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カテゴリー: 不思議

他社より早く出すことが記者には大事らしい

他社より早く出すことが記者には大事らしい

先日にYouTube番組をみていたところ、以前は新聞社に所属していたというフリーライターがゲストで出演している番組が流れてきた。いわゆる大手の新聞社に属している記者あるあるのようなことをインタビュアーから聞かれて答えていた。

あるあるのひとつとして、記者は他社よりも少しでも早く配信したいという気持ちがあるというようなことを言っていた。非常に理解できる。紙のニュースだった時代ならいざしらず、ネット配信となると朝刊・夕刊の時間を待たずに随時配信できるから、一分一秒でも早くというのは非常によく分かる。

ただ、それは、読者に有用な情報を少しでも早く伝えないといけないという使命感よりも、他社を差し置いて早く伝えたいということに重きをおいているようで、そうなると半分理解して半分はなんだかな、という印象を受けた。また、記事の真偽は別でとにかく早く出せばよいようなことを匂わしていたので、さっき、私が記者の習性の半分理解を示したうちのまた半値七掛けくらいしか共感できなくなってしまった。

それって個人の承認欲求を紙面や公共の(?)ネットを使って満たしているだけでしょうと思った。本心ではそう思っていても、その気持ちを隠すくらいしてもよいのではないかとも思った。

私が以前に関与していた案件に関わるメディアの報道ぶりに疑問を感じたことが過去にあり、それからは記事を信じなくなってはいたのだけれど、今回のこの番組によって、より強くそれを思うようになった。

メディアも営利企業だから、記事へのアクセスが増えることが第一義だろうから読んでもらえそうなセンセーショナルさが正確性にまさるし、そのメディアに所属する記者の側も、記者個人の評価が一番であるという人が多いのではないだろうかと想像する。正しく書いたからといって読者が増えたり評価がよくなったりするわけではない仕組みなのだと思う。また、何が正しいかを知らない私たちは、結局、記事が正しいかどうかさえ判別つかない。できるのは、自分が精通している分野がどう書かれているか比較して、その評価を参考にすることくらいだろう。

日本のシルエットが Japan の「j」に似ている

日本のシルエットが Japan の「j」に似ている

私だけが気付いていなかった・知らなかったのならばこの場で言うことが少し恥ずかしいけれど、日本列島のシルエットが小文字の j に似ていることにふと気付いた。大文字でもいいのだけれど、小文字の・が北海道に見えるので小文字のほうがより似ている(東北は長いし、近畿・中国地方は逆に短いし、四国・九州を表す点(・)がないなど、苦情が多くなりそうだけれど)。

日本を Japan にしてくれた人にお礼を言いたい。似たのはたまたまなのだろうけれど、そんなたまたまな出来事があるんだ。

脱炭素が生む新たな環境負荷

脱炭素が生む新たな環境負荷

ちょっと前のネット・ニュースに、脱炭素のあとに生じる環境負荷について取り上げた文章があった。

大変だなあと思った。飯のタネを探し続けること、誰かが何かを言う前に先手を打たなければならないこと、常に何かに対して文句言い続けなければならないこと。そういったことをしなければ、存在価値がなくなってしまうのを危惧しているのだろうか。

大変なのかお気楽なのか、どちらかわからないけれど気の毒な感じがした。また、それを取り上げるメディアに勤める人も同じように気の毒だと思った。

ドイツ:年間のビール販売量が最低を記録 2025年

ドイツ:年間のビール販売量が最低を記録 2025年

いくつかのメディアで記事を見た。2025年のビール販売数量が最低を記録したらしい。

20年くらい前の私の古い記憶では、販売量は知らないけれど、国民一人あたりの消費量をチェコと首位を争っていたのがドイツ。消費量には旅行者が飲んでいた量も含んでいただろうから、本当の国民一人あたりの量はわかないけれど、「ドイツと言えばビール」は私以外の人も認めることだと思う(「ドイツと言えばポルシェ」、「ドイツと言えばアウディ」、「ドイツと言えばメルセデス」、「ドイツと言えばフランケンワイン」、「ドイツと言えばモンブランのペン」、「ドイツと言えば、アディダス/プーマ(兄弟)」などなどいっぱいあると思うけれど)。

