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作成者: Journeyman

東南アジア在住。 引越しはもうじき通算30回、社内異動が多くて、そこに転勤が重なったりして、これまでに一つの会社にいながら6か国で仕事経験あるジャーニーマン。 異動では前任者のいない新規業務のケースが結構あって、新人の時に先輩から言われた「前例参照するように。これがファイル。以上、引継ぎ終了」も通用せず自己流・手探りにならざるをえなかったこと多々。 次の人のためには自己流業務はよくなかったものの、自己流からの気付きは、身に着くまでに時間を要すものの、一旦、身につけることができれば、自分のものにできるという感覚。 そのほかにも自己流でやっていること多いけれど、ゴルフの自己流は、自己流の中でも最悪のものです。ポジティブに言えば、創意工夫と言い張っています。
EVの見た目

EVの見た目

自動車のモデルチェンジで EV をラインアップに加えたという自動車メーカーの記事のタイトルが目に入った。どんなデザインなのだろうか気になり、記事本文を読むべく全文表示をクリックした。

私にはどうしても EV の見た目が好きになれない。

私の好みではない車が続々発売されているということは、私の感覚が異端なのだろうことは容易に想像がつく。しかし、私にとっては多くの EV の見た目は、2001年宇宙の旅で出てくるような昔の時点での未来イメージというか、40 年くらい前に雑誌で見た未来カーのように見えて仕方ない。フロントもリア(ライト(ランプ?)の話をしているのでテールというべき?)も左右のライトがつながっているのが、どうしても昔の未来カーにしか見えない。天才バカボンにでてくる目ん玉つながりの警官を細めにした感じというか。EV にすると光っている部分が多くないといけないといった先入観があるのかどうかしらないが、私にとっては好みではない。

ちょっと前までの車のテール・ランプの場合、欧州車は縦が多くて米国販売車は横長かつ真ん中の部分が赤い反射鏡でつながっていて、昼間にみればランプと反射板で横に赤い帯があるようだった。日本車が米国に輸出されていた時代は、日本の車もアメリカ好みと私が勝手になずけている横長・反射板でつながりタイプが多かったが、(私の感覚で)ダサい見た目が嫌われたのか日本車も欧州車に近いデザインになっていた。

なぜ EV になると流れるようなライトが増えるのだろう。EV 駆動にすることで上昇する生産コストをほかで安くするために、安く作れるような設計にした結果だったり(プレスが安っぽい感じ)、デザインの費用を抑えて作っているのだろうか。安全対策を一例に、以前にはなかった重要必須項目が増えたとかがあるのは判るけれど、乗るのが楽しみな車が減ったように思う。EV化以前より存在する自動車メーカーには、どのモデルにも共通するそのメーカーの車に共通するシルエットのようなものがある。欧州モデルはEV モデルでもびっくりするほどの外観急変は少ないが、日本メーカーの EV にはそれまでの内燃機関モデルと比べて未来臭が結構する。また、EV 専業の新興メーカーの EV は完全に未来臭しかないのと同時に、なんとなく(人によって大きくイメージが異なるけれど)e のイメージという感じ。

余計なお世話だが、こんなんではますます車が売れなくなるよと心配する、わたしくの主観では。

喋っていないと死んでしまうのか

喋っていないと死んでしまうのか

口数の多い人とそうでない人がいる。人それぞれ。しかし、静かな環境の方がよい場所では、静かにしていてほしいと思う。

それを特に感じたのが病院での出来事。その人は、人間ドックのために通訳とともに病院にきていた。検査なので別に具合が悪くて来院していたわけではないし、通訳という話相手がいる状況だから話したいのだろうけど、周りの人(みなさん単独で来ているので話し相手がいないので静かにしているのが当たり前といえば当たり前)が皆静かにしていて、その場の空気感も静かな環境であるにも関わらず、その人はいつまでも通訳としゃべっている。病院の人が注意しないので、病院としての許容範囲内なのかもしれないので私も特に指摘をせずに、遠く離れた場所にいた(はじめは、看護師さんの指示でうるさい人の隣の座席に座るように言われたのだが、耐えられなくて離れた場所に移った)。多分、病院は静かにしているという価値観とは異なる環境で育ったのであれば、うるさいのは仕方ないのだと思う。だけど、名前を呼ばれてもその場の人に聞こえないようなうるささで会話するのはやめてほしい。

