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年間 1,617 時間(2024年)

年間 1,617 時間(2024年)

新聞記事によると、OECD 統計では日本の年間労働時間は 1,617時間とのこと。
私が目にしたこの数字は、韓国で「週 4.5 時間勤務導入論がある」というメディア記事のなかで引用されていたデータなのだけど、同じ 2024 年の世界平均は 1,736 時間とも記載されていた。世界平均よりも 119 時間少ない。

職種によって働き方は違うために平均では詳細は語れないものの、この統計データをポジティブにとってよいのかネガティブ面を心配する必要があるのかわからない。事務職の場合、強制退社のようなものもあったりするので、サービス残業が入っているかもしれないし、単純に労働時間が短くなって競争力も落ちているのか、そんな心配をすること自体が時代遅れと考えないといけないのか、どう解釈してよいか判らない。そんなデータなので、便利といえば便利。自分の主義主張に都合よく解釈してこのデータをコメンテータ・解説者・いわゆる専門家が利用することができるだろう。何が正解かは、どの立場や物差しで物事を観るかで変わってくる。絶対的な正解はない。

定義が判らないので OECD のサイトで確認してみたら、「年間の実労働時間の合計を、年間平均就業人数で割ったもの」らしい。実労働時間には、フルタイム、パートタイム、パートイヤー(季節労働者?)が対象になっていて、有給・無給の残業、副業時間が含まれている由。無給の残業ってどのように統計を取るか判らないけれど、こういっている時点で統計の正当性が少し怪しまれるかもしれない。

この定義からいくと、週休2日のオフィス仕事の国よりも、週1日休みの店とかレストランとかの職が多い国だと労働時間が長くなりそうな気がする。そう思って、労働時間と一人当たりGDP金額を比べてみたら、長時間労働の国の方が一人当たりGDP額が小さく、短い国は高かった。だから、どういう職業についている人が多いか、ということが労働時間統計に影響されそうなことを理解した。(たぶん)

技術の進化を止めることができない

技術の進化を止めることができない

人間が最新技術を追い求めるからとか、技術者が常に先進を求めて開発するとか、そのような理由で技術の進化を止めることができないということは勿論ある。この場合は、「止める権利」は誰にもないという主旨が近いかもしれない。

私は別の意味でも止めることができないと思っている。それは、止めてしまうと大変なことになるかもしれない、という観点からだ。

技術の進化によって、以前は出来なかったことが出来るようになったり、今までも出来てはいた事柄であっても、それを実行する際の負担が減って楽になったり、より多くのことが短時間でできて効率があがったりする。便利な世の中に貢献してる。

ただ、技術の用途によっては、進化した技術を人が使うほどに使い手が気を配る必要が低下し、その結果、それを行う能力が落ちることがある。能力が落ちると、それをサポートするべく更に進化させた技術が求められることになるのだが、それが機能しない場合に問題が発生する場合もあると思う。機能しないことが何も発生しないことになる「電源オン」のような場合は問題は少ないが、ストッパー的にその機能が使われている場合は、好ましくないことが起きてしまうことになる。その時に、使用者の能力が落ちていると、人の手でそれに対応することができない場合があると思う。

私が心配する典型的な例が自動車に関わる技術で、具体的には運転補助や機器回避のもの。現時点ではいずれも補助であって最終的な判断や操作は運転者に責任があることにはなっているが、実際に運転しているドライバーにとっては、これらの機能に限らず運転をするということに対するハードルが下がっていて、その結果、運転技能が下がっているし、運転しながらスマホに目をやったり、集中力に掛ける運転者が増えていると推測する。

車に関する技術がもっと進化して、絶対に事故が起きないレベルまでいけば、ボディは撥水処理した紙で造れるかもしれないし、エアバッグ・システム等の安全装置が不要になればコスト低減も可能だと思う。車が軽くなれば道路ももっと簡単に安く早く作れるだろうし、事故がなければ保険に加入する必要もなく車の保有者にも優しい。しかし、事故の自動回避完全化にはまだまだ時間がかかるというか、正直、そんな時代がくるかどうかも判らない。

また、2025 年 8 月 13 日の日経新聞記事にも私が心配するようなケースが取り上げられたいた。「大腸内視鏡検査、AI利用で医師の技量低下 ポリープ発見20%減」という見出しのもので、ポーランドなどの国際チームが英誌で発表した研究で、「医師がAIに頼ることで、やる気や注意力、責任感が低下する懸念が浮上した」ということが記事に書かれていた。

新しい技術に頼り切るのはちょっと考えものだと思う。使うほうも使い方や技術への向き合い方を認識し続けることが必要だと思う。

日立が白物家電事業の売却を検討

日立が白物家電事業の売却を検討

また、この手の事業売却ニュースだ。売却するような事業をほかの日本企業が買うとも思いずらいので、外国の企業の手に渡ることになるのだろうか。

利益を求める私企業だから、そう決断するような事情があれば事業を売却するのは仕方ないことだろう。しかし、日本の企業が海外に売られてしまうのは寂しいことだ(海外に売却されると決まったわkではないが)。なぜ、こうなってしまうのだろう。

企業個別の事情もあるし、日本という国の性格が関係している背景など、理由を上げればたくさん出てくるだろう。コストで外国企業には勝てないとか、同業で国内メーカーの数が多すぎて、本来は競争によって企業の力があがるところ、むしろ競争で力が削がれていることもあるだろう。