記事にあった販売数量と私が調べた人口(および勝手に想像した飲酒可能人口)から計算すると、一人当たり100リットルくらいになりそう。旅行者を入れるとさらに減る。前段のチェコとドイツが一人あたり消費量を争っていた時は、たしか 160リットル/人 くらいだったと思う(20年くらいまえの記憶)。

健康志向だったり、酒を飲まないムスリム系国民だったりの影響もあるのかもしれないけれど、結構、驚愕のデータ。ビール・メーカーも大変だろうと思う。ビール物価高もあるかもしれない。

もう、前のような世界は帰ってこないのだろうか。

特定の国の人々に人気の旅行先 – 行ってびっくり

特定の国の人々に人気の旅行先 – 行ってびっくり

海外旅行にいくと、団体旅行ではないのに特定の言語ばかりが聞こえてくる旅行先に出くわすことが少なくない。例えば、ドイツ語ばかり聞こえるスペインの島。何十年か遡ると、もしかしたらハワイやグアムは日本語ばかり聞こえるアメリカの島と外国人から認識されていたかもしれない。

そうなる前の時点では、地理的に近いとか航空便が多いとかの理由があったのかもしれないが、一旦、その観光地が特定の国からの旅行者にとって便利となったり知られたりすると、一気にその国の旅行者が増えることになったのだろうと思う。

少し前に旅行でいった場所ではよくロシア語を聞いた。その場所は、ロシアからくるには遠いし、今はロシアから出国ってできるの?って思った。ロシア国外にいるロシア人が多いのだろうとは想像するけれど、在外ロシア人が一箇所で密度が高くなるのも不思議。同時にたくさんの人がいるのはツアーであれば判る。だから、ロシアからのツアー客であればありえなくもないけれど、在外ロシア人がどこかの国からたまたまロシア人だらけのツアーが開催されるのもありえなそうだし、リゾートっぽいところへのツアーというのも聞いたことがない(聞いたことがないだけであるのかもしれないけれど)。

判らないけれど、まあいっか。

事務所が寒い

事務所が寒い

東南アジアがそうだと理解してはいるものの、我慢できないほどに寒い時がある。
日本にいる時は私は暑がりだった。就職して初めてクーラーに出会った私としては、冷房は非常にありがたいデバイスであり、電気代を気にしなくてよいくらいの大富豪であれば、24時間つけっぱなしにしておきたいくらいだった。

東南アジアにきてから、クーラーが苦痛に感じる場面が結構ある。なぜなのか。

今まで気付かなかったけれど、ローカルの同僚も様々な出身国からの同僚も、汗をかかない人が多いようだ。だから、体温調整が苦手で熱が体にこもるのでガンガン冷房をたいているのかなあというように思うようになった。

それが正解かどうかは判らないけれど、そう思うようになってから、彼・彼女たちの気持ちを判ってあげられそうになった。

誤クリックを誘導するウェブサイト

誤クリックを誘導するウェブサイト

PC だとあまり感じないのだけれど、携帯のブラウザでウェブサイトを見ているときにクリック(スマホだとタッチ?)しようとすると、ページが上下方向に動いて開けようとしたリンクでないところが開いてしまうことが高頻度でサーチエンジンがある。

ページを読み込むのに時間が掛かっていて、タッチしようとした瞬間に読み込みが終わったように見える(または見せている、あるいはそう装っている)。あるいは、ページを開いてからタッチするまでの平均データとかをとって、ページが開いてから一定時間たったら上下に動かすような地雷設定にしているようにさえ感じる。広告をクリックさせる月間の回数とかを確約してウェブサイトに地雷を設定、それで広告料をとっているサーチエンジンなのでは…

あまりに頻繁に発生するので、そんな陰謀論を想像してしまうほど。
なんとかして欲しい。

運が良い日はかえって心配、貧乏性な私

運が良い日はかえって心配、貧乏性な私

渋滞がなければ車で 30 分の通勤路に信号機が6機ある。そのうち3機は押しボタン式に近いので、運の良いことが残りの信号で3回続くとノンスップで出社可能。これは往路のケース。復路は信号が3つで、押しボタン式が一つ。

