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Author: Journeyman

東南アジア在住。 引越しはもうじき通算30回、社内異動が多くて、そこに転勤が重なったりして、これまでに一つの会社にいながら6か国で仕事経験あるジャーニーマン。 異動では前任者のいない新規業務のケースが結構あって、新人の時に先輩から言われた「前例参照するように。これがファイル。以上、引継ぎ終了」も通用せず自己流・手探りにならざるをえなかったこと多々。 次の人のためには自己流業務はよくなかったものの、自己流からの気付きは、身に着くまでに時間を要すものの、一旦、身につけることができれば、自分のものにできるという感覚。 そのほかにも自己流でやっていること多いけれど、ゴルフの自己流は、自己流の中でも最悪のものです。ポジティブに言えば、創意工夫と言い張っています。
人間関係が構築されて断り切れない状況

人間関係が構築されて断り切れない状況

ママ友を闇バイト(そろそろ、犯罪と詐欺とかに表現を変えるか?)に誘い商品を騙し取った罪にとあわれた被告の裁判があったと報道されていた。いろいろなメディアが報じる中で、犯罪ジャーナリストの人からコメントを取って報じるメディがあり、そのコメントして「人間関係が構築されて断り切れない状況で誘うケースもある」というものが引用されていた。

このニュースとは全く関連のない話ではあるが、この記事をみて思ったのは、私も断るのが苦手なことだ。本当は乗り気でないがいいよと言ってしまうことが多い。逆に、酒宴やゴルフのお誘いなどは、特に海外にいると決まりきった日本人の狭い世界のメンバーになりそうなことがあらかじめ想像がつき、また、その狭い世界からのお誘いを時々であっても断ることができないであろうことも予想できるので、私は最初から避けようとしてしまう。

これは、海外にきてからより強い傾向になっている。日本では仕事場、地元、家族関係などのしがらみの種類も多く、その中で必要と思えばお付き合いもしていたが、海外ではほぼしがらみがない分、あまり参加しないことを気にしなくなってきた。それで孤立する人もいればそうでない人もいるし、本当に人それぞれで何があっているが合っていないかは千差万別であるが、どうやら私にはこれがあっているような気がしている。

人との関係が少なくて、果たしてこれで生きているのかってことを疑問に思う瞬間もあるのだが、仕事を通じて世界や社会との関わりはあるので、まったく浮世離れしているわけではないということにしている。

カンヌ映画祭がヌーディティ禁止の新規則

カンヌ映画祭がヌーディティ禁止の新規則

昨日のニュースで、カンヌ映画祭でのヌーディティや動線や着席に支障をきたす裾の長いボリューミーな衣装を禁止するというものがあった。レッドカーペットを含む映画祭のほかのエリアでも禁止とのこと。

カンヌに限らず、外国のイベントで露出度の高い衣装の女優やセレブなどの映像を目にすることは珍しくないが、どうしてあんな恰好をしているのだろうといつも思っていた。本人や服のデザイナーにはこだわりや美の基準があるのだと思うけれど、本人が見せたいのか話題づくりなのか、理解が難しい(むこう側の人からしたら、私なんぞに理解してほしいと思っていないだろうけど)。

女性の権利や役割とか、ルッキズムとか、スリムとオーバーサイズとか、いつもはいろいろと問題提起に事欠かない世の中なのに、このような衣装に対するネガティブなコメントや記事をあまり見た覚えがないのも理解しがたいものだった。

結局、世の中、ダブルスタンダードというか、大きい声しか聞こえてこないというか、自分がよければそれでよしというか、芸能の人は非芸能の人と感覚がやっぱり違うのかなという感想。

ちなみに映画祭は、5月13日開幕とのこと。しばらく映画を観てないな。

朝起きると、右手人差し指が痺れている

朝起きると、右手人差し指が痺れている

3日くらい前の起床時に、右手の人指し指が痺れていた。目を覚ます少し前から右手が体の下に入ってしまって、ちょうど痺れていた時に目覚めたのだろうとその時は思った。たまたま寝相が悪かったと。

ところが、昨日も今日も起床時に指がしびれていた。

とりあえず、事象をネット検索するとそのワードでヒットするので、例のあることだとは理解した。
自分がどのパターンなのか、しばらく状況の推移を見守ることとする。

コンクラーベ

コンクラーベ

新しいローマ教皇を決める選挙が 5 月 7 日に始まり、4回の投票の結果、8日に決着したとのことらしい。教皇になるにはいくつかの条件を満たさないといけないようで、また、選挙は密室で行われるとも伝えられている(子どもの頃に聞いた覚えのあるローマ法王って誰の事だっけと思いネット検索すると、1981 年のヨハネ・パウロ二世の来日時にローマ教皇に呼称を統一した由)。

