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Month: 2025年6月

車のタイヤの空気が抜ける

車のタイヤの空気が抜ける

今の状態になって半年以上が経っただろうか、後ろのタイヤの片側だけがすぐに空気が抜ける。

車の取説によると 230kPa が適切空気圧とのことで、勝手な判断をせずにこの値で調整する(ただし、いつも空気圧を確認するのは、家に近い場所の帰宅途中なのでタイヤに熱を帯びた状態での 230kPa なのでた厳密には正しくないかもしれない)。いつからか空気圧が抜けることに気がついたので、それ以来、空気圧を週に一度確認するようにしている。毎週の走行距離はおおよそ400km弱なのだが、前週に 230kPa で調整したものが、一週間で 190kPa くらいになってしまう。後タイヤの片側だけ。

多分、釘が刺さっているか何かなのだと思うけれど、探せない。車の定期点検の時に、ディーラー・ガレージにチェックをお願いしたのだが、問題ないとのこと(十中八九、見てもすらないと思う、ガレージの人に悪いけど)。でも、確実に抜ける。

しかし、走行距離に比例して抜けるわけではなさそうで、時間とともに抜ける感じ。なぜなら、先日に一日で 500km 走る機会があったが、帰宅時に目立った空気圧の減少はなかった。当日に走った距離のうち、5分の3 が高速道路で、5分の1 が山道、残りの 5分の1 が市街地といった感じの走り方で、高速運転もカーブの運転もそれなりにあった。それでも一日走った後で減っていなかった。日常の通勤はほとんどが 80-100km で若干の市街地走行で 400km くらいなのだが、これだと確実に一週間で 40kPaくらい低下する。これがよく判らない。

走行距離的にも今のタイヤを使っている期間的にも、そろそろ買い替え時期だと思っているので、どこでどのタイヤを買うかを決めるまでの間はだましだまし使おうとは思っている。それまでに、突然のバーストとかしないことを願っているが、ディーラー・ガレージにはちゃんと見てほしかった。しかし、時間が経つと抜けるのに走っても抜けないのはなぜなんだろうか。不思議。

TOEIC 不正受験にスマートグラスまで使うか?

TOEIC 不正受験にスマートグラスまで使うか?

ニュースを見てまず笑った。その後、何かを実行しようとするときの熱意がすごいなと思った。必死さといえばよいのか、必ず成し遂げる意思の強さというか(ちょっと前の言葉で GTIT ?)。

熱意は見習うところがある。でも、その熱意を生じさせているものは何なのか。一度のチャンスを逃してはなるまいという社会からの切迫感なのか、カンニング手配師(?)に払った費用が安くなくて費用回収が超重要なのか、TOEIC の有無で極端に変わってしまう人生を過ごしている人たちなのか。

乗っている土俵は違うのだと思うけど、多分、彼らのほうがうまくいった時の上振れ度が激しく高いのだろうというのは想像がつく。どっちがよいのかは価値観による。

ベトナム「二人っ子政策」廃止へ

ベトナム「二人っ子政策」廃止へ

ニュースで知った、二人っ子政策をしていることを。しかも、導入されたのが 1998年とのこと。もう四半世期も継続していたことを知らなかった。

ベトナムの人口についての私のイメージは、年間 1百万人ずつ増加する若い国というイメージだったので、その増加数からいって、政策で制限しているなどとは想像もつかなかった。背景には、合計特殊出生率が 2024年に最低を記録したことなどのもよう。ベトナムがそのような状況なんだと思っていると、これはベトナムだけの問題ではなく、少子化が遠くない将来に問題になりそうな国が少なくない模様。

ちょっと話は逸れるが、すでに存在する製品よりも環境面に優れた新商品が出てきた場合、真っ先に投入される市場では、当然、初めての製品が浸透するには時間を要すが、ある程度、新製品が認知されている国・市場があれば、それに続く市場では急激な市場シェアの獲得が期待できる。それと少子化の問題は異なる性質ではあるものの、少子化とは縁遠そうな国が実は先進国市場よりも、タイミングは後だとしても、先に少子化を経験した国々よりももっと急激な少子化へ突き進むことはあり得る展開だと思う。