経済観念 – 物価高とは言うけれど

経済観念 – 物価高とは言うけれど

テレビ番組を観ていると、街頭インタビューを目にする。ニュース番組だと頻度が高い印象。

高頻出のインタビュー・テーマの一つに物価高に関するものがある印象。しかし、見ていて違和感があるのは、パックご飯が高いと言っている人とかペットボトルの値上げのニュースとか、ほかに安くあげる選択肢があるのに、それをせずに物価が高くて何とかして欲しいと回答する街の声を聞いた時。そもそも高いものを買っているのに物価が高いと言っている人に対して、そりゃそうだろと思わずにいられない。

米を炊くにも米食頻度が低いので炊飯器を買う先行投資の方が割高になるのかもしれないが、そうであればパックご飯を買う機会なんてそれこそ稀なことなのではないだろうか。そんな稀なケースを引き合いに出して生活が困っているというのはどうなのか。人それぞれにお金をかけてもよいものと、そうでないものがあるだろうから、スマホ通信料に文句を言わずにパックご飯が高いと文句をいうのはその人の価値観によるからいいのだけれど、街角の代表意見のように報じるのはちょっとどうかなと思う。そもそも、街のコメントを使うメディが側が言ってほしいコメントのみを使っていたりするだろうから、私は街頭インタビューを真面目に見えてはいないけれど。

マーフィーの法則

マーフィーの法則

いろいろなあるあるの中でも、私には、マーフィーの法則が車関係で発動することが多い。毎日の通勤に往復1時間強を車中で過ごす私にとっては、一日のうちの4%相当を車とともに過ごしていることになる。あまり変化のない仕事、睡眠、食事の時間を除くと、一日のうちの4%は小さくない比率だ。だから、車に関する法則発動が多くても不思議ではないのかもしれない。

洗車をすると雨が降るのは、よくきく法則だ。また、自分自身としてもその経験は少なくない。ただし、毎日雨が降ってもおかしくない東南アジアにいると、これが法則とは言えないことも実は知っている。

東南アジアの環境を除いてもあるあるなのは、同時に複数台の車が交差点で出会うこと。もちろん、無条件というわけではなく、前後5分以上の間にすれ違う対向車さえないのに、自分の車が交差点に接近する際に(信号のない交差点で、自分が走行中の道路が優先であっても相手側がそうであっても)に、突然、ほかの方向からも同時に車が接近するようなケースのこと。結構な頻度でこれに出会う。

それぞれ別方向から交差点へアプローチする車が、別の車が近づいていることで、それぞれが我先にと交差点に入ろうとスピードを上げる結果、同時に交差点に接近する結果に至っているのかもしれない。ちょっと仮説をいくつか考えてみたい。意味ないけど。

頭が固くなっている

頭が固くなっている

夜遅くにある程度遠くまで出かけることになった。到着時間から逆算するとどうしても夜遅くの出発になってしまう。いつもならばコーヒーを淹れることになるのだけれど、今回は事情があってそれができないのだけれど、仕事終わりから引き続いて朝までの運転なので、コーヒーが欲しい。

私は外でコーヒーを買うことはまずないのだけれど、スタバの豆の中に自分好みのものがあり、また、私は保守的で一度いいなあと思ったものを変えるのは自分の中でチャレンジなので、豆を買いにスタバには週に一度は行く。だから、今日のように自分で淹れないとなると、スタバで買おうかとなったのだけれど、出発がほぼ夜中なので店が開いてるかが次の心配。

スタバアプリで店検索すると、行こうと考えていた店は 24 時間営業との記載があるのだけれど、変更があっても反映されていない過去経験があり、現在、私の町ではスタバの閉店もあったりするので、24 時間営業の情報は古いのではないかとの私の勝手な疑い。

結構な時間、早めに家を出ようかとか、営業時間終了後だったらそれはそれで仕方ないとか、いろいろなケースを想定した。突然、「あ、マクドナルドなら確実に 24時間じゃないか」と思いついた。完全にスタバに頭が凝り固まっていた自分に対してちょっと心配になった。これも老化現象なのか?思考の柔軟性が欠ける局面がすこし前にもあったような気がする。どんなトレーニングをしたらよいのだろうか。計画を立てずに、いきあたりばったりな行動をした方が柔軟性を維持できるのだろうか。

