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Category: スポーツ

エクセルワン(スポーツ飲料)

エクセルワン(スポーツ飲料)

子どものころに粉末から作るスポーツ飲料に、ゲータレードともう一つあって、私はそっち派だったことがなぜか記憶によみがえった。問題は、私がいつも飲んでいた方の名前が思い出せないこと。

小学校の頃に地元の野球チームに入っていた。私が子どもの頃は、運動中に水分を取らないことを是としていた時代ではあるが、弁当の時間とかにも水分を取れないわけではなかったので、毎回ボトルに粉末を水で溶かして持って行っていた。ボトルにはストローがついていて、ボトル蓋から出てくるストローをひょっと折り曲げて蓋にある穴に差し込んむタイプの容器で、保冷用のボトルカバーもあった。

その名前がどうしても思い出せなかったのだけれど、ゲータレードをキーワードに探しに探した結果、エクセルワンがヒットした。これだ。緑色のボトルだ。検索すると黄色やゴールド色のボトルの写真もあったが緑のボトルが代表的なものだったと思う。粉がないときはレモン水を持って行った時もあるけれど、結構な期間、XL-1 を定期的に飲用していた。通常は前の晩からボトルごと凍らせていたのだけれど、気温によっては昼食時にまだ溶けていなくて凍ったままの状態で、ボトルを上下に振って一生懸命溶かそうとしたり水を入れたりしていたことも何だか急に思い出された。私は、なぜかゲータレードにはバスケットボール選手のイメージがあり、エクセルワンにはテニス選手のイメージがあった。私は少年野球の時に持って行っていたが、なぜかエクセルワン派だった。

どこかの時点でこういった飲料を飲まないようになったのだけれど、きっかけをあまり覚えていない。記憶があるなかでは、後にも先にもエクセルワン以外のスポーツドリングやジュースを常習的に飲用した記憶がない。ペットボトル症候群から遠いところにいるのは悪くないが、水分摂取がもともと少ないのでそっちの悪影響の方がもしかしたら大きいのかなと心配したりする。

青い車に気をつけろ

青い車に気をつけろ

非常に乱暴に言うと、「青い車をみたら気をつけろ」は運転中の私の座右の銘の一つだ。

流れに乗れていない車や突然に私の走行車線の前に出てくる車が少なくない。率でいえば、私が路上で見かける青い車の中では、そのような動きをする車両がとても多い。その動きをするのは青だけではないが、青の車がその動きをする確率は高い。

色でいえば、青のこの現象以外には顕著なものは他に今のところ見当たらない。
一方、車種でいえば、ピックアップの人は運転が上手でない確率が高いような気がする。これも、下手な人が皆、ピックアップを運転しているわけではないが、ピックアップの人は下手な確率が高いというのが私の観察結果。実際は、下手というとちょっと実際は違うかもしれず、ただしくは運転という行動をするときに、運転にあまり注意を払うことができない人の確率が高いというか。例えば、片側2車線の車線をまたいで走行しているとか(これも、またいでいるのは皆ピックアップということではなくてほかの車種もあるが、ピックアップがまたいでいる確率が高いという主旨。車幅感覚ないのかな?)。

ドイツのアウトバーンでは、オランダ・ナンバーと帽子をかぶった老紳士が運転しているのが後続から見えたら気をつけろ、ということを言うのを聞いた。どちらも後続車両との距離感や速度差を気にせずに車線変更をして追い越し車線に出てくる人、という趣旨だった。印象的にはその通りだったような記憶はあるものの、実際に危険運転をする確率が高かったかどうかは覚えていない。しかし、運転中に両者を発見したときは、いつも以上に慎重になっていた。これは主観としての事実。

日本では、赤い車は警察に目を付けられやすい、という説を唱える人がいたような気がする(黄色だったかな?)。実際に統計をとったら実際には相関はないかもしれないし、運転が下手という定義の設定の仕方によっても結果が左右されるので単純な話ではないが、ある人がどういう選択をするとか好みがあるとかをもっと極めていったら結構面白い研究になるかもしれない。レッテル貼りや先入観につかってはいけないけれど、研究としては面白いのではないか。