教皇の影響力は、キリスト教世界に限定されているわけではなさそうなので、私は、世界で生きている人びと全員と同じように、完全無欠な部外者というわけでもないが、一方で、世界の多くの人と同様に、私はキリスト教徒ではないので、教皇の決め方に関する発言権は私にはない。

発言権はないのだが、資格や選び方に制限が多いやり方に対して、別件で同じようなことをしたら声高に文句を言う人たちが、不公正だ、開かれていない、前近代的だ、とかの意見を言わないのがよく理解できない。天皇制やジェンダー問題、ダイバーシティ、政教不分離に意見をいう人のコメントが聞こえてこない。自分が当事者ではないから意見を言わないのか、言っているのにメディアが取り上げていないだけなのか判らないが、ニュースを見聞きしても意見を言っているようなことは聞こえてこない。

この差はどこから来ているのか。

結局は、彼・彼女らのいつもの主張が理路整然とした改善要求・提案ではなく、自分が気に入らない単なる文句だからなのだろう。だから、いつもの文句と同じような問題点がある事柄であっても、意見を述べることはないのだろうと推測する。果たして、そういう人たちの意見に耳を傾けて議論する必要があるのだろうかと思ってしまうが、意見は尊重しないといけないとも私は思う。

ところで、今まで興味なかったのだが、カソリックの組織図(?)は下記のようだ。

・教皇/The Pope:全世界のカソリック教徒の精神的指導者
・枢機卿/Cardinal:司教の中から教皇が自由任命、教皇の最高顧問、任期無、教皇選挙権あり
・司教/Bishop:教皇の自由任命、独身制、教区を監督する聖務職、経験・年齢・経験年数問われる
    聖職者の地位は他の司教と同じで権限のみ大きい大司教もいる(Archbishop)
・司祭/Priest:独身制、助祭の中から市況が叙階、神父(⇔プロテスタントの牧師)
・助祭/Deacon:「助」とついているが固有の業務を規定する方向にある由。
    終身助祭で昇叙はできないが妻帯を許可される終身助祭という階級がある。
・信徒

信徒の人にとっては違いが大きいと思うが、乱暴にラベリングするとすれば、
  【カソリック】   ローマ教皇を中心に団結
  【プロテスタント】 聖書を拠り所、教会組織はわりと自由


よく判らないついでにイスラム教について調べてみると、これも信者の方には失礼な乱暴なラベリングかもしれないが、下記のように違いを述べることもできる模様。
  【スンニ派】 コーランやムハンマドの慣行をまとめたハディースが拠り所
        後継者にはコーランやハディースを解釈する権限はない
  【シーア派】 ムハンマドの特別な資質を受け継いだイマームが信仰の拠り所
        現在、隠れているイマームが再臨するまではイスラム法学者が役割を代行

外国暮らしの気分

外国暮らしの気分

東南アジアの国で仕事をしているけれど、ウィークデイは家と会社の往復だけで、ウィークエンドも家事と休息、少しの仕事など家で過ごす時間のほうが長いので、外国暮らしをしている感覚はほとんどない。出社しても日本語を使うことはないし、街でも日本人に会うことはないので、周りは完全に外国なのに外国暮らしを感じることがない。

周りの人と比較すれば、私は海外にいる期間は長い方なので、日本だとか海外だとかという区別をしなくなっているのかもしれないし、本当に自分の生活しかしていないからかもしれない。何かに心を動かされることがあまりない人間だからなのかもしれない。

まあ、その理由はどうでもよくて、本題は外国気分を味わったという話。

今日は、車の中でラジオを聞いた。いつもは自分のデバイスにある音楽とか、YouTube で自分の聞きたいものを選択して聞くのが殆どなのだけど、なにかラジオを聞きたくなる気分になって、実際にラジオを聞いた。日常と違って、自分で選択しない音楽とかニュース番組を聞いていると、突然に外国気分になった。少し前に、次アポまでの時間つぶしがてらに入った普段は行かないスーパーで偶然やら再会やら発見などが重なった日があったときに、いつも同じことをしていてはいけないと思ったのだけど、ラジオもまた、懐かしい曲が突然かかったり、決まりきった生活から一歩離れることができると感じた。

なぜだか、とにかく眠い

なぜだか、とにかく眠い

年齢を重ねると睡眠時間が短くなる話をよく聞くが、そんなことはない、私の場合はとにかく眠いし、ここ 1-2 か月は本当に眠ってしまっている。

日本で働いていたかなりの長い期間では、いつでも眠かった。しかし、それは慢性的な睡眠不足が原因だったと思う。長時間勤務や時差のある国との仕事、また会社から距離のある場所に居住していた長時間通勤のため、朝の出勤は早く、夜の帰宅も遅かった。一番ひどい記憶としては、1対1で打ち合わせしていた際に、自分が案件を口頭で説明しながら意識が飛んだことがある(ほんの一瞬ながら眠りに落ちた)。

