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月: 2025年11月

必要は発明の母

必要は発明の母

先達は、簡潔に本質的なことをうまいことよく言ったものだ。

必要は発明の母、ということを最近になってあらためて思う。もちろん、発明などはしていないのだけれど、例えば、業務面で言えば、手抜きをするための自働化ファイルの作成は、何かどうにかしたいという需要があることによって、世の中では新しいことではないけれど、私の歴史の中ではある操作・機能を初めて活用するので発明のようなものと言える。

私は、半世紀以上を生きてきた年齢なのだけれど、新しいことを試すのはチャレンジングで楽しくもあれば、初めてで理解が追い付かなかったり飲み込むのに時間が掛かったりはするが、何歳になっても刺激的なものである。人生、最後の瞬間まで学び続けていくことになるのだと思うし、それが楽しいとか苦しいとか感じなくなるのは少し怖いことかもしれない。

小学生の頃は、決まったお小遣いがなかったこともあって、何かやろうと思った時には創意工夫や何かを手作りしたり、代用品を活かしたりしていたことを思い出した。その後、働きだすと忙しいこともあって、自分で何かつくる機会もなかったけれど、最近にその気持ちを思い出したことは大きなヒットだと感じている。この気持ちを忘れずにいれば、楽しみをひとつ余計に保持しておくことが出来そう。

痛み

痛み

運動中に体を痛めた場所がある。痛めてから一年弱が経過する今でも、特定の動きをするとまだ痛い。痛めてから1か月間くらいは、何をしても痛くてたまらなかった。一生残る痛みになったら嫌だなと思っていた。運動中に無理したわけじゃないけれど、日常生活にはない動きをしてしまった。ああ、やっちまった。

今住んでいる国では医者にはいかなかった。そのうち治るだろうという期待と、英語で説明されても医療用語を理解できないんじゃないかと思ったから。ところが、休暇を日本で過ごす機会ができ、日本でならばと思って整形外科で診てもらうことにした。ただ、滞在が短時間なので治療は無理だと思っていたので、X 線で現状どうなっているかを知ることと、現状から言える今後の可能性を先生から聞くことが目的。

以前に受診したことのある整形外科へ行った。前回、多分それが初診だと思うのだけど、いつだったかの記憶がない。また、その整形外科へゆくことになったのは、どこを痛めたからかも記憶がない。

しかし、X 線をとって先生の診察となったときに、今回の不具合と前回の受診理由が同じ箇所だったことがわかり、前回との比較が画像でできるラッキーな状況となった。以前の写真になくて今回の写真にあるのは、あきらかな損傷痕とのことだった。

今はもう納税国(仕事国)に帰ってきているのだけれど、休暇前に比べて痛みが改善方向にあるような感覚がある。もとからある痛みに追加的にあらたに痛めつけることがない限りは、休み前よりも時間が経過しているので治りつつあるのは当たり前なのかもしれない。しかし、それでも、経過した時間を考慮しても、休暇前より今のほうが状況が快方に向かっている気がする。日本滞在中はもっと状況がよくて、車高やベッドのマットレスの硬さが違うとか生活様式に違いがあったのかもしれないが、私が思うには、 X 線をとり、しかも以前との比較が画像を見ながら先生に説明してもらったことを理由に、精神的なものから痛みを感じる度合いが減ったのではないだろうか。

ちょっと時間が掛かるかもしれないが、いずれは痛みが消えるような希望が持てるようになっている。

警戒感?警告?AI 関連株に株価調整の可能性

警戒感?警告?AI 関連株に株価調整の可能性

株価が上がれば、後付けで上がった理由になりそうな説明を探して報じ、誰かが警戒感と言えば自分の意見でもなさそうなのに急に同調してブレーキをかけるようなことを言い出し、テレビの経済ニュースで話している進行役の人やコメンテーターってなんだかなあと思う。根拠なく、さんざん自分であおっておいた後に警戒感だなんて、マッチポンプそのものといった感じ。広い視点をもってより深く分析し、自分が知らないことは手に負えないと宣言して、もっと淡々と仕事できないものかなあと思う。自分なりの根拠を持って、後付け解説はやめにしてはどうかと思う。

予想を超えた値動きというのも最近聞くコメント。それって、単純にあなたの予想が間違っていたということでは?予想を超えたのではなくて、予想が間違っていたと。

あんまり批判的なことは言いたくはないけれど、自分が正しいとは限らないということを理解して欲しい。

社内会議で喋りながら寝落ちしてしまう

社内会議で喋りながら寝落ちしてしまう

ネット・ニュースの記事で思い出した。

高市首相の所信表明演説に対する野党の代表質問に関わるニュースがあった。前任4首相が論戦中に眠っている疑惑を伝えるニュースだった。

実際に眠っているのかどうか知らないが、このニュースで思い出したことがあった。

もう10年以上も前になるけれど、私が関わっていた案件でパートナーとの協議に加えて社内外からいろいろな指摘や質問、疑念があって、毎日対応に追われていた日々が4年くらい続いた。その4年の間のいつだったかは忘れたけれど、社内のリスク管理の担当者と一対一で対面して案件について協議をしていた時に、自分がしゃべりながら寝ていたことがあった。