私が住む町のスーパーでは、目的の商品の品切れが起こると数週間にわたってその状況が解消されないことがまま起こる。何かがないことが多いのだけど、その日に買おうと思ったもの全てが揃うことが極まれにある。

これらは運の良い日の例なのだけど、そんな日は少し心配になる。そのあとに、何か良くないことが起こるかも、と。

貧乏性の意味とは違うけれど、貧乏性という側面があると運が良いことが少し心配になることがある。

ラストスパートの人

ラストスパートの人

私は、期限ぎりぎりでアイデアが降ってくることが多い人、と分類ができるなあと思うことがある。期限があることの話なので、仕事場でのこと。

決して、意図的にぎりぎりまで何もしていないわけではない。結構、早めに取り組み始めて一生懸命考える。それなのに、最後の最後にならないと、これだ、っていうアイデアが降りてこないことが多い。なぜだろう。

今でも思いだせるケースはいくつかあるのだけれど、一番のやつは、ちゃんとモノづくりと返済計画の見直しをやってくれという交渉をするために、海外の融資先に出向いたときのこと。飛行機の中でもなかなか交渉の方針がたたずに結構焦っていた。そうこうしているうちに飛行機は空港に到着し、もう、空港から交渉の場へ直行するための電車に揺られてしまっている。

空港から市内中心部への電車の中で、突然にアイデアが降ってきた。この時、会議開始時刻まであと2時間を切っていたような時間帯だったと思う。ここから、これだっていう交渉ストーリーを揺れる電車の中でノート何ページにも亘って書き続けた。出張は私一人で相手は融資先の社長、私の上司である部長は本社から電話で参加し、その顔色や反応を目でみることができない中で私が交渉の主導権を握ってゆかなければならないプレッシャーが堪らなかった。

それまでにもラストスパートになることが多いというのは薄々感じていたのだけれど、この時の出来事がぎりぎり選手であることを再認識させてくれた。それが悪い方向にいってしまって、最後にはどうにかなるだろうという気持ちのゆるみがどこかにあるのかもしれない(決して、意図的にそうしてない)。私は、元来は余裕をもって仕上げておかないと気が済まない人。だから、最終的にいいものが期限間近でできたとしても、それを狙っているわけではないので、最初から全力投球をしている。なので、力を入れている期間はどうしても長くなっていまい、その結果、結構疲れてしまうので、これをなんとかしたいのだけれど、なんともできない。アイデアが降ってくるまでの時間も無駄になってしまっているようで、時間を返せと言いたくなることもある。ただ、できないまま期限が来るよりは、まだいいかなあと自分に納得させてている。

ああ、直したい。

マツコさんの TV 番組の BGM

マツコさんの TV 番組の BGM

マツコ・デラックスが出ている TV 番組で流れている BGM は、かなり高い確率で私が好きな曲が多い。好きな中でも、「洋楽で懐かしめで好き」という分類に該当する曲が多い傾向。私はそんなに TV 番組を見ていた部類の人間ではないのでサンプル数は少ないけれども、そう言える。

不思議なのは、テレビ局が違っていてもマツコさんが出ていると選曲の好みがあう。マツコさん自身で選曲しているはずないだろうから、なぜか不思議。似たような歓声のスタッフさんが制作しているのだろうか?

オフレコ

オフレコ

官邸幹部のオフレコ発言が最近に報じられていた。

何年に一度の頻度でオフレコ発言が取りざたされる。そのたびにいろいろ議論があるが、私の中では政治家にはオフレコ発言はないと思っている。オフレコといってそれを本気にするマスコミは存在しない、というのが既に暗黙の了解になっているという認識だった。

だから、政治家が「これ、オフレコだからな」という場合は、流出するのが判ってあえてその情報を流すのが政治家でも常識になっているのかと勘違いしていた模様。

今回報道されている案件にどのような背景があるのか判らないけれど、センシティブな時の変な発言もよく判らないし、オフレコ発言を書くくらいなら発言者の名前も明かせばよいのにそうはしないのはなぜかもマスコミの世界にいない私には想像もつかない。オフレコ書くなら、その官邸高官とマスコミの信頼関係は壊れてしまっているはずなので具体名を隠す必要がないように私にも思える。