今日から新しい四半期

今日から新しい四半期

「朔日」に気持ちがあらたになる感情を以前に書いた。今日は10月1日なので、朔日であり四半期のスタートでもある。3月決算の日本企業だと、今日が下半期のスタートともいえるけれど、海外の企業は6月や12月のケースが多いと思うし、私が勤める企業も同様なので、今日は年に4回ある四半期の初日ではあっても、半期とかの区切りではない(事業年度の第1四半期初日は、四半期始まりよりも年度の区切りの感情の方が大きいので、実質、年に3度かの気分かも。いや、四半期決算は開示しないから、半期も中くらいの規模の区切りになるので、四半期始まりの感情は年に2回か?)。

まあ、とにかく、今日からあらためて業務する。

雨季のショッピングモールでの駐車

雨季のショッピングモールでの駐車

私が今の土地で暮らすようになって割と早くに雨季が来た。もう何年か前の話。

生活面の注意事項を会社の同僚から教えてもらったことの中のひとつに、雨季にショッピングモールに行くときは、地下駐車場での駐車を避けたほうがよいというアドバイスがあった。もちろん、停めてはいけないわけではなく、実際に停まっている車の数は乾季のそれと変わらない。しかし、長時間止める場合は考えてから停めるようにと言っていた。ひどい豪雨になると、30分で地下駐車場に水が流れ込んでくることがあるらしい。

そんな豪雨は経験したことないが、一般道からバイパスに入るための勾配のある道を走っていた時に、川のような流れの中に巻き込まれたことがあった。車で走っていたので、その地点でいつから雨が降り始めていたのか判らないので私の想像が間違いかもしれないけれど、その地点に辿り着くまでの雨量はそんなに驚くものではなかったので、あっという間に増水したような状況ではあった。

日本でも台風で同様のことがあったようなので、同僚からのアドバイスを忘れないようにとあらためて思った。

自民党総裁選でのステマ

自民党総裁選でのステマ

やったこともダメだし、そのあとのコメントもダメだろうという感想。

本人ではないので実際にどうなのか判らないけれど、しらを切っているのか問題意識が別のところにあるのか。しらを切るようなことになるなら初めからやらなければよい。「表現が行き過ぎた」という意識が本当だとすれば、今後の改善・改心も期待できなさそう。

私は年齢的にはそこそこ。新卒では大企業と区分される会社に就職し、東京に住所を持ったことはないけれど、勤務地として大都会の東京と絡む生活を送った時間がそれなりにあった。だから、個人としては自民党支持ではないものの、自民党政権によってそこそこの生活を送ることができた国民の一人だったような自覚は多少ある。そんな自覚もあってか、政権与党である自民党にはしっかりやって欲しいし、政権が変わって色々なことが急激に変わることには少し不安感を持っている。全体として良い方向か悪い方向かという心配に加えて、私の属性にとってもメリットがあるのかデメリットが生じるのかにも不安がある。年齢的には、今の世の中に不満はあるものの、あまりに大きく変化していくのは少し不安。この感情が国を変えることにマイナスなことも理解しているので、別の自分は若い人たちのために良い世の中になるためのコストを払う必要があると考えていて、受け容れる準備もある。

今回のステマ事件で感じたのは、日本は変わらないと本当にダメになってしまいそうということ。もしステマ首相が誕生すれば、次の選挙では自民党はもっと議席を減らしそう。また、ステマ首相が誕生しないとしても、もう自民党は党内や議員自分のことしか考えていないということがバレてしまったとおもう。中くらいの大きさの党がいくつか存在する体制になって必ず連立政権となるけれど、連立の構成党はその時々の国のアジェンダで変わるようなことになるんじゃないかなと想像している。

とにかく安心して暮らせる国にして欲しい。経済的にも治安でも安心でき、外交的にも安心できる国にして欲しい。

どうしたスタバ、困るかもスタバ

どうしたスタバ、困るかもスタバ

困るのは私であって、スタバが困る話ではない(実際、スタバも困るのかもしれないけれど、私はスタバではないのでスタバが困るとは書けない)。

私はスタバのヘビーユーザーと言ってもいいと思っている。店内でコーヒーを飲むことはないが、スタバでコーヒー豆を買っている。日本にいたときから好きだった味があり、私の性格が保守的な部分もあることから、現在暮らしている国でも豆は知っている味のものをスタバで買っている。なかなかチャレンジしたがらない性格だ。