会議参加者の発言者でない One of Them ではなく、一対一の打ち合わせで自分がしゃべりながら寝落ちしたのはさすがに焦ったというか、まずいなと思った。寝落ちしていることに気付きながらもしゃべりつつ、船をこぎつつ。ほんとうに焦ったし笑ったし、心配になった。

喋りながら眠ったのは、人生でその時、一度だけ、これまでのところ。正直なところ、朝早くから夜遅くまで働き続けていた時は、自分がしゃべらない時には会議中に眠ってしまうことは何度もあった。すみません。でも、喋りながら寝たのは、あの時だけ。

眠っても話すことが明確で、それを話すことができるのは、それはそれであっぱれか(仕事バカか)。

WECARS って WeChat から発想を得たのだろうか

WECARS って WeChat から発想を得たのだろうか

何かの番組を観ていた時に、WECARS の広告動画が流れてきた。それで思い出したのだけれど、WECARS に名前が決まった時に、WeChat 的だなと思ったことがふとよみがえった。伊藤忠商事がスポンサーのうちの1社なので、WeChat が名前選択の下地にあるんだろうなというような気がしたことも思い出された。

WeChat から名前が似ている、名前が紛らわしい、名前が模倣と思われる、とか苦情が来ていないのだろうか。それとも、事前に話がついていたのだろうか。私が心配することではないけれど。

社説の「~せよ」にうんざりする

社説の「~せよ」にうんざりする

以前は感じなかったけれど、「~せよ」と言っている社説にうんざりするようになった。
ひとつの意見として社説を書いている人の意見を尊重はするが、それがあたかも唯一の正義・正解のように「せよ」と主張することに、なんだかなあと感じるようになった。

先輩が脈々と続けてきた書き方がフォーマット化されてしまっているのではないかと想像する。変えるのは難しいのだろうと思う。しかし、「~せよ」調の社説にうんざりしている人は、私以外にも結構いるのではないかなあと思う。

私の個人の感想です。

証券会社から届くメールにあるリンク

証券会社から届くメールにあるリンク

以前にも書いたのだけれど、証券会社から届くメールにあるリンクが気になって仕方がない。

私は、証券会社2社で口座を持っている。海外在住が決まってから、全て持ち株は売却していて、海外に住み始めてから新たな取引をしていない。日本で納税していないので面倒なことになりたくないからなのだけど、それでもログインをしないといけない場面がある。今年の初めにオンラインで証券口座の乗っ取りがあったため、新たなセキュリティを証券会社が採用したりして、そのためにログインを求められたりする。

2社のうちの片方は、数か月前にメールからリンクが全て消えた。ただ、もう一社のほうは、ログインするデバイスが変わったときの本人確認の目的として、通常のログイン手順の前にひと手間が必要なのだけれど、ウェブ上でこのひと手間を操作をしたのちにメールが届き、そのメールにあるリンクをクリックすることでその先に進めることができるようになっている。

口座乗っ取り事案が報道で再三伝えられていた時に、犯人は、正当な口座の所有者に偽リンクを送り、そこに入力されるユーザー名やパスワードを見ながら、犯人が本当のサイトにログインする、という手口が説明されていた。だから、自分が手続きしてすぐに証券会社からメールが送られてきたとしても、それが偽メールで犯人が裏でほぼ同時に口座に手を掛けているのではないかとの疑いが晴れず、正直、必要な手続きであってももうやめてしまおうかと思う。

よい解決策は浮かばないが、メールリンクさせるのだけはどうかやめて欲しい。携帯アプリとPCブラウザーで連動するセキュリティとか、手間がかかるのは受け入れるので、メールのリンククリックは勘弁してほしいのが私の希望(携帯アプリは、スマホでない人が反対するだろうけれど)。対策をするように監督省庁から指導されていて、急ぎ何かをやる必要があったのかもしれないけれど、ある証券会社の対策にはやってる詐欺というか、魂が入っていないというか、対策している雰囲気を出すためだけのもののように感じている。そこんとこに指導は入らないのか?