彼らには彼らの暗黙の了解があるのだろうけれど、オフレコは書くというのがそうなのであれば、発言者はもっときちんと認識すべきだと思う。そうでなければ、わざと言ったとしか思えない。だとしたら、今じゃなくてよかったのではという私の感想。あるいは、わざと足を引っ張るために、書かれる前提でオフレコ発言すれば、オフレコだからってそんなこと言ってもいいのかというように余計に否定的な意見を引き出しやすい。そうであれば、マスコミが名前を出さない理由はありそう。ともにアンチ現政権ということになるだろう。

ゆうれい坂・ミステリー坂・坂道錯視

ゆうれい坂・ミステリー坂・坂道錯視

たまに買い出しに出かける都会への3時間ドライブの途中に、下り坂に見えるのにアクセルを踏み続けないと減速してしまう区間がある。

雨の日の通勤の時には、坂の途中なのに水たまりになっているところがある。

後者は、舗装にくぼみができているのが原因かもしれないけれど、そこそこの勾配の坂に結構な広さの水たまりになっているので、単なるくぼみとして処理できそうにもない。

鍵っ子だった小学生のころ、空の缶カラが坂を上ってゆくところを一人でテレビで見た覚えがある。ゆうれい坂というのをその時に知った。

自転車通学していた高校当時も、下りのはずなのにペダルがとても重い箇所とかあった。

物理に反する出来事はないはずなので、目の錯覚ということで間違いないのだろうけれど、私の知っている場所ですら、人の目はあてにならないなあと思うくらいに結構な錯覚をさせている。

報道 – 極端な例を注釈なく引用、意図的なのだろう

報道 – 極端な例を注釈なく引用、意図的なのだろう

私が身を置く業界の製品価格が報道に取り上げられることがたまにある。業界動向は昔から事実でない記事が多かったけれど、価格面については、市場価格情報プロバイダーが毎日・毎週の市況を伝える客観情報があるので嘘は付けず、割と実態にあった報道ぶりだった。ところが、今年になって米国が世界中の国に追加関税を発表して以後、一般紙は価格も意図的としか思えないミスリード記事を載せるようになった(トランプ大統領のせいで商品市況があがって由々しき事態だと印象付けるため?)。

価格が半年前の3倍になりました、とか。でも実際は、メイン市場では1割とか2割の上昇なのに、小さい市場で3倍になっているのをあたかも世界中で3倍になっているかのように報じていたりする。そんな報道ぶりにもやもや感を持ってなんだかなあと思っていたところ、最近になって初めて、「欧州市場価格」という説明つき記事を初めてみた。そう、たしかに欧州は急騰していたのだが、欧州需要はあまりない製品の業界なので、欧州価格を代表とみる業界の人は一切いない。経済に強いと言われる一般紙の商品担当者はそんなこと知っているはずだから、知っていてやっているパターンだろう。それまでは、3倍になっている欧州価格の折れ線グラフをなんの注釈もないままに、単に市況価格として報じていた。アジアや中国、アメリカでは価格が上昇していても二けたパーセントの上昇にとどまっているのに。

読者の興味を引くことができれば、内容はどうでもいいんだなあというのがはっきり伝わる良い例。
自分がよく知らない分野のことは、だまされないようにしないと。

知らないことを自信満々に話す外国人

知らないことを自信満々に話す外国人

私が不思議に思い続けていることの一つに、どうして知らないことを外国人は自信満々に間違えて教えてくれるのか、ということ。

私の質問に対して自信満々に答えてくれたのに、それが頓珍漢だったことが結構ある。知らなくても知っているふりをしないといけない局面もあろうことは多少理解するが、そんな場面とは全く関係のない、例えば、ラジオから流れてくるこの曲のタイトル知っている?という質問、この場合は、知らないという回答をしても何らその人にはダメージがない場合なのに、なぜ、知らないと言わないのか。テキトーなことを、さも知っているように教えてくれる人の心情を想像することができない。

妻に出張の支度をしてもらう夫

妻に出張の支度をしてもらう夫

21世紀に入ってすぐくらいの頃のドラマを見てたら、急遽、翌日から出張に出るという夫が、妻に荷造りを頼んでいた。現実世界との違いをドラマを見ている時に良く感じるが、荷造りを頼む夫って、時代に限らず本当にいたの?何が必要だとか、お任せでいいいの?あるいは、出張セットを決めてる家庭?
それとも、脚本家とかテレビ局に勤める人にとっては、妻に荷造りを頼む人が多数派なの?