私は東南アジアの地方都市で暮らしている。そこそこの規模はあるけれど地方都市。それでも、家から車で30分以内の場所にスタバが最盛期で5店舗あった。ところが、今は2店になってしまった模様。2年前に中東であらたな攻撃・侵攻がなされて以降、インドネシアやマレーシアといったムスリム国家での米系不買運動があるというのはニュースで見て知ってはいた。また、先日に私が記事に書いた一律賃上げのニュースももしかしたら業績と関係があるのかもしれない。何が背景かは外部の私には判らないが、事実としては私の住む町ではショッピングモール内のスタバが閉店し、独立店舗の2店となってしまった。

多分、ゼロにはならないとは思うけれど、もしそうなったらどうするかのコンティンジェンシー・プランを考えておいて損はないはず。ああ、どうしよう。

日本へ外国送金

日本へ外国送金

日本にある自分の口座へ仕向け送金をした。

居住地の方の銀行からメールがあって、現在、外国送金の手数料無料キャンペーン中とのこと。送金は定期的に行っているので、キャンペーン中だから送金したわけではないけれど、なんだか嬉しい。

手数料が安い送金方法があるとか聞いてはいるけれど、私はいつも商業銀行間の送金にしている。送金サービス提供企業のことを調べると、例えば日本では資金移動業者として財務局に登録されていると紹介しているので(その会社の自称)、法的にクリアしているのだろう。しかし、万が一でも送金が届かないとかあると、悔やむに悔やみきれない。その可能性は排除したい。

銀行からの案内メールによると、スマホアプリで送金する方法のみが記載されていた。これまで、パソコンを使ったオンライン送金しかしたことなかったが、もしやスマホ・アプリのみが無料の対象の可能性も否定できないので、初めてスマホアプリで操作してみた。パソコンでのオンライン画面では登録済みの Payee 詳細がスマホアプリでは共有されていなくて、ゼロから入力する必要があったとか面倒なことはあったけれど、必要事項を全て入力して実行ボタンを押した。あれ、エラーだ。

為替取引時間外だと送金できないことが過去にあった。それ以後、昼間の時間帯に実行ボタンを押すようになったのだけれど、一度、昼の時間帯でもできないことがあった記憶がある。昼休みだったのか日本の祝日だったのか。

ただ、今回は違った。

二回目の送金を試みて不発におわったあと、知らない番号からの着信があった。もしかしたら銀行かなと思い、いつもは無視する着信に対応してみた。やはり銀行だった。マネロン対策か何かで送金指示をモニタリングしていて、ランダムにピックアップした事案に関して送金依頼人に電話でいくつか質問したうえで送金を実行している、という銀行からの説明だった。

日本の被仕向け側でも入金にいろいろ書類の提出を求められているし、最近、マネロンであちこち大変。別に怪しいものは何もないので、要求されたものを提出するだけなのだけど、国境を越えて働くことが身近になっているのに送金のハードルが高くなるのは困る。不法なことをする人が増えると困る。

一律昇給で人材流出、スタバに関わる報道

一律昇給で人材流出、スタバに関わる報道

ちょっと古いニュースになってしまっているけれど、米スターバックスが従業員を対象に一律昇給を決めたとのこと。これは、貢献度に基づく昇給を置き換えたもんだとの報道内容。これは実際に起きたことのようだけど、その結果、人材が流出しているというのは、メディア側の観測のもよう。記事はいくつもあるのだけれど、流出していると本文中で断定している記事は見当たらなさそう。タイトルに文字数制限があるのかもしれないけれど、観測ならばそれと判るように書くべきだと思う。

タイトルに意見しようとしてるわけではなくて、考えていたのは昇給の件。もっとぼんやり言えば、報酬について。報酬や昇給のタイミング・額を決めるのは非常に難しい。主観・客観のゆき違いや、過去の種まきの正当な評価とは、誰が成果を利益とさせたか、絶対評価と相対評価の合流点、人事評価制度がカバーしきれない点からの課題、などなど。