自分の適切な睡眠時間を知らないため、睡眠時間が不足しているのか適当なのか判らない。昼間に眠くなることがあれば睡眠不足なのだろうが、その観点でいえば、最近は昼間に睡魔に襲われることはほぼなくなった(それでも、横になったら一瞬で眠りに入れる自信がある)。しかし、帰宅とともに眠くなる。最近は、帰宅後にひと休みと思っていったんソファに身を預けると、もう起き上がることができなくなることが度々起こる。気が付くと夜中の 2 時とかで、それからあらためてベッドで眠ることになる(二度寝して得した気分になる)。ソファで寝落ちしても体は休まっていないだろうということは想像がつくが、それでも結構な時間を睡眠に費やしている。それでも夜は眠い。

眠くなる病気とかってあるのだろうか。まだまだ色々な学びに時間を使いたいし、眠くなるのは困る。

ワークライフバランス:1日のうちの時間の使い方か1年単位の話か?

ワークライフバランス:1日のうちの時間の使い方か1年単位の話か?

前日に続き、ゴールデンウィーク期間中のニュースから感じたことを。

観光地の混雑や、観光地・帰省先への移動中も混雑が発生していたようだ。今年は、お金を使わない、家で過ごすGWだった人が例年より多いという報道もあったけれど、渋滞や混雑は連休中の風物詩。

せっかくの休日を疲れにいくようなものだし、鉄道のように年中価格が同じものばかりでもなく、連休中に出かけることでいつもよりも払うコストが上昇する品目もある。

ここ数年は、ある時間以後の残業を禁じたり、また、パソコンのログ管理で、前日の勤務終了から当日の勤務開始までに一定の時間間隔がない場合は、勤怠管理表に理由を入力しなければならないシステムを使用する企業もある。その意味では、一日の中でのワークライフバランスの意識は以前よりも確実に高まっている(労働時間の実態は別として)。

しかし、休日の混雑などを観ていると、私の意見では一日の中のバランスよりも、もっと連続する有給を取りやすい環境を整えて、一年のうちで働く時と休む時を分けるワークライフバランス、取得する休日を働く人の間で分散するシステムのほうが幸せなのではないかと思うことがある。

子どもも学校を連続して休ませるのかとか、夏季休暇とかでない有給を連続でとるのは私自身も休み明けが心配で気がひけるだろうとか、問題がないわけではないだろうが、こちらも選択できる制度があればよいと思う。人や荷物を運ぶことを仕事とするドライバーなどの職種に対しては、一日の実働時間を管理することが疲労を原因とする事故を最小化するために必要なシステムだと思うけれど、全員に当てはめる必要はないと考える。

中には、混雑の中で出かけることで休日気分を味わえる人もいるかもしれないけれど、空いている休日を実感すればそれは誤解だったことがわかるのではないだろうか。問題はあると思うけれど、選択肢を設けることは悪いことではないと思うけれど、どうだろうか。

交通違反・事故系の YouTube 番組の質が落ちた

交通違反・事故系の YouTube 番組の質が落ちた

日本の連休中は、車・道路関係の報道が増える。渋滞情報や事故などを取り上げるものだ。

今回のゴールデンウィークも同様にいくつかの報道があったが、飲酒運転後の事故についての報道が今年は重なった。事故の重大さで報道で目立ったのか、いつもなら報道しないような事故も、1件発生したので別件もといって重ねて報道したのが理由なのか平年との比較での事故の多寡は判らないけれど、飲酒運転の報道が目立った。

You Tube を観ていると、交通違反や事故の映像を紹介して注意喚起する番組がおすすめに出てくることがある。私は、その種の番組を参考事例として観たことが結構あるのだけれど、撮影者が事故を誘発しているのではないかと思うようなものや、撮影者の車によって後続車の煽り運転が生じ、その経緯は切り取られているのではと疑うような映像が最近は増えてきたように感じているところ。

例えば、本線車道を走行中の撮影者の車が合流地点で急に速度を上げて合流車の邪魔をして、結果、合流車が少しの間、側道を走る映像を示すことでルールを守ってないとか主張する映像や、最近に私が観たものでは、合流しようとした車の後部に撮影車が衝突したものさえあった(事故のリスクを取ってまで映像を投稿したいのか、と疑問に思ったし、あきらかに合流されそうになってから速度を上げていたので、むしろ、投稿映像が自分の原因ですと言っているようなもの)。