私の読解力を心配している

私の読解力を心配している

最近の話ではなく、もう、ここ数年のことになるのだけれど、自分で読解力が落ちたことを思う機会が多い。

最近の例を挙げると、夏の高校野球甲子園大会の記事で、二つの意味にとれそうな文で、どちらの意味なのか分からない表現があった。

出典①:デイリー 「夏の甲子園 小松大谷は2年連続初戦突破ならず」
出典②:スポニチ 「 【甲子園】 小松大谷は2年連続の初戦突破ならず」

最初にネット記事で①が目に入った。2年続けて初戦を突破できなかった(2年とも初戦で敗戦)のか、昨年は突破したが今年は突破できず、2年続けての突破ができなかったのか、タイトルだけではどちらの意味か判らなかった。内容を読めばわかったのだと思うけれど、そうするまえに②のタイトルが目に入ったので、去年はいけたけど今年は負けてしまったことと理解した。

もしも2年連続で初戦を突破できなかったのであれば、「2年連続初戦敗退」というような表記になるか、あるいはわざわざ2年連続ということを強調するタイトルにしないであろうことは、冷静に考えれば想像できそうなものではあるのだけれど、私がその時に思ったのは、私のように読むのは文法上ありえないのか、あるいは、私の誤解は起こりえることで書き手側に丁寧さが欠けていたのか、一体どっちなのかということだった。私のように理解するのがありえないのであれば、私が日本語を正しく使ってこなかったと反省して済ませることができるが、他方のケースであれば、なんでそんな書き方をするのだろうという単純な疑問である。タイトルは文字数も限られていて簡単ではないことは素人でも想像できるが、スポニチは読者に判るようにタイトルをつけているのだから、むしろこれは、本文を読ませるためにわざと変なタイトルをつけているのではないかとの疑いすら生じる(本当は、そんな疑いは持っていない。書こうとすることが判っている書き手が、読者も判っているだろうというバイアスを抱いてつけた不注意タイトルだと推測)。書き手の実力不足なのか、はたまた、別の理由なのか。周りに日本人がいないので、私と同じように意味に悩んだ人がいるかどうかのアンケートを取ることができないのが残念だ。

来年のセンバツ高校野球でDH採用を検討中

来年のセンバツ高校野球でDH採用を検討中

ニュース報道によると、来年春のセンバツ大会で DH を採用することの検討が進んでいる由。あらたな取り組みに対する、ここ数年の動きはとても盛んに感じる。ちょっと昔までは、何があっても変えないようなイメージがあったのと比べると、雲泥の差だ。

ところで、DH が採用されると疲労度の緩和や、それを背景とする故障件数の低減に資することはあまり想像に難しくない。疲労度の緩和というと、まず最初に思い浮かぶのは投手だけれど、高校野球では投打の要というケースは昔ほどではないにしても、まだまだ多いと思う。DHを採用するチーム、しないチームがどれくらいの割合になるのか興味がある。しかし、投手でないのに守備専門だったりするのは、ちょっと辛いかもしれない。

10人の選手が先発で試合に出られるとなると、レベルの高くて選手層の厚い学校に有利になりそうだということも想像できる。それで勝負が決まらないのが高校野球のよいところではあるけれど、有利なことには違いないと思う。

ひとつ興味があるのは、どんな選手が DH に入るのだろうか、ということ。打てる選手であれば有力選手だろう。しかし、高校で DH をやっていた選手をドラフトするプロ野球球団はないような気がする。学生野球で終わりと割り切っている選手であれば DH で長所を生かすことができるとは思うけれど、プロを目指せるような選手であれば、DH専門になる必要がないくらいにそこそこは守れると思うので、そうすると、打力によって DH に採用される選手はあまり多くなく、そこそこの打力の選手が選ばれそうな気がする。となると、DH を採用しない学校が多くなるか、投手を休ませる意味で DH を採用することになるのではないだろうか。

