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日: 2026年1月15日

人の心情を勝手に想像して記事にする人々

人の心情を勝手に想像して記事にする人々

記者やそのほかの対外的に情報発信する人々は情勢を分析しているつもりかもしれないが、読み手である私たちからすると、人の心情や意図など判りもしないのに、それを勝手に想像して書いているんじゃないのかと疑ってしまうことがある。

最近の例でいえば、解散総選挙になるかという観測の中での報道。「高市首相は〇〇ということで解散総選挙を実施するのだろう。けしからん」といった文脈のこと。高市首相や選挙実施に対する私のスタンスは一旦横におき、ここでは記者や記者の所属会社の態度について言っている。高市首相へ取材した結果なのか?と聞きたい。想像で記事を書いているのに、事実のように書いていないか?それこそ、レッテル貼りや世論の誘導だなあと。

現実離れしたストーリーのドラマを見ていると、見ているこっちが恥ずかしくなるタイプが私。それと同様に、想像した心情や勝手に作ったストーリを事実のように書いている記事も読んでて私が恥ずかしくなることがある。事実なら事実と書けばよいし、想像ならばそうであることが読者に判るように書くべき。また、記者自身の政治的立場を明記したうえで書いてくれれば、ああこの人はこういう信条だからこういう見方・主張をしているんだ、と分かるというもの。

事件とか社会ニュースにも同じことが言えると思う。被害者・加害者のことを勝手に推測して書いてるのに、最後は断定している。嘘を書くと事務所がうるさいのか、芸能ニュースからは、勝手に詮索して書いている感じはあまりうけない。先日のアメリカによるベネズエラ大統領拘束に関する記事もファンタシーを堂々と書いているようで、読んでいててムズムズしたりする。

先輩の代から引き継いできたフォーマット化された伝統的な働きぶり・書きぶりなのだと思う。ここらで一度、リセットできる人に変わってもらいたい。あるいは、あたらしいメディアに登場してもらいたい。