最初は啓蒙のつもりでアップしていた人たちが主流だったのに、そういった動画が閲覧されると分かると質の悪いものが増えてくるのは、何も You Tube 動画に限ったことではないけれど、こういう傾向が出だすと望ましくない方向になってツマラナクなる一方だと思うので止めてほしいし、そういう映像のネタのために私個人が巻き込まれるようなことにもなりたくないです。





最初は興味深く見ていた(興味深いという表現は正しくないけれど)
最近は、撮影者が事故を誘発していたり(優先を過度に主張したり)、合流で入らせないためにスピードを上げるなど撮影者自身が迷惑運転をしているなど

エクセル:フラッシュフィル

エクセル:フラッシュフィル

オートフィルを大見出しとすれば、フラッシュフィルはその中の種類の一つで、オートフィルに条件を付与する機能。年月日を例にすれば、オートフィルを実施したのち、その範囲の右下に出てくるオートフィル・オプションを展開して表示されるボックスの中の「週日単位」を選択すると、ウィークデイのみを選んでオートフィルしてくれる。

週日は国によって違うが、コントロールパネルで国・地域を変えることでその国の週日が表示されるようにできるのか、国・地域に加えて使用言語も併せて変更する必要があるかどうかの検証はまだしていない。

オートフィル・オプション展開前


オートフィル・オプション展開後

Skype サービス終了

Skype サービス終了

5月5日で Skype サービスが終了とのこと。なお、Skype for Business は引き続き使用可能の模様。

Skype を頻繁に使用するユーザーではなかったけれど、サービス開始したころは非常に画期的なイベントだったが、その仕組みをよく理解できなかったがあまり、自分が開催する会議で使用することはあまりなく、Skype で開催される何かに参加する、という形が多かったような気がする。

Skype サービスが開始されたころの国際電話はコストが高かった。当時よりも以前のことにはなるけれど、国際電話を掛けるときは超緊急時に限られ、課長に口頭で許可を得なければ電話してはいけないルールの課で働いていた。そんな時代の少しのちに出てきた Skype は、それまでの海外との「会話」の概念を変えてくれた。一方、最初にクレジットなのかデポジットか表現は忘れたけれどプリペイドの課金と無料部分があって(かなり記憶があいまい)、その違いがよく判らなかったので、間違って使って高額請求されたりしたらどうしようとか、新サービスに戸惑った記憶もある。

Skype 登場当時は、買収したての海外の会社に勤務し、潜在的な客先にまず名前と顔を知ってもらうためにサンプル届けるから会ってよ、というスタンスで仕事をしていたこともあって、Skype を使用するという発想はなかったので個人的にはお世話になっていなくても、のちに出てくるさまざまなビデオ電話サービスの浸透度を通じて、社会の中に居る存在の私もお世話になっている。

これからどんな画期的なサービスが登場するのか、将来はいつでも楽しみだ。

音楽はよいなぁ

音楽はよいなぁ

好きな音楽は人それぞれだけど、音楽がよいかどうかという質問をすれば、とても高い割合で音楽はよいなぁという回答が出てくるだろうと思う。

あたらしい音楽、古い歌、何か特定の記憶とリンクした音楽、元気がない時に少し元気になれそうに思える音楽、聴いていて気持ちのよい音楽など、音楽はいいよな。

富める人もそうでない人も、老若男女、国を問わず、人々は音楽のある生活を送ることができる。こんなに公平なこともほかにはない。音楽はいいなあ。


* 上記投稿したあと、念のためという思いでネット検索したところ、音楽を禁じている宗教もある模様。偶像崇拝禁止は聞いたことがあったが、音楽を禁止する宗教があることを初めて知った。音楽も皆が楽しめるものではなかった模様。

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

カッコ好い車がなくなった(個人的見解)

車は嗜好品。好みは人により千差万別、カッコ好いの定義も人それぞれ。

ゆえに、私の感想に留まる話ではあるけれど、カッコ好い車、自分で乗りたい車が以前に比べて減ってきた。あくまで私の基準による分類。

歩行者保護をはじめとした安全基準によるボディ形状、燃費と空気力学を考えた車体の形、製造コストなど、以前よりもデザイン上の制約が増えているだろうとは想像がつくので、仕方ない部分は理解する。理解はするけど、買いたいと思う車は減った。若いころと比べると、車に出せるお金は多少増えたというのに、買いたいと思う車は減った。

私の場合、車を選ぶうえで大事な点は「見た目」。価格によっては検討すらできないモデルもあるので、もちろん、車体価格は最重要。しかし、燃費はよっぽど悪くない限りは気にしない。装備については種類によって、気にするものとそうでないものが混在しているけれど、装備はよいけど外見が好きでない車よりは、外見がよければ装備は我慢できるところはある。