経済が成長し、生活のコストや教育への投資が高額になるほどに、夫婦ともに働く必要が生じるし、また、社会が高度化すれば社会との関りに男女の別も関係なくなる。結婚するカップルのもとでは出生率はもしかしたら大きくは減らないかもしれないが、結婚しない人もしくは結婚システムに入らないカップルの比率が増えると、それはイコール出生しない選択肢をとる人たちということになるかもしれない。そうすると、どうしても社会の成熟とともに少子化になるのは仕方ないことかもしれない。

私個人でできることはあまりなさそうだけど、今回のベトナムの政策変更に係るニュースに触れたことで、ニュースは偏りなく入手する必要があると再認識した。ニュースを知ってどうする、とは思わない。かりに、直接自分には関係なくても、いろいろなことを知れば知るほど考える機会や感想が増えて自分の引出しが増えると思うし、考えることはボケ防止にもよいかもしれない。

ゲノム編集について専門家発言・・・歯止めはどこ

ゲノム編集について専門家発言・・・歯止めはどこ

ゲノム編集をテーマに人があつまって話している動画を見た。専門家一人と何にでも発言する、その番組のお決まりのコメンテータが出演していた。立場が変われば意見が変わるだろうし、理解度が違えば人によって見方も違ってきて当然の話。しかし、専門家の発言で引っかかるものがあった。普段、私が動画を見る時は、違う意見をいう人であっても一人突っ込みしながら楽しく見解を聞くことができるのだけど、このときだけは違った。

医療分野などではよくある話であるが、倫理との関係についての話題になったときに、悪用される可能性もあるので十分に議論してから技術的な検証に進むべきみないな意見が出てきたときに、その専門家は、「とりあえず作らせろ。それから考えたらいい」と言った。

正直、気持ち悪い意見だと思った。あまりそんな感想を持つことがない私だが、気持ち悪いと思った。同時に、研究してはいけない人ではないかと感じた。「作ったんだから、とりあえず使わせろ」と次に言いそう。実際に要求するようなことはしないにしても、「とりあえず作らせろ」という発言をする人を信用することは私にはできない。私が多数派かどうか判らないけれど、そういう発言をする人がいる以上、私個人としては危険な研究だと思った。

サンク・コスト

サンク・コスト

住友商事のニッケル関連事業での減損について報じる記事が 5 月初め以後、いつくか目にする機会があった。

参画を決定してから 20 年ほどが経つ事業のようで、累計の損失は 4,000 億円規模に膨らんだということが記事で説明されている。部外者の私には、参画を決めた経緯や、事業に関連する取引や利益でいくら挽回できているのかもわからないし、今後の計画や見通しも判らないので無責任なことはいえないが、自分が関係していた案件に関して以前から思うところとしては、以前から多くの人が指摘するようにサンクコストが選択を誤らせることはあるということ。

それは、実行済みの案件にも言えるが、実行前にもいえる。デューディリで潜在的な問題を発見したときに、それを買収金額やそのほかの契約上の条件でヘッジすることができればそうすればよいが、ついつい、いままで人手とコスト、時間をかけてここまでやってきて、契約上でもヘッジする交渉が不調に終わってしまっても、それを理由に買収交渉から撤退するというのは、理論上は難しくはなくても非常に苦痛を伴う決定だと思う。

また、サンク・コストを扱う問題は、仕事上のみならず私的な生活でもよく起こる話で、結構、公私ともに人生で頻繁に発生する決断案件だと思っている。サンク・コストという言葉は使わなくても、意外と身近な行動ではないかと。私はサンク・コストで損得を考えてしまいがちなので、住商の減損の記事をきっかけに(住商の件はサンク・コストとは関係ないと思うけれど、きっかけとして)、自分自身にリマインドしている。


※ ちなみに、上記を書く際に、サンク・コストってよく考えずに使っているけれど、100% 正しく理解しているか心配になったのでネット検索してみた(理解の一部に誤解が含まれていることが私の場合に多いので)。すると、サンク・コストとコンコルド効果という用語にヒットして、ほぼ同義だと説明しているサイトがある一方で、異なると解説するサイトもあった。どう違うのか何度も説明を読んだのだが、どうしても解説文で違いが判らなかった。これもよくある話なのだが、ほんとうに読解力が落ちたというか理解しようとして文章を読むことに困難を伴く機会が増えた。