勝手に想像しても仕方ないので、来年の春にどういうことになっているか楽しみにしている。

プロ野球・オールスター戦の選手マイク

プロ野球・オールスター戦の選手マイク

オールスター第一戦を YouTube で観戦した。CM中(多分)の映像も映っていたので公式映像を YouTube で流しているのだと思ったのでネットで観ていた。しかし、公式チャンネルではないことに途中で気付いた。よくありがちな、東南アジアの名前でやっているものだった。勝手に流しているもので、あ、これ観てはいけないものだ、違法者に協力してる、と思った。

途中まで観ていた中継だったけれど、出場中の選手の試合マイクのシーンを見た。後日、ネットニュースで選手マイクに批判的な芸能人発言を取り上げた記事や、その記事での批判的な投稿をみた。

私は、この企画は面白いと思った。ただ、せっかくのマイクなので、違う使い方したらよかったのにという感想を持った。コメント欄で多くの人が言っていた通り、投手が投げる瞬間にマイクをつけた野手との会話するのはちょっとどうかなと思った(でも、ネットコメントほど、否定的なスタンスではない)。また、会話の内容についても、私だったらどういう意図でどういう守備位置にいるとか、この打者だとどいうことを考えてその守備ポジショニングをとっているとか、そういったことを放送席から聞いて欲しかった。実況していたアナウンサーと私は興味が違うから仕方ない。でも、プレーに関することを聞く機会がもっとあれば、子どもたちプレイヤーにも有意義な中継になるのにな、と思った。子どもで視聴率は取れないので仕方ないけど。あと、プロ野球選手のレベルになれば、逐一周りの選手と会話して確認する作業もあまりないだろうし、また、真剣勝負でもないということもあるのだと想像するけれど、選手間会話をもっと聞ければよかったと思った。

新たな取り組みなので、今年は意見様々なのはよく理解できるので、来年以後も続けて欲しい企画だと思った。その時は、私の聞きたいようなことを聞いてくれたらうれしいのだけど。

ナイキが調子悪いというメディア記事

ナイキが調子悪いというメディア記事

ナイキが苦戦しているという記事を読んだ。私は、高校生活のほとんどを昭和で過ごした年代といえばおおよその年齢の察しがつくと思うが、加えて、田舎で育ったこともあって、私がナイキを初めて知ったのは確か中学生の時だったと思う。アディダスがデサントで売られていたころだった。ナイキに話を戻すと、最初に買ったのがTシャツと靴下のどっちだったのか覚えていないが、買った商品のタグに「勝利の女神ニケが名前の由来」という説明が書いてあったことは今でも覚えている。

高校生になって、野球部の友達がナイキのスパイクが格好いいんだよな、と言っていたのを覚えている。当時は、ナイキの野球用品はまだ私の住む田舎では売っていなかったらしい(都会では売っていたのか、都会でも手に入らなかったかは不明)。

どのメーカーの製品を使うかは個人の好みによるし、その好みが商品性能からくるのか見た目の理由なのか、それともまた別の理由があるからなのかも人それぞれ。私ならば、自分がプレーするのに使っていたブランドには思い入れが生じて、引退後も使い続ける動機付けになったりする。そうなると、ナイキの道具をプレーに使ったことのない私にとってのナイキは、ファッション・アイテムという位置づけであってスポーツ用品ではないので、どうしても買いたい商品というものがない限り、ナイキが選択肢に上がってくることはない感じ。私がスニーカーに興味があったりバスケット経験者だったりすると違うイメージを持っていたのかもしれないが、もしかしたら、その考え自体も勘違いからくるものかもしれない。バスケットの人もナイキには思い入れがある人もいれば、ない人もいるだろう。