ネットを探せばいろいろな解説を知ることができるけれど、私が思うには製品の寿命が長いことも原因の一つではないかと思う。ソニー・タイマーと言われるものもあったりするけれど、平均的には日本の製品は外国製に比べて寿命が長いと思う。消費者にとっては寿命が長いことはよいのだけれど、寿命が長いということは買い替え需要がそうでない場合よりも少なく、そうなると、製造数が減ってコストが上がるのは勿論、新技術を披露する新製品サイクルにも影響する。その結果、消費者が求めてもいない機能を入れたり、それゆえに無駄に値段の高くなったり、商品がガラパゴス化するとか、寿命の長さが開発結果を世に出すことを阻害したり商品の魅力を下げているのではないかということ。

私がくらす東南アジアではすぐにモノが壊れるので、すぐに買い替えないといけない。まあ、価格が安いからそれでもいいのだけど、突然壊れてしまうことには困っている。

私の想像が正しいとすれば、本来は寿命が長くのはよい製品であるはずなのに、よい結果に結びつかないことになっているとすれば残念。

セブンイレブンが積極出店

セブンイレブンが積極出店

セブン&アイ・ホールディングスが 2030 年までの経営戦略を発表したニュースがネットにあった。国内コンビニで 1,000 店純増などの出店計画や収益目標などを公表したもよう。

コンビニは便利だけれど高い。小さい容器のものは割高だけど便利だったりすることもある。だけど、基本は高い。

日本は景気が良くないはずなのに、コンビニで買う人ってそんなにいるのかなあという感想。まだ店が少ないエリアに出店してゆけばそれなりの出店数にはなるだろうけれど、店が増えれば配送も大変。地域によっては24時間営業する必要性も疑問。雇用先が増えるのは悪い話しではないだろう。銀行の代わりとか宅配便とか、子どもや女性が駆け込める避難所として使えたり、マイナカードあれば公的書類も取れるし、単なる店としてのコンビニから脱却して、生活インフラ・社会インフラとしての存在になっていくのかなあ。

あと5年後の 2030 年にどういう世の中になっているのだろうか。

おまけ目当てで食品を投棄

おまけ目当てで食品を投棄

マクドナルドのハッピーセットのおまけの話題がしばしばニュースに登場する。あまけ目当てでセットを購入し、メインの食品のほうを食べずに投棄する人がいるとか、おまけが売買ネットに出品されている、本来であれば商品の対象となるべき子どもに行き渡らないほどの買い占めが行われているとか。

以前であれば、地理的に遠くても即座に簡単に売買ができるオンライン上で売買できる環境になかったとか、何かプレミアム的なものにとびつく余裕がなかった時代であったとか(私が育った家庭だけ?)、今は堅苦しい話題のニュースよりも街中の出来事をネット警察的に報じる方が視聴者の関心を引きそうだとか、その事象や報道の背景は種々あると思うけれど、商品の主体である食品が無駄にされることは、何も最近になって始まったことではない。程度の差こそあれ、プロ野球チップスについているカードで欲しい選手のものが出るまで買ってチップスを捨てる人や、好きな模型目当てで本体が捨てられるビッグワンガムなどについて、学校の先生から注意喚起されたりしたことがあったと記憶する。チップスもガムも保存がきくのに捨ててしまうのは、現代よりも質が悪かったのかもしれない。

私は、どうしても欲しかったおまけは特にこれまでの人生で記憶がないので、高いお金を出して売買サイトで個人から買おうとしたことはないし、おそらく、今後も買おうとすることは起きないと予測する。ゆえに、自分個人の都合だけで考えれば、人の弱みに付け込むような転売に対して悪い感情しかないのだけれど、極端な話をすれば、買う人がいるから売る人が出てくるのであって仕方ないという気がしなくもない。しかし、食品廃棄はそんな感じで割り切れる話にはならない。作り置きのファストフード自体に時間制による廃棄ルールがあったりして、便利さや出来立てのおいしさの裏にはもともと無駄は存在するので、転売屋のムダのみを取り上げるのはフェアではない部分もある。しかし、それでも無駄の性質は同じではない。買い占めについては、ちょっと意見が難しい。震災時の生活必需品の買い占めはもってのほかだが、かといって、なんでもかんでも買い占めけしからん、とは言い難いところもあると思う。むしろ、買い占める人を管理するよりも、買い占めに歯止めをかけるルールを売り手が採用した方がうまくいく確率が上がると思う。ただ、代金が何百円といった商品の場合に、誰が幾つかったか逐次トレースができるようにするには売り手側のコストが見合わないと思うので、誰かが何かうまい方法を考えてほしいのだけれど、誰もかれも儲けさえすればよいという発想になってしまっているように感じる現代では、難しいのかもしれない。利己的になりすぎないように教育から見直す必要がありそう。

今回の件では、カード発行枚数がそれなりにあるため、プレミアムにはならないとコメントしたマクドナルドには、今後は何か考えてほしい。こうなることは判っていたはずだから。そうまでして集客しなければならないような企業ではないだろうにと思う。

何してもうまくいかない難しい世の中になったものだと感じる。このようなことが起こるのは、選択肢が増えたり余裕があったり、より良い世の中になってきている証拠なのだと思うけれど、不具合もまた多くなっている(でも、報道を見ていると景気は悪いはずなのでは?)。

