自民党総裁選でのステマ

自民党総裁選でのステマ

やったこともダメだし、そのあとのコメントもダメだろうという感想。

本人ではないので実際にどうなのか判らないけれど、しらを切っているのか問題意識が別のところにあるのか。しらを切るようなことになるなら初めからやらなければよい。「表現が行き過ぎた」という意識が本当だとすれば、今後の改善・改心も期待できなさそう。

私は年齢的にはそこそこ。新卒では大企業と区分される会社に就職し、東京に住所を持ったことはないけれど、勤務地として大都会の東京と絡む生活を送った時間がそれなりにあった。だから、個人としては自民党支持ではないものの、自民党政権によってそこそこの生活を送ることができた国民の一人だったような自覚は多少ある。そんな自覚もあってか、政権与党である自民党にはしっかりやって欲しいし、政権が変わって色々なことが急激に変わることには少し不安感を持っている。全体として良い方向か悪い方向かという心配に加えて、私の属性にとってもメリットがあるのかデメリットが生じるのかにも不安がある。年齢的には、今の世の中に不満はあるものの、あまりに大きく変化していくのは少し不安。この感情が国を変えることにマイナスなことも理解しているので、別の自分は若い人たちのために良い世の中になるためのコストを払う必要があると考えていて、受け容れる準備もある。

今回のステマ事件で感じたのは、日本は変わらないと本当にダメになってしまいそうということ。もしステマ首相が誕生すれば、次の選挙では自民党はもっと議席を減らしそう。また、ステマ首相が誕生しないとしても、もう自民党は党内や議員自分のことしか考えていないということがバレてしまったとおもう。中くらいの大きさの党がいくつか存在する体制になって必ず連立政権となるけれど、連立の構成党はその時々の国のアジェンダで変わるようなことになるんじゃないかなと想像している。

とにかく安心して暮らせる国にして欲しい。経済的にも治安でも安心でき、外交的にも安心できる国にして欲しい。

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