私は投資家ではないので、ナイキが不調なことにたいして特に影響を受けたりしないし、特定の競技というよりもジェネラルなブランドだからそういう時もあるよね、という感想以上のものはない。

タイヤ交換 – Michelin はミチェリン

タイヤ交換 – Michelin はミチェリン

先週までのタイヤは 2023年初めから履いているもので、55千kmくらい走ったところ。前輪タイヤにスリップサインが見えそうになってきているのに加えて、多分、道路上の金属製の落とし物を拾ってしまったのだと思うけれど、後輪の片側だけ空気が抜けるようになったこともあって、タイヤ交換をした。

タイヤに特化したガラージは、スーパーに買い物にいく10分ほどの間だけでも10件近く目に入るくらい沢山あって自分で全部みて決めるのは難しそうなため、同じ会社の地元の人にお薦め店があるか聞いてみることにしてみた。

その人の知り合いがやっているという店を紹介されて、とりあえず見積りをとってくれることになった。私の車のタイヤ・サイズは少し特殊で、Michelin と Dunlop の 2ブランドしか見積りは出てこなかった(タイヤは命を守ってくれるものなので、激安メーカーは候補から外すことをあらかじめ伝えていた)。その見積は、店の人から同僚に届いた Whatsapp を私に転送してもらったのだけれど、判らないこともあったので直接その人のところにいって話を聞くことにした。

話をしていると、ミチェリンという単語を何度か聞いた。Whatsapp で文字として Michelin を先に見ていたので、ミチェリンが Michelin で指すことはすぐに理解した。私が今いる東南アジアの国の言葉のルールを適用させるとミチェリンになるものだと、深くは考えずに一旦受け取った。だけど、少し気になったのでネットで Michelin の発音を調べてみようと思った。

まずは、フランス語。やはり原語の確認から。私はあまり耳のセンスがよくない自覚があるので細かなニュアンスを表現できないけれど、ほぼほぼ「ミシュラン」。ああ、よかった。ミシュランが正解だと思い過ごしていたらどうしようと少し恐れる自分がいたので。次は、ロマンス語よしみでスペイン語。ミチェリンだ。「リン」にアクセントのあるミチェリン。ではイタリア語はどうだ。ミシュランだ。仏・西・伊は同じ源流だと思っていたが発音ルールは異なるようだ。ピレネーの壁は高い。次は、英語。米語はミシュラン、英語はミチェリン。ドーバーの向こうがミチェリンで、それより広い大西洋の向こう側がミシュランだ。

発音にルールはあるのか。奥が深い。

のどの渇き

のどの渇き

この 2-3 か月の間、のどの渇きをいつになく感じていた。

学生時代に運動部に入っていたころは、昭和よろしく練習中に水分摂るなに加えて砂糖の入ったジュース禁止ということもあって、水分をあまりとらない生活をしていたイメージがある(ジュースを買う余計なお金もなかったし)。大学を卒業して働き始めてからも、アルコールを除けば水分をあまりとってきた覚えがない。それと、昼間に水分をとる時はもっぱら暖かいもの(ほぼコーヒーのみ)ばかりで今に至る感じ。

ところが、ところが、ここしばらくはのどが渇いて仕方なかった。昼間は、暖かいコーヒーをここ数年と同じくらいの量を飲み、食べ物からとる水分についても特に食べるものが変わった感じもないのだけれど、夜になるととてものどが渇いていた。口をあけて眠っていてのどが渇くのではなくて、帰宅してから眠るまでの間の夜間のことなので、物理的な理由からの渇きではないと思う。毎年の成人病検診では尿酸値に異常はなかったので糖尿病ではないと思うけれど、次回のドックでどのような結果がでるか注視が必要だと思っている。この点、食べすぎ・運動不足なことは否定できないものの、今年急に食べすぎてるわけではないので(それはそれで問題)急に喉が渇くとも思えない。