ナイキが調子悪いというメディア記事

ナイキが調子悪いというメディア記事

ナイキが苦戦しているという記事を読んだ。私は、高校生活のほとんどを昭和で過ごした年代といえばおおよその年齢の察しがつくと思うが、加えて、田舎で育ったこともあって、私がナイキを初めて知ったのは確か中学生の時だったと思う。アディダスがデサントで売られていたころだった。ナイキに話を戻すと、最初に買ったのがTシャツと靴下のどっちだったのか覚えていないが、買った商品のタグに「勝利の女神ニケが名前の由来」という説明が書いてあったことは今でも覚えている。

高校生になって、野球部の友達がナイキのスパイクが格好いいんだよな、と言っていたのを覚えている。当時は、ナイキの野球用品はまだ私の住む田舎では売っていなかったらしい(都会では売っていたのか、都会でも手に入らなかったかは不明)。

どのメーカーの製品を使うかは個人の好みによるし、その好みが商品性能からくるのか見た目の理由なのか、それともまた別の理由があるからなのかも人それぞれ。私ならば、自分がプレーするのに使っていたブランドには思い入れが生じて、引退後も使い続ける動機付けになったりする。そうなると、ナイキの道具をプレーに使ったことのない私にとってのナイキは、ファッション・アイテムという位置づけであってスポーツ用品ではないので、どうしても買いたい商品というものがない限り、ナイキが選択肢に上がってくることはない感じ。私がスニーカーに興味があったりバスケット経験者だったりすると違うイメージを持っていたのかもしれないが、もしかしたら、その考え自体も勘違いからくるものかもしれない。バスケットの人もナイキには思い入れがある人もいれば、ない人もいるだろう。

私は投資家ではないので、ナイキが不調なことにたいして特に影響を受けたりしないし、特定の競技というよりもジェネラルなブランドだからそういう時もあるよね、という感想以上のものはない。

高速走行中の電気自動車に無線給電

高速走行中の電気自動車に無線給電

大成建設が無線給電の実験に成功したとのニュースを見た。詳細を知りたくなって大成建設のウェブ・サイトを見にいってみたところ、この件についてのリリースがあり、実験内容について詳しく記載されていた。

21世紀に入ったばかりの頃に、携帯電話を電波で充電できたらいいのにと考えていた。それは、今となっては存在する非接触充電器ではなく、街中をあるいていたら携帯回線の電波で充電ができるシステムがあったらいいなと考えていた。それが現実となる世の中に一歩近づいた、というか、携帯どころか走っている自動車が対象だ。素晴らしい。

会社のリリースからネット・ニュースに戻って、私の大好きな書き込みコメント欄をのぞいてみた。無線給電のロス率が高いのが課題だとか、ロスは熱になるので気温が今より更にあがるとか、内燃機関車のエネルギー損失も大きいので無線給電のロスとたいして変わらないとか、たくさんのコメントがあった。皆、詳しい。まあ、でも、実験が成功したことが現段階ではスゴイことで、どんなことでも課題があってそれを解決する過程で技術が進んだり新発見があったりするので、今は、このスゴさを単純に味わえばいいと思う(開発者はその余韻を楽しむ間もないとは思うけれど)。

輸出貿易管理令

輸出貿易管理令

最近のニュースでレアアース関連の話題をよく目にする。レアアースの中でも磁性材に使われる元素は、モーターをはじめとした自動車向けやファクトリ・オートメーション、ロボットなどに組み込まれる永久磁石に使われるとのこと。また、同種の元素は、磁石として防衛用途にも使われるとのことで、先日、アメリカのメーカーに米・国防総省が資金面でのバックアップをするというニュースもあった。

この記事に興味をもったので調べてみたら、日本は磁石のシェアが以前よりもかなり低下しているとのこと。それでも、米国の磁石生産よりはまだまだ大きいようで、そうすると、米国の防衛産業に日本から磁石が輸出されていてもおかしくない(メインが中国製だから国防総省がメーカーをサポートするのだろうが、日本のものも使われているだろう)。

私がまだ会社に入って日が浅い頃はキャッチオールと呼んで、食料・食品と木材以外はすべて対象品目のような感じで、あとはホワイト国かどうかというのが輸出管理のおおざっぱな考え方だった。その時代に、とある化学物質が組み込まれた製品を販売したり、それを製造する海外の会社の資産買収をすることがあった。買収の時の社内決裁取得過程では、社内の「特貿」担当の部署への説明やなんやらで結構なワークロードをかけたなあというのが思い出された。その後も、輸出物流商売では非該当証明でよかったりする製品や仕向け国が多かったような記憶があるが、いくつか関与させてもらった企業買収では買収先企業が軍事転用な製品を作っていたりして、結構大変だったことを思い出した。

日本の磁石の話に戻すと、同盟国であるアメリカの防衛向けということであれば、許可が出ないことはないのだろうけども、それでも武器になることが判っている(転用可能ではなく、武器のために輸出することが輸出時に明白)ケースなのだろうからそれなりの手続きがあると思うが、ニュースでは簡単に武器に使われるとか書いてあるのをみると、浦島太郎になった感覚を少し持つ。ただ、これだけサプライチェインが多くの国に展開されるようになると、どこでどんなつながりがあるかトレースできないこともあるだろうから、より一層にきちんとした貿易管理が必要なのかもしれないなあと思ったところ。

