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カテゴリー: 疑問に思ったこと

フォーマット化:うまく使う分にはよいが

フォーマット化:うまく使う分にはよいが

フォーマット化してできることは省力化・省人化・迅速化などなど、決まりきった何かを遂行する場合には良い面が多いと思う。一方、臨機応変に対応しなければならない状況には使えない。行動に関する場面では、「マニュアル化」と言い換えてもよいと思う。思考をアウトプットしたりする場合は、「フォーマット化」がふさわしい表現だと思う。

今月に実施された衆議院選挙後の動きを見ると、フォーマット化のよくない面を見ているような気がする。一番大きな例としては、中道改革連合の代表交代というのが私の意見。議席数を減らした二人の共同代表が引責辞任をし、さっそく、新代表が選出された。政治の分野に限らず、何か不祥事などが起きた直後に引責辞任はよくある話であり、また、辞任しない場合にはそのトップに対してマスコミや芸能人、政治家・経済人、世論などからの辞任を求める声が大きくなったりする。まれに、問題に対処するため辞任しません、というトップもいるけれど、保身だとかなんだとかで批判の矢面に立たされる。

多くの人に引責辞任がフォーマット化されていると思う。しかし、今回の中道をみていると、党内を落ち着かせてから新代表を選出した方がよかったのではないかと私は思う。特別国会の召集までに新体制にしたかっただろうし(首班指名に野田もしくは斎藤共同代表の名前を書くことはできないだろう)、共同代表自身が辞任を言ってしまったし(取材マスコミは辞任の言質をとるまで身の振り方を聞き続けただろう)、前代表自身としても辞任した方が楽だということも考えただろう。

しかし、今回の中道のようなケースでは、真摯に敗因を分析し、最終決定は新体制確定後だとしても、党内に将来の安心感をあたえるような方向性の案を打ち出したりして、悪い膿は自分たちがいる間に出し切り、新代表選出後は前向きな議論に集中できるような体制を作ってから辞任すべきだったと思う。それには、党員やマスコミもむやみに辞任させようとするのはどうかと思う。

フォーマット化が負の働きをする例だったと思う。決まりきったことを遂行するにはよいが、答えを見つける行動の場合には、思考停止につながるフォーマット化はうまく機能しないと感じさせる事象だ。

リアル世界の登場人物が夢に出る

リアル世界の登場人物が夢に出る

私はあまり夢を見ない。

私は夢科学者ではないので、表現が間違っているかもしれない。夢は見ているけど、起床時に覚えていないから、たぶん、夢を見ていないと私は思い込んでいるのだろう。なぜなら、私は忘れっぽいから。しかし、忘れぽっくなった自覚はここ10年以内の話であって、夢を覚えていないのはもっと長期の話ゆえに、忘れっぽいのと夢を見ていないという自覚はリンクしていない可能性が高そうだ。

ここ二日、見た夢を起床時に続けて覚えている。しかも、実際の知り合いや知っている場所が登場する夢で、さらにいえば、会話内容とかが嫌いな方向性であったり全くありえない内容ではないことに非常に驚いている。

何だこれは。吉なのか不吉なのか。はたまた、記憶の整理・植え付けなのか。

しばらく観察してみようと思う。

事務所が寒い

事務所が寒い

東南アジアがそうだと理解してはいるものの、我慢できないほどに寒い時がある。
日本にいる時は私は暑がりだった。就職して初めてクーラーに出会った私としては、冷房は非常にありがたいデバイスであり、電気代を気にしなくてよいくらいの大富豪であれば、24時間つけっぱなしにしておきたいくらいだった。

東南アジアにきてから、クーラーが苦痛に感じる場面が結構ある。なぜなのか。

今まで気付かなかったけれど、ローカルの同僚も様々な出身国からの同僚も、汗をかかない人が多いようだ。だから、体温調整が苦手で熱が体にこもるのでガンガン冷房をたいているのかなあというように思うようになった。

それが正解かどうかは判らないけれど、そう思うようになってから、彼・彼女たちの気持ちを判ってあげられそうになった。

世界で一番深い穴

世界で一番深い穴

何か調べごとをしていた時だったと思うのだけれど、世界で一番深い穴はどれくらい深いのか気になって仕方なくなった。調べてみた。

ロシア コラ半島超深度掘削抗 12,262m
学術調査ボーリング孔
地表面からの深さではこれが記録
直径は約 23cm
1970年に掘削開始から約20年間でその深さまで到達し、その後、2008年に掘削を断念
2012年に密閉された


ということのもよう。
ネット上の調べ先によって情報が違うかもしれないけれど、このことに関して、私は特に正確性は問わないので。

マツコさんの TV 番組の BGM

マツコさんの TV 番組の BGM

マツコ・デラックスが出ている TV 番組で流れている BGM は、かなり高い確率で私が好きな曲が多い。好きな中でも、「洋楽で懐かしめで好き」という分類に該当する曲が多い傾向。私はそんなに TV 番組を見ていた部類の人間ではないのでサンプル数は少ないけれども、そう言える。

不思議なのは、テレビ局が違っていてもマツコさんが出ていると選曲の好みがあう。マツコさん自身で選曲しているはずないだろうから、なぜか不思議。似たような歓声のスタッフさんが制作しているのだろうか?

学習塾の倒産が過去最多だった 2025年

学習塾の倒産が過去最多だった 2025年

高校生当時の補習について、特に結論もなく、つらつらと前日に書いた。そうしたら、学習塾の倒産が2025年に過去最多になった、という記事が目に入ってきた。記事を読むと、この件数は負債金額で足切りしたものみたい。小規模倒産とか入れると統計が収拾つかなくなるだろうから、統計に足切りを設定するのは仕方ないでしょう。

記事を書いた人によれば、物価高と授業料の値上げ難に苦しんだとのこと。タイパ重視の大学生の講師が負担の大きな塾講師を敬遠する動きが目立って、人件費や求人費が高騰したという一面もあったらしい。大学生を雇う塾は町の小さな塾だと勝手に想像していのだけれど、どうやらそうでもないということか。

私がよく判らなくて、記事を見ても解決しなかったのは、塾は優秀者がさらに成績を伸ばすために通うものか、追い付くためにゆくためのものか、というところ。私が子どもの頃は地方ということもあって、塾はほぼなかった。その後、塾は補習的に行く場所という認識を多少持つようになった。今は、どうなのだろうか。

東大を目指す人が多い塾の存在は知っている。そういった塾は、さらなる高みを目指す場所であり、また、特定の学校の入試を突破するための傾向をつかむ・テクニックを積むための場所と理解している。でも、塾に通わずに東大に入るひともたくさんいると思うし、塾の目的はなんだろう。(まあ、十人十色なので、定義づけ自体が無意味なのだけれど)。私は塾通いをしたことがないので、月謝を通じた経済貢献には無縁で申し訳ない気持ち。

私は、この件でも大好物の投稿コメントが非常に参考になった。AI 学習が普及すると、経済格差と教育格差の相関が薄くなるかもという意見の人がいたり、真っ向から異なる意見の人もいたり。それは、私の未解決課題であるなぜ塾に行くのか、ということにも大きく関係すると思う。やる人はやる、やらない人はやらない。でも、人それぞれに合う・合わないがあるので、AI なら続く人がいてもおかしくない気はする。私は割と気合勝負だけれど、いろいろ試してみて合うのを見つけられたら、これまでの価値観をつくがえされて、よいことが起きるかもしれないと思ったのが、この記事からの takeaway。