え、このデザイン?という見た目の車を街中で見ること不思議な気がするが、車が嗜好品であるがゆえに消費者の好みの問題だとは思うけれど、一定の台数を売ろうとする自動車会社のそのモデルの責任者がよく決裁したな、と疑問に思わざるを得ない車もある。自動車の歴史が始まって以来、デザインも出尽くして少しでも似たような見た目にしたら真似しただの言われかねないのも想像できる。だけど、私のように見た目重視の人もまだいるだろうから、もうちょっとデザインに気を配ってみてはどうかと思う。車以外にお金を遣う人が車を買ってくれないという前に、買いたいと思うような車を出してくれないことには売れないよ、と思うこともある。



5月3日の記念日
・憲法記念日:1947 年のこの日に日本国憲法が施行されたことを記念

交通安全 – 本当にやめてほしいこと

交通安全 – 本当にやめてほしいこと

現在働いている国で生活するところ、高い頻度で見かけることで、本当にやめてほしいこと。

・横断歩道のところに駐停車
 特に学校の校門前の横断歩道で駐停車する人が多い。人を危険な目に合わせていると自覚ないのか

・運転席と助手席の間に小さい子供を立たせたまま車を運転している人

・ダッシュボードの上に置物をする人
 助手席エアバッグが展開したら凶器になる

・ライト関連
 - 異様にまぶしいヘッドライト:これ改造?
 - 照らす方向がおかしくて対向車にまぶしいヘッドライト:これも改造としたら目的は何?
 - 照らす方向は正しくても、走行車線と反対側の路肩に停車して、結果、こっち向いてるヘッドライト
 - さらに驚くのは、反対側の路肩を逆走してくる眩しいヘッドライト(眩しい以前に何だこりゃ)
 - ブレーキ時と同じくらい明るいテールランプ:ブレーキ踏んでるのか見分けつかない。設定?バグ?
 - トラックの長さ方向の真ん中くらいにあって、停車中に後ろを照らすライトがまぶしすぎる
 - 街灯に笠がないからなのか、街灯の足元を照らさず四方八方に眩しさをまき散らしている街灯
 - 道端の露店が寄ってほしさアピールなのか、灯りがまぶしすぎて歩行者見えず。客を轢きそう

・ブレーキを踏む理由が何も見当たらない場所でのブレーキ
 直線、対向車なし、そのほかの理由も見当たらないのにブレーキを踏む前走車
・されにいえば、カーブの度にブレーキランプ点灯(山間部ではなく、街中の緩いカーブでの話)
・もっといえば、片側二車線の右側車線からの追い越し時、対象の車の横に並ぶたびブレーキ点灯

・片側二車線の道路(合計4車線の道路で)の交差点で、右側の車線から左折 (または左から右折)
 それが危ないかもしれないと想像しないことがすごい(二車線の左車線は左折専用ではない時の話)

・片側一車線、交差点の前だけ左折車線が追加される道路で左折車線を使わずに左折
 直進者の邪魔をしたいだけ?

・(日本でもあるけれど)ウィンカーを出さない、または遅い(ブレーキ踏んでからウィンカーとか)

そんな運転する父・母をみて育った子供たちが免許を取ったあと、同じような運転をするのだろう。徐々に変わってくるまで、あと何十年かかるのだろうか。



5 月 2 日の記念日
・夏も近づく八十八夜(うるう年は 5 月 1 日が八十八夜)
・緑茶の日:八十八夜にちなむ
・郵便貯金の日:1875 年に郵便貯金業務の開始。制定は 1950 年(郵政省)
・交通広告の日:こう(5)つう(2)の語呂。交通広告以外の交通関係の語呂合わせ記念日ない模様
・歯科医師記念日:歯科医師法の施行(1906年)を記念。制定は 1957 年。

宗教

宗教

自分が信じる宗教に対して厳格な人が多く住む国でも、強盗や殺人など人から何かを奪ったりする個人の犯罪はあるし、信心深いはずの国であっても、軍政をひいて国民を弾圧したりする国がある。

宗教は、本当に人を救っているのだろうか。

もちろん、信じることで救われた人が存在したであろうことは否定はしないけれど、人や国をまとめるのに宗教が好都合だったという過去もあって、むしろそちらの趣旨のほうが強かった期間のほうが長かったんじゃないかと思っていしまう時もある。

政治や宗教の話は争いになるから他人と話すなとよく言うので、私もあまり誰かとこの話をしたことはないが、少し疑問に思うことはある。



5 月 1 日の記念日・出来事
・メーデー/国際労働
・元号が平成から令和に(2019年)
・Gibson Guilar Corporation が 2018 年のこの日に Chapter 11 をファイリング
・1956 年のこの日、新日本窒素水俣工場附属病院が「原因不明の中枢神経疾患多発」と保健所に報告