以前に通ってた店がなくなっている

以前に通ってた店がなくなっている

よくある話であるとともに、時の流れとともに仕方のない話ではあるのだけれど、以前に通っていた店がなくなっている。日本の場合は、再開発によるもの。海外の場合は、想像だけどオーナーが引退したんじゃないかなあ。もしかしたら、コロナで持ちこたえなかったとか、維持できたかもしれないけれどそれを区切りにしてしまったのかもしれない。

物販店の場合は、たとえその店舗がなくなっても別の場所に系列店があるかもしれないし、百貨店のような場所に一角で商品が売られている場合もあるかもしれない。一方、飲食店の場合は、なくなってしまえば、それで終わり。店主が別の場所に店を出す場合、味は同じかもしれないけれど、飲食は場所の雰囲気も含んだ味だと思う(客としての思い)ので、厳密には味も違う(店側は同じ味というであろう)。

再開発後は大きなビルができていたり、建設を待つ更地になったりしている。さっき、場所も含めて味だといったばかりで心苦しいところはあるが、再開発後は優先的に以前と同じ賃料で入居する希望を店側が出せて、それが出た場合はオーナーは受け入れないといけないシステムを検討してほしいなあと思う。ビルのコンセプトと違ってもいいのかとかはあると思うけれど、開発後のほうが床面積は広いんだし、かつての店を1フロアに集約してしまえば、コンセプトへの影響を限定的にできるのではないだろうか。逆に、新ビル入居する場合は立退料も発生しないとかにするとか。ビルが完成するまではどこかの仮店舗で営業となると、店舗側の持ち出しコストが大きくなるという負担が生じてしまうかもしれないけれど、客側が勝手な意見を言わせてもらえば、新システムを是非、検討して欲しい。

交換式バッテリーEVの実証実験

交換式バッテリーEVの実証実験

2025 年 9 月から東京都で実証実験を開始というニュースがあった。

三菱ふそうトラック・バス㈱、三菱自動車工業㈱、Ample Inc.(アメリカ)、ヤマト運輸㈱の 4社によるもので、東京都および東京都環境公社の 2024年度「新エネルギー推進に係る技術開発支援事業」に採択されたものとのこと。

xEVに対する評価や見方は人それぞれで一定していないが、私の意見は、自動車の電動化は必ず必要ではあるが、少し前まで言われていたようなスケジュールやシェアは非現実的で、ひずみが生じることなく達成可能な計画に見直すべき、というもの。

ということで、私は全体的には今の EV化の風潮には否定的だけど、今回のこの計画は EV 化を一歩前に進めることに貢献しうるものと、この記事をみて思った。少なくとも航続距離については一つの選択肢につながるし、そのほかの問題についてもひとつづつ解決に向けた選択肢を増やしていって、EV が社会課題を解決できる場合には、その任務を与えたらよいと思う。

就職氷河期世代への支援

就職氷河期世代への支援

氷河期世代への支援をテーマに出演者が話し合う番組を動画でみた。どんな結論だったか忘れてしまったけれど、議論のなかで新卒で失敗してもやりなおせる社会に変えてゆくことが大事という意見を言っていた人がいた。

氷河期時代に新卒で非正規からはじめた人には今でも厳しい社会であると想像するけれど、新卒で正規雇用された人については、転職に対する労使双方の見方が変わってきたことで、以前よりはセカンド・チャンスの機会は創出されていると思う。

以前よりましだからいいじゃないか、というつもりは毛頭ないが、新卒への教育に掛けた決して小さくないコストで自社仕様に育て上げた社員がいるので、なぜセカンド・キャリアで採用するかといえば、多分、専門知識を持っている人があらたに自社に戦力として入ってきてくれることを期待してのことだと思う。

日本の新卒採用で私がよいと思っていることは、大学で学んだことと違う分野で採用・配属が行われること。デメリットもあるけれど、よい点のほうが上回っていると私は思う。大学の専攻と関係ないからこそ、配属後に OJT で徹底的に鍛える必要があるし、一人前になるまでに結構なコストがかかっていると思う。この状況を変え、セカンド・キャリアの流動性をあげようとすると、セカンド・キャリアで入ってくる時は勿論のこと、社員教育にコストをかけないとすれば、新卒の時点でも専門性を身につけた人を採用しようとするだろうし、専攻分野によって就職先が限定されてきて、新卒の門戸や選択肢が狭まる結果になるような気がして、そっちの方が副作用が大きいように思う。これが極々一部の大企業にのみ当てはまることで無視してよい話ならばよいが、私には専攻と関係ない会社に勤める機会があることは結構、重要なことだと思っている。また、何か単一分野の仕事はしてきたが、その分野でのスペシャルな技能がない人の場合、何年経験をつんだとしても職種が高度化することもないだろうから、昇給する機会も少なそう。スキルが上昇しなければ、身に着けたスキルでキャリア・アップ転職の機会もなく、もし転職をするならば、同じ仕事でちょっとだけ待遇がよさそうな会社を見つけた時にしか起こらなそう。

氷河期とかセカンド・チャンスとか関係なく、全ての国民が最低限の生活を送れことができる制度や仕組みのある国にしてくれるのが一番ということになるのだろうか。年代や性別、住む地域などで不公平のない社会、かといって結果を出せた人とそうでない人とが同じ処遇を受けるのではなく、頑張った人はその報酬を得ることを誰にも邪魔されない社会。それと、今ある色々な問題の多くに共通すると思うのだけど、教育が非常に重要だと思っている。

