の小さな塾だと勝手に想像していのだけれど、どうやらそうでもないということか。

私がよく判らなくて、記事を見ても解決しなかったのは、塾は優秀者がさらに成績を伸ばすために通うものか、追い付くためにゆくためのものか、というところ。私が子どもの頃は地方ということもあって、塾はほぼなかった。その後、塾は補習的に行く場所という認識を多少持つようになった。今は、どうなのだろうか。

東大を目指す人が多い塾の存在は知っている。そういった塾は、さらなる高みを目指す場所であり、また、特定の学校の入試を突破するための傾向をつかむ・テクニックを積むための場所と理解している。でも、塾に通わずに東大に入るひともたくさんいると思うし、塾の目的はなんだろう。(まあ、十人十色なので、定義づけ自体が無意味なのだけれど)。私は塾通いをしたことがないので、月謝を通じた経済貢献には無縁で申し訳ない気持ち。

私は、この件でも大好物の投稿コメントが非常に参考になった。AI 学習が普及すると、経済格差と教育格差の相関が薄くなるかもという意見の人がいたり、真っ向から異なる意見の人もいたり。それは、私の未解決課題であるなぜ塾に行くのか、ということにも大きく関係すると思う。やる人はやる、やらない人はやらない。でも、人それぞれに合う・合わないがあるので、AI なら続く人がいてもおかしくない気はする。私は割と気合勝負だけれど、いろいろ試してみて合うのを見つけられたら、これまでの価値観をつくがえされて、よいことが起きるかもしれないと思ったのが、この記事からの takeaway。

三碧木星の2026年運勢は悪くないみたい

三碧木星の2026年運勢は悪くないみたい

私は、自分にとって良い占いならば信じる。うさんくさいのは対象に入ってこないけれど、占いの種類が私の信じる度合いに影響を及ぼすことはない。どう占われているかによってのみ、私の態度は変わる。つまり、良い話には信じたい気持ちが生じるけれど、悪い占いは忘れてしまうようにする。

その意味では、三碧木星の2026年の運勢は悪くないみたいのなので、占いに書いてあることを頭の片隅において過ごしてみようと思っている。ネットにあって無料で手に入る占いで、しかも、世界に何十億と存在する人々をたった9区分に分けただけの占いなので当たっている確率がどうなのかは疑問ではあるが、良い占いを信じない理由にはならない。

占いが興味深かったのでもう少し三碧木星のことを調べてみたら、ソウルカラーはターコイズらしい。ソウルカラーという言葉も初めて知ったし、ターコイズが三碧木星の色というのも今まで知らなかった。ターコイズのものを買いたくなった。霊感商法ではないけれど、これはまずい。調べるのは、ここでやめよう。そうでないと、散財してしまいそう。だめだ、だめだ。

2026年に達成したいこと

2026年に達成したいこと

元日なので、ありきたりではあるけれど、今年に達成したいことを記しておいて年末にはレビューできるようにしておく。

・旧い友人と会う=そろそろそんな年齢:対象の人々が住んでない国にいるので機会設定が必要がある
・使い切る:2025年からの継続案件 = 2025年にできたものあったけれど継続
・人の話は先ず最後まで聞く:私が想定する展開が話し手の着地点でないかもしれないと知る
・余計な発言を慎む
・先入観をできるだけ排除する
・買い置きできる体質に(あったらあっただけ使ったりしない)
・体調と体重を管理
・年齢を重ねても新しい思い出を作れると信じて生きる