そうこうしているうちに、先週から渇きがピタッと止まった感じ。元に戻った感じがあるのはいいけれど、何かが突然に変わるのはそれはそれで心配。何か小さなことが大きな変化になりうる年齢になってきたということで、とりあえず整理しておこうとは思う。

個人的な日記というか記録というか …

車のタイヤの空気が抜ける

車のタイヤの空気が抜ける

今の状態になって半年以上が経っただろうか、後ろのタイヤの片側だけがすぐに空気が抜ける。

車の取説によると 230kPa が適切空気圧とのことで、勝手な判断をせずにこの値で調整する(ただし、いつも空気圧を確認するのは、家に近い場所の帰宅途中なのでタイヤに熱を帯びた状態での 230kPa なのでた厳密には正しくないかもしれない)。いつからか空気圧が抜けることに気がついたので、それ以来、空気圧を週に一度確認するようにしている。毎週の走行距離はおおよそ400km弱なのだが、前週に 230kPa で調整したものが、一週間で 190kPa くらいになってしまう。後タイヤの片側だけ。

多分、釘が刺さっているか何かなのだと思うけれど、探せない。車の定期点検の時に、ディーラー・ガレージにチェックをお願いしたのだが、問題ないとのこと(十中八九、見てもすらないと思う、ガレージの人に悪いけど)。でも、確実に抜ける。

しかし、走行距離に比例して抜けるわけではなさそうで、時間とともに抜ける感じ。なぜなら、先日に一日で 500km 走る機会があったが、帰宅時に目立った空気圧の減少はなかった。当日に走った距離のうち、5分の3 が高速道路で、5分の1 が山道、残りの 5分の1 が市街地といった感じの走り方で、高速運転もカーブの運転もそれなりにあった。それでも一日走った後で減っていなかった。日常の通勤はほとんどが 80-100km で若干の市街地走行で 400km くらいなのだが、これだと確実に一週間で 40kPaくらい低下する。これがよく判らない。

走行距離的にも今のタイヤを使っている期間的にも、そろそろ買い替え時期だと思っているので、どこでどのタイヤを買うかを決めるまでの間はだましだまし使おうとは思っている。それまでに、突然のバーストとかしないことを願っているが、ディーラー・ガレージにはちゃんと見てほしかった。しかし、時間が経つと抜けるのに走っても抜けないのはなぜなんだろうか。不思議。

前の車の、その前を走る車が見えない

前の車の、その前を走る車が見えない

車を運転していて感じるのは、以前は、何台か前の車の動きまで見えていたのに、最近は、自分の目の前の車しか見えないな、ということ。

私はできるだけブレーキを使わない運転を心がけているので、前の車だけではなくて、それより前の車の動きも見るようにしているのだけど、前の方を見通すことができない車が増えた。ある程度新しい車だと、ほぼほぼ全車、前を見通すことができない印象。一つにはリアガラスにフィルムが貼ってあって透過性がないこと、二つ目にはデザインなのかガラス重量を減らして燃費改善なのか判らないけれどリアウィンドウが小さくなってきていること(加えてリアウィンドウに角度がついていて前を覗くことができる面積が余計に狭い)。

その分、車間距離をとれということだろうけども、急ブレーキかける人やウィンカーを使わない人とかいるので、車間距離だけでは怖くてやはりもっと前を見たい。フィルムを張ることで車内スペースにプライベート感が出て乗り心地が改善したり、UVカットの効果があったり、また、エアコンの出力を抑えて燃費改善効果が期待できたりもするのだろうけれど、もう少し色を薄くしてもいいんじゃないかと思う。危ないのはよくない(車間距離をもっととればよいのだろうけど)。

野球グラブ色に関するルール=メッツ・千賀投手

野球グラブ色に関するルール=メッツ・千賀投手

ニューヨーク・メッツの千賀投手が、グラブ色に関して審判から注意を受け、試合中に交換することになったとの報道を見た。昔に比べて許可されている色が増えたが、ボールと紛らわしいなど打者の目を欺くような色や柄が使えないことには一定の納得感がある。