サンク・コスト

サンク・コスト

住友商事のニッケル関連事業での減損について報じる記事が 5 月初め以後、いつくか目にする機会があった。

参画を決定してから 20 年ほどが経つ事業のようで、累計の損失は 4,000 億円規模に膨らんだということが記事で説明されている。部外者の私には、参画を決めた経緯や、事業に関連する取引や利益でいくら挽回できているのかもわからないし、今後の計画や見通しも判らないので無責任なことはいえないが、自分が関係していた案件に関して以前から思うところとしては、以前から多くの人が指摘するようにサンクコストが選択を誤らせることはあるということ。

それは、実行済みの案件にも言えるが、実行前にもいえる。デューディリで潜在的な問題を発見したときに、それを買収金額やそのほかの契約上の条件でヘッジすることができればそうすればよいが、ついつい、いままで人手とコスト、時間をかけてここまでやってきて、契約上でもヘッジする交渉が不調に終わってしまっても、それを理由に買収交渉から撤退するというのは、理論上は難しくはなくても非常に苦痛を伴う決定だと思う。

また、サンク・コストを扱う問題は、仕事上のみならず私的な生活でもよく起こる話で、結構、公私ともに人生で頻繁に発生する決断案件だと思っている。サンク・コストという言葉は使わなくても、意外と身近な行動ではないかと。私はサンク・コストで損得を考えてしまいがちなので、住商の減損の記事をきっかけに(住商の件はサンク・コストとは関係ないと思うけれど、きっかけとして)、自分自身にリマインドしている。


※ ちなみに、上記を書く際に、サンク・コストってよく考えずに使っているけれど、100% 正しく理解しているか心配になったのでネット検索してみた(理解の一部に誤解が含まれていることが私の場合に多いので)。すると、サンク・コストとコンコルド効果という用語にヒットして、ほぼ同義だと説明しているサイトがある一方で、異なると解説するサイトもあった。どう違うのか何度も説明を読んだのだが、どうしても解説文で違いが判らなかった。これもよくある話なのだが、ほんとうに読解力が落ちたというか理解しようとして文章を読むことに困難を伴く機会が増えた。

農林中金が 1.8 兆円の赤字 – 外債運用失敗から

農林中金が 1.8 兆円の赤字 – 外債運用失敗から

ショッキングなニュース。

巨額赤字は外債運用の失敗からという報道をみたが、2010 年代にはたしか米国のディストレスト・ファンドにも投資したり人を派遣したりしていたと記憶する。農林中金は、「スペシャルシチュエーション投資」という呼び方であいまいにしていたような気がするが、意訳すると「不良債権投資」を行うファンドと人・カネで交流していた記憶。

誰かの赤字が誰かの黒字、とは限らないけれど、1.8 兆円のお札が燃えてなくなったわけではないので、誰かの手元には農林中金が失った 1.8 兆円分のお札が存在しているはず、という理解でいいのだろうか。

リスクをとっているように見せて実はちゃっかりヘッジしているのがファンド、というのが昔の私の理解であったが、リーマンだったり色々なことがあると、本当に一攫千金を狙うハイリスク・ハイリターンな投資先も混ざっているのかと疑ってしまう。そんなファンドにやられてしまう日本企業はなんだかなと思っています。分野は違うけど、私も頑張ろうっと(あ、いま日系企業勤務じゃなかった)。

ワークライフバランス:1日のうちの時間の使い方か1年単位の話か?

ワークライフバランス:1日のうちの時間の使い方か1年単位の話か?

前日に続き、ゴールデンウィーク期間中のニュースから感じたことを。

観光地の混雑や、観光地・帰省先への移動中も混雑が発生していたようだ。今年は、お金を使わない、家で過ごすGWだった人が例年より多いという報道もあったけれど、渋滞や混雑は連休中の風物詩。

せっかくの休日を疲れにいくようなものだし、鉄道のように年中価格が同じものばかりでもなく、連休中に出かけることでいつもよりも払うコストが上昇する品目もある。

ここ数年は、ある時間以後の残業を禁じたり、また、パソコンのログ管理で、前日の勤務終了から当日の勤務開始までに一定の時間間隔がない場合は、勤怠管理表に理由を入力しなければならないシステムを使用する企業もある。その意味では、一日の中でのワークライフバランスの意識は以前よりも確実に高まっている(労働時間の実態は別として)。

しかし、休日の混雑などを観ていると、私の意見では一日の中のバランスよりも、もっと連続する有給を取りやすい環境を整えて、一年のうちで働く時と休む時を分けるワークライフバランス、取得する休日を働く人の間で分散するシステムのほうが幸せなのではないかと思うことがある。

子どもも学校を連続して休ませるのかとか、夏季休暇とかでない有給を連続でとるのは私自身も休み明けが心配で気がひけるだろうとか、問題がないわけではないだろうが、こちらも選択できる制度があればよいと思う。人や荷物を運ぶことを仕事とするドライバーなどの職種に対しては、一日の実働時間を管理することが疲労を原因とする事故を最小化するために必要なシステムだと思うけれど、全員に当てはめる必要はないと考える。

中には、混雑の中で出かけることで休日気分を味わえる人もいるかもしれないけれど、空いている休日を実感すればそれは誤解だったことがわかるのではないだろうか。問題はあると思うけれど、選択肢を設けることは悪いことではないと思うけれど、どうだろうか。