私が思うのは、その仕事を遂行する能力を得るために掛けたコストがその仕事の報酬として評価されるのを一つの側面にしたらよいのではないかということ。そうすれば、利益という目に見えたり数値で測りやすいものに変換させることができる営業の人と、成果の定量化が難しい管理系の人の違いを評価として一定の形で考慮できそうな気がする。あ、でも、単純に置き換えしがたい・しやすいという違いで報酬に差が出るのもおかしいかな。最初に特殊業務についた人は、ラッキーということになってしまうかな。でも、業務に就いただけではだめで、成果・貢献がないとだめだから、そこは公平なのかなあ。

その仕事ができるようになるためのコストが報酬として支払われる、結構よさそうな気がするな。

一律全国区で選挙・投票したらどうなるか

一律全国区で選挙・投票したらどうなるか

国のために仕事をしてくれる代表者を選ぶ選挙だから、選びたい人に投票したい。自分の選挙区に選びたい人がいない場合には、選びたい人が所属する党から出馬している人に投票することで、本来は投票したい候補者と同じ政策目標を持っている党の候補者に勝ってもらいたいから、そうするしかないのが現状。

もしも選挙区をとっぱらって全国区にしたらどうなるだろう。良い点は、自分が投票したい人に一票をつかえること。懸念点は、日本のためになるか疑問に感じる人まで当選してしまうことがあるかもしれないこと。全国区の多数の候補者を自由に書くような投票システムだと開票と当選者確定に時間がかかるだろうし、判読不明による無効票も増えそう。

それでも全候補者を全国区でやったらどうなるだろうか。当選者を決めるシステムは、上位から国会議員の定数までにはせずに、票数の足切りラインを設定する。その票数に届かない人は最低限の信任を得られなかったと判定して落選となり、議員数が定数に満たない場合もありにする。落としたい人を落とせるシステムは、一人一票である以上は不可能だけれど、なって欲しい人には全国から投票できるようにしたら、結果的に落としたい人(有権者によって落としたい人が違うのでなんとも言えないが)を落とせるシステムにならないだろうか。

非現実的だから一人妄想しても仕方ないか。

田舎育ち

田舎育ち

大学に入るまで田舎で育った。びっくりするほどの田舎というほどの土地ではなく、よくある中途半端ないなか町。

・電車は一時間に一本
・だから、電車の時間に遅れないことに必死(とはいえ、基本の移動手段はどんなに遠くても自転車)
・バスは小学生の頃に廃止
・畑が多くて冬は出窓に砂がたまる(田舎だからではなくて私の育った家の建付け?)
・夏はほぼ毎日、夕方に雷雨
・学校帰りは畑をつっきって最短距離で家に向かったりできる
・トウモロコシ畑をつっきる時はいろいろなものが服にくっつく
・登下校の道には小学生が寄れる店がない(まあ、小遣いもないから寄れないが)
・マクドナルドが町にない(ほかのファストフード店もない。今でも)
・電車が単線
・警察署や交番がなく、派出所が町に一つだった
・建物が少ないので風の強い日にはダイレクトに風を浴びるので自転車が進まない
・時間帯にもよるが、だいたい電車は一両編成
・小学校まで片道歩いて40分(いくら小学生でも2kmを40分って、遊びながら通学してたのかな?)

小学生なんて(中学生のときも)自分の町しか知らないから、ほかにどんな世界があるかもしれず、別に不平・不満もなかった。今考えると田舎生活していたなとなるが、当時は別に何とも思っていなかった。

自民党 総裁選

自民党 総裁選

私は自民党員ではないので投票する権利はないけれど、日本の有権者としては総裁選の行方が非常に気になる。今回選ばれる総裁が誰になるかによって、次の衆院選で自民が与党で居続けるのか野党となるのかが左右される可能性は少なからずあると思う。さらにいえば、政党の再編や今後の政治体制が変わる可能性すらあるかもしれないと思う(素人です)。

次の自民党総裁と、その総裁に率いられる自民党をみて、次の選挙こそはいつも以上に有権者も各自が考えぬいて議決権を行使することが求められているだろう。変わるのは少し怖いけれど、国としてきちんとした方向へ向かってゆくことになるのであれば、変わってもよいと思う。若い人たちに比べると、変わることで受けるかもしれない困難も恩恵も、年齢的にはあまり長くは経験できないと思うけれど。

いつも以上にモノが手につかない

いつも以上にモノが手につかない

前にも書いたけれど、ここ数年のあいだ、持ったものを落としたり、何かを持とうとしたら別の何かをひっかけて落としてしまうとか、不注意とか握力不足(?)とかで手にモノがつかないことの頻度が10年前に比べて非常に高い。それとともに、仕掛けたように非常にきれいに手からこぼれるというか、最悪のケースになるというか、笑ってしまいそうなことが増えた。