リビングトラストについて調べてみた件

リビングトラストについて調べてみた件

今月初めに、「銀行口座が凍結されぬようWillを準備 – Journeyman : Blog」ということを書いた。

この記事ののち、実際に遺言の作成・管理などを請け負うサービス会社に相談に行ったのだが、事前情報が全く誤解だったことが分かって、相談に行って本当によかったと思っている。

細かいことは別として、① 遺言作成、② 遺言を作成して管理もお願いする、③ 生前信託といって財産を信託にあらかじめ移しておくことで裁判所が関与する手続きを回避する、以上 3 つの方法で見積もりを取ってみた。万が一がおきてから必要となる費用は、資産額対するパーセンテージで計算されるため、単純化できないが、仮にもしもの時の銀行口座残高が 10 百万円だったとした場合の費用は、おおよそ以下が目安のよう。

私が銀行口座を持っている国では、遺言書を残したとしても相続には裁判所が関与するシステムになっている。この手続きを回避するのが生前信託となるのだが、これを行った場合の銀行口座は、死亡や植物状態、認知症などのトリガーが発動されるまでは、信託しない場合と同様に何ら制限なく使用できると遺言書サービス会社から口頭で説明を受けているが、信託契約書を見るまでは実態は未詳。


日本と法律・制度も違う国で手続きをしなければならないことを考えれば、必ずしも高いとはいえないというのが私の感覚。最悪、いままでの働きを給与として対価で得た資産が理由も判らず口座を保有する国の政府に召し上げらてしまうリスクや、外国人が行わなければならない手続きの煩雑さを考えると、もうちょっと中身について検討するとしても、契約を進めるつもり。



4 月30日の記念日
・年始から 120 日目
・南部解放記念日(ベトナム):1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結
Day of Liberating the South for National Reunification
・図書館記念日:1950 年に図書館法が発布されたことにちなむ。制定は 1971 年。

おじさん社員は使用歴が長く、使用した機種も多いだけにパソコンに詳しい

おじさん社員は使用歴が長く、使用した機種も多いだけにパソコンに詳しい

おじさん・おばさんの IT リテラシーを揶揄するような話はよくある。例としては、定期的に報道が取り上げる国会議員に関係する話などがあるが、私の感覚としては、国会議員の人の働き方として仕方ない部分があるのかもしれないけれど、会社勤めの人でそれに該当する人は、一握りなのではないかと思っている。むしろ、ベテラン社員のほうが若手よりもパソコンには詳しいのではないかと思っている。パソコン・アプリの使いこなしという点では、やはり、若い人の方が長けている人の割合は多いだろうとは思うが、パソコン歴の長さからくる強みとして、パソコンに詳しいのはベテラン社員だと思う。

パソコン一人一台体制に移行する頃には、すでに仕事でパソコンを触ってきた年代が今のおじさんの多数派ではないかと思う。パソコン使用歴が長い分、いろいろなパソコンを使ってきた年代だ。私の場合は、以前に勤務していた会社の場合は、IBM の ThinkPad ばかりではあったが、いくつもの型番を扱った。ThinkPad の場合は、名前は同じでも型番がかわると以前の使い方が通用しないことが結構あった(これは、ThinkPad の型番違いによるものではなくて、Windows のバージョンの違いが使い方に大きく影響を与えたというのが正しい表現かもしれない)。

また、ここ 10 年くらいは IT セキュリティポリシーが厳しくなったものの、それまでは会社貸与パソコンであっても個人で設定を変更可能な範囲が結構広くて、何をしたら何を変えられるかとかの検証をすることができた。さらにいえば、IT 部署の担当者によるリモート接続での設定変更が一般化する前の時代は、レジストリを変更することも含めて、担当者に電話で指示をうけながら自分の手で設定を変更することなどもよくある出来事だった(特に、パソコンを持ち込めない海外駐在時代など。何十年か前までは、私が勤務していた会社では、本社で使っていたパソコンを海外に持ち出す申請が通ることがよくあり、現在のように駐在先でパソコンを用意してもらうようなことがなかったことから、サポートも本社に依頼する必要があった)。

そんな経験の積み重ねでパソコンへの理解が得られたし、同じようなことを感じているおじさん・おばさんも少なくないのではないかと思う。パソコンの場合は壊してしまうと直せないだろうけれど、おもちゃとかであれば、分解したり元に戻したり、二度と戻らなくて後悔したりしながら学んだ人は多いと思う。これは、触れることが学びの近道であることをしめしていると思う。私の場合は、触れることのできないことを身に着けるのは、才能がないと難しい。その点、今はユーザーが自由に会社パソコンの設定を変えることはできないので、パソコン知識が今より深堀できる自信はない。別に深堀する必要はないのでいいのだが、最近はサイバー犯罪も怖いので、私用パソコンを変にいじって、世界の窓をあけてしまうことも躊躇するところ。