BYD が日本市場で軽自動車に参入

BYD が日本市場で軽自動車に参入

メディア報道によると、BYD が日本専用 EV を 2026 年に投入するとのこと。BYD ジャパンのウェブサイトで確認すると、「2026 年後半に日本専用設計の乗用軽 EV の国内導入を決定」したとの開示とともに、乗用軽 EV と EV トラックの人材増強を加速することと、専用の応募サイトを 5 月中に開設すると書かれている。

アメリカ車が日本で走っていないと苦言を呈するトランプ大統領よりも、日本に特徴的な軽自動車を生産して販売しようとする BYD のほうが現実を直視して解決策を見出そうとする姿勢があるように見える。一国の大統領と一企業とでは発言は変わってくるし、本心を言える範囲も違ってくるし、また、その立場によって言うべきことを発信しないといけないことがあるのは当たり前のことだと思うので、トランプ大統領がどこまで本気で自国の車を日本で売ろうとしているのかも眉唾なような気がするが、本気で一定の台数を売ろうとすれば軽自動車市場を検討する BYD のスタンスに納得感はある。また、軽と EV の親和性も高そう。短距離の街乗りであれば電池の航続距離の大きさへの需要はあまり高くないかもしれないし、そうすることで日本で重要視される安全性に BYD として気を配れるようになれるかもしれない。「日本専用設計」というのは車体の大きさの観点はあるだろうが(EV になると 660cc という排気量は関係なくなるので車体サイズのみで「軽」に仕分けされるのだろうか?)、安全性も関係しているのではないかと想像する。

ハイブリッド車が新規販売の約半数を占める日本の四輪車市場において、EV 乗用車も EV 軽もどちらも年間数万台程度の規模からどこまで軽で台数を増やせるか判らないが、目の付け所に感心するところはある。中国国内での EV 販売が頭打ちとなってしまっての日本市場に目を向けている状況なのかもしれないが、2026 年に導入ということは、すでに試験や評価が進んでいる状態でないとおかしいので、かなり出来上がっているモデルなのだろう。部品選定ももう終わっていないといけないはずだけど、国内企業はもう受注していて黙っている状態なのだろうか。



4月28日の記念日・出来事
・サンフランシスコ講和記念日:平和条約 Treaty of Peace with Japan が発効、主権回復・国際復帰
・労働安全衛生世界デイ:カナダの法律が成立したことを発端に記念日の変遷あり、最終ILOが策定

外国で担当業務の引継ぎ

外国で担当業務の引継ぎ

日本の企業に勤めていると、業務を引き継ぐときには引継書を作成する。少なくとも、私が以前に勤めた会社では引継書作成規定という社内規定もあって作成が当たり前であったし、一定規模以上の会社では、多くの場合で作成が求められていると思う。

外国の企業につとめていると、引継書が義務になっていない会社がある。それどころか、お願いしないとメモの受け渡しが無い場合すらある。私の場合は異動が少なくなかったため、いつか誰かに業務を渡す日がくることを想定して、引き継ぐ側として説明を聞きながらも、将来の引継書として使えそうな形のメモをつくり始めることも何度かあった。なので、引継書の作成が求めらえていなくても書類を作成してきたのだが、義務がなければ引継ぎを行う側の気が楽なのは間違いない。

決して前任者否定の文化があるわけではないと思うが、たまに心配になるのは、前任者の私に何も尋ねてこない人がたまにいること。当然、私のほうから説明したり、しばらくは新旧担当者が重複して業務を行いながらOJT的に引継ぎもしているのだけれど、限られた引継ぎ期間中に全ての事象が起きて、その対応を共有できるものではないし、何かしらどうしてよいか判らないことが起きていそうなのに過去例やアドバイスを求めてこない。私は、私が居てもいなくてもどうでもよい仕事をしていたのだろうか。決してそうは思えないのだが。

きちんと引継ぎしても、担当者が変わるたびに取引先との関りや業務の深堀さが薄まってゆく面は日本の会社にもあり、それは人が変わる以上は濃淡あって仕方ないことではあるが、引継ぎのない会社の場合は薄まりがもっと急速に進んでいくのだろうと危惧する。もしも私が引継ぎが発生した会社からみて取引先であれば、これをチャンスとしてとらえて、口約束なら破棄できるし、言ってないことも前任からはこう聞いてましたけどね、とか言えてしまうかもしれない。

まあ、それは実際にはしないし、口約束など初めからないも同然だから大した問題にはならないのかもしれないが、私が外国の会社で働いていて感じるのは、ジョブローテーションという概念があまりないことが多く、転職しない限り、一生、同じ仕事を継続する人が多いため、引継ぎという概念も引継書の必要性もピンとこないのではないかとのこと。会社側も出世しない限りは従業員を同じ仕事領域に置いておきがちで異動がほぼない印象。ある分野のプロフェッショナル育成といえば響きがよいが、あまり業務知識が蓄積していっている感じもしないし、業務への閉じ込めを感じる。それを心地よいと感じる従業員がいることも事実だとは思う(アグレッシブにならなくても生活を維持できる給与を得ることができる労働条件が確保されている国では特に)。ただ、上司はずっと変わらないし、上にいきたい人にとっては自分は上がれないしということで、少なくとも私の勤める会社では組織が硬直化していて、健全な環境ではないと感じている。まあ、それが普通の海外の会社なのであって、社外取締役は「社外取締役グループ」を作ってその中で椅子を互いにパスしあって自分の居場所を確保するので、つかう側になるか使われる側になるかのどちらになるかが若いうちに非常に重要となってくる社会なのだろうと想像する。