今のドラマもそうだけれど、昔のドラマは今のよりももっと謎が多い。

報道の自由度が低いはずが政府批判ばかり

報道の自由度が低いはずが政府批判ばかり

国際NGO「国境なき記者団」が発表する報道の自由度ランキングが度々メディアで取り上げられる。つい最近にも、私がメディアを通じて見聞きしたものだけで、複数の機会があった。

進行役の人が、自由度ランキングの高い国として北欧を例にあげ、そういった国では忖度せずに政府批判をするといったような説明をしていた。翻って日本は政府批判をしないのでランキングが低いとのこと。

その進行役の人は、何かあれば政府批判ばかりしている人と私には映っている。そう言わないとテレビ局から仕事がもらえないのか、自分のことは棚に上げる人なのか、はたまた、自分がいつも言っていることを忘れてしまうのか真意は判らないのだけれど、とても不思議。

老眼の定義を正しく知る

老眼の定義を正しく知る

日本資本の眼鏡店がやってきた。もしかしたら前からあったのかもしれないけれど、私がたまに買い出しにゆくモールには最近やってきた。

そこへ偵察にいってみた。

私の眼鏡は遠近両用。近くは見えて、遠くが見えない。だから、仕事中でいえば、パソコンを見る時は眼鏡を外し、会議資料がプロジェクタでスクリーンに投影されたものしかない場合は眼鏡を掛ける。スイカやパスモが登場する前は、普段乗らない路線の電車に乗る時は運賃表を見ないといけないので眼鏡が必要だったが、車内で本を読むのは眼鏡は不要。まあ、今は電子マネーが乗った路線の運賃を勝手に引き落としてくれるので、知らない土地でも眼鏡は不要になったので車中も車外も眼鏡は不要。

だから、眼鏡の掛け外しが頻繁に発生した。こうすると、視力の低下が早まるというのが十数年前の定説っぽかったので、遠近両用ならば外す必要性が薄れ、結果として視力低下の進行を遅らせられると思った。それ以来、遠近両用メガネ派に転向した(「それ以来」と書くと、何度も作り替えた眼鏡が全て遠近両用だったように誘導する表現だけれど、実は、その時に作った眼鏡を今でも使っているので最初の一本限り)。

一時休暇で日本に行く機会はあるけれど、遠近両用を作ってもらうのに必要な期間には足りず、遠近両用派に転向後も、特定の用途に両用でないメガネを新調していた。

が、しかし。日本の眼鏡チェインができたので、ここで作れるか相談したところ、なんだかよさそう。日本の店でなくても遠近はあるけれど、以前に書いたように日本ですら眼鏡を上手に作れたことがないので、それを海外でしかも遠近両用をチャレンジする気になれなかったが、明るい未来が見えてきた。

大都会まで出ていかないといけないけれど、便利になったなあ、この国。

タイトルに書いた「老眼の定義」について書くのを忘れていた。近くが見えないのが老眼だと私は今日まで思っていた。ところが、目の検査を担当頂いた日本人の方によると(現在、期間限定で当地店舗で研修中の由で、もうすぐ日本の本来の勤務地に戻ってしまうそうなので、日本語が通じるうちにメガネを作りたい)、調整ができなくなることが老眼とのこと。近眼の私は、以前は一つのメガネで近くも見えていたが、今は、遠くを見るためのメガネでは近くは見えず、裸眼にしないといけない。近くが見えても、これは立派な老眼らしい。

私は近くが見える老眼。

お茶漬け

お茶漬け

動画を見ている時に、お茶漬けの CM が流れてきた。

お茶漬けといえば、1食分ずつ小分けになっているのがデフォルトの認識。ごはんの量が1食分より多くて2食分未満と半端なとき、お茶漬け1袋では足りないし、海外暮らしですぐに購入できない場所にいる時は2袋を一度に使ってしまうのは勿体ない気分になる。日本にいれば、お茶漬け1袋に鮭フレークをトッピングにすれば、ご飯が多少多くても味濃くすることができる。しかし、海外では買えても高いし、買える場所は車で何時間もかかる。