実際のルールは知らないが、高校球児の用具に関するルールには、納得性の低いものが今でも多分、数多く残っているのだろうと思う。数年前に白スパイクが認められたことは、結構、大きなニュースとして受け取った。昔から、白のアップシューズは、明らかに黒いスパイクよりも足が軽そうに見えていた。また、ストッキングの見える範囲が広い、高校生的なユニフォームの着こなしにも白スパイクは親和性がよく恰好いい(白ストッキングのチームはその限りでないかも)。ちなみに、黒いスパイクの靴墨に対して、白スパイクはレザーローションで汚れとってからグラブと共通の透明な革クリームなのだろうか、それとも白い靴墨があるのだろうか?。

昔の高校生ルールとしては、名前はインクでないとだめで、親指刺繍は公式戦では使えないというのがあった。何かの動画か記事かで、手を入れるグラブ内側の手のひらと接する部分に刺繍を入れているグラブを観た記憶があるので、今は、高校生も刺繍自体は見えないところで使えるのかもしれないけれど、何十年か前の高校球児に刺繍は憧れであった。刺繍はプレーに関係ないとか、華美なものは高校生の教育上よくないとかの理由なのだろうけど(自力で調べる手間を省いてしまった)、刺繍あるグラブならば、愛着がより深くわき、手入れして大事に使おうって気持ちになるだろうに、とは思う。まあ、親の金銭的負担は増えるのはつらいが…

私の感覚では野球は習いごとではない

私の感覚では野球は習いごとではない

今年1~4月のスポーツ教室の倒産件数は、過去 20 年間で最高になったとのこと。半期でも四半期でもない4か月単位ということで、過去最高になりうる期間で選択してニュースにしたような感じもするけれど、それが正しい疑問だとすれば、単月の倒産件数として4月が高かったのだろうと推測する。そうすると、4~6月四半期は過去 20 年間の四半期として最も多いという報道が7月くらいには出るかもしれない。

それはそうとして、昭和の時代に田舎で育った私にはスポーツ教室という概念が難しい。水泳など設備が必要なスポーツであれば、プールがある場所に通って誰かに教えてもらうということは理解できるけれど、サッカー教室とか聞くと、それは教室なのか?と疑問に感じる。言葉の定義の問題ではあるのは想像つくけれど、サッカーと教室の親和性がないのが私の感覚だ(私と違う感覚の人がいて当然だと思っている)。

もっと私の感覚と異なるのは、「野球を習っている」とテレビのインタビューなどの動画で語っている子どもの発言だ。野球は(だけではないが)習うものではなくて、野球で遊びながら工夫してみたり何かを変えてみたり、ほかの人のやり方をまねしてみたりして上手くなったり何かのコツを掴むものであって、習うものではないと感じる。それは、「習う=受け身」という私固有の言葉の定義からくる違和感であると思うけれど、でも、でも…

昭和の田舎の子どもは休耕中の畑なんかでスポーツできたけれど、時の流れとともに空き地がなくなり、あっても球技禁止とかなり、学校の校庭ですら下校後は使えなくなり、「教室」と呼ばれる提供される場所でやるしかなくなってしまったわけなのだけど、この環境の改善に貢献するために私個人に何かできることはあるだろうか?

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

車は嗜好品。好みは人により千差万別、カッコ好いの定義も人それぞれ。

ゆえに、私の感想に留まる話ではあるけれど、カッコ好い車、自分で乗りたい車が以前に比べて減ってきた。あくまで私の基準による分類。

歩行者保護をはじめとした安全基準によるボディ形状、燃費と空気力学を考えた車体の形、製造コストなど、以前よりもデザイン上の制約が増えているだろうとは想像がつくので、仕方ない部分は理解する。理解はするけど、買いたいと思う車は減った。若いころと比べると、車に出せるお金は多少増えたというのに、買いたいと思う車は減った。