4月23日の記念日
・サン・ジョルディの日:キリスト教の聖名祝日だが現在は書物を贈り合う日として知られる
・ビールの日(ドイツ):1516 年に「ビール純粋令」を発布。原料を規定。世界最古の食品関連法律
・地ビールの日(日本):1999 年に制定
・しじみの日:語呂合わせ。有限会社日本シジミ研究所(島根県松江市)が 2007 年に制定

東京のホテルで価格カルテルにつながる情報交換

東京のホテルで価格カルテルにつながる情報交換

都内のホテル運営会社が内部情報を共有していたことがわかり、価格カルテルにつながるおそれがるとして、公正取引委員会が警告を出す方針を固めたという報道があった。

その報道によると、2024 年の秋には情報共有グループから抜けたとする会社のコメントが紹介されていて、また、共有していた 15 社すべてがすでに共有をやめているとのことだが、共有が行われていた当時は、客室稼働率や平均単価、将来の価格設定方針などの内部情報が毎月の会合で共有されていたとのこと。

どこかの会社が情報をリークしたのかどうか一般読者が背景を知る由もないが、公取が動いてこのような事案が表沙汰になるのは歓迎すべきことである一方で、普段から疑問に感じていることがある。例えば、「ナフサ価格が上昇したことで、石油化学製品について○○円の値上げを化学会社各社が一斉に打ち出した」というようなことが定期的に報道される。自社ウェブサイトやメディアをつかって情報が流れているので裏で実施するのとは違うものの、各社横並びの値上げを打ち出すという行為自体は、価格カルテルを可能にさせる密談のようなものと何が違うのかと、常々、感じていた。

最終的に合意する価格は顧客毎に異なっているとはいえ、それはホテルの客室価格にも同じことが言え、公開か非公開かの違いでしかないのではないか。新聞が報道しているのだから合法なのかもしれないが、メディが正しいことをしているとは思っていないし、何十年にもわたって報道されているフォーマットなので、報道する側は何も疑問に思わずに先輩方の形式美を脈々と受け継いでいるだけなのかもしれない。

まあ、単なる一読者の感想なのでその事象自体はどうでもよいのだけれど、独禁法を恐れるあまりに業界の普通の会合さえ開きづらい世の中になったということを、もう十何年以上も前から耳にすることがあった。業界の会合を公開で開催するのも違うとは思うけれど、業界の発展のために必要な協議はあると思う。そうでなければ、極端な話、自動車工業会のような存在も違法と言われかねないし、業界としてロビー活動もある。必要なものは必要である。疑われた時のために、会議をビデオ録画しておくとかができることなのだろうか。意図した記録漏れは、文書としての議事録でも映像記録でも同じだけれど、ビデオのほうがまだましかもしれないが、どちらにも機密情報の漏洩リスクはある。

企業内のコンプライアンス対策にも同じことがいえると思うが、悪いことをするやつがいるからルールが厳しくなり、余計な手順でワークロードが増え、違法行為をしていない人にも迷惑が掛かる。ガバナンスが甘くなると市場からの信頼を失ったりするので、業務規程面ではもう過去の管理水準へ引き返すことはできないので、ルールがより厳しくなることがないよう、とにかく悪いことはしないでほしい。



4月18日の記念日
・よい歯の日:語呂合わせ。418 =よいは。11月8日は、いい歯の日。
・世界アマチュア無線の日:1925 年に国際アマチュア無線連合が結成総会。制定は1973年。
・ジンバブエ独立記念日:1980年、イギリスから。
・発明の日:1885年に「特許法」の元となる「専売特許条例」が交付された。制定は1954年。
・電子楽器メーカーのローランドが 1972 年に設立。

・Good Friday

『中国にも「働き方改革」の兆し』という記事

『中国にも「働き方改革」の兆し』という記事

数日前に、ロイター配信の記事に「アングル:中国にも「働き方改革」の兆し、長時間労働改める企業も」(英文記事:”In China, whispers of change as some companies tell staff to work less”)があった。

すでにこのステージを超えた国もあれば、まさにこのステージを迎えつつある国、まだまだモーレツ時代は少し先で今後に働き方改革を迎えるであろう国というように、時期にこそ違いはあれど、ほぼほぼすべての国がいつかはこの段階に到達し、生産性などに副作用を生じさせながらも生活の質をあげていってこの段階を乗り越え成熟するステップを踏んでいくのだと思う。

働き方改革で輸出の伸びの傾きの角度がゆるやかになる一方で、余裕のある生活を送るにつれて内需が増加し、多少の時差はあっても経済への影響をうまく最小限にして軟着陸できるとよい。良いか悪いか論はさておき、日本でもゆとりを獲得する中で、乱暴に一般化すると国際貿易での競争力は他国との相対的な見方では落ちているような感じのところ、中国のモーレツぶりが少し落ち着くかもしれない中で日本にも頑張って欲しいと思う。

一方、どの国にあっても、一律に働き方改革を強制することなく、働きたい人や各人それぞれが今こそ働いてスキルを得たいとか考える時期には、自由にモーレツになれる余地を残してくれるのも多様性の尊重と言えると思うのだけれどどうだろうか。働く権利もあると思う。


4月17日の記念日
・徳川家康忌:1616年(元和 2 年)
・アポロ 13 号が地球に帰還:1970 年
・なすび記念日:417=ヨイナス語呂合せ。この日が命日の徳川家康はなすが好物で献上されたのが4月