見たお茶漬け CM は、ふりかけのように大袋の製品に見えた。これは、私のような消費者には嬉しいし、多分、私のような人は毎回多めにお茶漬けの素をフリフリするので消費が早くなるため、売上が今より上がるに違いない。まさに、消費者とメーカー、小売店も含めた全員が Win – Win な商品だ。あられが多少、湿気を帯びるようなことはあるが、いずれはお湯に溶かされるので、多少の湿気は問題ないように思う。

ところがだ。CM の記憶が正しいかどうか確認しようと思って、永谷園のウェブサイトでその商品を確認しようと思ったのだけれど、小分けしたものしか商品情報ページない。あれ、おかしい。寝ぼけていたのかなあ。メーカーのウェブサイトでわざわざ確認しようと思ったこと自体、潜在意識の下で CM を疑っていたとしたら、これは仕組まれた罠か。

考えすぎだけど。

カップか水筒かで変わるコーヒーの味

カップか水筒かで変わるコーヒーの味

最近に度々起きてることなのだけど、コーヒーをおいしく感じないことがある。好きな味の豆が手に入らなくて、確かに1か月くらい前までは別の種類だったのだけど、最近はいつもの豆に戻っている。それでも何かが違う。

コーヒー豆の価格高騰で品質が変わったのか。あるいは、私の好みが変わったか。はたまた、味覚障害にでもなったか。

いろいろ考えていたところ、週末に自宅で飲んだコーヒーはいつも通りの味だったことを思い出した。自宅と会社で違うところは、カップで飲むか水筒で飲むかだ。そこで疑ったのは、ストローでアルコールを飲むと酔いやすいのは空気と一緒に飲むから、というのを思い出した。コーヒーも水筒の狭い飲み口から少ない空気とともに飲むとを味が変わるのではないか。

ネットに答えがないかと思って探してみたところ、水筒は作り置きなのでカップで飲む時より温度が低いことと、周りの雰囲気で味が変わるというのにヒットしたけれど、私にはちょっとしっくりこなかった。そんなちょっと落ち着いた感覚になったのもあってか、この疑問のことは少しの間、忘れていた。

何の拍子か、また、気になる瞬間が来た。今度は別のキーワードでネット検索してみたところ、あるわあるわ、同じようなことを言っているページがたくさんヒットした。ああ、みんな同じような経験をして、同じような感想を持ったんだと認識した。

結局、まだ理由は判っていないのだけれど、試しに会社にカップを持って行き、水筒からカップに注いで飲んだところ、いつもの味なのに気が付いた。水筒に入れている間に味が変わったのではなくて、水筒から飲むと違う味に感じるところまでは実証できた(理論は不明)。またおいしくコーヒーが飲めるのが楽しい。


※ 逆流性食道炎の改善のためにカフェインを控える実験をしようと考えたのは、改善を企図しているのは本当にそうなのだけれど、最近、コーヒーをおいしく感じない場面が増えたのも実はその背景のひとつ。カップでおいしく飲めることに気付いてしまったので、さあ、どうしよう。

こっちに向かって虫が歩いて来る

こっちに向かって虫が歩いて来る

会社のトイレ個室に入っていた時のこと。名前を知らない虫がこっちに向かって歩いて来る。ムカデに小さな羽が生えたような感じだけど、飛ぶことはさなさそうな虫。

トイレでの用事は終わったあとだったので、私は自由に動くことができる状況にあり、体の位置を変えてみた。そうすると、その虫が向きを変えた私のほうに向かって歩いて来る。なんということだ。

たまたまかと思って、再度、体(足)の位置を変えてみる。そうすると、また同じことが起きた。アンビリーバブル。

もう一回やっても同じことが起きたので、体温なのか体臭なのか判らないけれど、何かの感覚で私の位置を認識したうえで虫が歩いていることの疑いが高いことがはっきりしたと言ってよいと思う。でも、なぜ私のほうに近づいてきたのだろう。私が生物だと認識していたとしても、大きさとかどんな生物かは認識できないと思う。もしかしたら、自分(=虫)を襲ってくるかもしれないような得体のしれない生物(=私)に向かって自分から近づいてくるだろうか。普通は逃げるのじゃないか。生物学に詳しい人と会う機会があれば聞いてみたい。