前の車の、その前を走る車が見えない

前の車の、その前を走る車が見えない

車を運転していて感じるのは、以前は、何台か前の車の動きまで見えていたのに、最近は、自分の目の前の車しか見えないな、ということ。

私はできるだけブレーキを使わない運転を心がけているので、前の車だけではなくて、それより前の車の動きも見るようにしているのだけど、前の方を見通すことができない車が増えた。ある程度新しい車だと、ほぼほぼ全車、前を見通すことができない印象。一つにはリアガラスにフィルムが貼ってあって透過性がないこと、二つ目にはデザインなのかガラス重量を減らして燃費改善なのか判らないけれどリアウィンドウが小さくなってきていること(加えてリアウィンドウに角度がついていて前を覗くことができる面積が余計に狭い)。

その分、車間距離をとれということだろうけども、急ブレーキかける人やウィンカーを使わない人とかいるので、車間距離だけでは怖くてやはりもっと前を見たい。フィルムを張ることで車内スペースにプライベート感が出て乗り心地が改善したり、UVカットの効果があったり、また、エアコンの出力を抑えて燃費改善効果が期待できたりもするのだろうけれど、もう少し色を薄くしてもいいんじゃないかと思う。危ないのはよくない(車間距離をもっととればよいのだろうけど)。

野球グラブ色に関するルール=メッツ・千賀投手

野球グラブ色に関するルール=メッツ・千賀投手

ニューヨーク・メッツの千賀投手が、グラブ色に関して審判から注意を受け、試合中に交換することになったとの報道を見た。昔に比べて許可されている色が増えたが、ボールと紛らわしいなど打者の目を欺くような色や柄が使えないことには一定の納得感がある。

実際のルールは知らないが、高校球児の用具に関するルールには、納得性の低いものが今でも多分、数多く残っているのだろうと思う。数年前に白スパイクが認められたことは、結構、大きなニュースとして受け取った。昔から、白のアップシューズは、明らかに黒いスパイクよりも足が軽そうに見えていた。また、ストッキングの見える範囲が広い、高校生的なユニフォームの着こなしにも白スパイクは親和性がよく恰好いい(白ストッキングのチームはその限りでないかも)。ちなみに、黒いスパイクの靴墨に対して、白スパイクはレザーローションで汚れとってからグラブと共通の透明な革クリームなのだろうか、それとも白い靴墨があるのだろうか?。

昔の高校生ルールとしては、名前はインクでないとだめで、親指刺繍は公式戦では使えないというのがあった。何かの動画か記事かで、手を入れるグラブ内側の手のひらと接する部分に刺繍を入れているグラブを観た記憶があるので、今は、高校生も刺繍自体は見えないところで使えるのかもしれないけれど、何十年か前の高校球児に刺繍は憧れであった。刺繍はプレーに関係ないとか、華美なものは高校生の教育上よくないとかの理由なのだろうけど(自力で調べる手間を省いてしまった)、刺繍あるグラブならば、愛着がより深くわき、手入れして大事に使おうって気持ちになるだろうに、とは思う。まあ、親の金銭的負担は増えるのはつらいが…

国際電話の掛け方をどう説明するか

国際電話の掛け方をどう説明するか

先頭のゼロを含めて電話番号だと思っていたが、そうではなかった。今日まで知らなかった。

業務で必要なSMSが届かない。対外的な取引にあたって、契約書の署名をオンラインですることになった。「契約書の内容を確認しました・受諾します」のボックスにネット上でチェックを入れると、それをトリガーとして SMS で認証コードが送られてきて、そのコードを入力することで契約書の締結が完了する、というプロセスを初めて経験した。

ところが、いくら待っても SMS が送られてこない。相手は欧州の会社で、私から質問して、回答があって、それでも解決しないから再度メールという感じになって、時差もあるため一日 1.5 往復くらいしかできなくて、なかなか解決しなかった。待ちきれなくて電話で問い合わせてしても、IT チームに確認するとかいって、結局、解決しない。

先方との会話の中で、電話番号の登録が正しいかどうかという話になったときに、国コードと電話番号を入力するボックスが別々にあったため、もしかしたら電話に0(ゼロ)をつけたまま登録したら、システムが勝手に0をとる仕組みになっていて、0を含めた登録を求められているかもしれない可能性も疑い、あえて0を入れて登録してみたりもした。