日本の貿易依存度 – トランプ関税

日本の貿易依存度 – トランプ関税

またもや自分の認識が実態とかけ離れていると分かったことがあった。考えてみれば、そりゃそうだ、という類のことで別にびっくりする話ではないのだが、自分の考察の浅さと考えることを放棄しているのと同等の状況であることに驚いた。

米国が発表した相互関税に関するニュースは、日本国内の輸出産業への影響について考察したり、意見したりもしている。私が少し前に調べた限りでも(*)、2023年の日本国内の四輪車生産9百万台のうちの輸出が4百万台で、そのうちアメリカ向けの輸出台数が1.5百万台であることから、生産のうちの16%、輸出に占める割合では37%の市場ということになるので影響は小さくないし、部品での輸出やメキシコからアメリカへの完成車輸出を含めれば、さらにインパクトは大きくなる。

    (*) 日本の自動車産業を台数から理解する – Journeyman : Blog
       日本の2023年四輪車生産高は26兆円なので、単純に台数割りすれば3百万円/台と
       なり、これに25%の自動車への追加関税を考慮すると関税分で1兆円となる。
       2023年と同じ台数を、追加関税課税前と同値で輸出分から販売しようとするときの
       値下げ原資として1兆円を準備しないといけなくなる計算。

その一方で、GDPへの影響を試算しているYouTube番組などもあって、それによれば影響はあまり大きくないと説明されている。実態はどうなのか気になったので、まずは日本の輸出依存度を調べようとしたところ、貿易依存度データはあったが輸出依存となるとまだ見つけられていない。貿易依存度の計算方法は、GDPと輸出・輸入とで計算しているが、輸出依存度となると分母の設定(計算式の定義)の考え方が定まらないのだろうか。

上記はいったん横において、「貿易」依存度について分かったことは、日本は30%台半ばで世界的にみると非常に低い水準ということらしい。ただ、依存度が他国と比べて相対的に低いといっても金額ベースでは他国よりも大きいはずであるし、また、日本の場合は、依存度が低いということはすでに海外生産が進んでいるということでもあるので、日本の統計に出てくる影響よりも、日本企業の全世界活動に及ぼす影響はさらに大きくなるであろうことは容易に見当につく。

私は、常々、データは嘘をつくと思っている。正しくは、データを見せる人が見せたいようにデータの見せ方を工夫して、データの受け手を誘導することができる、というべきかと思う。X軸の起点をゼロにするかしないかでも変化量の見え方は変わるし、データを示す期間ひとつで見える印象も変わる。たとえ、データが唯一の事実であったとしても、データはいくらでも恣意的に作成可能だ。

ちょっと話がそれてしまったが、日本の貿易依存度はもっと高いものと勘違いしていた。それは、昔ならった貿易立国という印象が更新されていないことも原因だと思う。国内産業の空洞化という表現は使い古されているし、製造業の海外進出ゆえに私の海外生活も長くなったわけなので、依存度が低いこと自体は驚く話ではなくて、私の凝り固まった認識(理解はちゃんと更新されている)に驚いている、というのが冒頭の話。





美容院の倒産件数増加

美容院の倒産件数増加

3月初めに美容院倒産件数が急増しているとの記事があったのを覚えている。その後も、コンサルタントといった業種別のデータに焦点をあてて報じる倒産報道をいくつか見たのと、従業員の退職による倒産といった経緯・背景側面からのニュースもあった。

原料やユーティリティなどのコスト上昇が言われてからすでに長い時間がたっていて、その高いコストの下で、もともと業種毎の企業数が多すぎることでの過当競争がさらにコスト面で圧迫している背景もあると思う。

たしかにコストを積み上げて計算してゆけば、採算が年々厳しくなっているであろうことは、異業種にいる私でも想像できるのだけれど、価格を決めるのは市場側だとすれば、お金をかけなくなったことの方が影響としては大きいと思う。

ニュースを見ていると、給与・賃金が増えていないので生活が厳しいために節約しているとかいう街頭インタビュー・コメントをよく見かけるが、その割には、価格が高そうな商品が並んでいる店は客入りもよい上に実際にキャッシャーで支払いしている人も多く見かけるし、価格が高そうな車に乗っていたりしている。車については残価設定ローンとか費用負担の新しい選択肢が出てきたこともあるだろうし、お金を遣う対象が変わってきているのもあるとは思う。そういう意味では、自分の見た目に遣うお金の世の中での総額は確実に減っているように感じている。

個々人でみれば、たくさんお金をかけている人は今でもいると思うけれど、見た目への出費を以前より抑えている人の方が多数派になって、世の中総額では減少していそう。たとえば、一昔前であればTシャツでは出かけなかった場所にも、今はそれで出かけている人が多い(Tシャツもびっくりするような値段のものもあるが)。選択肢が増えてよい流れにはなっていると思うし、他人の目を気にする必要が薄れてきた世の中もよい方向。掛けられるお金に上限がある以上は、自分が掛けたい分野にお金を掛けるように優先順位を設定する必要があるのは仕方ない。ただ、もう少し見た目にお金をかけて TPO を考えてもいいのかなあとは思ったりする。私はバルブを知らない世代ではあるけれど、就職氷河期に巻き込まれていないから、そんな考えを持っているのだろうとの自覚はある。モノが売れない時代に変化しているのに、趣味嗜好が細分化されてきて大ヒット商品が生まれずらくてますますコストも上がってしまい、本当に大変な世の中になってきた。