おじさんとかおばさん、若い人というような属性で一括りにしたら正しく表せないことは重々承知ではあるが、ベテラン社員が IT に弱いというのも乱暴な表現だと私は思う。



4月29日の記念日
・天皇誕生日 → みどりの日 → 昭和の日

BYD が日本市場で軽自動車に参入

BYD が日本市場で軽自動車に参入

メディア報道によると、BYD が日本専用 EV を 2026 年に投入するとのこと。BYD ジャパンのウェブサイトで確認すると、「2026 年後半に日本専用設計の乗用軽 EV の国内導入を決定」したとの開示とともに、乗用軽 EV と EV トラックの人材増強を加速することと、専用の応募サイトを 5 月中に開設すると書かれている。

アメリカ車が日本で走っていないと苦言を呈するトランプ大統領よりも、日本に特徴的な軽自動車を生産して販売しようとする BYD のほうが現実を直視して解決策を見出そうとする姿勢があるように見える。一国の大統領と一企業とでは発言は変わってくるし、本心を言える範囲も違ってくるし、また、その立場によって言うべきことを発信しないといけないことがあるのは当たり前のことだと思うので、トランプ大統領がどこまで本気で自国の車を日本で売ろうとしているのかも眉唾なような気がするが、本気で一定の台数を売ろうとすれば軽自動車市場を検討する BYD のスタンスに納得感はある。また、軽と EV の親和性も高そう。短距離の街乗りであれば電池の航続距離の大きさへの需要はあまり高くないかもしれないし、そうすることで日本で重要視される安全性に BYD として気を配れるようになれるかもしれない。「日本専用設計」というのは車体の大きさの観点はあるだろうが(EV になると 660cc という排気量は関係なくなるので車体サイズのみで「軽」に仕分けされるのだろうか?)、安全性も関係しているのではないかと想像する。

ハイブリッド車が新規販売の約半数を占める日本の四輪車市場において、EV 乗用車も EV 軽もどちらも年間数万台程度の規模からどこまで軽で台数を増やせるか判らないが、目の付け所に感心するところはある。中国国内での EV 販売が頭打ちとなってしまっての日本市場に目を向けている状況なのかもしれないが、2026 年に導入ということは、すでに試験や評価が進んでいる状態でないとおかしいので、かなり出来上がっているモデルなのだろう。部品選定ももう終わっていないといけないはずだけど、国内企業はもう受注していて黙っている状態なのだろうか。



4月28日の記念日・出来事
・サンフランシスコ講和記念日:平和条約 Treaty of Peace with Japan が発効、主権回復・国際復帰
・労働安全衛生世界デイ:カナダの法律が成立したことを発端に記念日の変遷あり、最終ILOが策定

日本のコンビニの海外展開

日本のコンビニの海外展開


2025 年 4 月 16 日の日経新聞に、「ローソン、6年で海外店舗2倍 アジア軸に1.4万店規模」という記事があり、2031 年 2 月期をめどに海外店舗数を倍増させるとのこと。現在は海外 5 か国に約 7,400 店舗あり、これを 14,000 店規模に増やすとのこと。この記事を読んだあとに各社のウェブサイトを見てみると、セブンイレブンが海外に 84,541 店(2023 年 12 月末、20 の国と地域)、ファミリーマートが 8,410 店(2025 年 3 月 31 日)とのこと。

私の暮らす街にも日本のコンビニが 2024 年に開店した。

海外での私の生活スタイルからすると、日本のコンビニはあればうれしいけれど、なくてはならないほどのものではない、というニュアンス。とはいっても、寝過ごして朝食を食べずに出社することになった日に、ささっと会社で食べるものを出社途中で買おうとすると、選択肢の最初に来るのが日本風コンビニだ。そのような理由で日本風コンビニを利用する機会が月に 2 回程度ある。その時には、日本風のパリパリ海苔のおにぎりがよい。そのほかの商品でいえば、ポカリスエットなどの日本の飲料を具合が悪くなった時に欲しくなることがある。