こうした入力方法の違いを試したけどうまくいかないとか、私のいる国の電話会社側の都合で SMS が届かない可能性を疑って、日本の番号である私の私用携帯で国番号 81 で登録してもだめだ、などと相手に説明した。その際に、0をとってみたとか入れたとかいうときに、「国際電話番号だから最初の0をとった登録してあります」という表現をしたのだが、相手からは「電話番号を正しく入力したか?」と聞かれた。なにかうまく意思疎通できていないような感覚がしてきた。私の説明と相手の感覚がすれ違っているような気がしたので、電話番号の定義を調べてみたところ、最初の0は国内通話を示す番号であって、電話番号ではないという事実を知った。もしも誰かが私へ電話するときは、0123-456-789 とダイアルするものの、厳密に言えば、私の電話番号は 123-456-789 ということらしい。固定電話だとすると、東京の市外局番は 3 であると。03 ではないと。はじめて知った。

「国際電話には0をとる」よりも、「国際電話には国番号のあとに電話番号を」という表現の方が過不足のない効率の良い表現であることを知った。何十年も生きてきても、初めて知ることは尽きない。


※ SMS が届かない理由はまだ不明なのだが、どうやら、発信側の欧州の国(スペイン)の SMS は 4 桁のショートコードを使って送信するようだが、私のいる国の携帯電話会社は、5 桁もしくは 6 桁のショートコードからのみ SMS を受信できるようで、4 桁コードから送られてきてもダメっぽい模様。

ただ、欧州側の送信先企業名と「SMS が届かない」をキーワードにネット検索してみたら、SMS が届かないとの苦情の書き込みがスレッドになっているサイトを見つけた。桁数の問題でもない、よく判らない原因でありそうな感じだった。向こうの問題じゃないかと。先方のヘルプデスクに電話しても解決する意欲を感じさせないオペレータさんが殆どだったのは、彼・彼女たちも、解決が不可能な同じ質問にうんざりしていたんだろうなと思った(二人だけ、熱心に話を聞いてくれるオペレータがいたのは助かった、解決はしてないけど)。

ビギナーズ・ラックは実は必然か?

ビギナーズ・ラックは実は必然か?

賭け事にはまっていた人が、はまっていた当時の話をする動画を見た。その中で、ビギナーズ・ラックで勝ったことが忘れられなかったことが、ハマってしまったことの一つの背景のようなことを言っていた人がいた。

私の場合は、競馬や競艇、競輪に行ったことはないが、パチンコは片手の指で足りる回数ながら経験者。私にもビギナーズ・ラックがあった。それもあって、その後に1,2回はやってみた記憶はあるが、ラックが忘れられないということがなく、今日現在では、それ以来、パチンコ店に足を踏み入れていない。

よくビギナーズ・ラックというが、そんなラックがあるとも思えない。もしかして、ビギナーっぽい人を店内カメラで見つけたら、バックヤードで調整して玉を出しているんじゃないかとふと思った。店としては一旦出費となるものの、ビギナーズ・ラックが忘れられなくて通ってくれる優良顧客になるかもしれず、長期的にみれば店の勝ちとなるから、なんてことを思ったりするけど、そんな面倒なことはしなくてもハマってくれる人は勝手にそうなるだろう。

疑い深い性格はよくないね。

たいしたものじゃない

たいしたものじゃない

行き詰まりを感じることがある。それでも、毎日、仕事をしに会社へ行くし、ご飯も食べる。だから、深刻な行き詰まりではないと思っている。

行き詰まりを感じるもとは仕事からきている。プライベート・ライフがあるような生き方をしているわけではないので、例えば、友人関係に悩むことで行き詰まりを感じることはない。結局、仕事が日常生活にも感情にも大きく影響を与えている。

具体的には、思うような成果をあげられていないことや、業務とスキルが合っていないと感じていることなどにスッキリしない感情があって、それが行き詰まりという感情になっているかと思う。そう思う背景には、成果を上げていた自分が過去にいたと思うことや、自分のスキルがその当時の業務にうまい具合に活用できた経験が都合の良い記憶(良い思い出)として残っているというのが潜在意識にあって、それとの比較で行き詰まっていると感じているのだと思う。

しかし、冷静に考えてみると、良い時がそんなに長い時間あったわけではないし、大学卒業までも順風満帆な子ども生活・学生生活を送っていたわけではない。そこは、自分の人生を否定するほどの悪いストーリがあったわけではないのだが、単純に、今、行き詰まりを感じるほどの良い生活を以前に送っていたかといえば、それほどでもない、という程度のこと。

つまりは、大したものではないということ。それに気づいたら、もう少し楽にやっていけそうな気がしてきた。だけど、全力は尽くすつもり。