私の場合、車を選ぶうえで大事な点は「見た目」。価格によっては検討すらできないモデルもあるので、もちろん、車体価格は最重要。しかし、燃費はよっぽど悪くない限りは気にしない。装備については種類によって、気にするものとそうでないものが混在しているけれど、装備はよいけど外見が好きでない車よりは、外見がよければ装備は我慢できるところはある。

え、このデザイン?という見た目の車を街中で見ること不思議な気がするが、車が嗜好品であるがゆえに消費者の好みの問題だとは思うけれど、一定の台数を売ろうとする自動車会社のそのモデルの責任者がよく決裁したな、と疑問に思わざるを得ない車もある。自動車の歴史が始まって以来、デザインも出尽くして少しでも似たような見た目にしたら真似しただの言われかねないのも想像できる。だけど、私のように見た目重視の人もまだいるだろうから、もうちょっとデザインに気を配ってみてはどうかと思う。車以外にお金を遣う人が車を買ってくれないという前に、買いたいと思うような車を出してくれないことには売れないよ、と思うこともある。



5月3日の記念日
・憲法記念日:1947 年のこの日に日本国憲法が施行されたことを記念

球春、野球中継のカメラワーク

球春、野球中継のカメラワーク

プロ野球キャンプ・インからひと月半がたち、オープン戦のスタメンも公式戦メンバーに近い形になりつつあるようなことをスポーツ・ニュース記事で見かけるようになった。また、センバツの記事もぼちぼち目にするようになった。

海外にいると、日本の野球中継を観る機会はほぼない。加入している衛星方法のチャンネルによるところが大きいと思うが、アメリカ大リーグの中継は衛星でやっていても日本プロ野球はやっておらず、また、You Tubeの個人チャンネルで流れている日本のプロ野球中継は違法だろうから視聴しない。

そんなこんなで、しばらく中継を観ていないので今は違っているかもしれないけれど、日本の野球中継で変えてもらいたいことがある。それはカメラワークに関連することで、いくつかある中で特に不思議に思ってきたのはホームランの時に打球のアップを映すことだ。あれは、視聴者が観たいと望んでいるというよりも、カメラマンが自分の腕を示すことに使われているようにずっと思ってきた。いつからあの画面が使われるようになったか判らないが、小さいころから見たような記憶があるので、もう何十年もあのやり方になっているのであろうから、あれを見て育った若いカメラマンもそのフォーマットを受け入れることになるのかと推測する。

私の希望が特殊なものだったらそうならないのは仕方ないが、私がみたいのはホームランの時の周りの景色だ。両チームを応援するスタンドや選手たちの雰囲気をみたり、打った瞬間からスタンドにボールが入るまでの間の打球の軌跡を、終始、画面の中で追うことができるくらいまで引いた固定カメラの映像だ。また、固定カメラついででいえば、塁上のクロスプレーやグラウンド地面すれすれで捕球したかどうかの場面を映すカメラも固定が望ましいというのが私の意見だ。打球や走者をカメラが追うことで、すれすれの画面のスロー映像がぼやけてしまい、せっかく映像をみても何が何だか判らない。あれは、カメラが捉える範囲を固定することで解決する部分があると思う。

ほかにも私の希望はいくつかあるが、私が望むような映像を見ることができないのは、そういう需要がないからだと思う。それは判っている。とはいえ、スポーツ娯楽 ≒ 野球だった時代と違って、観るにせよプレーするにせよ(子どもたち)、野球の地盤沈下が言われている中ではプレーをもっと丁寧に見せることも野球ファンを増やすのに役立つのではないかと感じているので、いつか私の個人的意見がどこかの誰かに響いてほしいので、テレビ局に投書でもしてみようかな。

マツダ6生産終了(海外)

マツダ6生産終了(海外)