東南アジアには〇〇風なものや〇〇に似たものがたくさんある。見た目は同じようなものが低価格でてない入ったりするけれど、つかっているうちに〇〇風であって〇〇ではないことに気付かされることが多くの機会である。私の住む町の日系コンビニも同様で、日本風なのだけど日本のとは違う。名称は忘れたが、キャッシャーにはエキスプレス客が並ぶ場所があるのだが、だいたいはそこは使われていないか、そこに店員がいてもチキンやおでんのような時間を要する人が並んでいる。東南アジアにいれば時間がかかることは当たり前のスタンスではいるのだけれど、せっかくレーンとサイネージがあるのだからと毎回残念に感じてしまう。

店員さんはエキスプレス・レーンの意味を考えたことがあるのか、また、日本でいう本部のような人が店舗を訪れて指導しているのか、あるいは本部の人もある意味現地に合わせてゆるくていいと思っているのか、聞きたくて仕方ない。たまにしか利用しないので、まあどうでもよいといえばよいのだが、私は知りたくて仕方ない人間なので、インタビューしたくてうずうずしている。



4月27日の記念日・出来事
・婦人警官の日:戦後初めて採用された婦人警官が初勤務。1946 年、62 名の警官。
・哲学の日:ソクラテスが毒杯で刑死、紀元前 399 年。妻が悪妻と言われ、「悪妻の日」でもある。
・1810 年にベートーヴェンが「エリーゼのために」を作曲。

何度も遇う人

何度も遇う人

地元では手に入らないけれど、都会にあるのは確認済みで、あったほうが生活に色どりを与えてくれそうだなあとここ数週間考えていたものがあった。先月に都会にいったので、しばらくしたら買いに行こうかと思っていたが、ちょっと時間を取れそうだったので今日、行ってきた。

買い物していたときに、以前に同じ会社に勤めていた人に似た人をみかけた。特に親しくしていたわけではなかったのと、遠くから見かけただけだったので本人確認をしていないけれど、その人が転職して転居して以後、私が都会で買い物しているときにその人に似た人に何度か遭遇している。今回同様、これまで一度も本人確認したことないので、全部人違いかもしれないけれど、なぜかその人に似た人には遭遇することが多いのは、その人が一般的な姿形をしているのか、私からみたら外国人だから、外国人をみたらその人だと思え的なバイアスがかかっているのか不明。次回は本人確認してみるか。



4月26日の記念日・出来事
・よい風呂の日:語呂合わせ。現在の居住国では普通だが、私が住む場所もバスタブがない。欲しい。
・世界知的所有権の日:「世界知的所有権機関を設立する条約」が1970 年のこの日に発効。制定 2000 年
・チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)
・王貞治選手、初ホームラン(1959年)
・日本で商法公布(1890年)

公立高校の併願入試を検討との報道

公立高校の併願入試を検討との報道

メディア報道によると、文部科学省が公立高校の単願制の見直しに向けた検討を開始するとのこと。
併願によってよくなる面もあると思うけれど、私はどうかなあという考え。

高校側としては、入学してくれる学生の票読みが難しくなる。人気校でなければ、合格者を多めに出す学校が多くなると思う。定員以上が入学すれば先生と学生の比率が崩れ、先生ひとりあたりの学生数で不公平が生じうる。また、併願の機会を最大限に生かせるように、各校試験をA/B日程のように実施すると学校側の負担が増える。そうではなく、A日程の学校とB日程の学校に分ける方法だとすれば、それはそれで相当に気を遣う検討作業になるだろう(公立高校を統括しているのは都道府県の教育委員会?)。

公立であれば、入学金の額と納付期限は統一されるであろうから、最近、いくつかのメディアで取り上げられていた私立の入学金ムダ金納付問題(浪人確定を回避するために、第一志望の合否が判明する前にそれ以外の学校の入学金を納付しないといけないこと)は発生しないことは大前提としてほしい。

メディアによると、併願が可能になることで少し無理目の学校にチャレンジすることができるとか、チャレンジを回避した受験生よりも点数の低い受験生が合格する不公平を回避とかのメリットを挙げている。たしかにそれはそうなのだけど、自分の成績から少し背伸びした学校に入学したあとについていくのが大変になる場合もあるので(私は運のよい方なので、高校も大学もうまく合格してしまい、どちらも入学後に苦労した張本人)、何が正解か判らないし、だからこそ面白いなどという受験生でないからこそのお気楽意見。


4月25日の記念日
・世界マラリアデー:2000年にマラリア撲滅国際会議がナイジェリアで開催された。
・世界ペンギンの日:アデリーペンギンが南極大陸から海へ移動する頃らしい。でも、なぜ今日?
・ANZAC Day:第一次大戦時の豪・NZ義勇兵(AUS & NZ Army Corps = ANZAC)の勇気を称える
・ギロチンの日:ギヨタン博士が提案したギロチンがフランスで実用化された日。1792年
・取得物の日:1980年に東京・銀座で 1 億円の落とし物が見つかったことにちなむ