自分でカットした野菜をジップロックに入れているのだけれど、それを落としてしまった。落としたけれど中身がこぼれなくてラッキーとか少しだけこぼれたとかならよいけれど、ジップロック容量の半分ほどが詰まったカット野菜が全て床に散らばった。ジップ側が下向きに落ちればそうなるのだけれど、床までの1mくらいの高さから落下する1秒以下の間の時間に全てがこぼれだすような落ち方をした。

これには笑った。握力が落ちているのか注意力が落ちているのか。今回は頭痛のタイミングでもあったので、脳の不具合だったらいやだなあと少し心配。注意することで解決すればほかの理由ということになるので、しばらく注意深くやってみようと思う。

スプレッドシートを自働化しすぎた不具合

スプレッドシートを自働化しすぎた不具合

周りの人のことが判らないので比較できないが、私の中では、私はスプレッドシートの鬼だと思っている。自働化されたものを作るために時間を割くことを厭わない。

ただ、自働化しすぎるのもどうしたものかと思う出来事が度々あった。ひとつは、エラーを除外して計算させるようにした結果、元データにエラーがあることはファイルが伝えてくれるのだけれど、どこにエラーがあるのか一瞬では発見できないことがあった。また、万が一の計算違いを把握できるように検算を多く組み込んだために、どこで何をさせているのか分かりづらくなってしまっていたりもする(私の整理が悪いだけだが)。それと、信頼しすぎてしまって、チェックする気持ちがなおざり(この場合はおざなり?どっち?)になってしまっていることに気付いている。万が一はある。

スプレッドシートの鬼は、おじさんの特徴の一つだという認識。なぜか判らないし、一般化して物事を言ってはならないけれど。自働化したファイルで思った感想を、ただただ独り言ちてしまいました。

電気ケトルのリコール情報

電気ケトルのリコール情報

電気ケトルのリコール情報を伝えるネット・ニュース記事が出ていた。
私は現在、日本居住ではないけれど、私が暮らす国も日本も「made in China」の共通点多数という共通点があるので、電圧やプラグ形状が異なるけれど、一応、形式の照合をしておこうと思った。

記事から簡単に対象製品を確認することができるかと思いきや、記事ページには型番の確認の仕方があっても型番の記載がなかったり、画像を何枚もめくらないと型番が出てこないページもあり、おもいのほか時間を要した。記事ページから情報にたどり着くことができたものはあるが、私が閲覧したページに限っていえば、ぱっとすぐに行き着けるものはなかった印象。

ニュースには文字数の限度とかあるのかもしれない。そこのところは知らないのだけれど、ニュースを伝えるだけで終わりにしないで、そのメーカーのページに行かなくても確認できるようにしてくれると便利だと思った。ただ、近頃はリンクをクリックするのにアレルギーがあるので、それはやはり自分でメーカーのページに行って確認してくださいというのがメディアのスタンスで、また、ウェブサイトの危険性に関する自分の感覚が正しいかをはかりながら自ら確認するのが身を守る最適解なのだろうか。

ありとあらやるものを信じられなくなってくるので、フィッシングはやめてほしいものだと思った。

日経平均株価、初の 45,000円台へ

日経平均株価、初の 45,000円台へ

2025年9月18日に、日経平均株価が初めて 45 千円の大台を超えたとのこと。

私の iDeCo の状況がどうなっているか確認したところ、先月末と比較して時価評価がそれなりに増えている。私は、国内株式の比重を高くしている。海外株式への投資は、利益が為替で飛んでしまいかねないと思っているから。資産を円建てに変えるタイミングを不問にすれば、為替変動幅以上に外貨建ての金額が増えるのはほぼ間違いないとは思うけれど、ティーンエイジャーのときに平成が始まった私の年齢だと、iDeCo を終えるタイミングで市況が想定の逆にいっている場合、市況の回復を待たずに損益を確定させなければならなくなるかもしれない。若ければ回復するまで待てるけれど、私の場合は時間も不確定要素の一つだ。