既に終了していた国内生産に続き、海外でも部品がなくなり次第に生産を終了するとニュース記事が報じている。

マツダ6に対しては、外観が欧州車に近い最初の日本の四輪車というイメージがある。日本からの輸出と海外での現地生産の両方ともに、北米が日本の自動車産業にとっての大きな市場であり続けていたことからか、その大きな市場で販売しやすいように、日本メーカーの四輪車の外観は、欧州車よりもアメリカ車のほうに寄せていた印象で、今なおも多くのモデルに対して同様の感想を持っている。SUVに関する欧米差は、小さなトラックといった感じの北米SUVに対して、欧州車は大きな乗用車といったような、さほど大きくない差のように私には見えるが、これがセダンやステーションワゴンとなると、ものの見え方の基準が欧米では違うんだろうなというくらいの大きな差異があるように私には見える。
そんな北米テイストの外観が多い日本車の中で、私が欧州にいたころにデビューしたマツダ6は、欧州でみた日本車の中で最もカッコ良く、欧州の風景と周りを走る欧州車の中にとても溶け込んでいると感じていた。事実、日本車の中では欧州で販売台数的にも成功した部類のモデルだったような記憶もある(定かではない)。

日本では、セダンとステーションワゴンの売れ行きがかつてほどではないという記事を見ることが多くなった。少数の希望者のために売れない車を開発する余裕も義理立ても自動車メーカーにはないだろうし(最近、16eに代わったiPhone SEにも同様のことが言えると思う)、フル・ラインナップを持つより自社の特徴を生かした車に経営資源を投入するのが営利企業としての姿勢であろう。私がいつか日本に帰る時、車の選択肢がどうなっているのだろうか。まだ自分で乗ったことはないのだが、一度はクーペを保有してみたいと思ってきた。歩行者保護とか安全性や燃費など、車の外観にも影響を与えうる設計・性能上の要求事項が増えてきている中で、それらを考慮するがためにカッコよい外観の車が絶滅してしまう前に最後の車を買って長く乗りたいと思っている。

観るスポーツで好きなのは何ですか?

観るスポーツで好きなのは何ですか?

外で仲間と食事していた時の会話内容。そこに居た数人は、今所有しているパスポートの数で言えば4か国、本人のルーツでいえば5か国の人々が集まって食事をしていた。誰かが、「プレーするスポーツと観るスポーツ、みんな何が好き?」という話になって、別の一人が「じゃあ、テーブルの席を順繰りにまわって各自言って」という話になった。

私にとってスポーツ(運動。体を動かすこと)は、プレーするものとしての位置づけの比重が大きくて、観るスポーツとなると、観ることに対する熱量が多くない代わりに何を観てもそれなりに楽しめるとは思っている。

食事時の質問の順番が私に回ってきた。正直に言えば、最近スポーツを観ていない。決してスポーツが嫌いなわけではない。なぜ観ていないのか。

帰宅してから考えていたら、そもそも私はテレビを観ないし、競技場でスポーツを観るほど熱心なファンでもない。

テレビは一家に一台が普通の時代に育ったので、中学生くらいまでは父親が観るテレビ番組一択だったので、私にとってのテレビ番組は娯楽ではなかった。高校生になると部活が忙しく、そもそもテレビを観た記憶がほぼない。大学入学とともに始めた一人暮らしには自分用のテレビはあったが、高校生までにテレビを観ない生活が普通になってしまっていたし、大学生はそれなりに忙しいのでこの年代でもテレビをあまり観ていなかった。就職して最初の2年くらいは始発・終電での勤務が多かったし、そういえば、テレビを買ったのは入社3年目だったと記憶する。その後は海外勤務が重なって全くテレビを観ない生活が復活。

テレビを観ない経緯は私個人の特殊な環境とかで同僚にはどうでもいいことではあるけども、日本人にそれなりの確率で生じうる共通点としては、高校時代のノンプロのような部活生活でテレビを観ない生活になった、という人は特殊な人々ではない程度の一定数は存在しているのではないかと思う。この辺の部活どっぷり生活は、海外の人に説明しても背景を理解してもらいずらい事象ではないかと思った。