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

心中穏やかな日々 – 休暇っていいなぁ

ここしばらく穏やかな日々を過ごしている。その要因として思い当たるのは、休暇を取っていたことくらいしかなく、間違いなくそれが理由だと思う。

大学を卒業して働き始めてから数十年が経っているので、これまでに取得した休暇もそれなりにあるけれど、こんなに休暇明けに穏やかな気持ちになれているのは初めてだろう。休暇中にどうしてもやらなければならない業務をするのは通常運転で、今回もそれは同じ。だけれど、今回は休暇後の穏やかさがとてつもなく大きい。

休暇中の時間を有効に使えたのだろうと思う。何十年か振りの人に会ったり、優先度は高くなかったけれど時間があったら是非にやってみたかったことを今回は実現できたのもあったし、一部は計画通りにならなかったものの、結構、事前にいろいろ考えて、計画をたてる段階からワクワクしていたような気もする。

こんな休暇の過ごし方を以前からできていれば、生産性がもっと上がっていたのかと思うと少し悔しいものの、今、そう思うような働き方をしてきたからこそ今回のような休暇を取る余裕が生まれたのかもしれず、こればかりは結果論で何とも言えない。

ああ、今回の休暇は良かった。この充電具合、穏やかな状況はどれくらいの期間、保てるだろうか。放電しきらないように、休暇ほどのものでなくても適度にチャージできれる生活を送ろう。

政府関係者への贈答品

政府関係者への贈答品

外交ウィークだった。ASEAN 首脳会議をきっかけに ASEAN+3(日中韓)首脳会議が開かれ、トランプ大統領もタイ・カンボジア和平合意式典に参加するために ASEAN 会議の開催地であるマレーシア入り。その後、トランプ大統領は来日し、また、APEC が開催された韓国では、米中、日中、日韓首脳会談も行われた。

トランプ大統領に関わる報道では、日本と韓国で贈答品について報じられていた。

民間企業の場合は、アメリカの The Foreign Corrupt Practice Act of 1977 に日本の企業であっても監督されるし、民間企業自体も海外腐敗防止規定などを作成して海外公務員への贈答や、民間企業間の贈答品を含む接待に関わる規定を定め運用している。

それに対して、今回の外交ウィークの報道を見ていると、政府間の贈答品については規定がないのか、政府トップなどの一部にはルールが適用されたいのかとか気になった。自分がその立場や関係者になることはまずないので、このことを自分で調べてみようと思うほど気になるわけではないので調べないが気にはなった。

貰って喜ばしいものを貰っていなそうだったので、なおさらそう思った。贈賄規定があるからその王冠はもらえませんとトランプ大統領が言ったらどうなるだろうか。大統領個人がもらっているのかホワイトハウス寄贈になるのか、また別の方法で管理されるのか判らないが、規定上、貰ってよいのであれば価値のあるものよりは貰って嬉しいものの方が私はいいなあ。

2025 年版 Strongest Passport

2025 年版 Strongest Passport

仕事中にネットで調べものをしようとしてあけたブラウザーで、Strongest Passport ランキングに関する記事のタイトルが目に入った。中身を見てみると、ビザ無しで入国できる国が 193か国に上るシンガポールが1位、190か国の韓国が2位、日本は 189か国で3位との内容らしい。

ふーんと思って、帰宅後にほかの記事でクロスチェックしてみようと思ったら、2025年3月の日付で「2025年版ランキング」というのがあり1位がシンガポール、2位が同率で韓国と日本だった。会社で読んだのも帰宅後に見たのもともに「2025年版ランキング」なのだけど、後者のものは3月の日付がついた記事なので発表年が 2025年という意味の 2025年版で、会社で見た 10月の日付がついた記事は 2025年の実績からのランキングで 2025年版ということなのかなあとか思ってみた。

ほかに記事がないか調べてみると、記事に日付がない 2025年版ランキングがあったり(ランキング的には 3月ごろの記事っぽい)、日本は 173か国で同率 19 位なんていうのもあった(2025年のものと書いてある!)。さすがにこれは定義が違うのだろう。

生きている間に訪問できる国はそんな多くないだろうから、ランキングの上位のほうにいれば特段に不具合はないとは思う(ちなみに、今日現在、入国したことのある国は多分 28か国)。

日本のパスポートってこんなんだ、と思ったのはスイスの空港。スイスでは、日本のパスポートであることが分かるように冊子を閉じて表紙を見せると、イミグレ・オフィサーは中身も見ず、スタンプも押さずにパスポートを返される。だから、今から20年くらい前は、日本人でスイスのスタンプのあるパスポートを持っているのは珍しいと言われていた。なので、車自走の陸路でスイスに入ったときに押された入国スタンプはうれしかった。スタンプラリーで珍しいものをゲットできた時の感覚。そのスタンプをゲットした当時は、西欧諸国とシェンゲン協定加盟前の東欧の国との間を車で行き来することが多くてパスポートを増刷してもらったので、その時と比べると出入国スタンプが少なくてちょっと寂しく思っている。落ち着いた日々を過ごしていると思えば今の方がよいのかな。