だから、今、一旦、定期預金などにしておこうとか、ちょっと考えている。手数料の安い商品を優先的に選択しているとはいえ、コストはゼロではない。今後の10 年以内に再び 45 千円までいくかどうかと聞かれたら、現時点で知りえる情報(といっても、一般人の私が知りえる情報など意味はあまりないけれど)から言えば、その可能性はあまり高くなさそう。いったん時価評価の変動が少ない商品に変更し、株価が下がったところで買い直そうかな。

とりあえず、私が選択している商品がカバーしているものを再確認しようと思う。日経平均に直接インクする商品ではないので、私が保有するものが今がピークとも限らないので。

水たまりに突っ込んでゆく車

水たまりに突っ込んでゆく車

今いる国では、私の前を走る車が水たまりをよけることなく突っ込んでゆく場面を見ることが多い。ほかの東南アジアの国同様に、車と平行して走ったり車と車の間をすり抜けるバイクが多いため、直線で走らないと危ないという事情はあると思う。そこは理解する。とはいえ、必要以上にまっすぐに走る印象。意地でもまっすぐに走るんだ、というコミットメント的なものを感じる。また、水たまりに入ったり路面の落下物をわざと踏んずけて走ってゆく車が多い印象。好んでそうしているような感じ。

一例としては、速度の遅いバイクが自動車の前を走っている時。対向車がいない時でも、ずっとバイクの後ろを遅いスピードでついていっている。対向車線へ少しだけ膨らめばすぐに追い越せるのに、辛抱強く追走する。この国にいる人は乱暴な運転をする人も多いのに、車線のことになるとまっすぐ走ることにこだわっているように見える人ばかりである。横と後ろを見ながら前をみたり、周りの車・バイクとの距離感・速度感を把握するのが苦手な人が多そうな感覚はある(まあ、急ぐ気持ちがないというのが最大の要因かもしれないが)。

洗車した後にわざわざ水たまりに入りたくはないけれど、雨が季節はほぼ毎日雨降りなので、水たまりに入ろうが何しようが車が汚れるのは一緒というはそうだ。だけど、前を走る車がスプラッシュさせるのは、後ろを走るバイクにとっては迷惑なのではないかと、水しぶきを見るたびに思う。




社長という仕事

社長という仕事

私が見たり聞いたりしてきた範囲の中だけから言えば、日本では出世した結果に社長へ昇進する一方で、海外では社長が別の会社の社長に就任することがあるように社長がひとつの専門職のようなイメージ。もちろん、日本にプロ社長が存在することはメディアを通じて知っているし、海外の社長ジョブ・ホッピングのニュースが日本まで伝わってくるのは極一部の事例で、多くの企業では日本同様に社内昇格が通常なのかもしれないことも想像する。しかし、乱暴にいうと私の中ではさっき書いたようなイメージ。

社長を全うするためには、社長としての技能が必要なのもはもちろん、社内のことをよく把握していることが大事だと思う。その意味では、出世していったキャリアの最終仕上げが社長という日本システムが機能するのは判る。
海外の社長で私が知っている例はごくわずかながら、本当にこの人は社長だなと思う。その人にもキャリアが浅い時期があったはずだけど、そのころから社長っぽかったのではないかと勝手に想像している。社外のどこかに個人的に雇ったブレーンがいるのではないかと疑うくらい、いろいろなことに明るいという側面もある。ザ・社長。

日本で社長ホッピングしている人に、あまり良い印象がない人たちが多い。印象といっても、雑誌やテレビで見る印象でしかないし、日本では珍しいプロ社長にやっかみの感情もあるのだと思う。だから、当たっていないかもしれない。でも、日本のプロ社長は、しがらみのないことができるという特異点しか見えない感じ。しがらみがないからリストラもできるし、しがらみがないから後先考えずに含み益も吐き出せる。結果、リストラも益出しも両方ともに短期的な収益にしかならない。呼ばれてくる社長にはインセンティブも短期収益基準だろうから、しがらみのなさを思う存分発揮できる環境もそろえてくれている。だから、利益を出して社長が別の会社へ去っていったあとには、何も残っていないことが結構あるのではないか。
一方、海外では、短期収益目線で社員にプレッシャーを与えながらも、それを繰り返して、結果的に継続的な収益として結果を出させられている印象がある(もちろん、社員としてはつらいんだけど)。日本は「あがり」ポジション的な感じであるのと、海外のハンズオンの意識で社長が違うところもあるかも。たぶん、それももうじき変わってくるのだと思う。